日系米人強制収用の教訓
米国政府及び米国人の差別と偏見に屈することなく闘い抜いたFred Korematsu氏が、San Francisco Chronicle紙に寄稿した記事にめぐり合ったのでを転載する。
なお、直訳的な文章で読みづらいと思うが、ご容赦願いたい。
この一文を読んで、私が言うところの「偏狭なナショナリズム」について、多少なりとも
考えていただければ幸いである。
我々は、果たして日系アメリカ人強制収用の教訓を再び学ばなければならないのか?
Do we really need to relearn the lessons of Japanese American internment?
Fred Korematsu
Thursday,September 16,2004 San Francisco Chronicle
1942年、湾岸地区に住む私は、日系アメリカ人であるということで逮捕され、有罪を
宣告された。当時、私の逮捕を新聞は、大見出しで「ジャップのスパイ、サン・リアンドロで逮捕」と報じた。
もちろん、私はスパイではなかった。政府も私をスパイとして告訴したのではない。私は米国市民である。オークランドで生まれ育った。沿岸警備隊に志願したことすらあった(人種を理由に採用されなかったが)。しかし、私の市民権も忠誠心も、連邦政府にとって問題ではなかった。1942年2月19日、日本人の血を引く誰もが、西海岸から退去するよう命じられた。私は日系アメリカ人であるために告訴され、有罪宣告を受けた。私と
同じ地域に住んでいた日系人も全員が強制収容を命じられた。
私はそのとき、私の有罪宣告をめぐり闘った。私の事件は米最高裁まで持ち込まれたが、合衆国憲法の下での保護を求める私の努力は1944年に却下された。
1945年に釈放された後も、私の犯罪歴は人生に影響を与え続けた。仕事を見つける
ことも困難だった。私は犯罪者と受け止められた。事件の再審が認められるまで、ほぼ
40年の歳月と多くの人々の努力を要した。1983年、連邦裁判所判事は、米国政府が
証拠を隠蔽し、私の訴えに関して最高裁で偽証していたことを見出した。判事は、日系アメリカ人が、政府が公に主張したような脅威ではなかったことを理解した。私の犯罪歴は抹消された。
私の事件が裁判で再考されたことと、全国の多くの人々の再度の努力の結果、米国
議会は日系アメリカ人の排除と拘禁について調査する委員会を設置した。委員会は、日系アメリカ人による諜報活動や破壊行為が行われたことはなく、日系アメリカ人を
拘禁する軍事的必要性もなかったと判定した。委員会の調査結果と、戦史研究家による原文記録の再調査に基づき、議会は「1988年人権保護法」を採択し、日系アメリカ人の拘禁が不当であったと宣言した。ついに、両肩に圧し掛かっていた“敵性人種”という非難の重荷から、私達は解放されたように見えた。
しかし、今、過去の非難がよみがえっている。フォックス・ニュース(注-1)のパーソナリティ、ミッシェル・マルキン(注-2)は、第二次大戦中に何人かの日系アメリカ人はスパイだったと主張している。ミッシェル・マルキンは自らの疑念に基づき、全ての日系アメリカ人の強制収用は、結局悪い考えではなかったと主張する。彼女は、アラブ系アメリカ人を人種的に分別することはテロとの闘いの必要性において正当化されるとも主張している。マルキンによれば、少数民族に属する何人かの個人が怪しいのであれば、少数民族全体の市民権を剥奪することは問題なしというのである。マルキンは、古い罪の
概念を復活させることを唱えている。
第二次大戦中の、政府による日系アメリカ人拘留が正当かどうかについて、再び真剣に議論される様を目にするのは、痛ましいことだ。私は、私の事件や日系アメリカ人
強制収容事件が、人種や民族をスケープゴートにする危険性を想起させることを望む。
少数民族に対する恐怖や偏見は、あまりにも容易に想起され誇張される。そして、しばしば、恐怖を煽る人々の政治課題に貢献する。このようなスケープゴートの結末が、
どのようなものであるか、不当な容疑が政府により事実と承認された後、汚名を晴らすことがいかに困難であるかを、私は知っている。もし誰かがスパイやテロリストである
ならば、彼らはその行為によって告発されるべきである。単に同じ人種とか、民族とか、宗教とかを理由に、スパイやテロリストとして拘束してはならない。日系アメリカ人強制収容事件によって、そうした原理が学ばれていないなら、私達の民主主義にとって極めて危険な時代である。
(訳:坂 眞)
↓英語の得意な方は、以下の原文をお読みください。
Do we really need to relearn the lessons of Japanese American internment?
Fred Korematsu氏は本年3月30日に逝去された(享年86歳)。
正義をもとめて(amazon)
(注-1)Fox News
(注-2)Michelle Malkin
ちなみに彼女はフィリピン系米国人である。自身もマイノリティなのだ・・・アホか?
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コメント
マイノリティであればあるほど、主流に迎合する必要があるのだろう。米国の主張が正義だと信じて兵役に就くのではなく、米国への忠誠を他人に示すために兵役に就くマイノリティが多いとも聞く。簡単に言うと「私は他のマイノリティとは違うんだ」ということだろう。
とここまで書いて、日本にも似たような考えの人たちがいることに気づいた。「私は他の日本人と違って中国や韓国に申し訳ないと思っているんだ」という人たちだ。
ただし米国をうらやましく思うのは、その忠誠を示す対象が当然のことながら米国であることだ。日本の場合にはなぜか外国に向いてしまっていて、当然であるべきことが当然でなくなっている。
投稿: 楼主 | 2005/08/06 00:36
楼主さん、こんばんわ。
>「私は他の日本人と違って中国や韓国に申し訳ないと思っているんだ」という人たちだ。
こういう存在は、日本の特殊事情だと思います。
世界的、歴史的に見ても、「異常」ですね。
投稿: 坂 眞 | 2005/08/06 20:59
こんにちは。
アメリカの人種問題は、日本では未だに白人対黒人のイメージがありますが、実はマイノリティがマイノリティを差別しあっているらしいです。
坂眞さんが上記で紹介されたとおり、体制に付いていたいマイノリティが支配層に迎合するのは、別にアメリカに限りません。巧妙な“分割統治”の一環でしょう。9.11以降のイスラム系移民に対して迫害がなされたように、常にこのようなことは繰り返されると思います。
フィリピンは20世紀前半にアメリカにより、20万もの人々が弾圧、虐殺されましたが、もちろん抗議はしませんね。人間は強い相手にはひれ伏し、弱いと見ると付け上がる生き物ですから。
投稿: mugi | 2005/08/07 16:31
mugiさん、こんばんわ。
>巧妙な“分割統治”の一環でしょう。9.11以降のイスラム系移民に対して迫害がなされたように、常にこのようなことは繰り返されると思います。
>フィリピンは20世紀前半にアメリカにより、20万もの人々が弾圧、虐殺されましたが、もちろん抗議はしませんね。人間は強い相手にはひれ伏し、弱いと見ると付け上がる生き物ですから。
人類に、もし「進歩」というものがあるとすれば、ご指摘の点を克服できたときでしょう。
ただ、前途多難ですね。
憲法前文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義」が具現化する日は来るのでしょうか?
投稿: 坂 眞 | 2005/08/07 20:14