実は、私は小沢の熱烈な支持者だった(笑)
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中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄 国境なき記者団
私がバブルが崩壊した後、苦労したことは過去のエントリに書きました。
当時は、もう40代半ばですからね。再チャレンジ(?)なんて、そう簡単にいきません。
なにしろ、職がないんだなあ、必要な生活費に見合う。
当時、2人の子供は高校生(私立)と中学生。けっこうカネがかかるわけですよ。
ほんとうに辛かったですね。
まあ、今はそれなりに生きていますから、その頃も思い出ですけど。
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で、そのころ、私は小沢一郎の熱烈な支持者でした。
なぜか?
それは小沢が自民党をぶっ壊そうとしていたからです。
当時の日本は金融不安で大揺れに揺れていました。「不良債権飛ばし」や「貸し渋り」、果ては「貸しはがし」という現象まで起きていた。つまり、戦後、初めて直面した不動産価格の暴落―深刻なデフレに政も官も民もなす術(すべ)がなかったわけです。
それまでの日本の高度成長は、「行政指導・護送船団・横並び」と「終身雇用・年功序列・定期昇給&ベースアップ」によって支えられていました。で、不動産価格の上昇を前提として経済が回っていた。
だから、これらが通用しない局面が目の前に出現すると、もう政も官も民も何をすれば良いのかがわからなくなったわけです。
私は、日本がそんな閉塞状況に陥ったのは、「政・官・業の鉄のトライアングル」という戦後の政治・経済のあり方に原因があると見ました。特に、田中派~竹下・金丸派(経世会)による支配がその象徴であると思ったわけです。
で、その経世会に叛旗をひるがえし、改革を叫ぶ小沢一郎しかこの状況を突破できる人間はいない―そう確信していました。
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日本がバブル景気を謳歌していたころ、世界ではグローバリゼーションが急速に進行していました。いわゆる市場主義ですね。自由貿易のより一層の発展、直接投資を含む資本の国際的流動化、金融システムの世界的標準化などです。
これを受けてわが国でも産業の空洞化が進み、国内の雇用環境や市場環境は大きく変化していたのに、バブル景気がそれを顕在化させなかった。で、バブルがはじけて、3つの過剰(設備・雇用・債務の過剰)が一気に表面化したわけです。
これは、戦後、長い間繁栄を謳歌してきた日本型システムが、もはや限界に達していることを示していました。
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小沢一郎は、著書「日本改造計画」の冒頭で「米国立公園のグランドキャニオンには柵がない」ことを挙げています。で、もし日本の観光地に柵がなかったら、管理者は非難されるが、それが問題だと指摘しています。
つまり、柵を作れという、なんでも規制だらけの社会では自己責任が貫かれない。そこで、変革の核として、規制を撤廃し、経済・社会活動は最低限度のルールにとどめ、基本的に自由にすべきだと主張しているのです。
小沢の発言も何度か聞きました。
そこでも彼は、「個人の自立」・「自己責任の自覚」を訴えていました。
要は、企業も国民も「国が何をしてくれるか」ではなく「自分は何ができるのか」を「自分で考え」、自己責任の下(もと)で生きていくべきだということです。
この小沢の考え方、その主張に、当時八方ふさがりだった私は強く共鳴しました。
小沢であればこの国を変えてくれる、今の閉塞状況を打ち破ってくれる―そう思った私は、小沢こそ総理にふさわしいと思い、自由党に1票を投じていました。
が、小沢が野中広務に屈服し、1999年に自自連立を組んだことで私の小沢に対する評価は一変しました。所詮、この男は権力志向しかないんだと。「政・官・業の癒着」を代表するような野中と手を組むか???
ほんとうに絶望しましたね。で、結局、小沢は野中に敗れる(自由党分裂)。
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このころは、しんどかったですね。
経済的に苦しいだけではなく、政治も絶望的。
自民党は、利権のかたまりで親北朝鮮の野中が牛耳っている。で、その自民党をぶっ壊そうとしていた小沢が変節した。しかも、急死した小渕首相の後釜があの森喜朗。それも、森、青木幹雄、村上正邦、野中、亀井静香の「真っ黒5人組」による談合で森首相が決まった。
「日本発の金融恐慌」さえ世界では語られているのに、政治は!自民党は!何をやっているんだ!!!
私は「怒り心頭に発す」状態でした。
で、そんな時、「自民党をぶっ壊す!」と叫んで登場したのが小泉純一郎だったわけです。
私は、人間的にはイマイチ小泉を好きになれませんでしたが、政治的には彼の熱烈な支持者になりました。
この男なら自民党をぶっ壊してくれる、野中をぶっ飛ばしてくれる、閉塞状況を打ち破ってくれる―そう思ったのです。
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誰が言ったのかは忘れましたが、「小沢が過去に言っていたことは、小泉がほとんど実現してしまった」。で、これに対して小沢は、「小泉と俺(小沢)は本質が違う」と反論したそうです。
つまり、「小沢には理念があるが小泉にはそれがない」と言いたいのです。
確かに、小沢の方が思考能力は高そうです。小泉は「政策より政局が好き」とよく言われますし。
でも、理念があろうがなかろうが、小泉のやったことが小沢の言っていたこととほぼ同じなのは事実です。それに、小沢も政局好きで、政局のためには主張さえ変える。
私は、同じ「壊し屋」でも、小泉の方が筋が通っていると思いますね。
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小沢は、「日本改造計画」の中で、全国的な新幹線網の整備、地方中核空港の整備、高速道路網の整備など、大胆な公共投資も提言しています。同書が書かれたころは今ほど財政状況が深刻ではなかったので、こういう主張が出てきたのでしょう。
が、今ふり返ってみると、所詮、小沢は旧田中派・旧竹下派(経世会)なんですね。規制緩和・自己責任と言いながら、一方では巨額の財政支出を容認する。
そう言えば、バブルのころ、小沢は権力の中枢にいました。で、バブルは、実は米国のためでもあったんですね。
当時の小沢は親米そのもの。石原慎太郎も「私は彼を評価しません。あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない」と酷評しています。あの反米・親中・親北朝鮮の野中からは「売国奴」呼ばわりされています。
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私は、小沢一郎を早めに見限ったことを正解だったと思っています。
改革派を自称していますが、言ってること、やってることが、その時々で違う。要は、すべてが権力闘争でしかないんですね。権力を掌中に収めるためなら社民党や反日・親北朝鮮派(沖縄の糸数慶子)とも組む。
こんな方が党首をやっている民主党。
私は絶対に支持しません。
小沢と比べれば、小泉の方がず~っと「本物」です。
(文中・敬称略)
【追記】
冒頭と右サイドバーのバナー(画像?)は「国境なき記者団」のものです。
できるだけ多くのブロガーがページに貼り付けることを希望します。
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