2018/05/28

共産主義はなぜ破綻したのか?(1)


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑



皆さんの中には、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのだろう?
なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのだろう?と思われている方もおられると思う。
今回は、そのことに言及したい。

このことを明らかにするには、20世紀の世界に最大の影響を及ぼした共産主義思想とは何だったのか、人間とは何なのかまで踏み込まざるをえない。
したがって、限られた時間とスペースの中では書きつくすことは不可能に近い。が、できる限りのエネルギーと、持ちうる限りの知識、経験を費やしてチャレンジしてみようと思う。

長いエントリーになるし、中には難解な言葉も出てくるので、途中で投げ出したくなるかもしれないが、世界や人間を知るうえで必ず参考になると思うので、できれば読み通してほしい。

なお、ここでは、社会主義という言葉は共産主義に通じると理解してもらいたい。なぜなら西欧では、社会主義というと、一般的に社会民主主義(社民主義)のことを指すからだ。
また、よくマルクス主義とも言われるが、それは、ドイツ人のカール・マルクスが共産主義思想の始祖であるためで、共産主義と同義である。

これから述べることは、少々むつかしいかも知れないが、高校のころの世界史を復習するつもりで読んでほしい。

----------------------------------------------------------------------

歴史上、最初に社会主義革命を成功させたロシアのウジミール・レーニンによれば、
マルクス主義の基本的源泉はドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義の三つとされる。(「マルクス主義の三つの源泉」)
ただ、この捉え方は、「ステレオタイプすぎる」という批判も強く、実際のところ、マルクスが洞察した内容はもっと奥行きが深いと思う。
が、だからと言って、レーニンの捉え方が間違っているわけではない。

マルクスが、
①ゲオルク・ヘーゲルやルートヴィヒ・フォイエルバッハなどのドイツ観念論、
②アダム・スミスやデヴィッド・リカード、ロバート・マルサスなどのイギリス古典学派経済学、
③サン・シモンやシャルル・フーリエ、ロバート・オーエンなどの、いわゆる「空想的社会主義」
を批判的に摂取し、「科学的社会主義」へと発展させたことは事実である。
「科学的社会主義」を具体的に言うと、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」と「資本論」である。

「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などと言うと、文字を見ただけで「嫌になりそう」という声が聞こえてきそうなので、今回はそういうところまでは、できるだけ言及しないようにしたい。

ところで、レーニンの唱えた「マルクス主義の三つの源泉」が、なぜ「ステレオタイプ」と批判されるのか?
それは、マルクス自身及びマルクスが自らの思想をまとめ上げていった当時の時代背景に対する考察が不足しているからである。
もっとも、マルクスが哲学者であり、経済学者であり、そして革命家であったのに対し、レーニンは純粋な革命家であったから、理解が単純化されたのは必然であったのかもしれない。

----------------------------------------------------------------------

マルクスはユダヤ人である。マルクスが生きた1818年~1883年のころは、まだゲットー(都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)が存在していた時代である。
特に、マルクスの祖国・ドイツでのユダヤ人差別はひどいものがあった。

そのような時代にあって、父はユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗した。
職業は弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人だが、父よりユダヤ性向が強く、日常生活ではイディッシュ語(ユダヤ語)を話していた。マルクス自身も6歳の時、プロテスタントとして洗礼を受けている。
マルクスの思想を理解する上で、彼の出自が被差別民族であったという事実は見逃せない。

また若かりし日には、啓蒙思想にも大きな影響を受けている。
啓蒙思想は、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているとの「肯定的命題」を立て、世界に何らかの「根本法則」があり、それは「理性」によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては自然科学的方法を重視した。
マルクスは高校生時代に、教師を通じて、フランスの啓蒙思想家ジャン-ジャック・ルソーが唱えた社会契約説の影響を受けた。ルソーの考えは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の契約によって成立する。主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というものである。
この啓蒙思想は、フランス大革命にも大きな影響を与えた。

私は、
①この啓蒙思想の、あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界に何らかの「根本法則」が存在するという考え方、
②特に「主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というルソーの主張、
③そしてキリスト教(ユダヤ教)の「唯一神信仰(神=真理は一つ)」と、
④出自が被差別民族(ユダヤ人)であるという潜在意識が、
マルクスの思想の「根っこ」にあると思っている。

----------------------------------------------------------------------

マルクスにとって、というか、マルクスの生きた時代においては、ヨーロッパと北米が「世界」であった。それ以外は、「未開の地」か「未知の地」であり、マルクスの「世界」には、アラブもインドも中国も存在しない。
ここでいう「アラブもインドも中国も存在しない」というのは、「知識」としてではなく、「認識」としての意味である。

ヨーロッパ(英国)が清(中国)を最初に侵略した阿片戦争は1840年、ヨーロッパ諸国がアラブ(イスラム)世界の覇権をめぐって戦ったクリミア戦争が1853年。ムガール帝国(インド)が完全に英国の植民地になったのは1858年。
マルクスが生きた時代を考えれば、アラブやインド及び中国は、マルクス的世界においては「外界の存在」にすぎず、アフリカや南米は「未開の地」であったと言ってもよい。

つまり、「白人」及び「キリスト教(ユダヤ教)文化圏」がマルクスの「世界」なのである。
その「世界」には既に、資本主義が高度に発展した国々が存在し、自由や平等、人権といった民主主義の基本的価値観が社会的土壌としてあった。

アメリカ独立革命やフランス大革命が起きたのは、マルクスが生まれるよりずっと前だった。
アメリカ独立革命(1775~1783年)は、独立宣言で「全ての人間は平等に造られている」と謳い「(自然権としての)生命、自由、幸福を追求する権利」を掲げた。
フランス大革命も、人権宣言で「自由の保障・人民主権・法の下の平等」という近代民主主義の基本的価値観を謳いあげた。

要するに、
①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである。
そしてマルクス自身は、その世界においては被抑圧民族であるユダヤ人だった。

----------------------------------------------------------------------

ここまで読んだだけで、なぜソ連が破綻したのか、なぜマルクスの思想(共産主義)から中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのかが、ある程度は解った方もいると思う。

もちろん、もっと様々な問題が「なぜ?」を解明するうえで存在する。
その様々な問題に言及する前に、ここで共産主義について簡単に説明しておこう。
以下は、カール・マルクスが定義した共産主義社会についての私なりのまとめである。

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。

以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である。

ここで、共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展したものと書いた。
マルクスによれば、社会主義社会とは「各人はその能力に応じて働き、労働に応じて与えられる」社会である。そして、社会主義社会において、生産力が最大限に発達しきった段階でようやく共産主義社会に到達する。

※(注)
ここにおける「労働」は、資本主義下における「労働」とは違う。

なお、社会主義社会の前段として、「労働者(プロレタリア)独裁社会」が不可避とされる。
なぜなら革命が成功しても、労働者階級(プロレタリアート)が司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐しない限り、常に資本家階級(ブルジョアジー)による「反革命」の危険にさらされるからである。マルクスは、これを、1871年のパリ・コミューン(世界初の労働者階級による民主国家)の失敗から学んだと思われる。

資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐し、「労働者(プロレタリア)による独裁」が実現して初めて社会主義社会への扉が開かれる。
労働者(プロレタリア)独裁下では、資本家階級(ブルジョアジー)の駆逐と共に、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が進められる。
そして、資本家階級(ブルジョアジー)がなくなり、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が完全に実現したときから社会主義社会が始まる。

社会主義の初期段階では、まだ国家も貨幣も残存している。が、社会主義がさらに
発展すると、国家は死滅し貨幣も廃棄され、富も「各人はその能力に応じて働き、に応じて与えられる」社会から「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会になる。
これが、共産主義社会だが、なぜ、そんなことが可能になるのか?

私が学んだ範囲では、その「なぜ?」に対する確信的な答えは見出せなかった。
だから私は、次のように勝手に解釈した。

計画経済により供給と需要が均衡するので、資本主義のような好況-不況-恐慌という景気の極端な変動がなくなり、安定的な経済成長が可能になる。投資や資源の配分も効率的かつ効果的に行われるから、さらなる成長を促す。
つまり、効率的かつ効果的な投資と資源の配分が、安定した高い経済成長をもたらす。高い経済成長が新たな投資と資源を生み出し、その効率的かつ効果的な再配分が、さらなる成長の基盤になる。
そういう「無限の成長サイクル」ができ上がる。

また、生産手段が社会的に共有されているので、働く主体(人間)が搾取されることもなく、抑圧からも解放される。失業の恐れもなくなり、働く主体(人間)の意欲も向上する。したがって、「無限の成長サイクル」+「意欲の向上」が、相乗効果も伴なって「生産能力の飛躍的拡大」を可能にする。
だから、やがて「必要に応じて与えられる」ような社会が実現する。

経済(下部構造)が政治や国家(上部構造)を決定するから、そういう理想社会(生産力が極限まで発展し、司法・立法・行政の三権と生産手段のすべてを人民が共有する社会)になれば、上部構造としての国家は死滅する。
生産手段が社会的に共有され、かつ供給と需要が均衡しており、「各人は必要に応じて与えられる」から、価値交換の媒介としての貨幣(交換価値)も必要なくなる。

以上が私なりの勝手な解釈だった。

※(注)
「生産手段の社会的共有」は、資本主義社会において「私有財産の廃止」と理解されている場合が多い。が、これは、(悪意の込められた)誤解である。
「生産手段の社会的共有」とは、工場や土地などの「生産手段の私的所有廃止」がその核心であり、個人的生活を営む上での必需品まで否定されるわけではない。


 Marxengels   画像右がマルクス、左が盟友エンゲルス

かつてマルクスの教えを信じていた私は、今は、このような考えを完全に否定するようになった。
それは、極めて単純な理由からである。
「必要に応じて与えられる社会」が可能であるためには、その社会が「無限に近い生産力を持っている」か、全ての人間が「必要限度をわきまえている」かの、いずれかが必要である。
社会が「無限に近い生産力を持てるようになる」とは、現実の世界を踏まえれば考えられないし、また全ての人間が「必要限度=節度と中庸をわきまえる」ことができるとは絶対に思わない。
もう、この時点で、マルクスが夢見た理想郷は、私にとっては科学とは無縁の「願望」としか思えないようになったのである。

私の50数年の人生経験から言えば、人間の原点は「欲望」である。その「欲望」をどこまでコントロールできるのかが「理性」である。
が、「理性」は人によって千差万別である。中には「理性とは無縁」と思える人間もたくさんいる。だから、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているなんて、とても信じられない。
「下部構造としての経済が人間意識までも決定する」「人間の社会的存在がその社会的意識を規定するのであって、その逆ではない」とマルクスは言う。
この捉え方はある面では正しいと思う。ただ、「現実の人間」を見れば、あまりにも一面的にすぎる。

※(注)
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る「具体的な思考能力」を意味する。

労働力を商品として資本家に売らなければ生きていけない社会から、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にし、人間に特有の活動的機能であるに自由や生きがいを感じることのできる社会に変わったからといって、人間の本質というか、根源的な部分は変えようがない。
私は、そう思う。

マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。

「疎外された労働は、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外された労働は、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外された労働は、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する」

これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと思う。私は次のように理解している。

人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃労働に従事する人間は疎外されている。
賃労働によって、人間に特有の活動的機能である労働が、「個人の生存を維持する手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と......

が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。

人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。

※(注)
ところで、マルクスは宗教を「アヘン(痛み止め)」として否定している。
ただマルクスの言いたいことは、宗教の全否定というより「(宗教は)痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という意味であるから、宗教の持つネガティブな部分を射ているとも言える。


Lenin   画像は大衆を煽るレーニン

ここで、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのか?なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会<体制が生み出されたのか?という本題に入ろう。

私はマルクスの思想が、以下の条件の下で生まれたと前述した。

①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会を及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している
と......

マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスであると想定していた。

ところが、実際に革命が起きたのはロシアであった。
当時のロシアは、マルクスの思想が生まれた土壌とはあまりにも違いすぎた。
1861年に農奴解放令が出されたものの、農民の生活は一向に向上しなかった(ミールと呼ばれる、司法・行政権力を有した村落共同体の小作農に変わっただけ)。19世紀末に産業革命が起こったものの、ヨーロッパの大国の中では、資本主義はもっとも遅れていた。
政治体制も、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)支配が貫徹されており、自由、平等、人権という価値観からは、ほど遠い社会だった。
つまり、もっとも社会主義革命にふさわしくない国で革命が起きてしまった。これが不幸の序章になるのである。

ロシア革命では、マルクスが考えていた革命を指導する「前衛(共産主義者)」が、「前衛党(共産党)」になってしまった。
このロシアの共産党はボリシェビキ(多数派という意味だが、実際は少数派だった)を名乗り、労働者・農民を覚醒させるためには「前衛党(共産党)」による指導が必須と考えた。

マルクスがイメージした「労働者(プロレタリア)独裁」はパリコミューンのイメージがあった。そして、ロシアでも同様に労働者や兵士を中心にしたソビエト(評議会)が地域ごとに組織され、これが司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、永続革命の推進母体になるはずであった。
が、民主主義的価値観とはほど遠い社会だったロシアでは、「前衛党(共産党)」が司法・立法・行政の三権及び軍のすべてを独占し、ソビエト(評議会)は名のみの存在となり、「労働者(プロレタリア)独裁」は「共産党独裁」に変質した。

※(注)
「ソ連」とは、「ソビエト(評議会)によって構成された国家の連邦体」という意味である。

ロシア共産党は、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)から厳しい弾圧を受け、革命後は、常に反革命派(白軍)やそれを支援する欧米列強(日本を含む)に脅かされた。
そこで、この党は、「下部組織は上部組織に従う」という「民主集中制」を組織原則にし、「鉄の規律」を保ち、社会のあらゆる部門に党委員会や党細胞を張り巡らせて社会を統制していった。
この体制は、本来は「戦時体制」のはずであったが、ロシアの後進性と指導者に都合のよいシステムでもあったため、その後も継続されて行くことになる。

このようにして共産党による強権的支配体制が確立され、しかも共産党は、「下部組織は上部組織に従う」という組織原則によって貫かれたため、社会はもちろん「前衛(共産主義者)」の組織であるはずの共産党内でも自由な言論は完全に封殺された。

そのような中で、前近代的社会から一気に社会主義社会に導くために、強引な農業の集団化や重工業偏重の政策が推進された。
また、強引な政策を貫徹するためには、強力な指導力が必要とされたため、指導者(ヨシフ・スターリン)は、その政敵(レフ・トロツキーやニコライ・ブハーリン)を追放し、粛清した。また、党内の反対派もほとんどが強制収容所送りか処刑になった。
スターリンによる独裁は、彼の個性にもよるが、以上のようなロシア的特殊性も大き影響している。

共産党の政策により、ウクライナを中心に、農地の収用に反対する農民たちは数十万人単位で殺害された。反革命派(白軍など)だけではなく、元貴族や資本家、富農たちも同様の運命をたどった。中には、反革命派や資本家、富農に仕立て上げられて強制収容所送りや処刑になった者もたくさんいた。
そして残ったのは、マルクスがもっとも忌避した「スターリンの個人崇拝と神格化」及び数千万人とも言われる犠牲者たちである。

※(注)
ヨシフ・スターリンは、ロシア革命の指導者であったウジミール・レーニンの後継者である。

----------------------------------------------------------------------

初期のソ連は、1930年代に資本主義諸国を襲った大恐慌とは無縁であり、かなり高い経済成長を遂げた。
またノルマと呼ばれた計画生産数値の設定は、生産物の質より量が重視されたこの時代では一定の効果があり、ソ連の鉱工業生産を大いに高めた。
このような、資本主義諸国の没落(大恐慌)とソ連の躍進を見て、ソ連型社会主義(スターリン主義)を礼讃する論調が世界的に数多く見られたのも事実である。

が、急速な工業化推進の原資は、農業から余剰を絞り出す形で行われたので、その分、農業部門が立ち遅れた。1933年には、そのツケが回って大飢饉が起きた。
ところがヴャチェスラフ・モロトフ書記は、ノルマ達成のために農民が次年度用に貯蔵している種子までも取り上げるように地方幹部を叱責した。その結果、32年から33年にかけて500万人~700万人とも言われる餓死者が発生したのである。

順調に見えた工業部門も、第2次大戦後、量と共に質が重視されるようになると、ノルマを重視する計画経済では質の問題を解決できなくなってくる。
また、重工業の偏重は軽工業の軽視をもたらし、サービス部門にはコスト意識やサービス精神がまったくなかった。そのため一般国民には劣悪な消費財と質の低いサービスしか提供されなかった。
共産党官僚は、ノルマの達成が立身出世や保身を左右するため、虚偽の数値や報告が横行した。そのために、党中央や政府は経済の実態を正確に把握できず、有効な政策を実行することはおろか、その立案さえできなかった。
そういう体制の劣化・堕落が、1970年代以降になると、日用品や食料さえ事欠く事態をもたらすのである。

ノルマ重視の経済は、自然環境も大きく破壊した。例えば、かつては世界第4位の面積を誇ったアラル海は、旧・ソ連による無計画な灌漑事業のため、面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になるという完全なる「死の海」になった。
チェルノブイリ原発事故も、旧・ソ連の隠蔽体質のため、公表と対策が遅れ、結果として約16万人が移住を余儀なくされた。死者は9,000人(世界保健機関=WHO)とされるが、40,000人(ロシア科学アカデミー)という説もある。

また、情報統制社会であったため、情報工学は、軍需部門などの一部にしか導入されず、民生部門における「情報革命(IT革命)」はまったく進展しなかった。

このような数多くの問題点も、共産党官僚の強権支配と言論の封殺により批判されることがなく、したがって改革も常に後手に回った。

これに対し、資本主義諸国は、第2次大戦後は資本主義が抱える諸矛盾を解決するための社会政策や経済政策を次々に打ち出し、「弱肉強食社会」ではなく「福祉社会」を目指す動きを強める。
これは資本主義の「本丸」である米国も例外ではなかった。
また、「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」により、国際的自由貿易体制が保証されたため市場が大きく拡大した。そして、市場の自由化と拡大に伴ない競争が激化し、量のみならず、質の向上とコストダウンが並行して求められた。
このような条件下で、第2次大戦後の資本主義諸国の経済は大きく発展し、社会も国民も豊かになったのである(もっとも恩恵を受けたのは日本であろう)。
IT革命も、各国の垣根が低くなり、人、モノ、カネの世界的流通が急速に活発化する中で一気に進んだ。

こうして、旧・ソ連と西側先進諸国との格差は、絶望的なまでに大きくなったのである。
確かに冷戦下における「軍拡競争」も旧・ソ連にとっては負担であったけれども、その体制そのものが劣化・堕落し、完全に時代にそぐわなくなっていたことが旧・ソ連崩壊の最大の原因なのである。

ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1980年代後半からペレストロイカ(改革・再構築の意味)によって、この時代にそぐわなくなった体制を立て直そうとしたが、皮肉にもそれは、ソ連型社会主義体制の崩壊を後押しする結果になってしまった。
それは、ペレストロイカの重要な核であったグラスノスチ(情報公開)が逆作用を呼び起こしたからである。
グラスノスチにより、1930年代の大飢饉(餓死者500万人~700万人)などの「不の部分」が明るみに出されるようになった。また、困窮を極めていた民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしぶり、その汚職体質なども暴かれ、国民の反共産党感情を一気に高めたからである。

明日に続く。
明日は、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する予定です。
期待(笑)して下さい。
なお、「人気ブログランキング」のクリックをよろしくお願いします。

※(注)
このエントリは、2006/07/13の再掲です。



人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/05/07

北朝鮮を批判するのは、FBにとってNGなのか?


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

以下の内容をFBに投稿したら3日間のアカウント停止になってしまいました。

坂 眞
23時間前

日朝対話「1億年後も無理」=北朝鮮紙、圧力姿勢批判

懲りない奴らだ(爆)
1億年経っても顔も見たくねえよ!
独善、無自覚、無恥、冷酷、支離滅裂
この世に存在すること自体が理解不能...

北朝鮮!!!

日朝対話「1億年後も無理」=北朝鮮紙、圧力姿勢批判
(2018/05/06-20:09) 時事通信

かなり前に1回目の警告を受け、その時はノーペナルティだったのですが...
次は3か月の停止になるそうです。
そして4回目でアカウント強制削除。
1回目と今回に共通するwordは「北朝鮮」。
1回目は、沖縄県辺野古の基地建設に反対する在日北朝鮮人(総連)=女性を皮肉っただけ。
「朝鮮人は日本の安全保障に口を出すな!」と...(笑)

北朝鮮を批判するのは、FBにとってNGなのか?

Img_10101_2


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

私がアカウント停止中なので、Facebookでのシェアができないかもしれません。
よろしくお願いします。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/05/05

昔は韓国にも正論を述べる知識人がいた。今は最悪だ!


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

昔は韓国にも、正論を述べる勇気ある知識人がいた。
李栄薫ソウル大学教授(当時)はその代表だろう。
李氏は、当時(2004年)、以下のように述べている。

「挺身隊(慰安婦)は商業的目的を持った売春業」
「韓国(朝鮮)戦争当時、韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」
「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」
(以上、2004/09/03 朝鮮日報)

韓国知識人の中にも、歴史を民族感情ではなく事実に基づいて冷静に認識している人たちがいるということだ。
これを知った私は、当時、とても嬉しく思った。

李教授(当時)は次のようにも述べている。

「日帝(日本帝国主義)が韓国の米を供出、強制徴収したとされているが、実際には両国の米市場が統合されたことにより、経済的『輸出』の結果だった」
「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」
(以上、2004/11/20 朝鮮日報)

つまり、李教授は、韓国の公式の歴史認識は「作られたもので、教育されたものだ」、意訳すれば「ねつ造されたものだ」と断言しているのである。
ところが、この李栄薫氏は、その研究結果ゆえに、耐え難い屈辱を強いられるのだ。
慰安婦に対する土下座謝罪である。
私は、当時、正論を吐いたがゆえに慰安婦に公衆の面前で土下座させられた李教授の内心を思うと、怒りが爆発しそうになった。
自らは史実を歪めながら、真実を主張する者に対しては社会的バッシングを加える韓国と韓国民が益々信じられなくなった。

あれから15年近くが経過しているが、韓国の現状は、「慰安婦の像」や「徴用工の像」に象徴されるように益々ひどくなっている。
この国との付き合いは、特段の注意と警戒が必要である。

もう完全に狂っているとしか思えない、韓国と韓国民。

以下↓の画像は、左側が、暴行される李栄薫教授(当時)。右側が、慰安婦に土下座させられる李栄薫教授。

I_yonfun  (参考)李氏は、当時「ニューライト」の旗手で、現在はソウル大学名誉教授。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018/05/04

世界卓球 準決勝直前に南北朝鮮が合体して日本に挑む。
これってあり得ねえだろう!

速報!


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

今、スウェーデンで、卓球の世界選手権団体戦が開催されている。
我が日本国は、男子が決勝トーナメント1回戦に勝利し、ベスト8が確定、明日は韓国戦である。
女子は、2回戦に勝利し、明日が準決勝で、既に銅メダル以上が確定した。
ところが、本日、驚くべきことが発表されたのだ。

実は、女子の準決勝は、韓国対北朝鮮の勝者と日本が決勝進出をかけて戦うはずだった。
にもかかわらず、まったく信じられないことが起きた。
韓国と北朝鮮は準々決勝で戦わず、両者が合体し準決勝の対日本戦に臨むことが決定されたのだ。
つまり準決勝で日本女子は、韓国+北朝鮮と戦うことになった。
明日の試合は、「日本対南北朝鮮」とテレビ東京では表示されていた。

準々決勝のために入場した韓国と北朝鮮の選手たちが握手を交わした後、合同チーム結成を告げるアナウンスが試合会場に響いた。
結局、南北朝鮮の準々決勝は行われず、いきなり「もう北朝鮮チームも韓国チームもない。コリアだ」となった。
実は、8強入りを決めた両チームが、前日夜になって、国際卓球連盟(ITTF)に申し入れて実現したのだ、と言う。
南北融和、国際平和への道...と言えば聞こえはいいが、スポーツの政治利用そのものであり、選手から見れば極めて不公平な決定である。

ITTFだけではなくIOCも賛同したようだが、南北朝鮮の「戦争状態」が終結していないのに、たかが一スポーツ団体がこんな政治的先走りをしてもいいのか?
政治によるスポーツへの介入には非難の声をあげる連中が、スポーツの政治利用には賛辞の声をあげる。
これを偽善と言わずして何という?
まあ、韓国が勝っても北朝鮮が勝っても日本女子に勝つのはむつかしい、という打算もあったのだろう、間違いなく。

まいど、まいど、汚い奴らだ!

Korea_pingpong


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018/05/03

韓国は遠くない将来、崩壊するのかもしれない
北朝鮮より先に...


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

5月1日
いわゆる「徴用工」の像が、釜山の日本総領事館前に設置されることだけは、辛うじて回避された。
動員された警察が阻止したのだ。
慰安婦像の時は、警察は動かなかったが、今回は「(韓国)政府がウィーン条約により、外交公館を保護しなければならないと要請しているため」と韓国メディアは報じている。

慰安婦像の時は全く動かなかった韓国政府が、今回は国際的取り決めを盾に韓国極左の動きを封じた。
北朝鮮との和解に動いている最中に、日本政府及び日本国民の反発を受けたくなかったのだろう、文在寅は。
ただ、未だ「徴用工」の像は、領事館近くの歩道に放置されたままであり、韓国極左は領事館前にある慰安婦像と並立させることを狙っているという。

しかし、人通りも多い歩道の中央に像が放置されたまま、と言うのも韓国政府と韓国民の混迷を象徴しているような気がする。

案外、この国は、遠くない将来、崩壊するのかもしれない、北朝鮮より先に...

Choyoko


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/29

再び全共闘運動を語ろう


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

1960年代に隆盛を極めた全共闘運動を実体験で知っているのは、私の世代が最後だろう。
当時は「学園紛争のない大学は大学ではない」と言われるほど学生運動が盛んだった。
私は、全共闘運動の端緒は、1967年10月8日の「佐藤首相ベトナム訪問阻止」闘争にあると思う。
この時、羽田空港に通じる弁天橋で、中核派の山崎博昭さん(京大生)が死亡した。
世論は、当時、学生たちに同情的で、特に学生側に死者が出たことでその傾向はさらに強くなった。
そして、ヘルメットにゲバ棒、タオルで覆面というスタイルもこの羽田闘争が初めてだった(と思う)。
なお、わがブントの先輩たちは、ゲバ棒片手に首都高を逆走し、闘争現場に駆け付けた時は闘争は終わっていたらしい(笑)

そして翌年(1968年)の2月に、東大医学部で医学生の誤認処分が明らかになる。
しかし、当時「象牙の塔」と呼ばれ、傲慢で威圧的だった東大医学部当局はこの不祥事に迅速に対応せず、一般学生たちも含めた怒りを買う。
この、きちんとした調査もせずに、日ごろから目をつけていた学生を事実無根で処分した行為は世論の批判を浴びた。
ここから東大闘争が始まり、ブントや中核派、革マル派、解放派、ML派、フロントなどの活動家が、無党派の学生たちと合体して、さらに運動が盛り上がり、最後はあの安田講堂攻防戦になった。
ちなみに、当日、革マル派のみが安田講堂から夜逃げし、これが後の「内ゲバ」の遠因になる。

また、1968年の「フランス5月革命」(パリ カルチェ・ラタン闘争)の影響も大きかった。
当時、神田駿河台に集中していたブント(中大、明大、医科歯科大)を中心に「神田カルチェ・ラタン闘争」が繰り広げられた。

ただ、この全共闘運動は、1969年の11月でほぼ終結した。
10月の国際反戦デー闘争、11月の佐藤訪米阻止闘争、この二つの闘争で学生のみならず反戦労働者も大量に逮捕され、反体制運動は大きな打撃を被る。
しかも、ほぼ同じ時期に山梨県の大菩薩峠で軍事訓練を行っていた、我がブントから分派した「赤軍派」の主力が検挙される。
このころ私は高3で、隊列の最後尾にいる存在だったが、運動が「潮が引くように」衰退していくのが分かった。
ただ、直後に大学生になった私は1972年までブントの活動家を続けた。
しかし、1972年2月に発覚した「連合赤軍事件」で私は極左に絶望し、きっぱりと過激派をやめた。
ただ、その後も部落解放運動や労働運動にかかわり、左翼と縁を切った時は既に29歳になっていた。

こういう経歴を持つ私が2011年12月23日に書いたのが、以下のエントリ「再び全共闘運動を語ろう」である。
以下のエントリをお読みいただき、当時をご理解いただければ幸いである。

Yasudatoride_3

----------------------------------------------------------------------

再び全共闘運動を語ろう

2012年まであとわずか。
早いもので、私が左翼運動に身を投じてから43年が経過しようとしている。
そのころ生まれた人がもう43歳。
時の流れはほんとうに早い。
左翼運動と完全に縁を切ったのは29歳の時だから、それから数えても30年以上が過ぎている。

心情的に左翼と絶縁したのは、もう少し後になる。
35歳の時、成田から米国に向けて初めて旅立った時だ。
まだ三里塚の新空港反対運動は続いていた。
その昔、反対運動の隊列にいた私を何とも説明しがたい感情が襲った。
単なる後ろめたさではない。
もういいだろう、という自分もそこにはいた。
そして、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った時、そういう気持は完全にふっ切れた。

革命闘争、部落解放運動、労組活動、その時々で私の立ち位置と思想はかなり異なったが、左翼であり続けたことだけは変わりがない。
極左の学生、被差別部落の講師、公務員労組の末端活動家、ここまではまったくの左翼だったし、革命を完全にあきらめていたわけではない。
が、海と言えば関門海峡しか渡ったことのなかった私が、いきなりたった一人で太平洋を越えることになったころには、もう革命の「か」の字も心の中には存在しなかった。
もっと言えば、革命なんてぜったいに、ぜった~いに起こりえない、と思っていた。
が、やはり左翼の、特に過激派の動向は常に気になっていた。
三里塚の新空港反対運動もその一つだった。

----------------------------------------------------------------------

私が自らを「元極左だった」と語るのは、もちろん自慢するためではない。
そんなこと知られずに済むなら、それに越したことはない。
今ではもう時効だが、犯罪行為(当時は革命的行為)を犯したことは間違いない。
それでも「元極左」を名乗り、過去を語るのは当時を知ってほしいからである。
学生の集団的政治活動としては近代史において最大で、且つもっとも過激だった全共闘運動。
1960年代半ばから70年代初頭にかけて隆盛を極めた極左の運動が、再びこの国で起きることはないだろう。
そういう意味では空前絶後の出来事だった。

当時、全国的課題では東京の中央集会に2万人以上が結集した。
地方での動員数を合算すれば、その数は4~5万人に達していたと思う。
集会やデモには参加しないが、心情的に全共闘支持だった学生も数多く、間違いなく学生においては多数派だった。
1969年には、全国の大学で紛争校165校、うち封鎖・占拠されたものが140校を占めた。
今で言う「偏差値の比較的高い大学」のほとんどが封鎖・占拠された、と言っても過言ではないだろう。
当時のメディアでも「紛争のない大学は大学ではない」などという差別用語?が紹介されたりしたものだ。

では、なぜ、そんなに全共闘運動は盛り上がったのか?
学生の支持を集めたのか?
私は全共闘世代の最末尾である。
全共闘運動には助手や大学院生も参加していたから最年長は1944年生まれあたりだと思う。
つまり来年68歳になる人たちから60歳になる人たち(1952年早生まれ=私)が全共闘世代である。
私の学年は高校時代に全共闘運動の洗礼を受けた。

この1944年~1952年早生まれには共通するものがある。
一つは戦後の貧しさを知っているということだ。
今日のメシにも困る人がいる、それを体験的に知っている。
次に戦争への恐怖が現実にあった。
大人になる過程が東西冷戦の真っ只中と重なる。
また、戦後の民主主義教育を受けた世代であり、テレビドラマや音楽、ファッションで米国的豊かさや自由に憧れた世代でもある。
そんな世代にとって、教師を含めた大人たちは権威主義的で古い道徳観の塊に見えた。

貧困、戦争、権威主義、古い道徳観、これらが若者たちを反体制に走らせた大きな原因であることは間違いない。
反貧困、反戦、反権威、反道徳、これらが全共闘世代の共通項である。
ただ、これだけが全共闘運動の隆盛をもたらした原因ではない。
それまでは、学生運動の中心は学生自治会の連合体である全学連だった。
が、全共闘は学生自治会とは違う。
学生自治会は、ほぼ党派(セクト)とイコールだった。
日本共産党系か反日本共産党系か、そのいずれかであり、全学連の運動は党派の運動だった。

が、全共闘は全学連と違い、その圧倒的多数は無党派だった。
つまり組織に規則らしい規則はなく参加するのも離脱するのも自由。
党派的縛りがないから気楽と言えば気楽、だから麻雀の代わりにデモに参加する者もいれば、党派より過激な行動を取る者たちもいた。
「別個に立って共に撃つ」という言葉がそれを象徴している。
そして、これが空前絶後の反体制運動を生み出したとも言える。

----------------------------------------------------------------------

思い返せば私たちの学生生活は貧乏と言うか質素と言うか。
冷蔵庫や洗濯機はもちろんテレビもない。
4畳半に共同トイレ、風呂なし、これが当たり前、まさに「神田川」の世界だった。
大学の授業以外はサークル活動に精を出すか、麻雀をするか、喫茶店で議論の花を咲かせるか、アルバイトをやるか、それくらいしかない。
外で飲むだけのカネもないから、誰かの部屋に集まって生ぬるいサントリー・ホワイトをチビチビ呑む。
そこは、まさに「口角泡を飛ばす」空間。
こういう環境だと、本をよく読むようになる。
そして読む本と言えば、吉本隆明、高橋和巳、大江健三郎、柴田翔、羽仁五郎、井上光晴、倉橋由美子などなど。
左翼運動をやる条件がそろいすぎている。

それと比べれば、今の若者は恵まれている。
私に言わせれば恵まれすぎ。
世の中にも、食うに困る人間っていないだろう?周りに。
住む家がない者もほとんどいない。
ホームレスなんてわがまま、と言うしかない、私から見れば。
それだけ日本は豊かで格差の少ない国、社会になったのだ。

1970年代後半になって明らかに社会も学生も変わった。
それは1980年代後半のバブルで決定的になった。
当時の日本は世界一豊かな国だったのだから。
失われた20年と一口に言うが、当時の豊かさの名残は今も随所にある。
徐々に崩れかけてはいるけれど。

----------------------------------------------------------------------

全米規模で「ウォール街を占拠せよ(OWS)」運動が続いている。
運動は欧州にも波及している。
が、わが国では呼応する動きがあったもののさっぱり盛り上がらない。
1968年に全共闘運動が、フランス五月革命に触発される形で全国の大学に燎原の火のごとく広がったのと好対照である。
それだけ日本は平和で安全で、格差の少ない豊かな国と言うことだ。

この国の左翼は、おそらく先が長くない。
復活するとしたら、借金まみれの財政をこの先も一向に改善できず、むしろ悪化させて経済危機に陥った時だろう。
が、私は、日本も日本人もそれほどバカではない、と信じている。

Senkiha  これは明大和泉キャンパスだったと記憶している。ブント戦旗派の戦闘部隊。

【追記】
私が共産主義に疑問を抱くようになったのは上の記事に書いてある「左翼と縁を切った時」よりずっと前です。
1972年の連合赤軍事件はショックでした。
彼らの一部に私と同じブント(共産同)出身の活動家がいたからなおさらです。
もう絶望的な気分になりましたね。
72年5月の「御茶の水解放区闘争」の後、私はブントを離脱しました。
多くの仲間が検挙されたあとで辛い決断でしたが、もう限界でした。

私より後の学年から急激に学生運動の熱気が失せたのも、やはり連赤事件が大いに影響していると思います。
なぜ彼らが、ああいう風になってしまったのか?
ismの持つ必然とはいえ、いまだに総括できません、完全には。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/28

北朝鮮を屈服させる、これくらいの外交姿勢を示せ!


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

自民党の竹下亘総務会長は記者会見で、分断後初めて北朝鮮の最高指導者が韓国に足を踏み入れて会談が行われたことに関し、「非常にいいことだ」と歓迎した。さらに「希望的観測ではあるが、米朝の歴史的な会談がより成果が上がるものになってほしいし、拉致・核・ミサイルの3点がそろって解決するきっかけになってくれればいい」と語った。

公明党の山口那津男代表は国会内で記者団に「極めて重要な一歩だ。日本政府もつぶさに情報収集した上で、韓国と緊密に連携し、米国とも連携を図って非核化に向けて尽力してもらいたい」と表明。日朝首脳会談の実現については「可能性はしっかり模索すべきだ」と期待感を示した。

「非核化期待」「拉致なし遺憾」=南北会談受け与野党
時事通信社
2018/04/27 21:21

以上は、27日の時事通信の報道(抜粋)だが、非常に腹立たしい。
いずれも安倍内閣の与党幹部による発言である。
自民党総務会長曰く
「非常にいいことだ」
「希望的観測ではあるが、米朝の歴史的な会談がより成果が上がるものになってほしいし、拉致・核・ミサイルの3点がそろって解決するきっかけになってくれればいい」
公明党代表曰く
「極めて重要な一歩だ。日本政府もつぶさに情報収集した上で、韓国と緊密に連携し、米国とも連携を図って非核化に向けて尽力してもらいたい」

自民党も公明党も「バカじゃないのか!」と言いたい。
相手は北朝鮮であり、金正恩である。
嘘つき、冷血、非情、残酷、傲慢、無恥...
普通は、一つくらいは評価する点があるものだが、この国とその指導者には非難するべき点が100あっても、その逆は0だ!
まあ竹下総務会長は古いタイプの政治家で石破茂支持だし、公明党の母体である創価学会は、そもそも朝鮮マンセーだから仕方がないとは言える。

その点、日本維新の会の松井一郎代表は
「口約束だけで経済制裁解除はやるべきではない」
と述べ、極めて慎重な姿勢を示している。
これが普通だろう。
特に維新の会を応援しているわけではないが、そう思う。

希望の党は、言うまでもなく全く評価していないが
玉木雄一郎代表は
「歴史的な一歩だ」
としながら
「拉致問題の記述、言及が一切ないことは遺憾だ」
と指摘している。
こちらの方が、今回の件に限れば、まだマシな反応と言えるだろう。

Korea

北朝鮮は、日朝首脳会談の可能性を打診した安倍政権に対し、「一切取り合うな」との指示を出したと言う。
文在寅大統領は、安倍晋三首相による「南北首脳会談で拉致問題を取り上げてほしい」という要請を快諾したはずではなかったか?
しかし、実際はそういう成果は(今のところ)一切なし。
「拉致問題は解決済み」
「謝罪と賠償が先」
という声が平壌から聞こえてくる。

北朝鮮は、我が日本国に多数の工作員を送り込み、朝鮮総連と結託して多数の我が同胞を拉致している。
日本国政府が認定した拉致被害者は17人だが、実際は100人をはるかに超える、と言う報道もある。
自民党も公明党も「他人事」のようなコメントは厳に慎んでもらいたい。

我が国が北朝鮮に対して取るべき態度は、「拉致被害者の全員帰国」と「核の廃棄及び核実験の永久停止」である。
謝罪と賠償は、既に韓国に対して実行している。
北朝鮮に改めてする必要はない。

北朝鮮を屈服させる、これくらいの外交姿勢を示さないと舐められて終わりである。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/27

レスリング協会の二の舞はやめな熊本県バドミントン協会


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

再春館製薬所バドミントンチーム前監督の今井彰宏氏が26日、金銭的不正行為の疑いで熊本県バドミントン協会から除名となった件について、アメリカンベイプバドミントンチーム(岐阜トリッキーパンダース女子チームの来季からの名称)のフェイスブックでコメントを発表。県協会の処分に反論した。

~以下略~

バドミントン今井氏、県協会の処分は「野蛮」で違法
[2018年4月26日16時53分]  日刊スポーツ

Fukuhiro2

以下が、FaceBookにおける今井彰宏氏側からの反論だ。


アメリカンベイプバドミントンチーム(岐阜トリッキーパンダース)
21時間前

熊本県バドミントン協会は 当チームのマネージャー(女性)に対して許しがたいパワハラ行為を行っており、余計に不審に感じます
水野理事長につなげられ恫喝、脅迫を行ってきてあまりにも酷いものだったので途中から録音しております。


アメリカンベイプバドミントンチーム(岐阜トリッキーパンダース)
3時間前

色々と報道されている情報が錯誤している点もございますので、まとめます。
・金銭問題につきましては近日中に今井氏から詳細が発信されます。
・熊本県バドミントン協会の恫喝・強迫行為は、今井莉子選手・吉冨コーチの岐阜県への移動手続きをするため問い合わせた際に、それを認めないしその手続きをしないとの嫌がらせを受け、その時点では移籍も決まっていなく全く関係のなかった福島・廣田の移籍の件について通常では考えられない興奮度合いで恫喝・強迫されたものです。(この件は今井氏の金銭問題とは別になります)
・現在報道されている内容には多数の事実とは異なるものがあります。

今井彰宏氏の金銭的不正行為については、今のところ両者の言い分が食い違っており、何とも言えない。
ただ、熊本県バドミントン協会が今井氏から事情も聴かず、調査もせず、一方的に「除名処分」にしたのは、報道を見る限り、ほぼ間違いない。
これが事実であれば、熊本県協会側のパワハラは、あのレスリング協会のパワハラよりはるかに酷い。

実は、今回の騒動は、再春館製薬所が深く絡んでいる。
今井氏は、既に2月末で再春館を退職している。
その時は波風が立っていなかったのだが、女子ダブルス2017年世界選手権で銀メダルを獲得した「フクヒロ」ペアこと福島由紀(24)と広田彩花(23)組が、今井氏を慕って退職することになってから事が大きくなった。
再春館製薬所の女ボスが激怒したのだろう。

再春館製薬所と言えば、私は極めて不愉快な印象しか残っていない。
今はもうやめたようだが、断っても断ってもかかってくる営業電話。
私のカミさんが一度、試しに買っただけなのに。
気の弱いカミさんも、さすがんキレて怒りをぶちまけたら、それっきりかかってこなくなった。
そんな会社、私は信用しない。

みなさん!
記事中で、今井彰宏氏のFBにリンクしておりますので、ぜひ覗いてみてください。



人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/26

なぜ、日本の左派は「反日」なのか?


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

この投稿は、2008年10月にアップしたものですが、今でも1月当たり1,000人近いアクセスがあります。
過去記事の再掲で恐縮ですが、お読みいただければ幸いです。

----------------------------------------------------------------------

昨日のエントリに対し、読者の方から次のようなコメントをいただいた。

なぜ、日本の左派は「反日」なのか?以前からずっと疑問だったのですが、最近、山本七平の本「『常識』の非常識」の一節を読んで何となくその理由がわかったような気がします。

なぜ日本の野党は「反国家」なのか?~占領軍の検閲が残した影響とは~

ブログを拝見して、大変参考になったので、まずはお礼申し上げたい。
特に啓発されたわけではないが、今日は、この「なぜ、日本の左派は『反日』なのか?」について、私なりの見解を述べてみたい。この疑問を解き明かすのは、元極左である私にとって、ふさわしい作業であると思うからだ。

昨日のエントリでも書いたが、欧米の左派は、自国の国益を害する国家に共鳴したり同情したりしない。自国の安全保障をないがしろにするような主張をしない。
米国の左派はリベラルだが、星条旗(国旗)に忠誠を誓う。フランス社会党も英国労働党もドイツ社民党も同様である。もともとは共産党を母体とするイタリアの左翼民主党(現・民主党)ですらそうだった。

ところが、日本の左派は違う。昨日のエントリでも指摘したが、民主党の「リベラルの会」ごときは、「金正日マンセー」の議員が代表世話人を務めている。社民党は「北朝鮮による拉致事件はデッチアゲ」と長い間主張していた。共産党も北朝鮮には批判的だが、靖国神社参拝問題や「従軍」慰安婦問題では中国や韓国と歩調をそろえる。

日本の左派は、日中友好、あるいは日韓友好を唱える。が、東シナ海のガス田問題では中国に対して沈黙し、竹島領有権問題では韓国に対して沈黙する。
いずれも国家主権と領土に絡む問題なのに、日本の左派はこれらの問題に極めて冷淡なのだ。こんなことは、他の国では考えられないことである。

なぜ、日本の左派はわが国の国益に対して冷淡で、逆に外国の日本批判に同調するのか?それは、山本七平氏も書いているが、日本の左派が「反政府」ではなく「反国家」だからである。そう認識すれば、左派が、わが国の国益を害する国家に共鳴したり同情したりすることも、自国の安全保障をないがしろにするような主張をすることも理解できる。

私も、日本の左派が「反政府」、つまり政府の政策を批判する―のではなく、国家のあり方そのものを否定するような「反国家」になったのは、山本七平氏が指摘するように戦後の米国による占領政策が大きく影響していると思う。
米国は、戦前の日本を、民主主義とは無縁の全体主義国家として捉えていた。そして、その全体主義体制を支えていたのが「狂信的右翼的超国家思想(山本氏)」であると考えていた。そこで、米国は、この超国家思想と超国家主義者を一掃することが日本の民主化のためには不可欠と考えたのだ。
そのために、米国が最初にやったことは、超国家思想の対極にある日本共産党の利用である。

当時、共産党は米占領軍を「解放軍」と規定していた。米占領軍も、日本の民主化のためには労働運動が欠かせないと考え、共産党にその役割を期待した。つまり、米占領軍と共産党は蜜月関係にあったのである。
結果、終戦翌年の1946年には国鉄労組が50万名、全逓信労組が40万名、民間の労組は合計70万名に達した。同年9月には全官公労が結成され、11月には260万人に膨れ上がった。そして、この多くが共産党とその指導下にあった産別会議の影響下におかれた。

わが国に、反国家思想が本格的に浸透したのはこの時期である。が、共産党と米占領軍の蜜月関係は長くは続かなかった。
共産党と産別会議は、1947年2月にゼネラル・ストライキ(ゼネスト)の実施を計画した。しかし、これは米占領軍の強制力によって中止に追い込まれる。理由は、ゼネストにより社会不安が高まることを恐れたためである。だが、それは表向きで、実際は、冷戦の兆しを感じていた米国が、日本をアジアにおける共産化の防波堤にしようと考え始めていた事の方が大きい。
つまり、これ以上、共産党の影響力が拡大することを脅威に感じたのである。

1949年に中華人民共和国が成立すると、マッカーサー総司令官は共産党の非合法化を示唆するようになった。そして、5月に皇居前広場において起きた人民広場事件を契機に、徳田球一共産党書記長以下の幹部多数を公職追放し、機関紙「アカハタ」を停刊処分にした。
こうした流れのなかで、7月以降、官公庁や民間企業において、共産党員とその支持者とみなされた人びとが次々に退職させられたのである。その数は1万人を超えた(いわゆるレッド・パージである)。

米占領軍が行なったのは、それだけではない。共産党主導下の産別会議の中に、反共産党の産別民主化同盟(民同)を結成させ、レッド・パージなどで弱体化した共産党勢力から労働運動の主導権を奪取させたのである。
この民同が、日本労働組合総評議会(総評)の結成につながった。
が、米占領軍は、ここで大きな勘違いを起こしていた。民同と、その後継者である総評の中にも、そして総評が全面的に支えていた日本社会党の中にも共産主義者がいたのである。

Mayday_jiken2  血のメーデー事件 やや右側の上方に★のマークの北朝鮮国旗が見える。おそらく朝鮮総連である。

以前のエントリでも書いたが、戦前の共産主義には2つの潮流があった。講座派と労農派である。で、この講座派と労農派は激しく対立した。
講座派と労農派の違いは、講座派がブルジョワ民主主義革命の後に社会主義革命が起こる(2段階革命論)としたのに対し、労農派は来るべき革命は社会主義革命であるとした点にある。そして、講座派は後の日本共産党であり、労農派は社会主義協会のルーツになった。
共産党は国際共産主義運動の一翼を担い、暴力革命を目指した。一方、社会主義協会は国際共産主義運動と距離をおき、議会を通じた平和革命を目指した。そして、社会主義協会のメンバーは日本社会党に入党し、その主流派になった(社会党の綱領的文書とされた「日本における社会主義への道」は社会主義協会の影響が大きい)。
つまり、米占領軍と日本政府は、共産党を排除し、その力を殺いだつもりになっていたが、実は野党第一党の主流派に、あるいは産別会議に取って代わった総評の中核に反日本共産党(反日共)の共産主義者が浸透していることを見逃していたのだ(いや、分かっていて、あえてそうしたのかもしれないが)。

米占領軍は、戦前の日本を全否定することに全力をあげた。大東亜戦争を「悪」と規定し、戦争指導者を罪人として裁いた。米国がもたらした民主主義の素晴らしさが強調される一方で、戦前の体制、価値観はことごとく否定された。
これに、有史以来、初めて敗戦し、外国の軍隊に国土を占領されて茫然自失の状態だった国民は、なすすべもなく洗脳されていく。

米占領軍の指令で結成された教員組合は、またたく間に共産党の支配下におかれる。そして教師たちは、米占領軍公認の下(もと)に、戦前の体制や価値観を否定することに励んだ。いったんはレッド・パージで共産党勢力が排除されたが、その跡を反日共の共産主義者が襲ったのであるから偏向教育は改められることはなかった。

米占領軍が終戦直後に共産党を重用した結果、日本社会に「反国家」「反体制」派が急増した。そこで、冷戦の兆候に危機感を抱いた米占領軍は、今度は逆に共産党排除に乗り出した。が、共産党排除のために後押しした民同=総評及び社会党の中核部分に反日共の共産主義者がいたのだ。
しかも、米占領軍が行なった「戦前の日本の否定」を教育現場で共産党が、共産党が衰退した後は、反日共の共産主義者たちが、さらに徹底して実践した。
その結果、日本人の3分の1近くが「反国家」「反体制」の社会党を支持するようになった。

ここにおいて、日本の左派(野党)は、「反政府」ではなく「反国家」がその主流になってしまったのである。
「反国家」「反体制」、つまり革命を目指しているのであるから「国益」なんて関係ない。国家の安全保障なんて何の意味も持たない。むしろ、国家を攻撃する勢力が頼もしい味方である。
だから日本の左派は、わが国の国益を害する反日の国々に共鳴したり同情したりする。自国の安全保障をないがしろにするような主張を平然とする。

結局、日本の左派は、戦後一貫して共産党と反日共の共産主義者が主流だったのである。これは米占領軍が最初は共産党に、その後は反日共の共産主義者に肩入れしたことが大きく影響している。
結果、わが国では健全な左派=社会民主主義が育たなかった。おかげで、本来は保守であるべき自民党の中に社会民主主義的体質を持つ政治勢力が生まれるという現象も起きた。そして、この自民党内の社会民主主義的体質を持つ政治勢力も、また、米占領軍による洗脳から逃れられないでいるのである。
今の日本政治の混沌は、突き詰めればここにある。

戦後日本政治が、保守を中心とする勢力と、「反国家」「反体制」を標榜する政治勢力の対峙でしかなかったことは、わが国にとって大きな不幸だったと思う。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018/04/25

画像で見る日本による朝鮮半島統治の真実  Ⅱ


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

またか?
やれやれ、懲りないヤツらだ(笑)
そんな南朝鮮のニュースが目に入りました。

【釜山聯合ニュース】韓国の市民団体が日本による植民地時代に朝鮮半島から強制徴用された労働者を象徴する像を建てると予告した釜山市の日本総領事館前に植木鉢を設置し、強い抗議を受けた同市東区が24日、植木鉢の撤去を決めた。
~以下略~
2018/04/24 15:42

慰安婦の次が労働者の強制徴用。
ほんとうに笑える国民性だ。

そもそも徴用が始まったのは戦争末期で、当時は対馬海峡(朝鮮海峡)に米海軍の潜水艦が多数潜伏していたため朝鮮人の徴用はほとんどできなかった、というのが史実である。
次の画像を見れば、それは解る。
左翼が大好きな朝日新聞の報道である。
朝鮮人の徴用は昭和19年(1944年)9月から翌20年(1945年)3月までの7か月間とされ、国民徴用令による徴用労務者はごく少数である、と書かれている。

Chouyou                     1959年7月13日 朝日新聞

以下の画像を見てほしい。
いわゆる「日帝」が、いかに朝鮮半島の近代化に貢献してきたか!
一目瞭然!!!

統治前のソウル

Sourusigai

統治後のソウル

Souru2

統治前の南大門

Nandaimon2

統治後の南大門

Nandaimon

京城駅(旧ソウル駅)

Sourueki

朝鮮銀行

Chousenginkou

京城駅は東京駅にそっくり、朝鮮銀行本館も日本銀行本店にそっくりだ。

これらは何を意味しているのか?
韓国の捏造史観では、「日帝」は土地を奪い、食糧を奪い、資源を奪い、最後は人間まで強制連行したことになっているが、史実はそうではなく、「日帝」は真剣に朝鮮半島を近代化しようとしていた、ということだ。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

ソウル市内中心部には1900~30年代に建てられた古い建物が多く残っている。
そのうち代表的な10件が「ソウル近代建築10選」に選定されている。
それらは、すべて韓国が「日帝強占期」と呼ぶ日本統治時代に建てられたものだ。
以下は、その中から私が選んだ画像である。

Sc            旧第一銀行本店ビル・現SC第一銀行 第一支店

Photo_4              広通館(銀行)・現ウリ銀行 鍾路支店

Photo_5                旧東亜日報本社・現一民美術館

Photo_10     旧三越京城店・現新世界百貨店 ※この建物だけは「近代建築10選」ではない。

Photo_6                    培材学堂歴史博物館

Photo_7                     ソウル聖公会聖堂

金融機関、メディア、百貨店、文化施設、宗教施設、これらは半島在住の日本人のためではなく朝鮮人のためのものだ。
つまり、半島において金融システムの近代化、商業の近代化、近代メディアの育成、布教活動の自由の保障などが日本によって推進されていたことの証明である。

もちろん、教育には特に力を入れた。

2_2            旧京城帝国大学本館・現韓国文化芸術振興院

戦前の本土の大学より立派である。

今日紹介した画像は、戦前の日本が朝鮮半島に残した遺産のほんの一部である。
これらは、今や名跡としてソウルの観光スポットになっている。
韓国人は、この事実をどう認識しているのだろう?
朝鮮半島が単に収奪と強制の対象であったなら、帝国大学まで作るだろうか?
地場の銀行や新聞社が立派なビルを建てられただろうか?

おそらく韓国・朝鮮人が真の歴史に目覚めることはない。
その分、我々日本人が実証的な歴史を広めていかなければならない。


人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑

Facebookでのシェアは以下から。↓

Twitterでのフォローは以下から。↓



| | コメント (5) | トラックバック (0)

«元極左が反日日本人の左翼脳について語る