シベリア抑留は国家の責任ではない
戦後、スターリンのソ連によってシベリアに抑留されていた元日本兵が国家補償を求めていた問題に結論が出た。
今日は、この問題に言及する前に、私の個人的な背景を記しておこう。
私の父親は旧帝国陸軍の中尉で、戦後、シベリアに2年以上抑留された経験をもっていた。母親は終戦時、北京の日本人街にいた。私の姉はそこで生まれている。
したがって、父親がシベリアで亡くなっていれば今の私はない。また、姉も、一歩間違えば中国残留孤児になった可能性がある。だから、シベリア抑留問題や中国残留孤児問題については人一倍関心がある。
今日のエントリーをお読みになるうえで、以上のことを念頭においていただきたい。
以下は、毎日新聞の記事である。
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シベリアなどに戦後抑留された旧日本兵の補償問題に関し、特別給付金を支給する野党提出法案の採決は15日の参院本会議で行われず、19日の会期末に廃案になることが決まった。ほとんどが80歳を超えるシベリア抑留者にとって悲願だった不当なへの補償は絶望的になった。
民主、共産、社民3党が提出していた。抑留者や引き揚げ者への慰労活動を続けてきた「平和祈念事業特別基金」を解散し積立金400億円を原資に、抑留期間に応じて1人30~200万円を支給する内容だった。
一方、補償はせず、基金を解散させ、積立金の一部から慰労品を贈る与党提出法案がこの日可決、成立した。10万円の旅行券が支給されることになる。
補償を求めている全国抑留者補償協議会の事務局長、平塚光雄さん(79)=東京都中野区=は「われわれが求めているのは、慰労ではなく補償だし、旅行券などもらっても旅行できる人は少ない。仲間は(高齢化して)どんどん減っていくが、あきらめていない」と話した。【青島顕】
シベリア抑留者:「特別給付」廃案へ 補償は絶望的に (毎日新聞)
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シベリアの抑留生活が過酷なものであったことは間違いない。
父親から聞いた話だが、にはノルマがあり、個人の体力や健康状態に関係なくノルマを強制されたという。食糧事情も最悪で、春になると野菜不足を補うために木の芽を食べた。
体力の弱い者は次々とシベリアの凍土の下に葬られていった。
そもそも満州からシベリアに輸送される際の列車からして貨物用の無蓋列車であり、しかもすし詰め状態(まさに貨物)で長距離を移動したものだから、その時点で体調をこわす者もたくさんいたという。
父親によれば、捕虜を虐待したというよりも、当時のソ連そのものが深刻な物不足、食糧不足の状態にあり、捕虜の待遇が劣悪だったのは(ソ連側からすれば)やむを得ない事情もあったとのことだった。
ただ、捕虜を強制に従事させ、しかも死の危険性と背中合わせの劣悪極まりない環境下に長期間置いたことは国際法違反であり、ソ連の行為が「人道の罪」に該当するものであったことは間違いない。
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旧ソ連は、国際法に違反した「侵略」行為の結果、多数の旧日本軍人・軍属を捕虜にした。そして、そのほとんどを、極寒の地・シベリアで満足な食料も与えず、シベリア鉄道建設工事などに酷使したのである。
「それは筆舌につくしがたい、飢餓、窮乏、極寒、恐怖・・・・・・。地獄の日々」(シベリア回想 早田貫一画伯のシベリア抑留鎮魂歌)であった。
捕虜の数は54万6086人(ソ連発表・「シベリア抑留とは」)、そのうち、約6万人もの人が異国の地で望郷の念に駆られながら無惨に死んでいったのである。しかも、米英などに捕らえられた捕虜が、ほぼ1946年に帰還したのに対し、ソ連抑留者の帰還がおおむね完了したのは1958年であった。
ソ連の当時の軍事行動も国際法に違反しているが、このような捕虜に対する扱いも、もちろん国際法に違反している。
ところで、シベリア立法推進会議・全国抑留者補償協議会は、以下のような理由で国に補償を要求している。
「私たちは6万人を超える犠牲を出し、寒さと飢えで地獄の苦しみを味わいましたが、不当にも抑留期間中の強制の賃金も支払われておりません。私どもは日本軍に徴兵・徴用されたものであり、ソビエト連邦(現ロシア)に対する請求権が、1956年(註・昭和31年)の日ソ共同宣言によって相互放棄されたものであるなら、日本政府が当然賃金を支払うべきであります。1949年ジュネーブ条約にも捕虜の派遣国が支払うべきことが明記されております。また、南方から帰還した元捕虜には、抑留中のに対する賃金が大蔵省より支払われております」
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元シベリア抑留者が旧ソ連の蛮行に激しい憤りを覚えるのはよくわかる。
我々は、米国による原爆投下や計画的無差別大量殺戮であった東京大空襲とともに、シベリア抑留という旧ソ連の極悪非道を忘れてはならない。
バルト3国は「無法な併合」に対する謝罪を、ポーランドは「カティンの森の虐殺」に対する謝罪をロシアに求めている。わが国も日ソ国交回復に際し、シベリア抑留に対する謝罪を求めてもよかった。
が、当時の国際情勢とわが国の置かれた立場がそれを許さなかった。戦後の国際社会への復帰とわが国の将来を考えれば、これは仕方がないことだった―と私は思う。
元シベリア抑留者たちが主張するように「捕虜としてはソ連に対する賃金の請求権はある」。が、1956年の日ソ共同宣言において日ソ両国ともにいわゆる「戦争請求権」を放棄している。したがって、ソ連に対する「戦争請求権」を放棄した国が「ソ連に代わって未払いの賃金を支払うべきだ」というのも一理あるように思える。
しかし、「ソ連により抑留された人々及びその御家族に対しては、他地域からの引揚者に対するものに加え、戦傷病者戦没者等援護法あるいは恩給法等により特例の手当てがなされている」(参照:第112回国会 内閣委員会 第10号)。
また、「南方から帰還した元捕虜には、抑留中のに対する賃金が大蔵省より支払われている」と言うのも正確ではない。
「終戦直後いわゆる外地からの引揚者の帰国の際、GHQの指示によりまして国内の通貨秩序の維持ということの必要性から、現金とか外貨さらには証券等の国内への流入を当時、制限いたしておりました」
という状況下で
「連合国が発行いたしました当該地区の通貨表示の現金預かり証というのがございましたが、この場合につきましては限度額を超えて輸入なり交換ということを認めたことがございます。したがいまして、これは日本政府が連合国にかわってその支払いを行ったというふうに理解されておるところでございます」(参照:同前)
ということなのだ。
つまり、元シベリア抑留者に対しては、国は特例的な手当てを支給している。また、南方から帰還した元捕虜に対して国が実施したのは、外貨の持込みが制限されている状況下において「連合国にかわって(国が現金預かり証と引き換えに)その支払いを行った」にすぎない。
要するに、国としては、戦後の困窮時において、なすべき最低限の報いは平等に行ったということだ。
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では、なぜ戦後60年以上も経ってこのような問題が提起されるのか?
それは、国内の「反日主義者」たちがこのような問題を政治利用しているからである。
実は、上記の元シベリア抑留者たちを支援している勢力は、過去のエントリーで取りあげた「重慶爆撃訴訟」の支援グループと重なっている。「重慶爆撃訴訟」は、「旧日本軍による中国・重慶への爆撃で家族を失ったなどとして中国人40人が日本政府に謝罪や計4億円の国家賠償を求め」ているものだが、ここでは元シベリア抑留者の場合とは論理が逆転している。
日華平和条約、あるいは日中国交回復の際の日中共同声明において、中国は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄している。したがって、重慶爆撃で被害を被ったとする中国人たちは、訴えるのであれば中国政府を相手にするべきなのだ。
にもかかわらず、「反日主義者」たちは、ここにおいては「戦争賠償の請求を放棄」した中国ではなく、その原因を作った(とされる)日本国を訴えている。
要するに、「反日主義者」たちにとっては当事者や法的責任の所在など、実はどうでもよいのだ。
戦前の日本は「悪」。それを反省していない(と連中が思っている)今の日本政府も「悪」。だから、そのことを政治宣伝するために、論理が逆転していようがおかまいなしに日本国を訴える。
とにかく日本国を貶めるのが目的であるから、ケースごとに論理を使い分けても何とも思わないのだ。
連中は、今、何と「東京空襲犠牲者遺族会」なるものを煽り立てて、国を相手に空襲被害への賠償や謝罪を求める集団訴訟を東京地裁に起こす準備を進めている。
東京大空襲は確かに残虐極まる非道な行為だった。これは米国による「戦争犯罪」であり、「人道の罪」に該当する。
しかし、空襲被害に遭った人々は全国各地に無数にいた。が、ほとんどの人たちが、国とともに戦った結果としての被害であるとしてその苦しみを受忍してきたのだ。なぜなら戦争は国家が総動員体制で行ったものであり、その国家には構成員である国民も含まれるからだ。
にもかかわらず連中は今、日本国を訴えようとしている。「重慶爆撃訴訟」の論理に従えば米国を訴えるべきなのに、なぜか日本国を訴える。
そして笑い話みたいだが、この「東京空襲犠牲者遺族会」は重慶を訪問して、「重慶大爆撃対日民間賠償請求訴訟原告団」と交流を深めているというのだから、もう連中が何を意図しているかが明々白々である。
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私の父親はシベリアに抑留されたことを嘆いたことは一度もない。もちろんソ連に対しては根深い不信感と軽蔑の念を抱いていた。が、国に対して恨みつらみを言うようなことは微塵もなかった。
死ぬまで、旧帝国陸軍の軍人であったことに誇りを持っていたように思う。
国のために戦ったのであれば、これが普通ではないか。
そう思う。
「戦争被害者」を利用する「反日主義者」の策謀を許してはならない!!!
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参照1:シベリア抑留問題の早期解決を求める要請書
参照2:第112回国会 内閣委員会 第10号
参照3:シベリア抑留補償せず、慰労品のみ 参院委で与党案可決 (朝日新聞)
参照4:重慶爆撃を賠償しろだと???
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コメント
勉強になりました。
小生も 国家の責任 ではないと考えます。
反日主義者 は被害者面をして利用できる
ものはないかと虎視している。
亡き父(84歳)も南方に出兵しましたが
国への恨み辛みは一言もありません。
独立心の大変強い男で道は「己が切り開く
ものだ」「人を頼るな」とよく言っておりました。
投稿: 駱駝 | 2006/12/18 15:43
私の鬼籍に入った父親もカラフトで2年間抑留されていました。ぶ厚い氷の下に見える魚の頭を、なんとかして取ろうとしたり、ウソか本当かソ連軍の食料倉庫に食料を盗みに入ったりたそうです。父が盗んだ食料を、老年の日本兵たちが夜中に盗もうとしたりしたそうです。「死ぬのがわかるとシラミが、死にかけた兵隊から一斉に脱出するのを見た」そうです。
さて、抑留されていた私の父も「日本政府を訴える」など一言も言っていませんでした。むしろ若気の至りで南方激戦地に志願した父を北に回した担当官に(ひどい目にあったのにもかかわらず)「生きて帰国できたのは彼のおかげ」と感謝していたくらいです。管理人さんの主張する「反日グループ」の活動はますます盛んになっているかもしれません。ローソクが燃え尽きる最後の輝きであればいいのですが...
投稿: 普通の国民 | 2006/12/18 15:49
シベリア抑留ですか。小学生の時の担任がシベリア帰りで、当時のことをいろいろ話してくださいました。今も折にふれて思い出します。元来陽気な先生で、厳しい収容所の生活もおおむね面白おかしく話されたものです。(よく考えるとどれも笑い事じゃないんですが)その先生は、国や戦争を批判するようなことは一度も仰いませんでした。子ども相手だったからでしょうか。きっと言いたいことはごまんとあったことでしょう。つらい体験をそれでも笑って話しながら、どこか懐かしそうでした。
投稿: 市田 | 2006/12/18 16:07
そうですか、で、貴方は、反日に利用されるから彼等に、國に対して賠償を求めるのを断念せよと仰るのですね、しかし、60万にも上る数の将兵が、何故無抵抗にソ連軍の虜となったかと言えば、既に戦後だったからです、戦に敗れて捕虜となったわけではない、ポツダム宣言受諾と言う、國からの命令に従って武装解除に応じたからだ。
そこに國としての責任は無いか、亦、20万人にも上る引揚者の犠牲者数の殆どが戦後のモノである、これらが「戦後に起こった事件」で有る事は、重慶爆撃や東京爆撃とも違う責任が國に生じると私は思う、一緒くたにされるのは、迷惑千万な話の筈です、相手がソ連だから、抗議も賠償要求もムリだったというのでは、それこそ、サヨクが手を打って喜ぶ話ではないのか。
亦、そうして無蓋車に載せられた兵達の多くは、帰国できると信じて疑わなかった、海が見えたから日本海だと歓声を上げたら、バイカル湖だったと言う笑えない話もある、彼等はそこから10年間、マイナス60度の極寒の世界での暮らしを強制され多くの友人を喪った、極寒の地で故無き重労働10年を課せられた彼等の多くが、20代の青年であった事を考えれば是ほど罪深いこともない。
彼等が帰国後、勝手に講和条約を結んだ国家に国家に対して不信感を持ち、喪われた青春の対価として賠償を求めたのは、むしろ当然だと思う、所が然に非ず、貴方のお父様を初めとして、私の知っている先人達の悉くは、総て露助の悪辣さを非難するが、国家を非難するのを聞くのは希だった、唯々頭が下がる思いである。
瀬島龍三と言う人が居る、関東軍の高級参謀だった人で、開戦の実質的な責任者とも云われている人ですが、彼が、60万将兵の処遇をソ連当局と話し合ったと言われています、彼は、その責をその身にも背負って、帰国は一番遅かったと聞きます、しかし、私の知っている、バイカル湖のオッチャンは、彼は、極東軍事裁判に抑留地から召喚されて出廷、証言したのですが、上司の草場中将は証言に耐えられず自殺しています、そんな過酷な状況ですから、その時の選択肢としては、最善を尽くしたかも知れないとは言っていましたが、やはり抑留自体は、総て彼と彼の上司の責任だと云ってましたが、現場に居なければ判らない事情が有るように感じて居ました。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2006/12/18 16:53
そうですね、小生の叔父は陸軍大尉、最後は満州の自動車部隊で大谷鉄工所や日本企業の警備を最後に現地で武装解除、シベリヤでなく、タシケントに送られ、運良く技術員が多く居たのでノルマの達成も早く、3年程で現地の仕事を終え帰国しました。
家族は死亡説が飛び交う中での帰国で驚いたものでした、年金を受給していたので処理は済んで居たのでしょうね、ズーと民生委員をやって戦争の事は一切話はしませんでした。
日本の戦争は、日清、日露、日米と小国でなく当時の世界大国、国家の浮沈を掛けた、「苛めに対する反抗」が全て、小生も焼夷弾攻撃から、機銃掃射から逃れた経験が有りますが、戦後は焼け野原で、食うものはナンバコ(玉蜀黍)のパン、芋、芋つる、チブスが出たと云えば、頭からDDTをかけられる、当時大人も子供も誰の責任などと云う話など、私の回りでは「恥」、敗戦が日本人全体の問題で有ると考えても良いと思って居た時代を知る人達の告訴には恥ずかしく成ります。
段々、何処かの国の人達に日本人は似てきますね。厳しい時代、楽な時代、夫々時代に拠って人の人生は左右されますが、時代に阿る事はしたくは有りませんね。
その時を一生懸命生きる、ケネディ大統領では有りませんが「国が何をして呉れるかを問うより、自分が国に何を出来るかを問う」、日本人はそうで有りたいと願うのみです。
ちなみに父は召集兵、終戦時は朝鮮巨文島で独立守備隊員、一年間現地の畑仕事を手伝って居たと、友人と楽しそうに話している癖に、戦時の空襲被害には苦労するのは当たり前と、無茶苦茶なオヤジでした。
こんな話、オヤジが知れば「アホな奴やな、死なんと直らんな」、と一発で終わりでしょうが、「セコイ」人間や、国には嫌に成ります。
投稿: 猪 | 2006/12/18 17:58
小生、ソ連からの抑留者が多く帰ってきた「引揚げ」の街舞鶴に住んでおります。
最近、近衛文隆氏を題材にした劇団四季の「異国の丘」を観賞し、引揚げ記念館を訪れました。
幾人かの引き揚げの方がおられましたが、「訴訟」なんて言葉はついぞ聞きませんでした
舞鶴の緑が本当に眩しかったとだけ
投稿: 蛤御門 | 2006/12/18 21:27
空襲の被害なんていっていたらきりがないでしょう 負傷者、物損まで入れるととんでもないことになります そもそも、その時代に生きていた人は、日本国民であった以上戦争を起こした張本人なのですから戦争の結果を受け入れなけりゃいけないと思います 何か自分たちが被害者であるかのような行動は戦争相手国、とくに中国で受け入れられるはずありません(だから日本で裁判起こすのでしょうが) ほとんどの被災者、軍人が潔く運命を受け入れているなかで、同じ日本人にこのような恥さらしな人たちがいるのが信じられません。 こんなことは止めてもらいたいですが、管理人様のおっしゃるとおり日本を汚すことが目的の人たちなら何を言っても無駄でしょうね。国民から訴えられるべきは国ではなくこの人たちの方だと思います。
投稿: ころ | 2006/12/18 22:35
まったくです。
追求するならロシアを追求すべきでしょう。
投稿: kubokawa | 2006/12/18 23:45
結局、戦争を利用して日本は悪という認識にもっていきたい団体さまがやっているんだと思いますよ。
なんせ、ロシア(ソ連)が条約を破ってという部分が無視されてたりするんですよ。
で・・この方法は、よく似てますよねぇ・・。
戦後、非道の限りを尽くし利権を手にした在日。(なぜか、その犯罪行為でしかない事を無視して被害者ぶっている。)
捏造歴史を作り、政治のカードにしている中国。(捏造する事で日本を悪と決め付け、利益を得ようとする。)
などなど・・・。
結局、日本を食い物にする連中のいい方法として利用されたんでしょうね。
皆さん、こういう記事には、情報操作が入っている場合があるので注意しましょう。
(もっとも、ここに来る人は、わかっているか・・・。苦笑)
投稿: Asid | 2006/12/19 01:11
私も今回の話、及びみなさんのコメントを拝見させて戴き、勉強になりました。先人のご苦労を思う時(想像も致しかねますが),頭を垂れるしか術がありません。 その精神を敬い、より良き国を次世代に渡せる様に日々精進したいと思います。 有難うございました。
投稿: 桜一輪 | 2006/12/19 01:29
いまの私が、安心して、この日本に住めるのも・・
戦中もですが、戦後間もない混迷期に、必死に
日本を守ってきた方々の恩恵だと思っています
尊い祖先の気持ち、忘れてはいけませんね
ありがとうございます
本当に、ご先祖様には頭が上がりません
いま、この日本に住んでいるという幸福
じっくりと噛み締めたいと思います
投稿: 涙がでます | 2006/12/19 02:04
この方々は、賠償金を払うのが自分たちのお孫さん達だという事を
分かっていらっしゃるのだろうか・・・。
投稿: 特に無し | 2006/12/19 03:48
東京大空襲、原爆、シベリヤ抑留などなど、謝罪も賠償も要求せず戦後復興のために努力してきた日本人が大勢いる事を私は決して忘れません。
投稿: nana | 2006/12/19 10:44
NHKが「もうこれで何度目?」と思うほど例の「関東軍が満州居留民を置いて逃げた」という似非ドキュメンタリーを放映しております。
これは少しでも軍事、国際法の知識があれば噴飯物の主張ですが、NHKは全く恥じていない様です。ソ連軍が行った蛮行の数々を数秒のナレーションで伝えるだけで、片隅に追いやっております。
私はこの手の輩を「大東亜戦争史観主義者」と名づけております。大東亜戦争が人類史の歴史上最大のマターであり、「審判の日」であったと思い込んでおるのですな。つまり敗者日本は地獄行き決定なのだとする連中です。
あるいは儒教の正潤論に自覚無しに陥っているのかもしれません。つまり古臭い、ですね(笑
しかし、この手の輩の大半が戦後生まれ、しかも60年代以降に生まれた戦後人である事が異常です。私はちょっと古い邦画が好きで専門ch等でよく見るのですが、戦争体験世代の方がドライに過酷な体験を乗り越えている印象を持ちます。『兵隊やくざ』『独立愚連隊』等は今ならくだらない言い訳無しには制作できないでしょう。
投稿: ぺパロニ | 2006/12/19 11:16
すいません、自分の書いた文章を読み返して、推敲途中で消し忘れたり、未推敲の部分があって全体としてハチャメチャになって居ますね、再投稿しようかとも思いましたが、長文ですからブログ全体のご迷惑になるので遠慮いたします。
唯、瀬島氏に関する記述は、自分の中でも未消化な部分があって、余りに不充分ですので、又の機会が有れば書きたいと思います。
それは兎も角、日中戦争からの15年間、先達の方々が全力を尽くして戦った防衛戦争の記録に端々に、軍属・民間を問わず、多くの日本人の人生が眠っているのだと認識しております、願わくば、その方々の無念さ、叶えられなかった望郷の思いの数々・・に応えるべく、慰霊の儀式を、その悉くの故地で、通州で、済南で、上海で、真岡で、新京で、そしてロシアの奥地の各都市で・・行いたい、日本政府は慰労金を受け取るべき人の大半が鬼籍となられた現在、払われなかったその資金で、当時果たし得なかった、慰霊の儀式をせめてもの思いで行って欲しい。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2006/12/19 13:55
対日賠償裁判の効き目がなくなったと知るや、今度は国内の裁判を利用する・・・
人権ヤクザは何処まで逝っても「外道」そのものですね。戦争体験者の心の傷を私利私欲の為に踏みにじる。
逝ってよし!彼らに対しては、こういう感情しかわきません。
投稿: KY | 2007/01/01 13:50
皆さんの品の高い難しいご意見大変すばらしく、貴重な物と受け止め拝見させて頂きました。ただ私考えるにやはり様々な人、特に親戚、父親、文献等を見ましても、終戦時に国で取った最低な行動、つまり、関東軍幹部はもう既に終戦の概要を知っており、自分たちだけさっさと引き上げ、無責任に国民、一般将兵を置き去りにし、それゆえ大量の中国での不幸、孤児、シベリヤ抑留にあった事などを考えると、国としてもう一度これらの日本国民に謝罪、支援の手を差し伸べ、中国には何を言われても「はいはいはい」と謝罪しODAから、円借款、各種支援を叩頭しながら、国民の税金をジャブジャブ使って、謝罪する卑屈な態度はやめて毅然とした態度で望むべきとおもいます。
終戦時、略奪、強姦等、中国国民党軍、ソ連兵のマダムダワイなど数えられないほどあった訳で、なんでも日本が悪うございました風の外交は卒業し、毅然とした態度で、中国、北朝鮮などのゴロツキ犯罪国家、ロシア等の詐欺師国家、韓国などのたかり国家等と凛とした外交をすべきと思います。昨年夏に発生した、根室の漁業従事者の頭を、酔っぱらい露助警備兵が銃にて、打ち抜いた行為、また、頻繁におこる滞在中国人の高犯罪発生率。
昨年は、露助のタイヤ泥棒が発生しましたが、あのとき等その場で2、3人頭でも吹き飛ばしてやるくらいの、日本人としての、毅然さを持って頂きたいとつくづくおもいます。
私は別に右翼ではないのですが、それにしても、犯罪国家だろうが何だろうが、外国の言う事は何でも、低頭平身ハイハイと受け入れ、どっさりと賠償し、方や、中国残留孤児の要求を平気で棄却したり、国民には冷たく平気な、内弁慶な日本の将来が不安でたまりません。特に北朝鮮と中国の不適な態度に腰砕け気味の日本が本当に心配です。両者とも日本の金で軍備、核開発、ましてや海外援助まで日本の金で行い、自国民にはなにもこのような善行は一切知らせず、いつまでも日本憎しの情報しか自国民に知らせない、中国、北朝鮮、韓国、ロシア等本当に腹立たしい気持ちです。いまこそ日本として毅然とした外交姿勢を示すべきと思います。
以上、申し上げたいと思います。
投稿: 大沼 秀雄 | 2007/02/01 18:24
今日、3月18日(火曜)関西テレビの23:50ごろのニュースで、
このシベリア抑留者が国を相手取って京都地裁に
提訴したニュースが放送されました。
この原告の人たちって、ソ連で洗脳された人たちなんですかね、
「日本政府の棄民政策は許せない!」って発言してましたからね。
チャンネル桜の討論で、瀧澤一郎さんが洗脳の解けない人がいるって言ってたのを思い出しました。
投稿: IE | 2008/03/19 00:25
読ませていただきましたが、悲しすぎます。
戦争で死んで靖国に祀られた兵士に対しては英霊と称えるのに、
戦争で生き残った元兵士に対してあまりに冷たい対応。
戦争で死ぬ兵士もいれば、生き残って日本に帰ってくる兵士もいる。
どちらにしろ、お国のために戦った兵士に対してはそれ相応の恩給を与えるべきであるし、真の愛国主義者なら、お国のために戦った兵士を愚弄することなどできないはずです。
私は1973年生まれで戦争も高度経済成長期も経験していませんが、今の日本があるのは先人のおかげであると自負しています。
太平洋戦争を戦ってきた元兵士たちも今は老人。
私は小学生の頃から、老人はいたわり敬うべきだと教えられています。
投稿: 真の愛国主義とは | 2009/11/07 20:01