中山文部科学相の正論
中山文部科学相は10日、福岡市での講演で、「従軍慰安婦という言葉は当時存在しなかった」という自らの発言を支持する日本人留学生のメールを約9分間にわたって読み上げ、「感銘を受けた」「若い方々は本当に真剣に考えてくれている。ありがたい」と語った。
中山氏は「私の発言に関してはご批判もあるが、若い方々からの励ましがすごく多い」として、カナダの大学院で学ぶ20代の女性からのメールを紹介した。
中山氏によると、メールは「(従軍慰安婦は)一部の日本人が自虐的にも戦後作った
言葉だ」と、中山発言を支持。「彼女らには大いに同情すべきだが、(意に反して売春させられたのは)古い時代の日本の農村で見られた情景とそう変わらない」「戦地にある不安定な男の心をなだめ、一定の休息と秩序をもたらした存在と考えれば、プライドを
持って取り組むことが出来る職業だったという言い方も出来る」とも述べているという。
慰安婦発言支持のメール、中山文科相「感銘受けた」
(2005年7月11日 朝日新聞)
記事のポイントは、
「(従軍慰安婦は)一部の日本人が自虐的にも戦後作った言葉だ」と、
中山発言を支持。「彼女らには大いに同情すべきだが、(意に反して
売春させられたのは)古い時代の日本の農村で見られた情景とそう
変わらない」
という、カナダの大学院で学ぶ20代の女性の発言(文章)である。
どこで学んだのかは分からないが、史実に即した極めて正しい認識である。「従軍慰安婦」という言葉は、当の朝日新聞を始めとする左翼系メディアや左翼系知識人が、戦後になって作り上げた「造語」である。
「慰安所」はあったし「慰安婦」もいた。しかし、それと同じような存在は、当時の日本国内の至る所にあった。「遊郭」であり「女郎」である。
「古い時代の日本の農村で見られた情景とそう変わらない」という発言も、まったくそのとおりである。「女郎」の多くが、貧しい農家などから遊郭などに年季奉公に出された娘たちである。中には甘言に騙された者もいた。戦場における「遊郭」が「慰安所」で
あり、「女郎」が「慰安婦」である。
もちろん朝鮮人もいた。しかし、外務省の調査によれば、日本人がもっとも多かった。
朝鮮人の「慰安婦」に謝罪して補償するのであれば、日本人の「慰安婦」にも謝罪し、補償してもらわなければならない。が、日本人の「慰安婦」で謝罪や補償を求める者
など一人もいない。
当時の「慰安婦」は戦場にいただけに、極めて待遇が良かった。フィリピンから奇跡の生還を果たした小野田寛郎元陸軍少尉によれば、 『内地人のある娼妓は「内地では
なかなか足を洗えないが、ここで働げば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に
27人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた』のである。
朝日のニュースは、未だ速報段階なので何のコメントも付いていない。明日になれば、また何がしかのイチャモンを付けるのかもしれない。朝日は、「女子挺身隊」が未だ存在しなかった時代に「慰安婦」になった者を、「女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」として記事を捏造した新聞である。
産経新聞の記事には、女子大学院生の「(中国や韓国が)国益に沿って反日を利用し、国内をなだめつつ、とりあえずごねてみる作戦。(中国や韓国に)ただ頭を下げるのでは政治家として二流、三流」という、朝日の記事にはない発言(文章)も紹介されている。
戦中は「従軍慰安婦」という言葉ない 中山文科相、発言支持のメール紹介
(2005年7月11日 産経新聞:大阪夕刊)
こういう認識を今の若い世代が持ってくれていることが、私はすごくうれしい。
私たちの世代においては、戦前の日本はアジア諸国に悪いことをした、日本軍は残虐だったというのが、ほぼ常識だったからである。だから謝罪は当然という認識だった。
知識層は、こぞって朝日新聞を読んだし、新聞よりももっと左の朝日ジャーナルという
週刊誌も人気があった。ちなみに筑紫哲也は、その朝日ジャーナルの編集長だった。
なお、「従軍慰安婦」という存在そのものがなかったことは、拙記事「幻の従軍慰安婦」をお読みいただければ、完璧にご理解いただけると思う。
関連記事1:岡崎トミ子・日本の恥部
関連記事2:幻の従軍慰安婦
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コメント
メールの人はたしかに素晴らしいんですが、不特定の名無しメールを読んで自己の意見の代弁とするのは、なんか情けない気がします。
予想通り、左系のブロガーはこぞって「メールの信憑性」を問い始めてますし、いくら疑惑をもたれても、こっちは払拭できません。
言いたいことは大いに賛同しますし、現職大臣の勇気ある行動だと思いますが、やり方がいかんなぁ・・・と思うわけです。
どうおもいますか?
投稿: 似非紳士 | 2005/07/11 22:57
まぁ、前進として、評価しませう。
次にさらに一歩進むことを期待します。
投稿: くえひこ | 2005/07/11 23:05
似非紳士さん、ようこそ。
>言いたいことは大いに賛同しますし、現職大臣の勇気ある行動だと思いますが、やり方がいかんなぁ・・・と思うわけです。
どうおもいますか?
細田官房長官から「政府の見解とは無縁」みたいなことを云われた中山大臣としては、精一杯の自己主張だったのではないでしょうか。
二度と喋るな、と圧力を加えられた中での発言だったことは間違いありません。
本質は、メールの真贋ではなく、「従軍慰安婦」が存在したかどうかです。
「従軍慰安婦」がデッチアゲであることを国民の皆さんに知ってもらうことが重要です。
投稿: 坂 眞 | 2005/07/11 23:50
くえひこ さん、どうもです。
>次にさらに一歩進むことを期待します。
それしかありませんね。本当に韓・中は、総てが政治がらみです。
投稿: 坂 眞 | 2005/07/11 23:53
はじめまして。
某所のコメントにも同じようなことを書いたのですが、従軍慰安婦という言葉でいやな思いをした方だっています。
彼女は女子挺身隊として中国に行きました。まだ15歳でした。そこで慣れない看護婦仕事をしていたわけです。医療部署にまわされたようです。従軍医師に従軍看護婦と呼ばれた人は確かにいたようです。
ある日テレビやら新聞で従軍慰安婦などと言う言葉が出回ったので「もしかしてあのオバサン?」などと陰口をきく人もいました。でもこの方は戦争が激化する最中に日本へ送り返されているので、根も葉もない言い掛かりです。
従軍慰安婦という言葉を作った人に責任を取ってもらいたいものです。それを書いた人はとても悪い人です。責任を持って記事やドキュメンタリーを書いてもらいたいと思います。
投稿: lemonodasos | 2005/07/12 04:46
lemonodasosさん、初めまして。
従軍医師、従軍看護婦、従軍記者、従軍層はいました。
「従軍慰安婦」という言葉を作った連中は、意図的に上記の職と混同させるために「従軍」という言葉を使ったのです。
また、女子挺身隊もありました。これを「強制連行された従軍慰安婦」としたのは、朝日新聞の捏造記事です。
女子挺身隊は、まったく違います。「従軍慰安婦」とは無縁です。
「従軍慰安婦」の実態は、公娼業者が経営する売春宿でした。業者には朝鮮人もいましたし、半島出身の兵士も皆んな利用した筈です。
「従軍慰安婦」という言葉を作った連中は、ある意味、犯罪的行為を犯したと言っても過言ではありません。
投稿: 坂 眞 | 2005/07/12 09:59
ブログ主 様
はじめまして。日心会のたぬきちと申します。
この記事を日心会のMLに転載させてください。
会の顧問をお願いしています中山成彬先生のお話ですので、会員に知らせたいと思いました。
よろしくお願い致します。
投稿: たぬきち | 2010/08/13 07:00
たぬきちさん
このブログはリンクフリーです。
拡散、大いに希望!
坂 眞
投稿: 坂 眞 | 2010/08/13 23:05