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2005/08/01

今の日本人とこれから

今の日本及び日本人を考えたとき、驚くべきことがいくつかある。

①戦後60年間、一度も他国と戦火を交えたことがないということ。もちろん内戦もない。このような国が果たして世界中にいくつあるだろうか。
あのドイツでさえ、湾岸戦争では対空ミサイル部隊を派遣し、コソボ紛争では空爆に
参加した(注:ドイツの行為を否定しているわけではない)。

②政治における政教分離が確立されている。もちろん、一部に政教一致の政党があり、これが与党になっている。が、この党が日本の政治を大きく左右しているわけではない。
靖国問題も、政教一致という問題ではなく、極めて歴史的、外交的な問題である。
米国の大統領選では、妊娠中絶や同性愛が宗教がらみで主要な争点となった。日本においては、これらは個人の問題である。

③排外的民族主義の傾向が極めて薄い。サッカー・アジア杯のとき、中国人は「反日」で大騒ぎを起こし、日本公使の車を襲撃して日の丸を焼くなどした。
これに対し、日本で行われたW杯予選の対北朝鮮戦では、北のチームに対するブーイングなど一切なかった。同胞を何十人も拉致している国の代表チームであるにもかかわらず。
ソ連崩壊前に、NHLの試合をテレビで見ていた私は、ロシア人の選手が活躍すると、
地元の観衆までが大ブーイングを浴びせる光景に強い違和感を覚えた。
1979年の在イラン米国大使館占拠事件のとき、米国の街角で、在米イラン人が白昼
公然と集団暴行を受ける映像を見て私は衝撃を受けた。
今回の中国における「反日暴動」で日本領事館が襲撃されても、日本で対抗デモが
起きるわけでもなく、在日中国人が襲われたわけでもない。

④③に関連して、民族差別が余りない。在日朝鮮人差別は確かにある。就職、結婚などにおいてそれは厳然としたものがある。私の知人の在日2世の奥さんは日本人だが、奥さんの親に結婚を認めてもらえず、子供ができてやっと奥さんと子供だけが里帰り
できるようになった。
しかし、米国や英国、フランス、ドイツのように、国籍や市民権を取得しても、(元)外国人が固まって白人とはまったく別のコミュニティーを形成せざるを得ない状況にはない。
大多数の在日が日本人社会に溶け込んで暮らしている。大阪市生野区のような例もあるが、これはむしろ例外である。
静岡県浜松市や群馬県太田市周辺の日系ブラジル人コミュニティーも、日本人社会から隔絶されているわけでも排斥されているわけでもない(言葉や食習慣の問題が大きい)。
米国においては、黒人やヒスパニックが街の一角に住み着くと、白人はぞろぞろと街を出て行く。

以上から言えるのは、日本は世界的にも稀な平和・平等・非宗教の国であるということだ。これは人類の進歩の標しとして誇ってもよいことではないか。
ただ、これが政治的アパシー(apathy=無関心)や国を愛する心、民族としての誇りの喪失の裏返しであれば問題である。
しかし、私はそうではないと考える。日本という国の姿や政治のあり方が解りづらいからそう見えるだけである。サッカーやオリンピックで日の丸が掲揚されたときの熱狂ぶりを見れば、潜在的に国を意識しているのが解る。
私たちの世代は、欧米に留学した者の多くが、いかに外国が進んでいるか(日本が
遅れているか)をしたり顔で語るのが常だったが、今の若者はそうではない。

私は、たとえ憲法第9条がなくても日本は他国と戦争することはなかったと思う。歴史的にみても、日本は他国と争ったことが少ない国である。日清戦争から大東亜戦争に至る過程は、帝国主義列強による世界分割という時代的な背景が大きく影響している
(ただ、今の東アジア情勢を鑑みると今後は分からないが)。

宗教の問題にしても、大多数の日本人は、お盆はお墓でお線香をあげ、正月は神社に参拝し、クリスマスを家族で祝うという、宗教にこだわらない傾向が強い。
民族問題も、欧米諸国のように、異民族、異教徒を集団的暴力で襲撃するといったような深刻な事態にはならないはずだ。

したがって、これからの世代に、日本という国の歴史と文化に誇りを持ち、日本人であることに感謝する心をはぐくむこと。異文化や異宗教に対する寛容の精神を養うこと。これらが、20世紀の後半を生き、21世紀に人生の総仕上げをする時期を迎えた私及び私たちの世代(団塊の世代+α)に課された責務であると考える。
そのための大きな仕事が、自分の国は自分で守る、自分の身も自分で守るという、
自立した国家、自立した個人の確立である。そうすれば、「フリーター」や「ニート」と
いった、日本の将来を危うくする存在も淘汰される。
自立した国家、自立した個人を確立することによって、初めて他国や他人に対する真の理解と友情が生まれてくる。

偏狭なナショナリズムとそれに基づく偏見に囚われてはならない。相手の良さは認め、過ちは断固として指摘する。相手の友誼には素直に感謝し、理不尽な要求には毅然とした対応をとる。
そうすることによって、①~④という、世界にも稀な現代日本の特性を、真の民族性に転化できるのではないか。

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政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

本日のエントリー、正に最近の私の行き詰った胸の内を突き破り、大いなる希望を与えてくれるものでありました。
コメントへの力強いレスも感謝致します。

>日本という国の歴史と文化に誇りを持ち、日本人であることに感謝する心をはぐくむこと。異文化や異宗教に対する寛容の精神を養うこと。

本当にこれに尽きますよね。
日本人は優しく穏やかで、誠実で勤勉。
働く喜びを知り、全てのものに感謝の心を忘れない。
君達の住むこの国は、平和の大切さと人間の優しさを世界中のどの国よりも知っていると、子供達に教えてあげたいものです。

投稿: mao | 2005/08/01 18:44

中国: 今日の膨張

そ~ら、やっぱり来た。その次は九州か?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050801-00000108-jij-int

投稿: 未定 | 2005/08/01 19:38

 日本は、本当に平和の民ということがわかりますね。そのような歴史積み上げてきた祖先とそれを可能にした国土に感謝すべきであると思います。
 

投稿: くえひこ | 2005/08/01 20:05

世界の国々がすべて日本のようになるのが理想だが、残念ながらまだまだそこまで時代が来ていない。このような時代では、日本のような国はカモにされるだけだ。悲しい話だが。

投稿: 楼主 | 2005/08/01 20:19

>偏狭なナショナリズムとそれに基づく偏見に
>囚われてはならない

「まんが嫌韓流」などの書物は、偏狭なナショナリズムを
決して援助しない事も指摘されるべきでしょう。
何故ならばこれらの書物は他の国の何処にでも
ある普遍的なナショナリズム(国家観)に基づいて
書かれ或いは描かれたものであるからです。

間違っても半島のような偏狭なナショナリズムに
陥ることはないでしょうし、また陥るようなこと
をする工作を阻止しなければならないでしょう。

投稿: abusan | 2005/08/02 07:18

初めてコメントさせていただきます。ご指摘のとおり、「日本という国の歴史と文化に誇りを持ち、日本人であることに感謝する心をはぐくむこと。」のご意見同感です。戦後の教育に「歴史」「宗教」「道徳」がなされなくなったのが問題だと思ってます。貴重なお話感謝します。

投稿: oomori | 2005/08/02 10:56

maoさん、こんにちわ。
>日本人は優しく穏やかで、誠実で勤勉。
働く喜びを知り、全てのものに感謝の心を忘れない。
君達の住むこの国は、平和の大切さと人間の優しさを世界中のどの国よりも知っていると、子供達に教えてあげたいものです。

まったく、そのとおりです。
極東という辺境に位置しながら、欧米をしのぐ繁栄を実現した。
これだけでも素晴らしいことです。
後は、「こころ」を充実させることだと思います。


未定さん、どうもです。
>そ~ら、やっぱり来た。その次は九州か?

記事読みました。これこそが、私の言う「偏狭なナショナリズム」なのです。
彼らと同じレベルに日本を貶めてはなりません。
相手が横車を押すのであれば、毅然としてそれを押し返す。
そういう態度が求められているのです。


楼主さん、どうもです。
>日本のような国はカモにされるだけだ。

だからこそ、「自分の国は自分で守る、自分の身も自分で守るという、自立した国家、自立した個人の確立」が重要であると考えます。


abusanさん、まいどです。
「まんが嫌韓流」手に入らないんですよね(苦笑)。
ただ、聞くところによると、なぜ産経新聞までが広告掲載を断ったのか解らないといわれるほど普通の内容のようですね。
私が言う「偏狭なナショナリズムとそれに基づく偏見」というのは、たとえば「チョン」とか「チャンコロ」という言葉に見られる、中韓と同じレベルの反発のことです。


oomori さん、初めまして。
戦後、日本はずーっと日本国と日本人に自信を持てずにやってきました。
しかし、経済力、国際貢献度において欧米を凌ぐまでになった。
やっと自信を取り戻してきた、というところでしょうか。
したがって、ここで天狗になるのではなく、日本人の特性である「謙虚さ」を踏まえながら、「歴史と文化に誇りを持つ」国民に脱皮しなければならないと思うのです。

投稿: 坂 眞 | 2005/08/02 13:32

①について: ドイツの行為を否定しているわけではないのなら、なぜ①が人類の進歩の標しとして誇ってもよいことなのでしょうか?

投稿: tasuka | 2005/08/03 19:40

tasukaさん、こんばんわ。
>ドイツの行為を否定しているわけではないのなら、なぜ①が人類の進歩の標しとして誇ってもよいことなのでしょうか?

「コソボ紛争では空爆に参加した」これはNATOの構成員である以上仕方がない。
しかし、「湾岸戦争では対空ミサイル部隊を派遣」したことは、ドイツ基本法の理念からしても疑問が残るようです。
世論の反発は半端ではなかった。
これが、今回、ドイツがイラク派兵を見送った遠因のようです。
しかし、フセインの侵略行為に対抗したという意味で、私は否定しません。
ただ、カネは出したが兵は出さなかった、という日本の判断の方が私は正しかったと思っています。
イラクへの自衛隊の派遣も、「復興支援」という一点で私は支持します。
米英とともにイラクを攻撃することはできません。
日米安保の片務的性格を、私は双務的なものに変えるべきだと思っています。
しかし、それは日米相互にとって死活的な問題に限るべきであると考えます。
具体的には、朝鮮半島と台湾です。
「ただ、今の東アジア情勢を鑑みると今後は分からないが」と書いたのは、そういう意味です。

投稿: 坂 眞 | 2005/08/03 20:49

こんばんわ
以前トラックバックをいただいたあるすです

今回、こちらからTBをした記事は、この内容には直接関係ないかもしれませんが、「今の日本人」が見つめて欲しい内容の本でありました
なので、もしこの拙い書評を見てくれる人が居たら、ぜひこのブログも参考にして、大人から日本に関する意識を改めて欲しいと考えます

投稿: あるす | 2005/08/04 00:11

あるすさん、こんにちわ。
書評拝見しました。
>そりゃ戦争なんぞしないにこしたことはないが、日本が行った事をいつまでも言うよりも、じゃぁどうしたらいいのか、という議論に花咲かせて欲しいものだ
それぐらい成熟した考えに至ってもいいんじゃないかな、いい加減

そのとおりですね。今の日本の立場及び国際情勢を踏まえたうえで、
憲法前文にあるような「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている 国際社会において、名誉ある地位」をどうしたら占められるのかを考えるべきだと思います。

投稿: 坂 眞 | 2005/08/04 14:10

人気のブログ・ランキングに「グローバル・アメリカン政論」を登録しています。日本の指針について戦後を通じて個々の問題ばかりが議論されてきた現状が何とかならないかとの思いでTBしました。賛否はあるかと思われますが、宜しくお願いいたします。

投稿: 舎 亜歴 | 2005/08/05 23:02

舎 亜歴さん、おはようございます。
Blog拝見しました。
日米同盟を基軸とするのは同感です。
が、私はグローバルなレベルまで拡げるべきではないと考えています。
東アジアからマラッカ海峡までが、日米の共通利害でしょう。
ただ、国連決議に基づく場合は別途考える必要があると思います。

投稿: 坂 眞 | 2005/08/06 09:14

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