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2007年12月

2007/12/30

サラリーマン首相の醜態

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

29日、北京の釣魚台迎賓館で温家宝首相とキャッチボールを楽しむ福田康夫首相Fukuda_2












今年は、もう昨日のエントリーで終わりにしようと思っていたが、上の写真に接して我慢ができなくなった。
なんか、もう「恥ずかしい」の一言だね。
小泉さんも訪米したとき、サングラスをかけてブッシュ大統領の前でプレスリーの歌を熱唱し、一部の顰蹙を買ったが、あれはブッシュ氏が大統領専用機・エアフォースワンでプレスリーの生家に案内してくれた友情に対する感謝のパフォーマンス。
今回の福田さんのパフォーマンスは臭い田舎・・・いや猿芝居でしかない。解っている人は誰も日中が友好関係にあるとは思っていないし、福田さんと中共首脳との間に信頼関係があるとも思っていない。

首脳会談の結果を見れば一目瞭然。
東シナ海のガス田開発問題は相変わらず中国ペースだ。合意の目途はまったく立たなかった。
日中両国政府は28日、形だけでも「進展」を印象付けるため、4項目からなる「両国首脳の新たな共通認識」を発表したが、「領土と主権の問題は譲れないという声は中国政府内だけでなく、軍や社会の中に根強い(日中交渉筋)」(2007/12/29 讀賣新聞)というのが現実だ。
にもかかわらず福田さんは、「環境問題について協力を進めたい」と語り、日本の省エネ・環境技術を紹介する「省エネ・環境協力相談センター」を中国の主要都市に新設することを約束、今後3年間で1万人の中国人を対象に研修を実施することを表明した。
それだけではない。福田さんは「日本は台湾独立を支持しない。台湾の国連加盟を問う住民投票で中台に緊張が高まることは望まない」と明言したのだ。
「台湾は中国の一部」という立場に立っているとしても、これは内政干渉発言ではないのか?

結局、「首相とお父様(福田赳夫・元首相)は中国人民が尊敬し、よく知っている」と胡錦濤国家主席に持ち上げられ、「日中関係に春が来た」と舞い上がった福田さん――その喜びが冒頭の写真というわけだ。
実際、このキャッチボールを申し込んだのは福田さんの側だという。

小泉さんの時代に、戦後初めて日本は中国にものを言うようになった。東シナ海のガス田開発問題についても、日本側が対抗して開発する姿勢も見せた。
ところが福田さん。
中国が何の譲歩も示さないのに「靖国には参拝しない」と明言し、二言目には「友好」、三言目には「協力」、おまけに「台湾の国連加盟を問う住民投票で中台に緊張が高まることは望まない」とまで踏み込む。
中国といたずらに対立する必要はないが、媚を売るような真似はやめてもらいたい。

福田さんが総裁選に立候補したとき、丸善石油(現コスモ石油)時代の同僚が「ごく普通の人ですよ」と語っていたのが印象深かった。
福田さん本人も「小泉さんのようなリーダーシップはない」と公言している。
要は調整型の中間管理職、サラリーマンの世界でもけっしてトップにはなれない人。
こんなサラリーマン首相を国政のトップに戴くなんて不幸としか言いようがない。

来年は念願の政界再編が実現することを祈念してペンを置く。

【追記】
今月13日、南京大屠殺遭難同胞記念館がリニューアルオープンした。展示面積は何と10倍以上に拡大され、旧日本軍の残虐性を強調するために虚偽の写真なども相変わらず展示されている。
この記念館を毎年200万人以上の中国人が訪れ、日本に対する憎しみを新たにする。
中国当局は、世界遺産への登録も目指している。
根拠も提示せず、一方的に犠牲者30万人と吹聴し世界遺産登録をめざす中国、
こんな国と“友好”なんてありえない!

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2007/12/29

人生は格闘技ですよ

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       中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団

男は優しくなければ生きている資格がない、
が、たくましくなければ生きていけないからね、
つらいよ・・・ホント

これは、このブログのプロフィールページに書いてある文句ですが、もとはレイモンド・チャンドラーの小説の主人公・フィリップ・マーロウの台詞なんですね。
でも、ほんと、たくましくなければ生きていけないね、
人生は格闘技ですよ。

若いときは人生が怖くないんですね。
まだ己に無限の可能性があると信じることができる。
大学を退学していた関係で卒業まで7年もかかり、就職先がまったくなかったときも何の心配もしなかった。
自信があったんですね自分に。
で、3ヶ月ほど猛勉強をして、ある政令指定都市の上級職になれた。

その後、多額の借金を抱えて倒産したときも、滅入ることは多かったけれど、「負けてたまるか」という気概の方が上回っていました。
32歳、結婚したばかり、上の娘が生まれたときは無職でした。おかげで娘のオムツを替えるのは私の仕事。
でも楽しかったですね。
このときは、ある人に拾われて、2年後にはニューヨークに短期の研修に行かせてもらえるほど可愛がられました。
住民票もないのに(でも、パスポートは取れましたけど~笑)
この会社、その後、上場するんだけれども、バブルの誘惑に負けて退社。
今でも「不義理をした」と負い目を感じています。

バブルが崩壊して、2回目の失業を経験したのが46歳のとき。
このときはしんどかった。
“失われた10年”の真っ只中、長銀や拓銀、山一證券や三洋証券などが連続して破綻した時期で、永代通りは“倒産通り”と呼ばれていました。
もう就職口なんてないんだね。
で、やむなく訪問販売の世界へ。
「訪問販売」と言っても東証一部上場企業でしたから悪質ではなかったんだけれども、3ヶ月で靴がダメになる営業はこたえましたよ正直。
でも、ここから訪販のノウハウを学んでまた自立できた。

やっぱり「めげないこと」ですよ。
自分を信じて不退転の決意で人生と格闘する、
ここから未来が拓けてきます。

この数ヶ月、またもや試練に直面しています。
が、やっと展望が見えてきました。
おそらく、年が明ければ心身ともに余裕が出てくる、そう思っています。

来年は、また、皆さんとブログを通じて交流ができると思います。
今後とも、よろしくお願いします。

では、よいお年をお迎えください。

坂 眞

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