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2008/10/18

社会的排除?というより自己責任だと思うよ

讀賣新聞が――[生活ドキュメント]社会的排除――というタイトルの連載を10月15日から続けている。昨日の第3回目までを読んで大いに考えさせられた。
第1回目と2回目は、家庭の貧困―低学力―向学心の喪失―高校中退―不安定な就労―低賃金―貧困という構図で記事が書かれている。

以下に、今回の連載のテーマを引用する。

親の離婚や失業、長時間などで、不安定な生活にさらされる子どもが増えている。貧困から学力低下、そして中途退学へと向かう。高学歴が求められる現代社会を「高卒」の資格もなく漂流する若者たち。社会的排除へとつながる悪循環を生む「中退」という問題を考える。

第1回目と2回目は、連載のテーマに沿ったものだ。1回目では、貧乏な母子家庭に育ったカオリさん(20、仮名)の例を取りあげ、貧困=中退という記事にまとめ上げている。
2回目の記事は、次のような内容で締めくくられている。

でも、白鳥さんがなんとか生徒を卒業させようとしたのは、中退では安定した仕事に就けない可能性が高いからだ。

以前なら、中卒で就職できる製造業や商店などがあったが、そうした働き口は減った。代わりにこの10年で、派遣やパートなど不安定な非正規雇用が急増した。

「卒業までこぎつけたら、我々が必ず正社員として就職させている。中退してバイトやパートでは、何年働いても履歴書に書くべきキャリアはゼロのままだ」

しかし、卒業までこぎつけるのは容易ではない。1990年代に入り、貧困家庭が増加するとともに、「学力の底抜け」が起きたからだ。

「入学後に補習を行うが、10年前は中学の勉強から始めればよかった。今は小4くらいの学力で入ってくる。1÷4=0.25だと知らない」

貧困、学力低下、中退、不安定な就労という連鎖が起きている。貧困から抜け出せず、社会の中にいかなる居場所も見いだせない「社会的排除」の状態に陥る若者が作られている。

白鳥さんは訴える。「学校の力には限界がある。家庭や地域が力を失ったのなら、社会全体で若者たちを支援することが必要だ」

白鳥氏とは、埼玉県の県立高校の元教師で、中退を防ぐために生徒の支援に懸命に取り組んだ方らしい。ちなみに、白鳥氏が最後に勤務した県立高校は、入学する生徒約200人中、卒業するのは約半数――とのことだ。

以前なら、中卒で就職できる製造業や商店などがあった――これは事実である。私たちのころは、家庭の事情(ほとんどが貧困)で高校に進学できない者が1割近くいた。ただし、貧困=低学力ではなかった。学習意欲はあるのだが、家庭の事情が許さない、そういう生徒もけっこういた。だから、「中卒で就職できる製造業や商店などがあった」のだと思う。
その時代は、まだ、(中学生の)集団就職というのがあって、就職した後は夜間高校に通うのを支援する会社もあったと記憶している。

それからすれば、今は、高校進学率はほぼ100%に近い。大学進学率も50%に迫っている。私たちのころは、大学進学率は20%を少し越えるくらいだったから、今は“超高学歴”社会になっているということだ。
約2人に1人が大学卒。大卒でさえ就職できない者がいるのだから、高校も卒業していない者に満足な職がない、これも当たり前なのかもしれない。

ただし、私は、高校を卒業していないからといって正社員の道が閉ざされるのを肯定しているわけではない。
ただ、私は、讀賣新聞の連載が企図する「家庭の貧困―低学力―向学心の喪失―高校中退―不安定な就労―低賃金―貧困」という構図には大いなる疑問を抱く。
私のごく身近な経験からすれば、「低学力―向学心の喪失―高校中退―不安定な就労」は、本人たちにもっとも大きな責任がある。

根本にあるのは、本人に知的好奇心が欠如しているということだ。向上心もなく、おまけに根気や忍耐力にも欠ける。だから「低学力―向学心の喪失―高校中退」となってしまうのだ。この問題に、「貧乏」とか「裕福」とかは関係がない。
裕福な家庭でも、同じような状況はいくらでもある。私は、実感を込めてそう言える。

讀賣新聞も、さすがに「書き過ぎた」と思ったのか、連載第3回目の中で、以下のような中退者と高校教師の話も紹介している。

「友達がやめてつまらなくなった。卒業したところで何をしたいか見えなかったし」
埼玉県の県立高校を2年で中途退学したカズオさん(24、仮名)は、やめた時の心境を思い出しながらゆっくり話した。
高校をやめると仕事の選択の幅が狭まると担任から忠告されたが、当時はピンとこなかった。「高校は出た方がいいと後でわかった。やめてなかったら別の人生になっていたかもと思う」。(中退者)

かけ算もアルファベットもわからないまま義務教育課程を終えた子どもが、「中学を出ても働く場がない」と高校へ進学する時代。「高校は遊び場」だから、友達がやめれば、簡単に中退していく。(高校教師)

「友達がやめてつまらなくなった。卒業したところで何をしたいか見えなかったし」
「高校は『遊び場』だから、友達がやめれば、簡単に中退していく」
これが真実に近い。私はそう思う。

つまり、「社会的排除」の状態に陥る若者が作られている――のではなく、自らが「社会的排除」の状態を作り出しているのだ。
これを「格差」と呼べるのか?
単なる「甘え」じゃないのか?

「家庭でも学校でも支えてもらえず、生活や学習の力がない子どもが、学校も仕事もあっさりと辞めていく」と言われても、本人たちに自覚が芽生えなければ手の施しようがない。
前出の白鳥氏は「学校の力には限界がある。家庭や地域が力を失ったのなら、社会全体で若者たちを支援することが必要だ」と記事中で訴えている。
が、意欲や向上心は、社会が何とかできるものではない。何とかできるのは、社会の現実に直面して後悔し、心を入れ替えた場合のみだ。

前出のカズオさんは、劣悪な清掃会社に就職して次のように後悔している。

「地獄のような毎日だった」。労災保険には入ったが、医療や年金の社会保険には入れなかった。
高校を卒業して「きちんとした会社」に勤めなかったことを、初めて後悔した。

彼は、まだ24歳である。「やり直す気」が本気であれば、受け入れてやる、それくらいの余裕が社会にあってほしい、と私は思う。

ただ、連載第1回目で取りあげられたカオリさんの現状は以下のとおりだ。

「高校を出ていないと、やりたい仕事にも就けない。やめてこんなに苦労するなんて思わなかった」
カオリさんは今、別の県立高校の定時制に通う。3年目だが、友達に誘われたら授業を休んで遊んでしまい、卒業に必要な単位の半分しか取れていない。

これじゃあ、いくら支援しても浮かび上がるのはむつかしいだろう。

確かに人間は環境に左右される。が、「貧困―低学力―向学心の喪失―高校中退」という図式は、あまりにも単純化しすぎだと思う。むしろ、社会に、「勤勉」とか「忍耐」を尊しとしない風潮が蔓延しつつあることの方が問題ではないのか?

楽な方へ楽な方へと流れる。これじゃあ、いつまで経っても自立できない。
いつのころからか分からないが、「一人前」という言葉があまり聞かれなくなった。「一人前」とは「自分のメシ代は自分で稼ぐ」ということだ。
どうも、「一人前」になりたがらない人間が増えている、そんな気がしてならない。

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社会」カテゴリの記事

コメント

 確かに「家庭の貧困→低学力→向学心の喪失→高校中退→不安定な就労→低賃金→貧困」という流れに必然性はありませんね。ただ、最初の「家庭の貧困」に+して、親や家族の放任ないし教育への意識の低下、また「低学力」に+して、公立の初等・中等教育の質の低下を付け加えると、ある程度実態を反映するものになるかもしれません。結局、幼児期の家庭環境、ゆとり教育等の公教育の劣化(日教組はガン?w)、そして本人の自覚の欠如が問題なのだと思います。
 私は、いわゆる地方の公立の進学校の出身ですが、友人に父子家庭(しかも父親は労災による障害者)、男の子二人の兄弟という例を知っていますが、クラスメートだった弟の方は、全て奨学金で、一浪して東大の文Iに合格しています(また、兄の方も大学に進学していたはずです)。80年代中頃の話しです。もっとも、その母校も最近では劣化してしまったという噂を聞くこともありますが。。。

投稿: nkk | 2008/10/18 17:34

私は高校で学ぶことの意味を勘違いしている国民が多いと感じています。
高校に行けばいい会社に入れるのではありません。
高校で、勤労の意味や仲間との付き合い方、社会のルールを学ぶことで「一人前」の労働者になれるのではないでしょうか。
高校へ行けば何とか仕事につけるのではありません。
たまたま、卒業するときに正社員として入社しても勤労の尊さを学んでいないものは、すぐに会社を辞めてしまいます。
それでは高校へ行ったら就職ができるなどと勘違いをしてもらってはこまります。
高校に来ても先生の教えを守らず、教えてもらう先生を馬鹿にしている若者が得るものなどありません。
反対に高校へ進学することで、大人社会を馬鹿にしてしまいます。
件の読売新聞の「家庭の貧困→低学力→向学心の喪失→高校中退→不安定な就労→低賃金」につながりはありません。
躾や道徳心の欠如が、低賃金→貧困という構図になるのでは無いでしょうか。

投稿: 高校教師 | 2008/10/18 19:14

私は母子家庭で育った貧乏人でしたが、中学を卒業してその後定時制の高校→大学へ通い働きながらお金を貯めて最終的にマスターの学位を取ることができました。
もちろん、親戚や担任の先生方、高校~大学と働かせていただいた会社の皆様には大変お世話になりました(参考書が買えなかったので、先生から副教材用のサンプルをいただいたり・・・)
そんな私でも、大学院まで出る事ができたのですから、日本はやる気のある人間には誰にでも機会を与える良い社会だと思います。
そして、やる気のない人でもそれなりに生きていける良い社会だと思います。

文中にあった
>前出のカズオさんは、劣悪な清掃会社に就職して次のように後悔している。
これはカズオさんが甘えすぎだと思います。
外国にはどんなに能力があっても、やる気があっても本当に劣悪な条件で働かざるを得ない人たちがいるのですから

投稿: 元貧乏人 | 2008/10/18 21:31

 日教組がガンと言うのは当たり前ですが、文部省の寺脇研などは、意図的に学力格差を作ろうとした疑いがあります。
 またテレビでは馬鹿キャラが幅を利かし、もてはやされています。
 よくお笑い芸人が、「学校の勉強など社会に出て何も役に立たなかった」と、とくとくと語り、其れを誰も咎めません。
 ドラマでは、親が学校へ行けと言っても、子が反発して好きな事をやり、其れが良い事の様に描かれています。
 この辺が全てです。貧困はそれほどの原因とはなっていません。

投稿: 八目山人 | 2008/10/18 21:47

>社会に、「勤勉」とか「忍耐」を尊しとしない風潮が蔓延しつつあることの方が問題ではないのか?

同意します。現在のような競争の世の中を生き抜くには何が必要かと考えたとき、「勤勉」と「忍耐」にまさるものはないと私も思います。

しかし、世の中は「短小軽薄」がもてはやされ、「勤勉」とか「忍耐」と言う言葉は「うざい」という一言でしりぞけられるような風潮があります。社会の表舞台で活躍している人は、人知れず「勤勉」と「忍耐」を実践しているという事実を若い人はもっと知るべきだと思います。

投稿: クロー | 2008/10/18 23:59

確かにレールから外れたのは本人に責任ですよね。本人にやる気が無い限り支援したって意味は無です。
ただ、レールからはずれた人がまたレールに戻るのが今の日本では非常に困難であるということは問題かなあ。
長い人生ちょっと寄り道することがあったって良いと思うがそれを許さないシステムになっていると思う。それが非常に息苦しい社会だと感じる一因になってるんじゃないかと思うんだけどなんとかならんもんかな。
メディアも安易に貧困に結びつけるんじゃなくてそういうところに焦点を当てて特集してくれれば良いのになんでやらないんだろ?

投稿: なおひさ | 2008/10/19 02:42

管理人様 皆様
はじめまして。

>家庭の貧困―低学力―向学心の喪失―高校中退(―不安定な就労―低賃金―貧困)という図式は、あまりにも単純化しすぎだと思う。

まさに、そのとおりだと思います。
20年ほど前までは日本は「総中流社会」であったと記憶しています。中流の意味の理解についてはおいておくとしても。
それが、バブルが崩壊した後は「総貧困社会」なのでしょうか?

>「やり直す気」が本気であれば、受け入れてやる、それくらいの余裕が社会にあってほしい、と私は思う。

かろうじて、日本はまだそのような社会であると信じています。まあ、近くに在日や同和がいればまじめに働くのがいやになるでしょうけれど。

今回紹介していただいたマスコミの記事を拝見するとどうしても気になるのですが、なんかサヨク的な意図があるように思えてなりません。

投稿: Frank | 2008/10/19 03:53

教育は難しいものだと思います。今の社会は高学歴を要求します。中学を出ても全く仕事がない、だからほぼ全員が高校に行くようになりました。高校を出ても仕事がない(高卒の就職率はたしか2割位)、だから半数もが4大に行くようになりました。(昔は4大進学率は10%でした)決して向上心から高学歴になったわけではないと思います。
だから今の親は大変です。親の収入が子の学歴に影響する時代と言われます。4大の4年間の学費+生活費は下宿をすれば1千万円を超します。払えないからと学費の延納願いが頻発しています。4大以外の学歴を求めて専門学校や夜学に通いたがる子もいます。
母子家庭その他、経済的には大学には行けない子は高校までです。高校を出ても仕事がないから、どうしてもフリーターが増えます。這い上がれなどと言いますが、統計を見ればそんな生易しい数字ではありません。
さらに貧困家庭になると小中で学費免除されますが、ノートも買ってもらえない貧乏な子もいます。学校がノートを支給したりすると、殆ど書き込まないようにして、長持ちさせます。東京のある地域には貧困家庭が集中しているようです。
むろん小中で塾に通えるような子は親にある程度以上金のある子です。
歯止め私学を設定出来る子はよい公立高校を受験出来ますが、親に金がなければ無理は出来ず、必ず受かりそうな(出来の悪い)公立高校を受けるしかありません。数学Cなどは始めから教える気もない高校です。
昔は学歴がなくても頭が良ければ博士もいましたが、今は学歴はもっと輪切りの時代、正社員か非正規かの時代です。経営者は「本人次第」とすぐ言いますが、現状の貧困家庭の問題は生易しいものではないと思います。

投稿: KappNets | 2008/10/19 04:18

わたしは日本郵便の職員で、配達の仕事をしています。担当する範囲の中には2つ高校があるのですが、不自然な時間帯に、高校生が外を歩いているのを見かけることがあります。早い話が、そうした連中は、しっかり定刻に学校に通っていないのです。こうした連中を見て、遅刻と言う物を恥じないのでしょうかと思います。
雇われ人ともなれば、遅刻や欠勤ともなれば、減給になるのが当然です、いくら学校の場合は遅刻や欠校しても減給がないからと言って、そうした事を習慣的になってしまっては、将来、まともに雇われ人としてやっていけるのか、疑問ですね。

投稿: DUCE | 2008/10/19 07:56

嘗て、マッカーサーが日本人の精神年齢は14歳だと言った。
ノーベル賞を幾つ貰おうが益々もってその通りだと思う。

投稿: だめだ、こりゃ | 2008/10/19 11:02

sunいま、ハッキリした理由もなく中退する子供が多い点も問題です。親はマトモ、しかし子供の持続力が乏しい、覇気に掛ける、神経質等々の理由で沈没する。
石原都知事の言うように、脳幹が弱っていることでしょうか。

投稿: never | 2008/10/19 15:47

教員をやっている友人の言葉です。

・三食を充実させ、夜11時に寝させると不良少年は
 半減すると思われる。カルシウムやビタミン不足が顕著。多くが学校で買うコーラや菓子パンが主食である。

・子供の親は子供そっくり。茶髪金髪で言葉使いや態度も酷似。子供の処分に親を学校に呼んでも、まずジーパンで現れた親を最初に説教すること多し。

・字を書けない、字を読めない。漢字は読めないので本を読む習慣がない。小学校の漢字ドリルの訓練が必要。

 これを言ったら怒られますが、女性の先生が増えてきています。男子というのは難しいイキモノで、その年頃では若いサルのように、見本となる、「おとな」を本能的に探すものです。成熟して、若者の見本になるような立派な男の先生が教育には必要なのではないでしょうか。
 それが証拠に女性の先生が担任になることは、けっこう嫌われるそうですが..。

 否定する女性の先生が多いかもしれませんが、たとえば武道を続けた若い男性教師が多ければ、凶器を持った殺人鬼が教室に来ても、学生を守るために机を振り上げて闘う姿を生徒に見せることができます。生きていく上で武力が重要である事を示すことができます。
 
 事なかれ教育委員会や狂った集団の日教組が徹底的に教員を締める結果、子供は反撃できない教員を馬鹿にして、逆にいじめにかかります。一番効果があるのが「セクハラされた。いやらしい目で見る。」です。これで教員はイチコロです。

投稿: 普通の国民 | 2008/10/19 15:56

時代なのでしょう、私の年代から云うと時代遅れ~何でも自分の周りのモノは自分で解決しろよ~と言いたくなりますが環境も違う、無いものはない時代、思考力も発想力もなくなります。

一度味わうと戻れないのが人間のサガ、これから又やり直すには良いのではないでしょうか、昔に戻り日本人が日本人を大事にする事から始める事ですね、外国人が40歳代で生活保護を受けられる、敵いません~~~

投稿: 猪 | 2008/10/19 16:31

貧困であってもなくても、家庭が崩壊していれば、子供に忍耐や勤勉は備わらないと思います。貧しくても、苦労して子供によりよい教育を与えようとする親はいます。一方で、子供に全く関心がない親、子供が学校へ毎日行ってるかどうかさえ知らない(知ろうとしない)、子供の面倒を見ようとしない親もいます。経済的格差で、簡単に説明することは難しいと思います。

ちなみに、東京都では、低所得者家庭に、子供の塾費用を無利子で貸し付けているそうです。17万人を予定していたところ140人しか申し込みがなかったとか。広報が十分でなかったのか、子供の教育に熱心な家庭というのは、思ったほど多くないのか。

投稿: ゆみこ | 2008/10/19 16:35

う~む、坂殿らしくない近視眼的な意見表明と思われますが、いかがでしょうか。

確かに、個々の問題は、自己責任で社会が排除したと言うべきではないでしょうが、
マスで捉えるとやはり、社会の問題と捉えるべきなのです。

そして、その場合は、中退者の家庭の所得分布と卒業者の家庭の所得分布の比較や
両者間での中退理由の差違を見るべきでしょう。

単に幾つかの事例を挙げて論を主張するのなら、裕福家庭での引篭もりドロップアウトも
貧困家庭での学費未払いによる退学のどちらの例も探してきて主張できるでしょう。

ですから、もっと本質的な考察をしなければならない考えます。

そこで、親の教育に対する価値観と親の躾に対する行動特性を考えるのは、
いかがでしょうか?
それを踏まえて、米国都市部での黒人街と中華街を比べたりすると、
ひとつの一般論が説得力を持つ事が分かると思います。

今の日本社会を維持・向上させるには、「道は開かれています」と言うだけでは
ダメで、実際にその道を歩く人を増やし、ドロップアウトを減らす社会的な
努力が必要なのです。

投稿: ムフフ | 2008/10/20 10:38

お久しぶりです。
本格的な再開おめでとうございます。

やはり、大学の「修身斉家治国平天下」なのでしょうね。
子供を教育するにも親自身が己を見つめ直し、自己啓発をしなければ駄目だという認識が不足しているのが問題。
確かに、昔と比べ時間に縛られている現代人においては心のゆとりもない。また、勉強する時間も取り難い、気力もないかもしれませんが、それを持って貧困に直結する要素はありません。

まずは家庭。それを取り巻く環境の一つとしての学校教師。以前の寺子屋的なものを含む地域コミュニティーによるフォロー。トータル的な事をしていかなければ。

願わくば、今の時代を反面教師にし、若い人達が目覚めてくれれば・・・

投稿: じょりー | 2008/10/20 15:48

>社会に、「勤勉」とか「忍耐」を尊しとしない風潮が蔓延しつつあることの方が問題ではないのか?

完全に同意。

「まじめ」、「一所懸命」がバカにされるようでは
だめなんじゃないかな。

投稿: とらきち | 2008/10/21 21:36

管理人殿、初めまして。
私もこの記事には興味を持って読んでいました。

貧困が原因で進学(または通学の継続)をあきらめる。その結果まともな職につけず、貧困生活が続く…。この事についてはかなり同意します。

アルバイトしながら勉強を続けたり、何とか情報を集めて支援先を探す、という事ができる人はいいです。継続できる熱意を併せ持った人はいいです。でも残念ながらそれができる人はあまり多くない。

熱意を持っていて、救いの手を差し伸べている人の手を引っ張り上げるのはわりとしやすいと思います。が、熱意を持たず、引っ張ってあげるための手さえ出そうとしない人達がいます。その人達に手を上に上げさせるようなやり方、ズボンのポケットに入れたままの手を外に出させて更にその手で何かを掴ませてあげられるような教育が大切だと感じました。

熱意や知的好奇心を出せないのは「甘え」の一種だったりしますが、甘えが出るのは本人の問題だけではありません。その熱意を持たせる事ができない大人達が多い、知的好奇心を得るための環境がない、引き出してあげられるような話術を持った人(教育・アドバイス・相談ができる人という言葉に置き換えても可)が少ないのは、本人達にとっても不幸と言わざるを得ないでしょう。

そんな人達・環境がないという理由で、熱意を発揮できないまま勉学の時期を過ごしてしまう。→十分に稼げる仕事につけない。→自分が貧困生活を続ける。→生活に余裕がないため、子供や周囲の人に支援してあげられない。→次世代の人達に熱意を持たせられない。→次世代の人が熱意を持たないまま育ってしまう。→ Repeat...

卵が先か鶏が先かの議論に似ていますが、ここも原因の一つではないかと思われます。

投稿: Calcite | 2008/10/26 09:47

教育の問題を子供たちの問題として捉える傾向が強すぎると思う。

子供が少しずつ世の中を知っていく過程で、大人が、「俺も勉強は出来なかった」とか言っていたり難しいことがらにあたって「俺はいい」と避けていたりする状況を毎日毎日見て成長した時、その子はどう思う?
ある子は、自分はああなりたくないと思う。ある子はあいつが俺の親なんだからと自分自身も諦めてしまう。前者は、じゃあどうなりたいんだってことになる。一流の音楽家?楽器も買えないし狭き門。いい企業?教育環境と才能もないと。技術や能力がを求めても報われるのか?

ちょっと見方を変えてこんな人になりたいとかいう希望は?希望がだめだった時にどうするとか。

全部が視野に入るとは思えないが見ていてわくわくするような現実の社会の創造っていうのは、社会でその力を振るえる大人が示す子供への教育でしょうね。この現実を形作っている大人が子供たちに発信している教育的メッセージはどんなでしょうね???

投稿: やすやす | 2008/10/29 12:22

今日の NHKの放送で、ある県立高校の先生の統計調査では、生徒の学力(および高校中退)と親の経済力には強い相関関係があると述べられていました。学力のない子は生活態度がだらしがないといったことではもはやないとその先生は述べておられました。

なお、別の調査では年収221万の所帯では教育費は365円/月しかかけられていないそうです。(852万円以上なら8116円/月)

統計上あきらかに格差という病弊が教育を蝕んでいます。ゆとり教育や日教組が問題と言えていた時代は過去のものとなり、今では(学歴がないと職がない時代なのに)職がない親の元では学歴が得られないことが教育の問題となりつつあります。貧しい家庭の子女には(統計的に)厳しい人生が待っています。

投稿: KappNets | 2008/11/28 17:46

 公教育だけでは学力が身に付かないことが一番の教育格差の原因では無いでしょうか?したがって、塾や家庭教師など教育にコストをかけられる家庭の子息が東大の合格者の大半を占める等の現実になってます。
 杉並区の和田中学校のような改革に見られるように、ゆとり教育とか日教組の結果平等主義の悪弊を公立学校から早期に排除し、公立学校の教育のみで十分学力が身に付く教育が受けられる態勢を作ってもらいたいものです。
 教育格差を親の収入に求める公立学校の教師って職務放棄ものですね。

投稿: ライト兄弟 | 2008/11/29 18:32

半分同意で半分疑問ですね。
確かに、甘えや、忍耐の無さがあり、自ら排除状態を作り出している部分はあると思います。
しかし、自己責任論は、単に議論を止め、話を進めなくしているだけにも感じられます。
それは、「甘えだよ」と言うのは簡単なんです。
いわゆる思考停止です。

文化資本なり、教育なり、家庭内問題なり、それなりの理由で排除されてしまう現実があるならば、社会(特に政府)は、福祉的な視点に立ち、包摂論を考えなくてはならないでしょう。

個人問題として捉えるなら→甘えるな努力しろ
社会問題として捉えるなら→政府・企業・自治体・NPOよ英知を絞れ

って感じなのかな・・・

投稿: Rabona | 2011/05/12 23:35

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