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2008年6月

2008/06/21

馬英九は盧武鉉とは違う、と思いたい

台湾の馬英九総統の支持率が5割まで急落し、早くも人気に陰りが出ていることが台湾メディアの世論調査で分かった。
馬総統が就任してからまだ1ヶ月だが、20日付の主要紙、聯合報によると、馬政権に「満足」するとしたのは就任時の66%から50%に急落。一方で「不満足」は10%から30%に増えた。
不満理由のトップは物価問題で、61%が「不満」と回答。が、今回の尖閣諸島近海での事故に対する対応でも「不満」が43%にのぼり、「満足」との回答35%を大きく上回った。

これについて朝日新聞は――領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島海域での遊漁船沈没事故を巡って日本との間に緊張を招いたことや、物価・経済政策のまずさなどが不満の理由に挙がっている――と書いている。
台湾の民放テレビ「TVBS」の調査でも、馬政権の危機管理能力について51%が「不満」だと答えている。これも、台湾世論が事故処理を巡る馬政権の意思決定の混乱や、良好だった対日関係を損なう結果になったことを疑問視していることの表れであろう。

ここで、今回の尖閣諸島近海での事故をめぐる動きを時系列で整理してみよう。

6月10日、尖閣諸島・魚釣島付近の日本領海で台湾の遊漁船が日本の巡視船と接触し、沈没した。
第11管区海上保安本部(那覇)は、巡視船が船名確認のため接近したところ、台湾船がジクザグ航行をして接触・沈没したと発表。

12日、台湾立法院(国会)は、尖閣諸島周辺への軍艦派遣の要請書を国防部(国防省)に提出した。

12日、台湾の馬英九総統は、「釣魚台(尖閣の中国語名)は中華民国の領土である」と述べ、総統として日本に賠償などを要求する声明を発表した。

13日、台湾の劉兆玄・行政院長(首相)は、日台間の領有権争いに関する議会答弁で「最後の手段として開戦も排除しない」と発言した。
が、午後には「先ほどの発言を少し修正したい。私は一貫し、一戦も辞さずという言葉を使っていない」とトーンダウン。陳肇敏・国防部長(国防相)も「平和的手段が我々にとっても最もよい方法だ」と平和的な解決を希望した。

14日、石垣海上保安部は、巡視船の船長を業務上過失傷害と業務上過失往来危険の疑いで、遊漁船の船長を業務上過失往来危険の疑いで、それぞれ書類送検した。

14日、台湾外交部(外務省)は、台北駐日経済文化代表処の許世楷代表(駐日大使に相当)を召還すると発表した。台湾外交部の欧鴻錬部長(外相)は、外交部内に設置した日本専門部署の「日本事務会」の廃止を表明。

15日、第11管区海上保安本部の那須秀雄本部長は、記者会見で「巡視船が船名を確認しようと遊漁船に近づいた行為は正当だったが、接近の仕方に過失があった。結果として遊漁船を沈没させ、船長にけがをさせたことは遺憾だ」と述べた。また、台湾側から求めがあれば、賠償する考えがあることも明らかにした。

16日、遊漁船「全家福6号」と巡視船3隻が日本の領海内に侵入した。その後、別の巡視船6隻も侵入。遊漁船は6時50分ごろから7時半ごろまで、「日本は尖閣諸島から即刻出ていけ」と書かれた横断幕を掲げながら同島の周囲約1キロ沖を航行。

16日、台北駐日経済文化代表処の許代表は、与党・国民党の「許氏が日本寄りの発言を行った」との批判に反発し、「これ以上の屈辱を受けることはできない」として、台湾外交部の欧部長に辞職を申し出た。

17日朝、周辺海域への軍艦派遣を計画していた台湾は、派遣中止を発表した。

17日の記者会見で馬総統は、尖閣諸島の領有権を主張した上、巡視船と抗議船の(日本領海侵犯)行動を支持、称賛した。

18日、台湾の陳国防部長は、台湾も領有権を主張する尖閣諸島の日本領海内に、必要があれば軍艦を派遣する考えがあると表明した。

20日、日本側が遊漁船の何鴻義船長へ謝罪の手紙を手渡す。これに対し、台湾外交部の欧部長は「日本側の善意を歓迎、肯定する」とし、今回の問題は落着したとの見方を示した。
手紙は、巡視船を指揮していた第11管区海上保安本部の那須本部長から船長にあてられ、「船を沈没、負傷させてしまいあなたに対して心からおわびする」という文面となっている。

今回の事故で台湾側は謝罪を要求し、日本側は那須本部長から船長個人への「おわび」という形で決着を図った。また、事故調査の過程で巡視船に過失が認められたことから、この過失責任の範囲内で賠償にも応じることにした。
一方の台湾側も、台湾外交部の声明の中で「日本政府」という言葉は使わず、「本部長が心からのおわびを表した」との表現で日本側の対応に呼応。尖閣諸島の主権問題には触れず、議論が平行線をたどっている漁業交渉の再開を求めた。

20日、台湾の欧外交部長は、日本の在台代表機関・交流協会台北事務所の池田維代表と会談し、尖閣諸島沖で違法操業していた台湾の遊漁船が日本の巡視船と衝突、沈没した事故で、問題解決に向けた日本側の努力に謝意を示し、両者は「落着した」との認識で一致した。

以上が事件の大まかな経緯である。

台湾当局の初期の対応は、2006年4月の竹島周辺を含む海域で計画された日本の海洋調査をめぐる韓国・盧武鉉政権の姿勢を彷彿させる。
まったく、馬総統も国民党も8年ぶりの政権奪取に舞い上がり、偏狭な中華民族主義を振りかざすという点では盧武鉉くんや韓国と同レベルと言わざるを得ない。
が、韓国と今回の台湾の違いは、韓国が盧政権や与党のみならず、野党や世論までも一体となって「明白な領土侵犯行為だ」と憤っていたのに対し、台湾では野党が「(馬政権や国民党を)やりすぎだ」と非難し、世論も馬政権や国民党に一定の距離を置いていたという点だ。
朝日新聞も――良好だった対日関係を損なう結果になったとして、対応を疑問視する意見が強い――と書いている。

今回の日本側の対応を「屈服」と受け取るのか、台湾で多数派を占める親日派、親日世論を意識した上での「政治的配慮」と受けとめるのか、それは個人によって違うだろう。
が、私は、馬政権が「日本政府」の謝罪ではなく「本部長個人」による「船長個人」に対する謝罪で矛を収めたところに事の本質があると思う。
要は、米国と、日本の親台湾派(反中共派)、台湾の親日派、この三者の圧力に馬政権と国民党が抗し切れなかったということだ。

中共は未だに台湾の武力解放(統一)をあきらめていない。一方、台湾人は「統一せず、独立せず、武力行使を許さず」の現状維持派が多数派である。このような状況下で中華民族主義に走るのは台湾の国益を損ねるだけだ。馬総統もそれを自覚していたのではないか。
でなければ、北朝鮮が南鮮(韓国)の武力解放をあきらめていないのに、対北宥和策を取り、反日・反米民族主義に凝り固まった盧政権と五十歩百歩である。
「馬英九はそこまでバカではない」と思いたい。

実は、わが国は7月1日から「領海外国船舶航行法」を施行する。讀賣新聞は社説で、今回の事件を念頭において次のように書いている。
――これまで人命救助など正当な理由がなく領海内にとどまり、示威行動する外国船舶に適用できる明確な法令がなかった。今後は「立ち入り検査」や「退去命令」などが出せるようになる。違反者に対しては、刑事罰も適用される。
日本の領海を侵犯する外国船舶は、日本側の対応の変化を認識しておくべきだろう――

この讀賣新聞の主張は、実は日本政府の水面下での主張だったのではないか。

参照1:台湾・馬政権、支持率急落 「尖閣」対応などに不満 (朝日新聞)
参照2:台湾:馬政権1カ月 物価高騰や船舶事故対応で支持率下降 (毎日新聞)
参照3:尖閣諸島 台湾は冷静に問題処理を (6月18日付・読売社説)

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2008/06/14

どうしようもない国 韓国

韓国というのは、ほんとうに「どうしようもない国だ」と改めて思うこのごろ。
例の米国産牛肉の輸入再開をめぐる大騒ぎ、これでも民主主義国家なの???
反対運動に火を付けたのは韓国のMBCテレビだ。MBCは特集番組を組み、その中で「大部分の韓国人はBSE(牛海綿状脳症)にかかりやすい遺伝子を持つ」とセンセーショナルに報道。これが、またたく間にネットで拡散して国民が過剰反応した。
「BSEにかかりやすい遺伝子」って何だ???
MBCは株式の70%を政府系機関である放送文化振興会が所有しているので、実質的に公営放送と言える。そのMBCが科学的根拠もはっきりしない妄言をばらまく。
わが国なら大問題だろう。
にもかかわらず、韓国世論はMBCを非難するどころか、その妄言に乗っかかり、反米・反政府運動で盛り上がる。デモ隊の中には小中学生も混じっているというから、もうビックリするしかない。
で、産経新聞の黒田勝弘氏によると――今回のデモもマスコミや多くの識者が「民主主義の発展」と称賛しており、法治主義あるいは政府・公権力の弱さをあらためて印象付けている――とのことだ。

もう一つ。
今、中国のネットでは韓国に対する批判が噴出しているという。
讀賣新聞によると――韓国のネットでは「地震発生は天罰」「復旧に専念し、五輪を中止せよ」などの揶揄(やゆ)があふれた――ということだ。
韓国の聨合ニュースも――某さんは20日、中国人の友達が持って来たプリンター出力を見てびっくりした。
彼が持って来たのはネイバーなどで、中国地震関連ニュースを見て韓国ネチズンたちがアップしたコメントだった。単なるコメントではなく悪意のあるコメントだ。史上初の災難に直面して中国人たちの心が、みな四川省に向いている状況で、中国インターネットを回っている韓国ネチズンたちの悪性レスは衝撃的だ――と書いている。
衝撃的な悪性レスの内容に聨合ニュースは言及していないが、記事を――中国ネチズンたちの間で今回の災難に対して「韓国は笑って日本は泣いた」と言う考えが広まっている。韓国が他人の不幸を香ばしがっている、というのだ――と続けている。
前出の讀賣新聞の記事は――韓国では、ソウルの五輪聖火リレーで起きた中国人留学生の暴動で嫌中感情が高潮――と韓国を擁護しているが、これは韓国及び韓国人の本質的な問題だろう。
わが国の中越地震の時も、ネットには読むに耐えない汚い言葉があふれていたし。

ここで思い出すのが、去年の12月の朝鮮日報の記事だ。
――中国人が最も嫌いな国は隣国の韓国だという世論調査が明らかになった。中国の世論調査で韓国が日本より嫌われているとの結果が出るのは異例だ。
国営新華社通信が発行する国際先駆導報は10日付紙面で、最近4カ月間に中国人1万2000人を対象に行った調査の結果、「あまり好きではない国」として韓国を挙げた回答者が40.1%を占め、1位となった。日本は30.2%で2位だった――

まあ、中国に進出した韓国企業が現地でトラブルを頻発させ、中国人の反感を買っているというのは、朝鮮日報などで大きく報道され、問題になっている。
韓国では、古代東アジア文明も漢字も漢方も鍼も、すべてが韓国起源だと主張する者が少なからずいて、人民日報に冷笑されている。

反日教育を受けた中国人が、なぜか日本より韓国を嫌う。
でも、こういう「結果が出るのは異例」でも何でもないということだ。

ほんとうに「どうしようもない国」 韓国

ところで、中国のネットで「日本は泣いた」と書かれたのはほんとうか。
以下のサイトが参考になるので紹介する。↓

中国の大規模掲示板の書き込みを訳してみた by大陸浪人のススメ ~迷宮旅社別館~

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2008/06/13

想像力の欠如が産んだ無差別大量殺人

茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅構内で24歳の無職男が8人を次々と刺したのが3月23日。で、今度は秋葉原だ。
しかも、秋葉原では7人が死亡、10人が重軽傷。この無差別殺傷事件で逮捕された25歳の男は「生活に疲れた。殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」などと供述しているという。
不条理としか言いようのない事件だが、突然の凶行により未来への夢や希望を絶たれた方々の無念、そのご家族の心境を察すれば言葉に詰まる。

確かに昔から凶悪な犯罪は数多くあった。が、その犯人は、ほとんどがそれなりの犯罪性向の持ち主だった。
が、このところの無差別殺傷犯は違う。
高校生くらいまでは普通に育っていたのに、18歳くらいから落ちこぼれ始め、大人になって不安定な就業環境の中で孤立感を深め、閉塞感にさいなまされる。
ここで異常なのが、その孤独感や閉塞感が自らに向かうのではなく他者への憎しみ、環境への恨みに転化することだ。

まじめ、おとなしい、目立たない、荒川沖駅構内で事件を起こした24歳の無職男も今回の秋葉原の元派遣社員も、メディアでは似たような人物評が紹介されている。
が、表から見た印象とは隔絶したところで、常人には理解不能な妬み、嫉み、恨み、憎しみが怨念にまで昇華され、そしてその怨念が絶望に転化して爆発したのだろう。

荒川沖の無職男は高校時代、遅刻と欠席が3年間で1回ずつという勤勉な生徒だった。そして弓道部に所属し、2年生のときには全国大会に出場している。秋葉原の元派遣社員も成績優秀で青森県内では最難関の進学校に進んでいる。
このあたりまでは2人とも問題児ではなく、むしろまじめで優秀な生徒だったのだ。このような者が無差別殺人に走る。その心の闇は余りにも深くて想像を絶する。

もちろん、色んな事情や環境がこの者たちに精神的歪みをもたらしたのだろう。そして、彼ら自身の気質(きしつ)も関係していると思う。
が、やはり、家庭環境に大いなる原因があったと思えてならない。また、高度成長の過程で、家族の絆や地域社会における伝統的共同体意識が希薄になったことも大きな意味では影響を与えていると思う。

私たちは戦後の高度成長とともに、モノが豊かになるのと反比例するようにして大事なものをなくしていった。その昔、私たちの周りにあったもの――身近な自然、家族の結びつき、地域のふれあいと助け合い・・・
人間というものはどこまで行っても助け合っていかなければ生きていけない生き物なのに、どうしてこんなに自分のことしか考えられない人間が増えたのだろう。

私は、競争や格差が今回の事件を生み出したという見方には同意できない。これは、あくまでも彼個人の責任に属するものである。
が、思いやりを欠いた社会、お互いの絆を喪失した社会、額に汗して働くことを尊しとしない社会は、これからも、まじめで、おとなしくて、目立たなくて、それなりに優秀だった人間をモンスターに変身させる・・・そんな気がしてならない。

電車の中でひたすら携帯電話とにらめっこしている人たち、何がそんなに彼らを携帯電話に熱中させるのか?
今回の事件現場でも、被害者を携帯電話のカメラでひたすら撮り続ける人間がたくさんいた。目の前で、理不尽な死に直面している被害者を平然と撮影する人間たち。
無神経というより人間としての何かが欠けていると思う。

私たちは、もっと他者に対する想像力を働かせることができる人間を育てる努力をしなければならない。今、目の前にいる人にも、街ですれ違う人にも、海の向こうにいる人にも愛する家族がいて、将来の夢や希望がある。
このことを理解できる人間、相手の悲しみや心の痛みを理解できる人間、これが我々に与えられた想像力というものではないのか。

今回の事件で犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。

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2008/06/08

徒然なるままに

みなさん、ご無沙汰いたしております。
相変わらずの忙しさですが、元気ですよ。
ただ、今までのように、目の前の政治や経済、あるいは社会的出来事などを分析し、自らの見解を主張するだけの余裕が精神的にも時間的にもありません。

これからは、スタイルを変えて、気になったことや思いついたことなどを徒然に書き綴っていきたいと思います。
まあ、いわゆる“ブログ本来の姿”に帰る、ということですね。
極めて個人的な感想や意見、あるいは感傷が多くなると思いますので、読者の皆様も肩の力を抜いて読んでください。

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私は四捨五入すると、もう60歳、あと何年か経つと還暦です。
光陰矢のごとし、と言いますが、ほんとうに時間が経つのは早いですね。
その時その時は必死だからものすごく長く感じますが、時間が経過して、あらためて振り返るとすごく短く感じます。

この50数年の人生、色んなことがあり、まさに波乱万丈でした。山あり谷あり、思い起こせば、楽しいことより苦しいことの方が多かったですね。
でも、「苦しい」経験は人間を成長させます。私はずいぶんと変わりました。性格とか気質は変わっていないのですが、価値観、特に人や社会を見る目、それから歴史認識や世界観が様変わりしました。
これも苦労したおかげでしょう。

社会に出て最初の仕事は、何かと批判の多い役人様(公務員)でしたが、そのまま年を経ていたら、今でも現体制に批判的なスタンスを取り続けていたと思います。
挫折して、それでも前向きに生きていこうとする中で、心身ともにもがき苦しむ中で、人や社会の本質が分かるのです。
そういう意味では、これまでの人生に悔いはありません。何とかこれまで生きてこれた。何があっても前向きに生きていくだけの度胸、そして、何事も相対的に捉えることができる眼力もついた。

私は、己の人生に誇りを持っていますし、これまでの経験に感謝しております。

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ところで、これまでの経験の中でもっとも辛かったこと、それは失恋ですね。会社が倒産した、これも大変な苦労でしたが、体力と意欲とそれなりの能力があれば何とか立ち直ることができます。が、心に負った深い痛手はなかなか癒すことができません。

人間は、何事も「忘れる」ことができる。が、「忘れる」ことができないこともあります。
「忘却とは忘れ去る事なり」
これはNHKの歴史的ラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーションですが、このあとに
「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
と続きます。

このドラマ、その後に連綿と続くメロドラマの原型のようなものですが、ドラマといい歌といい、こういう設定のものが多いということは、そういう経験をした人、あるいは、そういう状況にあこがれる人が多いということの証明でしょう。

田口淑子さんが作詞して、吉田拓郎が歌ったヒット曲「春だったね」は、まさに当時の私の心情そのものでした。

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね

僕が思い出になる頃
君を思い出に出来ない
そんな僕の手紙が着く

風に揺れるタンポポそえて
君の涙を拭いてあげたい
ああ 僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
振り返りながら走った
ああ あれは春だったね

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でも、不思議なんですよね。
失恋した彼女よりず~っと美人の女性にめぐり合っても、より知的でセンスの良い女性にめぐり合っても私の心は少しも動かない。
そこにはセックスしか存在しない。
それで自分を癒そうとしたのだけれど、精神的にはますます荒んでしまいました。

私が失恋の痛手から立ち直ったのは、今のカミさんと知り合ってからです。そして子供が生まれて人生が楽しくなりました。
が、それでも、日々生きることに懸命の中で、記憶の彼方に霞んでいる30数年前の出来事が、ふとしたことで甦る。

思うに、私が失恋したのは「私のあこがれ」に対してだと思います。
彼女も私も高1のころからお互いを強く意識していた。で、卒業前にヒョンなことからそれが分かり付き合うようなったのです。
○○高校のマドンナだった彼女は私にとって高嶺の花、高校生なのに過激な政治的言動を繰り返し、学校の問題児だった私は彼女から見れば縁の遠い存在。
大学に進学した私は当たり前のように学生運動に身を投じ、一方の彼女はまったくのノンポリ。
恋愛までも理屈で語ろうとする私に段々と違和感を覚えるようになっていたようです。
で、彼女が発した言葉が「私と革命のどっちが大事なの?」
私の答えは「比較できる問題じゃない」「君は『恋に恋している』んであって、勘違いしてるんじゃないのか?」
二人を結び付けてくれた共通の友人によると、彼女は一晩中泣いたそうです。
で、出した答えが「やっぱり恋に恋していた」「もう卒業する」

当時の私は、女性の、というより人の心が分からない人間だったんですね。学生運動に参加しない学生はバカだと軽蔑していたし、自分を「カッコイイ」と思っていた。「女にもてる」と自惚れてもいた。
まったく、勘違いしているのは私だったのです。
そんな鼻持ちならない「自尊心」が、「絶対にふられることはない」と思い込んでいた彼女によって木っ端微塵に粉砕された。
だから立ち直れないほど落ち込んでしまった。

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彼女は普通の女性でした。
普通の社会で普通に生きていれば「革命」なんて何のことか解らなかったでしょう。
社会は年々豊かになり、個人の生活も急ピッチで充足されていく。テレビ、洗濯機、冷蔵庫の、いわゆる「3種の神器」はほとんどの家庭に普及し、カー、クーラー、カラーテレビの「新3種の神器」がある家庭も珍しくなくなりつつあった。
こんな状況下で「革命」???
私と彼女の心の隔絶感は半端じゃなかったと思います。
というか、私が「革命」という妄想に酔いしれていただけ。

この妄想が冷めた時期と彼女との関係が冷めた時期が重なってしまった。
ある意味、これは必然なんですが、当時の私にとっては受け入れがたい現実でした。

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「青春」は青い春。
そんなに「くさい言葉」だとは思いません。
自分は、いっぱしの「大人」になったつもりでいますが、十分に幼い。
つまり青い、そして希望に満ちた「春」でもある。
今の私は秋ですかね。
でも、まだまだ青いです。

だから、ふとしたことで「苦い青春」が甦るのだと思います。
が、これが過去の軌跡をたどれば、今の私の原点ですから忘れることはないと思います。

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でも、なつかしいなあ、あのころ、あの場所、あの時代。

まっ、今はもう、人生の仕上げの時ですから。
ここでコケるわけにはいきません。
過去をたまに振り返り、語るのもよいけれど、これからは「品格」にこだわって生きていきたいですね。

みなさん、よろしく。

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