A級戦犯
森岡正宏厚生政務官は26日の自民党代議士会で、小泉首相の靖国神社参拝を「大変良いことだ」と支持する考えを示したうえで、「極東国際軍事裁判は、平和や人道に対する罪を勝手に占領軍が作った一方的な裁判だ。A級戦犯の遺族には年金をもらっていただいており、日本国内ではその人たち(A級戦犯)はもう罪人ではない」と述べた。(後略)
2005年5月26日(朝日新聞)
上記の発言が物議を醸している。
この発言を肯定する人もいれば、民主党の岡田代表のように「東京裁判を認めないと
なれば、戦争責任を負わないことになる。更迭を求めるのは当然だが、その前に政府がきちんと対応すべきだ」と罷免を求める意見もある。
もちろん、中国は猛烈に反発している。
発言のタイミングはともかくとして、その是非を問うには、まず、そもそも極東国際軍事裁判とは何か、戦犯とは何か、から考えてみる必要がある。
極東国際軍事裁判は、ポツダム宣言第10項の戦犯処罰規程を根拠に、11カ国の連合国名によって(イ)「平和ニ対スル罪」、(ロ)「通例ノ戦争犯罪」、(ハ)「人道ニ対スル罪」の3つに分類された55項目の訴因に基づいて行われた。英訳すると(イ)(ロ)(ハ)はa、b、cになる。
裁判所は、東京 市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂に設置された。
A級戦犯とは、極東国際軍事裁判所条例の第5条(イ)、つまりaに規定された「平和ニ対スル罪即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ
達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」を犯したとして、極東国際軍事裁判によって有罪判決を受けた人々のことである。
解りやすく言うと、侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行した、もしくはそのための
共同謀議に参加したとして、a「平和に対する罪」に問われた指導的立場の人々がA級戦犯である。主要戦争犯罪人とも呼ばれる。
これに対し、B級戦犯とは、同条例第5条(ロ)=bの「通例の戦争犯罪」に問われた人々であり、占領地の人民に対する殺人、虐待、奴隷などが該当する。訴追されたのは、占領地の将校クラスが多い。
C級戦犯とは、第5条(ハ)=cの「人道に対する罪」に問われた人々であり、この罪の
対象は多岐にわたる。
戦争前か戦争中かは関係なく、占領地であるか否かも問わない。すべての人民に対して行われた行為が対象になる。
罪の範囲は、殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、その他の非人道的行為、そして政治的、人種的理由に基く迫害行為にまで及ぶ。訴追されたのは、占領地の下士官、兵隊クラスが多い。
このcは、本来、ナチスのユダヤ人に対するホロコーストを裁くために設けられたものであったと云ってよい。
なお、A級のAとは、同裁判所条例において「平和に対する罪」がaである事に由来する。a、b、cは単なる分類であり、罪の軽重を指しているわけではない。誤解しないで
ほしい。
ちなみに、ナチスを裁いたニュルンベルク国際軍事裁判においては、もっとも罪が重いとされたのは、cの「人道に対する罪」に問われた者たちである。。
ただ、b、cはaに関連するものであるから、A級戦犯はb、cの罪にも問われていると云える。事実、A級戦犯とされる松井石根陸軍大将は、aは無罪であったにもかかわらず、b、cにおいて有罪とされ絞首刑に処された。したがって、松井石根陸軍大将は、正確に云えばA級ではなくBC級戦犯である。
以上を踏まえた上で、極東国際軍事裁判がいかなるものであったかを検証したい。
極東国際軍事裁判には、その構成上及び制度上の問題と裁判そのものの正当性の
問題の両方がある。まず、構成上及び制度上の問題から述べてみよう。
①11人の判事中、中立国からは一人も選ばれなかった。
②仏・ソ2カ国の判事は、裁判の公用語である英語と日本語を理解できなかった。
③ソ連は中立条約を破って日本を一方的に攻撃した典型的な条例違反国なのに、罪を問われるどころか、この裁判で検事として、あるいは判事として、日本を訴追する権利まで与えられた。
④判事の中には、法曹経験の全くない者(中国の梅汝敖判事)もいた。
⑤民主主義にとっては当たり前の上告制度がなかった。
以上が構成上及び制度上の疑義である。
次に、最も重要な裁判そのものの正当性の問題について述べる。
①大東亜戦争は侵略戦争だったのか?
②戦争に対する共同謀議、平和に対する罪、人道に対する罪は、当時の国際法等に
規定があったのか?
③そもそも、このような戦勝国が敗戦国を裁く裁判は何を根拠にして成り立つのか?
①に関して云うと、1941年12月8日に開始された太平洋戦争は侵略戦争ではなかったと断言できる。これは、帝国主義国家間による植民地争奪戦争だった。
米国はフィリピンを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島を、フランスはインドシナを、オランダは東インド(現在のインドネシア)を植民地支配し、搾取と収奪をほしいままに
していた。
欧米列強は、本国は民主主義だったが、ほぼアジア全域で過酷な植民地支配を行っていたのだ。そこでは数々の弾圧と虐殺があった。フランスとオランダは、戦後も独立を
宣言した旧植民地を再侵略している。
このような国々と日本は戦ったのである。これのどこが侵略なのか?
1937年に始まった日中戦争は、確かに侵略戦争だったかもしれない。しかし、それは今だから云えることである。当時は「侵略」の定義さえ定かではない時代だった。
また、欧米列強も租界を初めとする数々の特権を中国に対して持っていた。イギリスに
至っては、歴史上最低の部類に属するアヘン戦争で香港を強奪していた。
注意してほしいのは、だからといって、日中戦争を肯定しているわけではないと云う事である。当時の欧米列強が正義で日本が悪だという構図は、勝者の論理に過ぎないと云いたいのだ。
②に関して云えば、事後(敗戦後)に裁判所条例により制定されたもので、当時の国際法等には何の規定もない。法治社会の鉄則である法の不遡及に反しており、罪刑法定主義からも逸脱している。
③に関して云えば、根拠などどこにもない。極東国際軍事裁判それ自体が、原則に
反する違法なものなのである。
これには、さすがに判事の間にも異論があった。11人の判事中、少数意見の判事が
5人いた。
そのうちの一人、オーストラリアのウエップ裁判長は、「どの日本人被告も、侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、この戦争を計画及び準備したこと、開始したこと、または遂行したことについて、死刑を宣告されるべきでない」と判決文にしたため、フランスのベルナール判事は、「天皇が免責された以上共犯たる被告を裁くこができるのか」と述べた。
インドのラダ・ビノード・パール判事に至っては、「連合国は法を引用したのでもなければ、適用したのでもない。単に戦勝国の権力を誇示したにすぎない。戦争に勝ったが故に正義であり、負けたが故に罪悪であるとするのであれば、もはやそこには、正義も法も真理も存在しない。国際法、慣習法に照らして戦争は犯罪ではない。日本は無罪だ」と主張し、アメリカの原爆投下を非難した。
オランダのレーリング判事も「廣田弘毅元首相は無罪、他の死刑も減刑せよ。ドイツのナチスの処刑に比して重すぎる」と言い、フランスのベルナール判事は「この裁判は
法の適用および法手続きにおいても誤りがある」とし、「11人の判事が一堂に集まって
判決の一部または全部を協議したことは一度もない」と内部告発までした。
結局、米・英・ソ・中・カナダ・ニュージーランドの6カ国が、多数判決で、それ以外の5カ国を押し切ったのである。
ちなみに、少数意見5カ国のうち、フィリピンのジャラニフ判事のみが「判決が軽すぎる」とする立場からの反対だった。
※オランダのレーリング判事は、帰国後に著した「東京裁判とその後(ザ・トウキョウ・
トライアル・アンド・ビョンド)」の中で、次のように述懐している。
「われわれは日本にいる間中、東京や横浜をはじめとする都市に対する爆撃によって
市民を大量に焼殺したことが、念頭から離れなかった。
われわれは戦争法規を擁護するために裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争法規を徹底的に踏みにじったことを、毎日見せつけられていたのだから、それはひどいものだった。
もちろん、勝者と敗者を一緒に裁くことは不可能だった。東條が東京裁判は勝者による復警劇だといったのは、まさに正しかった」と・・・
判決後弁護側は、連合国軍最高司令官へ再審査を申し立てるが却下され、直ちにアメリカ連邦最高裁に訴願するが、これも却下された。
A級戦犯とされた被告は東條英機以下27名。
精神異常による訴追免除及び病死を除く25名が起訴される。
絞首刑は、東條英機(軍人)、板垣征四郎(軍人)、木村兵太郎(軍人)、土肥原賢二(軍人)、松井石根(軍人)、武藤章(軍人)、廣田弘毅(第32代内閣総理大臣)の計7名。
昭和23年12月23日に巣鴨プリズンで処刑された7人の遺体は、まもなく横浜の久保山火葬場で荼毘に付された。遺骨は遺族に引き渡されることなく、米軍により砕かれて
東京湾に捨てられてしまった。
この裁判は、昭和天皇の誕生日(昭和21年4月29日)を選んで起訴され、 死刑執行は皇太子(現天皇)の誕生日である12月23日に執行された。
不起訴は、岸信介(後に首相)、児玉誉士夫(ロッキード事件の黒幕)、笹川良一(後に船舶振興会会長)、正力松太郎(後に読売新聞社長)。
A級戦犯として有罪判決を受け禁固7年とされた重光葵元外相は釈放後、鳩山内閣の副総理・外相となり国際舞台で活躍した功績で勲一等を授与され、終身刑とされた
賀屋興宣元蔵相は池田内閣の法相を務めた。
A級戦犯として絞首刑に処された人々は、1978年10月から靖国神社に“昭和受難者”として合祀された。また、国内法では「刑死」ではなく「公務死」の扱いになって
おり、1953年以降、遺族は、国内法による遺族年金または恩給の支給対象にもなっている。
それなりに名誉が回復されたわけである。
なお、B、C級戦犯として約5600人が、横浜以外に上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々南方各地の50数カ所で逮捕、投獄され、裁判の体をなしていない軍事裁判にかけられて約1000名が戦犯の名のもとに処刑されjた。
横浜以外で行われた裁判は、私刑であったといっても過言ではない。
以上からして、極東国際軍事裁判は、構成上及び制度上の疑義と裁判そのものの
正当性の疑義の両面から認めることはできない。
百歩譲って裁判を認めたとしても、近代法の理念に基づけば、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅する。従って処刑されたA級戦犯は、現在では犯罪者ではない。
戦犯の名誉回復は日本の主権に属する問題である。また日本の国内法上において、そもそも「戦犯」という用語を用いた規定は存在しない。
したがって、靖国神社にA級戦犯とされた人々が合祀されていても、国内はもちろん
外国からもとやかく言われる所以は全くない。また、日本国総理大臣が参拝しても何の問題もない。
民主党の岡田代表には、極東国際軍事裁判を認めるか否かと、戦争責任を認めるか否かは別問題だ、とだけ云っておこう。日本やアジアの民を苦しめたという点で戦争責任はある。が、それは米英も同罪である。
最後に、米軍の無差別爆撃による日本の非戦闘員の被害は以下のとおりである。
東京大空襲の被害者は死者10万人(推定)
広島の原爆被害者は死者約14万人(誤差±1万人)
長崎の原爆被害者は死者7.5万人
その他の空襲による死者20万人
これに対して、ジョン・F・ケネディ政権で国防長官だったマクナマラは何と回顧しているか。
マクナマラは経営管理の理論を戦争に応用。攻撃効率を高めるため、統計を取り、分析する。だが彼の報告書を元に、日本に無差別絨毯爆撃が行われた。指揮官は後に
広島・長崎に原爆を落としたカーティス・E・ルメイ少将。
「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」
THE FOG OF WAR(マクナマラ元米国防長官の告白)
関連記事:なぜ終戦記念日なのか?
参考記事:1極東国際軍事裁判
参考記事:2極東国際軍事(東京)裁判
参考記事:3A級戦犯
参考記事:4東京裁判
参考記事:5極東国際軍事裁判
参考記事:6戦争犯罪
参考記事:7「ポツダム」共同宣言
参考記事:8中國新聞
参考記事:9激しい空襲
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(追記)
南京虐殺の責任を取らされて絞首刑になった松井石根陸軍大将は、この裁判において、廣田弘毅元首相とともにもっとも悲劇的な人物の一人とされる。
この悲劇的な人物の人となりを知ることが、この裁判がいかに独善と偏見に満ちた杜撰なものであったかの証明になる。
松井は「兵の罪は我が責なりとして下獄し、無畏(むい)を念じて
いささかも動ぜず、平常心のまま刑に服した」と云われる。
この「昭和の聖将」について、この場でその真実の姿の一端をお伝えする。
裁判の首席検事キーナンの冒頭陳述は英文で4万字に及ぶぼう大なもので、キーナンは「この裁判の原告は文明である」と大見得を切った。
この「原告は文明である」という言葉に、彼らの独善と傲慢が如実に示されている。
これに対して松井は、アジア、アラブ、アフリカを侵略し、植民地化した西欧帝国主義の戦争と、我々日本が戦った日清、日露戦争をはじめとする大東亜戦争は、同じ戦争と
いっても本質的に違う。欧米の侵略戦争は「文明に添った」戦争で、日本の戦った戦争は「文明への反逆」であるとでも言うのか、と強く反駁する。
この松井の戦争に対する思いこそ、今の日本人に欠如している大東亜戦争観なので
はないか。
キーナンは「無警告に南京を攻撃した」として、日本軍が松井司令官の降伏勧告文を
散布し、24時間の停戦猶予を敵に与えた事実さえ無視した。まさに、最初から予断と
偏見に満ちた裁判だったのだ。
もともと松井は、孫文の唱えた日中提携による大アジア主義に深く共鳴していた。そして日中の親善提携と、アジアの復興を念願していた。戦火を交えながらも、松井の心底には常に孫文の「大アジア主義」があったのである。
だから孫文の後継者・蒋介石が北伐(1926~1928年)の途中大敗して、最大の危機に陥ったときも、松井はこの考えから蒋を支援している。
また、松井は、軍紀にうるさい将軍としても有名だった。
南京攻略に際し、
「南京は中国の首都である。これが攻略は世界的事件であるゆえに、慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども抗戦意思を失いたる者および一般官民に対しては、寛容慈悲の態度を取り、これを宣撫
愛護せよ」
と全軍に命じている。
南京では、ドイツ人ラーベを委員長とする民間外国人の有志団体である国際委員会が、難民区という名の安全地帯を設けていた。南京攻略後ラーベは、松井率いる日本軍に、難民区の安全が保たれたことに対する謝意を表明している。
それほどまでに、松井は在留外国人や非戦闘員に被害が及ばないように配慮していたのだ。
南京攻略直後、(南京)城内を視察、看望した松井は、「概して城内は、ほとんど兵火をまぬがれ市内、安堵の色深し」と日記にしるしている。
その後、松井は上海に帰り、2回にわたり、内外記者団と記者会見を行っている。記者会見では、いわゆる“南京虐殺”に関する質問など全くなかった。
松井率いる日本軍は、上海における戦いから南京攻略までの間に、戦死者2万1300人、傷病者5万人余を出している。
松井は帰国後の昭和15年(1940年)2月に、日中両軍の戦没者の血が沁みた土を取り寄せ、静岡県熱海市伊豆山に興亜観音を建立した。
松井はその後、山麓の「無畏庵」と名乗る庵に居住して、毎朝約2キロの山道を登り、
シナ事変の犠牲者が東洋平和の礎石となる事を願って観音経をあげ菩提を弔った。
ところが昭和21年、極東国際軍事裁判が開かれ、松井はここから引き立てられて法廷に立たされることになる。そして、本人が聞いたこともない「南京での20万人以上の
虐殺」の責任者として絞首刑に処せられるのである。
無畏を念じていささかも動ぜず、平常心のままとはいえ、無念の思いを禁じ得なかったのではなかろうか。
以下の三首は、松井の辞世の句である。
天地も人もうらみずひとすじに無畏を念じて安らけく逝く
いきにえに尽くる命は惜かれど国に捧げて残りし身なれば
世の人にのこさばやと思ふ言の葉は自他平等誠(まこと)の心
なお「興亜観音」とは、白人の植民地支配からアジアが解放され、独立して繁栄する
時代が到来することを祈願する観音様である。
参考記事:1国際派日本人養成講座 人物探訪:松井石根大将
参考記事:2松井石根(まついいわね)大将
参考記事:3松井石根(いわね)大将と興亜観音
参考記事:4熱海・伊豆山 興亜観音
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コメント
トラックバックありがとうございました。
こちらの記事内容、大変参考になりました。
投稿: 安保 仁 | 2005/05/29 13:13
A級戦犯の定義と戦争の問題、力作で大変勉強になりました。旧日本帝国が欧米帝国主義と戦う中で起こした日中戦争や太平洋戦争という捉え方をするのは、大事なことと存じます。
投稿: 蓬莱の島通信ブログ | 2005/05/29 14:20
こんにちは。
なかなかの内容ですね。よく勉強されていて参考になります。
私の駄日記はまさしく「書き殴り」でお恥ずかしい・・・(^_^;)
投稿: nanyasore | 2005/05/31 09:09
安保 仁さんへ
コメントありがとうございます。
>こちらの記事内容、大変参考になりました。
そう、おっしゃっていただけると、素直にうれしいです。
蓬莱の島通信ブログさんへ
コメントありがとうございます。
>旧日本帝国が欧米帝国主義と戦う中で起こした日中戦争や太平洋戦争という捉え方をするのは、大事なことと存じます。
この戦争観が今の日本人には欠けている。大バカ朝日新聞的な戦争観がまかり通っていることに怒りを覚えます。
nanyasoreさんへ
コメントありがとうございます。
>なかなかの内容ですね。よく勉強されていて参考になります。
恐縮です。しかし、大バカ朝日には怒り沸騰ですね。
今後ともよろしく。
投稿: 坂 眞 | 2005/05/31 10:32
元自衛官さんのところから飛んできました。MJ-12と申します。
松井さんのエピソードは全然知らなかったので、驚きました。こんな人が南京戦の時の司令官だったのですね。
欧米の侵略戦争と日本の侵略戦争、一体何が違うのか?ということをもっと多くの日本人が再考すべき点だと思います。
投稿: MJ-12 | 2005/06/02 00:34
MJ-12 さんへ
はじめまして。コメントありがとうございます。
戦争に負けたからといって、自国の歴史を卑下するのは日本人くらいでしょう。
朝日新聞に代表される文化的進歩人(死語かな?)の罪は大きいと思います。
ナチスのユダヤ人に対するホロコーストは、次元の違う話です。
そのナチスと同列に扱う言論がある。本質をすり替えている、としかいいようがありません。
投稿: 坂 眞 | 2005/06/02 13:20
以前、右翼の人が反発した「南京1937」という映画の中に出てくる松井石根司令官は、ちょっとだけ出てくるシーンで、中国の遺跡に立ち、「四千年の文明を積み上げた国」としみじみ語る文人タイプの軍人に描かれたいたように覚えています。ナポレオンがピラミッドの上で演説したのと似ている感じで、もっとしみじみしていたので覚えています。
日本の良識派が、東京裁判が「勝者による裁き」で事実に即した公正なものでなく政治的なものと考えていることは、もっと世界に発信したほうがいいですね。英語やスペイン語などなどのHPやブログを立ち上げる動きはないのでしょうか。
投稿: kuroneko | 2005/06/03 11:56
kuronekoさんへ
「南京1937」という映画は見ておりませんが、松井将軍は「昭和の聖将」と呼ばれていたほどの人物だったようです。
このような人物が、虐殺など許すはずがない、そう思います。
>事実に即した公正なものでなく政治的なものと考えていることは、もっと世界に発信したほうがいいですね。
私も、もっと英語ができたらなあ、と思います。
投稿: 坂 眞 | 2005/06/03 12:20
TBありがとうございます!
>今の日本人に欠如している大東亜戦争観
ゆっくりではありますが、変わりつつあると感じています。 なぜなら 戦争観を話すことがタブーとされなくなってきたからです。 いつの日か 正しい認識が全世界に広がることを願ってやみません。
投稿: hiro | 2005/06/05 17:53
hiro さんへ
TB&コメントありがとうございます。
貴blogの記事、客観的で参考になります。
>いつの日か 正しい認識が全世界に広がることを願ってやみません。
同感です。
今後とも、よろしくお願いします。
投稿: 坂 眞 | 2005/06/05 18:08
たいへんな労作記事です。多くの人に読んでもらいたいと思いました。ただひとつだけ、いま考えても日中戦争は侵略戦争だったは思えないのですが。どうでしょうか。また、日中戦争や東京裁判を語るときは、通州事件は欠かせない話題と思います。
賛同するサイト
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/10.HTM
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chugoku_shinryaku.html
投稿: stopp | 2005/06/07 01:51
stopp さんへ
ご来訪ありがとうございます。
>ただひとつだけ、いま考えても日中戦争は侵略戦争だったとは思えないのですが。
むつかしいところですね。通州事件は、まさにb項、c項に違反した戦争犯罪です。
ただ、これをもって、その後の日中戦争を全面的に肯定できるのか。今の価値観からすればむつかしいような気がします。
それより、「南京虐殺」が大々的に取り上げられるのとは裏腹に、何故かこの事件が年表からも削除されていることが多く、教科書にも全く取り上げられない。
このことの方が問題です。
投稿: 坂 眞 | 2005/06/07 16:13
日本に侵略の意図がなかったのに、侵略戦争とは呼べないだろう。東条元首相の孫の意見は、そこらの政治家よりずっとまともな意見だと思う。http://www.asahi.com/special/050410/TKY200506050119.html
もっとも、中国が先に日本を侵略したことを認め、お互いに侵略したことを謝罪しあうということなら許してもよいが、先に侵略した中国が謝罪しないというのは常識はずれだ。
当然ながら、米ソの戦争は日本への侵略戦争だったことを認めなければならない。
投稿: バッタ | 2005/06/09 15:06
TBおよびコメント有難う存じます。
松井石根大将に関する記事、感銘深く拝読。これからも時々訪れます。参考文献の明示など、とても有難く、正に参考になります。今後もよろしく。 福田 逸
投稿: dokudankoji | 2005/06/18 20:27
福田 逸さん、ようこそ。
TB及びコメント大変ありがとうございます。
お褒めいただき恐縮です。
こちらこそ、よろしくお願いします。
投稿: 坂 眞 | 2005/06/20 13:57
訂正・修正お願いします。
読まれた⇒読まないで書かれた本は・・・・
投稿: 内村八紘 | 2005/10/17 12:03
こんばんは。
戦犯につき考える時、ナチスを裁いたニュルンベルク国際軍事裁判において
ヒトラー総統は裁かれていないどころか、何ら罪に問われていない点も
重要な糸口になると思います。
戦犯とは何か、
今を享受する日本国民はマスコミに踊らされないよう努める義務があると思うのです。
投稿: やまもと | 2005/10/31 22:49
皆さんすごい研究家ばかりで頭下がります。情報の宝庫ですね。使わせていただいてます。
投稿: ziizitobaaba | 2006/06/13 16:34
突然失礼いたします。
最近、小泉首相が靖国参拝するかどうするかで、マスコミがその意味合いを検証することもなく、とにかくうるさいので、靖国神社の意味とA級戦犯の意味を調べていったところ、このページにたどり着きました。
勝手ながらトラックバックいたしましたが、成立しているんでしょうか。成立していなければごめんなさい。今後もよろしくお願いいたします。
投稿: tatsu | 2006/08/14 11:57
第2次世界大戦の特徴は、日本イタリア、ドイツ三国のファショ同盟国と反ファショ統一戦線の連合国との戦争といえる。
勝者が敗者を裁き、領土割譲、賠償請求をするのは古今東西、戦争の常である。それに日常平和時の法理を当てはめるのは如何なものか?
日中戦争は柳条湖事件を発端にした満州事変を起点にする学者が多いがその辺はどうですか?
又満州事変に限らず上海事変、シナ事変と呼んでいますがこれはどうしてなんでしょう?まさか当時の国際法との関連ではないでしょうね。いずれにせよ当時の日本の戦争のやり方は満州、中国、真珠湾いずれも宣戦布告をせず謀略まがい、不意打ちといった後世に汚点を残すやり方であった事は確かです。これらの事実資料の公開を政府は戦後一貫して拒否してきた事が国民に大いなる歴史認識の誤算を生じさせている様に思います。
戦犯容疑者には三井三菱、安田財閥をはじめとする財界のそうそうたる面々が顔をそろえています。しかし米国は、米ソ冷戦の激化の中で日本をアジアの反共政策の拠点にするため、日本の経済復興を優先し、満州中国でアヘンを売りまくったこれらの財閥首脳を含めた財界人の罪を問う事はなく、軍人を含め『寛大な』講和を実現した。
その結果戦前の支配体制がそのまま戦後に持ち越され、ドイツのように自らの犯した罪と向き合う努力がなされず、むしろ『731部隊』や『南京虐殺』さらには世界中から非難を浴びた『捕虜の取り扱い』問題といった自らまいた種を覆い隠す動きと為っているようではまともな歴史観など育たない。その結果がA級戦犯容疑者が総理大臣、外務大臣に就任する事につながっているのであり、この度の自民党総裁選立候補者3名の内2名が戦犯容疑者の孫というのはどういうことか。其の事に触れるメデイアが皆無というのも日本のメデイアの体質を良く現している。最近新しい資料が次々新たに発掘されている。何よりも現地に足を運べば旧日本軍がアジア侵略の中でどのようなことをやってきたかが解くわかる。侵略でないというならそれは現地をみて被害者たちの声をまず聞いてほしい。
投稿: ごまめの歯軋り | 2006/09/05 00:24
『アメリカ議会による 極東国際軍事法廷の裁判の再確認』 その1
米国の下院議会は2005年7月14日、第2次世界大戦終戦60周年記念に合わせて、
東京で開いた極東国際軍事法廷の裁判を再確認する内容が盛り込まれた決議案を
満場一致(棄権有り)で議決している様です。(日本語訳の内容は参考まで、)
出典
http://clerk.house.gov/evs/2005/ROLL_300.asp
U.S. House of Representatives Roll Call Votes
109th Congress - 1st Session (2005)
アメリカ下院の 投票記録
第109回 会期 1st セッション(2005年)
Roll 379 の H CON RES 191 を選択する。
--------------
(タイトル
Commemorating the 60th anniversary of the conclusion
of the War in the Pacific
and honoring veterans of both the Pacific
and Atlantic theaters of the Second World War. )
太平洋で戦争の結論の60回目の記念日を記念して、
第二次世界大戦の両方の太平洋と大西洋劇場の
ベテラン(退役軍人)を尊敬します。
-> Text of Legislation
http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/z?c109:H.CON.RES.191:
-> [H.CON.RES.191.RFS]
The LIBRARY of CONGRESS THOMAS
The Library of Congress > THOMAS Home > Bills, Resolutions > Search Results
議会のライブラリー > トーマス・ホーム > 議案、決議 > 検索結果
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略
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Whereas on December 7, 1941, a date which will live in infamy,
the United States was suddenly and deliberately attacked
at Pearl Harbor, Oahu, Hawaii, resulting in the loss of over...
(Referred to Senate Committee after being Received from House)
Whereas:であるがゆえに. infamy:不名誉
アメリカ合衆国は、突然故意の攻撃をパールハーバー、オアフ、ハワイに受け、
多大の損失を受けた、不名誉が生き続ける日が、1941年12月7日であるがゆえに
(下院から受け取った後、上院委員会は言及した)
109th CONGRESS
1st Session
H. CON. RES. 191
IN THE SENATE OF THE UNITED STATES
July 14, 2005
Received and referred to the Committee on Foreign Relations
第109議会
最初のセッション
H. CON. RES. 191
合衆国上院議会で
2005年7月14日
外交委員会が受け取り、言及する。
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CONCURRENT RESOLUTION
Commemorating the 60th anniversary of the conclusion of the War in the Pacific
and honoring veterans of both the Pacific and Atlantic theaters of the Second World War.
theater:戦域
同一決議
太平洋で戦争の結論の60回目の記念日を記念して、
第二次世界大戦の両方の太平洋と大西洋劇場のベテラン(退役軍人)を尊敬します。
(
)
Resolved by the House of Representatives (the Senate concurring), That Congress--
(1) honors all veterans, living and deceased, of the Second World War
in both the Pacific and Atlantic theaters on the 60th anniversary year
of the War's conclusion and expresses the deep appreciation
and gratitude of the United States
for their valor and selfless service to their country;
(2) calls upon the people of the United States
to commemorate the 60th anniversary
of the final surrender of the Second World War aboard the USS Missouri
as a day of remembrance
and appreciation for the members of the greatest generation who,
through their sacrifices both in the Armed Forces and on the homefront,
preserved liberty for future generations
and rescued the world from the scourge of fascist militarism;
第二次世界大戦の最終的な降伏の60回目の記念日に1日の記憶として
USSでミズーリを記念するという合衆国の人々での要求と軍隊と銃後の上の
彼らの犠牲を通して後世のために自由を保持して、
ファシストの軍国主義の災難から世界を救った
最も大きい世代のメンバーのための感謝;
(3) reaffirms the judgment in Tokyo rendered
by the International Military Tribunal
for the Far East of 1946-1948 and the conviction of certain individuals
as war criminals for their crimes against humanity; and
第3項
「東京において1946~48年の極東国際軍事法廷によって申し渡された裁判と、
若干の個人を人道に対する罪で戦争犯罪者とした有罪判決とを
再び主張[断言]する」(日本語訳の内容は参考まで、)
judgment :裁判, 判決(注:単数形)
reaffirms :再び主張[断言]する rendered:与えられた Tribunal:法廷
conviction:有罪判決 individuals:個人の複数形
(4) recognizes that the alliances formed
in the Asia-Pacific region following the Second World War,
including those with Australia, Japan, the Philippines,
the Republic of Korea, and Thailand, have contributed immeasurably
to the continued peace and prosperity enjoyed throughout the region.
Passed the House of Representatives July 14, 2005.
投稿: トースト・山内 | 2006/10/30 18:43