東京大空襲の悲惨を忘れてはならない
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10万人の市民の命が奪われた東京大空襲から61年たった10日、東京都墨田区横網の都慰霊堂で、空襲と関東大震災の犠牲者の霊を慰める「春季慰霊大法要」が開かれた。
法要には三笠宮さまや石原慎太郎都知事も出席。石原知事が「恒久平和と永続的な安全を実現するため、私たちはより一層の努力をし、戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継いでいきたい」と追悼の辞を述べた後、三笠宮さまや遺族の代表が焼香をした。
(後略)
東京大空襲:慰霊堂で大法要 恒久平和と永続的な安全を…
(2006年3月10日毎日新聞)
1945年(昭和20年)3月10日の米軍による東京大空襲は、1日で死者10万人以上を出す地獄を生み出した。1機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29が、低空飛行で東京の下町を襲ったのである。約100万発(2000トン)もの焼夷弾が無差別に投下された。
米軍はまず、先発部隊が江東区・墨田区・台東区にまたがる40k㎡の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作った。これは、火の壁を作ることで市民の逃げ道を断ち、猛火の中に閉じ込めることが目的だった。そして、火の壁の中に閉じ込められた状態の何十万人もの人々の頭上に焼夷弾を雨あられと投下した。
つまり、東京大空襲は、あらかじめ予定された区域内にいる人間を全て焼き殺すように綿密に計画された無差別集団殺戮(さつりく)だったのである。
普通であれば、電力、水道、通信施設などのインフラや工場などの生産設備を破壊して、相手国の継戦能力を殺ぐ。したがって、通常は高性能爆弾を使う。これなら、市民=非戦闘員の被害は少なくてすむ。
しかし、米軍は爆弾ではなく高性能焼夷弾を使った。しかも、工場が密集した地域ではなく、一般市民が密集して暮らす住宅街を狙った。焼夷弾で一般市民を焼き殺すために。
これは、世界史に残る残虐行為であり、彼らが極東国際軍事裁判で裁いた「人道に
反する罪」以外の何ものでもない。
炎から逃げ惑う市民には超低空飛行のB29から機銃掃射が浴びせられ、なんとか隅田川に逃げ延びた人たちも、川面(かわも)をなめるように駆け抜けた焼夷弾の炎で焼き殺された。
幼子を背負ったまま焼かれた母親の背は白い、そして子供は・・・/浅草・花川戸
私は去年の8月に、上記の写真を見て泣いた。
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読者の皆さんの中には、米軍は紳士的だったと思われている方もおられるかもしれないが、これは、とんでもない誤解である。
以下の記事は、昨年の週刊新潮8月11・18日夏季特大号に掲載された帝京大学教授・高山正之氏の連載コラム「変見自在」に、私の持つ知識を加味したものである。
映画「パールハーバー」の中の、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦が
ばたばた殺されていく場面を見て、石原東京都知事は「嘘が多すぎる」と言って怒った
そうである。これは、明らかに米国の捏造である。
元JAL機長で、真珠湾攻撃にも参加した藤田怡与蔵氏は、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことを思いつきもしない」と言っている。
「米軍のパイロットならいざ知らず」とは、つまり米軍機は、非戦闘員や非軍事施設を
狙うのが常だったということだ。石原知事自身が「麦畑を走っていると米軍のP51がきて機銃掃射された」という。
また、知事は、二子玉川(東京)の床屋で、「橋を渡って東京側に逃げる若い女性を
米軍機が低空飛行で追跡し撃ち殺した。パイロットの顔が地上からも見えた」という話を聞いたとも語っている。
1942年東京に飛来したB25は、超低空で飛行し、必死で校舎に逃げ込もうとする国民学校高等科の14歳の少年を撃ち殺している。
高山正之氏によれば、米軍機が女子供を狙い撃ちした事例は数え切れないほどあるという。要するに、彼らは狩猟感覚で日本の市民を撃ち殺していたということである。
我が国が無条件降伏をした後に進駐してきた米兵の蛮行ぶりも凄まじい。
米軍が最初に進駐した神奈川県では、一ヶ月に何と2千件もの「大きい男」による婦女暴行事件が起きた。「大きい男」とは米兵のことである。連合国軍総司令部(GHQ)が、新聞検閲で米兵をそう表記するように命令したのだ。
米兵による婦女暴行事件の続発に驚愕したGHQは、既に日本政府から申し入れのあった、米兵のための「慰安所」を急ぎ用意させる。
GHQの意を受けた政府は、1945年8月26日、特殊慰安施設協会(RAA=Recreation and Amusement Assoiation)を設立。大義名分は「良家の子女の防波堤」づくりであった。
翌27日、施設第1号として大森小町園が開設され、初日から米兵の乗ったジープが群がって行列を作った。政府は、この日以降、東京に3カ月間で25カ所の施設を設置し、慰安婦は1600人に及んだ。
この慰安婦たちの大半は、焼けたり潰れたりした工場で働いていた、農村出身のうら
若き女工たちだった。
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本土空襲の指揮を取っていたカーティス・E・ルメイ少将は、明かに非戦闘員を狙ったとする批判に対して、戦後の回想録のなかで次の様に述べている。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を
攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…」
これを、「こじつけ」、あるいは「強弁」、もしくは「責任転嫁」という。まったく反省していないどころか、罪の意識のカケラも感じられない。我々日本人(有色人種)を見下した態度は、傲岸不遜そのものである。
我が国と米国は今、政治、経済、軍事において密接な関係にある。米国は、かけがえのない同盟国である。
しかし、米国が我が国に対して犯した過去の戦争犯罪を忘れてはならない。
いまさら米国を声高に非難するつもりはないし、反米感情を煽る気もない。仮に、そんなことをしても何のプラスもない。が、歴史の事実や相手を知った上で、初めて真の友好・同盟関係が生まれるのである。
エノラ・ゲイの機長は、90歳を越えた今も相変わらず、「連合軍が本土上陸作戦を決行していたら、日本人や連合軍兵士の多くが犠牲になっていた」として原爆投下を正当化している。
しかし、ジョン・F・ケネディ政権で国防長官だったロバート・マクナマラ氏は、「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」と告白している。
マクナマラ氏は経営管理の理論を戦争に応用した。攻撃効率を高めるために統計を
取り分析した。彼の報告書を基にして日本に無差別絨毯爆撃が行われた。
つまり、マクナマラ氏は本音の部分では、自らの所業を「戦争犯罪」として後悔しているのだ。
ちなみに、彼の報告書を採用した上司は、後に東京大空襲を指揮し、広島・長崎に
原爆を落とさせたカーティス・E・ルメイ少将だった。
エノラ・ゲイの機長もカーティス・E・ルメイ少将も、建前はともかく、本音の部分では反省しているのかもしれない。が、自らの行為を公に否定することは彼らにはできない。なぜなら、それは「米国の正義」を否定することになるからだ。
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国際政治は冷酷非情である。勝者は「善」で敗者は「悪」。勝者は裁く側にあり、敗者は裁かれる側にある。
しかし、冷静に考えれば、戦争に「善」も「悪」もない。近代史において、戦争はすべて「自衛のための戦争」であり、「侵略のための戦争」なんかない、当事者にとっては。
実際上、「自衛戦争」と「侵略戦争」を区別することなどできない。列強は、我が国も
含めて「国家政策の手段としての戦争」、つまり侵略戦争を1928年の不戦条約によって放棄した。が、その後も戦争が絶えることはなかった。
イラク戦争も、フセイン政権やイスラム原理主義の側から見れば、「米国による侵略戦争」であり、米国の側から見れば「フセイン政権の持つ大量破壊兵器(?)やテロリストから我が身を守るための自衛戦争」である。
そして、勝った側が「善」で、負けた側が「悪」になる。
戦争には、過ちもあれば、やむを得ないこともあれば、正当なこともある。一方的に、
どちらかが被害者で、どちらかが加害者というものではない。加害者の面もあれば被害者の面もある。
その時々の時代背景によって避けられなかった戦争もあるし、戦場の狂気が生み出した悲劇もある。
そもそも戦争自体が残酷なものなのだ。
しかし、その本質的に残酷なものである戦争が、この世からなくなることはない。政治・経済が国家を基本に成り立っている限り、利害が対立し摩擦が起こる。この摩擦を話合いで解決できなければ、実力で決着をつけるしかない。
それは我が国にとっても例外ではない。
したがって、我が国にも、そのための準備と用意が必要なのである。
なお、ナチスのホロコーストは、戦争と直接的に結びつくものではない。これは「戦争がもたらした悲劇」ではなく、ナチズムから導き出された「人類の惨禍」である。
本日のエントリーは、昨年8月に書いた「残忍な人たち」をリニューアルしたものである。
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コメント
そうですね。
私の亡くなった祖母が、私が小さいとき、よく言ってましたよ。
「アメリカの飛行機が、校庭の逃げる子供を狙って、機銃掃射したんだ」ってさ。
投稿: miekun | 2006/03/10 22:26
本日のエントリーは大変すばらしいものですね。
戦争とは「光」と「闇」が複雑に折り重なっているものなのに、闇の部分しか強調せずに、しかも歪曲し活動している一部の方々に呼んでいただきたい(右○とかレッテルを貼られるのがおちですがw)
投稿: 黒星★ | 2006/03/10 22:35
両親はアメリカもロシアも大嫌いです、個人を嫌っているのでなく国が嫌いなのです。
私は戦争の経験が無く、文書や映像で紹介されるのみですから本当の悲惨さは実感できません、したくも無いですが。
しかしどこで戦争が起きるかは解りません、いざとなったら戦わざるを得なくなる、有事に備える事で戦争の目を潰す戦略も必要と思います。
もう一つ、現代はテロリズムが国内でも起きたように現実的な敵ではないでしょうか。
或は、オウムもかの国との関係が深いといわれているように、敵性国家は正面戦争を避け、テロ組織を送り込む戦法を採る事が予想されます。
東シナのようなあからさまな侵略には正面から対抗し、テロやスパイ行為には厳重な監視と摘発が必要だと思います。
投稿: MultiSync | 2006/03/10 23:31
miekunさんのコメントと同じで恐縮ですが、
私も祖母から聞いています。私の祖母は大阪在住でしたが、空襲警報が鳴り路地を家に向かって走っていた時機銃掃射に狙われて、マシンガンが自分の横をダダダっといったと。
いまさらアメリカに対してどうこうは言うつもりはありませんが、仰るとおり日本人が日本人であるために、このような事実は忘れてはならないと思います。このような欠片の記憶を集めなくては、ならないのかもしれません。
投稿: peco | 2006/03/10 23:33
私も今の米国にどうこう言いつもりはありませんが、日本人に対して行った残虐な行為は決して忘れませんし、私なりに伝えていくつもりです。原爆の日に近づくと「おのれ鬼畜米め!」と思ってしまいます。
建前は親米で本音は反米です。国益になるなら親米になります。
投稿: 原爆を正当化したのは誰か? | 2006/03/10 23:51
<米兵による婦女暴行事件の続発に驚愕したGHQは、日本政府に命令して、米兵のための「慰安婦」を用意させる。
無条件降伏直後の8/17に日本政府は占領軍に対して「慰安所の設置」を要請しておりますが
投稿: はまちゃん | 2006/03/10 23:54
こんばんは、坂眞さん。
かのリンチ裁判(いわゆる東京裁判)においても、所詮、勝てば官軍です。東京裁判の裁判官の中では唯一国際法にも明るく、当時の日本の首脳をすべて無罪にして、戦争犯罪を問うのであれば、原爆も含め、戦勝国も問われてしかるべき、という意見に賛同します。
今更、米国に謝罪や賠償を求めてる気は、私はありません。が、やはり、例え大国であれ、履行しなければならないルールを作り、破ればペナルティを与えられるような組織・力は必要だと思います。それを、今の国連に望む気は、全くありませんが。
それにしても、ドイツ人はいいですよね。独裁者とはいえ、最初は民主的に選んだ者・組織をスケープ・ゴートにできるのですから。その点、総括はされていないとはいえ、一個人・組織のせいにしない、我が日本国民の方が、まだマシ(というか卑怯でない)と思います。
(現状では、米国に謝罪や賠償を求められるのは、次回の戦で勝った後ですね。そういう力がモノをいう世界は、恐らく変らないでしょうね。)
投稿: Mars | 2006/03/11 00:20
こんばんわ。
先の戦争に一般市民として災禍にあった祖母の話では、「鬼畜米英」と呼ばれたアメリカの攻撃は正に人間まがいのものであったそうです。原爆投下の一つをとっても、その当時の米国という国単位においては、その呼び名は間違ってはいなかったと確信しております。
投稿: 城戸玲士 | 2006/03/11 00:28
まったく同感です。たった60年前の事ですが、この国の反省は謝罪と補償を求める、
国だけに向けられている事はとても悲しいと思います。宗教全体ですが、特にキリスト
教は異端者に対してモラルを超えた事をします。 南洋のビスマルク海戦の対象は軍属
ですが明らかに一線を越えた行為があったと思います。帝都の計画殺人とあわせて、戦争の
本当の姿の一面として、再認識する必要があると思います。
まぁ、捏造同然の戦争記録・教育をしている国を正す事と、不法に国境線を変更している国
に襟を正してもらうのが先ですが。
投稿: mhotoo | 2006/03/11 01:57
まあ、ナチの所業も「人間性の発露」ですからね。
投稿: 煬帝 | 2006/03/11 02:27
第二次大戦時のこういう現実は欧米にはほとんど知られていません。 以前、江戸東京博物館を訪れた時、東京大空襲の映像を食い入る様に見ていたヨーロッパから来たという白人に声を掛けたところ、「この字幕(日本語しかなかった)は何て書いてるのか?」などと質問されました。更に、こんな凄まじい爆撃が東京のみならず、日本全土の主要な街に及んだことを知っているのか訊ねたところ、(あまりの悲惨な映像に)顔色を失って「全く知らなかった・・・」とつぶやいた様子が印象的でした。 以前勤務していた外資系企業での同僚外国人も、会社の周辺が焼け野原であったこと、社屋の窓から見える首都高や新幹線は世界銀行から借金して造ったことを教えると、「うっそだぁ~!ホントなの???」ってな反応でした。世界の人々は、あの大戦で、日本は大した被害を受けなかったから、戦後の発展が可能だったと思ってます。 もっと真実を発信しなければ!!!
投稿: 朴訥 | 2006/03/11 02:30
こんにちは。
そんな鬼畜と言われたルメイに対し、勲一等を送った日本。
そんなルメイですら必要ないと言った原爆を投下したアメリカ。
やるせない気持ちになります。
そして原爆の惨状を知らない多くのアメリカ人。
日本が世界に発信すべき事がいっぱいあるように感じます。
投稿: 佐々木隆吏 | 2006/03/11 02:43
戦争の悲惨な話は、聞いたり見たりするたび胸が締め付けられる思いがする。戦争による被害者は前線にある軍隊だけではない。内地に残る後方家族にまでその被害は及ぶ。戦争の災禍は全国民にふりかかってくる。かつて、日本は十数年に亘って戦争を続けた。国民の苦しみと悲しみはどれほどのものだったろう。絶対に戦争はしてはいけないと痛切に感じる。
開戦のきっかけは、ハルノートを突きつけられた時だと聞く。だから仕方が無かったのだというのが戦争肯定者の言分だ。しかし、他の選択肢はまったくなかったのか、というとそうでもないような気がする。戦争を止めようとする人物もいた。しかし、御前会議当時の「空気」は戦争しかないという意見が支配的で、反戦論者は冷たくあしらわれたようだ。残念なことだ。
ハルノートに関して様々な憶測がある。ハルノートの原案はロシアのスパイが作成したもので、ことさら日本に対して厳しい内容になっていたようだ。当時のロシアの思惑は、日本とアメリカを交戦させたいというものであった。みごとに成功したといえる。当時、日本の外務省はこのことを知る由もなかったであろう。この事実のみをもってアメリカを開戦に踏み切らせたと言うつもりはないが、重要な事実であることは疑いようがない。
それにしても、世界の歴史を動かしているのは影で暗躍する工作員ではないかというほど、歴史的事件の陰で諜報活動が繰り広げられている。日本ももう少し、諜報活動に目を向けてもらいたい。そんなことはあってはならないという建前論だけでは、国益を守る事はできない。諜報活動の監視を強化することで、むやみな災禍を避けることができる。二度と過ちを繰り返さないためにも重要な事だと思う。
投稿: プライム | 2006/03/11 03:20
ルメイは、その後もベトナム空爆
「石器時代に戻してやれ」と強弁。
彼は反省しないというより
小心者で、負けたら裁かれるから
なんとしてでも勝つという人間だったのでしょう。
ルール有りき戦争といますが
内実は、ルールなんぞありゃしない。
そんな昨日の東京は寒くて
黙祷を捧げるにも悲しい空でした。
投稿: 慶次 | 2006/03/11 03:53
まあ、こういった態度がテロリストを喜ばせる要因に
なっているのですな。ウサマ・ビンラディンにさほど
非難の声が挙がらないのは米国の傲慢な部分も
ある訳でして。米国は過去の自らの所業を真摯に
受け止め、今後の戦いの教訓としなければならない。
さもなくば待っているのは亡国への道である事を
米国市民は知らなくてはならない。
投稿: abusan | 2006/03/11 08:55
3/10は東京大空襲があった日だったのですね。
もう随分前になりますが、
早乙女勝元さんが書かれた「東京大空襲」を読んだ事があります。
お母さんと子の焼けた写真を撮ったのは石川文洋さんでしたでしょうか?(間違っているかも)
オイラの親は、もういないのですが、当時は頭巾をかぶってやっとの思いで逃げたそうです。
それから比べれば、おいらが育った時代(S34生)は、まだ貧乏だったが幸せだし、いまの子供に比べても良いように感じます。
戦後60年が経ち、忘れかけそうになっていましたが、こういった大切な歴史は、語り伝えていかねばならないことです。
投稿: ぽんちゃん | 2006/03/11 12:44
アメリカ軍の蛮行は第二次大戦に従軍していたリンドバーグが日記に記しています。
米軍は投降しようとして白旗を振っている日本兵を射殺して投降させなかったそうです。
日本兵の死体の口をこじ開けて金歯を探したり、死体の耳鼻をそいだりしたとも。中には生首を蟻に食わせようとした兵隊から生首の悪臭がひどいので生首を取り上げたとか。
英軍は日本兵の捕虜を川の中州の小屋にある収容所に収容した。沢蟹がいたが、その沢蟹にはコレラ菌を持っていると日本兵に伝えた。その上で、日本兵捕虜に食事を与えなかった。飢えた日本兵は沢蟹を食べた。そしてコレラで死んだ。英兵は「沢蟹はコレラ菌を持っていると伝えたが、日本兵はそれを食べて死んだ。大変遺憾である。」と上司に伝えた。
投稿: 極めて紳士的な犯罪 | 2006/03/11 12:54
以前、外国人が見て鬱になるアニメのbest1が「ほたるの墓」であると聞きました。この日本が誇るスタジオジブリの作品を、世界に広めていったら良いのかもしれませんね・・・。
投稿: funi | 2006/03/11 13:14
単なる親米保守小泉信者かと思ってたらそうでもないようですね。はっきりいって、中共より非道です当時のアメリカは。
GHQの洗脳でそれをいとも簡単に忘れて有り難がってた日本人も情けないですけどね。
投稿: air | 2006/03/11 17:18
そうですね戦争は残酷ですが、政治的に解決出来ず、一方にでも戦争をしたい気が有れば戦争に成ります、当時8歳の子供でしたが海戦のラジオ放送、大人は平静でしたね。当然来るべきものが来た、翼賛会の父も年だけど又来るかな?、叔父も満州かいな~ななんて云って居ました(決局はタシケントに抑留)。
空襲は無差別ですから怖いです。シャ、シャ、ドカ、ドカと音がして火が出る、油脂焼夷弾ですから川の中でも火が流れます。焼け跡のは来ませんが平地を逃げる人間にはグラマンが機銃掃射、一度は防空壕から顔を出した途端に目の前にグラマン、操縦士の顔が見えた気がしましたが硬直し動けません、飛び去ると同時に防空壕に飛び込む意気地の無いものでした。
家族がバラバラに疎開、小生の場合運悪く疎開先でも一ヶ村が爆撃され中に居ました。
逃げる時、隣の家の中を通り抜けたのですが昼寝中のお爺さんが腹に焼夷弾が直撃汚物の中を夢中で逃げ、ムシロをかぶり機銃掃射から身を守って居ました、気が付けば片方に「下駄」片方に「筆巻き」丁度習字の宿題製作中でした。
2度の焼け跡の匂いは生涯忘れられない様です。
最後は疎開先が空襲の通路でしたからグラマンには良い様に痛めつけられました。
それでも「終戦勅諭」真夏神社境内で聞いたのですが訳が判らず、翌日まで「勝った」と思って居ました、翌日には少年と女は食われるなんて話で、山に逃げようと話合ったものです
から疎開先から再度母が迎えに来て帰る時の車中、アメリカ兵に対する恐怖感は忘れられません。
日本には避けられない戦争で有ったのでしょう。米英の日本に対する対応、子供心に「大東亜会議」が開かれ、開戦後のレパルス、プリンス、オブ、ウエールス、シンガポール、マレー、パレンバンの空の神兵、「聖戦」と云う表現はは今でも正しいと思っています。
戦争は最終手段でしょうが、やはり国としては戦争する為ではなく国民を守る為にも平素から、心がけておくのが世界の常識でしょうから、平和の為にも隙を見せない断固たる姿を日本は見せて置くべきと思います。
考えて見れば開国後4,50年で世界の5大国、日清、日露、日米と戦い、自国より小さな国とは事を構えていない、これが日本ですと大声でも云えると思います。
投稿: 猪 | 2006/03/11 17:27
皆さん、こんにちわ。
コメントありがとうございます。
私も建前は「親米」ですが、内心は「強烈な反米」です。
米国だけではなく、米国人も嫌い。
世界のどこに行っても米語をしゃべるのが当たり前と思っている連中。
東京大空襲や原爆だけではない。
洞窟に追い詰められた日本兵を火炎放射器で焼き殺す。
戦場でも、そんなことを平然とやっていた。
まあ、戦争だから仕方がないと言われればそれまでだが・・・
こんな国が、正義の味方面をして、「この裁判の原告は文明である」などと大見得をきって、我が国の戦争指導者たちを裁いた。
そんな裁判の、どこに正当性がある!!!
私は3月10日、7月2日(沖縄戦終了)、 8月6日、9日、15日になると極めて不機嫌になる。
投稿: 坂 眞 | 2006/03/11 17:50
亡くなった祖母に生前、戦争中の空襲体験を聞いたことがあります。
「そら怖かったよー。上から火が落ちてくるみたいやったわ」
当時大阪に住んでいた祖母は、幼かった子供達を連れて空から容赦なく降ってくる焼夷弾から逃げ回っていたそうです。
民間人を容赦なく皆殺しにする「無差別爆撃」など、人間のすることではありません。
<funiさん
『火垂るの墓』いいですね。私も見たあとは涙が止まりませんでした。以下のサイトで海外の評判が載ってます。
「海外から見た”泣けるアニメ”」 http://moonlight.big-site.net/misc/saddest_anime2.html
投稿: ミスターボールド | 2006/03/11 18:55
すいません。「海外から見た”泣けるアニメ”」のアドレス間違えていたようです。
http://moonlight.big-site.net/misc/saddest_anime2.html
多分これでいけるかと・・・・・・
投稿: ミスターボールド | 2006/03/11 19:01
坂さん、ご無沙汰してます。
東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに日本政府は勲章を与えています。航空自衛隊への指導の功績によるというのですが……。こういうことができてしまうのが日本人なんでしょうね。どこぞの人たちのようにいまだに過去を穿り出して正統性の確認に余念がない連中には思いもよらないことでしょう。あっ、そう言えば元寇で亡くなった蒙古や高麗の将兵を祀る塚をつくりいまだに守り続けているのも日本人なのでした。
それはともかく、『ガラスのうさぎ』をぜひ読んでもらいたいと思います。小学校高学年以上なら読めると思います。そして語学の才のある方、ぜひこの本を世界各国語に翻訳出版していただけないでしょうか。第一次世界大戦以降の戦争は婦女子をも巻き込む総力戦であり、民衆レベルで見るならば戦勝国も敗戦国もないのだということを知ってもらいたいものですから。
投稿: 平 誠 | 2006/03/11 19:17
33年生きてきて、昨日東京大空襲の内容を下記のサイトを見てはじめて知りました。しばらく涙が止まりませんでした。広島、長崎の話はかろうじてTVで報道されているのに、なぜ都市空襲については報道されないのでしょうか?昨日、東京大空襲があった日であることをながしたニュース番組ってどれぐらいあったんでしょうか?
事実を伝えることを封じられている現状が許せません。今まで知らなかった自分も許せません。日本を悪者に仕立て上げ、自分達は正義だとのたまい続ける国も国民も許せません。
今まで転職の時に有利だからと思って英語を勉強してきましたが、これからはより多くの国に、人に、事実を知ってもらうために英語を勉強していこうと思いました。
私も、今の世界情勢を考えると、日本は親米でなければいけないと思います。でも憎くて憎くて苦しいです。今後自分が、日本に来られた米人観光客に親切に接することができるかどうか不安になります。
http://www.ihope.jp/tokyo-bomb.htm
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
投稿: Y | 2006/03/11 20:47
東京大空襲は民間人を巻き込んだ人道上許されない暴挙だと思います。
ただ、東京大空襲を語り継ごうという人たちの多くが、その事により日本人の反米感情を煽り、日米同盟にくさびを入れ結果的に中共を利する事になるを意図しているのではと思えてしまいます。
日本が憲法を改正し自力で国家防衛が可能になるまでは、日米同盟は日本の安全保障の要だと思います。
過去を振り返ることはとても重要なことだと思いますが、中韓のように過去に拘泥して国家戦略の本質を見失わないようにしたいと思います。
投稿: yuki | 2006/03/11 22:00
はじめてコメントします
涙がとまりません、、、。
両親も戦後生まれ、祖父も大叔父たち親戚も
誰一人として戦地に行きませんでした
そして今まで恥ずかしいですが
何も知ろうとせず生きてきました
日本人は、どこかの国の国民と違い
補償や謝罪をしつこく求める物乞いにもならず
今日の日本をここまでにしてきたのですね
今日ほど日本人として、日本に生まれたことを誇りに思い
無知な自分を恥ずかしく感じたことはありませんでした
ありがとうございました
投稿: nana | 2006/03/11 22:06
はじめまして。
>我が国が無条件降伏をした後に進駐してきた米兵の蛮行ぶりも凄まじい。
日本は無条件降伏したとお考えですか?
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08i.htm
日本は無条件で降伏したのだから戦勝国に何をされてもしょうがない、と思わされて来ただけではないでしょうか。
昨年の終戦日も、多くのサイトで今日は日本が無条件降伏した日と書かれてありました。
なかには終戦記念日と記載されてある所も有り、かなり憂鬱になりました。
終戦=敗戦を記念する日と表現する事に違和感を覚えない者の多いことに対してです。
投稿: 黒伏 | 2006/03/11 22:30
米軍による都市無差別空襲は確かに残酷でした。これによって失われた日本人の生命は数十万に上り、失われた官民資産は当時の日本の国富の半分と言って良いかも知れません。
ただし、アメリカは日本が手を上げた後に日本人を虐殺したり略奪したりはしませんでした。全ての国際法を無視して、停戦後に日本人に不法の限りを尽くしたソ連の行為を想起しますと、私はアメリカをあまり怨む気にはなれません。
投稿: おやじ | 2006/03/11 23:14
真珠湾攻撃の後に帰国した淵田中佐が天皇に拝謁して、「病院船は爆撃しなかったか」と言う質問をされたことがあります。
大体日本は、貧乏国で、ゼロ戦に搭載する20ミリ機銃も定数の半分程度しか携行できなかったと言うエピソードもあって、とても、非戦闘員を攻撃するだけの余裕などなかったと思います。
あと、映画「大東亜戦争と東京裁判」の中の一シーンに、裁判する側が、日本が自国民に対してすら何をもたらしたかは外を見れば一目瞭然だ、などといった場面があったのには、憤慨しました。
本土が焼け野原になったのは、アメリカの爆撃のせいであって、焦土戦術をとった訳ではないのです。
要するに、早く負けないから、こうなったのだ、自業自得だ、と言いたいのか(もともこの映画は日本映画ですが)。
投稿: DUCE | 2006/03/12 08:23
はじめて書き込みさせていただきます。
自分がアメリカ軍に対し怒りを覚えることがあります。それは終戦してから60年がたつというのにアメリカ軍の考え方あり方がほとんど変わってないことです。
イラク戦争ではたくさんの民間人および民家がミサイルの誤爆を受け被害にあっています。東京で行われたことと似たようなことを現在でもしているんです。
戦争は残酷です。しかし人間は戦争で多くのことを学ぶことができます。でもアメリカは学ぼうという姿勢すら見えません。
アメリカに過去の謝罪や賠償は求めません。ただ学んで欲しいです。『火垂るの墓』は名作ですね。幼いころこのTVで観て大泣きして母を困らせたことを思い出しました。
投稿: ササオ | 2006/03/12 22:44
単なる親米保守小泉信者かと思ってたらそうでもないようですね。はっきりいって、中共より非道です当時のアメリカは。
GHQの洗脳でそれをいとも簡単に忘れて有り難がってた日本人も情けないですけどね。
名前: air | March 11, 2006 05:18 PM
↑何様なんでしょうねこの人は。
投稿: sim | 2006/03/13 15:01
ならば日本軍が真珠湾攻撃の後に、アメリカ本土無差別爆撃したら良かった。日本軍が、だらしなかった。やられて泣くより、やって喜びましょう。これが、「戦争の現実」です。日本国が、「日本人大虐殺をした国」と、「安全保障条約」を結んでいる矛盾も、現実です。
投稿: ゼロ戦大好き | 2010/08/08 11:24