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2006/07/03

愛情のない鉄拳教育は虐待である

奈良県田原本町の医師(47)方が全焼し、妻子3人が死亡した放火殺人事件。犯人が、有名私立高校1年の長男(16)だったことには衝撃を受けた。

母(38)も医師で後妻である。次男(7)と長女(5)は、異母兄弟ということになる。父親が再婚したのは10年前だというから、犯人の少年が6歳のときだ。

メディアでは、当初、「常々家族4人を殺そうと思っていた」と供述していると伝えられたことから、「義母との確執があったのでは?」という見方も強かった。
が、私は極めて疑問に思っていた。義母との確執が、幼い弟(7)や妹(5)を巻き添えにするところまで発展するとは思えなかったからである。

案の定、少年は弟や妹を、すごく可愛がっていたという。
亡くなった義母も、少年が勉強を強制される部屋を集中治療室(ICU)になぞらえて
「集中勉強室」と呼び、「もう少し自由にさせてあげたい」などと周囲に漏らしていたらしい。

では、何が原因だったのか?
その前に、少年が逮捕されたときの状況に言及したい。

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京都市左京区で6月22日午前7時45分ごろに見つかった少年は、一人暮らしの女性(60)宅に無断で侵入し、そのときは居間でテレビを見ていた。
この女性とは何の面識もなく、以前からその家を知っていた訳でもなかった。侵入した理由は、W杯の「日本対ブラジル戦を見たいと思った」からだという。
が、試合日を1日間違えていて放送していなかったので、朝方まで眠り込んでしまったらしい。

自宅に放火して逃亡しておきながら、「日本対ブラジル戦を見たい」と思い、勝手に見ず知らずの他人の家に侵入する。ちょっと信じがたい感覚である。
さらに、この民家でテレビニュースを見るまで、「火事で母親らが死亡したことについては知らなかった」という。
つまり、自分のしでかしたことの結果を、まったく予測できない。で、サッカーの試合を
見るために他人の家に忍び込む。
まったく16歳とは思えない思考能力のレベルである。そのくせ、民家の電話線は切断していたというから、そのあたりはしっかりしている。

中高一貫の有名私立高校の生徒だというから、頭脳は悪くない。が、人間としてのあるべき精神的バランス感覚が欠落している。この記事を読んで、私は率直にそう思った。

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ここに来て、父子の関係が報じられるようになった。

実は少年は、中学2年だった2年前、家庭訪問した担任教師に、父親から暴力を受けており、やめさせるように訴えていた。しかし、その後も父親の暴力は続いていた。少年は、学校にも怪我をした顔のまま登校することもあったという。
父親の暴力の理由は、「少年の成績が振るわないから」、ただそれだけだった。そして、「集中勉強室」と義母が名づけた部屋に閉じ込めて勉強を強制した。

この件について、父親は弁護士に次のように語っている。

「(長男に対する)自分の接し方が根本的に間違っていた。責任を痛感している」
「長男の気持ちを考えずに、医師にしたいという思いだけで、厳しくしてしまい、それが裏目に出たという印象だ。長男にとって家庭は息抜きの場なのに、追い詰められたのではないかと思う」

今さら何を言っているのだ!!!
子供といっても独立した一個の人格である。親の思い通りに育てようなんていうのは、根本的に間違っている。16歳にもなれば、自我もあれば夢もある。それを暴力で自らの意思を強制するなんて、これは虐待である。
私は、この父親に怒りを禁じえない。

凶行の“引き金”は父親との確執だったことは間違いない。少年は、犯行の数日前の
深夜に、「凶器を持って父親の寝室まで行ったが、気づかれてあきらめた」と警察の
取調室で吐露している。
要は、この父親は、息子にとっては“憎悪”の対象でしかなかったわけだ。

父親にとって、医者であることが最大のプライドだった。それが社会的存在価値のすべてだった。で、その価値観を長男に強要しようとした。
そういうことだと思う。私にはよく解る。

そこには、「生きる価値とは何か?」、もっと突き詰めれば、「人間存在とは何か?」と
いうものが、すっぽりと欠落している。

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私も二人の娘に暴力を振るったことが何度かある。それは他人に迷惑をかけたり、身勝手な考えから私に反発したときだ。
あるとき、自ら娘を警察署に連れて行ったこともある。非行行為を反省しなかったからだ。が、私は心から娘たちを愛している。だから暴力を振るっても、父の日には毎年、
プレゼントと「感謝の手紙」をくれる。

要は、この父親は、息子を人間として育てていなかった。父親としての愛情がなかった、というか通じていなかったのだ。
これは、少年が幼いころから「おばあちゃん子」で、近所の人の話では、最近は家族を避けるように、田原本町内の父親の実家で祖父母と過ごすことが多かったということにも示されている。
それでなくとも母親は義母である。父親が少年を愛情で包んでやらなければ、誰が
愛情を注ぐというのだ!!!

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私の父親は、元軍人で、柔・剣道の有段者だった。幼いころ、不始末をしでかすと、
体が吹っ飛ぶくらいにぶん殴られたものだ。が、私は父を尊敬していた。
要は、真の愛情があるかどうか、一人前の人間になってほしいが故に鉄拳を振るうのか否かである。

今回の場合、少年を「人間」として育てる大人がいなかった。ただ「知識」を詰め込むことを要求するだけ。そして、おそらく祖父母は甘やかしただけだろう。
だから、自分のしでかしたことの結果をまったく予測できず、で、見たいと思っていた
「日本対ブラジル戦」のために見ず知らずの他人の家に忍び込む。
こういう普通の16歳の少年とは思えない、「超非常識」な行動を平然と行うのである。

動機も、「何もかも嫌になり、ゼロからやり直したかった」、つまり「人生をリセットしたかった」ということらしい。人生も、まったくのゲーム感覚なのである。
親が、「人間とは何か」、「人生とは何か」を、折にふれて子供に示してやらないと、今の子供たちは、バーチャルの世界と現実を混同してしまう。
別に言葉でなくてもいい。親の「生き様」で子供は解る。「子は親の背を見て育つ」と
言うではないか。

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長男は、以前から父親に対しては憎しみを持っていたものの、母親や弟、妹に対してはなかったと言い、その後、「3人が死ぬとは思わなかった」と、殺意を否認する供述を
始めたという。
そして、差し入れられた「論語」を読み終え、「知識よりも、思いやりや人に対する優しさが一番大切だと思うようになった」との感想を弁護士に述べた。
やっと、自分が、自我を有する人間であることに目覚め始めたということである。

子供を放任するのは論外だが、自分の思い通りに育てようとするのも同様である。しかも暴力まで用いて強制しようとする。
はっきり言って、人倫に外れている。子供の我が儘はけっして許してはならないが、
自主性や創造力は伸ばしてやるべきである。これが当然であり、人間社会の進歩に
つながる。

なお、私は、「鉄拳制裁」そのものは否定していない。

※母と幼い次男と長女が犠牲になったことに、心より哀悼の意を表します。 坂 眞

参照1:高1「常々家族を殺そうと思っていた」 奈良放火事件
参照2:奈良放火殺人、「死ぬと思わず」…長男が殺意否認
参照3:担任に「父の暴力止めて」…奈良放火殺人
参照4:奈良の放火殺人、長男の父親「接し方間違っていた」
参照5:奈良放火殺人事件、長男「すべてなくしたかった」
参照6:奈良・放火殺人 数日前に父殺害も計画

【特記】
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社会」カテゴリの記事

コメント

私にも小さい娘が2人います。一人は乳児なのでまだ早いですが、もう一人は5歳。反抗期でもあります。私は人の道をはずすこと・無益な殺生をすることに関しては暴力を含めておこります。それ以外の時にはかわいがります。
自分ではメリハリをつけて子供を教育しているつもりです。
しかし、子供から言わせると「パパは怒っていることが多い」と(笑)。

子育って分かりません。私自身子育てを介して人間的な勉強をさせてもらってます。

投稿: ぴん | 2006/07/03 14:20

三人の子供たちの親であるが
親らしいことをした記憶が無い。
立派に成人したのは全て母親の手柄だ。

つい最近の小生の身に起こった話。

満期になった30年満期の保険証書の裏に鉛筆で、
印鑑を小生が持っていると記されていた。
見覚えのある父の字である。

最初から小生にくれるために掛けていてくれたのだ。
89才になり呆けてしまった父に代わって母から
満期のお金を受け取って欲しいと電話があった。

貧乏暮らしの中で大学教育を受けさせてくれた。
もうそれだけでも十分世話になっている。
どうかご自身のために使って欲しい。
という小生の願いは叶えられなかった。

思考停止に等しいかもしれない。
しかし人を育てるのは実に難しい。
良い教師にめぐり合えるのも、
感謝すべき親を持つのも、
もう運としか言いようが無い。

投稿: docdoc | 2006/07/03 14:39

 私は二人の子供が居ます。上は女の子で、下は男の子です。
 長女には、「女性として自立する為には、経済力を付けなさい。普通の会社でも良いけれど、女性が職業的に認められた仕事が良い」と指導しました。彼女は大学を卒業し、看護師として頑張っています。
 長男は軟弱な子供でした。同級生からカラカワレルと泣き出したり、逃げ出したりする子供でした。彼には父親から教えられた事を話しました。「男は何をしても良いが、家族を食わせる責任がある。」「勉強が嫌だったら、しなくて良い。その代わり、他人のスーツやスポーツカーを羨んではならない。」
彼は後半を実行し、工員生活を楽しんで居ます。
 人生は難しいと感じます。

投稿: koubunnyuu | 2006/07/03 16:57

子供は親を選べないから。。。と悲しくなるニュースが最近多いです。

私がこの長男だったら、どうしただろうか。頑張って成人するまで耐えて、そのまま家出しただろうか。あと、3年4年耐えたら。。。

実母に会えないというのも悲しい。亡くなった継母や罪のない子供達が本当に気の毒だ。

あまりに悲しい。

投稿: ゆみこ | 2006/07/03 17:18

「子供が勉強しなくて」という場合、次のような手もあります。家で父親あるいは母親が勉強するのです。資格試験や大学あるいは大学院の入学でもいいでしょう。壮絶な勉強ぶりを見せ付けると、だいたいの場合、何も言わなくても子供も勉強するようになります。子供は親のまねをしますし、また尊敬したいと思っていますから。

山本五十六の言葉です。子育てにも通用すると思います。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、
         ほめてやらねば人は動かじ。」

 何かの本で読みましたが、万引きをやめさせる手段があります。子供が万引きした店の前で、「謝(あやま)るオレを見ていろ」と10分土下座するのです。それを見た子供は往来で半狂乱になり、二度と万引きをしなくなる、と。実践した方々もいるようです。

投稿: 普通の国民 | 2006/07/03 17:19

子供の頃父親に殴られるのは、日常茶飯事でした。中学生の時は、グループから外れた為、放課後図書室で本を読む事が趣味になりました。いつ家出するか、計画書を何枚も作っていました。父親に女に学問はいらないと言われ、大学をあきらめ親戚の勤めている会社に入らされました。門限は7時、家と会社の往復で20才が過ぎても手がとんできました。今から考えると何と主体性がない人間なんだろう!そんな私が結婚し、初めて夫と夜中の3時まで遊んだ時、自由の空気ってこれなんだと知りました。犯人の子供は、後先を考えず、放火しましたが殺そうとは思ってなかったと思います。怒られる怖さで思考停止状態だったと思います。この子供は、昔の私と同じです。親の押し付けで身動きがとれなかったのです。ただ私は、放火しなかっただけなのです。

投稿: ねねこ | 2006/07/03 18:02

私は思うのですが、これは現代の個人主義・拝金主義の風潮がもたらした悲劇ではないでしょうか。医者といって先ずイメージするのは、お金持ち、エリート、いい暮らし、特権階級等です。医者である父親はその事を充分知り尽くしていて、可愛い息子にはその特権を譲り渡したかったのでしょう。その為には苦しい勉強も耐えて耐えて・・・と。しかし、よく考えてみると医術は他人を助けるためにあるものです。医は算術ではなく、本来「医は仁術なり」です。子供を将来、たくさんの人の命を救い、辺境で病気に苦しむ人々を助ける立派な医者にという大志のもとでの教育であれば、成績が下がったくらいでは殴らないでしょう。殴るのは親のエゴです。大きな志の下では親のエゴなど消えてしまいます。思うに父親というのは、暗がりで子供が道に迷ったとき遠くを照らす明かりであればいいだけで、この情報過多の現在、それに惑わされ父親がだんだん小者になっていくような気がします。

投稿: ナナ | 2006/07/03 20:10

子供を育てる事は本当に難しいと実感しています、それどころか自分の世渡りが大変で、何処で嵌まるか解らない、耐えるしかない時もずいぶん有ります。

子供にも苦しさに耐える逞しさを持って欲しいのですが、その子の親のように厳しさだけを見せていれば潰れてしまい上手く育たない。
いやむしろそう考えてしまう甘さが子供に伝染しないか?その方が心配です。

立ち向かって守るべきところは自ら厳しく、それ以外は優しくありたい、その為には希望を抱いていなければ成らない、そう思います。

投稿: MultiSync | 2006/07/03 22:00

こんばんは、坂様。

私は、どちらかというと坂様やその他の方がコメントされる事には納得できません。男が(女にしても)16歳にもなれば、人を殺す事の善悪が理解できない年齢ではないでしょう。その時の時分にしても、嫌いなヤツがいても当然でしょうけど、それを実行する等、とても理解できません。また、父親に多少の問題があるにせよ、それを言訳にするなど、男として、人として、情けなくはないでしょうか?

私の場合、確かに両親から暴力を受ける事はありませんでした。が、父親は憎むべき存在で、最低な存在でした。が、3○近くもなり、ようやく、親の有難味も、少し分かり始めました。それにしても、親や兄弟、姉妹を殺せる心境には、とても理解できません。それが、もし、殺意がなかったにせよ、家に火を放つことが重大な結果が起きることを予見できないとは、、、。とても理解できません。

私はこの少年が死刑になる事はないにしても、それだけ重要な罪を犯した(一生、償っても償い切れない罪を犯した)という意識もなければ、この先の人生も価値はないと思います。

私は人が言うほど、過ちを償うのは容易ではない、と思います。

投稿: Mars | 2006/07/03 23:13

坂様こんにちは。

>この父親は、息子にとっては“憎悪”の対象でしかなかったわけだ。

坂様はそのようにお感じなんですね。
私は少年の気持ちに関しては違う意見を持っています。

少年は過去に父を尊敬し、医者を志望したのですから、
父のようになりたかったし、父に愛されたかったのだと思います。
愛されたくて、可愛がられたくて、
だから、弟や妹も可愛がった。
そうしないと自分の居場所が家族の中になかったでしょうし。

でも、彼の求めた愛情は得られなかったと感じた。
彼が塾だか試験だかのときに、彼以外の家族でキャンプに行っていた
という話を聞いた時、涙がでました。

父に対する憎悪は、父に対する愛情と同じものだったのではないでしょうか。

父も彼を愛していたのかもしれません。
でも、いつかわかる…なんていうのは過酷すぎますよね。
親が子どもを愛するのは義務ではないけど(当然だから)、
子どもに、「自分は愛されている。自分はかけがえのない存在である。」
ということをわからせるのは義務だと思います。
自分が誰かにとって大切な存在だと知らなければ、
人を大切にすることもできないはずですし。

でも、言うは易く行うは難しですね。
私自身、自分の子どもに愛情を伝えきれているだろうかと悩んでいます。

投稿: DD | 2006/07/04 02:25

Mars> 嫌いなヤツがいても当然でしょうけど、それを実行する等、とても理解できません

人間として、ある一線を飛び越えるか踏みとどまるか・・それは歯止めが有るか無いかでしょうね。この少年は結果的には殺人を犯してしまった訳ですが、放火という手段と凶器による殺人とは、意味合いが違います。私の場合、歯止めは母でしたがこの少年は継母ということで心を許せる相手では無かったのかもしれません。大人になれば家出するなり、反抗して相手に分からすなり、その他色々道もあると知りますが、この少年は優秀で真面目すぎたのがアダになったと思います。いいかげんな子供のほうが生きていくには楽なのです。過ちを償うのは容易ではないけれど、この少年は残された父親と一緒に一生をかけて償っていって欲しいと思います。私の父親は愛情があったけど、表現の仕方がわからない人でした。そのかわり母がすべてをカバーしてくれて、大人になった私は距離は置きつつ、父親と良好な関係でおります。

投稿: ねねこ | 2006/07/04 07:33

二人の息子を持つ父親ですが、自分が厳しくしつけられて育ったので子供が出来たら自由に育てようと考えていましたが、いざ子供が出来るとなかなかそうはいかず声を荒げてしまうこともしばしば。
怒った後は息子もへこみますが私もへこんでしまいます。
ただ、私にはあれほど厳しかった父が孫にはとても優しいのが救いです。そういえば私のときも祖父がとても優しくしてくれたのを思い出しました。
うまく飴とむちになっていればよいのですが...。

docdoc様のお話、とても感慨深く読ませて頂きました。自分がいくら大人になっても、親にとってはいつまでも子供なのですね。素敵なお話です。

投稿: こうじ | 2006/07/04 09:20

皆さん、こんばんわ。
コメント、ありがとうございます。

この事件について、父親を厳しく批判しましたが、彼も苦悩のどん底の突き落とされていると思います。
批判は、ちょっと行きすぎだったかもしれません。

何とも、やるせない事件でした。

投稿: 坂 眞 | 2006/07/05 00:40

お子さんに対してなされたのは「暴力」では無くて「体罰」では?

愛情を持って感情に振り回されることなく行う躾の一環だとしたら、それは「体罰」です。


私は「体罰」は賛成ですが、「暴力」は反対です。

「体罰」はいつの日かその裏打ちされた愛に子供達は気づき、「暴力」は獣のような人間を育ててしまいます。

父の日のプレゼントと「感謝の手紙」から、あなたの行為は
「体罰」だと察します。

NO1ブログの影響力を考えて、言葉を慎重に選んで下さるようお願いします。

投稿: oka | 2006/07/05 23:59

離婚や再婚があって父子の葛藤があって成績を巡る悩みがあってなんてこの国では何十万という同様な家庭があるだろう。

そうした苦難の中でもっとも直接的なものは金銭的な窮迫だ。今回の吉川家にはそれはない。
要するに人を殺すか殺さないかであって結論は殺してはいけないに決まっている。つまりはYなる長男そのものの問題なのだ。
もちろん父親は厳しく躾けあるいは手をあげたかもしれない。しかしそれをことさらに報じるメディアやあなたのような人の神経を私は疑う。妻と娘二人を亡くし息子が犯罪者になった彼は被害者以外の何者でもない。しかも当初は実名が出ているのですよ。それを悪しざまに書く新聞はどの口で人権を言う。途中から匿名にしたからいいというものではないだろう。あなたに攻める資格はあるのか?

投稿: 通りすがり | 2006/07/11 10:14

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