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2008/06/08

徒然なるままに

みなさん、ご無沙汰いたしております。
相変わらずの忙しさですが、元気ですよ。
ただ、今までのように、目の前の政治や経済、あるいは社会的出来事などを分析し、自らの見解を主張するだけの余裕が精神的にも時間的にもありません。

これからは、スタイルを変えて、気になったことや思いついたことなどを徒然に書き綴っていきたいと思います。
まあ、いわゆる“ブログ本来の姿”に帰る、ということですね。
極めて個人的な感想や意見、あるいは感傷が多くなると思いますので、読者の皆様も肩の力を抜いて読んでください。

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私は四捨五入すると、もう60歳、あと何年か経つと還暦です。
光陰矢のごとし、と言いますが、ほんとうに時間が経つのは早いですね。
その時その時は必死だからものすごく長く感じますが、時間が経過して、あらためて振り返るとすごく短く感じます。

この50数年の人生、色んなことがあり、まさに波乱万丈でした。山あり谷あり、思い起こせば、楽しいことより苦しいことの方が多かったですね。
でも、「苦しい」経験は人間を成長させます。私はずいぶんと変わりました。性格とか気質は変わっていないのですが、価値観、特に人や社会を見る目、それから歴史認識や世界観が様変わりしました。
これも苦労したおかげでしょう。

社会に出て最初の仕事は、何かと批判の多い役人様(公務員)でしたが、そのまま年を経ていたら、今でも現体制に批判的なスタンスを取り続けていたと思います。
挫折して、それでも前向きに生きていこうとする中で、心身ともにもがき苦しむ中で、人や社会の本質が分かるのです。
そういう意味では、これまでの人生に悔いはありません。何とかこれまで生きてこれた。何があっても前向きに生きていくだけの度胸、そして、何事も相対的に捉えることができる眼力もついた。

私は、己の人生に誇りを持っていますし、これまでの経験に感謝しております。

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ところで、これまでの経験の中でもっとも辛かったこと、それは失恋ですね。会社が倒産した、これも大変な苦労でしたが、体力と意欲とそれなりの能力があれば何とか立ち直ることができます。が、心に負った深い痛手はなかなか癒すことができません。

人間は、何事も「忘れる」ことができる。が、「忘れる」ことができないこともあります。
「忘却とは忘れ去る事なり」
これはNHKの歴史的ラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーションですが、このあとに
「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
と続きます。

このドラマ、その後に連綿と続くメロドラマの原型のようなものですが、ドラマといい歌といい、こういう設定のものが多いということは、そういう経験をした人、あるいは、そういう状況にあこがれる人が多いということの証明でしょう。

田口淑子さんが作詞して、吉田拓郎が歌ったヒット曲「春だったね」は、まさに当時の私の心情そのものでした。

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね

僕が思い出になる頃
君を思い出に出来ない
そんな僕の手紙が着く

風に揺れるタンポポそえて
君の涙を拭いてあげたい
ああ 僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
振り返りながら走った
ああ あれは春だったね

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でも、不思議なんですよね。
失恋した彼女よりず~っと美人の女性にめぐり合っても、より知的でセンスの良い女性にめぐり合っても私の心は少しも動かない。
そこにはセックスしか存在しない。
それで自分を癒そうとしたのだけれど、精神的にはますます荒んでしまいました。

私が失恋の痛手から立ち直ったのは、今のカミさんと知り合ってからです。そして子供が生まれて人生が楽しくなりました。
が、それでも、日々生きることに懸命の中で、記憶の彼方に霞んでいる30数年前の出来事が、ふとしたことで甦る。

思うに、私が失恋したのは「私のあこがれ」に対してだと思います。
彼女も私も高1のころからお互いを強く意識していた。で、卒業前にヒョンなことからそれが分かり付き合うようなったのです。
○○高校のマドンナだった彼女は私にとって高嶺の花、高校生なのに過激な政治的言動を繰り返し、学校の問題児だった私は彼女から見れば縁の遠い存在。
大学に進学した私は当たり前のように学生運動に身を投じ、一方の彼女はまったくのノンポリ。
恋愛までも理屈で語ろうとする私に段々と違和感を覚えるようになっていたようです。
で、彼女が発した言葉が「私と革命のどっちが大事なの?」
私の答えは「比較できる問題じゃない」「君は『恋に恋している』んであって、勘違いしてるんじゃないのか?」
二人を結び付けてくれた共通の友人によると、彼女は一晩中泣いたそうです。
で、出した答えが「やっぱり恋に恋していた」「もう卒業する」

当時の私は、女性の、というより人の心が分からない人間だったんですね。学生運動に参加しない学生はバカだと軽蔑していたし、自分を「カッコイイ」と思っていた。「女にもてる」と自惚れてもいた。
まったく、勘違いしているのは私だったのです。
そんな鼻持ちならない「自尊心」が、「絶対にふられることはない」と思い込んでいた彼女によって木っ端微塵に粉砕された。
だから立ち直れないほど落ち込んでしまった。

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彼女は普通の女性でした。
普通の社会で普通に生きていれば「革命」なんて何のことか解らなかったでしょう。
社会は年々豊かになり、個人の生活も急ピッチで充足されていく。テレビ、洗濯機、冷蔵庫の、いわゆる「3種の神器」はほとんどの家庭に普及し、カー、クーラー、カラーテレビの「新3種の神器」がある家庭も珍しくなくなりつつあった。
こんな状況下で「革命」???
私と彼女の心の隔絶感は半端じゃなかったと思います。
というか、私が「革命」という妄想に酔いしれていただけ。

この妄想が冷めた時期と彼女との関係が冷めた時期が重なってしまった。
ある意味、これは必然なんですが、当時の私にとっては受け入れがたい現実でした。

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「青春」は青い春。
そんなに「くさい言葉」だとは思いません。
自分は、いっぱしの「大人」になったつもりでいますが、十分に幼い。
つまり青い、そして希望に満ちた「春」でもある。
今の私は秋ですかね。
でも、まだまだ青いです。

だから、ふとしたことで「苦い青春」が甦るのだと思います。
が、これが過去の軌跡をたどれば、今の私の原点ですから忘れることはないと思います。

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でも、なつかしいなあ、あのころ、あの場所、あの時代。

まっ、今はもう、人生の仕上げの時ですから。
ここでコケるわけにはいきません。
過去をたまに振り返り、語るのもよいけれど、これからは「品格」にこだわって生きていきたいですね。

みなさん、よろしく。

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コメント

 私も50代の半端ですが、未だ「四捨五入すれば50歳か」位の歳ですから、管理人さんとは同世代と言って良いでしょうね、でも、私の方が2つ、3つ若い所為か、私達の世代では、管理人さんの様に「革命に恋する」程のめり込ンだ事はありませんでしたし、同級生にも居ません、寧ろ、変な宗教に感化されて異常な行動を採った奴の方が多かったと記憶してます。

 私が学生運動に対して醒めた契機は、勿論、浅間山荘事件から赤軍派リンチ事件に連なる一連の事件でした、思えば、あの時代は戦後の「復興ベクトル」が、日本の「平和的な」プロモーションに結実して、日本人が少しずつ自分達の新たなやり方に「自信」を深めていった時期だったと思います。

 そんな中、安保闘争に端を発した学生運動は、その「浮かれ」を戒めるベクトルから産まれたのでしょうが、参加している学生も、唯、そういう反作用的な理由を昇華したタイプと、何時まで経っても戦争を止めず、世界覇権へとひた走る米国への批判を背に、頭から「此の繁栄は間違っていて、共産主義革命こそ正しい」と、共産主義を信仰しているタイプに分かれていた様に思います。

 どの途、皆を駆り立てていたモノは、復興ベクトルが産んだ「日本を拠りよい社会にしよう」と言うモチベーションだった様な気がするこの頃です。

投稿: ナポレオン・ソロ | 2008/06/08 19:25

管理人さま、お気持ちはわかります。しかし「老人は若者のためにある。」という言葉もあります。歳をとりますと若者が馬鹿者に見えます。そして若者こそ我々老人に仕えるべきだ、と考えるようになり、若者に対する体力的な、そして美しい体への嫉妬とおそれを抱きます。これらは自然な感情です。また管理人さまのように自分の歴史の総括も、たまにはいいでしょう。しかし、老境にある者にはある種の社会的責任もあることが私にもわかってきました。社会的責任とは何か?たとえば次の二つがあります。
 「子供を戦場に送らない」が日教組のスローガン。
 「日本を二度と戦争に巻き込まない」が外務省の合言葉。

 そして今日、二つの組織の堕落は解体が必要なレベルです。

 自民党と民主党は私見ながら80%くらいが中国に媚を売る議員で占められているように見えます。移民庁の出現は外国人参政権と共に日本の解体につながるでしょう。

 歳をとって、ようやくわかるものがあります。日本は「グローバル何とか」に乗り遅れる、などと言うは馬鹿の言うこと。勤勉を尊び、他者への気配りに満ち、嘘や卑怯を憎む。長上を敬し後輩を伸ばし、伝統の継承を行ってゆく。工学技術の改善を楽しむ。これだけがすなわち世界的競争力のある「日本」の本質だと思います。
 たとえば新宿駅は一日30万人以上が利用しますが、それが少数の駅員で運営できるのは、ほとんどが日本人であるためルールを守り、他者に気配りするからだそうです。そして中国人や韓国人やインド人が多くなれば、混乱して運用コストが数倍になる、と聞いたことがあります。

 今後は自分の信じる「日本の若者のための日本」に向かうように行動したいと思います。日教組や外務省、政権政党が腐るプロセスを教訓として。たいして政治に関心のある方ではありませんが、しかし現状は数千年続いた日本の最大の危機かもしれません。中国、半島人が数百万人入れば、この国は終了します。ヤマトザリガニ、ヤマト黒蟻は外来種によって絶滅に向かっていますが、次は日本から日本人と日本文化が外来種の人間によって絶滅する番です。それはできるだけ、防ぎたいものです。
 いきがっても何もできませんが、せめて私の認識をできるだけ若者に伝えていきます。
 私も今月で、半世紀生きたことになりますので...。管理人さまは私など足元にも及ばぬ才能の持ち主です。その鋭い文章で日本の若者へ、思想の啓蒙をしていただくことを熱望しております。

投稿: 普通の国民 | 2008/06/09 00:25

私は、所謂、団塊世代ですので、少し上の年齢です。私の記憶では、‘便利になる!’という触れ込みで、美しいクローバーの土手が、コンクリートの塊と化していったのが、育っていた時代の全てを語っているように思います。高度成長に走り始めて行って、日本は、どれだけの大切なものを失っていったんだろう・・・、とかなしくなります。

投稿: しずっぺ | 2008/06/09 04:00

お久しぶりです
理想を追求し、その達成に自ら貢献すべく、前へ向かって戦い続けるという真剣な生き方を
こころから尊敬します
一生そのように燃えることのなかった私と違って
きっと満足感にあふれてゴールを超えることと、羨ましく思います
お体に気をつけて、今までどうりに頑張ってお過ごしください
応援します

投稿: SS | 2008/06/09 10:54

毎日一度は覗いています。

私も3年前からブログで理不尽な輩を批判する記事を書いてきましたが今更ながら昔の人の格言「人を呪ば穴二つ」の意味を知りました。

元々「メタボ」で冠動脈に問題を抱えていましたが、ブログを書きはじめてから三度も救急車に搬送されるはめになり、トドメは昨年の今頃「心臓バイパス手術」を受け、何とか一命をとりとめました。

その後はどんな出来事に対しても「皮肉る」程度の記事にしています。

お陰で体調は大分回復してきました。

今後はイギリス紳士の様な「ウイット」で立ち向かって行こうと考えています。

当時私はノンポリでした。

あの頃を思い出すと胸キュンとなるのは、私だけではない事を発見し、安心した次第です。

投稿: 喜多見梁右(りょうすけ) | 2008/06/09 15:29

管理人さんよりたぶん少し下の同世代です。学生紛争の名残がまだ少し残っていて、周りにはマルクスの話を一生懸命する学生がいました。マルクスを理解しようとは全く思わなかったので、そういう影響はほとんど受けていません。サヨク思想が私の知らない数十年間も脈々とどこかに(どこでしょう?労組?9条の会?)受け継がれていたのを知ってびっくりしました。この年になってやっと社会がどのように回っているか、おぼろげにわかるようになるなんて、遅過ぎます。
 
今日「移民1000万人受け入れ」提言なるものを聞いて「動揺」です。
この世代同世代が(肩の力を抜いて)わが国を日本らしさを失わない形で若い人に渡す責任もまだ残っています。父の世代が命をかけて渡してくれた国です。
 
「春だったね」はとても懐かしいです。

投稿: シーガル | 2008/06/10 03:23

お久しぶりです、年を取るのは未だ未だ、頑張って貰わないと、徒然なる侭に若い人に指針を提供して下さい。

私の年代は実は温室育ち、終戦時には卒業・入学エスカレーターみたいな生活、入学後は喧嘩・スポーツ・共産党員防波堤・卒業・職場なし・行商・飛行機乗り・会社員・中小企業主で、家内に自分だけで楽しんでいると言われながら苦を楽しんで居た気力と体力で生きていたんですね。

プログを立ち上げる能力も気力も残って居ないと思います、人のプログで愚痴と自分の意見を言わせて貰う、経験が少しでも人に伝わり理解して貰えれば嬉しいなあ~こんなところですが、坂さんを初め皆さんは中堅に位置する人達です、ドンドン若い人達の啓蒙に力を貸して欲しいものです。

私より若年ですが古希を超えても勤務先の社長に請われ現役で頑張ってる人が居ます、優秀な人間を使うのが社長の社長たる所以だなあ~と彼を見る社長の人格に感心したりしています。

後藤新平曰く、「金を残すだけの奴」は「下」・「会社を残す奴」は「中」・「人を残す奴」は「上」だそうです。坂さんは人を残して下さいよ、品格は死ぬときに「辞世」でも読んで堂々と死ぬのが「品格」と考えればマダマダ多くの時間をお持ちですから、徒然なる侭で結構、歴史認識のしっかりした人の文章は頭に残ります。60はお若いですよ、その頃は会社の対外試合で投げて居りました、リリーフ敗戦処理ですが。

投稿: 猪 | 2008/06/10 14:09

こんにちは
お久しぶりです。

結局、この辺は戦後の洗脳されっぱなし世代と、洗脳に遅まきながら気づいた世代と、洗脳にさっさと気づいた世代あたりなんでしょうね。

しかし、後の世代への悪影響を繋いでしまったクチなんでしょう。時代的にはしょうがありませんが。

楽しみにしています。

投稿: NCBM | 2008/07/25 20:28

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