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2007/08/01

共産主義はなぜ破綻したのか?(2)

今日も昨日に続き過去のエントリからの転載です。

共産主義はなぜ破綻したのか?(2) 2006/07/14

今日は約束どおり、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する。

昨日のエントリーで書いた「ソ連的社会主義体制」の崩壊をお読みいただければ、理由の半分以上は既にお解りいただけると思う。

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私は、昨日のエントリーで次のように書いた。

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。
以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である
と・・・・・・

そして、その思想が生まれた社会的、歴史的土壌にも言及した。

①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである
と・・・・・・

また、以下のようにも指摘した。

マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスで
あると想定していた
と・・・・・・

つまり、ヨーロッパの後進国・ロシアで社会主義革命が起きるなんて、マルクスにとってはまったくの想定外であった。

やはり、色々な理由があったとはいえ、ロシア(ソ連)共産党やソ連型社会主義がマルクスのイメージとはかけ離れたものになってしまったのも、そのロシアの後進性による
ところが大きい。
結局、「搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会」を目指したはずの共産主義思想が、世界で最初に実現したのは「搾取も抑圧も差別もあり、まったく不自由で不平等な社会」だった。
近代史上、これ以上の、イデオロギーとそれが実践された結果の乖離が大きい例を
私は知らない。

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中国の場合は、もっとひどい。中華人民共和国が建国した1949年の4年前までは、
中国のほぼ全土(主要部)が日本との戦場だった。 
そして、日本が1945年に敗北した後、一時的に平和が訪れたが、1946年6月には国民党と共産党との内戦(国共内戦)が再び始まる。

日本との戦争前及び戦争中の中国はというと、まったく国としての体をなしていなかった。

1911年に孫文が率いる中国革命同盟会が中心になって辛亥革命を起こし、清朝を
打倒した。革命派は中華民国の建国を宣言した。が、基盤の弱かった革命派は、いくつかの交換条件を結んだ上で、何と清朝の将軍であった袁世凱に実権を譲る。

実権を握った袁世凱は、一時は皇帝になるなど反民主的・専制的な政治を行った。そして袁世凱の死後は、中国全土に軍閥が割拠する時代となる。
孫文の後を継いだ蒋介石が率いる国民党政府も、広東(広州)を中心とする南方軍閥の一つにすぎなかった。

まさに、満州事変(1931年)のころ、酒井隆・支那駐屯軍参謀長が述べた「支那は一つの社会ではあるが国家ではない。あるいはむしろ支那は匪賊の社会であるといった
方が適評」という評価は正鵠を射ていたのである。

1926年、蒋介石は、共産党の協力を得て「国民革命軍」を組織し、相対的に豊かな
華中~華北の10省あまりを支配する北方軍閥に対する討伐戦争を起こした。いわゆる
「北伐」である。
1928年に、蒋介石が率いる「国民革命軍」は、一応は北伐を完了させ、南京を首都にする。
が、前年の1927年には早くも共産党が戦線を離脱し、「国共内戦」が始まっていた。
そして、「国共内戦」開始に伴ない、「国民革命軍」に参加していた旧・軍閥も離脱し
独立。
蒋介石と国民党が目指した中国の統一は事実上、失敗に終わった。

そして1931年には満州事変が起こる。
1937年には日中戦争(支那事変)が開始され、この戦争は1945年まで続く。国民党
政府は、戦争開始から4ヵ月後の11月には南京から奥地の重慶に政府を移し(逃亡)、中国のごく一部を支配するのみになった。

つまり近代中国の歴史は、清朝時代の後半は、日・欧・米の半植民地。清朝崩壊後は、戦乱に明け暮れ、一時も国としての体を成したことがなかったのである。
資本主義も未発達で、買弁資本家が中心だった。もちろん、民主主義の価値観など
カケラもなく、革命以前のロシアよりひどい前近代的な封建的・分立国家であったと
言ってよい。
こんな国で、いきなり社会主義革命が起こった。しかも、当時の中国共産党の指導者は「政権は銃口から生まれる」という「唯武器論者」の毛沢東だったから中国人民はたまらない。

※(注)
「買弁資本家」とは、植民地・半植民地または開発途上国で、外国の資本と結びつき、利害をともにする資本家のこと。本来は「貿易商」の意味。

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私は、毛沢東はマルクスの思想を理解していなかった(理解できなかった)と思っている。
彼は、レーニンから「暴力革命の戦略・戦術」を学び、スターリンから「共産党による独裁の手法」を学んだだけで、マルクスの思想の核心にあるのものは理解していない。
彼が理解した共産主義思想は、ソ連共産党によってゆがめられたドグマ(教理・教条)にすぎなかった。
そう断言できる。

毛沢東の「人民戦線論」や「統一戦線論」、そして「農村から都市を包囲する」という
有名な戦略も、レーニンの革命論を、資本主義が未発達で農民が社会のほとんどを
占めていた中国の実情に合わせて焼き直したものである。

毛沢東は、日中戦争末期の1945年に開催した中国共産党大会における政治報告で、「一部の人は、共産党が権力を得たのち、ロシアにならってプロレタリア独裁、一党制度を打ち立てるのではないか、と疑っている。しかし、我々の、いくつかの民主的階級の
同盟による新民主主義国家は、プロレタリア独裁の社会主義国家とは原則的に違ったものである」と述べている。

「新民主主義国家」、美しい響きを持った言葉である。
が、これはまったくのウソだった。
その「新民主主義国家」は「プロレタリア独裁の社会主義国家とは原則的に違ったものである」どころか、もっとひどい「共産党による強権的独裁国家」であった。
この手法も、ロマノフ朝を打倒するまでは社会革命党(メンシェビキ=少数派の意味だが実は多数派)や無政府主義者と共闘しながら、革命が成功すると、彼らを排除し、
ロシア共産党(ボリシェビキ=本当は少数派)による一党独裁体制を確立したレーニンのやり方にそっくりである。

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1957年、ソ連共産党第一書記フルシチョフは、ソ連が15年以内に鉄鋼、石油などの
生産高の面で米国を上回るだろう、と宣言した。
当時モスクワに滞在していた毛沢東は、兄貴分であるソ連に負けじと、中国は15年
以内に英l国を追い越すだろうと語った。この発言は、世界各国共産党首脳たちの熱烈な拍手を浴び、中国国内でも盛んに宣伝された。

これに気をよくした毛沢東は、1957年に約535万トンであった中国の鉄鋼生産高を翌年には倍の1,070万トンにするよう命じた。ここから全人民製鉄・製鋼運動が展開される
ことになった。
しかし、本格的な製鉄コンビナートを作るだけの資本も時間もない。いらだった毛沢東は、産業革命以前の「土法高炉」を全国に展開し、人海戦術で鉄鋼生産を行うことを
命じた。
しかし、素人が薪をくべて作った鉄は、農機具用にすらならなかった何と、6千万人もの
力を投入したのに、308万トンの何の役にも立たない「牛の糞」のような鉄が作られただけに終わったのである。

鉄鋼増産と並んで、毛沢東の念願であったのが、人民公社(労・農・学・兵が結合した自治組織)による農村の共産化である。これは、パリコミューンやソ連のソビエト(者・兵士による評議会)を意識したものだった。
「共産主義は天国だ。人民公社はその掛け橋だ」というスローガンが、1958年以降、
中国全土に響き渡った。

人民公社は地方の共産党官僚の管理化におかれ、やがて各公社 が、毛沢東の歓心を得ようと、食糧増産の大ボラ吹き競争を始め る。

ある公社が、今まで1畝(6.7アール)あたり200斤(100k g)程度しか小麦がとれなかったのに、2千105斤もの増産に成功したとのニュースを人民日報で流した。毛沢東が
提唱した、畑に隙間なくびっしりと作物を植える「密植」により出来高が10倍にもなったというのである。
すると、他の公社も負けじと、水稲7千斤、1万斤などという数字を発表し始めた。8月には湖北省麻城県で、1畝あたり稲の生産高3万6千956斤というニュースが報道された時、人民日報は四人の子供が密植された稲穂の上に立っている写真まで掲載した。

出来高の水増し報告により、農民が上納すべき食料の量も増やされ、農民自身の取り分は大きく減らされた。こうして、農民たちの製鉄運動への駆り立てと人民公社化(農地の共有化)による効率低下、さらに上納分の大幅増加により食糧備蓄も底をつき、1960年から61年にかけて、中国全土を猛烈な飢饉が襲った。
これが、毛沢東が煽った「大躍進」政策の実態である。

その「大躍進」政策で中国人民が得たものは、308万トンの何の役にも立たない「牛の糞」のような鉄と3千万人に及ぶといわれる餓死者であった。

このような事態の深刻さは、地方からの水増しされた食糧増産報告のため党中央には届かなかった。その結果、飢饉の最中である1960年に、270万トンに及ぶ食料の強制徴発と、それを輸出に回すという信じがたい行為が実行されたのである。
270万トンの食料は、3千万人が半年間食いつなぐのに十分な量だった。

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1961年初めには、さすがの毛沢東も「大躍進」政策を続けることができなくなり、劉少奇や鄧小平などの実務派に政治運営を譲った。鉄鋼増産運動は中止され、農民の収入も働きに応じて分配されるようになった。
鄧小平が「白猫でも黒猫でもネズミをとるのが良い猫だ」という発言をしたのは、この頃だ。「ネズミをとる」とは、「国民を食わせる」という事なのである。

が、毛沢東がおとなしく黙っているはずがない。マルクスの思想など理解せず(できず)、とにかくソ連にならって中国を東アジアの大国に、いずれは世界の強国にしたいと念願していた彼は、1965年に「文化大革命(文革)」を発動する。
そして、尊敬していたスターリンと同様に、個人崇拝・神格化に成功した(これは、昨日も述べたが、マルクスがもっとも忌避するものである)。

事情をよく知らないそのころの私は、これは「者(プロレタリア)独裁」を進めるための「永続革命」の一環であるとして最初は支持した。
が、実態は、林彪を「軍の足場」に江青や張春橋らの「四人組」を「政治の足場」にして実権派とされた当時の中共指導部である劉少奇や鄧小平らを追い落とすための権力闘争であった。

この混乱は、約10年間続き、内戦や虐殺及び強制などで、6百万人とも3千万人とも、果ては5千万人が犠牲になったとも言われている。
文革以降の歴代政権が、これに触れることを「タブー」にしているため、正確なところはよく解らないのが実情であるが、数千万人が犠牲になったのは間違いないようだ。

※(注)
「四人組」とは、1960年代半ばから約10年間にわたり、毛沢東が発動したプロレタリア文化大革命(文革)によって浮上した江青(中央文革小組副組長、毛沢東夫人)、張春橋(副首相、政治局常務委員)、姚文元(政治局委員)、王洪文(党副主席)の新権力グループを指す。文革では様々なグループが登場したが、林彪グループと並ぶ一大勢力を形成、主に上海を拠点にして活動した。

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1970年代半ばごろ、大躍進の失敗とそれに続く文革による大混乱で、中国は疲弊し、まさに存亡の機にあった。これを救ったのが鄧小平である。毛沢東亡き後、四人組
を打倒し実権を握った鄧小平は、「永続革命」路線から「改革開放」路線へとコペルニクス的転換を図った。

1978年12月の11期3中全会において決定されたこの路線の本質は、「白猫でも黒猫でもネズミをとるのが良い猫だ」という鄧小平の有名な言葉が総てを言い表している。
この言葉は、「資本主義でも社会主義でも、どちらでもよい。要は、中国が豊かになり、民衆がメシを食えるようになるのが先決だ」と読み替えることができる。

この時点で中国は、政治的制度としての共産主義を維持ししつも、イデオロギーとしての共産主義は捨て去り、経済成長至上主義に転換したといってよい。
実際のところ、1983年から88年の平均成長率は11.4%で、驚くべき急成長を遂げた。
ところがこの「改革開放」路線の延長線上に、1989年6月「天安門事件」が発生する。
中国共産党指導部は、この「事件」を戦車を動員して強権的に制圧した。

この人民の党と、その指図を受けた人民の軍が人民を虐殺した事件は、中国社会に
動揺をもたらした。
「強権的制圧」を指示した者にお咎めはなく、逆に、「改革開放」の旗手であり、「強権的制圧」に反対した趙紫陽・総書記が解任されたからである。加えて、人権に敏感な欧米諸国が中国に対して経済制裁を実行した。
その結果、「改革開放」の雲行きが怪しくなってしまった。

これに対して鄧小平は、1992年1~2月、広東省や上海市などの南方視察を行い、そこで華南地区の発展ぶりを称え、「改革開放は100年流行る」と言明、「てん足女のようなヨチヨチ歩きではダメだ。改革開放をさらに加速させなければならない」(南巡講話)と
全国に檄を飛ばしたのである。
元々、鄧小平の「改革開放」路線は、「先に豊かになれるものから豊かになれ」と、一時的な経済格差を容認する「先富論」であり「先に豊かになった地区(沿海部、都市部)が後発地区(内陸部、農村部)を支援すればよい」というものだった。
したがって、この鄧小平の「激」を受けた地方の党幹部たちは、我先にと、こぞって市場経済へ向けて走り出したのである。

※(注)
「天安門事件」とは、中国北京の天安門広場において起きた民衆の抗議運動。
文化大革命が否定される中、1981年に中国共産党主席に就任した胡耀邦は、思想解放を掲げ、改革を推進したが、反発を受け、1987年に失脚した。
その後、1989年4月に死去した胡耀邦の追悼行事が天安門広場で行われ、これを非難する当局に対して、学生や市民の抗議運動が広がっていった。
1989年6月4日、天安門広場において、民主化を求める学生や市民に対して人民解放軍が武力弾圧する事態となった。

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この鄧小平が唱えた「改革開放」には致命的欠点が、いくつかあった。 
その一つは、社会が市場経済に向けて走り出したにもかかわらず、もっとも重要な
「そのルール」を定めなかったことである。
また、市場経済化に不可欠な「政治の民主化」を先送り(弾圧)したために、下部構造(経済)は資本主義(市場経済)なのに、上部構造(政治や国家)は共産党による一党独裁という、極めてゆがんだ形の国家・社会を生み出してしまった。

つまり、マルクスの思想に基づいているはずの国家が、マルクスの「下部構造としての経済が政治や国家さらには人間意識といった上部構造を決定する」という理論とは逆になってしまったのである。
そして、共産主義から市場経済に転換したにもかかわらず、共産主義イデオロギーに
取って代わる社会的規範作りを怠った。

以上をまとめてみる。

①市場経済にルールがない。
②共産党による一党独裁のため、党官僚の恣意的判断でどうにでもできる。
③民主化を弾圧したため、言論の自由がまったくない。
④市場経済化によって共産主義イデオロギーが「規範」としての機能を喪失した。
⑤共産主義イデオロギーに代わる政治的・社会的「規範」が作れなかった。

これらに次のことが加わる。

①宗教を弾圧してきたために、宗教的道徳心や倫理観が社会から欠如している。
②社会に共通する価値観が、「カネ」と「モノ」しかなくなった。
  (まさに、下部構造としての資本主義が人間意識だけは決定したのである)
③民主主義の経験がまったくないため、社会全体に「人権」というものの認識がない。
④歴史的に「人の命は紙よりも軽く、欲望は底なし沼より深い」という国民気質がある。

その結果が以下のような社会を生み出したのである。

①業者と結託して当局(地方の党・政府)が、涙ガネで農民の土地を取り上げる。
  (失地農民は全国で4千万人以上。毎年200万人以上のペースで増加中)
②農耕が不可能になるほどの工場による汚染が頻発する。
③業者と当局が結託して石炭の違法採掘を行うため、人身事故が頻発する。
  (2005年の労災事故は69万1,057件で労災死者は11万9,827人)
④国民の3分の2(66%)が無保険な上、医療費が高額なため医者にかかれない。
⑤外貨準備高世界一だが、1日の収入1ドル未満の貧困人口も1億7千3百万人いる。
⑥警察官が住民(特に出稼ぎ者=民工)に対して恐喝を平然と行う。
  (1億人を超える民工は都市戸籍がないので人間扱いされない)
⑦裁判官までが賄賂次第なので、不公平な裁判がまかり通る。
⑧医療関係者まで絡んだ誘拐・人身売買が跡を絶たない。
  (人身売買は、摘発されただけでも2001~03年の3年間で2万360件、4万2,215人)
⑨模倣品の市場総額は1,600億~2,000億元(2兆2,400億~2兆8,000億円。
  (2001年・国務院推計)
⑩密輸品は6年間で9万件以上、2兆6,000億円(1998~03年摘発分)。
⑪党や政府の幹部が、収賄や公金横領を平然と行う。

書き始めると切がないので以上で止めるが、それにしても凄まじい社会である。
人間の「真の自由と平等」を目指す思想に基づいて作り上げた国が、もっとも不自由で不平等な社会になる。
その原因は、まず第一にマルクスの思想にある。第二にレーニンによってゆがめられたロシア革命にある。そして、中国の場合は、マルクスの思想が持つ欠陥+レーニンと
スターリンによる歪曲、そこに中国的特殊事情がプラスされた。

毛沢東時代は、共産主義というドグマが何千万人もの人民の命を奪った。毛沢東の後は、共産党による独裁体制が、人民を抑圧し搾取することを合目的化した化け物のようなシステムに進化した。
要は、そういうことではないか。

ソ連は、その体制の劣化に耐え切れず崩壊したが、それを後押ししたのがミハイル・
ゴルバチョフ書記長による情報公開(グラスノスチ)であった。
中共は今、言論統制にやっきになっている。ソ連の二の舞いを恐れているのであろう。
が、今の、下部構造が「市場経済」で上部構造は「共産党独裁」という歴史上例のない体制が長続きするとは思えない。

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北朝鮮に関して書く時間がなくなってしまったので、簡潔に言及する。

マルクスの思想をゆがめた形で現実化したのがロシア革命(レーニン及び後継者のスターリン)だった。そのロシア(ソ連)の共産主義を模倣し、さらに中国的にアレンジしたのが毛沢東である。
なぜなら、革命当時の中国はロシアよりさらに遅れており、しかもアジア的特殊性もあったので、アレンジするしかなかったのである。

北朝鮮の場合は、ロシアより遅れていた中国より、さらに遅れていた。中世から近代にかけて政治的・文化的・経済的に完全に独立したことが一度もない。
近代までは一貫して中国の属国であったし、20世紀に入ってからは日本の植民地になった。しかも、植民地時代の日本が残した遺産のかなりの部分は朝鮮戦争で喪失している。
それでも1960年代前半までは、日本が残した遺産のおかげで韓国よりは経済的には上だった。が、それもソ連や毛沢東時代の中国と同じで、時代の変化に体制がついて行けず、急速に劣化・陳腐化していくのである。

また、北朝鮮を赤化した当時の朝鮮党(共産党)の幹部は、首領の金日成を
始め、モスクワに留学していない。この点も、毛沢東を除いては、幹部の多くがモスクワ留学組だった中国共産党との大きな違いである。
要するに、朝鮮党(共産党)の幹部は、金日成を始め、マルクスの思想の核心は
おろか、ソ連型の共産主義思想(スターリン主義)さえ満足に理解していなかったのではないか!

だから、一党独裁、計画経済、個人崇拝という、スターリンや毛沢東がやったことの
外形だけを真似た。中身(思想)はまったくなし。
思想がまったくないから、スターリンも毛沢東も考えなかった「権力の世襲」を実行し、
チュチェ思想などという、訳のわからない教義を打ち立てる。
北朝鮮は、マルクス主義ともスターリン主義とも毛沢東主義とも無縁な、中世の封建的・半奴隷制国家であると理解してもらいたい。

北朝鮮については、チュチェ思想も含めて、改めて言及したい。

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※データ等で、出所が明らかにされていないものは、すべて過去のエントリーから引用したものです。

【特記】
コメント及びTBを許可制にさせていただきました。
カキコやTBがすぐには表示されませんが、勘違いして何度も送信することのないよう
ご注意ください。

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コメント

いやーすごいですね。ホントにすごいですね。
想像を絶する隣国の状況に唖然の一言です。

先日西村幸佑氏が講演で、「欧州の人間から何故アジアはEUのように一つにまとまれないのかとしばしば揶揄されるが、そんな時は「ヨーロッパには中国と朝鮮がないだろう。それがどんな状況か分かるか」と言い返している」とおっしゃっていましたが、まさに凄まじいばかりの別世界。

70年代後半といえば、日本が国交を回復して日中友好ムード一色の頃でしたが、中国国内は大躍進と文革で疲弊しきっていたのですね。
当時の日本人が中国に持っていた印象との余りのギャップに呆然。

そういえば、本多勝一の「中国への旅」が出版されたのが71年。国交回復の一年前ですから、日本に多額のODAを出させる目論見もあってのことだったかもしれませんね。

実に興味深い記事、有難うございました。

投稿: おれんじ | 2007/08/01 23:03

面白いですね。
私は若い頃、北朝鮮と貿易する商社にいました。出張で平壌に行ったとき、どうしてこうも官僚的で融通の利かない、そのくせ建前では立派なことを言うが本音では欲望むきだしの、変な国なんだろうと不思議に思いました。
帰国してソルジェニツィンの『収容所群島』を買い求め、じっくり読んでやっとわかりました。 金日成がスターリンの弟子だったからです。 その北朝鮮に憧れる韓国の若者たち・・・もう阿呆か馬鹿かと。

投稿: Venom | 2007/08/02 09:51

>マルクスは、その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。

今の日本に似てませんか?
確かに、格差らしきものが起こりつつ有りますけど、まだ資本主義の最先端のアメリカよりは、ましですし、今回の選挙を考えると、国民はマスコミにだまされたのではなく、賢い選択をしたと思います。(私自身はがっかりしたけど)
革命がどんな形で表れるかは、わかりませんが社会主義、もしくは日本共生主義?かな。 
中国に飲み込まれなければ、可能と思います。

投稿: ねねこ | 2007/08/02 16:46

社員に共産党員が居ましたので「赤旗」は毎日読んでいましたよ。昼は食堂で社員と食べる様にしていました~叔父がタシケントでラーゲ生活をしていたと言う事を話してから共鳴を覚えたのでしょう、叔父の生活を私に聞くように成り、洗脳の話、尉官・佐官に対するロシヤ人の態度、日本人とドイツ人に対するロシヤ兵の対応(人種が異なる)も話してやったモノです。

一月に一度は警察官が私の処に来て「真面目」にやって居ますか?運動はしているようですか?私が「真面目・真面目、最近は私に教わりに来ますよ」と返事をすると、共産党員ですか?と真面目に聞くお巡りさんに「そうだよ自民党の支持者だけどね」とバカな事と判るまで2年ほど警察官の監視は続いたのですが彼は定年まで勤めて呉れました。

その後ソ連崩壊時に一度来たので、「赤旗」未だ読んでいるのと聞きましたら、止められないとの事、私の場合、高校時代が共産党華やかな徳九時代・破壊・朝聯暴力図との対抗時代を径て居ますので、難しいことは抜きに嫌悪感から中共嫌い・北朝鮮嫌いが始まって居ますので頭の方は後から付いてきた様なもの、特定地域で育った人なら共産党・共産主義と聞くだけでダメな人が多かったと思います。

ソ連の共産主義の根元は儒教社会と似た面が有るので中共・北朝鮮とが生息しているのでしょう。キューバの様な陽気な国民が浮かれているのは判りませんが、これは働きたくない人が多い割りに偉くなりたい欲望が天候から見ても、生活条件から見ても中共・北朝鮮ほど厳しく有りませんので、搾取されていないだけでハッピーなんでしょう。熱意の有る人間はメジャリーグに入る為「亡命」してしまう。

日本も今回の選挙などを見れば、プロパガンダには一溜りも有りません。
一時期安保で騒いだ人達も引退の時期を迎えて居ます、先祖がえりをする人も中には居て9条の会ででも活躍する人も出てくるんじゃ無いかと危惧しています。
私の場合、頭の粗雑さと、体育系と言うだけで共産主義から遠ざけられた幸せな男で有ったと思います。

投稿: 猪 | 2007/08/02 18:08

とてもわかりやすくまとめられていて、勉強になります。目から鱗です(←使い方合ってないかも)。北朝鮮の話も伺いたいのですが、キューバや南米や東欧の社会主義の末路もこのわかりやすさでお聞きしたいものです。

投稿: くも | 2007/08/03 21:43

中国の今後は、興味深いですね。

私は、57歳ですが、1960年代に小学校の先生から北朝鮮は資源豊富な理想社会と教えられていました。

また、過去数年間、旧ソ連(ロシアやカザフスタン)で企業相手に経営コンサルティングをしてきましたので、共産主義社会の不条理、その影響の深さを実感して来ました。

その中で思ったことは、人間の自然な欲望を抑圧する共産主義の結果として生まれた経済社会全体の非効率。それが、人々の生活に与える過酷さです。

今後も参考にさせていただきたいと思います。

投稿: 渡辺穣二 | 2010/11/20 19:42

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