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2005/07/05

共産主義とは?

中国やロシアを支配している(支配していた)共産主義(マルクス主義)とは何か?今日は、これを記事にしたい。
私が若い頃、共産主義(マルクス主義)は理想であり、この思想を理解できない者は「バカ」扱いされた。しかし、最近の方は、よく知らないと思う。よって、敢て書くことに
した。
なお、時間とスペースが限られているので、その筋の方には不満が募る解説になると思う。ご容赦を!

共産主義(マルクス主義)とは、者が主人公の社会を目指す思想である。搾取も
抑圧もない、真に自由で平等な社会。人間が、もっとも人間らしく生きることのできる
社会。「一人は万人のために、万人は一人のために」生きる社会。「人は、能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」。
なんとも素晴らしいイデオロギーではないか?
マルクスは、資本主義の最終的段階が社会主義であり、その次に共産主義社会が
到来すると考えた。資本家階級と者階級のせめぎ合いの中で、搾取される側
(多数派)の階級が勝利し、者階級が生産手段を所有する状況が必然に
なる。

マルクスはユダヤ人である。ドイツで生まれ育った。当時のドイツは、「ゲットー」に代表されるように、最悪の「ユダヤ人差別国家」であった。また、新興資本主義国家であったため、最悪の条件下で者が酷使されていた。
マルクス主義は、このような状況下で生まれた。

このイデオロギーの背景にあるのは「ドイツ観念論」、とりわけフォイエルバッハの「唯物論」とヘーゲルの「唯神論」である。マルクスは、フォイエルバッハの「唯物論」は機械的で、ヘーゲルの「弁証法」は観念論的であると批判し、両者のなかから合理的核心を
取り出して「弁証法的唯物論」の基本を確立した。

私は、元々は「過激派」だった。今は対極にいる。が、「資本論」において解明された「価値の二重性」や「の二重性」、あるいは、「弁証法的唯物論」の考え方は、大いに勉強になったし、学問的にもその評価は定着している。
「弁証法的唯物論」とは、「世界の本質は自ら運動し発展する物質である。その運動の源泉は万物に内在する矛盾による対立物の闘争にあり、世界は質的な飛躍を含んで、不断に低次から高次の状態へと進む無限の発展過程であり、すべては科学と実践に
より解明される」と云うものである。
つまり、矛盾の相克が、次なる新たな世界を生み出すという考え方である。これは、
ある意味において正しい・・・と思う。
ただ、「世界の本質は自ら運動し発展する物質である」とする一面的捉え方は、この
思想の大きな欠陥でもある。

人類の理想を目指したイデオロギーが、なぜ「悪魔の思想」に堕してしまったのか?
それは、ユダヤ教やキリスト教の「唯一神」信仰に原因の一端がある。ユダヤ教の影響を強く受けたマルクス主義においては、「正か邪か」「白か黒か」と云う思考に陥ってしまうのである。
また、「共産主義社会」を、人類社会の歴史的発展段階の究極であり、科学で証明された「法則」であるとしたマルクスの後継者たちの罪も大きい。

マルクス主義が絶対であり、「共産主義社会」に至ることが、科学で証明された「法則」であれば、それに反する者は、「反動」であり「反革命」であり「反人類」であると云うことになってしまう。
「唯一神」信仰は、それ以外の「真理」を認めない。
だから、アイツは「反動だ」「反革命だ」・・・「敵だ!」「敵は抹殺しろ!」と云う短絡な
思考に支配されてしまうのである。

マルクスは、共産主義社会に至るには革命が必要であるとする。その革命は、「世界革命」であり「暴力革命」であり「プロレタリア独裁」である。革命は、「前衛」によるプロレタリア(者階級)の指導によって成就する。
ここにおける「プロレタリア独裁」と「前衛」による指導という考え方も、大きな落とし穴である。プロレタリア=者階級による独裁が、前衛=共産主義者による独裁に転化し、更にそれがスターリンや毛沢東と云った個人による独裁を生み出す。
スターリンや毛沢東の考え方や言動が「絶対的真理」であり、それに反する者は、
「反動」であり「反革命」であるとみなされて粛清される。

この世に「絶対的真理」」なんて存在しない。総ては相対的である。科学で証明された法則なんて、人間の営みの中には存在しない。
ただ、「正義」はある。「尊厳」もある。それは、個人にも国家にも。
その個人と国家を超越した思想、言い方を変えれば、それらを否定した思想が「マルクス主義」である。そこにおいては、宗教も「アヘン(麻薬)である」として否定される。
人間は「モノ」ではない。人間は科学では分析し切れない。不条理であり不合理な存在である。だから私たちは悩む。
「真理」が本当にあるのであれば、誰もが救われる。しかし、そんな単純な存在ではない、人間は。
私たちの前に示される「真理」は、常に不幸を呼び起こす。冗談抜きに、「オウム真理教」がそうである。「創価学会」がそうである。
社民党の土井高子らが、数々の証拠が挙がっていたにもかかわらず、『「北朝鮮による拉致」は捏造』と主張して譲らなかったのも、同じ思考回路による。

私は、「家族」を愛している。「日本」を愛している。その歴史に誇りを持っている。そして、「真理」や「社会正義」を強制する者たちを許さない。

参考1:価値の二重性
参考2:の二重性

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左翼&共産主義」カテゴリの記事

コメント

坂眞さん、こんばんは。
共産主義(マルクス主義)の概要が分かりました。でも、やはり、このような考え方では、無理がいくことがわかりました。

>搾取も抑圧もない、真に自由で平等な社会。
この事自体、無理だと思われます。人は生まれた瞬間、法や慣習、血縁等による、何の抑圧もない、真に自由な存在でたりえるはずがないように思われます。

>「一人は万人のために、万人は一人のために」生きる社会。
個人が個人の利益を追求すれば、全体の利益を追求することは不可能だと思います。また、個人の利益とは、個人、個人で利益関係と敵対関係等でつながっています。これを全体として、一つにまとめること自体、夢物語のように思われます。

>ユダヤ教やキリスト教の「唯一神」信仰に原因の一端がある。
全体として、一つにまとめるには有効であると思えます。しかし、上述のコメントの通り、この精神を注入する以前に、この考えは理想であり、実現がかなり難しいように思われます。

浅学な身で、失礼なコメントかもしれもせん。申し訳ないです。

投稿: Mars | 2005/07/06 00:05

搾取階級は暴力によって打破されてもしかるべし。
 結局、多くの共産国家は、階級闘争を正義としてしまったたがために、永遠に格差を暴力で埋めていく連鎖に陥ってしまい、自らの国民を虐殺することになってしまったと思います。
 平等を推し進めていけば、ますますわずかな格差もゆるされなくなってしまい、永遠の闘争となる。適正な平等を実現するには、下地に良識が必要なのだと思います。
 良識は歴史から生じる。これらを否定し、破壊した上で、適正な平等、行き過ぎない平等は為しえないのだと思います。
 マルクスの目指すところは立派です。
 しかし、欠点だらけの仮説に過ぎなかったといえるのでは?
 と私は思っています。 

投稿: くえひこ | 2005/07/06 01:08

 コメント・ありがとうございました。
 ”坂眞”さまに楽しんでいただけたことを光栄に存じます。
 私も”彼女と歩んだ”五回に渡る「京都旅行の紅葉や満開の桜の美しさ」が、今も鮮やかに脳裏に残っています。「こんなに美しいものを見られて、生きていてよかった!」と思います。
 ちなみに、
 桜なら、「信州・高遠城址の桜」
 紅葉なら、「滋賀県・大津市の日吉神社の紅葉」
 が日本一・綺麗です!

 ”坂眞”さまの今回の記事「共産主義とは?」も、過不足なく・簡潔にまとめられていて、誰にでも読んでもらいたい素晴らしい記事と思います。

投稿: 紫藤ムサシ | 2005/07/06 01:19

完全な経済的平等を達成するためには、強力な力で人々の欲望を押さえつけなければならない。
  ↓
強力な力を持つ指導者や官僚が生まれる。
  ↓
その者達は富を集めにかかる。
  ↓
一部の金持ちと多くの貧民が生まれる。

つまり、完全な経済的平等を目指せば、必然的に経済的不平等が生じる。これが、共産主義の根本的な矛盾ではないでしょうか。

投稿: masa | 2005/07/06 03:48

「絶対的真理」なんて存在しない。
けれど己一人一人の「真理」は存在する。
たとえ自分自身がそれに自覚的でなかったとしても、またそこから逃れようと懸命になったところで、その「真理」に従って人は生きていくよりないんだと、私はそう思っています。

ヨーロッパの人間のキリスト教との相克を見ていると、「随分無駄なことをしているな」と思ってしまうことが多い。
キリスト教に詳しいわけではありませんが、マリア信仰は即ちイシス信仰そのものであって、実は多神教以外の何物でもない。「唯一神」信仰以外のものを求める動きというのは常に出てくるんだろうとは思います。
「唯一神」について語るべき言葉を私は何も持たないけれど、そこにきっと私の求める「何か」もあるんだろうな、とも思っていますけどね。

この間はTBありがとうございました。
初コメントがこんなのですみません(笑)

投稿: とんぼがえりベイビー | 2005/07/06 13:16

Marsさん、くえひこ さん、 紫藤ムサシさん、masaさん、とんぼがえりベイビー さん、
皆さんコメント大変ありがとうございます。
テーマが重過ぎるというか難し過ぎるというか・・・
私自身が、皆さんのコメントに対して返事を書けない。
皆さんのコメントには、それぞれの考え方と主張が込められている。
それに対して、私が軽々しくコメントするわけにはいきません。
では、今後ともよろしくお願いします。

投稿: 坂 眞 | 2005/07/06 16:22

最近、TBが反映されないようなのでコメントに書かせてもらいました。

中国残留孤児の不当な主張の棄却は当然…だが戦いはまだ続く
http://konn.seesaa.net/article/4946972.html

投稿: こん | 2005/07/10 12:53

最近、資本論を勉強している共産党員です。
資本論で検索してこの記事を見つけました。

二言だけ言わせてください。

マルクスは暴力革命が唯一の方法とは言ってないようです。レーニンの理論的誤りが、その後の共産主義運動に持ち込まれたみたいです。

弁証法は決して二項対立的な思考方法ではないと思います。“矛盾が運動の源泉であり、物事はあらゆる関連の中にある”―世界を認識するもっとも合理的な考え方だと思います。

『古典研究 マルクスの未来社会論』『古典研究 議会の多数を得ての革命』(ともに、新日本出版社)は、面白いですよ。

投稿: 青二才 | 2005/07/11 22:55

青二才 さん、初めまして。
マルクス主義に対する思い入れ、正直に言うと今でもあります。
しかし、この理想が、なぜスターリンや毛沢東の数千万人という人民の死をもたらしたのか?
あの小国・カンボジアで数百万人もの虐殺が発生したのか?
戦後の左翼の内ゲバで数多くの死者を出したのか?(共産党を含みます)
この思想に、根本的な部分で、致命的欠陥がある、そう思わざるをえません。

投稿: 坂 眞 | 2005/07/12 00:12

現代中国の実態、共産主義のこれまでの政治的歴史を見れば実に簡単な一つの共通点に気がつく。つまり、共産主義は権力を握るための手段であるということ。そのプロパガンダにだまされてはならない。簡単なこと。貧民が大多数の社会にあって権力を集めようとした場合、戦略的にどう計画を組むか?貧民をもちあげればいい。貧民が喜ぶことを言えばいい。もったいぶった理論はその正当性を補強するために準備する。理論は簡易でわかりやすくてはいけない。ちょとやそっとで近づけない程難解であることが必要だ。平易で簡明なら誰でもその中身の欺瞞性を知ってしまうのだから。
なぜ書いてあることを人は簡単に信じるのだろう。良いことを言うがやることは別、という人は世間にごろごろいる。皆さん、共産主義とは支配欲にとりつかれた野心家が利用する単なる手段にすぎないことに気がつきましょう。

投稿: 匿名 | 2007/06/23 20:14

マルクスは資本主義の矛盾をを経て共産主義になると主張しましたが、現実の世界は共産主義をへて資本主義へ向かっていますね。
壁にぶつかっているのは平等を重視する体制で、その内部矛盾が限界に達したとき資本主義に移行しています。
 考えてみれば、ヨーロッパの中世も領主という特権階級をのぞいては、その領主に従っていれば、一応の衣食住が保障され、結婚なども取りまとめてもらえました。日本の江戸時代なども農本主義という平等主義で、幕府は度重なる米価安定政策や贅沢禁止令などの格差是正策を打ち出しています。これらは一部特権階級と庶民の平等(貧しさの平等ですが)という意味で共産主義と同じものではないでしょうか?
 どちらの体制もその内部矛盾が限界に達し、革命を経て、資本主義になりました。

投稿: t02s828e | 2007/08/26 21:02

※『LTCM』
※『サブプライム』
※『貧困世帯』
※『グローバル競争社会』
※『グローバル化競争』
※『反グローバリゼーション』、『反グローバル化』
をネットで検索してください。

投稿: 戦うアルジャーノン | 2008/02/25 12:41

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