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2006/05/19

愛国心について

教育基本法の改正案が、いよいよ国会で審議される状況になってきた。民主党も対案を出してきた。

私は与党案には『消極的』賛成である。なぜなら、創価学会・公明党に遠慮したため、「愛国心を涵養する」ことが明確に謳われていないからだ。が、それでも速やかに成立させてほしいと思っている。それは、不十分とはいえ、今のものよりず~っとマシだからだ。

ところで、今回の教育基本法改正に反対の人たちがいる。その理由は、『愛国心』を
基本法に織り込むことは全体主義につながると考えるからだ。そのような人たちは、
今回の改正案の『我が国と郷土を愛する態度』も『国を愛する心』も同じものと受け止めるのだ。
こういう考え方をするのは社民党や共産党だけではない。民主党にもそういう勢力が
根を張っている。
民主党は昨年4月、教育基本法改正に関する中間報告を取りまとめた。この時党内は、『愛国心』を法文に明記するかどうかについて、「国家として当然のこと」とする賛成論と、「愛国が教育目標となり、全体主義的なものにつながる懸念がある」とする反対論に二分され、結局、中間報告では両論が併記された。

今回、民主党は、対案の前文に「日本を愛する心を涵養し」との表現を盛り込んだが、
これは与党、特に自民党内の『愛国心』派をゆさぶるための、政局的思惑が絡んだ
不純なものだ。

もう一つ、「『愛国心』は心の問題で、他者から強制されるものではない」という立場からの反対もある。
民主党の小沢一郎代表も、今月9日の党本部における定例記者会見で、「それぞれの個人個人の心の問題だ」との認識を示している。

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そもそも『愛国心』を教えることを否定的にとらえる国など、世界中で日本以外にない。
なぜ『国を愛する心』を涵養してはならないのか?涵養とは、「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること」(大辞泉)だ。
別に強制するわけではない。
にもかかわらず、「全体主義につながる」とか「心の問題を強制する」とか言って反対する。私には、こういう人たちが理解できない。

そもそも、国家とは何か?
国家(state)の形態・役割は歴史的に異なるが、現代の定義では、一定の領域に定住する人々が作る政治的共同体を指す。主権・領土・国民で構成され、統治機構を持つ。
主権・領土・国民、これらの三要素を有するものが国際法上、国家として認められる。

近代国家は、まず政治的共同体があって、それに応じて国家(統治機構)ができるのではなく、まず統治機構としての国家があり、それが各々の力に応じて領土と国民を有する。
我が国における統治機構とは、基本法(憲法・ fundamental law)に基づく立法・司法・行政の三権(を執行する機関)を指し、その主権は国民に存し、国と国民統合の象徴としての天皇を戴く。

一方、国家には、政治的共同体の基礎となる社会的共同体としての側面もある。社会的共同体は、歴史や伝統、文化といった、その国家に固有のものを有する。

したがって『愛国心』とは、『政治的共同体としての国』に対する『忠誠心』と、『社会的共同体としての国』が有する、その国の歴史や伝統、文化といったものに対する『愛着や誇り』の両方から成る。

天皇を象徴として戴き、主権が国民に存する、自由で民主的な国家に忠誠心を抱く。
長い歴史と伝統を有し、美しい自然にめぐまれ、独自の優れた文化や芸術を誇る国家に愛着を抱き、誇りを感じる。

この『愛国心』の、どこに問題があるのか!!!

『愛国心』あるいは『愛国心を涵養する教育』を否定する人たちは、我が日本国や民主主義を曲解している。
我が国の統治機構は立法・司法・行政の三権に分立しており、主権は国民にある。
つまり統治者は国民なのだ。
社民党や共産党が言うような「大企業と米国のいいなり」の自民党政権が統治者ではない。自民党(+公明党)政権を選んだのは国民であり、それが国民の多数意思なのだ。
つまり、統治者である国民が、行政を自民党(+公明党)に託している、そう捉えるべきなのである。

この日本国の統治者である国民が、『国を愛する心』を持たずして国が成り立つだろうか???国家の統治者が国家を愛さない、そんなことはありえない。国が滅ぶ。
『国』を愛することができず、『国』に忠誠を誓えない人たち。そういう人たちは、民主主義の基本である『国を統治する国民』ではなく、『国から統治される国民』である。
『国』のために何かをする人ではなく、『国』から何かをしてもらうことばかりを求める人たちである。

生活保護や納税免除など、『国』からもっとも恩恵を受けている人たちが、公明党や
社民党や共産党を支持している。
こういう『国』から何かをしてもらうことばかりを求め、『国』に不平や不満ばかりを言う人。こういう人は、理想の共産主義国家である中国や北朝鮮に移住したらよいのではないかと思うのだが(爆笑)

『国』を愛せない人は、反民主主義、反社会的な人だと思う、私は。

米国第35代大統領 ジョン・F・ケネディは「諸君の国が諸君のために何をしてくれるだろうかなどとは言わず、国のために何ができるかを自問してほしい」と言った。
これこそ民主主義国家の統治者たる国民のあるべき姿であり、『愛国心』の本質である。

関連エントリー:愛国心を曲げた公明党

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政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

法隆寺等の落書き事件を見ると、愛国心教育の必要性を感じますよ…流石に日本の重要文化財まで蔑ろにする姿勢は、何とかしなければならないかと。

それにしても社民党が反対する理由が、「教育勅語」の復活と豪語している点が痛すぎます…(苦笑

投稿: cassand | 2006/05/19 11:27

自分が何人でどこで育ってというのは、自分のアイデンティティを形成している大事な部分だと思うので、例えば国や郷土を愛するというのは、自分を愛するのに近い感覚じゃないかと思います。ご飯と味噌汁をたべて、ああ、うまいなあ、日本人でよかったなあ、というような気持ちもその一部であると思われ、これを理解できるから、他国の人が他国の事物を誇りに思い、いつくしむことを理解できるんだと思います。

「地球市民」とか言う発想とは相容れないものですね。「小学生に英語教育」が話題になっていますが、自己が確立しないうちにぺらぺらしゃべれるようになっても、日本人として(外国人として)英語を理解するというアプローチでなければ、うつろな日本人が作りだされるだけで、やはり「地球市民」みたいなことになるのではと危惧します(まあ、実際には教員の手配が無理だろうと踏んでいますが)。

例えば、よく話題になる在日の問題も、実質的に「無国籍人」になっている人たちの立場を固定化させようとする要求が軋轢を生んでいるのかなと思います。日本人なのか外国人なのか、はっきり決められない(決めさせない)ということですね。しかしこれは時間と共に解消されるという気もしますが。

投稿: ゆみこ | 2006/05/19 11:35

自民党と公明党の妥協の産物の教育基本法改正案が国会審議中であるが、自民党は民主党と大同団結して公明党を排除し、「愛国心」を盛り込むことを希望している。

投稿: 鹿 | 2006/05/19 12:14

 私の個人的感覚でいうと、「国を愛する」というより、「国を大切に思う」のほうがピンときます。国の定義は坂さんの説明のとおりだと思います。しかしながら、その定義を踏まえた上でも「国を愛する」という表現は情緒的に過ぎるのではないかと思います。「国を愛する」という表現中、「国」はなぜか善も悪もすべてを呑み込んだ国という意味にとれます。したがって、それらををまるごと愛する、という意味にとれます。犯罪者、共産主義者、カルト信者までを含んだ国を愛するという心情は、普通の人には持つことが困難なのではないかと思います。
 一方、「国を大切に思う」といった場合の「国」はなぜか善も悪もまるごとという意味合いが消えて、恵まれた風土、歴史、伝統とそこに暮らす人々という意味にとれます。それなら納得できます。
 国は大切であるがゆえに、関心をもってその行く末を見守り続け、将来を担う愛する子供たちに引き継いでいってもらうというのがあるべき姿であろうと思います。以上は個人的感覚による発言ですので、そうではないといわれるかも知れませんが、個人的感想を述べさせてもらいました。

投稿: プライム | 2006/05/19 13:11

個人的にはやはり愛国心を書き込むってのには、実際どうも違和感を覚えてまして、むしろ現場のサヨク教師による反国旗・反国歌の理由付けに利用されている「教育は、不当な支配に服することなく」との条項を削除し、教育現場に反日的教育をさせないのが重要ではないのかと。
その上で日本の立場からの日本の歴史をキチンと教えるべきじゃないのかなぁ。当然ちゃんと相手国の立場や主張も教えるべきだと思います。

愛国心を教育基本法に書き込まねばならないなど、いかにこの国の教育が歪んでしまっているかってことなんでしょうけど。


民主党案読まれました?
法律はズブズブの素人なんですけど、なんかヤバそうじゃないですか?
素人目には
・教育方針を決めるのは地方・学校、国は金出しても口出すな。
・日本国民として受けるべきカリキュラムを実施しない民族学校にも援助しろ。
・民主的ってのが曲者かな、と。言葉は綺麗ですが、実際に行われるのはサヨクによる学校支配になりそうで怖い。中核派の杉並親の会みたいなのに実質支配されそうで恐ろしい。

これのすべての前提として、国の定める所の国民として受けるべき教育方針のようなものがあって、それに従う上においてそれぞれの学校や地方で自主的にその方法を決めていく、となれば話は別でしょうけど。

投稿: N | 2006/05/19 13:13

ご存じかもしれませんが...

福島みずほ大炎上
http://blog.so-net.ne.jp/venusheart/2006-04-13

それと教育現場からの声
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060418/1145323975

最近こんなんばかりですみません >_<
削除して頂いてかまいませんので。では。。。

投稿: ιょぅ | 2006/05/19 13:16

とにかく、早く成立させてほしいです。
今の議論は、恣意的に思えます。
自民、公明の妥協の産物であることは間違いない
ですが、また改正すればよいのですし。
        
一番いけないのは、この国会で通らないことではないかと。
            
         
あと、近代史の教育を義務づけたりとか
できないでしょうかねー

投稿: hide | 2006/05/19 13:28

そういえば、共産主義でも「愛国無罪」とか言いますものね。「愛」自体ももともと翻訳された言葉でしたね。たしかに、この言葉には手垢がつきすぎているのかもしれない。

本当はそんなことを法律に書かなくても、自然に、古いものを大切にする気持ち、自然を大切にする気持ちなどが育って欲しいですけどね。

投稿: ゆみこ | 2006/05/19 14:20

「愛国心」自体は前向きの言葉だが、歴史を見渡すと、反省を封じ込めたり、独善主義とつながり易い欠点が拭えない。だから政府も表現を工夫したのだと思う。
愛国心は対外的緊張があると高まる。愛国心こそが戦争を起す最大の要因であるとの意見もある。日本では戦時に大いに発揚されたが、近年の米国でも教室内での反戦発言はタブーとなった。教員は、中東で戦争を始めた政府を支持する指導を行なった。
愛国心は排他的な感情につながり易い。共産諸国には独特の愛国心があるが、先進国では他民族の蔑視、移民排斥などにつながったりすることもある。
ときとして政敵非難に使われる言葉でもある。愛国心の逆は反逆、俗に言う非国民である。
愛国心には献身、自己犠牲といった宗教的?ニュアンスが籠る。例えば神風特攻隊は、無謀な作戦を行って無駄に兵隊の命を散らしたという議論が重要だが、一部の人は愛国心の発露との議論を優先する。
人の歴史を突き動かして来た興味深い感情である。学校で歴史や公民の授業で事例を研究してみたら如何だろうか。

投稿: KappNets | 2006/05/19 14:52

アメリカの小学校では、morning assemblyというのがあって、そこで毎朝、小学生たちは全員、国旗に向かい手を胸にあてて、pledgeというアメリカ合衆国への忠誠の誓いを暗唱します。そして、patriotismという言葉には、とても高い価値が置かれます。アメリカでは、communityの一員としての責任を果たすということが非常に重視されますが、patriotismはその延長線上にあって(communityを拡大して行くと国家になると考えるのでしょうか?)、一人前の責任ある大人の構成員なら、patriotismがあるのが当然と見なされます。 一方、日本をふりかえると、どうも、日本では、patriotismとnationalismが混同されているような印象を受けます。実際、ある政治的意図を持って、故意に「混同」しているマスメディアもあります。例えば、愛国心(patriotism)という言葉を使っただけで、「日本にはnationalismが復活していて危険」といった具合に。(こういう意図的すりかえは、New York Timesの某東京特派員等にもよく見られることですが。) 憲法改正にしても、教育基本法にしても、patriotismの概念とnationalismの概念をそれぞれ明確に規定して、しっかり区別して議論するべきではないでしょうか。 自分が所属している国家に対してpatriotismを持っていないなどと言う人を、世界の他の国の人達は尊敬してくれません。でも、その当たり前のことすら言えない今の日本は異常だと、アメリカ滞在中に痛感した次第です。 今後、日本も、「愛国心」(patriotism)という言葉を「普通」の意味で「普通」に言えるような社会に早くなってほしいものです。

投稿: maya | 2006/05/19 15:50

私の意見として、愛国心教育には反対、というより不必要だと考えます。
重要なのは、本当の日本の姿(現状も、歴史も)をきちんと教えること。
自虐史観と言うと、こういうブログでは、中韓相手のイメージが強いと思います。
しかし、私が問題にしているのは、もっと本質的な自虐史観と、それに伴う自虐的日本観?です。
太平洋戦争における日本が完全な正義であったと言うつもりはありません。
しかし、日中戦争から、太平洋戦争を起こし、結果としてアメリカに負けた。
そこから、国技の(笑)反省癖が爆発し、太平洋戦争における日本の行動を完全否定→明治以降の富国強兵策その物の否定 と繋がった。
更に、こうした自虐的歴史観により、現状が見えなくなってしまった。
つまり、現在の日本に対する否定的感情へと繋がっていると私は感じます。

かわぐちかいじ氏が友人と対談した記事を読んだことがあります。
その中で、彼の友人が言っていた言葉「日清、日露に‘まぐれで‘勝って、調子に乗ってアメリカと戦争をし、ボコボコにされた」。
これを読んだ時は、かなりブチッと来ましたが(日露がまぐれで勝てた戦いかは、ちょっと調べてみれば解ることです。相手は10倍のGNPを持った国ですよ)、多くの日本人の‘歴史観‘はこんなものじゃないでしょうか?
‘愛国心‘を唱える政治家も、実は同様の歴史観を持っていたりする。
それで、愛国心を持てと言われても........。

あの戦争が100%正義だったと言うつもりはありません。
しかし、大きな問題もあったが、それ以上の大きな意義を残した。
日清、日露、特に日露戦争も、それが世界史に与えた影響は計り知れない。
もちろん、日本は基本的に‘自国のために‘一連の戦争を行ったのでしょう。
しかし、少なくとも結果として世界に多大な貢献をした。
もし日本が存在しなかったら(そうした仮定で、かなり精密なシミュレーションを行ったことがあります)、世界史は大きく変わっていたはずです。
現在の世界地図は全く異なる物になっていた、というのが結論でした。

愛することが出来ない対象を、無理に愛せというのは自由の国のすることじゃない。
本当の日本の姿を教えれば、嫌でも日本が好きになります。
私は、それが、あるべき‘愛国心教育‘だと考えます。

投稿: 大都会 | 2006/05/19 16:23

>「『愛国心』は心の問題で、他者から強制されるものではない」という立場からの反対もある。

反対派が必ず口にする理由ですね。日本国民として国から恩恵を受けている以上、愛国心を持つのは当然であるし、それを単なる「心の問題」と片付けるのは、無責任だと思います。

自分が暮らしている共同体に対して愛着を持ち、その共同体をより良くしていこうという気持の延長線上に「愛国心」はあるのだと思います。確かに行き過ぎた「愛国心」は危険かもしれませんが、だからといって、それを持つことに対して負のイメージを抱かせる今の風潮や教育は、日本の将来にとっても良くないと思う。自分の国が好きという気持が、国をより良くしようという気持につながるし、それが国を発展させる原動力となると思うから。

投稿: なつなつ | 2006/05/19 16:33

私は、私達の祖先が、遠大な理想の元に、道義国家の実現を目指して、日本の国を始められたと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、元より日本の優れた国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は、教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟、姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦ましく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあいそして、自分の言動をつつしみ、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、更に進んで、社会公共の為に貢献し、また法律や、秩序を守る事は勿論の事、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければ成りません。
そして、これらのことは、善良な国民として当然の務めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身を持って示し残された伝統的美風を、更に一層明らかにすることでもあります。
この様な国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのないおしえでありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人と成る様に心から念願するもので有ります。~~これが教育勅語の「口語文」、どこかに悪いところが有るのでしょうかね?

投稿: 猪 | 2006/05/19 17:10

すいませんが、わしは生活保護者です。うつ病で働けません。どうやっても。この国に対して何ができるか?やろうと思っても何も出来ないのが現状です。

この小沢の演説には激怒の一言です。わしは別になりたくてうつ病に成った訳じゃないし、好きで働いていない訳ではありません。北朝鮮に行け?どこからそんな言葉が出てくるんです?仕方なく生活保護対象者になった人間に、ケネディの演説持ち出すなんて余りにも人格が腐っているのでは?

わしは民社党も共産党も過去の遺物だとしか思っていませんし、小沢自体アメリカ&中韓のモルモットとしか思ってません。そもそも今の政党に対して、積極的に入れたいぞ!何て思う政党はありません。政治家も又然り。

自民党も生活保護者をまぁ散々虐めてくれまして、独立介護支援法なんてもので実質的な弱者切り捨て。それでも日本を何とかしなくちゃ、と言う思いはありますよ。いわゆる愛国心ですよ。でもね、そう思えば思うほど、間違っても小沢には入れたくありませんね!(最も安倍も福田も論外なんですがね・・・)

投稿: akimitsu_hirose | 2006/05/19 18:13

こんばんは、大都会さん

>愛することが出来ない対象を、無理に愛せというのは自由の国のすることじゃない。
自由な国とはどのような国でしょうか?そもそも、完全に自由が保障されている国など地球上に存在するのですか?
「自由」が認められるならば、反愛国心もまた自由ともなりますが。

私の従兄は精神科医をしてますが、依存性の強い人間ほど精神を病みやすいと言ってました。平たく言えば意志も気も弱く何かあれば人の頼るタイプ。精神を病むほど周囲への不満と憎しみが募るそうです。

先月フランス内相サルコジは「フランスが気に入らないなら、出て行ってもらっても構わない」と言明したとか。

投稿: mugi | 2006/05/19 20:43

こんばんは。

日本の「愛国心」教育に反対する者は、何故か、現在の「反日」「嫌日」「売国」教育には完全にスルーですね。これでは、公平さを欠くと言わざるを得ませんね。
また、日本の「愛国心」に反対する者は、何故か、K国やC国の「愛国心」には完全にスルーですね。これも「愛国心」に批判するのに、ダブル・スタンダードと言わざるを得ませんね。

国家=民族という国は稀で、国家をもてない民族の方が圧倒的多数です。そして、国家とは、言語や、通貨、習俗を共通する者達が集まり、複数の民族間で作られることの方が多いのです。
また、愛国心という意味の「パトリオット」も、人が生まれ育ち、そして死ぬときはその地で迎えたい、特別な地が「パトリ」です。国でも、故郷でも愛せないものが、何故、他国を愛せるのか?また、自国も他国も愛せないものが、何故、平和を愛せるのか?
坂眞さんの仰るとおりだと思います。

投稿: Mars | 2006/05/19 21:37

脱力。なぜ愛国心がいけないのか。意味不明。
なぜ公明党が反対してるのだろう。
きもちわるいくらいに愛国心反対に固執している。
普通自分の国を愛すだろ。自国民を教育するんだから国を愛する国民を作るのは当たり前だと思います。

なぜ学会、公明党が反対してるのかわからん。

出てくる理由としたら戦前の云々~とか、愛国心が戦争をとか・・・。理由になってない理由だろうし。

学会はその国のよき市民たれって指導してるんですよ~知ってましたか~。

投稿: 学会員 | 2006/05/20 01:33

今晩は、mugiさん。

>自由な国とはどのような国でしょうか?
憲法の根本問題であり、私の手に余るものではありますが、出来る範囲でご説明させていただきます。
まず、第十一条で、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。......」と記載されています。
これが、我々に与えられた自由の根拠で、以下、第三章において、通称人権カタログと言われる、様々な人権が明文で規定されていきます。実際には、これを文字通り‘カタログ‘に過ぎないと考え、様々な人権に基づく自由が加えられているのが、判例、通説です。
代表的なのが、13条に基づく幸福追求権でしょうか。

さて、それでは、我々は絶対的に自由なのか?と言いますと、そういうわけではなく、‘公共の福祉‘なるライバルが登場します。
これは、12、13条等に規定されており、‘公共の福祉に反しない限り‘といった制約を課されるわけです。
では、‘公共の福祉‘って何?と問われますと、ここで意見が分かれます。
一元的外在制約説、内在・外在二元制約説、二元的内在制約説等が学説上争われてきました。
現行憲法成立当初は、前二者の争いでしたが、両説の欠点を補うものとして、二元的内在制約説が提唱されて以来、これが通説となっています。
この説は、‘公共の福祉‘を2つに分けて考えます。
 自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉です。
現在の議論は、いわばこれらを具体化するという方向でなされており、具体化の代表例が、二重の基準論(double standard)です。
これは、自由を、精神的自由権と経済的自由権に分け、前者は後者よりも、制約可能な範囲につき、より厳しい基準(明白かつ現在の危険の法理等)で規制しなければならないとしています。
以上が、
>完全に自由が保障されている国など地球上に存在するのですか?
に対する回答です。

さて、‘愛国心‘に関連のある条文は、人権カタログの内、第十九条 思想および良心の自由 でしょう。
ここで、重要なのは、
‘思想および良心の自由は、それが内面に留まる限り、絶対的保障であるとされる‘ことです。
公共の福祉による制限は有り得ません。
文字通り絶対的な権利です。
したがって、

>「自由」が認められるならば、反愛国心もまた自由ともなりますが。
内面に留まる限り、当然自由です。
また、上記 精神的自由権の中核が、‘表現の自由‘ですが、これに対する制約は‘厳しい基準‘で行われますから、余程のことが無い限り自由であると考えて差し支え無いと思います。
したがって、
>フランス内相サルコジは「フランスが気に入らないなら、出て行ってもらっても構わない」と言明したとか。
これも、特に問題のある表現とは思えません(フランス法には詳しくありませんが)。

ちなみに、思想および良心の自由は、3つの内容を含むとされています。
1、強制の禁止 
国家権力が、特定の思想を国民に押し付け強制することは許されない。
2、不利益取扱いの禁止
個人が特定の思想を有し、また有しないことを理由に、国家権力が刑罰その他不利益な扱いをすることは許されない。
3、沈黙の自由
国家権力が、内心の‘思想‘を強制的に告白、推知することは許されない。

私は、9条を抜きにすれば、現行憲法は世界に誇りえるものだと考えています。
その観点から考えた場合、‘愛国心教育‘なるものに、若干釈然としないものを感じています。
理由は、これまでの記述でお解りになると思います。

なお、憲法に関する議論が最近多いですし、出来れば、憲法に関する専門書をお読みになることをお勧めします。
憲法 芦辺信喜 岩波書店(司法試験の基本書として定番中の定番)
伊藤真の憲法入門 日本評論社 (司法試験のカリスマ講師が書いた入門書)
憲法 伊藤真 試験対策講座 弘文堂(通称‘シケタイ‘。プロビと並ぶ司法試験教本の双璧)


投稿: 大都会 | 2006/05/20 02:37

>精神を病むほど周囲への不満と憎しみが募るそうです。
これは、弱者一般の心理として良く理解出来ます。

ただ、
>依存性の強い人間ほど精神を病みやすい......
の意味が不明です。
まず、‘精神を病む‘の定義ですが、狭義の精神病(統合失調症=精神分裂病)と考えると、病前性格に‘依存心の強さ‘があったかな?と。そもそも定説があったかな?と。
まあ、その従兄弟の方が言われたのは、文脈から判断しますと、神経症等を含めた広い意味の精神病だと思うのですが。
一口に精神を病むと言いましても、その疾患の種類は極めて多肢に渡り、一口で表現出来るものではありません。
例えば、対人恐怖症の病前性格には、確かに依存心の強さが挙げられます。
一方、強迫性障害(OCD=Obsessive Compulsive Disorder)や、うつ病の病前性格には、他人に頼れない、我が強い、完全主義と言った、‘依存心の強さ‘とは正反対、相容れない性格が挙げられます。

私が細かくこんなことを書いたのは、
日本人の性格に後者の要素が非常に強いのではないかと思うからです。
この十年、小泉改革の時代も含めて、他の国なら暴動が起こって当然の状態だったと思うんです。
それが、自殺者の増加という、なんともやり切れない現象に転化して耐えてしまう。
他人を攻撃する前に、まず自分が反省してしまう。
こういう感覚って、自分の中にもあると思いませんか?
これ、色々考えてみると、結構深いものがありますよ。

投稿: 大都会 | 2006/05/20 03:02

日本では愛国心というと右派・保守派というイメージがなきにしもあらずだが、愛国心は現状(現在の政府、あるいは体制)を愛せよという意味とは限らない。革命を意図する反政府側が愛国心を訴えることもありうる。愛国心があるなら天皇を愛せというのは必ずしも当たらない。このことはしっかり頭に入れて議論せねばならないと思う。

投稿: KappNets | 2006/05/20 11:17

わが子を愛する。恋人を愛する。妻を愛する。
 どれも欠点も含めてまるごと愛するという意味合いを感じませんか。国を愛する、といった場合やはり善も悪も含めて愛するといったニュアンスがあります。いわば、盲目的愛情といった響きがあります。国を思う気持ちはそれだけではまずいんじゃないかと思います。少しでも国を良くしよう、そして後世の子供たちに連綿と引き継いでもらおうという意思をもって国のことを思う気持ちは、「愛国心」というより、「国を思う気持ち」といったほうが私はしっくりきます。
 しかし、「愛国心」でもかまわないとは思います。要は国のことを真剣に考え、国のために行動できる子供たちを育てるための教育基本法改正であれば問題はないのです。国歌を歌うと熱が出るとか体調が悪くなるといったような教師、国旗掲揚に反対する教師等を排除できれば、それだけで日本の教育は随分違ったものになるでしょう。

投稿: プライム | 2006/05/20 11:40

こんにちは、大都会さん。

以前管理人様もコメントされましたが、コメント欄は議論の場や掲示板でははありません。
彼方も深夜に2度もこれだけの長文を書かれるくらいなら、自らブログを立ち上げた方がよろしいのではないでしょうか?
社会体験のない学生でも分をわきまえているのに、自らはブログを立ち上げず他人のブログを延々自己主張の場としているのは、厳しい見方をすればパラサイトしてると断定されても文句は言えませんね。少なくとも大人の対応とは呼べませんよ。
時々このような方をブログで見かけますね。意図的にコメント欄を掲示板代わりにして長文を書くのが常の者。そしてウザイから相手にされなくなる。当人は論破したと思い込んでいるようですが。靖国参拝記事でも似たようなタイプがカキコしてました。

イスラム圏や中国では「思想および良心の自由」がこれまで同様、この先も保障されることはないでしょう。ただ、一応保障されている他の国でも国民の大多数はなくても不便は感じませんから、この法も万全とは言えませんね。

私は彼方の「もし日本が存在しなかったら(そうした仮定で、かなり精密なシミュレーションを行ったことがあります)、世界史は大きく変わっていたはずです」が、とても面白いと感じました。
どのようなシュミレーションをするかは個人の自由ですが、現実に存在してる国にも係らず、もし存在しなかったらどうなるかという仮定は、もし龍が存在したら人間社会がどう変化したか、との空想と同じでしょう。いくら精密な分析をしたところで、結局栓のないファンタジーに過ぎないのです。
日本人にも中国や朝鮮が存在しなかったらと考える方もいるでしょうが、大半は空想レベルに留まっている者が大半だと思いますね。

これ以上は私はコメントしません。彼方も是非ブログを立ち上げて、自論を細かく展開されるのがよろしいでしょう。

投稿: mugi | 2006/05/20 11:51

今日は、mugiさん。

うーん、私に言えることは、‘まあ、取り合えず感情的にならずに‘といったところでしょうか。
確かに、私は掲示板での活動が長いので、どうしても議論調になってしまうのかもしれませんが、mugiさんのおっしゃる点はケアしているつもりです。
私が、この種のブログにコメントを書いたのは、印象として妙な方向へ暴走しつつある状況に多少でも歯止めをかけられないかと考えたからで、寄生するためではありません。
また、自身のブログも考えてはいますが、発表の場のメインが、学会、論文であり、また私のタイプの主張は特に論文といった形式でまとめるのに適していると感じています。
従って、今後もそちらでの活動がメインになってしまうと思います。

>当人は論破したと思い込んでいるようですが。
別に論破したとも、論破したいとも思っていません。
これは、双方の持つ情報、知識が拮抗している場合に意味を持つことで、今回の場合では議論そのものが成立しないでしょう。
憲法に関する説明が長くなってしまいましたが、インターネットでは相手の身分が解りませんよね。
その状況で、私が単に「一般に自由は、公共の福祉による制限を受ける。しかし、内心の自由は無制限な自由が与えられている」等と天下り式に書いても、説得力は無いと判断しました。
そのため、長くなりましたが、かなり専門的な部分にまで掘り下げてご説明させていただいた次第です。
決して、パラサイトするためではありません。

>この法も万全とは言えませんね。
万全な法など存在しません。
大陸法、ドイツ法、フランス法、それぞれに長所、短所がありますし、それらをごちゃ混ぜにしたのが、我が憲法ですからね。

>結局栓のないファンタジーに過ぎないのです。
simulationの有効性は、既に確立されています。
ただ、極めて複雑で、不確定因子の多い社会学的現象への適用については、様々な意見があるのも事実です。
元祖となるのは、ローマ倶楽部が提出した‘成長の限界‘あたりでしょうか?
SD(System Dynamics)という数学的手法を駆使して、精密な将来予測を行ったレポートで、各界に多大な衝撃を与えました。
ただ、誤差の多いパラメータを無闇に増やし、そこに数学的な精密な計算を行ったため、予測としては多少問題のある物になってしまったというのが現在の評価でしょうか?
一方、大筋でその主張には説得力、意味があり、その後の社会政策等に多大で友好な影響を及ぼしたという評価もまた揺ぎ無いものとなっています。
私は、精密な将来予測としてのsimulationには懐疑的ですが、対象をより深く理解するための、‘思考実験としてのsimulation‘には大きな有効性があると考えています。
実際、この方向での研究は非常に多数行われていますし、成果も挙げています。
一般書ですが、
闇雲に、否定するのは、あまりに乱暴な偏見にしかすぎません。


投稿: 大都会 | 2006/05/20 13:18

あまり魅力的でない人を好きになれ、愛せ、夫婦になれ、と言われれば苦痛でしょうが、その人のよい所を探して尊重したり、欠点をある程度許容する心を養うのは、それほど問題のあることとは思いません。前者と後者がごっちゃになっているような気がしますね。

投稿: mikage | 2006/05/20 13:57

なんと言いましょうか・・・皆さん文章を書くのがお上手ですね。頭の中では、これもあれもと、いっぱいあるのにこの通り…
自分でも超下手糞な文なので、コメントを書くのはドキドキしながらかいてます。(だからいつも短いコメントになってししまいます)
色んなコメントがあって、私は楽しみにしています。

投稿: ねねこ | 2006/05/20 15:51

日本人は、愛と依存の見分けがつきにくい人たちだと思います。
いつも、心がすくような記事をありがとうございます。

『愛国心について』から少しだけ引用させて頂いたので、ご報告します。 引用先は、癒しヒーリング・ランキング一位のブログで『ジョシーは今どこにいるの? イスラエルから報告』の記事のコメントの中です。

投稿: めぎょん | 2006/05/20 17:18

皆さん、こんばんは。

以前2ちゃんねるをしていた経験から言えますが、匿名掲示板では身分が確認できないため、学者や研究者を自称する者が結構いました。
「学会では~」「ある論文には~」「さる学者の言うには」…さも学会に身を置いているかの書込みをする一方、単純なミスでポロを出すお粗末さ。正体はネット検索した結果をもっともらしく並べているだけの、引きこもりネットジャンキーでした。

いかに芽が出ないにせよ、卑しくもプロの学者や研究者が匿名掲示板に延々書込みしますか?自分の学説を広く訴えたいのが学者の本望であり、学説を発表したくてたまらない人種が匿名で無為に書込みするはずがないでしょう。ネットに明け暮れているから、それらしいフリはお手の物でしたね。

いまや学者や研究者もサイトを立ち上げている時代です。もちろん、彼らはちゃんと実名を使いますが。

投稿: mugi | 2006/05/20 21:52

皆さん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。

まず、皆さんにお願いしたいこと。
ここは私のブログであるということ。
賛成論、異論、反論、コメントも色々でしょう。
私は、それらをすべて受け付けています。
ただ、この場を、持論を開陳する場として利用するのはやめてほしい。
誰も読まないと思いますよ、そんなの。

本当に自己主張したいのであれば己のブログを作るべきです。
そこで読者と語り合えばよい、と思います。
少なくとも、ここで私は議論するつもりはありません。

「女系天皇もやむを得ない」という主張を書いたとき、たくさんの異論・反論をいただきました。
それは、それで大いに勉強になりました。
けっして同意はしませんでしたが…
が、中に自説にこだわってしつこくカキコしてきた方がいました。
私は誠実に対応しましたが、内心、うんざりでしたね。
逆の立場で、私が激しく攻撃したら、その人物はすぐに沈没したと思います。
歴史や政治に対する洞察力に欠ける薄っぺらな「にわか天皇主義者」でしたから。
ゲストと思うからこそ私は抑制的に対応した。
が、その人物は、私とのやり取りを自らのブログに誇らしげに転載していた。
それを見て、ああ…コイツはこの程度のヤツだったのかと思い、まともに対応した自分がバカバカしくなりました。

政治というか権力闘争を経験した者にとって、相手の足下をすくい、相手をやり込めるなんて簡単なことです。
私は、このブログの主宰者ですから、そんなみっともないことはしない。
それだけです。

結論。
ここは、私のエントリーに対する感想、賛成論、異論、反論、有益な補強情報をカキコする蘭であって、自説を開陳する場でも、議論をする場でもありません。
あくまでも私のブログです。

なお、異論、反論は大歓迎ですが、誹謗中傷、罵詈雑言、根拠のないプロパガンダは削除の対象になります。

今後とも、よろしくお願いします。

投稿: 坂 眞 | 2006/05/21 00:35

初めまして。と言ってもこれで2回目なんですけど。
愛国心とは、単純に言うと「国を愛する広い心」そのものだと思うのですが、戦後の長い反戦・反日教育のおかげで「愛国心」を口にする時、多くの日本人は何処か後ろめたさを感じるのではないでしょうか。それでも、心の奥底で時々つきあげてくる愛国心の存在に気づきつつも妙に身構えてしまいます。
そもそも、戦前に歪んだ愛国心を国民に刷り込み、戦争へ送り出したプロパガンダの張本人が朝日新聞だとするなら、戦後に朝日が国民に謝罪すれば何でもなかったと思います。しかし、朝日は直ぐに反戦・反日に逃げて、後に残された「愛国心」という言葉のみがワルモノの汚名をきせられ今日に至っているのではないでしょうか。
愛国心を本来あるべき姿に戻し、自然を愛するように善意の教育なかで育てていくべきだと思うのですが。

投稿: ナナ | 2006/05/21 00:36

>mugi様

>匿名掲示板では身分が確認できないため、学者や研究者を自称する者が結構いました。
また感情を刺激してしまったみたいですね、どうもすいませんでした。
私が既に書いたように、身分の確認が不可能なネットで、自身の身分を明らかにすることに意味はありません。
投稿した内容で御判断していただくしか方法がないのは、既に私自身がご説明した通りです。
従って、私の投稿した内容が、mugi様のおっしゃる様なレベルのものであれば、それは私自身の力不足ということになります。反省しなければいけないと思っております。
>匿名掲示板に延々書込みしますか?
やっている方は大勢いらっしゃいます(汗)。
ガチガチの専門分野では少ないかもしれませんが、専門とは若干外れた分野ではゴロゴロいますよ。
元来が、自説を主張したり、自身の専門知識を(悪く言えば)ひけらかすことに快感を感じたりする連中ですから(汗)。
文章を書くのは商売だから、長文の投稿も苦にならないし。
学者だ、研究者だと言っても、本質は貴方の言うネットオタクと同じです。
子供っぽい方が多いですしね、オタクのなれの果てと考えれば...(おいおい)。
ただ、知識や、学問的な訓練のレベルが違うだけです。
mugi様が考えられている様な大層なものではありませんよ。

>管理人様

ご説明の趣旨は良く解りますし、私自身気を付けていたつもりではあるのですが。
あくまで、エントリーへの意見という形で書きました。
ただ、その根拠にはどうしても自説が入り込みます。
うーん、ここが難しいですね。
単に、賛成、反対、というだけでは意味が無い様な気がするし...。
ただ、確かに他人の私有地へ土足で入り込む様なマネはしたくありませんし、無益な議論は私の望むところでもありません。
投稿、参考にさせていただきます。

最後に、

実名入りのサイトですが、これは面白くないんですよ。
理由は、いらないことを気にしなければならないから。
実名+肩書き入りで、自分の会社の社長の批判記事書けます?
ガチガチの世界なんで、2chネラーになってしまう方々がたくさんいらっしゃるのですよ(笑)。
私も、専門分野での実名サイトを1年以上前から構想していますが、正直、‘怖くて‘未だにお蔵入りです。

なお、これ以上この話題について、私はここで議論したくありません。
明らかに、‘コメント‘の域を逸脱していますから。
従って、mugiさんがどうしてもこれ以上私との議論を望むのであれば、私が新規に掲示板でも用意するか、メールでのやり取りが適切だと考えます。
どうも、たびたびご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした>管理人殿

投稿: 大都会 | 2006/05/21 03:23

「愛国心」って言葉、実に都合の良い言葉ですね。「愛国心」を国民に説く議員さんこそ、「愛国心」を勉強した方が良いのでは有りませんか。「愛国心」は自然に沸き起こる[心]ではないのでしょうか。人によって、「心」は違うのです。わが国土を愛する心、わが恋人が暮らす国ニッポンを愛する心、ワールドカップに出場する選手を応援する心、日本国憲法第9条を持つ日本を愛する心などなど、様々です。百人いれば、百とおりの「愛国心」があるのではないのでしょうか。私などは、教育に米百俵と言いながら、教育費を削り、現場の教師や親に責任を転嫁する小泉首相は、此の国の未来をどのように考えているのか、「愛国心」のカケラもない首相だと思っています。また税金を湯水のように開発、「公共」事業に使い、国土を荒廃させ、ゼネコンや大銀行を大儲けさせ、その見返りに政治献金を掠め取る。その借金を国民に押し付ける議員こそ、「愛国心」に欠ける張本人だと思います。医療費カットの医療改悪を強行採決したことは、高齢者・お年寄りに責任を転嫁する行為です。高齢者は戦後の日本を支えてきた人達です。この人達をゴミか、ボロ雑巾のように切り捨てる発想と行為は、日本の伝統文化・道徳に反します。子どもが、ホームレスやお年寄りを襲う心理の根源がここにあります。自民党や公明党こそ、「愛国心」のカケラもない輩であると言いたい。彼らに「愛国心」を説教する資格はないのです。「愛国心」論議に欠けている視点は、これだと思います。

投稿: 愛国者 | 2006/05/21 09:55

今晩は、大都会様。レスをありがとうございました。

>元来が、自説を主張したり、自身の専門知識を(悪く言えば)ひけらかすことに快感を感じたりする連中ですから(汗)。
>学者だ、研究者だと言っても、本質は貴方の言うネットオタクと同じです。
>子供っぽい方が多いですしね、オタクのなれの果てと考えれば...(おいおい)。
まさにそのとおりでしたね(笑)。子供っぽく、独り善がりの方が多かった。そのようなタイプを相手にしてもつまらないから、私は2CHをやめました。ブログが流行るのも掲示板の限界を感じられた方が多かったのかもしれません。

>実名入りのサイトですが、これは面白くないんですよ。
サイトにもよりますが、少なくとも私が見たものは面白かったですね。ただ、サイトの面白さなど個人の好みもありますから。

>mugiさんがどうしてもこれ以上私との議論を望むのであれば、私が新規に掲示板でも用意するか、メールでのやり取りが適切だと考えます。
何度も議論の言葉を使われるのを見れば、議論なさりたいのは彼方の方ではないでしょうか。私ははじめから議論などするつもりは毛頭ありませんでしたし、憲法やシュミレーションなどは全く関心がありませんから、議論にもならないでしょう。
私は自分のブログなら話は別ですが、人様のブログでは管理人様及び他の方にも迷惑ですから、長文や議論めいた書込みはしませんので。
管理人様も憤られてますから、これ以上のやり取りは、こちらではお互いこれで終りにしませんか。
もし、議論よりもお話を望まれるなら、拙ブログにお越しください。ただし、彼方とは関心の対象がかなり異なるようです。

管理人様並びに皆様方にも、エントリーの主旨から逸脱したコメントを続けてしまい、ご迷惑をおかけした事をお詫びいたします。
大変申し訳ありませんでした。

投稿: mugi | 2006/05/21 21:55

愛国者さん、初めまして。

>高齢者は戦後の日本を支えてきた人達です。この人達をゴミか、ボロ雑巾のように切り捨てる発想と行為は、日本の伝統文化・道徳に反します。

この見方は一面的にすぎると思いますよ。
ただ、弱者に対する思いやり、これは人間が人間たるゆえんであり、極めて大事なことだと思います。
これがなくなれば人間ではない。

ただ、>子どもが、ホームレスやお年寄りを襲う心理の根源<これは自民党政治だけの問題ではない。
精神的高貴さよりも金銭的豊かさを追い求めてきた戦後の日本人。社会的責務、国家への忠誠よりも、個人の権利(わがまま)、国家への甘えを助長する(家庭及び学校の)教育のせいだと思います。

とくに戦前の日本を丸ごと否定し、近隣諸国に無原則に懺悔する姿勢。これが日本人から民族としての誇りを奪い去っている。

なお、「ワールドカップに出場する選手を応援する心」と愛国心は別物です。

投稿: 坂 眞 | 2006/05/22 08:18

こんばんは、坂さま。

また、つまらないコメントで申し訳ないです。が、愚鈍な私のイメージでは、「恋」と「愛」は似ていますが、本質的には少し異なり、(恋愛時もそうですが、)相手に嫌われないように追従するのは、「恋」でしょう。

それに対し、家族愛でもそうですが、異性でも、息子・娘に対し、注意すればその時は嫌われても、悪い癖や習慣を直そうとするのが愛です。例えば、子供が一人立ちした時に、悪い癖や習慣を持っていたままだと、身内でない他人が見た時に、より辛い思いをするのが子ども自身であり、それを思えば、一時的に嫌われても指摘して、矯正させるのが愛というものです。

そういう意味でも、「愛」とは甘やかすだけではないと思いますし、K国やC国の愛国心も、見せかけだけだと思います(本当に自国を憂うのであれば、自分の行動が自国に及ぼす影響や、良薬は口に苦しでも、諌言する者こそ、本当の愛国者だと思います)。

投稿: Mars | 2006/05/23 00:21

坂眞サンへ
早速のご返答ありがとうございました。昨日発信したつもりでしたが、送信されていませんでした。遅れたことをお詫びします。そこで、具体的に考えてみました。ご検討をお願いします。
愛国者の「この見方は一面的にすぎると思いますよ」「精神的高貴さよりも金銭的豊かさを追い求めてきた戦後の日本人。社会的責務、国家への忠誠よりも、個人の権利(わがまま)、国家への甘えを助長する(家庭及び学校の)教育のせいだと思います」というご意見については、そのような見方があっても当然だと思います。確かに「国家への甘えを助長する教育のせい」という面もあると思います。しかし、学校も家庭も孤立しているのではなく、政治(社会)の中に存在していることも事実です。親は「学校が悪い」と言い、教師は「家庭が悪い」と言う。学校に、親に、責任を負わせるのは酷かも知れません。当事者たちの困惑が見えるてくるからです。でも学校でも、家庭でも、奮闘努力しているのも事実ではないのでしょうか。親にしても、子育て受難の時代であることは、少子化現象を見れば明瞭です。学校にしても学校外の影響の強さにジレンマに陥っているのではないのでしょうか。だからこそ政治が対策を取ろうとしているのだと思います。これは、ある意味で当然です。政治や教育に「責任がある」と感じているからこそ、その成否は別にして、いろいろな教育施策や少子化対策が採用されているのだと思います。教育基本法問題は、その象徴的政策でしょう。私は、「国家は国民の生活や思想を保護しなければならない」という視点から、政治の責任は大きいと発言しました。しかし、坂眞サンの仰ることも否定はできないと思っております。この議論は卵が先か、ニワトリが先か、のような議論になりやすいので、お互いの見方考え方を尊重しあうということで、どうでしょうか。
それから、もう一つの点について、「とくに戦前の日本を丸ごと否定し、近隣諸国に無原則に懺悔する姿勢。これが日本人から民族としての誇りを奪い去っている」というご指摘についてです。私は「戦前の日本を丸ごと否定」することは間違いだと思います。戦前にも良い面がたくさんあったと思います。貧しさの中にあって、必死に生きた人々がいることは、教訓とすべきことだと思います。戦前の国民が一生懸命働いた「成果」の多くが、戦争に費やされたことは、もっと検討されなければなりません。同時にあの戦争に命をかけて反対した人達がいたことは、称賛されるべきこととして、日本国民の心に刻まれなければならにと思います。理由は、敗戦院・終戦という事実は、これらの人々の主張と行動が正しかったことを証明しました。これは日本人が誇りにすべきことです。アジアや世界に誇れるものであり、平和を願う世界諸国民と連帯できることだと思います。しかし、現在の日本は、これらの人々に対して謝罪し、補償し、懸賞するなどということは、全くしていません。非道徳的なことです。自分の国の未来のために命を賭して、時の政府と闘った人々を政府が無視するのは、道徳に対する退廃を示していると思うのです。靖国神社の「英霊」を首相は称賛していますが、国家の侵略戦争遂行のために命を賭した人が「英霊」で、その戦争に命を賭して反対した人は無視される。これは歴史に対する汁冒涜と言われても仕方のないことではないのでしょうか。未来を担う子どもに、戦争に反対して、命を奪われた人達のこと、これらの人々の生き方を教えたら、どうでしょうか。これらの人々の事実は、極めて道徳的な行為だと思うのですが。また「近隣諸国に無原則に懺悔する姿勢」の「無原則」の意味が良くわかりませんが、私も、一般論では賛成です。しかし、同時に、この問題(戦争責任問題)における原則について、述べなければなりません。私は日本人の良さは、潔さであると思っています。己のしたことを弁解などせず、悪いことは悪いとはっきりさせる、これは大人が子どもを躾ける時に使う言葉です。「他人の家に入り込み、家主が抵抗したから、殺したのだ、証拠を残さぬために家を焼いた、何が悪い」という行為を称賛する人はいません。弁護する人もいません。拉致をした北朝鮮にはっきりものを言うのと同じです。北朝鮮が、日本の植民地支配を理由に拉致を合理化できないことと同じです。「政府の行為によって戦争の惨禍」が引き起こされたのです。しかも国内の民主主義を否定して、同時にアジアの人々の命や財産を奪って。このことを真摯に謝罪し、補償し、二度と同じ過ちをしないことをアジアや世界に宣言する。これが国家として、国民として原則的な態度と行為だと思うのです。このような潔さこそ、日本人としての誇りの再生になるのだと思うのです。当時の日本国政府はポツダム宣言を受諾したのですから、この出発点に立って、考えていくべきだと思います。したがって「これが日本人から民族としての誇りを奪い去っている」ということはないと確信しています。勿論「日本人としての民族の誇り」は、私も大切にしたいと思っています。アメリカに、年間40兆円もの税金を貢ぐ日本で良いのか、これだけ国民の教育や暮らしや医療を削っておいて、です。しかし私は、「日本人としての民族の誇り」を大切にすると同じくらい、「他民族の誇り」も大切にしていきたいと考えています。日本には「向こう三軒両隣り」という言葉があります。自分の家の垣根の中に閉じこもるのではなく、向こう三軒までお隣さんで、お付き合いしようという日本の伝統文化です。この視点が大事だと思います。日本国憲法にも「われらは、いづれの国家も、自国のことの専念して他国を無視してはならない」「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とう」とすることは「政治道徳の法則」であり、「普遍的なもの」であると書かれています。「なお、「ワールドカップに出場する選手を応援する心」と愛国心は別物です」というご意見も、そのとおりでしょう。ただWBCに優勝したとき、テレビは街頭の人の発言を放映していました。「日本に生まれて良かった」と。これらの人々の日本人観も大事だと思うのです。以上長々と述べてみましたが、お読みいだたき、ありがとうございました。


投稿: 愛国者 | 2006/05/23 20:22

>>愛国者さま
>アメリカに、年間40兆円もの税金を貢ぐ日本で良いのか、これだけ国民の教育や暮らしや医療を削っておいて、です。

(日本が)アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ?一体、何を指しておられるのでしょうか?是非ともご教示ください。

投稿: 疑問符 | 2006/05/23 22:32

>愛国者さま

日本人が誇りを失ったからこそ民族の象徴である国旗を遠ざけるようになったり、国歌を歌わなくなったのではないでしょうか。また人は金持ちでも貧しい人でも健康な人も病気の人もみんないつの時代でも一生懸命生きてきたと思います。そして日本人の潔さこそ或いは高潔な精神こそ教育という平等な場所で教えていく、それが愛国教育ではないでしょうか。それに戦争に対する謝罪というのは、時の総理がなんども口頭で述べておられるし、莫大な賠償金も払われています。それでも謝罪せよと言われるのなら、今度は何を差し出すのでしょうか。そもそも戦争というのは、お互いに夥しいほどの人が殺戮されています。戦勝国の殺戮は不問で敗戦国は他者の分もひっくるめてその全ての責任を負わされています。日本のなかで反日をいうのは、た易いことだと思います。しかし、悪魔の爆弾といわれた原爆を、広島・長崎に落とされたのに何故日本人は黙っているのでしょうか。

投稿: ナナ | 2006/05/24 02:06

疑問符サンへ
早速のご返答ありがとうございます。「日本がアメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ?一体、何を指しておられるのでしょうか?是非ともご教示ください」という質問についてですが、①思いやり予算を含めた米軍駐留経費、(毎年約6千億円)、②グアム移転費(1兆円から7千億円、それが3兆円に!)③自衛隊予算約4兆円(すでにアラビア海で使われている!米軍との共同作戦訓練が頻繁に行われている!)、④アメリカ国債購入費約30兆円(この金でイラク戦争が賄われたという人もいる!)の合計金額です。これらが毎年支払われているというものではありません。今後の状況によっては支払われる税金でもあります。これを国民の税金を「貢ぐ」という言い方で表現しました。40兆円でないないにしても、双子の赤字に苦しむアメリカを助けているのです。一人あたりの日本国民にするといくらになるでしょうか?国内で7年も毎年3万にも自殺者がでている!というのに。21万人、4人家族だと84万人もの人が泣いているのです! 「怒れ!日本人よ!」と声を大にして言いたいというのが、[愛国者]の率直な感想です。

ナナさんへ
早速のご返答ありがとうございました。以下述べます。
第一にに、「日本人が誇りを失ったからこそ民族の象徴である国旗を遠ざけるようになったり、国歌を歌わなくなったのではないでしょうか」という指摘についてですが、そういう指摘もわかります。これについては、戦後の歴史をどのように見るかということと関連しているようにも思います。それは①日本政府がポツダム宣言を受諾し、占領軍の間接統治の下で、いわゆる「民主化」政策を推進してきました。しかし、1950年1月1日、マ元帥の年頭挨拶、占領政策の変更、いわゆる「逆コース」のなかで、日の丸・君が代を復活させたことをどうみるか、です。②その後の政権が、戦前の政権が日の丸・君が代を、国民を戦争遂行に使ったことを向き合ってこなかったこと、そして既成事実化という戦術を駆使して国民への定着を図ったことをどうみるか、です。③そのような政権に対して、日教組や歴史家・研究者・教育諸団体・社会党や共産党をはじめ、いわゆる「革新」勢力とよばれる人たちが、この問題を追及してきたことを、どのようにみるか、です。④こうした戦後史のなかで、天皇の戦争責任問題が昭和天皇の死まで、タブー視されてきたことをどうみるか、です。⑤この天皇の戦争責任問題と戦後の政権が曖昧にしたこと関連して、「日本人論」とか「伝統文化」、「日本民族」などという言葉を使うと、戦前の軍国主義と連動してしまう発想が、いわゆる「革新」勢力の中にもあり、この問題について、突っ込んだ国民的議論が弱かったこと、これをどうみるか、です。⑥こうした推移の中で、日の丸・君が代の国旗・国歌法が明治以来はじめて成立したことをどうみるか、です。
第二に、「また人は金持ちでも貧しい人でも健康な人も病気の人もみんないつの時代でも一生懸命生きてきたと思います。そして日本人の潔さこそ或いは高潔な精神こそ教育という平等な場所で教えていく、それが愛国教育ではないでしょうかという意見には賛成です。そのとおりです。私は日本の良さをもっと出し合い、これを国民みんなのものにしていく営みをもっと議論すべきだと思います。その点、最近の相撲界の外国人力士の活躍とそれに対する日本国民の賞賛など、嬉しくなってしまいます。鶴瓶の『家族に乾杯』や『田舎に泊まろう』『地球家族』なども、日本人の良さが良く出ていて、「子どもに見せたい番組だな」と思います。また『水戸黄門』『暴れん坊将軍』なども色々意見があると思いますが、私は「勧善懲悪」という点では、極めて日本的だと評価しています。ところが米軍への税金貢ぎや湯水のように公共事業への税金投入、食糧自給率の低下などなど、「勧善懲悪」的にみると、もっと議論すべきだと思うのです。
第三には、「戦争に対する謝罪」についてです。「時の総理がなんども口頭で述べておられるし、莫大な賠償金も払われています」という点については、どんなに良い言葉でも、本当に相手に響かなければ、それは無に等しいと思うのです。確かに細川首相が「侵略戦争」と発言したこともあります。しかし反撃に合い、「侵略的行為」と言い換えた事件がありました。そして「戦後50年の国会決議」、「従軍慰安婦に対する政府見解」など、それまでとは違った言葉を発してきました。そうした事実を前提に「それでも謝罪せよと言われるのなら、今度は何を差し出すのでしょうか」となるのだと思うのです。しかし被害を受けた人々は、加害をした国の政府の一挙手一投足に注目しているのです。ヒロシマやナガサキ、オキナワを見れば明瞭です。ところが被害国の国民の心を逆なでする発言や行動を政治家が取って来なかったでしょうか。また賠償金については、アジアの「時の政府」には(借款とか援助費だったでしょうか)支払ったかもしれませんが、「一人ひとりの国民」には、どうでしょうか。いわゆる「従軍慰安婦」のついては「国民基金」で、「政府の責任」を曖昧にしなかったでしょうか。だからソウルでは毎週水曜日に日本国大使館前で、彼女たちが抗議をしているのです。一人ひとりはいい人です。日付は忘れましたが、以前毎日新聞(今手元にないので正確でないことをお許しください)が日本の戦後補償の費用は、裁判で進行中のものだったように思いますが、11兆円になると試算したことがあります。ドイツでは、国民がナチスドイツの被害者に賠償することを認めています。戦勝国アメリカでは、日本人を強制収容所に入れましたが、その賠償金を一人ひとりに支払ったのです。日本と大きな違いです。1970年に時効不適用条約が調印されました。これは非人道的行為には時効は適用されないという国際条約です。しかし日本政府は、この条約に参加していないのです。メディアも、これを報道していません。学校でも教えていません。こうしたことが、日本人の潔さと高潔さに違反しないか、どうか、なのです。
第四には、「そもそも戦争というのは、お互いに夥しいほどの人が殺戮されています」については、「一般論」で戦争を語っているのではないのです。日本が大陸に出て行かなければ、戦争は起こらなかったのです。「戦勝国の殺戮は不問で敗戦国は他者の分もひっくるめてその全ての責任を負わされています」というのは潔さの点で、どうでしょうか。日本は被害国ではないのです。加害国なのです。責任回避とならないでしょうか。
第五には、「日本のなかで反日をいうのは、た易いことだと思います」というのでは、私のような者は「反日主義者」と言われてしまいそうです。
第六には、「しかし、悪魔の爆弾といわれた原爆を、広島・長崎に落とされたのに何故日本人は黙っているのでしょうか」というのも、「黙っていない日本人もたくさんいる」ことをメディアが報道していないだけなのです。このことを教科書も書いていないのです。1961年12月7日に本政府は、勲一等旭日大綬章をカーチス・ルメー将軍に送ったことがあります。日本の「航空自衛隊の育成に貢献」したことが理由だと佐藤栄作首相が語ったのです。将軍は、ドイツの無差別爆撃を教訓に東京大空襲を始め、日本本土を灰燼にした責任者でした。戦後はベトナムへの無差別爆撃を指揮した人でもありました。この事実に象徴されていないでしょうか。戦後の日本国政府の立場が。1954年3月1日ビキニ事件以後始まった原水爆禁止世界大会(原水禁運動)は、アメリカの核兵器投下を告発し、各国の核兵器政策を止めさせる運動を展開しています。超大国の核兵器削減に大きく貢献しています。この二つの事実を比較して、戦前の日本国政府は「鬼畜米英」「ABCD包囲網」「満蒙は生命線」「一億玉砕」などとして国民を戦争に駆り立てたのです。反対した人々は「国賊・非国民」でした。獄中で殺された人もいました。戦前の政府を受け継いだ戦後の日本国政府は、どうでしょうか。今度は勲章を贈っているのです。一方では日本国憲法はアメリカに押し付けられたと言いながら。
以上、「愛国者」を自認する私の考えを述べてみました。お読みいただきありがとうございました。

投稿: 愛国者 | 2006/05/24 20:46

>>愛国者さん

要するに、愛国者が主張される「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」には根拠が無いことが分かりました。また、確かに不幸なことに日本では自殺者が年間3万人台になっていますが、この自殺者数の推移とアメリカとの同盟関係に何の関係があるというのでしょうか?電信柱が高いのも、ポストが赤いのもみんなアメリカとの同盟関係に起因するいった類のざれ言でしょう・・・・少しは説得力のある意見を表明されたら如何でしょうか?というか、愛国者さんの書き込みは特定政党のプロパガンダなのかな?必死ですね・・・・
http://blog.goo.ne.jp/yojiro5/e/fd115178c80c504e6ccae8d7e214dda3


投稿: 疑問符 | 2006/05/24 23:43

疑問符サンへ
早速のご返答ありがとうございました。
「要するに、愛国者が主張されるアメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本には根拠が無いことが分かりました」という評価をいただき、大変残念に思います。
第一に、アメリカの双子の赤字の穴埋めに日本国民の税金が使われていることを疑問符サンはどのように考えているか、です。金額は膨大なものです。ハリケーンの被害が起こったのは、イラク戦争に州兵を派兵していたことと、災害対策費など、いわゆる社会資本を軍事費に回していたことが報道されていなかったでしょうか。それほどアメリカ政府の台所は窮しているのです。日本も対岸の火事などと、呑気なことを言っていられないと思います。
第二に、「根拠がない」というのであれば、どのような事実をあげれば「根拠がある」というのでしょうか。思いやり予算とか、防衛費とか、国債購入費が、具体的にどのように使われているか、ということでしょうか。それでは、二つ紹介します。

「思いやり」光熱水料、全廃要求へ(産経新聞) - 4月6日2時57分更新
思いやり予算 光熱水料、全廃要求へ 249億円 米軍再編で支出抑制
 政府は五日、米軍の変革・再編(トランスフォーメーション)をめぐり、日本側が負担している在日米軍駐留経費(思いやり予算)のうち、光熱水料(平成十七年度予算で二百四十九億円)の全廃を米側に要求する方針を固めた。基地移転で隊舎などの施設整備費を日本が負担する見返りで、支出抑制を求める財務省の意向も強く、来年度からの新特別協定で決着を目指す。
 特別協定に基づく思いやり予算は、基地で使う電気、ガス、水道の光熱水料のほか、基地で働く日本人従業員の賃金(十七年度=千百三十八億円)と、日本側の事情で訓練場所を変更してもらうための訓練移転費(同四億円)がある。
 また、日米地位協定に基づき、隊舎や家族住宅などの提供施設の整備費(同六百八十九億円)も負担。十七年度の日本の負担総額は二千三百七十八億円にのぼる。
 再編では、米陸軍第一軍団司令部(ワシントン州)のキャンプ座間(神奈川県)への移転や、普天間飛行場(沖縄県)の移設計画を見直し、基地機能の一部を九州の自衛隊基地に移設する案などが検討され、実現すれば施設の整備費は日本側負担となる。
 政府は当初、光熱水料の三十億円程度の削減を求める方針だったが、「財政事情は厳しく、施設整備費の増加も予想され、光熱水料の負担は全額を廃止すべきだ」(政府筋)との対処方針に転換。光熱水料の全廃により、日本側負担総額の約一割を削減したい意向だ。
 特別協定は五年ごとに締結し、現協定は十七年度で期限が切れ、十八年度以降の負担を定める新協定を締結する必要がある。予算編成にも影響するため、政府は今年八月の十八年度予算の概算要求までに米政府と合意し、秋の臨時国会で新協定の承認を得たい考え。
 ただ、米側は「在日米軍は日本の抑止力に寄与している」として思いやり予算の大幅削減に難色を示しており、交渉は難航しそうだ。
 これに関連、日米両政府は米軍再編をめぐる外務・防衛当局の審議官級協議を八日にハワイで開催。日本側から外務省の梅本和義北米局参事官、防衛庁の山内千里防衛局次長、米側からはローレス国防副次官らが出席する。

【産経新聞70周年記念講演】日本よ、自ら信じ自ら運命を切り開け
作家・東京都知事 石原慎太郎 NOと言わぬ国のもろさ
※本稿は平成十四年十一月五日に大阪・サンケイホール、同六日に東京・新高輪プリンスホテルで、石原慎太郎東京都知事を招いて行った産経新聞創刊七十周年記念の特別講演会(より愛国者が抜粋しました!)
 アメリカは、経済戦略を金融戦略に変えた。モノを作って、売ったり買ったりして貿易で上がるような金は、日本に任しておいたらいい。しかしその数十倍の、見えない金融商品を売ったり買ったりして動かす、いわゆるカネ経済はアメリカが制覇する。そういう戦略に乗り出した。 日本人は結構うまいものを器用に作るから、もうけさせろ。それはいい。が、日本人がもうけた金の使い方はおれたちが決める、という戦略を立てた。今、現にそうじゃないか。日本の金利は、誰が決めているのか。アメリカの財務省だ。手先になって走った日本の元官僚もいっぱいいる。武士の情けだから、名前は挙げないが(笑)。 議員を辞めたあと私は、あんまり日本の金融事情が悪く、なおかつ工夫がないので、日本はアメリカの金融奴隷になったというサブタイトルで『「NO」と言える日本経済』という本を出した。かなり高度な難しいものを書いたんだけども、四十五万部ぐらい売れた。私もびっくりした。日本の国民もばかじゃないから、危機感も不安も感じている。 世界で一番外国に金を貸し、隣のシナ(中国)のように水爆を作っている国にもODA(政府開発援助)と称して金をくれてやって。皆さんの税金だ。この金は、向こうに返すつもりがないから返ってこまい。それでもODAにジャブジャブ金をつぎ込んでいる。橋本龍太郎君が首相のときに、どっかのセミナーで「日本も財政がピンチになってきたので、できればアメリカの国債を少し売りたい」と漏らしたら、たちまち、破竹の勢いで株が上がっていたウォールストリートで、次の日だけ四%株が下がった。
 一番アメリカの国債を買っているのは日本ではないか。民間を合わせたら、三百兆ぐらいのアメリカの国債を買っている。日本はアメリカの国債をにわかに売るわけにはいかないだろうが、それぐらい「生殺与奪の権」というか、交渉の大事なカードなんだ。が、その扱い方がわからない。 いずれにしろ、世界に対して一番金を貸してやっている日本がうまくいかなくて、反対に世界中で金を借りているアメリカが一番繁栄してきた。これは変な話だ。日本人だって、そのおかしさをうすうす感じていたし、私もそのことを書いた。 有名なアメリカの銀行が宣言した。「われわれが、これから銀行として扱っていく商品は、もはやマネーじゃない。リスクだ」と。リスクというのは、デリバティブ、金融派生商品の別名。ある種の危険はあるけれども、大きな利回りが返ってくる可能性があるからリスクと呼ばれている。これをアメリカが考え出し、武器にして、世界中の金融制覇に乗り出した。大蔵省のキャリアと称して、おれたちこそ世界で一番頭がいいエリートだと思っている連中のなかで、当時デリバティブのことを知ってる人間は一人もいなかった。 日本の官僚は、金融派生商品についてわからないことが出た場合、どこに聞いたかというと米国の財務省に聞いた。財務省がわからないと、今度はウォールストリートに照会した。 ウォールストリートは、自分たちにとって都合のいい返事しかしない。日本の大蔵省は、そのころからか、もっと前からか、財務省の人間にいわせれば、彼らの「東京支店」ということだった。米国務省も、日本の外務省のことを「日本支店」と言っている。飛躍した言い方になるかもしれないが、一年ぐらい前に「ニューズウィーク」が日本特集を組んだときに表紙は星条旗のクローズアップで、その並んだ星の一番あとに星の代わりに小さな日の丸がついていた。それぐらい見くびられている。私は、日本がアメリカの五十何番目の州になることは決して好まない。 そのころ米国の雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に、後にカーター政権の特別補佐官になったブレジンスキーという男が、「日本はアメリカのベッスルである」と書いた。辞書を引くとわかるが、下僕という意味。サーバントのなかでも一番位の低い、奴隷よりはちょっと上。日本はアメリカのベッスルであると書いた。知っている人間は頭にきたが、腹を立てるだけで済むものではない。言われて仕方がない節がないでもない。その原因は、私たちがこれまで、ほとんど自己主張をしてこなかった、というところにある。 今、日本の金融界で株を動かしている半分以上は外国の投資家だ。日本人は半分を切ってしまった。そういう実態を、アメリカはちゃんと作ってきた。日本はそれに抵抗せずにいわれるままにやってきた。自己主張せず「NO」といわない。私は、そういう国は非常にもろいと思う。
いかがでしょうか。たくさんあるなかで、この二つの事例を選択してみました。ここに出されている金額(国債はこの間に300兆円!年間にすると30から40兆円という人も)をどのように考えるか、です。今年度の「防衛費」は約5兆円でした。4兆円は少なく見立ててしまいました。失礼しました。
「また、確かに不幸なことに日本では自殺者が年間3万人台になっていますが、この自殺者数の推移とアメリカとの同盟関係に何の関係があるというのでしょうか?」という疑問についてです。
第三に、疑問符サンは、自殺者の原因をどのようにお考えでしょうか。先にあげた思いやり予算は本来アメリカが出すべき金です。また双子の赤字の穴埋めに国債が使われている、と「愛国者」は言っているのです。石原氏も同様です。ことについて疑問符サンは、どのように考える、かです。アメリカ政府は日本が購入した国債をどのように使っているか、「愛国者」は資料を持ち合わせていません。どなかた、知っている方がいたら、お願いしたいものです。アメリカ政府が、具体的に出してくれれば良いのですが、そんなことはしないでしょう。しかし、少なくとも、不足しているアメリカ国家財政に、日本国民の税金が膨大な金額で支払われているのです。国債とはそのようなものです。現在も、そして過去の日本もそうです。丁度日露戦争がアメリカとイギリスの資金援助で行われたことと似ていませんか?「愛国者」は、その税金を日本の国内問題に使ったらどうか、と言っているのです。日本大好きの愛国者としては、なぜ日本人は、このことに怒らないのか、不思議でなりません。同じ民族が国内で自殺していると言うのに。不況とリストラなどが原因とされているのに。何故同じ民族の自殺に同じ民族の血税が使われないのだ、と。まだあります!今「ニート」が問題になっていますが、アメリカ国債を買う金があるならば、国内の雇用政策に、何故使わないのだ!と。
第四に、このような日本政府の態度は、ルメーに勲章を贈った発想が継続されていると思いませんか?具体的にあげればキリがありません。アメリカの子どもには厚く、日本の子どもには冷たい日本国政府、国家百年の教育に金をサボる。とんでもない政府と言えませんか?「愛国者」としては、ガマンの限界をはるかにとおり越してします。こんな事実を日本の子どもや青年が知ったら、どうでしょうか。「愛国心」が育つでしょうか?疑問符サンはどうでしょうか?
「電信柱が高いのも、ポストが赤いのもみんなアメリカとの同盟関係に起因するといった類のざれ言でしょう・・・・少しは説得力のある意見を表明されたら如何でしょうか?」というような言い方はしない方が良いのでは?疑問符サンの値打ちを下げてしまいますよ!そんな人ではないと確信していますが・・・。
第五に、疑問符サンも、日本を愛していないのですか?確かに「説得力がない」と言われれば、そうかもしれません。しかし、私の展開した諸事実全体が「説得力のない」ものであるならば、その点を指摘していただきたいです。疑問符サンの仰るように、具体的に数字はあげませんでした。しかし、その点で言えば、自殺者の数字も大まかな数字しかあげませんでした。でも疑問符サンは、この点については、、「確かに不幸なことに日本では自殺者が年間3万人台になっていますが」と述べていただいているのです。そのような視点でアメリカと日本の関係をみていただけないでしょうか。「愛国者」全体の論調についての評価をお願いしたいのです。議論が分散してしまいそうで、それは不毛です。意見の違いは当然、批判されてありがとうという考えで行きましょうよ。人間は知らないことはたくさんあるのです。それをお互いに補いあって、より良い日本を作っていければ、交流は成功です。
最後に、「というか、愛国者さんの書き込みは特定政党のプロパガンダなのかな?必死ですね・・・・」という「揶揄?」は止めた方が良いですね。お互い意見が違っても、相手を辱めたり、冒涜するような表現は、日本人の潔さから見ると、日本の伝統文化に反すると思いますが、いかがでしょうか。いずれにしましても、アメリカ国債の使途・自衛隊と米軍の関係からくる防衛費の使途・思いやり予算の使途は事例を若干あげてみました。「少しは説得力のある意見」になったでしょうか。以下のブログに述べた私の考えについても紹介していただき、ありがたく思います。しかしそれが、「特定政党のプロパガンダなのかな?必死ですね」という評価は当てはまりません。これは「愛国者」の「日本大好き人間」としての「判断」というか、最近「本当の意味の愛国心」を語っていない「日本人」が多いように思うので、「こんな愛国心」「こんな日本人」は、いかがでしょうか、というメッセージなのです。「必死」なのは、あまりに日本人の自殺が多いからです。殺人事件も多すぎます。まさに戦争状態です。異常です。これをなんとも思わない日本人は、異常ではないのでしょうか。だから、これを何とかしようと、「必死になって何が悪い!」と言いたいのです。同じに日本人が、ある意味では殺されているのだ!との判断からです。のんびりしていられないのです。こうして意見をまとめている時にも、人が死んで、あるいは殺されているのです。国際社会が、このような日本を見て、どう思うか、「愛国者」には、とてもガマンがならないのです。疑問符サンも、いかがでしょうか。私と一致できないのでしょうか。またしても長くなってしまいました。お読みいただきありがとうございます。朝5時50分に出勤し、仕事を終えて帰宅したのが21時30分。それから食事や入浴して、他の仕事しながら、まとめましたので、不十分なところがあると思います。宜しくご検討のほどを、お願いします。http://blog.goo.ne.jp/yojiro5/e/fd115178c80c504e6ccae8d7e214dda3

投稿: 愛国者 | 2006/05/26 01:36

やはりそうでしたか。必要以上に長い文章でうんざりしましたが、結局愛国者さんの本心は、愛国心云々よりも「日本は中・韓国に謝罪が足りない。相手が満足するまで謝罪せよ」ということだったんですね。しかも一人一人に・・・。

投稿: ナナ | 2006/05/26 01:42

>>愛国者さん

貴殿が主張する「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」の根拠は何か?と、単に、素朴な質問をしただけだが、返答は実にウンザリするほどの長文の、しかも多くを他人の講演内容で代用というもの・・・「根拠が無い主張」だから冗長な長文で取り繕うのに苦労するのでしょう・・・まぁ、呆れました。貴殿にも主張したい点があるようだが、己が言わんとすることを裏づけをもって、簡潔にまとめる文章力を身につけるのが先決問題だと思います・・・それに他人のブログに、管理人さんの寛容な態度に甘えて、実に冗長な長文を書き込む無神経さは是非とも矯正されることを希望します・・・・

投稿: 疑問符 | 2006/05/26 10:24

ナナさんへ
「結局愛国者さんの本心は、愛国心云々よりも「日本は中・韓国に謝罪が足りない。相手が満足するまで謝罪せよ」ということだったんですね。しかも一人一人・・・」という「飛躍」には困ったものです。日本と同じ敗戦国ドイツと日本に勝った戦勝国アメリカと、そして吾日本の違いをナナさんは、どう思うのですか。時効不適用条約についても、ナナさんはどう思いますか、と投げかけているのですよ。私は事例をあげてナナさんに投げかけたのです。ナナさんの「結局云々」という「結論」は、あまりに「愛国者」の問題提起を無視していないでしょうか。もう一度言います。日本は被害国ではないのですよ。きちっとケジメをつけましょう、ということですよ。そのケジメの付け方は、①きちんと謝罪する。その謝罪を否定するような政治家の発言は慎む。「反省ならサルでもできる」というCMがありましたね。そのようなことを言われないようにしたいものですね。②補償をしっかりやる。言い訳は見苦しい。アメリカやドイツは潔い!③二度と同じ過ちをしないように、教科書に書いて若者に伝える。最近では中国・韓国と歴史認識の交流が始まり、その成果が本になった。フランスもドイツもすでにやっているようです。手元に具体的な資料がありませんので、調べてみます。④若者を含め、文化・スポーツ交流を活発にする。これについては、結構できている。最大の問題は政治家の発言と裁判所と企業の姿勢。このような原則を作って、地道に深めていくことを官民がそれぞれの立場からやってみたら、どうでしょうか。その際の原則は、対等平等に、ということと未来指向ということです。論点がそれないことを希望いたします。
疑問符サンへ
「根拠をあげろ」と言われたので、「産経」と石原都知事の「具体的な資料」をお送りしたのです。「愛国者」だけが、勝手に言っているのではないというメッセージを送ったのです。「産経」に出ている数字が「根拠」です。石原都知事の発言が「根拠」です。疑問符サンは、これらの「具体的な資料」「根拠」をどのように受け止めますか。私は、具体的な「根拠」を出して、裏づけを出して問題提起したのです。問題は日本国民の税金がアメリカに使われていることを日本大好きの日本人である「愛国者」としては大問題であるとの考えをいろいろな例をあげて問題提起しているのです。それらの問題提起について、疑問符サンは、どうお思いですか。
「単に、素朴な質問をしただけ」なのに「返答は実にウンザリするほどの長文」であることは「事実」ですが、この資料は結構示唆的だったので、インターネットで出ていたものをお送りしたのです。「他人の講演内容」と言いますが、石原サンの言っていることは、「愛国者」を「代用」ではなく「代弁」してくれているので、お送りしたのです。「愛国者」の出した資料が「根拠が無い主張」であるならば、「産経」も石原サンも同じです。「だから冗長な長文で取り繕うのに苦労するのでしょう・・・まぁ、呆れました」というのであれば、石原サンも同じですね。どうでしょうか。私の具体的な問題提起に具体的にお答えしていただきたいと思いますが・・・・。論点がそれないことを希望いたします。

投稿: 愛国者 | 2006/05/26 20:21

>>愛国者さん
>①思いやり予算を含めた米軍駐留経費、(毎年約6千億円)、②グアム移転費(1兆円から7千億円、それが3兆円に!)③自衛隊予算約4兆円(すでにアラビア海で使われている!米軍との共同作戦訓練が頻繁に行われている!)、④アメリカ国債購入費約30兆円(この金でイラク戦争が賄われたという人もいる!)の合計金額です。
>「産経」に出ている数字が「根拠」です。石原都知事の発言が「根拠」です。疑問符サンは、これらの「具体的な資料」「根拠」をどのように受け止めますか。


①の在日米軍駐留経費負担は、最近では毎年削減の方向にあり、2005年度予算で約2400億円となっているようです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E3%81%84%E3%82%84%E3%82%8A%E4%BA%88%E7%AE%97
http://www.jca.apc.org/HHK/Stat.Okinawa/Omoiyari.html
次に、②の海兵隊のグアム移転計画は、現在のところ、2012年完了を目途とし、所要経費を総額で102億7000万ドルと見積もり、日本側が59%、60億9000万ドル(約7100億円)を負担することで日米が合意。日本側は財政支出28億ドルに加え、将来米側から返済される15億ドルを出資するので、合わせて43億ドルは予算措置が必要となる。残りの17億9000万ドルは融資することで日米で合意したと伝えられています。そこで、日本の負担額を単純に約7100億円にしても、移転には5~6年かかるので、年間経費は、約1400~1200億円/年程度になるのではないでしょうか?違いますか?
③のわが国の防衛予算は18年度で総額約4兆7906億円で、内訳は人件・糧食費が2兆1337億円、物件費が2兆6570億円となっています。まぁ、防衛予算の約半分の約2兆円は自衛官約25万人の人件費などのようです。http://www.jda.go.jp/j/defense/jda-sdf/kousei/index.html
なお、イラク派遣の自衛隊は数百人規模で人道復興支援を行なっていますので、装備も最小限で対応していると思います。したがって、防衛予算約5兆円の全額を「アメリカに貢ぐ」と括るのは狂気の沙汰の類かと思いますが・・・
④のアメリカ国債については
>日本政府の米国債保有率が上昇しているのは、ほかならぬ、円高を是正するために日本が行う巨大化する「円売り・ドル買い」の為替介入の結果である。政府は、為替介入資金を管理する外国為替資金特別会計で、国債の一種である政府短期証券(外国為替資金証券)を発行して、金融市場から円資金を借り、日銀を通じて外国為替市場で、その円資金をドルと両替する。それで得たドルで、政府は米国債を買って運用する。
http://www.sasayama.or.jp/wordpress/index.php?p=33
のようですので、愛国者さんが主張されるように、「アメリカ国債購入費約30兆円」などと計上されていないと思いますが・・・

したがって、愛国者さんが「根拠」とする数字は、何ら「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」の根拠にはなっていないと思いますが、如何でしょうか?なお、日本の自殺者数3万人とアメリカとの因果関係については愛国者さんの考え方が全く見えませんので、発言を控えさせていただきます。愛国者さんの主張は、失礼ながら、どうしても「電信柱が・・・、ポストが・・・」の類にしか思えません。

投稿: 疑問符 | 2006/05/27 00:16

疑問符サンへ
早速のご返答ありがとうございました。
資料があるなら、最初から出していただければありがたいですね。具体的に数字が出てきました。ポイントは日本がアメリカのために金を出したかどうかです。
思いやり予算を出していたことは事実でした。これは国民の税金でした。しかしこれはひょっとすると、赤字国債から出したのかも知れません。それはわかりません。金額が減ったことは問題ではありません。この思いやり予算を含めてアメリカに貢いでいる金を国内の自殺者対策(等)に回せ!ということを「愛国者」は言っているのです。簡単なことです。このことを疑問符サンは、どのように考えるか、それをお聞きしたいのです。

沖縄タイムスの050427の社説でも以下のように述べていました。
「防衛施設庁は「〇六年度からの新協定では、批判が強かった光熱水道料費の削減を米側に求める可能性もある」と強調。国の財政難もあり「今後も思いやり予算は減少傾向が続くだろう」と予測している。
とありますが、国民の批判があったからです。
次に国債についてです。疑問符さんの出してきた資料と視点は事実でしょう。しかし「愛国者」が強調しているのは、アメリカの財政赤字と貿易赤字の補填に使われているという事実です。田中宇氏のHPには以下の事実と視点が掲載されていました。参考までに。因みに「アメリカ国債」で検索すると、たくさん出ています。疑問符サンもご存知でしょうが。
 ブッシュ政権は、すでに従来の発行限度枠いっぱいまで国債を発行してしまっており、米財務省のスノー長官は「議会が国債発行限度の引き上げを承認しなければ、利払いのための国債の追加発行ができず、米国債は債務不履行に陥る」と議会に圧力をかけていた。 ブッシュ政権が財政赤字の上限の引き上げを行うのは、就任以来の5年間で、これが4回目である。ブッシュ政権の開始時には国債発行上限は5兆9000億ドルだったが、911事件後のテロ対策費の急増とアフガニスタンの戦費をまかなうため財政赤字が急増し、2002年6月には上限に達したため、5000億ドル上限を拡大して6兆4000億ドルに引き上げられた。 しかしその後、半年あまりでこの拡大分も戦費とテロ対策費などに費やされて再び国債発行は上限に達してしまい、イラク戦争直前の2003年3月に引き上げられた。その後、イラク占領の泥沼化で戦費が急増したため、2004年11月に再度上限が引き上げられて8兆1800億ドルとなり、それから1年4カ月でこの拡大分も使い切ってしまい、今回の上限拡大となった。 米連邦政府の財政は、クリントンからブッシュに政権が交代するときには黒字だったが、ブッシュ政権はその後の2年間でクリントンがせっかく黒字化した財政を再び赤字に転落させ、しかも2003年には単年度の財政赤字を、いきなり史上最高額の4000億ドル以上の規模に拡大させた。(それまでの最高額は1992年の2900億ドル)
「風が吹けば、桶屋が儲かる」式に日本国民の税金が使われているのではないのですか。この事実の根本には日米安全保障条約第2条があると、「愛国者」は思っています。とんでもない条約です。また、この「桶屋論」は建設国債を発行し、その赤字を穴埋めするために、赤字国債を発行したこと、また国民生活に係る税金をあげてきたことに証明されているようにも思います。防衛費は聖域ですから。不足分はどこから持ってくるか。アメリカも、発想は同じではないのですか。ハリケーン事件もそうでしたよね。橋本首相が首になったのも、アメリカ国債売却発言が、一因だったと言われています。これは結構出ていました。アメリカの「必死」さが見えているように思います。疑問符サンは、当然ご存知だと思います。ところで、アメリカ国債の金利下がったら、日本国政府はどうするのでしょうか。まさか、国民に責任を転嫁することはないですよね。いずれにしても、「愛国者」は、日本はアメリカの属国・植民地ではないことを疑問符サンとともに確認できればと思います。自殺者の正確な数字を出さなかったのと同じように、金額の正確さを論じているわけではありません。そもそも正確な数字は当局が出していないのですから。日本政府のアメリカ国債保有額についても、好評されてはいません。疑問符サンに紹介していただいた05年2月の資料も、確か、そうでしたよね。

投稿: 愛国者 | 2006/05/27 09:29

>>愛国者さんへ

貴殿が主張する「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」の根拠は何か?と質問をしたのに対し、「根拠無し」となれば、
>ポイントは日本がアメリカのために金を出したかどうかです。
と、典型的な論点変更ですな・・百歩譲って、「日本がアメリカのために金を出した」にしても、それが何か問題ですか?確か、愛国者さんは、先のコメントで
>論点がそれないことを希望いたします。
と結んでいたはずですがね・・・・貴殿は、意見表明というより、プロパガンダを必死にしているにすぎませんし、場所を間違えていますよ・・まぁ、好意的に捉えれば、議論をする基本的な姿勢に欠けているということですかね・・・・

投稿: 疑問符 | 2006/05/27 10:52

疑問符サンへ
早速のご返答ありがとうございます。
論点は「愛国心」をどうみるか、ということだったはずです。「犬が鳴いた」から「猫が鳴いた」式の議論になりかねないと不安を抱いていましたが、やはりそのようになってしまいました。残念です。「議論する基本的な姿勢に欠けている」と言われてしまいました。ではそれに付き合ってきた疑問符サンは一体何でしょうか。あまり決め付けるような言い方はしない方が良いと思います。具体的な数字や事実を上げ、議論しあうことは無駄なことではないと思うのでよ。相手をやりこめることが目的としたら、・・・ですね。では議論の経過を振り返ってみたいと思います。そもそもの始まりは、「愛国心の視点」について述べたことが始まりです。
1.投稿 愛国者 | 2006/05/21 9:55:38
教育に米百俵と言いながら、教育費を削り、現場の教師や親に責任を転嫁する小泉首相、税金を湯水のように開発、「公共」事業に使い、国土を荒廃させ、ゼネコンや大銀行を大儲けさせ、その見返りに政治献金を掠め取る。その借金を国民に押し付ける議員、医療費カットの医療改悪を強行採決した自民党や公明党こそ、「愛国心」のカケラもない輩。彼らに「愛国心」を説教する資格はない。「愛国心」を説教する資格はない。
2.投稿 坂 眞 | 2006/05/22 8:18:39
子どもが、ホームレスやお年寄りを襲う心理の根源<これは自民党政治だけの問題ではない。精神的高貴さよりも金銭的豊かさを追い求めてきた戦後の日本人。社会的責務、国家への忠誠よりも、個人の権利(わがまま)、国家への甘えを助長する(家庭及び学校の)教育のせいだと思います。とくに戦前の日本を丸ごと否定し、近隣諸国に無原則に懺悔する姿勢。これが日本人から民族としての誇りを奪い去っている。
3.投稿 愛国者 | 2006/05/23 20:22:01
一つ「とくに戦前の日本を丸ごと否定し、近隣諸国に無原則に懺悔する姿勢。これが日本人から民族としての誇りを奪い去っている」について、私は「戦前の日本を丸ごと否定」することは間違い。戦前にも良い面がたくさんあった。貧しさの中にあって、必死に生きた人々がいることは、教訓とすべき。「日本人としての民族の誇り」は、私も大切にしたい。アメリカに、年間40兆円もの税金を貢ぐ日本で良いのか、これだけ国民の教育や暮らしや医療を削っておいて。
4.投稿 疑問符 | 2006/05/23 22:32:43>
アメリカに、年間40兆円もの税金を貢ぐ日本で良いのか、これだけ国民の教育や暮らしや医療を削っておいて、です。(日本が)アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ?一体、何を指しておられるのでしょうか?是非ともご教示ください。
5.投稿 愛国者 | 2006/05/24 20:46:27
①思いやり予算を含めた米軍駐留経費、(毎年約6千億円)、②グアム移転費(1兆円から7千億円、それが3兆円に!)③自衛隊予算約4兆円(すでにアラビア海で使われている!米軍との共同作戦訓練が頻繁に行われている!)、④アメリカ国債購入費約30兆円(この金でイラク戦争が賄われたという人もいる!)の合計金額です。これらが毎年支払われているというものではありません。今後の状況によっては支払われる税金でもあります。これを国民の税金を「貢ぐ」という言い方で表現しました。40兆円でないないにしても、双子の赤字に苦しむアメリカを助けているのです。
6.投稿 疑問符 | 2006/05/24 23:43:12
要するに、愛国者が主張される「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」には根拠が無いことが分かりました。また、確かに不幸なことに日本では自殺者が年間3万人台になっています
7.投稿 愛国者 | 2006/05/26 1:36:45
第一に、アメリカの双子の赤字の穴埋めに日本国民の税金が使われていることを疑問符サンはどのように考えているか、です。金額は膨大なものです。ハリケーンの被害が起こったのは、イラク戦争に州兵を派兵していたことと、災害対策費など、いわゆる社会資本を軍事費に回していたことが報道されていなかったでしょうか。それほどアメリカ政府の台所は窮しているのです。第二に、「根拠がない」というのであれば、どのような事実をあげれば「根拠がある」というのでしょうか。思いやり予算とか、防衛費とか、国債購入費が、具体的にどのように使われているか、ということでしょうか。
8.投稿 疑問符 | 2006/05/26 10:24:06
貴殿が主張する「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」の根拠は何か?と、単に、素朴な質問をしただけだが、返答は実にウンザリするほどの長文の、しかも多くを他人の講演内容で代用というもの・「根拠が無い主張」だから冗長な長文で取り繕うのに苦労するのでしょう・まぁ、呆れました。貴殿にも主張したい点があるようだが、己が言わんとすることを裏づけをもって、簡潔にまとめる文章力を身につけるのが先決問題だと思います
9.投稿 愛国者 | 2006/05/26 20:21:52。
「産経」に出ている数字、石原都知事の発言が「根拠」です。疑問符サンは、これらの「具体的な資料」「根拠」をどのように受け止めますか。私は、具体的な「根拠」を出して、裏づけを出して問題提起した。問題は日本国民の税金がアメリカに使われていることを日本大好きの日本人である「愛国者」としては大問題であるとの考えをいろいろな例をあげて問題提起しているのです
10・投稿 疑問符 | 2006/05/27 0:16:51
愛国者さんが主張されるように、「アメリカ国債購入費約30兆円」などと計上されていないと思いますが・したがって、愛国者さんが「根拠」とする数字は、何ら「アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ日本」の根拠にはなっていないと思いますが、如何でしょうか?なお、日本の自殺者数3万人とアメリカとの因果関係については愛国者さんの考え方が全く見えませんので、発言を控えさせていただきます。愛国者さんの主張は、失礼ながら、どうしても「電信柱が・・・、ポストが・・・」の類にしか思えません。
11.投稿 愛国者 | 2006/05/27 9:29:03
ポイントは日本がアメリカのために金を出したかどうかです。
思いやり予算を出していたことは事実でした。これは国民の税金でした。しかしこれはひょっとすると、赤字国債から出したのかも知れません。それはわかりません。金額が減ったことは問題ではありません。この思いやり予算を含めてアメリカに貢いでいる金を国内の自殺者対策(等)に回せ!ということを「愛国者」は言っているのです。
田中宇氏の見解は、
 ブッシュ政権の開始時には国債発行上限は5兆9000億ドルだったが、911事件後のテロ対策費の急増とアフガニスタンの戦費をまかなうため財政赤字が急増し、2002年6月には上限に達したため、5000億ドル上限を拡大して6兆4000億ドルに引き上げられた。 しかしその後、半年あまりでこの拡大分も戦費とテロ対策費などに費やされて再び国債発行は上限に達してしまい、イラク戦争直前の2003年3月に引き上げられた。その後、イラク占領の泥沼化で戦費が急増したため、2004年11月に再度上限が引き上げられて8兆1800億ドルとなり、それから1年4カ月でこの拡大分も使い切ってしまい、今回の上限拡大となった。 米連邦政府の財政は、クリントンからブッシュに政権が交代するときには黒字だったが、ブッシュ政権はその後の2年間でクリントンがせっかく黒字化した財政を再び赤字に転落させ、しかも2003年には単年度の財政赤字を、いきなり史上最高額の4000億ドル以上の規模に拡大させた。(それまでの最高額は1992年の2900億ドル)
愛国者:この赤字の穴埋めに日本から貢がれているのではありませんか。アメリカ国債を引けば、たくさんの事実と見解が出ているはずですが。この思いやり予算を含めてアメリカに貢いでいる金を国内の自殺者対策(等)に回せ!ということを「愛国者」は言っているのです。
12.投稿 疑問符 | 2006/05/27 10:52:14
ポイントは日本がアメリカのために金を出したかどうかです。
と、典型的な論点変更ですな・・百歩譲って、「日本がアメリカのために金を出した」にしても、それが何か問題ですか?確か、愛国者さんは、先のコメントで
>論点がそれないことを希望いたします。
と結んでいたはずですがね・・・・まぁ、好意的に捉えれば、議論をする基本的な姿勢に欠けているということですかね・・・・

以上、経過を振り返ってみました。どうでしょうか。疑問符サン自身の疑問は解けたでしょうか。再度言います。愛国者の主張は、アメリカに対して、愛国心をもっと発揮しようということで、一貫しています。現在の「日本人の愛国心」は「偽者」だと言っているのです。その事例を挙げてきたのです。「論点を変更」などしていません。むしろ私の投げかけた様々な問題提起に応えてほしいものです。一定応えたこともあるのですから。このような議論を継続したいものです。田中氏や「産経」の記事、石原都知事の主張について、疑問符サンは、何も語っていませんので。それは本質的な議論になるかと思います。宜しくお願いします。
その点で、「愛国者は信用できるか」(鈴木邦男・講談社新書)は、ある意味で、大変参考になる主張です。


投稿: 愛国者 | 2006/05/27 13:58

>>愛国者へ
>4.投稿 疑問符 | 2006/05/23 22:32:43>
>>アメリカに、年間40兆円もの税金を貢ぐ日本で良いのか、これだけ国民の教育や暮らしや医療を削っておいて、です。
>(日本が)アメリカに年間40兆円もの税金を貢ぐ?一体、何を指しておられるのでしょうか?是非ともご教示ください。

貴殿は「印象・情報操作による捏造」も得意のようですな・・・

投稿: 疑問符 | 2006/05/27 15:51

愛国者さん、疑問符さん。
このエントリーに関して、これ以上のカキコを禁止します。
これ以上議論しても、お互いに時間と体力のムダです。
おそらく絶対に議論がかみ合わない。

私は、特にコメントしません。
他の方も、この議論に加わらないようにしてください。

投稿: 坂 眞 | 2006/05/27 16:33

愛国者さん、問答無用ではありません。
ブログの世界にもマナーというものがあります。
一言で言うと、ブログのコメント蘭は掲示板ではないということです。

愛国者さんの態度は紳士的だったと思いますよ。
私なんかよりず~っと。
中には掲示板と勘違いして無責任なカキコをする輩もいますが、そういう評価をしているわけではありません。

ブログのコメント蘭は論争をする場ではないということです。
過去にも一度、強制終了させたことがありますし、読者の方から強烈なクレームが付いて、終了せざるをえなくなった例もあります。
そういうものです。
ブログは…

投稿: 坂 眞 | 2006/05/27 17:22

愛国心よりも公共心を養う教育を、と思うのは私だけでしょうか?
富士山・公共施設でのゴミ捨てだとか、人通りの多い通りでタバコを吸って何の気兼ねも無くポイ捨てする人とか。
電車内で堂々と化粧したり、大声で電話する人でもなんでもいーですけど。

自分の身近なもの(地元含め)を愛せない人が抽象的でよくわからない国という概念を愛することができるのか?

よく知らないゆえに美化して愛することができるってのは結構危険な方向に走りやすいと思う。
一部の在日韓国・朝鮮人が本国の実態を知らずに(本国じゃ差別さえされるのに)、母国マンセーで何でも従うみたいな。

一人一人が自分自身で愛国心について考える授業を必修にするとかにして欲しい。
そんで大いに幼い頃から、愛国心について議論して欲しい。
愛国心の在り方は一人一人違うとは思うので、戦前を否定する人も肯定する人もそれぞれの歴史観によって立つ限り間違いではないと。
愛国でも売国でもいーけど、時代時代によって呼び名は逆転するんだと思うんですよ。
だから自由な議論を経て、それぞれが胸の内に愛国心ってのを秘めていけるようにすれば、極端な方向に走ることはないのではないかと。

伝統を愛する心って確かに大切なのかもしれないけど、その伝統も時代とともに変化するものだと思うので、保守することが目的なものではないのでは?と思ったりもします。

現在の教育関連法が改正されたからって強制力をもって全体主義的になるってのは極端すぎるとは思いますね。
子供はそんな単純じゃないと思う(しかも情報が溢れる現代で)。
ただアメリカの愛国教育が正直参考になるのかって感はあります。
911テロ後で、国家を学校で歌わなかった子供がクラス中の生徒にボコボコにされたって話もあるし、外国に対するびっくりするぐらいの無関心さはちょっと弊害が出てるのかもと(外国に国民を派遣しまくってるわりには)。

愛国心の評価には小泉さんも慎重ですね。
やっぱ教師のさじ加減になっちゃう気もするし、そもそも今の多くの教師が愛国心を語ること自体できないだろうしなぁ。

長々失礼しました。

投稿: アルフレド | 2006/06/04 00:34

選挙で現野党に投票した国民は、国から統治される国民なのか?少数派の意見は尊重されないのか?されるならどこまで尊重するのか?多数派=国民の意思なのか?

投稿: ??k | 2006/06/05 17:12

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