さよなら貴ノ花
角界のプリンス逝く。
大相撲の元大関貴ノ花として数々の名勝負でファンを魅了し、引退後は2人の横綱を育てた角界の大功労者、二子山親方(本名・花田満=はなだ・みつる)が5月30日午後5時40分、口腔(こうくう)底がんのため東京都文京区の順天堂医院で死去した。55歳だった。
横綱初代若乃花の実弟として角界に入門。大関では歴代1位の
在位50場所を記録。
輪島、北の湖とともに70年代の大相撲界を支えた。指導者としても横綱貴乃花、横綱
3代目若乃花と史上初の兄弟横綱を育てた。
一昨年秋に体調を崩し、今年2月23日に、貴乃花親方が「がん」を公表していた。遺体はこの日深夜、2人の息子に付き添われ、東京・中野の貴乃花部屋へ戻った。
(中略)
まさに土俵生活と同じ闘い方だった。苦境を物ともしないからこそ、大関貴ノ花は多くのファンから愛された。初代若乃花の実弟として角界に飛び込み、人の何倍も厳しくしごかれた。甘え、妥協はいっさい許されず、ぶつかりげいこで失神した花田少年は、部屋近くの川に失神したまま投げ込まれた逸話は有名だ。
その貴ノ花にとって忘れられない夜がある。1971年(昭和46年)初場所千秋楽の夜だった。深夜3時、当時貴ノ花の車が外苑前を通りかかると、横綱玉の海の車が止まって
いた。運転手の姿しか見えない。不思議に思った貴ノ花は運転手に声を掛けた。
「どうしたの?」すると、運転手は「横綱がいるものですから」と答えたという。驚いた貴ノ花が目を凝らすと、真っ暗な外苑通りを玉の海が走っていた。玉の海は決定戦で大鵬に敗れていた。「その姿を見たとたん、私は自分が恥ずかしくて、恥ずかしくて、しばらく玉の海さんの姿が頭から離れなかった。私の相撲人生で大きな岐路になった出来事
です」。
決して逃げず、土俵際で粘った。ケガを恐れずうっちゃりを仕掛け、相手の体重をまともに浴びながら何度も土俵下に落ちていった。それでも、必ず復活する姿に誰しもが声援を送った。「自分に厳しく、人に優しく。お天道様は見ている」。二子山親方の大切に
してきた言葉だ。
(後略)
さよなら貴ノ花、二子山親方がんに逝く
2005年5月31日 日刊スポーツ
貴ノ花は、同年代の私にとって、まさにスーパーヒーローだった。
貴ノ花が勝つと嬉しく、負けると悔しかった。
北の湖との優勝決定戦は、今でも鮮明に記憶に残っている。
貴ノ花 対 北の湖
(寄り切り)
昭和50年3月場所千秋楽 優勝決定戦
大関貴ノ花1敗、横綱北の湖2敗で迎えた本割は、北の湖が貴ノ花を破り決定戦。今度は貴ノ花が渾身の力で寄り切り悲願の初優勝を決めた。
その瞬間館内は興奮のるつぼと化し、座布団が乱れ飛んだ。
歴史に残る名勝負
ご冥福をお祈りいたします。
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