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2006/07/13

共産主義はなぜ破綻したのか?(1)


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今日(11日)は、午後2時半にエントリーを書き上げ、ココログにアップしようとしたところ、何とメンテナンス中で不可。
メンテナンスは13日(木)の午後2時まで続くというからガッカリ、というかウンザリ。
皆さんにも、コメントやTBでご迷惑をおかけすることになると思うので、この場を借りてお詫び申し上げる。

ただ、ガッカリ&ウンザリしていても仕方がないので、今日から明日(12日)にかけて、普段は時間がなくて書くことがなかなかできないテーマのエントリーを書くことにする。

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皆さんの中には、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのだろう?
なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのだろう?と思われている方もおられると思う。
今回は、そのことに言及したい。

このことを明らかにするには、20世紀の世界に最大の影響を及ぼした共産主義思想とは何だったのか、人間とは何なのかまで踏み込まざるをえない。
したがって、限られた時間とスペースの中では書きつくすことは不可能に近い。が、できる限りのエネルギーと、持ちうる限りの知識、経験を費やしてチャレンジしてみようと思う。

長いエントリーになるし、中には難解な言葉も出てくるので、途中で投げ出したくなるかもしれないが、世界や人間を知るうえで必ず参考になると思うので、できれば読み通してほしい。

なお、ここでは、社会主義という言葉は共産主義に通じると理解してもらいたい。なぜなら西欧では、社会主義というと、一般的に社会民主主義(社民主義)のことを指すからだ。
また、よくマルクス主義とも言われるが、それは、ドイツ人のカール・マルクスが共産主義思想の始祖であるためで、共産主義と同義である。

これから述べることは、少々むつかしいかも知れないが、高校のころの世界史を復習するつもりで読んでほしい。

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歴史上、最初に社会主義革命を成功させたロシアのウジミール・レーニンによれば、
マルクス主義の基本的源泉はドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義の三つとされる。(「マルクス主義の三つの源泉」)
ただ、この捉え方は、「ステレオタイプすぎる」という批判も強く、実際のところ、マルクスが洞察した内容はもっと奥行きが深いと思う。
が、だからと言って、レーニンの捉え方が間違っているわけではない。

マルクスが、
①ゲオルク・ヘーゲルやルートヴィヒ・フォイエルバッハなどのドイツ観念論、
②アダム・スミスやデヴィッド・リカード、ロバート・マルサスなどのイギリス古典学派経済学、
③サン・シモンやシャルル・フーリエ、ロバート・オーエンなどの、いわゆる「空想的社会主義」
を批判的に摂取し、「科学的社会主義」へと発展させたことは事実である。
「科学的社会主義」を具体的に言うと、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」と「資本論」である。

「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などと言うと、文字を見ただけで「嫌になりそう」という声が聞こえてきそうなので、今回はそういうところまでは、できるだけ言及しないようにしたい。

ところで、レーニンの唱えた「マルクス主義の三つの源泉」が、なぜ「ステレオタイプ」と批判されるのか?
それは、マルクス自身及びマルクスが自らの思想をまとめ上げていった当時の時代背景に対する考察が不足しているからである。
もっとも、マルクスが哲学者であり、経済学者であり、そして革命家であったのに対し、レーニンは純粋な革命家であったから、理解が単純化されたのは必然であったのかもしれない。

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マルクスはユダヤ人である。マルクスが生きた1818年~1883年のころは、まだゲットー(都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)が存在していた時代である。
特に、マルクスの祖国・ドイツでのユダヤ人差別はひどいものがあった。

そのような時代にあって、父はユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗した。
職業は弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人だが、父よりユダヤ性向が強く、日常生活ではイディッシュ語(ユダヤ語)を話していた。マルクス自身も6歳の時、プロテスタントとして洗礼を受けている。
マルクスの思想を理解する上で、彼の出自が被差別民族であったという事実は見逃せない。

また若かりし日には、啓蒙思想にも大きな影響を受けている。
啓蒙思想は、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているとの「肯定的命題」を立て、世界に何らかの「根本法則」があり、それは「理性」によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては自然科学的方法を重視した。
マルクスは高校生時代に、教師を通じて、フランスの啓蒙思想家ジャン-ジャック・ルソーが唱えた社会契約説の影響を受けた。ルソーの考えは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の契約によって成立する。主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というものである。
この啓蒙思想は、フランス大革命にも大きな影響を与えた。

私は、
①この啓蒙思想の、あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界に何らかの「根本法則」が存在するという考え方、
②特に「主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というルソーの主張、
③そしてキリスト教(ユダヤ教)の「唯一神信仰(神=真理は一つ)」と、
④出自が被差別民族(ユダヤ人)であるという潜在意識が、
マルクスの思想の「根っこ」にあると思っている。

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マルクスにとって、というか、マルクスの生きた時代においては、ヨーロッパと北米が「世界」であった。それ以外は、「未開の地」か「未知の地」であり、マルクスの「世界」には、アラブもインドも中国も存在しない。
ここでいう「アラブもインドも中国も存在しない」というのは、「知識」としてではなく、「認識」としての意味である。

ヨーロッパ(英国)が清(中国)を最初に侵略した阿片戦争は1840年、ヨーロッパ諸国がアラブ(イスラム)世界の覇権をめぐって戦ったクリミア戦争が1853年。ムガール帝国(インド)が完全に英国の植民地になったのは1858年。
マルクスが生きた時代を考えれば、アラブやインド及び中国は、マルクス的世界においては「外界の存在」にすぎず、アフリカや南米は「未開の地」であったと言ってもよい。

つまり、「白人」及び「キリスト教(ユダヤ教)文化圏」がマルクスの「世界」なのである。
その「世界」には既に、資本主義が高度に発展した国々が存在し、自由や平等、人権といった民主主義の基本的価値観が社会的土壌としてあった。

アメリカ独立革命やフランス大革命が起きたのは、マルクスが生まれるよりずっと前だった。
アメリカ独立革命(1775~1783年)は、独立宣言で「全ての人間は平等に造られている」と謳い「(自然権としての)生命、自由、幸福を追求する権利」を掲げた。
フランス大革命も、人権宣言で「自由の保障・人民主権・法の下の平等」という近代民主主義の基本的価値観を謳いあげた。

要するに、
①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである。
そしてマルクス自身は、その世界においては被抑圧民族であるユダヤ人だった。

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ここまで読んだだけで、なぜソ連が破綻したのか、なぜマルクスの思想(共産主義)から中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのかが、ある程度は解った方もいると思う。

もちろん、もっと様々な問題が「なぜ?」を解明するうえで存在する。
その様々な問題に言及する前に、ここで共産主義について簡単に説明しておこう。
以下は、カール・マルクスが定義した共産主義社会についての私なりのまとめである。

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。

以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である。

ここで、共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展したものと書いた。
マルクスによれば、社会主義社会とは「各人はその能力に応じて働き、労働に応じて与えられる」社会である。そして、社会主義社会において、生産力が最大限に発達しきった段階でようやく共産主義社会に到達する。

※(注)
ここにおける「労働」は、資本主義下における「労働」とは違う。

なお、社会主義社会の前段として、「労働者(プロレタリア)独裁社会」が不可避とされる。
なぜなら革命が成功しても、労働者階級(プロレタリアート)が司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐しない限り、常に資本家階級(ブルジョアジー)による「反革命」の危険にさらされるからである。マルクスは、これを、1871年のパリ・コミューン(世界初の労働者階級による民主国家)の失敗から学んだと思われる。

資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐し、「労働者(プロレタリア)による独裁」が実現して初めて社会主義社会への扉が開かれる。
労働者(プロレタリア)独裁下では、資本家階級(ブルジョアジー)の駆逐と共に、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が進められる。
そして、資本家階級(ブルジョアジー)がなくなり、生産手段の社会的共有と富の平等な(労働に応じた)分配が完全に実現したときから社会主義社会が始まる。

社会主義の初期段階では、まだ国家も貨幣も残存している。が、社会主義がさらに
発展すると、国家は死滅し貨幣も廃棄され、富も「各人はその能力に応じて働き、に応じて与えられる」社会から「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会になる。
これが、共産主義社会だが、なぜ、そんなことが可能になるのか?

私が学んだ範囲では、その「なぜ?」に対する確信的な答えは見出せなかった。
だから私は、次のように勝手に解釈した。

計画経済により供給と需要が均衡するので、資本主義のような好況-不況-恐慌という景気の極端な変動がなくなり、安定的な経済成長が可能になる。投資や資源の配分も効率的かつ効果的に行われるから、さらなる成長を促す。
つまり、効率的かつ効果的な投資と資源の配分が、安定した高い経済成長をもたらす。高い経済成長が新たな投資と資源を生み出し、その効率的かつ効果的な再配分が、さらなる成長の基盤になる。
そういう「無限の成長サイクル」ができ上がる。

また、生産手段が社会的に共有されているので、働く主体(人間)が搾取されることもなく、抑圧からも解放される。失業の恐れもなくなり、働く主体(人間)の意欲も向上する。したがって、「無限の成長サイクル」+「意欲の向上」が、相乗効果も伴なって「生産能力の飛躍的拡大」を可能にする。
だから、やがて「必要に応じて与えられる」ような社会が実現する。

経済(下部構造)が政治や国家(上部構造)を決定するから、そういう理想社会(生産力が極限まで発展し、司法・立法・行政の三権と生産手段のすべてを人民が共有する社会)になれば、上部構造としての国家は死滅する。
生産手段が社会的に共有され、かつ供給と需要が均衡しており、「各人は必要に応じて与えられる」から、価値交換の媒介としての貨幣(交換価値)も必要なくなる。

以上が私なりの勝手な解釈だった。

※(注)
「生産手段の社会的共有」は、資本主義社会において「私有財産の廃止」と理解されている場合が多い。が、これは、(悪意の込められた)誤解である。
「生産手段の社会的共有」とは、工場や土地などの「生産手段の私的所有廃止」がその核心であり、個人的生活を営む上での必需品まで否定されるわけではない。


 Marxengels   画像右がマルクス、左が盟友エンゲルス

かつてマルクスの教えを信じていた私は、今は、このような考えを完全に否定するようになった。
それは、極めて単純な理由からである。
「必要に応じて与えられる社会」が可能であるためには、その社会が「無限に近い生産力を持っている」か、全ての人間が「必要限度をわきまえている」かの、いずれかが必要である。
社会が「無限に近い生産力を持てるようになる」とは、現実の世界を踏まえれば考えられないし、また全ての人間が「必要限度=節度と中庸をわきまえる」ことができるとは絶対に思わない。
もう、この時点で、マルクスが夢見た理想郷は、私にとっては科学とは無縁の「願望」としか思えないようになったのである。

私の50数年の人生経験から言えば、人間の原点は「欲望」である。その「欲望」をどこまでコントロールできるのかが「理性」である。
が、「理性」は人によって千差万別である。中には「理性とは無縁」と思える人間もたくさんいる。だから、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているなんて、とても信じられない。
「下部構造としての経済が人間意識までも決定する」「人間の社会的存在がその社会的意識を規定するのであって、その逆ではない」とマルクスは言う。
この捉え方はある面では正しいと思う。ただ、「現実の人間」を見れば、あまりにも一面的にすぎる。

※(注)
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る
「具体的な思考能力」を意味する。

労働力を商品として資本家に売らなければ生きていけない社会から、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にし、人間に特有の活動的機能であるに自由や生きがいを感じることのできる社会に変わったからといって、人間の本質というか、根源的な部分は変えようがない。
私は、そう思う。

マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。

「疎外された労働は、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外された労働は、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外された労働は、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する」

これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと思う。私は次のように理解している。

人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃労働に従事する人間は疎外されている。
賃労働によって、人間に特有の活動的機能である労働が、「個人の生存を維持する手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と......

が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。

人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。

※(注)
ところで、マルクスは宗教を「アヘン(痛み止め)」として否定している。
ただマルクスの言いたいことは、宗教の全否定というより「(宗教は)痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という意味であるから、宗教の持つネガティブな部分を射ているとも言える。


Lenin   画像は大衆を煽るレーニン

ここで、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのか?なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?という本題に入ろう。

私はマルクスの思想が、以下の条件の下で生まれたと前述した。

①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会を及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している
と......

マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスであると想定していた。

ところが、実際に革命が起きたのはロシアであった。
当時のロシアは、マルクスの思想が生まれた土壌とはあまりにも違いすぎた。
1861年に農奴解放令が出されたものの、農民の生活は一向に向上しなかった(ミールと呼ばれる、司法・行政権力を有した村落共同体の小作農に変わっただけ)。19世紀末に産業革命が起こったものの、ヨーロッパの大国の中では、資本主義はもっとも遅れていた。
政治体制も、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)支配が貫徹されており、自由、平等、人権という価値観からは、ほど遠い社会だった。
つまり、もっとも社会主義革命にふさわしくない国で革命が起きてしまった。これが不幸の序章になるのである。

ロシア革命では、マルクスが考えていた革命を指導する「前衛(共産主義者)」が、「前衛党(共産党)」になってしまった。
このロシアの共産党はボリシェビキ(多数派という意味だが、実際は少数派だった)を名乗り、労働者・農民を覚醒させるためには「前衛党(共産党)」による指導が必須と考えた。

マルクスがイメージした「労働者(プロレタリア)独裁」はパリコミューンのイメージがあった。そして、ロシアでも同様に労働者や兵士を中心にしたソビエト(評議会)が地域ごとに組織され、これが司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、永続革命の推進母体になるはずであった。
が、民主主義的価値観とはほど遠い社会だったロシアでは、「前衛党(共産党)」が司法・立法・行政の三権及び軍のすべてを独占し、ソビエト(評議会)は名のみの存在となり、「労働者(プロレタリア)独裁」は「共産党独裁」に変質した。

※(注)
「ソ連」とは、「ソビエト(評議会)によって構成された国家の連邦体」という意味である。

ロシア共産党は、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)から厳しい弾圧を受け、革命後は、常に反革命派(白軍)やそれを支援する欧米列強(日本を含む)に脅かされた。
そこで、この党は、「下部組織は上部組織に従う」という「民主集中制」を組織原則にし、「鉄の規律」を保ち、社会のあらゆる部門に党委員会や党細胞を張り巡らせて社会を統制していった。
この体制は、本来は「戦時体制」のはずであったが、ロシアの後進性と指導者に都合のよいシステムでもあったため、その後も継続されて行くことになる。

このようにして共産党による強権的支配体制が確立され、しかも共産党は、「下部組織は上部組織に従う」という組織原則によって貫かれたため、社会はもちろん「前衛(共産主義者)」の組織であるはずの共産党内でも自由な言論は完全に封殺された。

そのような中で、前近代的社会から一気に社会主義社会に導くために、強引な農業の集団化や重工業偏重の政策が推進された。
また、強引な政策を貫徹するためには、強力な指導力が必要とされたため、指導者(ヨシフ・スターリン)は、その政敵(レフ・トロツキーやニコライ・ブハーリン)を追放し、粛清した。また、党内の反対派もほとんどが強制収容所送りか処刑になった。
スターリンによる独裁は、彼の個性にもよるが、以上のようなロシア的特殊性も大き影響している。

共産党の政策により、ウクライナを中心に、農地の収用に反対する農民たちは数十万人単位で殺害された。反革命派(白軍など)だけではなく、元貴族や資本家、富農たちも同様の運命をたどった。中には、反革命派や資本家、富農に仕立て上げられて強制収容所送りや処刑になった者もたくさんいた。
そして残ったのは、マルクスがもっとも忌避した「スターリンの個人崇拝と神格化」及び数千万人とも言われる犠牲者たちである。

※(注)
ヨシフ・スターリンは、ロシア革命の指導者であったウジミール・レーニンの後継者である。

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初期のソ連は、1930年代に資本主義諸国を襲った大恐慌とは無縁であり、かなり高い経済成長を遂げた。
またノルマと呼ばれた計画生産数値の設定は、生産物の質より量が重視されたこの時代では一定の効果があり、ソ連の鉱工業生産を大いに高めた。
このような、資本主義諸国の没落(大恐慌)とソ連の躍進を見て、ソ連型社会主義(スターリン主義)を礼讃する論調が世界的に数多く見られたのも事実である。

が、急速な工業化推進の原資は、農業から余剰を絞り出す形で行われたので、その分、農業部門が立ち遅れた。1933年には、そのツケが回って大飢饉が起きた。
ところがヴャチェスラフ・モロトフ書記は、ノルマ達成のために農民が次年度用に貯蔵している種子までも取り上げるように地方幹部を叱責した。その結果、32年から33年にかけて500万人~700万人とも言われる餓死者が発生したのである。

順調に見えた工業部門も、第2次大戦後、量と共に質が重視されるようになると、ノルマを重視する計画経済では質の問題を解決できなくなってくる。
また、重工業の偏重は軽工業の軽視をもたらし、サービス部門にはコスト意識やサービス精神がまったくなかった。そのため一般国民には劣悪な消費財と質の低いサービスしか提供されなかった。
共産党官僚は、ノルマの達成が立身出世や保身を左右するため、虚偽の数値や報告が横行した。そのために、党中央や政府は経済の実態を正確に把握できず、有効な政策を実行することはおろか、その立案さえできなかった。
そういう体制の劣化・堕落が、1970年代以降になると、日用品や食料さえ事欠く事態をもたらすのである。

ノルマ重視の経済は、自然環境も大きく破壊した。例えば、かつては世界第4位の面積を誇ったアラル海は、旧・ソ連による無計画な灌漑事業のため、面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になるという完全なる「死の海」になった。
チェルノブイリ原発事故も、旧・ソ連の隠蔽体質のため、公表と対策が遅れ、結果として約16万人が移住を余儀なくされた。死者は9,000人(世界保健機関=WHO)とされるが、40,000人(ロシア科学アカデミー)という説もある。

また、情報統制社会であったため、情報工学は、軍需部門などの一部にしか導入されず、民生部門における「情報革命(IT革命)」はまったく進展しなかった。

このような数多くの問題点も、共産党官僚の強権支配と言論の封殺により批判されることがなく、したがって改革も常に後手に回った。

これに対し、資本主義諸国は、第2次大戦後は資本主義が抱える諸矛盾を解決するための社会政策や経済政策を次々に打ち出し、「弱肉強食社会」ではなく「福祉社会」を目指す動きを強める。
これは資本主義の「本丸」である米国も例外ではなかった。
また、「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」により、国際的自由貿易体制が保証されたため市場が大きく拡大した。そして、市場の自由化と拡大に伴ない競争が激化し、量のみならず、質の向上とコストダウンが並行して求められた。
このような条件下で、第2次大戦後の資本主義諸国の経済は大きく発展し、社会も国民も豊かになったのである(もっとも恩恵を受けたのは日本であろう)。
IT革命も、各国の垣根が低くなり、人、モノ、カネの世界的流通が急速に活発化する中で一気に進んだ。

こうして、旧・ソ連と西側先進諸国との格差は、絶望的なまでに大きくなったのである。
確かに冷戦下における「軍拡競争」も旧・ソ連にとっては負担であったけれども、その体制そのものが劣化・堕落し、完全に時代にそぐわなくなっていたことが旧・ソ連崩壊の最大の原因なのである。

ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1980年代後半からペレストロイカ(改革・再構築の意味)によって、この時代にそぐわなくなった体制を立て直そうとしたが、皮肉にもそれは、ソ連型社会主義体制の崩壊を後押しする結果になってしまった。
それは、ペレストロイカの重要な核であったグラスノスチ(情報公開)が逆作用を呼び起こしたからである。
グラスノスチにより、1930年代の大飢饉(餓死者500万人~700万人)などの「不の部分」が明るみに出されるようになった。また、困窮を極めていた民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしぶり、その汚職体質なども暴かれ、国民の反共産党感情を一気に高めたからである。

明日に続く。
明日は、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する予定です。
期待(笑)して下さい。
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※(注)
この記事は、論争をするために書いたものではありません。したがって、批判はけっこうですが、論議や、論議を促すご質問には対応いたしかねます。


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左翼&共産主義」カテゴリの記事

コメント

管理人さん、こんばんわ。

おっしゃるとおり、難しすぎて全然読めてません(笑)。
でもこういう歯ごたえのある内容を載せていらっしゃるのは大変ありがたいので(全く知らない分野なので)私も時間を見つけて読み進めたいと思います。

投稿: おれんじ | 2006/07/13 18:45

数日間、PCが壊れて、テレビと新聞の情報だけというのを経験して、まいった(汗)
今日は又、講義を受ける気分です(^^)

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。

これは、ほとんど日本に当てはまる事じゃないでしょうか
今は、②の搾取が有り、個人主義が有りますが。
日本は昔、資本主義の顔をした共産主義だという言葉がありましたね。
個人的には、わりと共産主義は好きです。
だから、一部残っても良いとは思う。日本に残った絶滅貴種!
人間も動物である・・・この部分も、日本で衣食足りて礼節を知ると、ことわざにある。
なんというか・・すべて日本じゃん!
子難しい事を言わなくてもことわざで、皆知ってる。
外国ではまだ、食べられるという最低限のことさえ出来て無い国が多いのに、戦争に負けて何もかも失ったのに、ここまでの国を作り上げたのは、世界に誇ってもいいと思う。だから今度は、共産主義の顔をした資本主義にしたらどうかな?案外うまくいくかも・・です。

投稿: ねねこ | 2006/07/13 19:50

NHK「日本の、これから」意見募集中だそうです。
じゃんじゃん送っちゃおう。
https://www.nhk.or.jp/korekara/nk08_asia2/q01.html

投稿: 日本人 | 2006/07/13 20:34

単純野郎abusan的には何故共産主義者が天皇家を
滅ぼそうと執拗に画策するかと言うのを感じとれました。

つまり、明治天皇は明らかに「反共の人」であらせられた
事が容易に推理できます。明治天皇は欧米思想の影響を
受けて立憲君主制民主主義というものを目指されたと。
これが御孫の昭和天皇の「玉音放送」に繋がったとも
推測されます。もし、日本に原爆を落としたのが
スターリンだとしたら?本土決戦を諦めたのでしょうか?

思わずそう受け止めてしまうエントリーでした。
これ以上の事は今の所理解が足らない様ですm(__;)m

投稿: abusan | 2006/07/13 21:08

最後に一言。改めて

カール・マルクスとは経済学のターレスである。

と私のカール・マルクス像を「確信」しました。

投稿: abusan | 2006/07/13 21:17

大変為になりました。

戦時中の体制に近いというのは、なるほど、目から鱗でした。
前々から薄々、共産主義というのは、人間くささを完全に否定した感変え方なのかなと薄々思ってましたが、(つまり人間一人一人の個性とか、適材適所という概念がない)難しいながらも何となく整理できた・・・かもしれない(笑。

人間だって動物、そうなんですよね・・・
だから、基本競争社会の資本主義のほうが人間くささを否定した共産主義よりは自然なのかもしれませんね。
無理すればいつか必ず破綻する・・・その成れの果て、残骸が今の北朝鮮であり、中国なのかもしれませんね。

民の意識が低く、そして国力のない国には、社会主義や共産主義は向かないでしょう。

そう考えると、あくまでも極端な話ですが、共産主義というのはある意味、現代の日本のほうが北朝鮮や中国よりは向いているといえるかもしれませんね・・・
そうなってほしくはないですけどね。

投稿: Juca | 2006/07/13 21:19

共産主義の生い立ちが解り易かったです。
やはり欧州の植民地を抱えた国でなければ通用しない、しかも体制と反する立場の理論ですね。

そのためか、計画経済という決定的な重大欠陥があります。

資本主義では、各個の経済活動が利害によって協力したり競争したりの動きが重なってカオスのように成りますが。
それを調整するのが金、経済活動の価値は金額に置き換えることで評価され、それはあらゆる参加者の総意が反映します。

金が勝手に集まってあたかも意志を持つように動き悪さもしますが、その暴走を押さえる事が各国財務経済担当の最大の仕事、と言う訳でバーナンキ氏も大変です。

計画経済では、ごく少数の理想や恣意によって全てを押さえてしまう。そこに万人の知恵は働かず、エントリーに有る様にむしろ個人の思惑でゆがめられた情報が、そのまま通ってしまう。

人間の考えなど、自然の力に等しい貨幣経済の力には遠く及びません。
仕事の成果は妥当な評価を受ける事が稀となり、ミニマムは目標を失う。一方マルチではロスが際限なく増える。
結果はソビエト状態と成った訳ですね。

郵貯と財政投融資は、当にこれと同じ原理が働いていました。

マルクスが理想とした社会は、確かに日本と似ていました。
しかし、プロレタリアートは最後まで虐げられた怨念の呪縛から離れられない、と思います。

投稿: MultiSync | 2006/07/13 22:30

 マルクスが必ずしも宗教を否定していないのは初めて知りました。共産主義では宗教は絶対悪であると思っていましたから。また、「共産主義のような人間の本質に反する社会を実現するためには、宗教の力を借りるしかない。マルクスはそこを間違えた。」とも思っていました。
 要は、共産主義の指導者が、自分が教組様になりたかったわけですね。

投稿: 三等水兵 | 2006/07/13 22:57

北朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する!国民大行進のご案内

来たる7月15日に、
北朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する国民大行進が行われます。
当日は事前の集会も予定されておりますので、
皆様どうぞ奮ってご参加ください。
もちろん、デモや集会だけ参加の方も歓迎です。
では、当日はよろしくお願いします。

http://www.soumoukai.net/715-annnai.htm

場所:砂防会館シェーンバッハ・サポー1階 開場12:30 開会13:00
主催 さくら草莽会

投稿: 北朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する!国民大行進のご案内 | 2006/07/14 00:14

概ね正解。けど、ロシア皇帝と言う権威の喪失に関して、社会がそのニッチに誰かが入る事を求めた、その逆に誰かがツアーリのニッチに入る事を企んだ。

その視点が必要かと思う。権威の構造が壊れて難儀した例としてはカンボジアがその典型。
私が皇室問題で大声を挙げているのは、共産主義革命でのニッチ争いと社会的混乱で大量の死者が出るのが普通に予想されるから。

それと、マルクスがユダヤ人であると言う事はユダヤ教の理念をマルクスが必ず意識していただろうと言う事。
神からの開放、つまりホッブスの言う「自然状態」への回帰なのだろう。
共産主義名物の階級間闘争は万人の万人に対する闘争と言う考えと根底で一致しているのだと思う。
つまり、「超人としての人間」を淘汰の中で作り出すのが共産主義であるのかも知れない。

だから共産主義は単体では普通に地獄を生み出すと言う事になる。
日本人はそれを上手く料理していたのだがね・・・。

まあ、ここでは小泉改革に対する批判的な事は書かない。

投稿: 三輪耀山 | 2006/07/14 01:24

大変面白く非常に参考になりました。久しぶりに大学での講義を聞いているような気分になりました。
自分でもマルクスや共産主義について知っていたつもりでしたが,これを読むと自分の知識は浅いなあと痛感しました。
次の中国,北朝鮮編が楽しみです。
是非たっぷりと書いて下さい。

投稿: matsugoro | 2006/07/14 01:48

たしかマルクスの理論て資本と資本関係の矛盾が高じて資本主義が崩壊し共産主義になる、と理解しています。社会進化論はその補強論ですね。しかし資本は定義が有りますが、資本関係はマルクスの資本論に初めて提示された概念ですが定義がありません。

つまり資本と存在しない資本関係の矛盾により共産主義が出来る、・・・・砂上の楼閣です。

投稿: 鈴 | 2006/07/14 02:21

共産主義が悪いと言うよりも一党独裁と言う体制に問題があるのではないでしょうか。

スタンフォード監獄実験
アイヒマン実験

これらは個人に関しての実験ですが、人が他人を支配する力を握った時、本来の性格とは違う残忍な行動も行えてしまう、と言う実験です。
個人は法人や党にも当てはまるのではないかと思うのです。
他人による支配力の抑制が無い状態では、その支配力の暴走が発生してしまうのはむしろ自然な行為になるのかも。

どのような体制であれ、権力には鈴を付ける必要があると言うことじゃないでしょうか。
常に正反対の勢力がしのぎを削ることで、時代時代にあったバランスが自然に取れるようになっていくのだと思います。
売国サヨクは勘弁して欲しいですがw

投稿: N | 2006/07/14 06:26

「ブルジョワジー」という語には(言うまでもなく)「資本家」という意味はまったくありません。「ブルジョワ」とは(よく気取って)「市民」と訳されるように(この語は「王侯」「貴族」「僧侶」に対する)「平民」と訳されてしかるべき言葉です。これをあたかも「ブルジョワジー」(すなわち「平民階級」)イコール「資本家階級」であるかのような観念(すなわちイデオロギー)を帯電させてしまったのは(おそらく)昭和初年代の日本共産党による策謀でしょう。いまだにこのあたりの「平民経済」に関する透徹した理解が日本語の圏域で欠落しているのは、そのあたりと無縁ではないでしょう。ブルジョワという語を(あたかも)資本家と同一のもののように流布させてしまったと同時に「プロレタリア」を単に貧乏な勤労者といったように杜撰なかたちで概念化して流布させてしまったところにひどく貧相なコミュニズムの地平が措定されてしまったことも事態を矮小化してしまったかもしれません。プロレタリアというのは、ガンダムで言う「モビルスーツ」のようなもので、ある種、意識化された「ニュータイプ」(マルクスは、それをコミュニストと呼んだのでした)であることを(やはり)昭和初年代の日本共産党は捨象してしまいました、貧乏な労働者はただの貧乏な労働者、勤労者であって、けっして、そのままではプロレタリアでもプロレタリアートでもありえぬわけでして、そのあたりの残響が21世紀のあなたの文章にもいまだに大いにうかがえることにひじょうに興味を覚えて拝見いたしました、とさ。

投稿: komasafarina | 2006/07/14 10:45

ブルジョアジー、すなわち資本が発展するのに比例して、プロレタリアート、すなわち近代労働者の階級も発展する。ブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたことを特徴とする。社会全体が、敵対する二大陣営へ、直接相対二大階級へ、ますます分裂しつつある。ブルジョアジーとプロレタリアートへである。しかも今日、プロレタリアートが真に革命的な階級であり、ブルジョアジーは自己の生命を終わらせる勢力を、みずからの発展のなかから生み出す。(マルクス共産主義宣言)
哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)から引用
ここでの「プロレタリア」を単に貧乏な勤労者であるとし、「ブルジョワジー」イコール「資本家階級」であるとすると「平民経済」に関する透徹した理解が欠落するんだとさ。
しかし小生などは、現在の日本人はマル経など全く相手にしていない、つまりどのように訳されていようと関係ないと思いますが。

投稿: docdoc | 2006/07/14 19:13

皆さん、おはようございます。
内容が難解なのでコメントが来ないかと思いました。
たくさんのコメントをいただき嬉しいですね。


鈴さん。初めまして。

>資本と資本関係の矛盾が高じて資本主義が崩壊し共産主義になる、と理解しています。

正確には、
経済は生産力と生産関係の対立的関係から発展し、生産関係が生産力の桎梏となるとき社会変革が始まる。(唯物弁証法)

つまり、資本主義という体制と生産力の矛盾ですね。
封建体制も、ブルジョアジー(資本家階級)の勃興による経済の発展に、体制が耐えられず「市民革命」=ブルジョア革命が起きた、というわけです。


>komasafarinaさん

あなた、マルクスも読んでいなければ、勉強もしていませんね、まったく(笑)
それで、これだけのことがことが書ける。
大したもんです。
敬服に値します。

投稿: 坂 眞 | 2006/07/15 01:23

いやいや、わたくしはマルクスを宙に吊る(すなわち相対化する)読み方をしているのであって、おそらくわたくしほど(英訳でですが)マルクスとともに資本主義に瞠目している日本人はそれほどいないのではないでしょうか? 皆さんのようなマルクス読みの方々は、もっと平民たちの(すなわちブルジョワによる資本主義に驚き、感動しなければなりません。平民革命にあきたらず、なぜ「プロレタリア」という概念が必要とされたのか、昭和初年代のレクチュールをいまだ引き摺ったマルクスの読み方からさっさと脱却されたほうがよろしいでしょう。(少なくとも「ブルジョワ」と「資本家」の隔たりを明確にするだけでも、皆さんのマルクスのテキストにかなりの地殻変動が生じることでしょう。あくまでも、まず、その点をご指摘申し上げたまでですので、何卒、言葉の不足については、XQZ me !

投稿: komasafarina | 2006/07/16 00:39

こんにちは、はじめまして。私は現在では<ユダヤの両盾方式>という視点で共産主義の成立をとらえています。世界に戦争が絶えなかった理由は、それを作り出すことによって莫大な利益を得てきた勢力が世界の背後に実在するという視点です。つまり、アメリカ合衆国を設立した勢力が同時にロシア革命も援助していたのです。資本主義対社会主義という対立構造によって戦争(冷戦)を継続し武器を両陣営に売りさばくことで利益を得ていたのが、この組織の常套手段でした。そして、その対立構造が現在は、ユダヤ(キリスト)教対イスラム教にすりかえられたのです。彼らのめざすシナリオは人口の淘汰と新世界秩序の創設で、それはマルクスが共産主義宣言で予告した世界に近似した人間牧場です。では、また。

投稿: flatheat | 2006/07/16 09:22

私は経済に関する知識がそれほどないので、書き込もうかどうか迷いましたが、書いてみます。
昔から、共産主義とか社会主義とかいう言葉に心惹かれたことがありませんでした。その理由は、それらの思想は国民の経済的平等を目指しているようなのですが、経済的に全く平等な社会というものに私は魅力を感じなかったからです。勿論あまりにも所得格差の大きい社会はよくありませんが、所得が全く同じになったからといって人間幸福になるわけではないでしょう。ところが、それらの思想はその幸福の絶対条件とは言えない経済的平等に強くこだわり、それを人々に押し付け、さらにそれを達成するため個人の自由や権利を大幅に制限しようとしているように思えたからです。
もう一つ、どんな国であってもそこには国を動かす政治家が存在しますが、彼らを誰がどうやって選ぶのか、という問題があります。私は国民が選挙によって選ぶのが最善であり、それしかないだろうと思いますが、共産主義者はどうもそう思っていないようです。階級闘争、暴力革命、一部のエリート党員による支配、一言で言えば非常に血なまぐさい匂いがします。私が共産主義に不信感を抱くのは、それが反民主主義的に思えるからです。

投稿: masa | 2006/07/17 01:36

興味深く読みました。
学も無く、文章読解力に恵まれない僕も、共産主義、というものの本質が今まで以上に理解できたように思います。以前にもこちらの記事を読みましたが、推察力、情報分析力、知識とどれを取っても卓越したものを感じています。

そこで、思いました。

中国共産党と北朝鮮が何故に現在のような姿に成ってしまったのか・・・ここが理解できたように思います。錯覚かもしれませんが、理解できた・・・そう思います。

勉強する、学ぶとは情報量・知識量だけではなく「分析する素養」も、それらと同等に重要な位置を占めると感じました。これらの記事全般を今の若い者達や偏向した思想にかぶれている人達に読ませてあげたいです。

思想とは「ひょっこり考え付くものではない」、何らかの前段階がある。それに気付かず猪突猛進する者達が、中共、北朝鮮のような悲劇的国家を作るのではないのか、などと感じます。

僕の持つ思想や哲学にも偏りがあることを自分自身で気付いています。しかし、これを制御できないからこそ、「人間である証明」と受け取るのが、僕の根本姿勢です。

そのような思考が全然といって良いほど「皆無」だったのが、世界の共産主義者たちではないのでしょうか。一人で生きられないから社会を作り、そして文化が生まれ、積み重なり、歴史になる。しかし、視点を変え、思考を上下左右に自在に変化させて考えてみると、「人間はただ似たようなことを繰り返してしているだけだ」ということに気付くはずです。

それが出来ないで、盲目的に地位や名声、または利権、利益、財産などに拘ってしまったのがソ連の崩壊、共産主義の崩壊に繋がっていったと、思います。

現在の中共と北朝鮮がどのように成っていくのか、見極める目を持ち、決して利益だけを追求せず、「心の平穏」も、追求しなければ、わが国・日本も共産主義崩壊と同じような運命を辿るかも知れません。

現在の政治家や学者、または企業人がそこに気付いているのか?または一般大衆が議論しているのか、思考する気があるのか、その辺りが日本という国家の「命題」に成っているのではないでしょうか。

乱文・拙文お許しください。

投稿: 西郷 隆盛 | 2006/10/04 19:51

この文章を読み共産主義についての知識があがったと思います。

自分としては資本主義<社会主義<共産主義 と成長していくと考えているのだなぁと自分なりに解釈しました。

自分はハッキリと共産主義者だったし、今も変わらず共産主義者です。

共産主義(社会主義も含む)は、資本主義の発展した国でしか行えなかったと思います。現に北朝鮮は、第二次世界大戦前までは日本の植民地で、その時から発展していない国でした。ソ連もまあほとんどはってんしていなかったのでは・・・
共産主義(社会主義)は、今の日本 アメリカ イギリス
には、とてもよい経済政策になるとおもいます。用は働く意気込みがないと成功しないのではないかとおもいます。


  最後にこの意見が違っていればスイマセン。

投稿: 共産主義者 | 2009/01/02 22:54

お説ごもっとも、私も、資本論を勉強し、その他の現代経済を学んだものとして思います。
しかし、本論をお聞きして思うのは、本論で言う、ソ連邦の崩壊原因は、工業化の失敗による不経済部分に拡大にあるということですが、それだけで、どうして崩壊原因に至ったのか?
疑問です。資本主義的に見れば、不効率は、幾らの金額になって、誰の負債がどのくらいになって、崩壊に至ったのでしょうか?国家の負債は?組織のそれは、銀行に相当する機関の負債は、マネーは、どう担保されていたのでしょうか?誰が債権者で、いつまでにどう決済しなければならなかったのでしょう?その辺が分からずに、倒産と言われても、理解しにくいままは、変わらないのではないでしょうか?

投稿: yoshy | 2009/01/04 00:15

こちらの記事を参考にアメリカの大学でのペーパーを書かせていただきました。マルクスが理想としたもの、それがなぜうまくいかず歪んだのかが本当にうまく説明されており、ペーパーを書く際の大きな助けとなりました。

本当にありがとうございました。

仕事がお忙しく、大変だとは思いますが、貴方様の記事によってこうやって助けられた者もおります。

ぜひこれからも有意義な記事を更新していってください。

投稿: KEN | 2013/03/28 13:21

こんにちは。非常に分かりやすいながら内容の詰まった記事だと思いました。まだまだ私は共産主義に対しては理解が及ばないのですが、ずっと一点気になっている事は、資本論の中でマルクスが指していた資本家というのは資本というある種のシステムを擬人化したものであるというような書き方があえてされていますが、それが多くの場合において、経営者とか雇い主程度の意味でしか処理されていないと思います。その前提があって、マルクスがさしていた搾取というのは、労働者の労働価値を経営者が搾取するのではなく資本が搾取するという点を結局あまり掘り下げる政府が歴史的に存在しなかったような気がしています。上の方で、富が平等である事が即ち幸福であるとは思わないと書いている方がいましたが、マルクスが言いたかったのは富の平等などではないと思います。資本論の中で彼は基準となる労働価値は個人個人で違う事を示していますから、労働価値に応じた報酬になるのは当然で、むしろ労働価値を最小限に抑えながら自分自身を拡大再生産し続ける資本の暴力性を解体しようと考えていたはずです。…といってじゃあそれがどう経済ベースに落とし込むべきかとなると自分にはまだなに一つ言えませんが。。

投稿: gg | 2013/10/13 10:27

>ggさん
マルクスの「資本論」やレーニンの「帝国主義論」には
産業資本主義→金融資本主義→帝国主義
のように書かれて居ますね。
それを現代に表現すれば・・・
 

googleなどのプラットフォーム(昔はポータルサイトと言っていました)はボトルネックである。
 
・・・ということになります。

つまり
ネットユーザーはブラウザで画面を立ち上げてgoogleのプラットフォームに行って好きなアプリをダウンロードします。
・・・これは一見便利なように見えますが
ここに広告を張り付けて莫大な利益を上げるgoogleの「ボトルネック」にもなっているのです。
ボトルネックとは”ビン等の一番狭い個所”のことで、入れるにも出すにもここを通らないと何もできません。
 

これが粗利40%を上げるgoogleを独占企業に押し上げている仕組みなのです(スマートフォン初期には粗利益70%です)。
 

これと似た例では・・・
アメリカの電電公社AT&Tがあります。
独占禁止法によってAT&Tは民営化されるのですが、折りからインターネットが始まってATTの電話回線をISP他社が使用できるか?否か?が問題となり・・・
裁判の結果・・・AT&Tの勝利となります。
だって・・・AT&Tは民間会社になったんですから・・・
競争相手に利益を提供する義務は無いからです。
これによって多くの民間ISP(インターネット接続)会社が潰れています。
これが
ボトルネックを握る企業は強い!
ということですよ。
お分かりになられたでしょうか・・・
なお
独占企業を目指すことをRent Seekingとも言います。
Rentとは独占的地代のことだからです。
 

余談ながら・・・
マルクスは意外と資本主義を誉めていて
「価値の創造をするから」
というのが理由です。
 

しかし現代の資本主義は
価値の創造をせず 市場原理を無視し 競走を嫌い
新規産業を排除して、ただただ独占に走り、それだけで利益を上げています。
これを
クローニー資本主義(縁故者採用やロビー活動で政治家を動かす資本主義)
と言います。
 

まぁ・・・これらを見ますとマルクスやレーニンの分析は正しかったように見えますが・・・
彼の主張した社会主義には致命的な欠点がありました。
それは
サンクコストを処理できない
ということです。
Sunk Costとは埋没費用のことで・・・
分かりやすく言うと
社会主義は「儲けることは悪い」と定義してしまうので
「儲からないことに投資する」ことになるのです。
これではソ連の崩壊も当然のことですね。
たとえば
旧ソ連では住宅マンションのエレベーターの階数ボタンを押す公務員がいました。
つまり
1日500円程度の価値しかない仕事に1日1万円近くもの高い給与を支払っていたのです。
これではソ連社会が倒産するのも当然でしょう。
 

なお・・・
これらの典拠と解決法としましては
「人びとのための資本主義」ルイジ・ジンガレス(NTT出版)
をお勧めいたします。

投稿: 柳生大佐 | 2013/10/13 18:17

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