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2009/01/02

共産主義はなぜ破綻したのか?(1)

今日は、過去の人気エントリの第2弾です。
長くて難しいのに、なぜかこのエントリがNo.1なんですよね。私のブログにおいては。
やはり共産主義とその崩壊に、皆さん関心があった、と言うことでしょう。
以下は、2006年7月13日にアップした 「共産主義はなぜ破綻したのか?(1)」です。

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皆さんの中には、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのだろう?
なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような
非人間的社会体制が生み出されたのだろう?と思われている方もおられると思う。
今回は、そのことに言及したい。

このことを明らかにするには、20世紀の世界に最大の影響を及ぼした共産主義思想とは何だったのか、人間とは何なのかまで踏み込まざるをえない。
したがって、限られた時間とスペースの中では書きつくすことは不可能に近い。が、できる限りのエネルギーと、持ちうる限りの知識、経験を費やしてチャレンジしてみようと
思う。

長いエントリーになるし、中には難解な言葉も出てくるので、途中で投げ出したくなる
かもしれないが、世界や人間を知るうえで必ず参考になると思うので、できれば読み
通してほしい。

なお、ここでは、社会主義という言葉は共産主義に通じると理解してもらいたい。なぜなら西欧では、社会主義というと、一般的に社会民主主義(社民主義)のことを指すからだ。
また、よくマルクス主義とも言われるが、それは、ドイツ人のカール・マルクスが共産主義思想の始祖であるためで、共産主義と同義である。

これから述べることは、少々むつかしいかも知れないが、高校のころの世界史を復習するつもりで読んでほしい。

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歴史上、最初に社会主義革命を成功させたロシアのウジミール・レーニンによれば、
マルクス主義の基本的源泉はドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義の三つとされる。(「マルクス主義の三つの源泉」)
ただ、この捉え方は、「ステレオタイプすぎる」という批判も強く、実際のところ、マルクスが洞察した内容はもっと奥行きが深いと思う。
が、だからと言って、レーニンの捉え方が間違っているわけではない。

マルクスが、
①ゲオルク・ヘーゲルやルートヴィヒ・フォイエルバッハなどのドイツ観念論、
②アダム・スミスやデヴィッド・リカード、ロバート・マルサスなどのイギリス古典学派
経済学、
③サン・シモンやシャルル・フーリエ、ロバート・オーエンなどの、いわゆる「空想的社会主義」
を批判的に摂取し、「科学的社会主義」へと発展させたことは事実である。
「科学的社会主義」を具体的に言うと、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」と「資本論」である。

「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などと言うと、文字を見ただけで「嫌になりそう」という声が聞こえてきそうなので、今回はそういうところまでは、できるだけ言及しないようにしたい。

ところで、レーニンの唱えた「マルクス主義の三つの源泉」が、なぜ「ステレオタイプ」と批判されるのか?
それは、マルクス自身及びマルクスが自らの思想をまとめ上げていった当時の時代
背景に対する考察が不足しているからである。
もっとも、マルクスが哲学者であり、経済学者であり、そして革命家であったのに対し、レーニンは純粋な革命家であったから、理解が単純化されたのは必然であったのかもしれない。

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マルクスはユダヤ人である。マルクスが生きた1818年~1883年のころは、まだゲットー(都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)が存在していた時代である。
特に、マルクスの祖国・ドイツでのユダヤ人差別はひどいものがあった。

そのような時代にあって、父はユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗した。
職業は弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人だが、父よりユダヤ性向が強く、日常生活ではイディッシュ語(ユダヤ語)を話していた。マルクス自身も6歳の時、プロテスタントとして洗礼を受けている。
マルクスの思想を理解する上で、彼の出自が被差別民族であったという事実は見逃せない。

また若かりし日には、啓蒙思想にも大きな影響を受けている。
啓蒙思想は、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているとの「肯定的命題」を立て、
世界に何らかの「根本法則」があり、それは「理性」によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては自然科学的方法を重視した。
マルクスは高校生時代に、教師を通じて、フランスの啓蒙思想家・ジャン-ジャック・
ルソーが唱えた社会契約説の影響を受けた。ルソーの考えは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の契約によって成立する。主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というものである。
この啓蒙思想は、フランス大革命にも大きな影響を与えた。

私は、
①この啓蒙思想の、あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界に何らかの「根本法則」が存在するという考え方、
②特に「主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というルソーの主張、
③そしてキリスト教(ユダヤ教)の「唯一神信仰(神=真理は一つ)」と、
④出自が被差別民族(ユダヤ人)であるという潜在意識が、
マルクスの思想の「根っこ」にあると思っている。

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マルクスにとって、というか、マルクスの生きた時代においては、ヨーロッパと北米が
「世界」であった。それ以外は、「未開の地」か「未知の地」であり、マルクスの「世界」には、アラブもインドも中国も存在しない。
ここでいう「アラブもインドも中国も存在しない」というのは、「知識」としてではなく、
「認識」としての意味である。

ヨーロッパ(英国)が清(中国)を最初に侵略した阿片戦争は1840年、ヨーロッパ諸国がアラブ(イスラム)世界の覇権をめぐって戦ったクリミア戦争が1853年。ムガール帝国
(インド)が完全に英国の植民地になったのは1858年。
マルクスが生きた時代を考えれば、アラブやインド及び中国は、マルクス的世界においては「外界の存在」にすぎず、アフリカや南米は「未開の地」であったと言ってもよい。

つまり、「白人」及び「キリスト教(ユダヤ教)文化圏」がマルクスの「世界」なのである。
その「世界」には既に、資本主義が高度に発展した国々が存在し、自由や平等、人権といった民主主義の基本的価値観が社会的土壌としてあった。

アメリカ独立革命やフランス大革命が起きたのは、マルクスが生まれるよりずっと前だった。
アメリカ独立革命(1775~1783年)は、独立宣言で「全ての人間は平等に造られている」と謳い「(自然権としての)生命、自由、幸福を追求する権利」を掲げた。
フランス大革命も、人権宣言で「自由の保障・人民主権・法の下の平等」という近代
民主主義の基本的価値観を謳いあげた。

要するに、
①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである。
そしてマルクス自身は、その世界においては被抑圧民族であるユダヤ人だった。

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ここまで読んだだけで、なぜソ連が破綻したのか、なぜマルクスの思想(共産主義)から中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのかが、ある程度は解った方もいると思う。

もちろん、もっと様々な問題が「なぜ?」を解明するうえで存在する。
その様々な問題に言及する前に、ここで共産主義について簡単に説明しておこう。
以下は、カール・マルクスが定義した共産主義社会についての私なりのまとめである。

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。

以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である。

ここで、共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展したものと書いた。
マルクスによれば、社会主義社会とは「各人はその能力に応じて働き、に応じて
与えられる」社会である。そして、社会主義社会において、生産力が最大限に発達しきった段階でようやく共産主義社会に到達する。

※(注)
ここにおける「」は、資本主義下における「」とは違う。

なお、社会主義社会の前段として、「者(プロレタリア)独裁社会」が不可避とされる。
なぜなら革命が成功しても、者階級(プロレタリアート)が司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐しない限り、常に資本家階級
(ブルジョアジー)による「反革命」の危険にさらされるからである。マルクスは、これを、1871年のパリ・コミューン(世界初の者階級による民主国家)の失敗から学んだと思われる。

資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐し、「者(プロレタリア)による独裁」が実現して初めて社会主義社会への扉が開かれる。
者(プロレタリア)独裁下では、資本家階級(ブルジョアジー)の駆逐と共に、生産手段の社会的共有と富の平等な(に応じた)分配が進められる。
そして、資本家階級(ブルジョアジー)がなくなり、生産手段の社会的共有と富の平等な(に応じた)分配が完全に実現したときから社会主義社会が始まる。

社会主義の初期段階では、まだ国家も貨幣も残存している。が、社会主義がさらに
発展すると、国家は死滅し貨幣も廃棄され、富も「各人はその能力に応じて働き、に応じて与えられる」社会から「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会になる。
これが、共産主義社会だが、なぜ、そんなことが可能になるのか?

私が学んだ範囲では、その「なぜ?」に対する確信的な答えは見出せなかった。
だから私は、次のように勝手に解釈した。

計画経済により供給と需要が均衡するので、資本主義のような好況-不況-恐慌という景気の極端な変動がなくなり、安定的な経済成長が可能になる。投資や資源の配分も効率的かつ効果的に行われるから、さらなる成長を促す。
つまり、効率的かつ効果的な投資と資源の配分が、安定した高い経済成長をもたらす。高い経済成長が新たな投資と資源を生み出し、その効率的かつ効果的な再配分が、
さらなる成長の基盤になる。
そういう「無限の成長サイクル」ができ上がる。

また、生産手段が社会的に共有されているので、働く主体(人間)が搾取されることもなく、抑圧からも解放される。失業の恐れもなくなり、働く主体(人間)の意欲も向上する。
したがって、「無限の成長サイクル」+「意欲の向上」が、相乗効果も伴なって
「生産能力の飛躍的拡大」を可能にする。
だから、やがて「必要に応じて与えられる」ような社会が実現する。

経済(下部構造)が政治や国家(上部構造)を決定するから、そういう理想社会(生産力が極限まで発展し、司法・立法・行政の三権と生産手段のすべてを人民が共有する
社会)になれば、上部構造としての国家は死滅する。
生産手段が社会的に共有され、かつ供給と需要が均衡しており、「各人は必要に応じて与えられる」から、価値交換の媒介としての貨幣(交換価値)も必要なくなる。

以上が私なりの勝手な解釈だった。

※(注)
「生産手段の社会的共有」は、資本主義社会において「私有財産の廃止」と理解されている場合が多い。が、これは、(悪意の込められた)誤解である。
「生産手段の社会的共有」とは、工場や土地などの「生産手段の私的所有廃止」が
その核心であり、個人的生活を営む上での必需品まで否定されるわけではない。

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かつてマルクスの教えを信じていた私は、今は、このような考えを完全に否定するようになった。
それは、極めて単純な理由からである。
「必要に応じて与えられる社会」が可能であるためには、その社会が「無限に近い生産力を持っている」か、全ての人間が「必要限度をわきまえている」かの、いずれかが
必要である。
社会が「無限に近い生産力を持てるようになる」とは、現実の世界を踏まえれば考えられないし、また全ての人間が「必要限度=節度と中庸をわきまえる」ことができるとは
絶対に思わない。
もう、この時点で、マルクスが夢見た理想郷は、私にとっては科学とは無縁の「願望」としか思えないようになったのである。

私の50数年の人生経験から言えば、人間の原点は「欲望」である。その「欲望」をどこまでコントロールできるのかが「理性」である。
が、「理性」は人によって千差万別である。中には「理性とは無縁」と思える人間もたくさんいる。だから、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているなんて、とても信じられない。
「下部構造としての経済が人間意識までも決定する」「人間の社会的存在がその社会的意識を規定するのであって、その逆ではない」とマルクスは言う。
この捉え方はある面では正しいと思う。ただ、「現実の人間」を見れば、あまりにも一面的にすぎる。

※(注)
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る
「具体的な思考能力」を意味する。

力を商品として資本家に売らなければ生きていけない社会から、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にし、人間に特有の活動的機能であるに自由や生きがいを感じることのできる社会に変わったからといって、人間の本質というか、根源的な部分は変えようがない。
私は、そう思う。

マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。

疎外されたは、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外されたは、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外されたは、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する

これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと
思う。私は次のように理解している。

人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃に従事する人間は疎外されている。
賃によって、人間に特有の活動的機能であるが、「個人の生存を維持する
手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と・・・・・・

が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。

人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。

※(注)
ところで、マルクスは宗教を「アヘン(痛み止め)」として否定している。
ただマルクスの言いたいことは、宗教の全否定というより「(宗教は)痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という意味であるから、宗教の持つネガティブな部分を射ているとも言える。

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ここで、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのか?なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会
体制が生み出されたのか?という本題に入ろう。

私はマルクスの思想が、以下の条件の下で生まれたと前述した。

①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会を及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している
と・・・・・・

マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスで
あると想定していた。

ところが、実際に革命が起きたのはロシアであった。
当時のロシアは、マルクスの思想が生まれた土壌とはあまりにも違いすぎた。
1861年に農奴解放令が出されたものの、農民の生活は一向に向上しなかった(ミールと呼ばれる、司法・行政権力を有した村落共同体の小作農に変わっただけ)。19世紀末に産業革命が起こったものの、ヨーロッパの大国の中では、資本主義はもっとも遅れていた。
政治体制も、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)支配が貫徹されており、自由、平等、人権という価値観からは、ほど遠い社会だった。
つまり、もっとも社会主義革命にふさわしくない国で革命が起きてしまった。これが不幸の序章になるのである。

ロシア革命では、マルクスが考えていた革命を指導する「前衛(共産主義者)」が、
「前衛党(共産党)」になってしまった。
このロシアの共産党はボリシェビキ(多数派という意味だが、実際は少数派だった)を
名乗り、者・農民を覚醒させるためには「前衛党(共産党)」による指導が必須と
考えた。

マルクスがイメージした「者(プロレタリア)独裁」はパリコミューンのイメージがあった。そして、ロシアでも同様に者や兵士を中心にしたソビエト(評議会)が地域ごとに組織され、これが司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、永続革命の推進母体になるはずであった。
が、民主主義的価値観とはほど遠い社会だったロシアでは、「前衛党(共産党)」が
司法・立法・行政の三権及び軍のすべてを独占し、ソビエト(評議会)は名のみの存在となり、「者(プロレタリア)独裁」は「共産党独裁」に変質した。

※(注)
「ソ連」とは、「ソビエト(評議会)によって構成された国家の連邦体」という意味である。

ロシア共産党は、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)から厳しい弾圧を受け、
革命後は、常に反革命派(白軍)やそれを支援する欧米列強(日本を含む)に脅かされた。
そこで、この党は、「下部組織は上部組織に従う」という「民主集中制」を組織原則にし、「鉄の規律」を保ち、社会のあらゆる部門に党委員会や党細胞を張り巡らせて社会を
統制していった。
この体制は、本来は「戦時体制」のはずであったが、ロシアの後進性と指導者に都合のよいシステムでもあったため、その後も継続されて行くことになる。

このようにして共産党による強権的支配体制が確立され、しかも共産党は、「下部組織は上部組織に従う」という組織原則によって貫かれたため、社会はもちろん「前衛(共産主義者)」の組織であるはずの共産党内でも自由な言論は完全に封殺された。

そのような中で、前近代的社会から一気に社会主義社会に導くために、強引な農業の集団化や重工業偏重の政策が推進された。
また、強引な政策を貫徹するためには、強力な指導力が必要とされたため、指導者
(ヨシフ・スターリン)は、その政敵(レフ・トロツキーやニコライ・ブハーリン)を追放し、
粛清した。また、党内の反対派もほとんどが強制収容所送りか処刑になった。
スターリンによる独裁は、彼の個性にもよるが、以上のようなロシア的特殊性も大きく
影響している。

共産党の政策により、ウクライナを中心に、農地の収用に反対する農民たちは数十万人単位で殺害された。反革命派(白軍など)だけではなく、元貴族や資本家、富農たちも同様の運命をたどった。中には、反革命派や資本家、富農に仕立て上げられて強制収容所送りや処刑になった者もたくさんいた。
そして残ったのは、マルクスがもっとも忌避した「スターリンの個人崇拝と神格化」及び数千万人とも言われる犠牲者たちである。

※(注)
ヨシフ・スターリンは、ロシア革命の指導者であったウジミール・レーニンの後継者で
ある。

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初期のソ連は、1930年代に資本主義諸国を襲った大恐慌とは無縁であり、かなり高い経済成長を遂げた。
またノルマと呼ばれた計画生産数値の設定は、生産物の質より量が重視されたこの
時代では一定の効果があり、ソ連の鉱工業生産を大いに高めた。
このような、資本主義諸国の没落(大恐慌)とソ連の躍進を見て、ソ連型社会主義(スターリン主義)を礼讃する論調が世界的に数多く見られたのも事実である。

が、急速な工業化推進の原資は、農業から余剰を絞り出す形で行われたので、その分、農業部門が立ち遅れた。1933年には、そのツケが回って大飢饉が起きた。
ところがヴャチェスラフ・モロトフ書記は、ノルマ達成のために農民が次年度用に貯蔵
している種子までも取り上げるように地方幹部を叱責した。その結果、32年から33年にかけて500万人~700万人とも言われる餓死者が発生したのである。

順調に見えた工業部門も、第2次大戦後、量と共に質が重視されるようになると、ノルマを重視する計画経済では質の問題を解決できなくなってくる。
また、重工業の偏重は軽工業の軽視をもたらし、サービス部門にはコスト意識やサービス精神がまったくなかった。そのため一般国民には劣悪な消費財と質の低いサービスしか提供されなかった。
共産党官僚は、ノルマの達成が立身出世や保身を左右するため、虚偽の数値や報告が横行した。そのために、党中央や政府は経済の実態を正確に把握できず、有効な
政策を実行することはおろか、その立案さえできなかった。
そういう体制の劣化・堕落が、1970年代以降になると、日用品や食料さえ事欠く事態を
もたらすのである。

ノルマ重視の経済は、自然環境も大きく破壊した。例えば、かつては世界第4位の面積を誇ったアラル海は、旧・ソ連による無計画な灌漑事業のため、面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になるという完全なる「死の海」になった。
チェルノブイリ原発事故も、旧・ソ連の隠蔽体質のため、公表と対策が遅れ、結果として約16万人が移住を余儀なくされた。死者は9,000人(世界保健機関=WHO)とされるが、40,000人(ロシア科学アカデミー)という説もある。

また、情報統制社会であったため、情報工学は、軍需部門などの一部にしか導入されず、民生部門における「情報革命(IT革命)」はまったく進展しなかった。

このような数多くの問題点も、共産党官僚の強権支配と言論の封殺により批判される
ことがなく、したがって改革も常に後手に回った。

これに対し、資本主義諸国は、第2次大戦後は資本主義が抱える諸矛盾を解決する
ための社会政策や経済政策を次々に打ち出し、「弱肉強食社会」ではなく「福祉社会」を目指す動きを強める。
これは資本主義の「本丸」である米国も例外ではなかった。
また、「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」により、国際的自由貿易体制が
保証されたため市場が大きく拡大した。そして、市場の自由化と拡大に伴ない競争が激化し、量のみならず、質の向上とコストダウンが並行して求められた。
このような条件下で、第2次大戦後の資本主義諸国の経済は大きく発展し、社会も国民も豊かになったのである(もっとも恩恵を受けたのは日本であろう)。
IT革命も、各国の垣根が低くなり、人、モノ、カネの世界的流通が急速に活発化する中で一気に進んだ。

こうして、旧・ソ連と西側先進諸国との格差は、絶望的なまでに大きくなったのである。
確かに冷戦下における「軍拡競争」も旧・ソ連にとっては負担であったけれども、その
体制そのものが劣化・堕落し、完全に時代にそぐわなくなっていたことが旧・ソ連崩壊の最大の原因なのである。

ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1980年代後半からペレストロイカ(改革・再構築の意味)によって、この時代にそぐわなくなった体制を立て直そうとしたが、皮肉にもそれは、ソ連型社会主義体制の崩壊を後押しする結果になってしまった。
それは、ペレストロイカの重要な核であったグラスノスチ(情報公開)が逆作用を呼び
起こしたからである。
グラスノスチにより、1930年代の大飢饉(餓死者500万人~700万人)などの「不の
部分」が明るみに出されるようになった。また、困窮を極めていた民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしぶり、その汚職体質なども暴かれ、
国民の反共産党感情を一気に高めたからである。

明日に続く。
明日は、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する予定です。
期待(笑)して下さい。
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※(注)
この記事は、論争をするために書いたものではありません。したがって、批判はけっこうですが、論議や、論議を促すご質問には対応いたしかねます。

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左翼&共産主義」カテゴリの記事

コメント

明けましておめでとう御座います。
本年も坂さんのプログから日本を考えてくれる人が一人でも多く成ってくれれば有りがたいと思います。

若い人がどんどん坂さんのプログを読んで欲しいものです。私などは~我が身投資年輪7順目オーバすること半昔、製糞機能健在・メタポ心配なし・他部品時々故障・下取り価格零の人間ですが「記憶力」はなんとか保存冷凍されているのを解凍し、これからもお邪魔したいと考えております。
本年もよろしくお願いいたします。

投稿: 猪 | 2009/01/02 10:08

ブログ主様
 A子と申します。

 お書きになった共産主義についての文、大筋であたくしの理解と一致しておりますわ。
 ただ、社会主義の失敗の主因を、いわば唯物論から離れた、人間本来の性質に置いてらっしゃるように感じましたの。
 一言で言ってしまいますと、共産主義は下部構造としての経済は論じたが、根の部分で人間性と相入れなかった、というような。

 科学には演繹的な議論が必要ですけれども、社会科学ではその下敷きとして、帰納的な材料集めが必要になりますわね。歴史認識しかり、社会矛盾の判断しかりですわ。
 つまり、人間の行動様式全体についての判断が甘かったと考えるほうがスッキリすると思いますことよ。

 その、人間の行動様式に関連する現象として、あたくしは「組織」というものに注目しておりますの。
 組織というものは一度できてしまうと一人歩きし、場合によっては当初の目的さえ忘れて、延命と増殖を図る性質がございます。それ自体が一個の生命体のように、ね。
 これは既得権益を守る意志に強く関係しており、この点、自然人も法人も変わりございません。
 不要になった特殊法人の何と多いことでしょう。

 また続き、書きます。

投稿: A子 | 2009/01/02 20:08

坂眞さん、明けましておめでとうございます。

いつぞや、田母神氏発言と先の戦争の歴史認識に関連して、「是非、共産主義の歴史的総括を」と御願いした者ですが・・・すでに行われていたようで、大変、大変失礼を致しました。

流石に、大変参考になります!ちょっと難解なところもありますが、じっくりと読んでみたいと思います。やはり人間の洞察と社会の洞察、この観点が興味深い。マルクス主義には机上の理論的な危険もあったんだろうが、資本主義の反省とすべき点もあるのは確かで、日本社会は社会主義の要素をかなり取り入れているということか。
 マルクスと唯物論、さらに宗教というもの、というテーマも重要だと思います。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/03 01:07

宣伝すいません
★国家観で判断 (水間政憲) 2008-12-31 14:22:25

土屋正忠衆院議員のブログに、中国の 覇権主義の危険性が記載されています。
私が、土屋議員の国家観は本物と記したのは、12月19日に開催された「 歴史議連」で、上記の発言を拝聴したためでした。また、土屋議員は、「自民党防衛部会に殆ど出席しているが、米中で大平洋を東西で分割して統治することなどを、中国が米国に申し入れしているのに、お金のことばっかり」などと、危機感のない現状を憂いてたのです。
その前にも11月17日、 国籍法改正案の慎重審議を求めた「緊急会合」の席で「ここまできたら、実力行使してでも止められないか」との発言も立派でした。仮に、20人位が決起したら状況は違っていたでしょう。

次の衆院選は、 土屋正忠議員と 菅直人議員、また、戸井田とおる議員と 松本剛明議員(1000万移民推進)、 馬渡龍治議員と 近藤昭一議員(親北朝鮮)の選挙区を、国家観の象徴した一騎打ちの戦いになるように、支援するため応援しなくてはならないのです。

皆さん、ネット勝手連で沢山アイデアを出し合って下さい。宜しくお願いいたします。
ネットだけ転載フリー。ジャーナリスト・水間政憲

●土屋正忠ブログ http://blog.livedoor.jp/shugiin08846/
●水間政憲まとめ http://www.freejapan.info/?_FaxSaikyou
●mixi水間政憲 http://mixi.jp/view_community.pl?id=3908168

2009/01/02(金) 11:14:37| URL| #-

投稿: ttttt | 2009/01/03 02:23

あけましておめでとうございます。

こうして共産主義について、まとめていただくと、マルクス主義とは何と馬鹿げた思想だと改めて理解できる貴重な力作だと思います。

共産主義思想からは、ソ連や中国や北朝鮮のような苛酷な体制しか生まれない。
なぜなら、マルクスというアフォはプロレタリアート独裁の必要性を弁証法から論じただけで、その制度的内容も制度的保障も全く規定せずに、ただプロレタリアート独裁を確立せよと喚いていただけだから。
これだったら、ある独裁者が自分の政治はプロレタリアート独裁だと言ってしまえば、すべてまかり通ってしまうということは、子供でもわかる。
こんなことがわからない共産主義者というのは、本当のアフォなのでしょうね。


投稿: 善人 | 2009/01/03 18:54

 昨日(1/2)の続きでございます。

 組織は一人歩きし、ときに設立目的さえ忘れて肥大、延命を図るというお話をいたしました。それが既得権益に根ざすことも。

 今日は「宗教はアヘン」についてのあたくしの解釈でございます。
 鎮痛剤としてのアヘンにすがって現実の世界を見ないのはいけない、というのは事実上、宗教の否定ですわ。せいぜい強弁しても、改革に邁進して疲れ果てたとき、精神の安定を保つだけのために少量のアヘンを服用なさい、ということにしかなりませんし、現実の階級「闘争」やゲバルトを容認する革命が教義に背違する局面に至ることは避けられませんわ。

 最大の問題は、唯物史観にとって宗教が相入れないだけでなく、既成宗教団体が強大な既得権益を持つ「組織」であったことじゃございませんかね。しかもそれが人心掌握に長けた組織となると、看過できませんでしょ。
 マルクスがクリスチャンであったにせよ、また(資料にあたっておりませんのでよく分かりませんが)仮に彼が、ときに祈りを捧げていたにしても、少なくとも教会は敵だと認識していたのではありませんでしょうかしら。

 また書かしていただきます。

投稿: A子 | 2009/01/04 01:41

A子さんが宗教のことについて書かれていたので、私も。

宗教は阿片(痛み止め)・・・は宗教の否定。これは同感。
   (ただし、反対方向の議論の意味になると思う)
また、「宗教とは人間が作ったもの」は、間違ってないが、
「宗教の本質は人間が作ったもの」とすれば、宗教否定。
自分としては「宗教の本質は人間が作ったものと安易に言い切るべきではない」という立場です。

つぎにマルクスのキリスト教への態度については、非常に興味深い。マルクスがクリスチャンの側面?冗談じゃあない!マルクスは・・・宗教の全否定! いや、正確にいえば、既成の宗教の全否定! じゃあ無宗教者かといえば・・・否、「唯物論」教という新たな宗教を打ち立てた!ここまでは、むしろステレオタイプ的見解ですが、面白いのは、ウィキペディアに載っている「>神が人類および人間自身を最高たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、神はこの目的を達成しうるための手段をさ がしもとめることを人間自身にゆだねた。神は、人間にもっともふさわしい。そして人間が人間自身と社会とを最もよく高めることができるような立場を社会の中でえらぶことを人間にゆだねたのである」「宗教そのものは、万人が追求する理想が人類のために自己を犠牲したことをわれわれに教えている」(マルクス・エンゲルス全集40巻515~519頁)」(引用終わり)

これは非常に興味深い。建前や言葉の綾ととる人もいるかも知れないが、自分としては、マルクスの深淵を除き見た感がつよい。
・・・まさに、「新しい宗教」を打ち立てた、といえよう。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/04 21:56

連投すみません、昨夜ミスって消えてしまった分です。

別の投稿で「大きな残酷の起原」は、むしろマルクスに既にある、という趣旨を書きました。
 もちろん、坂さんの仰るように、社会主義国での人権意識の未発達が、現実の残酷にとって大きかったことは、そのとおりだと思いますが、自分としては、相乗効果的となったのでは?です。

もう一つの疑問とは、マルクス自身はブルジョア的生活者で、むしろ大いなる差別主義者ではないか?!そして、身近の家族に対して明らかに残酷だ。はっきりいって冗談ではないのでは。
・・・この欺瞞がもしも反対側のものだったら、左翼なら、それこそ「完膚無きまで糾弾される」類のものだ!

レーニンだって初めから残酷だったじゃあないか。いったい左翼の人々は、なぜこういったことに目を瞑るのだろう。反対ならば全く容赦しないにもかかわらず。

こういったことは、なんか、初めからプロパガンダの臭いがしないだろうか。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/04 22:23

 前2回の投稿で、あたくしは「組織」の本質ということについて考えたかったのでございます。

 たとえば「草の根運動」というのがございますが、多くの場合、有効な政治パワーにはなりませんでしょう。
 パワーを持つには組織が必要ですし、財政的な基盤も必要になります。早い話、現実の政治やマスコミの偏向に疑問を呈して飛び交う、ネット上の意見を集約できる受け皿としての組織さえあれば、公明党に対抗するぐらいの勢力はすぐにでもつくれるはずですわよ。
 ただ、組織というのは一旦できてしまうと一人歩きし、ときに設立目的さえ忘れて肥大、延命を図る危険があるということを申し上げたいのですわ。
 そこでは「運動方針」として「敵の敵は味方」というような、ある意味節操のない方向が示されることもございます。

 ともあれ、共産主義革命が「一党独裁」を理論の柱に据えたことは両刃の剣だったと思いますの。
 いくら高邁な思想を据えようと、効果的なチェック機構を持たない限り、組織は常に変質や堕落の可能性に晒されておりますし、既得権益を擁護する腐敗もございますからね。

 制度は違えど、日本の官僚を眺めているだけで、社会主義の失敗を見てしまいます。

投稿: A子 | 2009/01/05 10:30

 連投ゴメンなさい。

 朝日ウオッチヤーさんのおっしゃること、よく分かります。
 いくつか感じたことを…。

>>マルクス自身はブルジョア的生活者

 これはその通りですわね。でも、明日のパンにも困る人々は哲学的なことを考える余裕はございませんでしょうし、せいぜい一揆の担い手になるぐらいですからね。マルクスはそれに理論的な支柱を与えたということでしょう。

>>「唯物論」教

 表現としてはよく分かりますけれど、それは宗教とは呼べませんでしょう。
 「立場のないのが私の立場だ」という言い方に似て、ある状況では意味があるかも知れませんが、かなり微妙な表現だと思います。
 宗教そのものについてのお話をなさってましたから…。

>>…反対ならば全く容赦なく…

 そうですね。議論というのは、互いに自分や相手の意見を論理的に評価しながら行なえればよいのですけれどね。
 ただ、組織を通じての議論となりますと、方針に合わない意見は出てまいりませんし、個人として喋っていても、属するグループの話し方からは逃れられないのかも知れません。
 ゆっくりと、腹を割ったお話のできる方が素敵ですわね。

 これからもよろしくお願いします。

投稿: A子 | 2009/01/05 11:17

今晩は。A子さんへは・・・レスを有り難いです、よろしく。
実は、自分はこの分野の知識が致命的に不足しているのを感じて、やばかったと思い、結構恥じ入っております。
ウィキペディアを見ると、かなりマルクス主義批判がよくまとめられており、よく読んでから投稿すべきだったかと・・・特に、人間哲学と社会哲学?科学?を問題の焦点とするには、「弁証法」の考察が最重要と思われるのに、自分はやっておらず、認識論すらもそうです。申し訳ありません!(それでも蛮勇をふるって、もう少し書かせていただきたいと思います・・・にわか勉強しながら。坂さん、皆さんすみません!)

A子さんの、組織論?については殆ど同意です。

> マルクスはそれに理論的な支柱を与えたということでしょう。
それはそうです。ただブルジョアだからということよりも、(もっと付け加えて述べたことから)・・・プロレタリアに共感して書いたとは到底思えない、そこに大きな欺瞞を感じるということです。

>>「唯物論」教
> 表現としてはよく分かりますけれど、それは宗教とは呼べませんでしょう。「立場のないのが私の立場だ」という言い方に似て、ある状況では意味があるかも知れませんが、かなり微妙な表現だと思います。宗教そのものについてのお話をなさってましたから…。

真に仰るとおりです。ただ、これも後に提示したウィキペディアとの関連で見ていただきたい。・・・ただの「唯物論ではないぞ」と感じるわけです。レーニンにしても聡ですが「既存の宗教に対する憎しみに尋常ではないものを感じる」わけです。そして、実際その恨み・憎しみの言葉が生々しく残されているわけです。
・・・例えば「>>神の世界は皆なくなっても、復讐だけ残っている」「高いところに君臨しているあの者に復讐したい」など、いったい「冷静な科学であるはずの唯物論者」の言う言葉だろうか?!
・・・その理論の荒っぽさ(精緻でない)、特に人間哲学に対する荒さというか欠如というか、マルクスもレーニンも、相当頭がよかったらしい点を考慮するに、無理やり「唯物論的社会主義」を打ち立てた感じもないでもない。「科学的~」というのも、プロパガンダの臭いを感じてしまうわけです。


いわば・・・ヒトラーもキリスト教を異常に憎んだ、しかし、むしろ原初的宗教の復権を望み、ダーウィンの進化論を信じた。しかしカルト的だったわけです。
その、キリスト教やそれを生み出したユダヤ人に対する異常な憎しみといい、マルクス主義との類似を強く感じずにはいられません。そう、宗教といって悪いければ「カルト」です。とにかく「冷静な科学」・・・なんてもんじゃあない!と思うわけです。

それではまた。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/06 00:12

以下の引用について、捕捉したいと思います。
「>神が人類および人間自身を最高たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、神はこの目的を達成しうるための手段をさ がしもとめることを人間自身にゆだねた。神は、人間にもっともふさわしい。そして人間が人間自身と社会とを最もよく高めることができるような立場を社会の中でえらぶことを人間にゆだねたのである」「宗教そのものは、万人が追求する理想が人類のために自己を犠牲したことをわれわれに教えている」(マルクス・エンゲルス全集40巻515~519頁)」(引用終わり)

これは、マルクス主義を考えるのに非常に重要だと感じています。これの殆どは正しいとも言えると思いますが、問題は「言い過ぎ」と言う点にあるのでは、と思っています。

あるサイトでsilkyeasyriderさんというHNの方が、端的に、>>共産主義というのは『人口国家組織を作る』という考え
・・・と言ってましたが。一言で言えばそういうことでしょう。

また、上記に引用したマルクスの言葉は・・・聖書や神話の中でも最重要の、つまり古代から伝えられてきた叡智とも言える、人類にとって大きなテーマでもあると思う。勿論、哲学にとっても非常に重要なテーマだろうと。
 その記述の中から、神を取ってしまえば、唯物論的社会主義の思想と実質変らないのでは?と。・・・しかし、これが神話・若しくは聖書に類するソースからの発想であった場合どうだろう?

――― 果たして、マルクス主義が本当に唯物論だと単純に言ってようものか? というところです。
――― つまり、「新しい科学」を装っているが、実は古代からのある思想の「近代科学の皮を被った」焼き直しではなかろうか?ということです。

それは、また、実にヒトラーにも当てはまるところだろう。
ヒトラーには古代回帰的な野心願望があったし、宗教感にも、しかしナチスは、恐るべき近代兵器を開発した。
レーニンもヒトラーも狂気的な発作が共通していた。
ヒトラーの本心はごく僅かの側近にしか打ち明けなかったようだが、マルクス主義にもそんなところがあるのではないだろうか?
マルクスの言動の矛盾に、そう思えるわけです。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/07 01:05

朝日ウオッチヤーさん
 レスありがとうございます。

 お説、よく分かりました。表現は違えど、結局マルクス主義は人間性の考察に手抜かりがあったということなのでしょうね。

 ただ、何度も書いております通り、あたくしは組織というものへの考察がもっとなされるべきだと思いますの。
 草の根運動は概して有効な政治力を持ち得ず、パワーを発揮するためには組織が必要ですわね。
 一方で組織はできてしまうと一人歩きし、場合によっては設立の理念さえ忘れて肥大・延命を図る。これ、永遠のパラドックスかも知れません。

 現実的な観点に立てば、組織内に効果的なチェック機構を備えるべきだということになりますわ。たとえば三権分立のような。
 そして官僚というものは放っておくと腐敗するという前提で、ものを考えるべきだと思いますことよ。
 そういう現実へのチェック機構の整備を顧みずに、一党独裁を理論に組み込んだのはマルクスの失敗だったのではないかと思います。

 世界革命を目指した共産主義のもう一つの弱点は、国家というのは最終的な、そして最大の利益団体としての組織である、ということでしょうか。

投稿: A子 | 2009/01/07 10:51

どうも今晩は。A子さんへのレスの形です。
> お説、よく分かりました。表現は違えど、結局マルクス主義は人間性の考察に手抜かりがあったということなのでしょうね。

坂さんもその点はご指摘されてて、致命的な欠陥だと思います。
(「新たな宗教」という認識は、ちょっと先走ったようです、すみません。混乱を招くので「一般の唯物論」としておきます)
唯物論自体が、人間性に対する考察を欠きがちだと認識します。
・・・霊的存在が否定され、精神性さえ曖昧にされてしまうからではないだろうか?と。しかも、そのまま行動、さらに飛躍して革命なければ哲学の意味が無いかの如く、壮大な世界革命へと突っ走るわけですからたまりません!「哲学本来の内面性重視」を切り捨ててしまった如く。
 そして、ソクラテスに対するソフィストの「新たな科学の皮を被った」逆襲のような面もあるのでは?と感じます。そういう意味では、好んで「人間を知ることこそ宇宙を知ることに通じる」というものを、遠ざけている気がします。

> ただ、何度も書いております通り、あたくしは組織というものへの考察がもっとなされるべきだと思いますの。

重要だと思います。また民主主義の点検・充実といったことも絡んでくる。この点は、確かに坂さんの記事への捕捉となっているのでは、と思います。

> 草の根運動は概して有効な政治力を持ち得ず、パワーを発揮するためには組織が必要ですわね。

まさに現在日本の保守勢力の最大欠点かと。とくに大半のマスコミが左傾化している現状では、極度に深刻で、衆愚政治化であり民主政治最大の危機となっていると認識します。

> そして官僚というものは放っておくと腐敗するという前提で・・・
> そういう現実へのチェック機構の整備を顧みずに、一党独裁を理論に組み込んだのはマルクスの失敗だったのではないかと思います。

マルクスかレーニンかの重大な失敗と同感です。
また、一方いくらチェック機能が整備されても完璧は有り得ないし、個人の資質も大きいわけだから、内面の哲学の重要性肝心でしょう。制度の欠陥を補って余りある意義だろうと。プラトンの「哲人政治論」も意味がると思う。

> たとえば三権分立のような。

今度の改正国籍法のきっかけとなった最高裁判決では、ものの見事に、それが犯されて、しかも殆どの議員も国民もそれに気付かず、国会に至っては完璧に屈服してしまった。大半のメディアも加担、恐るべき状況にあります!
(最後の質問の趣旨は、ちょっとはっきりしませんでした)

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/08 00:07

お久しぶりです。
いつもROMさせていただいておりますが、何となく最近お疲れのようなので、つい応援させて頂きたくと思い、個人的に興味のあるこのエントリーにコメントさせて頂きました。

経済に関する書籍として、高橋是清氏(第20代内閣総理大臣)、下村治氏(国民所得倍増計画を唱えた池田勇人内閣では経済ブレーン)、石橋湛山氏(第55代内閣総理大臣)、星野直樹氏(Wiki:日本の傀儡国家である満州国では、形の上で満州人の総理大臣を置いていたが、実質上の総理は日本人が務める国務院総務長官であった)が書かれた書籍をこれまで勉強させて頂きました。平易な文章で書かれているのでこれらは理解しやすかったのですが、私にとって、乗り越えられない壁がマルクスの資本論です。国家の罠を書かれた佐藤優氏が一目を置く「革命家ではなく、資本主義システムを分析した経済学者としてのマルクス」を理解したいと思いつつ、坂さんがいつか気の向かれたときに解説頂けると嬉しいです。応援しております!

投稿: こん | 2009/02/13 00:13

マルクスについて調べていましたところたどり着きました。大変、勉強になりました。ありがとうございます!

投稿: syouse | 2011/02/12 16:47

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