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2007年11月

2007/11/04

やはり裏にいたのはナベツネ

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

今回の自民・民主の大連立騒動―やっぱり裏で動いていたのは讀賣の渡邉恒雄(ナベツネ)だったね。
まあ、ナベツネが盟友・中曽根康弘と共に「大連立は早ければ早い方がいい」とぶったのが日テレではなくTBSの「時事放談」(2日収録)だったのはご愛嬌だが・・・
日テレだと氏家齊一郎とグルなのがバレバレだからね(笑)
福田康夫の総理・総裁擁立に動いたのも、このコンビ。
9月25日の産経新聞は次のように書いている。

森が安倍の辞任表明を知ったのは外遊先のパリだった。慌てる森に一本の国際電話がかかった。「メディア界のドン」といわれる男からだった。
「すでに山崎や古賀、前参院議員会長の青木幹雄は福田支持でまとまっている。あなたの残る仕事は派内の調整だけだ」

この「“メディア界のドン”といわれる男」とはナベツネで間違いない。

小泉政権時代、「反小泉」で策動したナベツネ―氏家のラインは、ポスト小泉でも「福田擁立」で動いた。が、結果は、小泉よりもっと忌むべき安倍晋三が後継首相の座に就いた。
安倍総理・総裁はナベツネ―氏家にとって最悪だったと思う。が、幸いにも参院選で敗北した安倍は政権を投げ出した。で、このコンビは、今回こそ福田総理・総裁「実現」のチャンスと見て動いたわけだ。
麻生太郎は、彼らにとって安倍と同じだからね。

おそらく、福田擁立の時から「自・民大連立」は既定路線だったに違いない。福田は2日の党首会談後の記者会見で次のように述べている。

――大連立はいつから考えていたか。
「何か新しい体制をつくらないといけないということは、参院選で負けた時からスタートしている」
(2007/11/03 讀賣新聞)

このナベツネと氏家が、政界の裏で動いていることが初めて表ざたになったのは、2001年5月2日のことだ。この夜、このコンビは、中曽根、瀬島龍三(伊藤忠商事前特別顧問・故人)を交えて、森喜朗首相(当時)と東京・銀座の日本料理店「吉兆」で会食している。
この時は「不人気の森を励ます」のが目的だったというが、密談の真相は明らかになっていない。
言えることは、このころから日本有数の新聞とテレビを牛耳るナベ・ウジコンビが、日本の政治に影響力を行使しているということだ。

彼らの動きを読み解くには、かつてナベツネが日本共産党の東大学生細胞キャップであり、その時の同志が氏家であったこと。そして2人は、ともに讀賣新聞に入り、ナベツネが政治部のボス、氏家が経済部のボスになった経歴と大いに関係がある。
この件については、時間があるときに詳しく言及したい。
ただ、今のこの二人と中曽根を突き動かしているキーワードは「靖国参拝反対」「アジア外交重視(親中)」「反市場主義」であることだけは記しておく(要は「反小泉」)。
また、今回の大連立構想が頓挫した後の政界の動きがどうなるのかも大いに興味をそそられるのだが、その件については今はもう少し様子を見たい。

今日のエントリ、私の分析や主張が展開されておらず、少々もの足りないものだったかもしれない。
ご容赦を!

(文中・敬称略)

【追記】
冒頭と右サイドバーのバナー(画像?)は「国境なき記者団」のものです。
できるだけ多くのブロガーがページに貼り付けることを希望します。

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