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2005/07/25

中国の歴史教科書歪曲

「ここがおかしい中国・韓国歴史教科書」(参考資料1)という冊子がある。ぜひ購入して読んでみようと思う。ただ、WEB上で一部が紹介されており、この冊子に関連する櫻井よしこ氏の「日本も没収したい、中国の教科書」(参考資料2)という記事もある。
この二つを併せ読むと、歪曲の内容がほぼ解る。今日はそれらの記事を元に「中国の歴史教科書」の歪曲ぶりを検証したい。

(1)1870年代、日本は軍隊を派遣し、わが台湾を侵略する戦争を起こした。

<事実>
1871年(明治4年)11月30日、69人の宮古島の漁民が遭難して台湾南端に漂着し、54人が台湾先住民(生蕃)に虐殺される事件が起きた。そこで血気にはやる明治政府の一部に台湾出兵論が出た。
しかし当時の琉球は、日本の琉球藩でありながら中国にも朝貢するという複雑な立場にあった。未だ琉球の日清への両属状態が完全に解消されていなかったのである。
安易に出兵すれば国際問題になる怖れがあった。従って軍事力行使は難しく、虐殺事件究明のため、副島特命全権大使を清国に派遣して交渉に当たらせた。
このときの清国側の見解は、「台湾原住民に殺害されたのは、朝貢国の琉球国民だから、日本国民が被害を受けたとは思われない。台湾は清国政府の管理の及ばない
『化外の地(蛮地)』だから責任は負えない」という、木で鼻をくくった様なものだった。
つまり清国政府は、「台湾は化外の地(統治が及んでいない)」といって責任を回避したのである。

ところが1873年(明治6年)3月8日に、今度は内地人4名が遭難、台湾南部に漂着したところ、先住民から船と積み荷を掠奪される事件が起こった。身柄は、かろうじて救出された。
そこで明治政府は、「討蕃・撫民」を掲げて1874年に台湾に3千余名の兵を送った。すると、前回は「台湾は化外の地」と言って責任逃れをした清国が、日清修好条規違反だから速やかに撤退しろと迫り、1万人の軍隊を台湾に派遣してきたのである。しかし、両軍とも戦意はなく事態は膠着した。その後、駐清イギリス公使ウェードが仲介役となり
交渉が妥結し、日本軍は撤退した。
そのときの合意内容は以下のとおりである。

・清国は、今回の遠征が「民を保つ義挙」により起こったことを認める。
・清国は、被害琉球人の見舞金10万両(テール)を支払う。
・台湾現地における日本の施設を清国が接収する代償として40万両(テール)を支払う。
・日本は即時に撤兵する。

これによって、台湾が清国の領土であることを日本が認めたことになり、また、清国は琉球住民が日本人であるということを認めた形になった。

当時の日本が武力で清国に優っていたわけではない。むしろ清国の方が、あらゆる面で格上というのが世界の認識だった。ましてや、中立的立場の駐清イギリス公使が間に立っている。したがって、日本は清国を威嚇できる立場になく、またそれだけの力も
なかった。
そのような清国優位の状況下でも、『今回の(日本軍の)遠征が「民を保つ義挙」により起こったこと』を認めたのである。また被害者への見舞金の支払いにも同意している。
どこが侵略なのであろうか?

(2)1894年夏、日本海軍は朝鮮の牙山港外で清軍の輸送船を襲撃し、船上の兵士
約700人が殉難した。清政府は迫られて日本に宣戦し、甲牛中日戦争(日清戦争)が
勃発した。

<事実>
1894年(明治27年)大本営訓令を受けた聯合艦隊は、7月23日佐世保を出港、朝鮮
全羅道西北端の郡山沖へ向かった。第1遊撃隊(司令官 坪井航三少将)の「吉野」
「浪速」「秋津島」の三隻は、25日豊島沖で清国軍艦「済遠」「広乙」と会合した。
開戦前であったため礼砲準備をしていたところ、距離3000mにて「済遠」が突如砲火を開いた。日本の3艦は直ちに応戦、交戦数分後「済遠」は西方に遁走を開始。「吉野」「浪速」はこれを追撃中、清国軍艦「操江」と英国商船旗を掲げた汽船「高陞号」と遭遇した。
「高陞号」は西方に退避したが同商船は清国兵約1200名を搭載していたので、遊撃隊司令官は「浪速」艦長・東郷平八郎大佐に英船の処置を命じた。東郷艦長は英船に
停船を命じ、臨検後船員に退去を命じ警告信号の後にこれを撃沈、清国兵を捕虜とした。
中立国である英国船舶を撃沈したことで国際問題となりかけたが、東郷艦長の処置は適切であると、英国の世界的国際法学者ホーランド、ウエストレーキ両博士からも評価されたため英国世論は沈静化した。牙山への増援部隊を乗せた「高陞号」の撃沈は、この後の陸軍による成歓・牙山作戦に大きく貢献し、この勇断は東郷の名を国際的にも有名にした。
なおこの海戦で日本側に死傷者はなく、「済遠」に大損害を与え、早々に降伏した
「操江」は我が「秋津島」に捕獲され、「広乙」は座礁したのち火薬庫が爆発し残骸を
残すのみとなった。

最初に発砲したのは清国の軍艦であり、撃沈された輸送船は清国兵約1200名を搭載していた。日本海軍は、臨検後船員に退去を命じ、警告信号の後にこれを撃沈、清国兵を捕虜としたのである。
中国の記述はまったくの捏造である。

(3)欧米列強との間に不平等条約の締結を余儀なくされたと非難しながら、日本との間に1871年(明治4年)に締結された「唯一の対等・平等な条約」である日清修好条規には触れていない。

<事実>
この条約は、当時、欧米列強に不平等条約を結ばされていた日本と清国とが相互に
結んだ平等条約であり、双務的性格を貫いていた。
主なものは、相互に外交使節および領事を駐在させたこと(第4条・第8条)、制限的な領事裁判権を双務的に認めたこと(第8条・第9条・第13条)、通商関係についてはほぼ欧米列強並みの待遇を相互に認め合うことなどであった。

(4)1928年(昭和3年)、日本帝国主義は(蔣介石の)国民政府の北伐を阻止するため、公然と出兵して済南を占領し、中国の兵士や民間人6,000人余りを殺し、「済南
虐殺事件」をひき起こした。

<事実>
4月7日北伐宣言を発した南軍(蒋介石軍)は、4月中旬に早くも済南を包囲する態勢に入った。済南は山東省の商業都市で人口38万人を有し、諸外国人が多くここに住み、日本人も1810人が居留民としてここに住んでいた。

しかし、南軍が北上するにつれ済南が危機に陥った。南京事件(1927年に日米英仏の公館が国民革命軍に襲撃され略奪、婦女暴行、殺戮が行われた事件)のような事件がまた発生するかもしれなかったためだ。

現地からの保護要請を受けた田中首相は居留民保護のためやむを得ないと決断し、
4月下旬に済南に軍を出した(第二次山東出兵)。

日本軍は現地に到着すると済南城に隣接する商業地(居留民の大部分がここにいた)に、東西2か所の守備地区を設置して居留民を収容保護した。しかし北軍(張作霖軍)が退却した後の5月1日、南軍が入市してくると恐れていた事態が起こってしまった。

南軍が入市してくると共に日本国旗の侮辱や反日ビラのばら撒きなどで、もめ事が
続発。済南市内は一気に緊迫するようになった。2日、南軍総司令・蒋介石から治安は自分達が絶対に確保するので日本軍の警備を撤去してくれとの要請があり、その言葉を信じて日本軍は警備体制を全て解除した。

「済南事件」はまさに日本軍が警備を撤去した直後の5月3日の朝に発生した。その
発端は南軍の兵が「満州日報」販売店を襲撃したことだった。
南軍兵は駆けつけた日本人巡査にも暴行を加えたため、日本軍救援部隊が現場に
急行すると、南軍兵は兵舎に隠れて中から銃撃を加えてきた。
 
このため本格的に交戦状態に突入し、中国兵による乱射略奪は一気に市内中に拡大した。間もなく両軍間に停戦の申し合わせができたが、中国側はこれを無視し、白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使まで射殺する暴挙に出た。済南市内は凶暴な中国兵のため地獄と化した。「南軍鬼畜と暴れ狂ふ」「日本人は狂暴なる南軍のため
盛んに虐殺されつつあり」(朝日新聞)

略奪被害戸数136、被害人員約400。14人が惨殺された。以下は、中国側も立ち会った、済南医院での日本人被害者の検死結果。

藤井小次郎
・頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
斎藤辰雄
・顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
東条弥太郎
・両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
東条キン(女性24歳)
・全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
・陰部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり。
・両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。助骨折損。
鍋田銀次郎
・左脇腹から右脇に貫通銃創。
井上国太郎
・顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
宮本直八
・胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による 切創。陰茎切除。
多比良貞一
・頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。
・腹部を切り裂かれて小腸露出。
中里重太郎
・顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創。
高熊うめ
・助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
・右脚の白足袋で婦人と判明した。

他の二体は顔面を切り刻まれたうえに肢体を寸断され、人定は不可能であった。

櫻井よしこ氏によれば、この時の
「衣服をはぎとられ中国軍に虐殺された日本人女性の遺体を日本側が検死している
写真が、中国の教科書には、731部隊が中国人女性を生きたまま細菌で生体実験し、殺した写真として掲載され、子供たちに教えられている」
のである。
ここまでくると、「捏造」ではなく、国家による「犯罪」である。

上記以外にも、
(5)120万人以上のチベット人が虐殺されたといわれる「チベット侵略」を「平和解放した」と教える
(6)北朝鮮が突然軍事侵攻したことによって勃発した朝鮮戦争も、「アメリカ帝国主義は、横暴にもいわゆる『国連軍』を指揮して、朝鮮を侵略した。彼らは『38度線』を越えて、まっすぐに中国辺境まで攻め上り、わが国の安全をひどく脅かした」と教える
など、捏造のオンパレードなのである。

かつてニューヨーク・タイムズも、中国の歴史教科書の「ゆがみ」の実例として、以下の四点を挙げている。

(1)中国軍はチベットやベトナムに侵攻したのに自衛以外の戦争はしたことがない、と教えている
(2)第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた、と教えている
(3)1950年代に毛沢東主席が断行した「大躍進」の政策失敗で3000万人も餓死した
事実は教えない
(4)朝鮮戦争は米国と韓国が北朝鮮を侵略したことで始まった、と教えている

また櫻井よしこ氏によれば、新しい歴史教科書が作られており、既に一部地域で採用されている。その特徴のひとつは、日本批判を「南京大虐殺」を軸として展開していることだ、と云う。

「南京30万人大虐殺」という中国の主張が大ウソであることは、既に明らかにされている。私は、拙記事「南京大虐殺」において一般市民の犠牲者は1千~2千人のレベルであると書いた。これは、大都市で大規模な戦闘が発生した場合には起こりうる事態である(だからといって肯定しているわけではない)。
もちろん、捕虜待遇を受ける資格がない違法なゲリラである「便衣兵」が万単位で処刑された可能性はある。しかし、それは虐殺でもなんでもない。また、死者の中には、
身内の「督戦隊」に銃殺された者もたくさんいた。

したがって、このような信憑性に欠ける「南京大虐殺」を軸に、歴史教科書の中で日本批判を展開することは極めて悪質かつ危険な行為であるといわざるを得ない。

日本政府は、これだけ中国の歴史教科書が歪曲されている事実が判明しているのであるから、中国に「反日教育」の中止を求めるのはもちろん、毅然とした態度で歴史認識と歴史教科書の是正を要求するべきである。

関連記事1:南京大虐殺
関連記事2:通州大虐殺:中国の戦争犯罪

参考資料1:ここがおかしい中国・韓国歴史教科書
参考資料2:日本も没収したい、中国の教科書
参考資料3:9世紀から現代までの動き
参考資料4:1874年 日本が台湾に出兵
参考資料5:日清戦争 概説2
参考資料6:日清修好条規
参考資料7:現代史(4)・済南事件
参考資料8:支那人が絡んだ日本人虐殺事件

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中国の行動に鑑み、日本に求められている謝罪行動
>中国側の具体的な行動
1979年2月12日、中国軍は20万の大軍をベトナム領内に侵攻させた。そして同年3月、中国軍は「目的達成」を一方的に宣言しベトナム領内から撤退した。ベトナム軍機関紙は「中国は『多大な損害』をこうむったのち、ベトナム軍を前に敗走したと発表した。」同時に、中国軍は、一般市民に対して残虐行為があったと非難し、中国はそれに反論し、応酬が続いた。

中越戦争記述で修正要求 江中国主席、越訪問で
【ハノイ17日共同】中国の江沢民・共産党総書記(国家主席)が2月末にベトナムを訪問、ノン・ドク・マイン共産党書記長ら指導部と会談した際、1979年の中越戦争などについて、ベトナムの高校歴史教科書や党史の書物への「友好的な記述」を求めていたことが分かった。ハノイの外交筋が17日までに明らかにした。 共産党一党支配体制を堅持しつつ市場経済化を進める両国が、グローバル化が進む世界の中で、歴史的経緯から引きずっている「わだかまり」に区切りをつけ、両国民の意識の面でも連携強化を図る中国側の狙いがあるとみられる。 しかし、中越戦争に関しては「加害者としての負い目」もあるためか、日本の対中戦争について「歴史を鑑(かがみ)」とするよう再三求める強硬姿勢とは好対照を見せている。ベトナム外相が江沢民に「中越戦争の謝罪」を要請したが、「もっと未来志向にならなくてはならない」と謝罪を拒否した。 共同通信 2002年03月17日
>資料終わり
すなわち、日本から中国の教科書修正要求とともに、謝罪要求には「未来志向にならなければならない」と謝罪を拒否することが必要です。

投稿: 近藤 竜 | 2005/07/25 19:54

>琉球処分資料
1872年琉球藩設置、日本に併合 清国は琉球を古来服属していたものとして、領有権を主張
1874年台湾原住民による琉球漁民54名殺害の報復として台湾へ出兵
1879年沖縄県設置
1880年宮古島及び八重山島割譲を条件に、日清現行条約増加條款商議(内容的には貿易関係)、清国側が署名拒否締結に至らず。
(A03023000500)

大躍進から文化大革命
産經新聞1994年7月18日付 【ワシントン17日=熊坂隆光】中国で毛沢東主席が実権を掌握していた1950年から76年の間に、急進、過激な経済政策の失敗により伝えられるよりはるかに多数の人民が死亡し、文化大革命の犠牲者などを合わせると死者数は8千万人にも及ぶことが明らかになった。17日のワシントン・ポスト紙が報じたもので、毛主席にその責任があると論評している。同紙は、この数字について中国や西側学者の研究と同紙独自の調査を総合した結果としており、具体例を挙げて数字の正確さに自信を示している。経済政策の失敗や文革の犠牲についてはこれまでも研究や報道があったが、大幅に塗り替えられることになる。同紙によると、死者の多くは「人災」と断定できる飢きんによる犠牲者。原因のほとんどは大躍進政策を強引に推し進め、西側に追い付こうと農業生産より工業生産を重視した毛主席の誤りとしている。プリンストン大現代中国研究センターの陳一諮氏によると安徽省の飢きん(59-61年)では、4300万人が死亡したという。 中国社会科学院が89年にまとめた581ページに及ぶ調査資料によると、この飢きんでわが子を殺して食べてしまった例や人肉が商品として取引された例などが記録されているという。このため中国政府自身がある程度実態を把握しつつあるのではないかとみられる。これが事実なら、毛沢東はスターリン以上の虐殺者であることは明白であろう。
>資料終わり

投稿: 近藤 竜 | 2005/07/25 20:11

近藤 竜 さん、どうもです。
貴殿のご指摘、十分に承知いたしております。
参考資料ありがとうございました。

投稿: 坂 眞 | 2005/07/25 21:26

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受信: 2005/07/31 00:27

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