« “反日のピエロ”になってはならない | トップページ | 少年官邸団はもういい! »

2007/08/14

戦争の真の原因を反省せよ!

明日は終戦記念日である。
私は、この日を「終戦」と呼ぶのはおかしい、これは「敗戦」であり、ましてやそれを記念するなんておかしすぎる、と過去のエントリで書いた。
が、今思うに、これは「終戦」で良いと思う。

つまり、8月15日は、歴史的に未曾有の惨禍をもたらした第2次大戦が終わった日。
やっと平和になれた日。
だから記念する。
そう思えば違和感はない。

-------------------------------------------------------------------

ところで、戦争が終わったことを記念し、“不戦の誓い”を新たにするのはけっこうなことだが、そこにおいて、なぜ戦争が起こったのかを正確に認識しないと、“不戦の誓い”も途端に色あせたものになる。

第2次大戦の捉え方は各国によって少し違う。
米国や西欧諸国においては「民主主義」と「反民主主義」との闘いである。ソ連(ロシア)においては「共産主義」と「ファシズム」の闘いであり、祖国防衛戦争でもあった。中国においては、日本軍国主義の侵略に対する抗戦である。
つまり、第2次大戦の捉え方は、当時の各国の置かれた立場によって違う。が、「反民主主義」「ファシズム」「侵略主義」と、それに反対する国々、人々との闘いであった―これが共通の認識であることは間違いない。

この考え方は、わが国においても同意する者が少なくない。
そこにおいては、わが日本はドイツとともに“悪”であり、連合国側は“正義”である。
ABCDラインで封鎖された日本がやむなく発動した「防衛戦争」という考え方は広がりを持たない。

では、ほんとうに“正義”と“悪”の闘いであったのか?
ほんとうに「反民主主義」「ファシズム」「侵略主義」との闘いであったのか?
ここで、当時の欧米列強の植民地側からこの戦争を考えてみたい。

戦中・戦後のベトナムやインドネシア、インドなどの動きを見れば、彼らにとって第2次大戦は“帝国主義”同士の闘いであり、植民地から脱却するチャンスであった。
つまり、彼らにとって“「民主主義」と「反民主主義」との闘い”などはまったく別世界の考え方であり、列強同士の植民地争奪戦争でしかなかったのである。
そこにおいては、「どちらが“正義”か“悪”か」などという問いかけがそもそも成立しない。

-------------------------------------------------------------------

ウラジミール・レーニンが「帝国主義論」で解明した「列強の世界分割・勢力圏形成―不均等発展と世界再分割―帝国主義(間)世界戦争」という法則は完全に正しい(レーニンがこれをもって「帝国主義戦争を内乱へ」としたのは容認できないが)。
第2次大戦はその典型である。米・英・仏という帝国主義と日・独・伊という帝国主義の世界再分割戦争、これが第2次大戦の本質であり、そこではどちらが“正義”でどちらが“悪”かなんて考えは成り立たない。
戦争を仕掛けた日・独・伊が“悪”で、アジア、アラブ、そしてアフリカで徹底的な収奪と過酷な支配を行っていた米・英・仏・蘭が“正義”などと言うのは“勝者の論理”でしかない。

このレーニンが解き明かした帝国主義(間)世界戦争の本質を欧米列強も理解したからこそ、戦後のブレトンウッズ体制が成立したのである。

-------------------------------------------------------------------

戦後、連合国は国際通貨基金(IMF))と国際復興開発銀行(IBRD=世界銀行)を設立し、関税および貿易に関する一般協定(GATT)を発効させた。
これをブレトンウッズ体制という。
この体制の目的は、国際的協力によって通貨の安定、貿易の振興、発展途上国の開発をはかり、自由で多角的な世界貿易体制をつくることにあった。
これは、当然のことながら、1930年代の世界恐慌と、それにともなう保護貿易主義の台頭―ブロック経済化が、後発国だった日・独・伊と先発国だった連合国との戦争を生み出したという反省に立っている。

つまり、ニュールンベルグや東京の軍事裁判では、ドイツや日本が“悪”として裁かれたが、戦後の世界体制は“帝国主義全体の反省”を前提にして作られたのである。
この体制の中で、日本とドイツは奇跡的な成長を果たし、今や世界の第2位と3位の経済大国になっている。

要は、第2次大戦を「“正義”と“悪”の闘い」とするのではなく、「帝国主義の世界再分割戦争」と捉えたからこそ、戦後の世界平和と、世界的な経済成長が可能になった。
60年以上にわたって大国間の戦争がない、こういう時代も珍しい。

-------------------------------------------------------------------

では、今の世界体制の問題は何なのか?
それについて言及する。

1971年のドルと金の交換を停止(ニクソン・ショック)、1973年の変動相場制移行によってブレトンウッズ体制は崩壊した。
この時点で世界は大きく変わるべきであった。が、ソ連を中心とする共産圏の存在がそれを許さなかった。その結果、戦後のパクス・アメリカーナ(米国による平和)はその裏付けの一つをなくしたのに、その後もこれが続くことになる。

今や米国が世界唯一の超大国として君臨できているのは、その圧倒的な軍事力と、ドルが世界貿易の決済通貨であるということの二つしかない。
巨額の経常赤字(≒貿易赤字)と財政赤字という“双子の赤字”を抱えながら、米国が繁栄を維持できているのは「ドル紙幣の“追加印刷”だけで世界中から商品を買うことが可能になる」という“魔法のシステム”が存在しているからだ。

経常赤字も財政赤字も、米国自身の体質的な問題である。
米国はグローバリゼーションを、米国による金融的な世界支配の戦略として推進してきたが、それが米国の基礎的な産業基盤の弱体化を加速させている。あの米国を代表する企業であるGMやフォードが倒産寸前なのがその典型である。
つまり、米国が推進しているグローバリゼーションが皮肉にも米国内産業の空洞化を招き、経常赤字を拡大させているのだ。
財政赤字の拡大は、何といってもアフガンとイラクにおける戦争にある。その圧倒的な軍事力の行使によって財政が圧迫されているのだ。

世界の人々が、決済や貯蓄のために保有する通貨をドルにしておきたいと考えるのは、米国が発展性と安定度の高い国で、有事にも強いからであり、ドルの価値は米国に対する世界からの信頼によって裏付けられていた。
しかし、米国の発展性に対する信頼は、拡大する一方の経常赤字によって確実に揺らいでいる。その威厳と信用度も泥沼のイラク戦争で大きく傷ついた。一方ではユーロが世界貿易の決済通貨として台頭してきた。
つまり、ドルが世界貿易の決済通貨であり続けることができるかどうかに黄信号が点灯しているのだ。

いくら圧倒的な軍事力を有していても、ドルに対する信頼性がこのまま低下し続ければ米国はもたない。まさに、米国経済の衰退という形で、不均等発展が21世紀になって現実的脅威として表れつつあるのだ。
もちろん、戦前のような帝国主義戦争が起こるとは思えない。が、米国が揺らげば世界が大混乱する。
これを避けるには、米国が今の“一国主義”を克服し、柔軟な多国間主義に方向転換するしかない。
今こそ、なぜ世界恐慌が起き、それが最終的に第2次大戦にまで至ったのかということを想起するべきなのである。

-------------------------------------------------------------------

“テロとの闘い”は確かに重要だろう。が、「米国こそが正義」という考え方はもうやめるべきだ。

米国は、最強の軍事力と政治、経済的な影響力を自国のためのみに用いるのではなく、テロリストや独裁者の脅威から平和を守り、大国間の良好な関係を築き、自由で開かれた社会をすべての大陸に奨励することで、この平和を保ち、拡大させる。
同時多発テロはアフガニスタンのような弱小国が、我々のような大国の国益に脅威となることを教えた。貧困が人々をテロリストにするのではなく、貧困や腐敗が弱小国をテロ組織に無防備にさせる。米国は平和を拡大する偉大な任務を指導する責任を歓迎する。

以上がブッシュ・ドクトリンのエッセンスだが、米国的価値観を世界中に強要するとも読める。そしてその偉大な任務と責任が米国にあるという、大国主義的な思い上がりも感じられる。

米国は、資源と生産力と消費市場を国内に併せ持つ唯一の国であり、「自由と民主主義」という価値観をわが国と共有している。だから私は日米同盟を肯定する。が、米国の大国主義的な発想にははっきり言って嫌悪感をもよおす。
21世紀を“戦争の時代”に逆戻りさせないためにも、米国がもっと謙虚になることを求める。今の“一国主義”を克服し、柔軟な多国間主義に方向転換することを願う。
そして、巨額の赤字とドルの垂れ流しをやめること。
そうすれば、米国及び米ドルに対する信頼は確実に高まり、より平和で安定した世界を実現できるであろう。

-------------------------------------------------------------------

パクス・アメリカーナ(米国による平和)に対抗する勢力は、今のところイスラムと中国とロシアしかない。これらの勢力や国々の得手勝手を許さないためにも、米国が柔軟な多国間主義に転換することが必要である。
日・米・欧の団結と、その核としての米国の存在。
それは、米国的価値観を世界中に強要する姿勢とは両立しない。
既に、ブレトンウッズ体制が崩壊した時点で、米国の国際的地位とその存在価値は大きく変わっているのだ。
わが国も、そういう忠告を米国にするべきである。

テクノラティお気に入りに追加する
↑お気に入りに追加願います。

|

« “反日のピエロ”になってはならない | トップページ | 少年官邸団はもういい! »

政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

アメリカに住んでると肌で感じますが、一般のアメリカ人は日本人よりも遥かに単純な思考回路な面があって、いわゆる「単細胞でお人好しの正義漢」みたいな人が多いのですが、彼等が関心があるのは「正義の民主主義」「悪の独裁政権」「悪の共産主義」「悪の軍国主義」と、まるで『スターウォーズ』の世界で、慰安婦に関しては「戦前日本の軍事政権が悪」で済ましてしまってるし、中国も北朝鮮も「悪の共産独裁政権」程度の話で、 イラクは「悪の独裁フセイン政権」ですね。

アメリカは多人種の多文化で、黒人奴隷や先住民迫害や、イタリア系・ポーランド系移民・ヒスパニック・ユダヤ人差別の歴史などがあって、そもそも国民全体で共有出来る価値観と言うものが希薄なので、そうするとだから結局「正義の民主主義のメッセンジャー」とか「世界の警察官」みたいな最大公約数的な大雑把な価値観や、キリスト教的モラルの押しつけみたいな所に行き着くんではないかと言う印象です。

投稿: 文太 | 2007/08/14 20:54

 先のエントリーでは、南京問題で、丁寧に返事を頂き有難うございました。さて、また西部さんの言葉を引用させてください。「アメリカには歴史が無い。アメリカにも建国200年の歴史があるではないかといのは詭弁に過ぎない。アメリカは常に過去を破壊しながら前進してきた。だからアメリカには歴史が無い。」なるほど、そういう言い方もあるのかなあと、その時は思いましたが、今回の坂さんのエントリーも視点や表現は違っても同様のことを言われているような気がします。今後、アメリカが歴史に学ぼうとするのか、相変わらず過去を破壊しながら前進しようとするのか、どうなんでしょうね。

投稿: 読者 | 2007/08/14 21:53

坂さん、全く持ってタイムリーな記事、有難うございます。

戦争の原因がなんだったか、また遠因はなんだったのか(列強による人種差別撤廃の拒絶)について全く言及せず、ひたすら戦争は悲惨だ、軍隊は地獄だ、日本は悪といわれても、何も進展はありません。それどころか、却って未来の戦争を引き起こす原因になります。

つくづくNHKはじめ(今回の終戦番組でうんざりしました)既存メディアには呆れました。もうインターネットが既存メディアに対抗できるくらいに成長するまで盛り上げるしかないですかね。

あと、アメリカはヒスパニック、黒人、アジア系の人口比率が白人を上回っていますから、今後は国内の問題が悪化し、今までのような国力は保てないと思います。今が下り坂の始まりかと。

暑いですから、坂さん、皆さん、お体にお気をつけて!

投稿: おれんじ | 2007/08/15 00:23

>列強同士の植民地争奪戦争でしかなかったのである

そのとおりだと思います。開戦の直接の原因となったハルノートの内容は、苦労して手に入れた朝鮮、満州などの利権を放棄せよというものだったと言われています。たとえが適切ではないかもしれませんが、現在に照らし合わせれば、海外に投下した資本を打ち捨てて撤収せよと宣告されるようなものではないかと思います。

このような無謀な要求に対し、当時の指導者である近衛文麿元首相や東条首相は苦悩の末、敗戦を覚悟して戦争に踏み切った。負けを覚悟しての戦争とは、ほかに採るすべがないという自衛の戦争でしかないといえます。

戦争に到るには相応の事情があった。いくら日本が戦争したくないと思っていても、そのように仕向けられれば、やむを得ないということもある。過去の戦争を正当化したり、賛美するつもりはないが、当時のあの状況ではしかたがなかったのではないかと思えます。この戦争について過去の日本の選択は誤っていたといえるのは、今にして思えばということであり、当時の日本の空気は「開戦」が支配的だったのではないかと思えます。

確かに戦争は国民に多大な災いをもたらしました。しかし、日本のように過去の戦争をいつまでも自国の恥部のように思い込む姿勢には疑問を覚えます。過去の高くついた「経験」を冷静に分析し、今後に生かすことが求められますね。

投稿: トマソン | 2007/08/15 17:58

<戦争を仕掛けた日・独・伊が“悪”で、アジア、アラブ、そしてアフリカで徹底的な収奪と過酷な支配を行っていた米・英・仏・蘭が“正義”などと言うのは“勝者の論理”でしかない。>

私は「敗者の論理」とも言えるこの手の判断は間違っていると思う。
歴史に残る論理は常に勝者のものであって、敗者の論理が勝ち残るなどということはあり得ない。米国は現代文明をリードする強者である。
敗者は「日独枢軸」「ソ連」「フセイン大統領」「北朝鮮」「アラブ原理主義者」「反グローバル主義者」など各自勝手に反米の論理を述べるだろうけれども、所詮敗者の論理に過ぎない。
日独軍部が突出し暴発するに至った「歴史的環境」は仮に英米が作ったものとしてもそれにうかうかと乗ってしまった日独の方に責任あると考えるのは当然だ。アルカイダは反米主義者の集まりで、それなりの論理を持っているが、我々が公然支援するわけにはいかないのと同じだ。
西欧の過去の植民地主義の悪を幾らあげつらっても殆ど意味はない。日中戦争を始めた責任を西欧の植民地主義におっかぶせるのは国際的な論理としては無理だ。3百万の日本兵士の多くを見殺しに、原爆を招き入れ、2千万とも言われるアジア人を殺した責任は日本のリーダーにある。
イスラエルとパレスチナの対立はそれに較べればまだパレスチナに理がある。米国の政策にも無理はある。強大なローマ帝国も滅びたように、米国もいずれは弱体化し、リーダーの座を降りるかもしれない。しかしその時になっても日中戦争を始めた責任は国際的判断としては日本のものであろう。

投稿: kappnets | 2007/08/20 13:50

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91171/16113622

この記事へのトラックバック一覧です: 戦争の真の原因を反省せよ!:

» 東條英機元首相 公的遺書 全文 [Red Fox]
 本日は終戦記念日と言う事で、東條英機元首相の遺言を紹介させて頂きます。これまでもあきら氏のミクシィ日記から、南京事件考、通州事件の記事や清瀬一郎の東京裁判の冒頭陳述を紹介しましたが、これはあきら氏が先週ミクシィ日記... [続きを読む]

受信: 2007/08/15 00:50

« “反日のピエロ”になってはならない | トップページ | 少年官邸団はもういい! »