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2006/07/27

加藤紘一の嫉妬と妄執

【はじめに】

皆さんは、権力闘争の根底にあるものは何だとお思いだろうか?

政治だから「主義・主張」があるのは当たり前である。もちろん「欲」もある。が、「嫉妬」もかなり大きな比重を占めるのである。その「嫉妬」は、時として「怨念」に転化することさえある。

この「嫉妬」が「怨念」にまで転化し、権力闘争の軸になったことは何度もある。有名な「角福戦争」などは、その典型だろう。
そして、「嫉妬」と「怨念」が、「主義・主張」の違いを超越した政権を生み出したことも
ある。いわゆる「自・社・さ」連立政権である。
小沢一郎に対する「嫉妬」と「怨念」が、何と自民党と社会党に「連立」を選択させたのである。

「憲法改正」を綱領に掲げ、「日米安保条約の護持」を党是とする政党と、「護憲と非武装中立」を党是とし、「日米安保条約の破棄」を主張する政党が連立しする。しかも、「護憲・安保破棄」の少数派から総理大臣を選ぶ。
日本の憲政史上でも稀有な出来事だが、権力闘争においては、こういうこともありうるのだ。

もちろん、自民党の場合は政権復帰願望も大きな動機であった。権力を奪回するためには、「主義・主張」になんかかまってはいられない。
が、社会党の場合は、小沢と、彼に追従した山花貞夫などの社会党右派に対する怨念が動機であったと言ってもよい。
それは、自民党との連立を主導したのが、反自民の急先鋒だったはずの社会党左派
だったことが証明している。

(注-1)「角福戦争」
ポスト佐藤(栄作)の座を争った田中角栄と福田赳夫による、政治権力をめぐる激しい
闘いを「戦争」に例えて呼んだもの。1970年ごろから田中が倒れる1985年まで続いた。
1979年の、いわゆる「四十日抗争」が、その頂点だった。

(注-2)「自・社・さ」連立政権
自民党、社会党、新党さきがけの三党による連立政権(1994年 ~1998年)。
この政権は、理念がまったく解らない。まさに、欲と嫉妬と怨念が生み出した政権だったとしか思えない。村山 富市(首相)と河野洋平(外相) と武村正義(大蔵相)の
三党首がテレビに出て、「私たちはリベラルです」と連立の意義を強調していたが、そのうさん臭さは噴飯ものだった。

結果は、野党に転落していた自民党の復権を社会党が助けた。それだけである。

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なぜ、権力闘争の根底に「主義・主張」の違いや「欲」だけではなく、「嫉妬」や「怨念」があると「前書」で書いたのか。
それは、最近の加藤紘一の言動を見聞きしていると、そのことを痛感するからである。
したがって、そのことを書くことで、「政治の醜悪さ」と「政治家の憐れ」を皆さんに解ってもらいたい、そう思ったのである。

最初に、加藤のヒストリーを書いておこう。

加藤紘一。
昭和14年(1939年)生、67歳。山形県鶴岡市出身。東京大学法学部卒。大学時代は「60年安保闘争」に参加。卒業後は外務省のキャリア官僚(チャイナスクール組)に
なる。
父は衆議院議員の加藤精三だが、1965年に急逝した父の後継になることを、このときは断り、7年後の1972年に初出馬し当選。大平派(宏池会)に加入。

政治の表舞台に登場するのは、1978年の大平内閣で官房副長官を務めた時からである。1984年には45歳の若さで中曽根内閣の防衛庁長官に就任。
1987年のポスト中曽根をめぐる権力闘争では、宮澤派(宏池会)の事務総長として陣頭指揮をとる。が、派閥領袖の宮澤喜一は竹下登(経世会)に敗北。
このころから加藤は、「宏池会のプリンス」と呼ばれるようになる。

1991年に宮澤内閣の内閣官房長官に就任。
1992年に、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、官房長官として「当時の政府の
関与」があったことが認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。
朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表
この談話が、翌1993年の河野洋平官房長官による「当時の軍が関与した強制連行」を認める「全面的謝罪」の伏線になるのである。
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

1994年の村山「自・社・さ」連立政権下では自民党政調会長に就任。
この政権を樹立する時、河野(当時自民党総裁)や野中広務、亀井静香らとともに、
重要な役割を果たす。その結果、野中は自治大臣・国家公安委員長として、亀井は
運輸大臣として初入閣。
つまり、全員がうまい汁を吸ったわけだ。ちなみに、その時の自民党幹事長は森喜朗(前首相)。

この年の8月、自民党政調会長として中国人民抗日戦争記念館を訪れた加藤は、「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えればよいか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」と述べている。
この「日本では、どう50年を迎えればよいか(の)議論」が、1995年8月15日の「村山談話」として結実するのである。 

1995年の自民党総裁選では、現職の総裁であり、同じ宮澤派に属する河野ではなく、竹下派(経世会)の橋本龍太郎を総裁に擁立する。これは、河野が、派閥内の最大のライバルだったからである。
このことが99年の宏池会分裂(河野派の独立)の遠因になる。
橋本内閣の下では、3期連続して幹事長を務める。このとき、幹事長代理の野中氏と
コンビを組んで自民党の実権を握り、野中をして「魂の触れ合う 仲」と言わしめるようになった。

1998年に宮澤派を禅譲され、宏池会第6代会長(加藤派)に就任。派閥の後継争いに敗れた河野は、翌99年1月に麻生太郎(現外相)らとともに宏池会を離脱する。(宏池会の第一次分裂)

この年、自民党総裁選に盟友の小泉純一郎(現首相)が出馬する。
このころの加藤は、山崎拓(前副総裁)とともに小泉とは盟友関係にあった。いわゆる「YKK」であり、経世会(竹下派=竹下-金丸信-小沢)による自民党支配を打破することを目的に90年代初頭に結成された。
にもかかわらず、加藤は山崎とともに、盟友の小泉ではなく経世会の小渕恵三を全面的に支持、主流派を選択する。
結果は小泉84票。225票を獲得した小渕に惨敗した。

なお、このころの経世会は、既に金丸は議員辞職(1992年)し、小沢は離党(1993年)。実質的には、衆院は野中、参院は青木幹雄(現参院自民党議員会長)が仕切っていた。

このころから、「YKK」と呼ばれた山崎、加藤と、小泉の盟友関係に亀裂が生じ始める。

ところが1999年の自民党総裁選では、加藤は態度を一変させ、前回支持した小渕に
対抗して山崎とともに出馬する。結果は加藤、山崎の敗北。小渕が再選される。
このときから、加藤には逆風が吹き始める。

この総裁選に際し、小泉は積極的な動きを見せなかった。もちろん加藤支持も山崎支持も表明しない。そして次のように言った。
「YKKは友情と打算の多重構造だ。権力闘争を勝ち抜くには友情だけではダメだが、
打算だけでもむなしい」(1999年6月)。これに対して山崎は、「権力闘争が打算で何が悪い」と言い返した。
まさに権力闘争が、いかに非情なものであるかを物語るエピソードである。

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ここまでに書いた加藤の政治歴を見れば、このころ彼が、最有力の自民党総裁候補であったことがお分かりいただけたと思う。
45歳で国務大臣(防衛庁長官)に就任。その後は内閣官房長官、自民党政調会長、同幹事長(3期)を歴任した。しかも党内第二派閥(宏池会)の領袖である。加えて、政策に強く、外交にも通じている。
このころの加藤を評して、側近だった古賀誠(元幹事長)は次のように語っている。
「自民党の数多い有能な人材の中でピカ一。 宝と思っている」と・・・

この加藤が、なぜ失敗したのか?
世間も、永田町(自民党)も、加藤を自民党総裁の最有力候補とみなしていた。加藤
自身も、自分が最有力候補だと思い込んでいた。実は、そこに一番の問題があった。
よく言えば「プライド」、率直に書けば「うぬぼれと自信過剰」。
加藤は「自分は近い将来絶対に総理になれる。それなら、自分の美学を通して総理になろう」、そう考えたのである。

橋本総裁時代、幹事長-幹事長代理として加藤とコンビを組み、「魂の触れ合う仲」と公言した野中や加藤の側近であった古賀らは、加藤が総理総裁になるための「線路」を敷いていた。
1998年の参院選敗北を受けて、任期途中で引責辞任した橋本の跡を継いだ小渕は、まだ1年余りしか総理・総裁を務めていない。ここは、あと一期(2年)だけ小渕にやらせるべきだ。そうしなければ、最大派閥である小渕派(経世会)が納得しない。
小渕が正規の総裁任期をまっとうしたのち、その跡を加藤に継がせる。そして経世会と宏池会で自民党を牛耳る。
これが野中や古賀が考えていた「線路」であった。

そこで野中と古賀は、「多少、あなたの美学からすれば外れるかもしれないが、この
線路に乗れ」と勧めた。
ところが、加藤は、「いや、プロセスが大事だ」と拒否したのである。
野中たちは、「しかし、美学を通しても(総理に)なれなかったらどうするのか。総理に
なるプロセスは、多少見栄えが悪くても、総理になれば美学を通すことができる。まず、総理になることが大事なのだ」と説得した。が、当然、総理になれると思い込んでいた加藤は、そのプロセスを重要視して説得を拒んだ。
そして小渕に挑んだ加藤は惨敗、結果的に総理の座を棒に振ることになる。

加藤は、当時、米ニューヨーク・タイムズから「冷めた ピザ」と評され、国内でも「鈍牛」、「ボキャ貧」、「真空総理」などと揶揄されていた小渕に我慢がならなかったのであろう。
しかも国内では、バブル崩壊後の金融危機が表面化し、我が国は「国難」に直面して
いた。こういう状況を「真空総理」には任せておけない、加藤はそう思ったに違いない。
だが、当時、自民党の最大の実力者で、「魂の触れ合う仲」だった野中は、加藤に真正面から敵対した。

加藤はこのとき、「金丸さんが小沢さんを寵愛したように、野中さんも古賀さんを寵愛している」と述べて、自民党総裁選における自分の敗北が、まるで側近の古賀の裏切りであったかのような発言をしている。
が、加藤派の議員は、「加藤さんが113票も獲得できたのは、古賀さんのおかげだ」と、加藤の邪推を否定した。

加藤と山崎は、この総裁選の後、完全に干される。
が、事態はすぐに急変する。小渕が2000年4月2日に、脳梗塞で倒れたのだ。そこで
急遽、後継の総理を選択する作業に自民党幹部は取り掛からざるをえない事態に追い込まれた。
まず名前が挙がったのが、自民党総裁経験者で唯一総理大臣に就任していない
河野。宮澤や後藤田正晴などの重鎮が推薦した。が、最終的に選ばれたのは森だった。

内閣官房長官として小渕を支えていた青木は、「(小渕が意識不明の状態なのに)何かあれば万事よろしく頼むとの指示をいただいた」として首相臨時代理に就任。
赤坂プリンスホテルの一室に森幹事長、村上正邦参院自民党議員会長、野中幹事長代理、亀井政調会長(肩書はいずれも当時)を召集して、談合で森を後継総裁にする
ことに決めたのだ(いわゆる五人組による談合)。
加藤派の池田行彦総務会長(当時)にはお声がかからず、加藤もこの動きをまったく
知らなかった。つまり、この時点で、加藤は完全に「番外地」とみなされていたのである。

ところが、この森首相が、誕生の経緯もあってか、国民から不評を買う。首相番記者
からも「サメの脳ミソとノミ の心臓」と揶揄されるほどだった。メディアは、「森喜朗」の
音読みにかけて「蜃気楼内閣」とまで呼んだ。
ここでまた、加藤の「うぬぼれと自信過剰」が頭をもたげてくる。
そして加藤は、山崎を連れ立って、野党が提出した森内閣に対する不信任決議案に
賛成しようとするのだ。加藤派と山崎派が野党に同調すれば不信任決議案が可決される。つまり、内閣総辞職か解散しかない。

これが、いわゆる「加藤の乱」である。
が、野中幹事長(当時)の切り崩しや小泉(当時森派会長・現首相)の頑強な抵抗に
あって、この反乱は鎮圧される。
特に加藤派は、側近と言われていた古賀を始め、宮澤喜一、池田行彦、丹羽雄哉、
堀内光雄などの幹部を中心に半数以上が加藤から離反。(宏池会の第二次分裂)
これを機に、加藤は急速に党内影響力を失くす。

2002年には、加藤の金庫番と言われた佐藤三郎元秘書が、2億8,000万円の所得隠しと約1億円を脱税した疑いで逮捕され、加藤自身も政治資金の私的流用などが暴かれて3月に宏池会会長を辞任し、自民党を離党した。
が、国民の批判は収まらず、4月には衆院議員辞職に追い込まれる。

ところが加藤は、翌2003年11月の衆院総選挙に無所属で出馬、11期目の当選を果たす。そして、その後、自民党に復党。旧加藤派を引き継いだ小里派(現谷垣派)にも
復帰。
しかし、2005年9月には、谷垣禎一(現財務大臣)が派閥の後継に決まると小里派を
離脱する。

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ここまで読んで、皆さんは加藤のことを、どう思われたであろうか?

エリート、プライドが高い、うぬぼれ屋、政局音痴、ケンカの仕方を知らない、中道左派的思想、親中派、などは確実に読み取れる。
が、私はプライドやうぬぼれの裏に、小泉首相に対する嫉妬と怨念を感じるのである。
加藤が総裁選で小泉を支持しなかったのは1998年だけではない。95年に小泉が初出馬した時も、対立候補である経世会(竹下派)の橋本擁立の核になっている。

なぜか?
加藤の中では、YKKにおいて「総理総裁になる資格があるのは自分だけ」と思っていたからである。小泉は、それこそ論外。
山崎はそれを承知していて、まず加藤を総理総裁にする、そして自分は党幹事長として加藤を支える、と公言していた。
(当然、総理の座を加藤から禅譲してもらう、という前提付きだが)

ところが、「プライド」と「うぬぼれ」が裏目に出たうえ、元々が政局音痴でケンカべたと
きているからどうしようもない。
田中角栄元首相は「自分の努力で幹事長まではなれる。だが、総理総裁は努力だけではなれない。巡り合わせだよ」と初当選の挨拶に伺った額賀福志郎(現防衛長官)に語ったという。
が、加藤の場合は「巡り合わせ」ではなく、自業自得だと思う。

そんな加藤にとって、よりによって「格」がず~っと下のはずの小泉が総理大臣になった。しかも、自分のアドバイスには耳を傾けない。それどころかアドバイスと逆のことを
やる。
にもかかわらず国民的人気が高い。
もう、小泉は許せない。後継総理は絶対に「反小泉」でなければならない。そう加藤は思っているのではないか。

加藤は、6月20日のテレビ番組で、自らの総裁選への出馬の意思を聞かれ、こんな
“本音”をのぞかせている。
「私自身は過去5年間いろいろあり、傷も癒えていないので、今回は、そういうことは
しません」
この「今回は、そういうことはしません」という発言を聞いて、加藤の元側近だった谷垣派議員は「『次回がある』と思っているのかなあ……あの人もギラギラ感が抜けないね」と苦笑した、という。

加藤が「非安倍」にこだわるのは、安倍晋三官房長官のアジア外交に対する姿勢を
懸念するからだけではない。政界の急速な世代交代に待ったをかけ、もう一度、自らの活躍の場を確保したいという思惑もあるのだ。
もう1回だけ総理になる(もしくは総理に影響力を及ぼすことのできる)チャンスをくれ!本気でそう思っているのである。

加藤は今、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という心境にまで陥っている。
福田康夫不出馬が確定した今、加藤に政策が近い「ポスト小泉」候補は、かつての
派閥の弟分、谷垣禎一財務相である。
が、加藤は谷垣について、「閣内にいて、小泉さんの庇護の下にいるイメージがある。靖国問題やアジア外交でも谷垣さんは(安倍や麻生と)ちょっと違うがはっきりしない」と評価する姿勢をまったく見せない。(06/07/24 讀賣新聞)
加藤は、谷垣が小泉内閣にいる=小泉に協力していることが、まず気に食わない。そして谷垣派は、本来は自分の派閥だ。谷垣は自分よりも格下だという思いをぬぐい切れないのである。

私は、加藤を「政界のはぐれ鴉」だと思っている。そして彼を見ていると、権力に対する妄執は、ここまで人間を醜悪な存在にさせるのか、と思うと同時に、「政治家の憐れ」を感じずにはいられない。

かつて、政界の策士と呼ばれ、今年5月に死去した松野頼三は、小泉首相の「政治の師」でもあった。
その小泉首相は、松野が亡くなった際に「政局の動き、権力闘争、自らやってきた人だから。派閥間の争い、派閥内の争い、人間の嫉妬。そういう点を実に詳しく教えてくれた」と語っている。

加藤にも松野のような「政治の師」がいれば、少しは彼の政治家人生も変わったものになったのであろうか???

(文中・敬称略)

(注)
「経世会」は、現在は「平成研究会」に改称されています。が、今でも「経世会」の方が
メディア、永田町とも通りがよい。

参照1:異才作家 『大下英治』 が書き下ろす迫真の政治ドラマ
参照2:第147回国会 決算行政監視委員会 第3号
参照3:佐藤三郎・加藤紘一議員元秘書の逮捕について
参照4:「ポスト小泉」への道(11)未練断ち切れぬ「YK」

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コメント

加藤さん
はあ~お勉強はできるけど頭が悪い見本みたいな人ですね。
げに、恐ろしきは男の嫉妬なりけり・・
実社会でも、女よりも男の嫉妬のほうが怖いです。これホント!

総裁レースに参加した谷垣さん・・靖国を参拝しない事を表明しましたね。
ここにも空気の読めない第二の加藤さんが・・・いまさら中国に頭を下げる事を、
良しと世間が思うわけないのに。

投稿: ねねこ | 2006/07/27 19:18

うーん、凄い臨場感と云うか、読み物としても秀逸です。
とっても良く解りました。

投稿: MultiSync | 2006/07/27 20:16

加藤紘一氏や山﨑拓氏のこの間の振る舞いは、「男の嫉妬」と断じざるをえませんね。

「嫉妬」という言葉自体は、そもそもは男女関係や性的な関係に基本的には限定されるものだと思いますが。

私が読んで最も納得したのは、
山本博文著『男の嫉妬―武士道の論理と心理』(ちくま新書)です。史料を通して日本の武家社会を細かく描いています。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4480062653
後は、山内昌之著『嫉妬の世界史』(新潮新書)です。

加藤・山﨑両氏はその範疇に入りますね。分かりやすい、大馬鹿です。

投稿: さぬきうどん | 2006/07/27 22:49

嫉妬の塊か。怖いな。
けっこう男の嫉妬って根が深いですよね。


ただ青木さんが首相臨時になったのは内閣法第9条に基づいてですがちょっとわかりにくいですね。

以下抜粋
「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」

それでこの時の小渕内閣は「組閣時等に臨時代理予定者を明示せず、総理外遊等の都度人選の上その代行期間を限定して発令する」方法をとっていました。(この方法は小渕内閣の件で内閣法を整備して現在は五人まで事前に指定しています。現在の小泉内閣では安部官房長官が第1位)

小渕さんが外遊中で代行をお願いした役職はすべて内閣官房長官たる国務大臣でした。この場合は慣例上の理由から官房長官が行うしかないと思います。

森総理誕生は不明確であり、批判されても仕方ないですが青木さんの臨時総理は仕方がない処置だったと思います。
ま、この点は青木さんよりも適切な処置を指示していなかった
小渕さんが批判されるべき問題だと思います。死人にムチうちようで嫌ですが仕方ないです。
ま、この点は現在は改善されていますが日本という国は問題が表面化するまで知らんぷり国家ですね。


加藤さんがプリンスと呼ばれていたのはびっくり。
今はお手上げ侍ですね^^


さぬきうどんさん

おもしろそうな本ですね。今度探してみてみることにします。


投稿: ちなみつ | 2006/07/27 23:58

加藤紘一の選挙区の地元民です。


私はまだ20代で、加藤さんがどういう仕事をしていたかもよく知らなかったのですが(流石に「加藤の乱」は知ってましたが)、なんとも地元民としては恥ずかしいお話です。


地元の加藤信奉は根強いです。一時期はすわ総理大臣か?というところまで行った人ではありますからね、一応は。


でも、地域に対して何をしてくれているか・・??という点で加藤さんにはつくづく疑問を抱いています。誰も田中角栄みたいに地元優遇しろというわけではないですけど、なんか「選挙の時は票を宜しく」と言ってるだけで、地元で何をした、これをしてくれた、というのが全く聞こえてきません。少なくとも新聞やテレビなどでは全く見えてきません。

地元で貼り出されている加藤さんのポスターにはこう書かれていました。

「この国を、守る」


本気かどうなのかのかまで疑ってしまいます・・・

投稿: SRX | 2006/07/28 00:09

私は加藤氏の事は、左よりで頭はいいらしいが・・・ぐらいしか知らないが、この人確か2人の秘書に2回も裏切られていてリーダーシップの欠如は明らか。
総理目指すなら秘書に自殺させるぐらいの迫力がなきゃね。
もうお役御免で落選させましょう、山形県民の方々。

投稿: 愛子様の弟 | 2006/07/28 01:48

私は山形を訪れたことがありません。
で、勝手な推測や物言いをします。
私の最近の山形県のイメージは、お祭りは素晴らしいものですが、やはり藤沢周平さんの小説、そしてそれを原作にした最近で言えば山田洋次監督の優れた映画です。何度見ても涙が出ます。彼は日本を本当に美しく撮っていますね。

後は、上杉鷹山公の生涯と偉大な治世です。大変な苦難があったでしょうか。

私は、加藤さんは鷹山公を屠ろうとした有能な重臣のような人ではないかと思います。
失礼ですが、テレビで見ても、「老いたり」の一言です。言葉や論理が回っていません。山﨑拓さんと同断です。
さくらんぼ、いっぱい食べました。アメリカの奴より、はるかに甘くて美味しいです。
失礼しました。

投稿: さぬきうどん | 2006/07/28 02:22

良く考えたら小泉現首相は加藤の乱の当時は余り目立たない
(というかマスゴミが隠していたというか)印象がありましたが
ここで総理の器を見せてますね。なかなかの策士かと。
これほどのケンカ強い政治家は歴代首相でもそうそう
居ないと思いますね。あの青年将校と言われた中曽根
のジイさんとも渡り合うのですから。

それと山崎拓の転落振りも垣間見えますね。加藤と言い
山崎と言い、同じ穴のムジナと言うかカエルというか(w

こやつらには未来はありませんな。

投稿: abusan | 2006/07/28 06:41

いままでブログのブラウジングなどというのは、趣味の写真関係ぐらいしかしたことがなかったのですが、例の富田メモ以来政治ブログをさまよい歩きだしたものです。

「依存症の独り言」はその中でも出色のブログで大兄のバックグラウンド、経歴、データ網を縦横無尽に駆使した、得難い情報です。これからも楽しみに拝読させていただきます。

ご自愛の程を

投稿: H.H生 | 2006/07/28 08:31

加藤、山崎なんて既に終わってる政治家なのに、
日本のマスゴミにとってはまだまだ有用なのか、
靖国とか中韓関係とかでミスリードする手段として、
度々インタビューに登場したり、TV番組出演者に
起用されたりしている。

SRXさん他加藤の選挙区のみなさん、
こんな売国政治家は選挙で落選させて下さい。

谷垣さんも実務ではそつなく手堅いとは思うが、
靖国云々を論点に持ってくるあたりをみると、
総理の器ではないですね。

投稿: 通りすがり | 2006/07/28 10:51

地元で貼り出されている加藤さんのポスターにはこう書かれていました。「この国を、守る」って本気で考えてるの?

今回の記事を読んで加藤氏がいかに馬鹿なことをやったか、また日本にとって害を及ぼう存在かがよくわかりました。

中共のいう友好って、中共の命令どおりにすべてをしなさいという意味ということを知らないのですかね。父親もチャイナスクールですか。二世議員の主義主張をよく見ると父親の物とあまり変わりませんね。その意味では福田氏、田中氏、河野氏、鳩山氏、渡部氏などは日本国にとって有害無益ですね。

投稿: TS | 2006/07/28 11:25

読み応えがありました。
加藤も山崎も嫉妬だけ?小泉憎しで動いているんですね。たしかに総理の座を振られたわけですし、プライドも高いのでしょうね
 でも・・日本を国難に放り出すような主張を、その嫉妬だけで、「する」のは、許しがたく、悲しいことです。

投稿: ゼーゼマン榊 | 2006/07/28 12:54

加藤さん、靖国問題はいまや国際問題とか言っていたのに、天皇発言メモが見つかってからサンデープロジェクトでは国内問題と言っていた。ころころ変わる人だ。

投稿: 学生 | 2006/07/28 15:00

怖いですねぇ、男の嫉妬。。。

加藤・山崎両氏ともになぜ国益に反する行動・発言ばかりなのかと不思議に思っていたのですが、ライバルと対立軸を打ち出すために、反対、反対、また反対、ということで、冷静な思考ができなくなってしまうのかもしれませんね。総理になって、一体何がしたかったのかも見失っているような気がします。

与党との対立の構図を作りだすことが、活動の目的になってしまっている小沢民主党にも同じようなことが言えるかもしれませんね。ちょっと前まで「是々非々で」という人が党首だったのでちょっとは変わるのかという気がしたんですが。。。。

投稿: ゆみこ | 2006/07/28 16:26

実家がそちらの方です。
10代の頃は総理になれるかもしれないと思い本気で
応援していました。実際頭が良かった。
しかし、チャイナスクールに入ったことが失敗でした・・・
加藤の乱あたりから、やっぱり総理の器じゃないのかなあと
思っていましたが、実際にそうでした。
       
残念です。
石原莞爾くらいになってほしかったなあ。

投稿: hide | 2006/07/28 19:15

皆さん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。

加藤氏も山拓氏も古賀氏も、もう終わった政治家です。
加藤氏は「はぐれ鴉」
山拓氏は、忠誠心の厚かった甘利氏からも見放される始末。
古賀氏も、派閥での発言力、影響力の低下は目を覆うばかりです。

こんな政治家たちを、メディアが未だに「大物」として取り上げる。
日本のメディアも、やっぱりバイアスがかかりすぎ(笑)です。

投稿: 坂 眞 | 2006/07/28 19:43

まあ,あの胡散臭さは今に始まったことでは無いと思っていましたがねー.
とりあえず,いつからマスゴミは玉無し男とSM親父の言葉をありがたそうに放送しているかわからん.
こいつらこそ,自民党政治の諸悪の根源そのものだろ!

投稿: toorisugari | 2006/07/29 02:07

>hide さま

>石原莞爾くらいになってほしかったなあ。

コメントするのが辛いのですが、石原莞爾氏の評価はともかく(私も彼の著作は持っていますがきちんとは読んでいませんから)、加藤紘一氏は彼に比肩できるような器ではなかったですね。
失礼しました。

支那事変における石原莞爾と板垣征四郎の関係とか、“男の嫉妬”(この言葉で一括していいのかはありますが)ということが意外と歴史の転換や変遷に無視できない影響を及ぼしているのかもしれません。
いずれにしても、陸軍や海軍、外務省・内務省などの官僚たち、そして昭和天皇の側近(木戸幸一ら)を主人公にしたパワーゲームだったのではと思います。もちろん政党人も無関係ではありません。立憲政友会の鳩山一郎など。
今回の「不規則」な日経の「富田メモ」などの報道。じっくり昭和史を見つめなおす契機にすればいいのではないでしょうか。
加藤紘一氏にはその気は全くないようですがね。

投稿: さぬきうどん | 2006/07/29 02:08

読み応えがありました。
かつての加藤氏を思い出すにつけ、また今の加藤氏を見るにつけ、最近ではもはや悲哀を感じるようにもなりつつあります。

一点。宏池会分裂の件ですが、2箇所が「89年」となっています。

>このことが89年の宏池会分裂(河野派の独立)の遠因になる。
>派閥の後継争いに敗れた河野は、翌89年1月に麻生太郎(現外相)らとともに宏池会を離脱する。

投稿: ゴトウ | 2006/07/29 05:23

ゴトウさん、ありがとうございます。
さっそく訂正しました。

投稿: 坂 眞 | 2006/07/29 09:47

小沢先生の所にも書き込みしましたが、加藤先生も「政治家」の顔
をした「政治屋」さんだったのですね。

TVに出演した時の語り口なんかが、政治家風だったので、騙され
ていた人も多かった(私も)のですが、話している中身とその行動
は、こうやってキチンとまとめてみると、政治屋そのもの!

やはり、見識がある風にみせる、似非政治家を選挙で落とさない
限り、日本の未来は暗いですね。

政治家同士の、政治理念に基づいた闘争は、何時になったら見る事が出来るのでしょうか。...理念の違いによる分裂は、小沢氏の得意のポーズでしたが...


投稿: ムフフ | 2006/08/04 09:50

加藤さんとは仕事でお会いしたことがありますが、とても気さくで飾らない、いい方でしたよ。会食の時も、自分から難しい話は一切しないでラーメン屋の話とかしてるのに、難しい質問がいきなり来たときは的確に答えておられました。

投稿: えこ | 2007/01/31 22:16

2008年7月に加藤氏が拉致被害者は北朝鮮に返すべきだったという発言をしたことで、この人のことを検索していて、こちらのブログに当たりました。2年前に書かれたブログですが、実に鋭く加藤氏のことを描写していると思いました。

今回の発言も、拉致被害者を返すべき=反安倍の立場=自分が総理大臣になる、という夢をまだ捨てていなかったことから出てきた発言のようですね。ポスト福田に立候補するつもりだったんでしょう。「権力に対する妄執は、ここまで人間を醜悪な存在にさせるのか」という指摘は至言です。

投稿: troisieme_cachet | 2008/07/11 06:51

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