自立も共生も、己を卑下する限りありえない
このバナーは、2008年8月7日まで常にトップに表示されます。ボイコットに賛成の方はこちらまで。
中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄 国境なき記者団
昨日のエントリで、岡正治氏のことを書いた。
私は、こういう、わが国の近代史を否定的に捉える人たちが理解できない。
確かに、明治維新以降の急速な近代化の下(もと)で、国民の自由や人権は抑圧されていた。が、それは欧米列強との比較に過ぎない。維新以前と比べれば、それでもはるかに自由で民主的だったのだ。
欧米列強が、当時のわが国よりは自由で民主的な社会を実現していたのは事実だ。が、その「自由と民主主義」は、アジア・アラブ・アフリカに対する過酷な支配と収奪の上に成り立っていた。あるいは米国では、黒人を始めとする有色人種の犠牲の上に「自由と民主主義」があった。
当時のわが国には植民地などない。米国の黒人のような存在もない。文字どおり、裸一貫から欧米列強に伍するだけの近代国家を築き上げていかなければならなかったのだ。
だから富国強兵を推進した。そこにおいて、民の利益より国の利益を優先するのは必然であった。でなければ、欧米列強の餌食となり、わが国も他の多くのアジア諸国と同じような運命をたどったであろう。
-------------------------------------------------------------------
こんな当たり前のことも理解できない人たちは、以下の記事を読んでもらいたい。
ソウル大学の李栄薫(イ・ヨンフン)教授は次のように語っている。
―朝鮮王朝の失敗は
李栄薫: 外交.軍事路線の失敗だけではなく韓半島文明社会の失敗だと言えます。
当時朝鮮王朝にはさまざまな選択が置かれていたんです。
第一が日本帝国の植民地、
二番目はロシアの勝利を前提にするソ連社会主義帝国、
三番目が清の勝利を前提にする中国の植民地です。もし日清戦争で清国が勝利したら韓国は今の新彊やチベットのような国になった可能性が大きくて、ロシアが露日戦争で勝利したらボルセビキ革命に荒されて韓民族自体が消滅することもできました。
このような劇的な変化を19世紀末、20世紀初に韓国民族は受動的に当たっていたことで韓国の運命は他律的な力によって決まったんです。
李教授が言うように、もしわが国が清(中国)やロシアに破れていたらどうなったであろうか?
幸いわが国は、韓国のように「19世紀末、20世紀初に韓国民族は受動的に当たっていたことで韓国の運命は他律的な力によって決まったんです」ということにはならなかった。
だからこそ今がある。
我々は明治の先人たちとわが国の過去に感謝しなければならないのだ。
-------------------------------------------------------------------
大東亜戦争(日支事変~太平洋戦争)は確かに無謀な戦争だった。我が国民にも多大な犠牲を強いたし、アジアの民にも甚大な被害をもたらした。
が、この戦争をわが国の一方的な「侵略戦争」と捉えるのは間違っている。
よく、戦前のわが国は後進的な国家で、それに比べて欧米列強は民主主義の国家だったという論を主張する人がいる。で、太平洋戦争は、その民主主義の国家と後進的な軍国主義国家の戦いだったと。
結果、わが国は欧米列強に敗北した。わが国を「後進的な国家だった」と言う人たちは、これを民主主義の勝利と呼ぶ。
が、それは間違っている。
あの戦争は、わが国も含めた帝国主義列強の世界分割戦争だったのだ。アジアを欧米列強の植民地下に置いたままにしておくのか、日本の主導下に置くのか、その争いだった。
戦前の資本主義は垂直分業だった。だから不均等発展という、帝国主義国家間の矛盾を常に孕んでいた。
この矛盾を解決するために、帝国主義国家は市場の分割、あるいは再分割をめぐって戦争をせざるを得なかった。
今の「水平分業=相互依存と自由な世界市場」とは時代が違うのだ。
-------------------------------------------------------------------
世界から「奇跡」と呼ばれたわが国の戦後の高度経済成長。そのおかげで「一億総中流社会」が実現した。
これを可能にしたのも戦前の礎があったからこそだ。
我々は、反省すべきところは率直に認めなければならないが、戦前は感謝こそすれ否定すべき歴史ではない。
もっと自分の国とその歴史に誇りを持つべきなのだ。
戦前、というより戦中に確立された「官」主導の生産者(供給者)優先の政治・経済システムは戦後も温存された。この「官」主導の総力戦体制と、戦後の財閥解体や農地改革などの社会・経済の民主化が有機的に融合して日本型高度経済成長を産み出した。
が、バブルをピークに、この日本型経済成長システムも限界に達した。もう「官」主導の高度成長は望めない。
年功序列や終身雇用という日本型経営システムも、生産者(供給者)優先の高度成長が前提であったから、これが崩壊しつつあるのは歴史の必然である。
そういう意味では、今、日本という国も日本人も変革の時代に突入していると言ってもよい。
-------------------------------------------------------------------
今、我々は明治維新、あるいは敗戦直後と同様の変革期に直面しているのではないか。
が、従来の日本型成長システムに変わる新しいモデルは未だに見えて来ない。
我々は、先人たちが築き上げたこの国の歴史と伝統を引き継ぎつつ、豊かで安全で安心できる未来を新たに切り拓かなければならない。
その姿がどういうものであるべきなのか。
それは、「自立」と「共生」であると私は思う。
が、この二つは同列ではない。
「自立」があって、初めて「共生」がある。
これは国家も個人も同じだろう。
-------------------------------------------------------------------
「自立」は、己を卑下する限りありえない。「共生」もそうだ。
過去を卑下することなく、自信と誇りを持って未来にチャレンジする。
が、常に謙虚であらねばならない。
未だ「新しいモデル」は見えて来ないが、これが基本だと思う。
| 固定リンク
「政治(国内)」カテゴリの記事
- 安倍総理ご苦労様でした。来年は憲法改正の正念場です。(2018.12.30)
- 山本一太氏の群馬県知事選出馬に思う...(2018.12.25)
- 日本共産党の微笑みに騙されてはなりません!(2018.12.16)
- 鬼の目にも涙 って言うけど、こういう場合は何と言えば(2018.12.08)
- 山尾志桜里と望月衣塑子は中学・高校の先輩・後輩(2018.11.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
江戸時代の日本は自由がなかった。抑圧された時代であった・・・これが左翼の歴史観ですな。そもそも江戸期の日本ほど文化水準が高く自由のある国は他に数えるほどしかない。士の階級と他の階級との経済格差は小さく、逆に士の階級にある者が貧しかったりするのである。江戸期を通じて絢爛な町人文化があった事を見ても抑圧を旨とする政治でなかった事がわかるだろう。藩により例外はいくつかあるだろうが、その例外をもって全体の判断とすることがいかに愚かな行為かわかるはずだ。規律と抑圧を混同すべきでない事もつけ加えておく。
投稿: ヤマト | 2008/01/19 08:20
大東亜戦争は侵略戦争ではありません。世界の識者の証言:マッカーサー元帥「日本が戦争に突入していったのはそのほとんどが安全保障の必要に迫られてのことだった」、ローマ法王ピオ11世:「日本の支那事変は侵略戦争では無い、共産党と戦っている共産党が存在する内は全世界のカトリック教徒は遠慮なく日本軍に協力せよ」、東京裁判インド代表判事パール「日本が戦争に突入したのは侵略の為では無く、西欧諸国に挑発された為。〜以下略〜」、韓国:韓日文化研究所朴鉄柱「大東亜戦争は日本から仕掛けたものでは無い」米国:ディッキンソン大学フリードマン教授「まともで教育のある人々がなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか?こういうことを理解せずただそれを非難する人々がいる、彼らこそが最も戦争を起こしやすい人々なのだ」。など、いろんな人が語ってます。アジアに迷惑をかけたのは事実ですがフリードマン教授の言うように一方的に決め付る人々が一番戦争を起こしやすいのかも知れませんね。
投稿: クライム | 2008/01/19 08:27
自分の不勉強を恥じますが、最近昭和初期の映像を見ました。
戦後は写真集なども出ており、想像通りでしたが、
戦前は暗いとしかイメージを持っていなかったのに、平和で優美な様子でした。
情報がこれだけ手に入る時代なのに、
自分がどうして暗くて文化が遅れている戦前と思い込んでいたのか、
それはやはり刷り込まれたイメージだった様に思いました。
なかなか払拭するのは難しいですが、体感していない歴史をブログで知るのは快感です。日本が好きになります。
投稿: ねねこ | 2008/01/19 09:32
ご慧眼による洞察の記事が続き、最近は楽しみ拝読しています。
投稿: 水亀 | 2008/01/19 10:54
ヤマトさん、おはようございます。
>抑圧された時代であった・・・これが左翼の歴史観ですな。
あなた、読み方を間違っています。
明治時代と江戸時代を比較して、どちらが近代的で民主的だったか、ということです。
明治期の日本は既に立憲国家ですが、江戸時代は封建国家です。
確かに当時の中国や朝鮮に比べればはるかに恵まれた社会でしたし、西欧の封建時代の農奴に比べても、日本の農民(百姓)は自由な存在でしたが。
あなたの歴史観も偏向していると思いますけど。
物事は一度対象化し、そして相対的に見ることです。
投稿: 坂 眞 | 2008/01/19 11:02
保守的なものを卑下する左翼もそうですが、それにに限らず(今はこんなに良くなったとアピールするために)前の時代の統治を悪くいう風潮はどの時代にもあると思いますよ、明治は江戸を、戦後は戦前を。けど歴史は連なっているんです。
江戸の末期に日本を訪れた西欧人等が書き残した記録によれば「地球上のどこかに住まなければならないという選択を迫られたとすれば、王侯貴族ならばイギリスに庶民なら日本に住みたい」といった人も居たぐらいですから、封建国家としては非常に良く出来た社会であったのは事実でしょう。でもそれでは西欧列強の前に国家として存続することが困難だったのが現実。
そこで明治維新で国民国家・富国強兵を目指した。当然、新政府になって新たな税負担や徴兵など庶民には縁の無かった「公への負担」や社会習俗も求められましたから、受け入れるには抵抗もあったでしょうが、それを乗り越えて日本は列強の植民地にならずに存続できた。それには、江戸(元禄)以来蓄積された庶民の知的能力の高さが寄与したのも事実ですが、封建国家から立憲国家への大転換がなければ不可能なことでした。
そして戦前からの遺産による繁栄システムが終焉を迎えた今、我々日本国民は生き残るため、明治の先人達が乗り越えたように、「自立」という新たな課題を克服して「共生」しなくてはならない。坂さんが仰ってるのはそういうことだと思います。
将来の子孫に「平成の祖父さん達は偉かった、御蔭で自分等はこうして暮している」と言って貰うために。
投稿: 靖彦 | 2008/01/19 14:59
坂さん度々の書き込み申し訳ありません。自分の荒っぽい書き込みにより気を悪くなされたのであれば謝罪致します。
江戸時代を相対的に観たからこその意見でした。私は明治と江戸を比較することが誤りであると考えているのです。連続する歴史を評価する時の尺度として「自由」「民主主義」が使われることが多いのですが果たしてそれは適当なのかと考えているのです。先人の歴史を自由をもって評価することが正しいのでしょうか。当時の人々の暮らしぶりを詳細に考えることなく、自由で評価することが誤りではないかと考えているのです。私は、江戸、明治に限らず先人の政治の評価として採り得る選択が当時の歴史観で最善であったかどうかが重要であると思います。坂さんも現代の政治にそのような想いがあるから警鐘をならされていることが、これまでのブログで理解できました。これまでの非礼を謝罪致します。申し訳ありませんでした。
投稿: ヤマト | 2008/01/19 18:11
ヤマトさん
コメント、ありがとうございます。
私の方にも誤解があったようです。
お詫びします。
私も、江戸時代は世界的に見ても豊かな時代だったと思っています。
特に文化面は特筆ものでしょう。
また、百姓も欧州における農奴よりはず~っと自由な身分だったと認識しています。
酒田の本間家は「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に・・・」と歌われているほどですし、野田の茂木家も、東京まで出るのに他人の土地を踏まずにすんだと言われています。
確かに文化や経済が発展する基礎は、既に江戸時代にありました。
が、近代化、民主化という点で明治時代は、これまた特筆ものだと思います。
私は、江戸時代が暗鬱な時代だったと言っているわけではけっしてありません。
江戸時代の蓄積があったからこそ、欧米が驚嘆するほどの近代国家への急速な変貌が可能になった、
と思います。
投稿: 坂 眞 | 2008/01/19 19:13
坂眞様、こんにちは。
坂様のこのエントリで大切なことを気づかせていただきました。
一部、私のエントリで引用させていただきました。
事後報告で申し訳ございませんが、ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。
投稿: ナルト | 2008/01/31 15:34