ドン・金丸信の後継者
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政界のドンと言われた金丸信元自民党副総裁がこの世を去って、丸10年。2日、かつての門下生たちが集まりました。
鉄の結束と恐れられた旧竹下派を率いた金丸元副総裁。しかし、5億円ヤミ献金事件をきっかけに、派閥は分裂。近年は、権力の中枢からすっかり遠ざかり、去年の郵政選挙での公認外しなど小泉総理大臣の徹底した仕打ちにあって、門下生たちも別々の道を歩むことを余儀なくされました。
自民党野中元幹事長:「竹下・金丸先生の、血の出るような思いで作った平成研(旧竹下派)が、本当に見るも哀れな姿になるのが耐えられない」
竹下派200人構想をぶち上げ、政界再編をにらんでいた金丸元副総裁。皮肉にも、派閥の弱体化だけを印象づけた、しのぶ会となりました。
今や別の道 「政界のドン」しのび門下生が集結
(2006/04/03/08:20 ANN News)
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金丸信、この男を語らずして、今の政治を理解することはできない。
それにしても、2日の「しのぶ会」は、テレビで見る限り、かなり寂しいものだった。「竹下派七奉行」と称された政治家は誰一人として姿が見えない。
小渕恵三、奥田敬和、梶山静六の三名は故人。橋本龍太郎(引退)は、訪中から帰国直後で、霊前に報告と行きたいところだが、自民党執行部から、「もう橋本さんは、党に座る場所どころか居場所もない」とこき下ろされる体たらく。小沢一郎(民主)、羽田孜(同)、渡辺恒三(同)の三名は、民主党の権力闘争で、それどころではない。
姿を見せた大物(?)は、綿貫民輔(国民新)と野中広務(引退)の両名くらい。
改めて、時代の流れとその変化を痛感する。
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戦後の保守政権は、1972年(昭和47年)に退陣した佐藤栄作政権までは、米国の
庇護の下、米国の後に付いていくだけでよかった。
ところが、佐藤の後を襲って首相に就任した田中角栄は違った。当時の米国のメディアは、「日本に、米国と対等にモノが言える首相が初めて誕生した」と報じた。
が、この米メディアの見方は正確ではない。
1972年1月に、ニクソン米大統領(当時)が、日本の頭越しに中国を訪問した。ニクソンは周恩来、毛沢東の両首脳と会談、米中平和五原則を発表する。
このニクソン訪中の後、自信を付けた中共政権は「日本の佐藤政権、相手にせず!」と、我が国に対して強烈なパンチを繰り出した。この衝撃が、米国の意向に逆らって
まで、田中内閣を日中国交回復=日中友好路線に走らせたのである。
ここから、日米同盟に依拠しながら、中国とも政治的・経済的結びつきを深めるという
外交路線を、我が国の保守政権は取るようになった。
この路線は、実は米国の国益にも合致していた。なぜなら米国は、(旧)ソ連を最大の脅威とみなしており、当時の中共政権も、強烈な「反ソ連」だったからである。中共政権は、「反ソ連」という一点のみで、日米安全保障条約(日米安保)さえ肯定的に評価した。
ここに、東アジアにおける反ソ連共同戦線が成立したのである。
中共政権が日米安保を積極的に評価したときの、社会党(現・社民党)首脳の困惑しきった表情が忘れられない。
田中内閣が登場して変わったのは外交ばかりではない。日本の政治・経済構造も大きく変わった。
田中は、「越山会」という後援会を組織した。そして、「越山会員の建設業者による公共事業受注と、その見返りとしての選挙の際の票とカネ」という相互依存関係を地域社会に張り巡らせた。田中は、こうして地域社会を支配した。
この田中のやり方は、地域社会のインフラ整備と住民の生活向上に大きく貢献した。が、反面、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という手法が自民党内に蔓延し、自民党全体を「金権体質」に変質させた。
また、日本経済を、公共事業に過度に依存させるという、いびつな産業構造に導いた。後々のバブルや借金漬けの財政も、この時期にその土壌が作られたと言ってよい。
この田中の支配は、1985年の「創政会」=竹下グループの田中派からの離脱まで
続く。実に13年近くにわたって、「田中支配」が自民党及び日本を席巻したのである。
この田中支配は上述したように、「創政会」=竹下グループの分派で終焉を迎える。
そして、田中の支配下にあった中曽根康弘内閣は自立し、独自色を強める。中曽根は、国鉄民営化や民間活力活用政策で成果を上げ、竹下登に政権を禅譲する。
ただ、田中派の分裂を機に自立した中曽根政権だが、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という田中的体質は相変わらずで、「土地本位制」とも揶揄された経済体質は、そのまま引き継がれた。
この土壌の上に、円高対策により発生した過剰流動性が、バブルという「あだ花」を
咲かせることになる。
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では、金丸信とはどういう人物だったのか?
金丸は、大正3年(1914年)9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村(現南アルプス市)で造り酒屋を営む父・金丸康三と母・とくの長男として生まれた。
旧制身延中学校(現山梨県立身延高等学校)、東京農業大学農学部卒業。
大政翼賛会の青年組織である翼賛青年団に加わって山梨県の団長・名取忠彦の知遇を得、戦後、彼の下で脈々会に加わった。
東京農大時代は、柔道の猛者(もさ)として鳴らしたという。
田中角栄もだが、金丸も毀誉褒貶の激しい政治家である。国士として尊敬する者も
いれば、単なる金権政治家として軽蔑する者もいる。
私は、融通無碍な寝業師だったと思っている。情にもろく義理に厚い。無定見で妥協を得意とする。私は、金丸の主義主張を聞いたことがない。
金丸は自分のことをよく解っていた。だから、党内最大派閥を率いていながら、ポスト
竹下に推されたとき、これを固辞、自ら宮沢喜一を後継に推した。
こんな金丸が、なぜ絶大な影響力を誇ることができたのか?
それは、まずカネである。角栄式の「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」。これを
徹底した。あるとき、記者会見で、自身の政治資金について質問されたとき、「ワシの名前はカネにマルと書くんだよ」と、冗談とも本音ともつかない言い回しで、資金が潤沢であることを示唆していた。
次に人脈。社会党の田辺誠委員長(当時)とは盟友関係にあった。また、革マル派
副議長(だった?)の松崎明JR東労組会長とも懇意。ニュースステーションが好きで、久米宏のファンだったとも聞いている。
裏社会とも繋がりがあって、広域暴力団稲川会の石井進会長(当時)とは兄弟分だったと言われる。ちなみに、金丸の一の子分を自認していた浜田幸一は元稲川会。
数の力も大きい。豊富なカネと人脈を誇る金丸の下には、陣笠議員が続々と参集。
「経世会」(竹下派)の構成議員は100名を越えた。
金丸は、1985年、勉強会と称して「創政会」を結成する。これは、共通の孫を持つ竹下登を派閥の後継領袖とするためのクーデターであった。これを知った田中角栄は激怒。猛烈な切り崩し工作を行なう。
このとき田中と面会した金丸は、「今までは、おやじさんのために命がけで闘ってきた。これからは、おやじさんと命がけで闘う」と、宣戦布告とも取れる文句を口にしたという。
この死闘は、結局、田中が脳梗塞で倒れたことで、金丸-竹下の勝利に終わる。1987年7月、「創政会」は「経世会」(竹下派)として正式に独立した。
1987年11月、竹下が第74代内閣総理大臣に就任、金丸は「経世会」会長に就任し、
党内最大派閥を率いて自民党のドンと呼ばれるようになる。
金丸の政治的夢は、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を
作るということだった。社会党の田辺との関係は、そういう意味合いも含んでいた。
が、金丸は思わぬところで挫折する。平成3年(1992年)東京佐川急便から5億円の
ヤミ献金を受け取っていたことがが発覚。党副総裁辞任に追い込まれる。それでも世論の反発は収まらず、10月には衆議院議員を辞職、「経世会」会長も辞任した。
田中もそうだったが、政治家は権力を失うと、途端にその闇の部分を追求される破目に陥る。
東京国税局は、東京佐川急便事件を捜査していた東京地検とは別に、金丸が妻(元・赤坂のクラブホステス)が死亡した際に受け取った遺産に着目、内偵を進めていた。
そして、日本債券信用銀行(日債銀・当時)の割引金融債(ワリシン)の一部が申告されていない事実を突き止め、東京地検に告発した(「自民党の打ち出の小槌」と呼ばれていた日債銀内では、金丸のことを“蟷螂-カマキリ紳士”と符号で呼び、銀行ぐるみで不正に協力していた)。
平成4年(1993年)3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を脱税の容疑で逮捕。自宅を家宅捜索したところ、「金の延棒」等の数十億円の不正蓄財が発覚する。
金丸は、来るべき政界再編に備えた軍資金であると述べた。
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金丸信、この男を語らずして、なぜ今の政治を理解することができないのか?
それは、金丸の失脚後、小沢が自民党を離党して新生党を立ち上げ、細川連立政権を樹立したのは、金丸の政治的夢であった、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を作るということに通じるからである。
金丸と小沢のニ大政党論に共通しているのは、結集すべき理念が何なのか明確ではないということだ。だから、新進党に平気で公明党を参加させた。
また、小沢と袂を分かって自民党に残った橋本や野中も、金丸の別の部分、つまり、「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」「無定見で妥協を得意とする」ところを見事に
引き継いでいる。
そして、この「金丸」的な政治と真っ向から闘い、勝利を収めたのが小泉純一郎だった。
要は、「失われた10年」を取り戻す闘いは、「金丸政治」との闘いでもあったと言っても
よい。
▼
最後に、金丸が、その政治家としての評価を地に貶めた事件について書いておこう。
これは、ある意味、東京佐川急便からの「5億円ヤミ献金事件」や「巨額の脱税及び
不正蓄財」よりも罪が大きい。
1990年、金丸は、盟友である社会党の田辺らと訪朝団を編成。団長として北朝鮮を
訪問する。このとき自民党の代表として、国交正常化や日本統治時代の補償とともに、「南北朝鮮分断後の45年間についての補償」という約束を自民党、社会党、朝鮮党の3党で交した。
これは、南北分断後の「日本の北朝鮮敵視政策(笑)」を我が国が反省し、それによって北朝鮮が被った損害を補償するというものである。
既に、北朝鮮による日本人拉致疑惑は、我が国政府も認めるところだった(1988年3月26日、参議院予算委員会、梶山静六国家公安委員長答弁)にもかかわらず、こんな
正気の沙汰とは思えない約束をする。
この約束は帰国後、当然のことながら猛烈な批判を浴びる。そして自民党の承認を得られず反故(ほご)にされた。
このころから、金丸の自民党内における神通力が衰え始めた。
▼
なお、この訪朝団には、野中も同行している。野中は1999年にも訪朝し、金日成を生前の姿のまま安置した錦繍山記念宮殿を訪問、以下のように記帳している。
「ご生前中に三度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の
不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の
上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りします」
つまり、金丸の「金権」「売国」的体質は野中がしっかりと引継ぎ、無定見な「政界再編の夢」は小沢が引き継いだ。そして、小泉は、そのような「金丸的な体質」に果敢に闘いを挑んだ。
すべてではないが、大雑把に言えば、そんなところではないか。
▼
金丸がもっとも可愛がったのが小沢だった。その金丸が議員を辞職するに際し、小沢は「ぜひ、次の派閥の長は小沢にと、記者会見で指名してくれ」と詰め寄ったとされる。が、金丸から「辞めていく人間が、後のことなど指名することはできない」と拒絶された。だから小沢は派閥を割り、党を割ったという説もある(ただ、これは野中の話だから割引く必要がある)。
(文中・敬称略)
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【追記】
本日の産経新聞の【主張】が、朝日新聞の昨日の【社説】に対して、私が昨日書いたエントリー「変わらない朝日のねつ造体質」とまったく同じ批判を加えている。
朝日の【社説】と産経の【主張】と私の「エントリー」を読み比べてみてください。事の本質が、実に良く解ります。
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コメント
コノ記事は凄い。謎の死をとげた金丸を語る切り口は最高、勉強になりました。利権政治の総本山でしたし、大嫌いな政治家の筆頭でした。
奇しくも、民主党の党首に小沢さんが立候補しました。私は、良くも悪くも注目している政治家ですし、民主党党首となれば、旧経世会を飛び出した者と旧経世会を内側からぶち壊した小泉さんとの対決も楽しみです。一番は民主党そのものを壊しそうな事ですが、願ったり適ったりです。
>岩手の田舎人さん
コメントバック有難う。
投稿: NZ life | 2006/04/05 20:10
金丸氏についての詳しいご解説、目からウロコが落ちた思いです。坂様のご慧眼には感服します。
投稿: おやじ | 2006/04/05 21:21
始めまして。いつもROMさせてもらって楽しく読まさせてもらってます。
いつもすごいなぁ、と思いながら読んでいましたが、今日の記事は「読ませる記事」ですね。感服いたしました。本当に勉強になります。
2002年のWCの隣国の下劣な行為を目の当たりにしてから「どうなっているんだっ!!?」とか思いながらネット上をうろうろしているという、去年大ヒットした某本のストーリーのような私がいつの間にか「しがない作家」氏のブログを読む今日この頃(笑)です。
これからもよろしくお願い致します。
投稿: 通りスガリです | 2006/04/05 22:10
当時、金丸訪朝団の「戦後も補償」には本当にびっくりした覚えが。北朝鮮お得意の洗脳にやられたんじゃないかと思いました(実際、やられたのかもしれんが)。
なんの理念もない、金を集めるだけのマシーンだったですよね。金丸とその取り巻きは。。。
投稿: ゆみこ | 2006/04/05 22:55
はじめてコメントします。
今日のエントリーは読んでて興奮が抑えきれなく
なりそうなおもしろさがありました。
政治史に無知な私の埋まらないパズルがどんどん
完成していくような楽しい気分です。
これからも応援してます。
投稿: とし | 2006/04/05 23:22
「こんちくしょうトリオ」の政治の流れは{金丸の金、竹下の竹、小沢の小、)確かにそのとおりでした。しかし此処に自民党に巣食ったウィルス創価学会・公明党の法曹、官僚、政治の中に潜む感染力は今度の新生野党としての民主党として纏まるのかが日本政治の重要課題!保守の中に創価学会が影で糸引いてるのを炙り出して暴ける野党が存在しないと大変危険です。全国紙への「聖教新聞」委託印刷が全国の新聞報道が創価学会に操られる原因になり、その金額は95億円を越えてると推計されてる。これは単なるビジネス問題ととして看過出来ない。日本ではテレビ・ラジオの放送業務は新聞社系列で展開されてる。創価学会は聖教新聞の印刷代金だけでは無く、出版物や広告費も払えば地方局では番組スポンサーにもなってる。政府与党の一員として電波行政にも関わってる。要するにもう報道機関は創価学会に頭が上がらない心理的抑圧の段階すら飛び越えてる。事実は最近の新聞や報道で公明党や創価学会の批判は出ても直ぐに消滅する。日本には「社会の木鐸」も存在しなくなってるかもしれないから、一層この右から左までサーモスタット温度つきセンサー調節不能が居てぬるま湯浴場のような状態であっても、国会騒動でも急がず対処が後手でも我慢してる国民が多い。温泉が至る処で湧き出す国土に甘えて、財界からの援助賄賂支援でのんびりムードで危機感無い政府や議会では日本は本当に沈没する。
投稿: ようちゃん | 2006/04/05 23:54
私にはそんな事も遭ったという感覚で、洞察が足りなかった。
「結集すべき理念が何なのか明確ではない」
これが金権の腐敗と国民の政治離れに繋がったように思います。
行き過ぎた近県にある程度歯止めを掛けた小泉政治ですが、これからは国家として高い自立性が必要になる。
そのためには排他主義やカルトやテロとの戦い、共産はもちろんオウムや統一は明らかな敵でしょう。
日本最大のカルトである創価学会は大きな障壁になるように思います。
投稿: MultiSync | 2006/04/06 00:34
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
(極右評論)金丸訪朝後の利権漁りと野中の「北朝鮮擁護」発言
(金丸が脱税容疑で家宅捜索を受けた時、金庫から無刻印 〔 品質保証がないもの 〕 の金の延べ棒がたくさんでてきた。国際市場において無刻印の延べ棒は北朝鮮のものだけだ。)(金丸は日本における当時の建設利権を牛耳っていた。彼がこの北朝鮮利権に目を付けないわけがない。建設族である金丸信とその秘書であった次男の信吾は、北朝鮮の「川砂利」とスケソウダラの輸入というすぐに銭になる利権に目を付けた。)後に北朝鮮へのコメ無償援助についても、加藤紘一の暗躍と、その利権について一部マスコミが追及したが、そのルートをつけたのも金丸だったのである。
野中の訪中後の言動も最後に上げておきましょう。
平成11年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について。
投稿: ようちゃん | 2006/04/06 00:36
>ようちゃん、さん。
すべて解ったうえで書いているのです。
正直言って、ウザイです、あなたのコメント。
もう、これ以上は、やめてください。
他からの引用はやめてほしい。
次からは削除します。
投稿: 坂 眞 | 2006/04/06 01:04
そうか、やはりそうだったのか、というのが正直な感想です。こうして系統だった説明をしていただくとよく分かります。おかげで、すっきり整理が出来ました。ありがとうございました。
投稿: プライム | 2006/04/06 01:40
さすがの分析、元ゴリゴリの左翼の坂さんと感服。中沢新一は金丸の酒屋の近くで育ったそうで、当時、醸造に芋を混ぜているという噂だったと書いている。中沢の義叔父「網野善彦」を追懐する本。
金丸が金日成にかくもだらしなく嵌まったのは、金丸の先祖が北朝鮮出身だと指摘されたからだ、という記事をなにかで読んだ記憶があります。醸造業のような素封家が勃興するのは、幕末から明治以降のはずで、その当時から金丸家に朝鮮の筋が入っているというのは考えにくい。可能性としては、明治の後半に金丸家の先祖が潰れかかった醸造家を乗っ取った?
これは、私の酔余の想像にすぎませんが・・・
投稿: ジョン | 2006/04/06 01:44
>他からの引用はやめてほしい。
次からは削除します。
私の方の記事を紹介された方がおるようですが、ご迷惑をかけているようなので削除してください。
投稿: 瀬戸弘幸 | 2006/04/06 09:35
外資の企業献金緩和で財界と利害一致したとか言ってるところをみると、
まだ全然利益誘導体質から抜けてない気もします。
投稿: kazu | 2006/04/06 10:49
皆さん、こんにちわ。
コメントありがとうございます。
田中-竹下-金丸-野中、まさに金権の権化。
また、中国や北朝鮮とも利権がらみで繋がっていた。
まさに「売国」ですね。
>瀬戸弘幸さん
瀬戸さんの記事が迷惑なのではなくて、この「ようちゃん」という人物のコメントが迷惑なのです。
他人様の記事をコピペして、やたらと貼り付ける。
これはコメントではありません。
迷惑行為です。
いっとき止めていたようですが、ほとぼりが冷めたらまた始まった。
性懲りのない方です、ようちゃんは(笑)
瀬戸さん、気にしないでください。
>外資の企業献金緩和で財界と利害一致した
利益誘導が完全になくなることはないと思っています。
ただ、その見返りとして得たカネで私腹を肥やしたり、自らの政治力を高めたりする、これは許されないし、なくすべきです。
が、資本主義を擁護する政党が企業から政治献金を受ける、これはそれほど異常とは思いません。
投稿: 坂 眞 | 2006/04/06 14:08
昨年の衆院選に際し、野中が「このままでは死んでも死にきれん」と、絞り出すように言っていた。
大勝した小泉が、本年9月の任期で退任することを公言してから、冷や飯喰らわされていた勢力が次々と名乗りを上げた。はたしていま、それらが福田に一本化されようとしている。このスキームを描いているのは、野中なのであろうか。
投稿: miekun | 2006/04/06 21:01
参議院選候補、吉田博美が金丸の秘書だったことを調べるうち、こちらに来ました。吉田氏は1980年から83年頃までの秘書でしたが、金丸氏の薦めで国会議員になったそうです。秘書当時は佐川事件などの前ですが、吉田氏も関わっていたのか知りたかったのです。
投稿: jun | 2007/07/24 21:02
小沢一郎が一番信じていた金丸信は、北朝鮮との国交正常化で、戦後補償までして500億ドル(120円)6兆円を算出していた。これを確実な物にするために、全国地方議会から日朝国交正常化国会決議とした署名簿が、国会に集っていた。これの資金が金塊であると考える。問題は、成功報酬が10%6千億円と在日朝鮮人資産の国有化(北朝鮮化)が、21兆円になって、日本が支払う事になっていたのである。これは実現可能となり、在日朝鮮人が反対運動を起こしたのである。民団に鞍替えして、総連は会費の減少もあり、民団と協調体制をとり、南北統一も考えられた。しかし破談になっている。南北統一は韓国との平準化で経済・政治・軍事、思想もあり大変難しい。日本は拉致問題もあり、在日が北朝鮮復興のキーポイントを握っている。帰還事業が再開され、経済復興から、バランスを取るのが、在日の宿命と考える。日本も何時か支援する時が、来るのかと考える。10%成功報酬は政治家の汚い利権である。動けば、これまた小さい額でもある。以上
投稿: | 2010/03/19 18:11