人権擁護法(案)について考える
人権擁護法(案)について賛否が入り乱れている。
反対論の典型が、辛坊治郎氏の以下の主張であろう。
●かつて大日本帝国憲法はこう規定していた。
「日本臣民は法律の範囲内において、言論の自由を有す」(第29条)
戦前でも、日本では、憲法で言論の自由は保証されていたのである。それでも結局、大本営発表の「事実」以外、メディアが何も伝えられなくなったのは、「法律の範囲内」での言論の自由であったからだ。
戦後その反省の上に、日本国憲法はこう規定した。
「言論、出版その他一切の言論の自由は、これを保証する。」(第21条第1項)
言うまでもなく、この条文は、言論の自由を害する一切の立法を禁じた、アメリカ合衆国憲法修正第一条を起源とするものだ。
つまり法をもってしても、言論は規制することが出来ない――これが民主主義の原点
なのだ。この認識が、残念なことに日本ではほとんど無い。日本で、まともなメディア
教育が求められている所以がここにあると私は思っている。
●さて、能書きはこのくらいにして、前回のお約束、人権擁護法案の概要と、問題点について整理しておこう。
この法律は、「人権委員会という新しい組織をつくり、人権侵害の申し立てがあった
場合、調査して、さまざまな対処をする」というのが基本的枠組みだ。
(中略)
何が問題か?
まず、この法律で作られる人権委員会の委員は、委員長を含め五人だ。その内の三人は非常勤で、常勤は二人だけ。この五人が、いくら優秀で政府から独立した地位にあると言っても、実権はこの委員会の下に作られる「事務方」が握るのは間違いない。この実働部隊は、現在の、法務省人権擁護局の役人が担当することになっている。つまり、何が人権侵害かを実質的に判断し、指導する役割は役人の手に握られるということだ。
例えば、国際的に指摘されることの多い拘置所や刑務所においての、容疑者、受刑者に対する人権侵害を受け付けるのが、実質的に、拘置所や刑務所を管轄している法務省の下部組織ということになるのである。
●組織そのものが問題なので、これ以上は多言を要しないのだが、この法律読めば
読むほど異常な法律と言わざるを得ない。
この法律は、さらに<特別な人権侵害>を三つの類型に分け、1)差別、2)虐待に続いて、わざわざ、3)報道による人権侵害を救済対象として法律に明記している。そして、犯罪被害者、犯罪少年、犯罪者の家族等に対しての「過剰な取材」を、委員会の監視対象に置くと、はっきりと宣言しているのだ。
この法律が出来たら、政治家のスキャンダル取材で自宅に張り込みをしたり、少年に
よる凶悪犯罪の背景の調査報道を行ったり、血液製剤を巡る疑惑で医師の自宅に電話を何度もかけたりといった行為すべてが、役人に人権侵害だと指摘される可能性が
出てくる。
絶対に許さん!パート2~人権擁護法案~
ほぼ、予想どおりの反対論である。しかし、私に言わせれば、これは、メディアの側に
立つ人や公権力に対して必要以上に警戒感を持つ人たちの主張である。結論から言えば、このような反対論は現実に立脚していない。
まず、言論の自由とメディアの規制について戦前を持ち出すやり方であるが、これは
使い古されたロジックである。今と戦前では、民主主義の定着度、成熟度がまったく
違う。
何より国民は、それほどバカではない。日本が今の中国のようになるはずがない。
「日本で、まともなメディア教育が求められている所以がここにある」という言い方は、
国民を愚弄している。
次に、政治家を初めとする社会的強者に対する取材・報道が規制されるという論。これも現実を踏まえているとは思えない。今の世の中で、政治家も含めた権力が言論に
介入すれば、世論が黙っていない。むしろ、権力とメディアの緊張関係は、民主主義
国家においては法律云々よりもメディアの意識と質の問題である。
よい例が、田中角栄氏の「金脈疑惑」である。田中氏の「金脈疑惑」は公然の秘密で
あったにもかかわらず、読売、朝日、毎日の3大紙を初めとする新聞系メディア(テレビ、ラジオも含む)は、いっさい触れることがなかった。
これに突破口をあけたのが、文芸春秋の立花隆著「田中角栄の研究・その金脈と
人脈」と児玉隆也著「淋しき越山会の女王」である。これらの記事は大きな反響を呼んだ。にもかかわらず、新聞系メディアは最初は無視した。新聞系メディアがこの問題を
取り上げたのは、なんと外国の特派員たちが取り上げてからである。しかも、「日本
外国特派員協会における会見で・・・」という回りくどい報道だった。
中国に関する報道もしかりである。中国に都合の悪い記事(たとえば汚職や農民暴動や民工の実態等)は、必ずといっていいほど、現地や香港や米欧の報道を引用する形をとっている。
まだある。創価学会に関するタブー、解放同盟に関するタブー、皇室に関するタブー・・・
日本の有力メディアは、社会的強者に弱く、社会的弱者に強いのだ。だから、人権擁護法(案)を報道被害者たちが支持するのである。人権擁護法(案)に反対するなら、このような、対権力、対強者に対するメディアのいびつな姿勢・体質をまず改善するべきで
ある(創価学会や解放同盟を社会的強者の側に置くことに異論があるかもしれない。
確かに構成員は弱者である。が、組織体としては十分に強者である。彼らが人権を侵している事例は枚挙に暇がない)。
一方において一般人に対する報道姿勢はどうか?典型が「松本サリン事件」の河野義行さんと「桶川ストーカー殺人事件」の猪野詩織さんに関する報道である。
河野さんはサリンの実行犯にされ、猪野さんは「風俗嬢」のごとく報道された。河野さんは、奥さんを廃人同様にされた被害者であり、猪野さんは、老人や子供に優しい普通の女子大生だった。にもかかわらず、河野さんに関する「誤報」を認める記事は極めて小さく、猪野さんに関しては「言いっ放し」に終わっている。
今回、人権擁護法(案)が政治日程に上ったのは、このようなメディアの姿勢・体質が
大きい。新聞は部数拡張競争に明け暮れ、テレビは視聴率の獲得を至上命題とする。そこにおいては、報道の質とか権力に対する監視機能とかは二の次にされている感がしてならない。
メディアは、司法、立法、行政に次ぐ「第4の権力」といわれる。それは権力に対する
監視、すなわちチェック&バランスを実現している(もしくは実現が期待されている)からであろう。しかし、その「第4の権力」と呼ばれるメディアは誰が監視すればよいのだろうか。前述したような、いびつな姿勢・体質はどうしたら是正されるのであろうか?
その役割を期待されて登場したのが人権擁護法(案)ではないのか。
もちろん、私は人権擁護法(案)に全面的に賛成しているわけではない。人権擁護法(案)には、欠点も多い。したがって、その欠点、欠陥を是正・修正することが必須であると思う。
まず、最も問題にしなければならないのが、第二十二条第3項の人権擁護委員の選任方法である。乱暴な言い方かもしれないが、これが総て、と云っても過言ではない。
法案によれば、市町村長が、「当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者」を市町村議会の意見を聴いて推薦する、とある。
「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者」とは、一体何を基準にして
判断するのであろう?
この法律を、立法趣旨に沿った形で運用できるかどうかは、何よりも人権擁護委員に誰を選ぶかにかかっている。放っておくと、人権擁護委員が地方ボスや有力者の名誉職になってしまう可能性がある。それが杞憂ではないことは、公安委員会が実証して
いる。
公安委員が名誉職になっているために、「国民の良識を代表する者が警察を管理することにより、警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保を図る」という公安委員会の使命が有名無実化されている。これは、公安委員会の事務局を警察が仕切っている
ことが大きく影響している。
人権委員会を公安委員会の二の舞にさせてはならない。「実働部隊は、現在の、法務省人権擁護局の役人が担当することになっている」という辛坊治郎氏の危惧を杞憂に終わらせるためにも、事務局の責任ある立場に弁護士会や中立的な立場の有識者
など、外部の人材を登用する必要がある。
第二十二条第3項の人権擁護委員の選任方法の後段には、「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」推薦する、とも書いて
ある。
ここにも大きな問題がある。ここでは、人権擁護委員を選任する際に、日本人だけに
限定する国籍条項が明記されていない。このままでは「朝鮮総連などから多数の人権擁護委員が選任されるのではないか?」という懸念が生じるのも無理はない。
また、「人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」から選ぶことになれば、特定の「人権団体」の指定席になる危険性も排除できない。
現に、解放同盟は「被差別部落出身者、女性、障害者、在日外国人などを人権委員にする」ことを要求している。
人権関連法案突然の再浮上 仕掛けは解放同盟 2005.02.13東京新聞[核心]
これらの批判に対し法務省は、
①「国交のない国」の関係者を除外する
②「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」も選ぶとする規定を削除する
等の妥協案を示しているという。
人権擁護法案:影落とす北朝鮮・拉致問題 「朝鮮総連批判、縛る恐れ」
毎日新聞 2005年4月12日 東京朝刊
しかし、そういうやり方は邪道である。国民ではない者が公権力を行使する立場に立てないのは当たり前である。堂々と国籍条項を明記すればよい。
また、特定の「人権団体」を優先することのないように、むしろ「人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」からは委員を選ばない、とするべきである。なぜなら「何が差別かということを民間運動団体が主観的な立場から、恣意的に判断」するからである(昭和61年12月の地対協意見具申)。
与党内では、公明党は国籍条項には反対の立場らしい。これは学会員に在日が多い、という公明党=創価学会の党利党略であり、断じて認めがたい。無視するべきである。
それから、この法案には「異議申し立て」についての記述がない。
これに対しては、「人権委員会の是正勧告に対する不服申し出制度を新設する」という方向で修正されるらしい。
この法律で守られるべき「犯罪被害者等」の中に、未成年の被疑者・被告人が含まれるのも問題である。「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や「名古屋アベック殺人事件」の犯人のような鬼畜たちも、この法律で守られるからである。あの事件を記憶して
おられる方なら、誰もがNo!というであろう。やはり、被疑者・被告人は未成年であっても「犯罪被害者等」から除外されるべきである。
「法案の人権侵害の定義があいまいで、恣意的に解釈される恐れがある」という根本的な批判については、人権擁護委員の人選と、事務局のあり方を公平・公正にすることで応えるしかない。なぜなら「人権侵害」を細かく定義することなど不可能だからだ。
最後に、この法律が適正に運用されるかどうかは国民の意識にかかっているということを、もっともっと強調したい。公権力の恣意的な運用を許さず、本来の弱者救済という
趣旨を徹底させるには、国民の関与と監視が欠かせない。
以上の点がクリアーされれば、私は人権擁護法(案)に賛成である。しかし、欠陥が
是正されないままであれば、「人権救済及び人権啓発に関する措置を講ずることに
より、人権擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権尊重社会の実現に寄与する(人権擁護法案要綱)」という趣旨には賛成であるが、法案には反対せざるを得ない。
なお、以下のブログが大変参考になった。この場を借りて、お礼申し上げる。
参考までに、法務省人権擁護局がQ&Aを公開しているので読んでみてほしい。
関連記事1:解同と人権擁護法(案)- part2
関連記事2:解同と人権擁護法(案)
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コメント
こめんとありがとうございます。
黒っぽいテンプレートが、よかったのですが…
なく、正反対の白にしてしまいました。
で、人権擁護法案ですが…
ほんとに、必要な法案なのか?疑問です。
何故、必要なのか?考えるのが、煩わしかったので、過去に1度ブログに書いてほったらかしにしてました。それを、TBさせていただきます。
投稿: super_x | 2005/05/02 01:11
ほぼ賛成です。
ただ、弁護士会というのが信用できません。
そして中立の人間というのがどうやってわかるのでしょう。
結局、その委員候補者の説・立場をじっくり調べる期間や手順などがシステムとしてしっかり整っているということが前提で、なんとなくまともそうな肩書が信用できないのが困るのです。
投稿: 素ー | 2005/05/02 23:48
コメントありがとうございます。
>ただ、弁護士会というのが信用できません。
>そして中立の人間というのがどうやってわかるのでしょう。
確かに、むつかしいところですね。「弁護士会」といっても何万人もいますし、「中立的」というのも基準がない。
だからこそ、「国民の関与と監視が欠かせない」のです。それしかない。
投稿: 坂 眞 | 2005/05/03 00:18
近代天皇制は海賊某の孫大室寅之祐を明治天皇にすり替えた大陰謀
で成立した
-大室寅之祐の弟の玄孫が証言した!
天皇家の血統は久しい以前に途絶えている
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天皇制廃止。自民党改憲案をまかり通すな
必見: http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/24.html
前田 進 jcfkp201@ybb.ne.jp
投稿: 前田 進 | 2005/11/26 16:15