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2009年1月

2009/01/30

私は元気です!

皆さん、お元気ですか?
私は忙しすぎて更新もままなりません。
まあ、依存症ですから、酒を飲む時間はありますが・・・

ところで、更新もしないのに、人気ランキングでは20位以内。
アクセスも6,000を常に超えています。ユニーク数(実訪問者)は5,000弱。
やはり、コアなファンの方がおられるのですね。
感謝!の言葉しかありません。

コメント欄の常連は変わりましたが、以前の方にも戻って来てもらいたいものです。
3ヶ月以上、何の前触れもなく更新が途絶えることもたびたびでしたが、私は元気です・・・多少、疲れていますが。

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ああ、今日は疲れた(元気の裏返しかな)。
日本のサラリーマンは、皆そうなのかも???
でも、僕らは、くたくたに疲れても、あるいは職をなくしても、「派遣村」に駆け込んで生活保護を申請するわけにはいきませんからねえ・・・

共産党系の労組の旗が林立し、「解雇された派遣社員よりもホームレスが多い」と言って怒っていた派遣がいた現実。
この左翼のプロパガンダに同調したメディア。
もう、今日は、疲れにアルコールが加わって、これ以上を語れません。

みんな、キツイのは同じ。
めげずに頑張ろうよ!
投げ出すのは簡単だけど、それを他人のせいにしたらオシマイだよ。
解っているのかなあ・・・
いや、みんな解っているさ。

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自分の人生は、自分で面倒見るしかないって!!!

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2009/01/25

「君が代」を直立不動で歌う朝青龍

朝青龍が優勝しました。
引退すらささやかれていた崖っぷちからの凱旋です。
素直に「おめでとう」と言いたい。

最近の相撲、あまり視ていませんでした。
理由?
単に、面白くない、それだけです。
が、今日の優勝決定戦、久しぶりに興奮しましたね。
観衆は正直で、朝青龍に大歓声を送っていました。

まあ、相撲も柔道や剣道と同じ「道」であるとすれば、朝青龍はちょっと「道」を踏み外していますね。彼にとっては「道」ではなく格闘技でしょう、相撲は。
でも、やはり彼は魅力があります。
メディア的には「悪役」ですが、正直なんですね自分に。変に計算しないし、脚色もしない。とにかくストレートです。
そこが彼のいいところ、ボクシングの亀田親子との違い。

相撲も国際化しています。柔道が国際化して「ジャケットレスリング」になったように、相撲も「道」ではなく格闘技になる、これも仕方のないことでしょう。
八百長は許せませんがね、伝統とはいえ。やはり「悪しき」は廃絶すべきです。「花を持たせる」なんて、スポーツ化した「今」では通用しません。

ところで、朝青龍。「君が代」を直立不動で歌ってましたよ、右手を左胸に当てて。インタビューに応えて「日本が大好きです」「私は日本の横綱です」と語っていましたよ。
野球のWBCやサッカーのW杯、オリンピックなどでも「日本頑張れ!」と熱くなっていましたし。
育ちもあって、礼儀作法はイマイチですが、日本的なものに憧れているんじゃないですかね。
彼を見ているとそんな感じがします。

「朝青龍はまた帰ってきました。ありがとう」、この言葉と目に浮かべた涙にそれを感じたんです、私は。

野球の王貞治元監督は、「日の丸が掲揚されると自然に背筋がピンと伸びる」と語っていました。「君が代」が奏でられる時は、同じ姿勢で必ず帽子を取る。
これができない日本人がけっこういるんだよなあ・・・

朝青龍!
これからも頑張って、相撲を盛り上げてくれ、頼むよ!

【追記】
ちなみに、私は魁皇のファンです。
酒とブルースと虎と魁皇、最高じゃないですか、そう思いませんか?

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2009/01/24

中国農村女性の悲しき運命

今日も復刻シリーズです。目に留まった(私は忘れていた)エントリを紹介させていただきます。

中国農村女性の悲しき運命 2006/02/09

「現代中国で何が起こっているか」という、要 紘一郎氏のHOME PAGEがある。
広東省の週刊紙で、中国メディアの良心とも呼ばれる「南方週末」の記事を翻訳したものが中心。2000年から2006年までの主要な記事が翻訳されており、現代中国の市民レベルの実態を知るうえで非常に役に立つ。私も、このブログで何度か記事を引用させてもらった。

以下の記事は、今年の1月5日に「南方週末」に掲載された、現代中国の農村女性の、一つの典型的な生き様である。
中国の農村、社会制度、女性の地位、男や女の意識などを知るうえで大変興味深い。全文引用させていただく。


阿珍、彼女は江西省の有る貧しい村で生まれた。幼少時に母を亡くし、3才と生まれてすぐの二人の弟が居た。母の死後10年以上経つが、お金がなくて父は後添えを迎えることができなかった。そして遊び場の女性を相手にしたり、酒におぼれるような日々を
送っていた。稼いだ金は全て酒に注ぐような毎日で、女性との間にもめ事が絶えなかった。

阿珍が6才になるともう一人前として食事の用意や洗濯を任された。鼻水を垂らした
二人の弟も彼女が面倒を見た。阿珍は小学校だけは出た。学校の先生はそのことを
とても残念がってくれた。「このような元気で将来性の有る子供が学校に行けないなんて、何という不幸なんだろう」と。

13才になると男性のように今度は薪割りや田植え、芝刈り、稲もみなども手伝わされた。
毎日の仕事は正に“重く苦しい”ものであった。それでも彼女は大人の女として身体は大きくなっていった。
ある夜、村の一人の男と遊んだ。しかしその男は直ぐに相手を変えた。

16才の正月の3日目、破れた戸口に一人の身なりの好くない目の鋭い男が立っていた。
父が「弟たちも次第に大きくなってお金がだんだん多く必要になってきた。お前はあの男と一緒に女廊に行って働け」と命令した。
阿珍の心は驚きと不安とそして、“やっぱり現在の環境から逃げられる”という考えが
湧いてきて、その男に従った。
父からは毎日のように殴られる生活であったのだ。

阿珍は言う。他の人から見れば私達の商売はお金が大きく動き、仕事の中身も簡単に見えるかも知れない。しかし私は毎日のように泣きました。どの男も狼のように私を扱いました。
男達から毎日身体を求められ、しかしそこにはどんな愛情もなかった。
阿珍が18歳の時、女郎に初めて来たという男が見えた。その男はとても緊張していた。
阿珍はその男が好きになった。しかしその男は実際には良い点は何もなかったのだ。喧嘩早く、ほらを吹き、威張り、お金を簡単に消費した。阿珍がその男を好きになったのは、最初の初々しいと思えた第一印象の為であった。
阿珍は職業上多くの衣服を持っていた。求められるまま、それらを売ってその男に貢いだのだ。

阿珍には“愛情”とはどんなものか、まだ全く分かっていなかったのだ。しかしその男に捧げることが、阿珍にとっては大切な“愛情”であった。
そして6年前、記者が阿珍に出会った頃、その男が喧嘩をし、相手を植物人間にし、
投獄され15年の刑を受けることになった。
そこでその男との縁も途切れた。

阿珍はお金を貯めては男に捧げていたので、ほとんど残っていなかったが、それからは何とかその男を救出しようと努力してもみた。
その男がこれまで喧嘩をするとき、阿珍は地面に跪いて止めようとしたものだ。そんな彼女の願いは報われなかった。それも「運命だ」と彼女は言う。

阿珍は正月が来ても家に帰らない。帰ればきっと父に殴られるだろう。そして今では
弟たちも誰も家にはいない。かつての男とも今となっては、ただ苦痛の想い出だけが
残っている。

阿珍は3年も経てば、どこか遠くへ嫁に行って、そしてもう再び男に弄ばれるようなことはなくなるだろう、と言う。
その3年で貯めるお金のことを考えた。
彼女は1年で3万元程貯蓄できる。父に家を建てるために4万元与え、弟にも3万元与えて結婚させ、そして残りは自分の将来の夫に提供する。
ふしだらな男にお金を捧げることはもうしません、と誓う彼女。しかし彼女の説明する
貯金の提供先は、父、弟、将来の夫で、どれも“男”だ。

その採訪から1年して私は阿珍から便りを受けた。彼女は公安の手入れで捕まり、罰金として数千元取られた。そしてその街で働けなくなり、違う街へ移ったという。

そして又1年して彼女から連絡が来た。
ついに彼女の念願の日が来たのだ。嫁入り先が決まったのだ。それは生まれた土地から相当離れた村であった。
彼女は父に家を買った。弟にもお金を渡し、村の嫁を貰う手はずが整った。
そして彼女の2番目の弟が20才になり村に好きな娘ができた。しかし婚約に必要な
数万元というお金ができず、今はそこまでは援助できないと言う。

ここで阿珍の話は終わる。彼女の物語は、まさに涙なしには聞けない苦痛に満ちている。最後には故郷から遠く離れたところへ嫁に行った。
でも、こんな言い方を許して欲しい。彼女は勾麗と比べればすっと幸福な人生ではないだろうか。
彼女の受けた傷は命には別状がなかったのだ。新しい生活が始まり、それは過去を
消してくれるのだ。
彼女の幸せを祈る!

勾麗や阿珍 (2006/01/05 南方週末 王文)

なお、「勾麗」という女性については「娼婦の生前日記が悲しき運命を語る」というタイトルの記事を参照されたい。

今の中共体制の下(もと)にある中国は、共産主義とは無縁の社会。実態は、弱肉強食の資本主義社会である。
その一方において、とくに農村部では封建色が強く残り前時代的。そして貧しい。こういう社会では、常に女性が、家族が生きていくための犠牲にされる。
そして女性は、その立場を甘んじて受ける。

戦前の我が国がそうであった。とくに昭和初期の、昭和恐慌と凶作というダブルパンチに見舞われた東北地方の農村では、娘の身売りが後を絶たなかった。
昭和9年、山形県のある地方では、9万人の人口があったが、そこで2000人もの娘が村々から消えたという。農村の壊滅的な貧困と男尊女卑。これが、女性に「家族が生きていくための犠牲」を強いるのである。

この農村の悲惨な状況が、昭和11年の青年将校による2.26事件の原因の一つに
なったと云われる。兵隊の姉や妹が、続々と身売りされたからである。

幸い今の我が国は、豊かで自由で民主的である。「家族が生きていくために娘を売る」なんてことは、まずない。
が、現代中国では、一部では繁栄を謳歌しているが、取り残された地域は、70~80年前の我が国と同様の状態にあるということだ。
今の中国において、都市者の平均的賃金は1月1,000元前後(15,000円)。しかし農民の収入は、1日働いて約10元(150円)、1月300元(4,500円)程度にすぎない。
しかも農民は、法令に定めのない各種の税金を徴収され、ときにはタダ同然で土地を
取り上げられる。

中共当局は、「三農問題」の解決」を声高に叫んでいる。「三農問題」とは、「農民」
「農村」「農業」の問題。その目指すものを具体的に列挙すると、「農業の振興」「農村の経済成長」「農民の所得増と負担減」である。
これは、胡錦濤が中国共産党総書記に就任した2003年から、中国共産党の政治上のテーマとして正式に取り上げられるようになった。

しかし、昨年、中国で起こった暴動や騒乱は8万7千件にのぼる(中国公安省)。発生
件数は、2004年に比べて6.6%増と確実に増えている。当局の土地収用に反対する
農民の抗議行動が主で、毎日238件起きていることになる。
この深刻な事態に対し、中国・広東省トップの張徳江・共産党省委員会書記(党中央政治局員兼務)は19日、党や政府の当局者が土地収用など不動産開発に関与することを禁止し、違反した場合はただちに免職する方針を示した(06年1月21日 読売新聞)。
中央政府の温家宝首相も、昨年末に開催された中央農村工作会議で「農民の民主的権利を守り、物質的な利益をも与えなければならない」としたうえで、「農村の生活の質を高め、公正さと正義を保証することこそが、極めて重要なことであり、緊急の責務だ」と強調した(新華社電)。
そして、われわれは歴史的な過ちを犯すことはできないと指摘し、
危機感をあらわにしている。

一昨日の讀賣新聞朝刊【膨張中国】において、中国人の研究員・何清漣氏(元「深圳法制報」記者)は、「胡錦涛時代になると、問題を根本的に解決できないと(中共指導部は)悟った。(だから)指導部は、民衆を愛しているという演出と、党への脅威と感じる
批判や行動を抑圧することだけに専念している」と指摘している。
そして今の中国は出口のない状態であると・・・

つまり「三農問題」は、いつまで経っても解決できず、阿珍さんのような農村女性の悲劇は、これからもなくなることはない。

私は、過去のエントリー「世界の奴隷工場:中国」で、中国の工場における出稼ぎ者の悲惨な実態は、まるで我が国の戦前における「女工哀史」と同じと書いた。
そしてまた、本日、中国における農民の悲惨な実態は、まるで我が国の戦前における農村と同じか、それ以下と書かねばならない。

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2009/01/17

あの安田砦攻防戦から、もう40年

連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫(くじ)けることを拒否する。

これが当時の全共闘運動の神髄です。

1969年1月18、19日。あの安田砦攻防戦から、もう40年。

「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します」

この放送、赤いソノシートが擦り切れるまで聞きました。
当時、高3直前の私には強烈でしたね、このメッセージが。
一言で言えば屈辱。
で、絶対に俺たちが「時計台放送」を再開するんだと強く誓ったんですが、最初のゲバルトが内ゲバ、ああ、むなしい。
まあ、今日は多くを語りません。

この時の安田砦の社学同(Bund)、赤いヘルメット、かっこよかったなあ・・・

ほんと、ミーハーでしたよ、当時の私は。

時間が取れれば、当時のことを反省を込めて書きたいと思っています。
何卒、ご容赦を!!!

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2009/01/11

ニュースは「韓国最高!」だが現実は???

このブログは、韓国や中国(中共)に関するエントリが比較的多いです。まあ、政治的立場からすれば、特ア3国に言及する頻度が高くなるのは当然ですけどね。
ただ、盧武鉉くんが退陣してからは、さすがに韓国がらみの記事は少なくなりました。面白いニュースがないんですよね、今の韓国。“東アジアのお笑い芸人”の存在は、それだけ大きかったということです。

ところで今日は、韓国に関するエントリの中で、もっとも人気のあったエントリの再掲です。金融危機で瀕死状態の、今の韓国の姿を思い浮かべながら読んでいただければ、面白さも倍増すると思います。

ニュースは「韓国最高!」だが現実は??? 2006/08/26

韓国が9年後に、一人当たりの国内総生産(GDP)で米国や日本を追い抜くそうだ。
これは、韓国内の学者や研究機関が発表したものではない。
とりあえず、以下の記事を読んでみてほしい。


9年後の2015年に世界経済における韓国の位置を占う資料が発表された。

英国シェフィールド大の「SASI」(社会と空間の不平等に関する研究グループ)と米国
ミシガン大の研究チームが「世界経済力地図」を作成した。これは世界各国をその国の面積ではなく経済力に比例した大きさで表し、地図にしたものだ。

この資料はPPP(最終支出の購買平価、各国の物価水準を考慮した購買力評価)基準で国民1人当たりのGDP(国内総生産)を元に作成され、韓国は世界6位(3万8249ドル
)を占めるという結果が出た。ここでは韓国が米国(7位・3万8063ドル)や日本(9位・
3万5694ドル)を上回っている。

研究チームは世界銀行や米中央情報局(CIA)、国連貿易開発会議(UNCTAD)など9つの機関の資料を参考にした。

(後略)

「2015年に世界6位」 韓国のGDP、米日抜き間近!? (2006/08/26 朝鮮日報)

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まあ、この記事を読んで真に受ける日本人はいないだろう。皆さん、韓国の実態をよく
知っているからね。

英国シェフィールド大や米国ミシガン大は、それなりに評価の高い大学だが、この未来予想はちょっとお粗末すぎる。
分析は、やはり、机上の数字だけではなく、現地のナマの経済情報を集積しないと正確とは言えない。

案の定、韓国の経済専門家は、上記の分析結果を、「現在進行している構造的な変化を今回の調査結果は全く考慮していない」と指摘している。

サムスン経済研究所の丁文建(チョン・ムンゴン)専務は、「韓国は2000年代に入って、経済システムの至る所にブレーキがかかっている状態にあり、その代表的な例が高齢化や成長率低下だ。韓国に関する予測は過大評価されたもの」と話した(2006/08/26 朝鮮日報)。

冒頭の記事による予想は、6~8%台のGDP成長率を前提にしている。また、急速に
進む韓国の少子高齢化や構造的要因による国内消費の低迷、潜在的な高失業率などを反映していない。

韓国のGDP成長率は、1997年のアジア経済危機までの10年間(1987~1996年)に
おいては平均で8.1%の高成長を記録している。が、2000年以降(~2005年)は平均で4.5%と急激に減速した。
失業率は3%台の低水準だが、失業率に反映されない求職断念者が多く、また、青年層が失業者の半数近くを占めている。一部の有名大学を除き、大学卒業生は卒業後に
数年間は就職できないことが現在でもごく普通であるという。
少子高齢化の急速な進行も顕著であり、そのペースは日本を上回っている。韓国の2005年の出生率は1.08(日本は1.25)。高齢化もハイペースで進行しており、2050年には高齢者の比率が37.2%(日本は35.7%)になると予測されている。

長期にわたって低迷を続ける国内消費に代わって韓国経済を支えてきた貿易も、2005年以降は黒字が大幅に減少している。
ウォン高に原油高が重なって、2006年上半期の貿易収支の黒字は、わずか72億ドル(前年比40%減少)にすぎなかった。また経常収支も2~4月は赤字(同時期の日本の貿易黒字は343億ドル、経常黒字は800億ドル)。
韓国の貿易収支が悪化を続けているのは、慢性的な対日貿易赤字が原因である。これは、韓国経済の「日本から部品、素材などの中間材や設備、機械などの資本財を輸入し、製品に加工して輸出するという産業構造」に起因するものであり、一朝一夕には
解決できない。
なお、今年の対日貿易赤字は、過去最高だった2005年の243億ドルを上回る勢いで
ある。

以上をまとめると、2000年以降、韓国のGDP成長率は年平均4%台を低迷し、消費-投資-輸出の循環が滞り、内需や投資の不振が長期化している。そして、先進国入りを成し遂げる前に「少子高齢化社会」が始まった、ということだ。

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韓国経済が再生するためには、対日貿易構造を改革することと内需を喚起することが
不可欠である。が、対日貿易構造の改革は一朝一夕にはいかない。
では内需はどうか?
実は、これも深刻な問題を抱え込んでいるのである。

1997年のタイのバーツ暴落に端を発した「アジア経済危機」の時、韓国経済は極めて危険な局面に立たされた。相次ぐ企業倒産や金融機関の破綻が大量の失業者を生み出し、多くの財閥が崩壊した。韓国政府はIMF(国際通貨基金)から融資を受けることによってこの窮状を切り抜けようとした。
このとき、内需を喚起するために金大中(キム・デジュン)政権(当時)が採った政策の一つが、クレジットカード奨励策だったのである。

韓国は元々、儒教の影響が強い国だから、カードは借金という意識が強く、そのため
カードは嫌われていた。そこで、政府主導で全国の店舗にカード端末機を設置し、国民のカード利用を奨励した。
その結果、カード決済の割合は急速に伸び、2002年には何と58%以上に達した。当時
の日本は、まだ7%ほどだったから、この数字がいかにすごいものであるかが分るであろう。
1997年の「アジア経済危機」以前には、カードはほとんど使われていなかったことを
考えると、これは革命的変化であるともいえる。

ところが、このときのクレジットカード奨励策は、一時的には内需の拡大に貢献したが、今になって韓国経済の重荷になっているのである。
韓国では今、個人破産者が急増している。今年上半期(1~6月)の申請者は約5万人に達した。2002年約1300人、03年約3800人、04年約1万2000人、05年約3万8000人。年を追うごとに急速に増えている。

2004年の日本の個人破産申請件数が約23万人(1,000人中1.8人)であることを考えると、韓国の半年で約5万人というのはかなりの割合である(韓国の総人口は日本の約 38%)。
しかも韓国では、個人向けローンの返済遅延者が増え続けており、3カ月以上返済を
延滞している信用不良者の数は、2003年4月の時点で300万人(経済活動人口の約13%に相当)を超え、8月末時点では約341万人となった。
そして、信用不良者のうちクレジットカード関連が約200万人以上を占める。

つまり、半年間で5万人(年間10万人ペース)の個人破産申請者の背後には、300万人以上の破産予備軍が控えていることになる。
この、総人口の7%にも達する信用不良者の存在が、韓国経済における内需低迷の
大きな原因の一つになっているのである。

まさに、韓国経済は内憂外患(内需の低迷と貿易収支の悪化)の状態にある。9年後に、一人当たりの国内総生産(GDP)で米国や日本を追い抜くなんて絵空事にすぎない。
にもかかわらず、国家の最高責任者である盧武鉉くんは、「残りの任期に改革政策を
推進するのは難しい」とか「わたしのどこが間違っているのか、具体的に挙げてほしい」「誰が政権についても同じだ」などと、まだ任期が1年半も残っているのに投げやりな
発言に終始している。

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米国内に不法滞在中の韓国人が21万人にのぼり、その規模が年々6%ずつ増えていること。この数は、ラテンアメリカ諸国を除くと、インド(28万人)、中国(23万人)についで多く、全体でも6番目になること(米・移民統計局―OIS報告書)。
この記事を読んだ時、徴兵制のせいかな?と思ったが、それだけではなく、膨大な数にのぼる「信用不良者と青年層の失業者」の存在が背景にあることが、今回調べてみてよく解った。
韓国の人口はインドの5%未満、中国の4%未満、にもかかわらず、米国内の不法滞在者数は、この両国と大して変わらない。

民主主義国家であり、豊かなはずの韓国で、なぜストライキが頻発するのか、なぜ集団的騒乱事件が後を絶たないのか。
韓国の豊かさの実態を知って、納得した次第である。

参照1:韓国経済の現状と 日韓経済関係 (外務省北東アジア課)
参照2:韓国経済の早すぎる老化現象 (朝鮮日報)
参照3:今年の対日貿易赤字、過去最大になる見込み (朝鮮日報)
参照4:6月の輸出、過去最大の282億ドル (朝鮮日報)
参照5:韓国で個人破産者が急増 棒引き認定率も急上昇 (朝日新聞)
参照6:懸念される韓国の消費不振の長期化
参照7:利用率は日本の8倍!急成長した韓国のカード事情
参照8:米国内に不法滞在する韓国人は21万人 (中央日報)

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2009/01/10

人権団体の立場と暴力団の威力:解同幹部の犯罪

今日は部落解放同盟(解同)に関するエントリの再アップです。
解同、この組織に対する思いは複雑です。青春(笑)の2年間を捧げましたからね。

もう、どうしようもない組織。反天皇、親北朝鮮・・・暴力団、特に山口組・・・
反体制と暴力団と利権が三位一体となった組織、まあ解同以外では、朝鮮総連(総連)くらいしかありませんね、こんなのは!!!
で、総連は外国人、が、解同は日本人ですからより深刻です。

解同に関するエントリで読んでほしいのは他にもありますが、なぜかこのエントリがもっとも人気があったので、今日はこれにします。

人権団体の立場と暴力団の威力:解同幹部の犯罪 2006/08/22

皆さんは、東日本よりも西日本の方が、ゼネコン(大手建設会社)の見積もりが3~5%高いのをご存知だろうか。
なぜか?
理由は「近隣対策費」である。「近隣対策費」は本来、工事によって生じる現場周辺
住民の日照問題や営業損失に対する補償であり、これは西も東も同じである。
ところが、西日本には、通常の周辺住民対策や地域対策とは違う補償費が必要なのである。それは暴力団対策費である。

ゼネコンは、決算処理上、「近隣対策費」を使途不明金として計上する。使途不明金は、「使途が明らかでないもの、または法人が使途を明らかにしないもの」をいい、所得とみなされて課税の対象になる。
つまりゼネコンは、税金を払ってでも「近隣対策費」の使途内容を明らかにしたくない、ということだ。

これは、施主が民間であれば、施主が割高な買い物をしたということで済む。が、公共事業であればそうはいかない。なぜなら国民の税金が、理由もなく暴力団及びその
周辺の人間に流れているということになるからだ。

次の記事を読んでほしい。


大阪府八尾市発注の公共工事に下請け参入した建設業者から「地元協力金」などの名目で約100万円を脅し取ったとして、府警捜査4課は20日、同市のNPO法人「八尾市人権安中地域協議会」理事長・丸尾勇容疑者(58)ら2人を恐喝容疑で
逮捕した。

丸尾容疑者は部落解放同盟大阪府連合会安中支部相談役なども務め、以前から同市安中地区での公共工事の受注業者に受注額の3%程度の「上納」を強要していたとの疑惑が浮上している。

調べによると、丸尾容疑者らは、同地区内での同市発注工事に孫請けで参入した同市内の建設業者に地元協力金名目で現金の支払いを要求したが断られたため、「工事の邪魔をするぞ」などと脅迫し、約100万円を脅し取った疑い。

関係者によると、丸尾容疑者は業者が協力金を支払わない場合、「組長の若い衆を
預かっているので金がかかる」とすごむこともあった、という。

丸尾容疑者は、財団法人「飛鳥会」理事長の小西邦彦被告(72)(業務上横領罪などで起訴)の運転手役だったとされ、ある八尾市議は「小西被告のように同和の看板を悪用していたのではないか」と話した。

公共工事巡り恐喝、NPO理事長逮捕…飛鳥会関係者か
(2006/08/21 読売新聞)

「以前から同市安中地区での公共工事の受注業者に受注額の3%程度の『上納』を
強要していた」「地元協力金名目で現金の支払いを要求した」「『工事の邪魔をするぞ』などと脅迫した」
まさに、「西日本には、通常の周辺住民対策や地域対策とは違う補償費が必要なのである。それは暴力団対策費である」という私の指摘を裏付ける典型的な事件である。

大阪府では、今年の5月にも、大阪市の落解放同盟大阪府連合会(解同大阪府連)
飛鳥支部長(「飛鳥会」理事長)の小西邦彦が数十億円単位の公金を横領した容疑で逮捕されている。
このとき、この解同支部長は、「人権団体の立場と暴力団の威力をちらつかせ、行政を食い物にしてきた」と批判された。
今回も、犯行の態様は違うけれども、「人権団体の立場と暴力団の威力をちらつかせ、税金を食い物にしてきた」という点では、飛鳥支部長の場合とまったく同じである。

飛鳥支部長の小西邦彦が摘発された時、解同大阪府連は、「同和をかたり、個人利益を得ているとすれば、エセ同和行為で、断じて許されるものではない」と強調した上で、
「府連として強い指導力を発揮できなかった点は、真摯に総括したい」という見解を初めて公表した。
が、いくらうわべを取り繕っても、実態はどうにもならないくらい腐敗しているんじゃないのか???

NPO法人「八尾市人権安中地域協議会」だって???
もうブラックジョークを通り越して、「羊頭狗肉」以下だよ、言ってる事とやってる事が!!!

私が、人権擁護法案に反対した理由の一つが、第二十二条第3項の人権擁護委員の選任方法の後段が、「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する
団体の構成員のうちから」推薦することになっているからだ。
解同は、この「人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体」に該当する。

実際のところ、解同は、「被差別部落出身者、女性、障害者、在日外国人などを人権
委員にする」ことを要求している。そして、執拗かつ強力な圧力を政治家にかけている。
が、現状を見れば、NPO法人「八尾市人権安中地域協議会」理事長であり、解同大阪府連・安中支部相談役でもある丸尾容疑者のような人物が人権擁護委員に選任される可能性は大いにある。

これは、もう悪夢でしかない。
暴力団が「人権」を掲げて一般市民を「糾弾」する。

こういう可能性が大いにある人権擁護法など、断じて許してはならない!!!

今回のような問題は、大阪府や大阪市だけではなく、西日本を中心に全国いたる所にあるはずだ。
行政は、もっと毅然として対応するべきである。
そして、我々国民も、このような理不尽をいつまでも許してはならない!!!

【追記】
産経新聞によると、さらに詳しい内実が解る。(抜粋)


毎年実施される同工事の発注は、丸尾容疑者が市に圧力をかけて随意契約とし、受注業者まで決めていたという。

丸尾容疑者は、財団法人「飛鳥会」理事長、小西邦彦被告(72)=詐欺罪などで起訴=と同様、「同和」と「暴力団」を背景に公共工事に介入。受注業者を中心に大手ゼネコンなどから「地元対策費」名目で現金を要求していたとされ、同課で追及する。

ほかに逮捕されたのは、八尾市南本町、政治結社「皇義塾」塾長、北川芳明容疑者(45)。


つまり、単に公共事業費の上前をピンはねしていただけではなく、対象になる受注業者までも丸尾容疑者が決めていたということだ。
そして、彼の周辺には暴力団だけではなく、街宣右翼(政治結社「皇義塾」)もいた。
つまり、「同和」-「暴力団」-「街宣右翼」がリンクして税金を食い物にしていた、そういう構図なのである。

解放同盟支部幹部ら逮捕 八尾市発注工事、業者恐喝の疑い

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2009/01/09

JR東日本に巣食う「革マル派」というカルト

今日も過去のエントリの再掲です。ただ、今までは、人気のあったエントリを厳選して再アップしてきましたが、今回はそうではありません。私が、ぜひ読んでほしいと思うエントリ、それが今日の記事です。

ところで、ブログと読者の関係は、ある意味、すでに既存メディアと同じ領域に達していますね。何が言いたいかというと、テレビが視聴率を意識して番組を作るように、ブロガーも人気ブログランキングを意識してエントリを書く。で、結果、ブロガーは、読者に迎合する(読者を意識した)エントリを書いてしまう。
これって、商業メディアと同じですよね(もちろん、中にはそうではないブログもあります)。

私がブログを始めたころは、けっこう個性的なブログがたくさんあって、読んでいて面白かったし、とても参考になりました。が、今は、ランキング上位のブログを読んでも感じるところがほとんどありません。
政治評論としてはレベルは上がっているのですが、そこにブロガーの個性、というか人間味を感じないんですよ。言い換えれば、人間としての「芯」が感じられないと言ってもよいと思います。

ブログ主が渾身の力を込めて書いたエントリが、必ずしも読者の高い評価につながるわけではありません。それでも、書きたいことを書く、訴えたいことを「己の言葉」で書く、これがブログではないですか?
今は停止されてしまいましたが、私は「閣下の憂鬱」というブログが好きでした。ランキングは下位にありますが「ぼやきくっくり」さんも、私のお気に入りです。
なぜか?独自の視点、己の言葉でエントリを書いているからです。人気ランキング上位のブログにも、そのあたりを期待したいと思います。

で、今日、再アップするエントリですが、私としては渾身の力を込めて書いたつもりでした。が、評価はイマイチでしたね。でも、私的な思い込みかもしれませんが、極左カルト=革マル派が日本最大の公共交通機関を支配している、これを告発するのは私の使命だと思ったわけです。

これも、元極左だった私にしか書けないエントリかもしれません。

JR東日本に巣食う「革マル派」というカルト 2008/02/04

今日は、我々が思いもつかぬところに巣食う極左勢力について言及しよう。
一般国民の日常生活に絡むところに潜む「国家の破壊活動をたくらむ勢力」―その最大のものはJR総連である。JR総連は傘下組合員6万1000人を誇り、JR連合(組合員7万5000人・右派)と並ぶJR労組内の一大勢力である。特にJR東日本では、経営側のバックアップもあって労組員の約8割を占め、圧倒的影響力を持っている。

この、日本を代表する公共交通機関であるJRの巨大労組が、なぜ国家の破壊活動をたくらむ勢力なのか?
それはJR総連が革マル派によって完全支配されているからである。

JR総連の前身は国鉄動力車組合(動労)である。この動労、国鉄民営化前は順法闘争やスト権ストを繰り広げ、「鬼の動労」の異名を取っていた。
で、このJR総連を革マル派が支配するようになったのは、元動労委員長で現JR総連・JR東労組顧問の松崎明氏抜きには語れない。

松崎氏は、1936年生まれ。1955年、国鉄入社。日本共産党に入党。1958年、 (革マル派の教祖)黒田寛一氏と出会う。1959年、共産党を離党。革命的共産主義者同盟(革共同)に加入。
この松崎氏が、左翼運動及び運動の中で大きな存在感を発揮するようになるきっかけは、1963年の革共同分裂である。革共同が中核派と革マル派に分かれた時、松崎氏は黒田氏率いる革マル派についた。そして副議長(組織名:倉川篤・愛称:クラさん)になった。

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私が左翼だったころ(38年前)、松崎氏は動労東京地本の書記長だった。が、このとき既に、松崎氏は「動労の最高実力者」と言われていた。
この松崎氏、敵であったが、その卓抜した指導力とカリスマ性は認めざるをえない。この松崎氏の秀でた能力と革マル派の組織力(組織論)が一つになって、革マル派による動労支配が確立されていくのである。

革マル派というのは、新左翼(過激派)の中では異端とも言える存在だった。ほかのセクト(党派)が大衆闘争(学園闘争や街頭闘争)に力を入れていたのに対し、革マル派だけは、組織の強化(前衛党建設)にひたすら励んでいた。
彼らにとって大衆闘争は、組織を拡大するための手段でしかない。だから、国家権力と対峙する局面を迎えると、闘争より「組織の温存」を選んだ。東大闘争がその典型である。彼らは、あの安田講堂攻防戦の時、与えられた持ち場からこっそり抜け出した(=逃げ出した)のである。
だから、全共闘にも入れてもらえず、他党派と常に衝突した(内ゲバ)。特に中核派とは近親憎悪もあってか、「血で血を洗う」抗争を繰り広げ、双方合わせて100名近い死者と無数の重傷者を生み出した。

私が左翼に絶望した直接の原因は、妙義山の山岳アジトにおける連合赤軍による大量リンチ殺人であるが、これはまだ、追い詰められた末の、閉鎖空間における極限的な状況が生み出した面もあるという言い逃れができた。
しかし、革共同両派の内ゲバは、もう「アイツは革命の敵だ!敵は殺せ!」という論理でしかなかった。かつては同志だった者たちが、鉄パイプや金属バットで相手を滅多打ちにしたり、バールで頭蓋骨を打ち砕いたりする。
「人間の真の解放」「人間の真の平等」を叫ぶ連中がこんなことをする。私は、このとき、はっきりと「共産主義」というイデオロギーが“狂気”であることを認識した。

特に革マル派は、その独善性、排他性、意見の異なる者への攻撃性という点で、もう「共産主義」という名のカルト集団にすぎないと確信した。そして私は、きっぱりと「共産主義」と縁を切った。

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革マル派が動労を支配できたのは、共産主義者(レーニン主義者)特有の狡猾さによる。当時の動労は日本社会党と総評(現・連合)の影響下にあった。で、社会党と総評は、ベトナム戦争の泥沼化を見て、「日米安保条約反対・ベトナム侵略戦争反対」を掲げてそのための青年組織を傘下の労組の中に作った。
その名を「反戦青年委員会」と言うのだが、新左翼(過激派)各派がここぞとばかりにこの反戦青年委員会に対して加入戦術を取るのである。そして、ほどなく、反戦青年委員会は過激派の影響下に収められ、総評の「鬼っ子」になっていく。

この反戦青年委員会で勢力を誇ったのが、中核派と革マル派である(我がブントは運動論はあったが組織論がなかったのでダメだった)。で、そのころの中核派は過激な街頭闘争を運動の軸にしていた。当然、反戦青年委員会に所属する者にも動員がかかる。が、革マル派は組織の強化(前衛党建設)が第一であるから、者を街頭闘争に参加させるような真似はけっしてしなかった。
その結果、中核派系の反戦青年委員会は多数の検挙者を出し弱体化したが、革マル派系のそれはかえって勢力を増すことになるのである。

しっかりと理論武装(洗脳)された革マル派の活動家たちにとって、社会党や総評系の幹部(ダラ幹)など赤子と同じだった。彼らは、総評の青年部を確実に侵食していった。
何しろカルト集団であるから、その生存能力と繁殖力は環境に恵まれれば極めて高い。で、動労、全逓(後のJPU)、全電通(現NTT労組)、日教組などの官公労組にその勢力を広げていく。

結局、JPUやNTT、日教組などの革マル派は、中核派による度重なる襲撃などによりその勢力を衰退させた。が、動労(JR総連)の革マル派だけは、松崎氏というカリスマの存在もあってその勢力が衰えることはなかった(九州や長野県は離反したが)。

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JR総連(革マル派)の危険性は、国鉄民営化の時の対応を見ればよく解る。国鉄民営化は者の側からすれば、まさに大合理化そのものである。したがって、左翼党派であれば、当然反対せざるをえない。実際、当時の社会党や共産党、総評や国労は民営化に反対した。

ところが、である。最左派と目された「鬼の動労」が賛成に回ったのだ。しかも動労から見れば右翼とも言える鉄労と組んでまで。
しかも松崎氏は、このとき、運輸族のボスだった三塚博運輸大臣と手を結び、当時の自民党の実力者だったあの金丸信氏とも親交を深めた。

この、もっともネックになると目されていた動労(松崎氏)の転向によって、国鉄民営化は大した混乱もなく実現するのである。このときから、JR東日本の経営側はJR総連(というか松崎氏)の意向を無視できなくなったのだ。

このあと、動労は鉄労とともにJR総連を発足させる。が、やがてJR総連内の鉄労系組合員は、動労系のセクト主義、その攻撃性に愛想をつかして総連を脱退し、新組織を結成する。
この新組織を積極的に支援したのが、当時、JR東海の副社長だった葛西敬之氏である。で、この葛西氏、自らが非常勤講師を務める大学で革マル派に襲撃される。

JR東日本とJR東海が犬猿の仲なのは、こういう背景があるのである。

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当時、松崎氏はメディアに対して、「私は革マル派ではない」「(革マル派の教祖)黒田氏から思想的影響は受けたが、今は関係がない」と語っていた。そして、「者の雇用を守るために民営化に賛成した」とも語った。
が、これはウソだ。革マル派の論理に忠実に従ったにすぎない。

「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘首相(当時)は、国鉄民営化の目的を「国労を解体し、社会党・総評ブロックを消滅させ、新しい憲法を安置する」と語っている。この体制側の猛攻に、戦後政治の一方の軸であった当時の社会党・総評ブロックでさえ崩壊しかねないほどの危機に直面した。
そこで松崎氏は、勝ち目の薄い「抵抗」よりも「組織の温存」を選択したのだ。

ほんとうに転向したのなら、なぜ中核派が「松崎だけは絶対に殺す!」と言うのか?なぜ、JR総連内から意見が相違する者を暴力をもって排除しようとするのか?なぜ、護衛付きで複数のアジトを点々とするのか?

中核派によると、松崎氏は晩年の黒田氏(2006年死去)とは意見が対立していたようだ。党官僚や学生が黒田氏を支持し、者が松崎氏を支持するといった構図らしい。
中核派の機関紙「前進」によると、2000年の12月、松崎氏は「革マルと完全に手を切った」と公言し、一方の黒田氏率いる革マル派は「JR総連本部執行部を階級敵と断罪し、打倒する」との「戦闘宣言」を出したらしい。
が、革マル派はJR総連執行部を批判しても、松崎氏個人は批判しないのだ。
共産主義者を知っている人なら分かると思うが、彼らは裏切り者に容赦しない。松崎氏が転向したのなら、革マル派から壮絶とも言える罵詈雑言を浴びせられるはずだ。「裏切り者」「階級の敵」「反革命」「権力の手先」「ファシスト」「スパイ」―おそらくこれくらいは批判(罵倒)される。が、現実はそうではない。
革マル派はJR総連の労使協調路線を批判しても松崎氏には沈黙する。

これは、黒田氏の「組織現実論」を松崎氏が実践しているからではないのか?

松崎氏は、中核派が言うように「革マル派執行部」と路線対立を起こしているのかもしれない。が、除名されたわけでもない。
私は偽装転向だと思う。

―(平成18年10月25日の衆議院国土交通委員会において)米村(警察庁警備)局長は、JR総連・東労組への革マル派浸透の実態をあらためて述べたほか、浦和電車区事件について、「革マル派活動家を含むJR東労組の組合員らが、JR東労組と対立する組合に属する者と行動を共にするなどした組合員に対して、組合脱退及び退職を強要した事件を検挙している」と答弁し、「革マル派は今後も運動を通じた組織の維持、拡大を図るため、これらの事件と同様の事件を引き起こすことが懸念される」と、その危険性を強調した―

これは、JR総連と対立する「JR連合のホームページ」からの引用である。

―警察においては、平成8年以降、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(以下「革マル派」という。)の非公然アジト15か所を摘発しているが、これらのアジトの一部から押収した資料を分析するなどした結果、全日本鉄道組合総連合会(以下「JR総連」という。)及び東日本旅客鉄道組合(以下「JR東労組」という。)内における革マル派組織の存在を確認するなど、革マル派がこれらの組織に相当浸透している実態を解明しているものと承知している―

これは、平成15年3月18日付の「政府答弁書」からの引用である。

やはり、松崎氏は「革マルと完全に手を切っていない」のだ。

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カルトと言ってもよい極左が、日本を代表する公共交通機関であるJR東日本に巣食っている。そしてJR東日本の経営陣がそれに屈服している。
異論を持つ職員や対立する労組に対して暴力さえ厭わない組織、これがJR東日本の労組員の約8割を握っている。そして―JR総連は、利益のみを追求する新自由主義的な競争社会に反対し、公平・公正な社会を築くために、「反グローバリズム運動」を掲げ、世界の仲間たちと連帯して闘っています―などと、もっともらしいメッセージを発信する。

彼らは運動をやっているのではない。平和(反戦)運動や人権擁護運動をやっているのではない。革命の準備運動をやっているのだ。
そして、JR総連の潤沢な資金が革マル派に流れていたのは間違いないと思う。昨年、横領容疑で警察の捜索が入ったので今は分からないが。

我々は、JR総連に代表される「普通の顔」を装う極左勢力を注視し、警戒を強めなければならない!

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今日のエントリのテーマは、一度は「書きたい」と思っていたものです。
かなりの時間を要しましたが、少しだけ満足感があります。

読者の皆さん、今後ともよろしくお願いします。

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2009/01/08

加藤紘一、山崎拓、亀井静香、そして菅直人

加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎の3人を称してYKKと呼んだ。これは、当時の竹下派支配に対するアンチの象徴だった。そして小泉が退陣して登場したのが加藤、山崎に古賀誠を加えた新YKK。が、この「新」は何が新しいのかまったく分からず、単なる野合だった。
政界は権力闘争の巣窟、魑魅魍魎の世界。野合だった新YKKは早々と雲散霧消し、今度は加藤、山崎、に亀井静香、そして菅直人を加えたYKKKが政界再編の核になりそうな雲行きなんだという。新YKKが野合なら、このYKKKは何と呼べばよいのか???

加藤も山拓も亀井も菅も、全員が賞味期限の切れた政治家だ。でも、本人たちは自覚がなくて、相変わらずギラついている。が、政界も国民も、この4人には誰も期待していない。
それが本人たちには解らない。自分の醜悪な姿がね。老醜をさらして恥ずかしくないのか?と普通の人は思うのだが、政治家という生き物は「枯れる」ということを知らない。
もう吐き気がする。

ところで、今日は、当ブログで取り上げたYKKK4氏にかかわるエントリを再掲載する。
お読みいただければ、彼らの本質の一端がご理解いただけると思う。


亀井静香の闇 2005/08/10

過去、「巨悪」と呼ばれた政治家が何人かいる。数々の疑惑にまみれながらも逮捕されず、権力者としての地位を維持した者たちだ。田中角栄氏は無防備すぎて逮捕されたから、「巨悪」でありながら、そのイメージからは遠い(人間的には好きである)。
今の政治家で「巨悪」というイメージに近いのは誰か?それは亀井静香氏である。

kamei2亀井静香
1960年:東京大学経済学部卒業
1962年:警察庁入庁
警察庁入庁後は、一貫して公安畑を歩む。連合赤軍あさま山荘
事件の統括責任者
1979年:衆議院議員に初当選


亀井氏の力の源泉は何か?それは、第一に公安情報に精通していたことである。他の政治家の数々のスキャンダルを握っていた。今は、どうなのか分からないが・・・
次が「カネ」である。亀井氏は、ずいぶんと危ない橋を渡っている。もっとも有名なのが
5年前に発覚した「石橋産業事件」である。

「石橋産業事件」とは、平成8年に、闇の怪人・許永中が中堅燃料商社・石橋産業から180億円を騙し取ったというものである。この事件に絡んで逮捕された政治家は中尾栄一元建設相だけだった。しかし当時、永田町では以下のような会話が挨拶代わりに
交わされていた。
「逮捕者は、もういないようだな。どうやらヤツは逃げ切ったらしいな」「中尾栄一でおしまいか。まあ、いまの特捜じゃあ、これが精一杯だろう」
ここで、“逃げ切った”とされるのが、自民党の実力者・亀井静香政調会長(当時)なのである。なぜ、ここで亀井氏の名前が取りざたされたのか?それは亀井氏が、許永中を自らの「盟友」と公言してはばからなかったからである。
当然、中尾栄一元建設相以外に、亀井氏にも裏資金が提供されたのではないか?
それも、もっと多額の金額が?という“疑惑”が噴出したのである。
この件については、民主党の前原誠司氏が国会で追及している。

許永中、ご存知の方も多いと思うが、簡単に人物像を紹介しておこう。
彼は名前からも分かるように在日朝鮮人である。若いときは朝鮮総連の活動家で、
頭も切れ弁も立ったそうである。彼は、その後、山口組の企業舎弟になる。
許永中が有名になったのは、何といってもイトマン事件である。彼は、老舗商社・イトマンをしゃぶり尽くし、企業消滅に追い込んだ(彼はイトマン事件でも逮捕された。一審判決は懲役7年6ヶ月・罰金5億円)。
許永中は、誕生日に高級ワインを千本も贈るほど金正日と親密で、他方において韓国の政界要人にも太いパイプがあった。
亀井氏はこのような闇の大物と「盟友関係」にあったのだ。

亀井氏は、大仕手集団のリーダーとして有名だったコスモポリタンの池田保次代表とも親密だったと言われている。池田氏は、元山口組系暴力団の組長で地上げ屋に転身した後、仕手筋として成功を収めた。
しかし、その後、仕手戦に大失敗して100億円もの借金を抱え、スポンサーの暴力団に追われて失踪。いまだ生死不明の人物である。
亀井氏と、このコスモポリタンとの“疑惑”は1989年10月6日付の読売新聞が報道している。しかし亀井氏は、この疑惑を否定。“疑惑”はうやむやになったままである。

以上を読まれてどう思われるであろうか?亀井氏が何とも胡散臭い人物であることが
分かる。
このような裏世界の大物たちとの親密ぶりを疑われること自体、今の時代の政治リーダーとしての資質に欠ける。こういう政治家が総理総裁を目指すこと事態が不見識である。
このような人物に日本の政治を託すことは絶対に許されない。

亀井派は真っ二つに分裂し、脱退者も相次いでいる。会長代行の伊吹文明元労相を
担いで「伊吹グループ」を結成する動きもある。
まさに自業自得である。

参考資料1:兜町事件簿(7巻)
参考資料2:石橋産業事件
参考資料3:イトマン事件
参考資料4:第8回 亀井静香の虚像と実像
参考資料5:「Kファイル」が、 連立与党を崩壊させる!?
参考資料6:質問本文情報


加藤紘一の嫉妬と妄執 2006/07/27

【はじめに】

皆さんは、権力闘争の根底にあるものは何だとお思いだろうか?

政治だから「主義・主張」があるのは当たり前である。もちろん「欲」もある。が、「嫉妬」もかなり大きな比重を占めるのである。その「嫉妬」は、時として「怨念」に転化することさえある。

この「嫉妬」が「怨念」にまで転化し、権力闘争の軸になったことは何度もある。有名な「角福戦争」などは、その典型だろう。
そして、「嫉妬」と「怨念」が、「主義・主張」の違いを超越した政権を生み出したことも
ある。いわゆる「自・社・さ」連立政権である。
小沢一郎に対する「嫉妬」と「怨念」が、何と自民党と社会党に「連立」を選択させたのである。

「憲法改正」を綱領に掲げ、「日米安保条約の護持」を党是とする政党と、「護憲と非武装中立」を党是とし、「日米安保条約の破棄」を主張する政党が連立しする。しかも、「護憲・安保破棄」の少数派から総理大臣を選ぶ。
日本の憲政史上でも稀有な出来事だが、権力闘争においては、こういうこともありうるのだ。

もちろん、自民党の場合は政権復帰願望も大きな動機であった。権力を奪回するためには、「主義・主張」になんかかまってはいられない。
が、社会党の場合は、小沢と、彼に追従した山花貞夫などの社会党右派に対する怨念が動機であったと言ってもよい。
それは、自民党との連立を主導したのが、反自民の急先鋒だったはずの社会党左派
だったことが証明している。

(注-1)「角福戦争」
ポスト佐藤(栄作)の座を争った田中角栄と福田赳夫による、政治権力をめぐる激しい
闘いを「戦争」に例えて呼んだもの。1970年ごろから田中が倒れる1985年まで続いた。
1979年の、いわゆる「四十日抗争」が、その頂点だった。

(注-2)「自・社・さ」連立政権
自民党、社会党、新党さきがけの三党による連立政権(1994年 ~1998年)。
この政権は、理念がまったく解らない。まさに、欲と嫉妬と怨念が生み出した政権だったとしか思えない。村山 富市(首相)と河野洋平(外相) と武村正義(大蔵相)の
三党首がテレビに出て、「私たちはリベラルです」と連立の意義を強調していたが、そのうさん臭さは噴飯ものだった。

結果は、野党に転落していた自民党の復権を社会党が助けた。それだけである。

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なぜ、権力闘争の根底に「主義・主張」の違いや「欲」だけではなく、「嫉妬」や「怨念」があると「前書」で書いたのか。
それは、最近の加藤紘一の言動を見聞きしていると、そのことを痛感するからである。
したがって、そのことを書くことで、「政治の醜悪さ」と「政治家の憐れ」を皆さんに解ってもらいたい、そう思ったのである。

最初に、加藤のヒストリーを書いておこう。

加藤紘一。
昭和14年(1939年)生、67歳。山形県鶴岡市出身。東京大学法学部卒。大学時代は「60年安保闘争」に参加。卒業後は外務省のキャリア官僚(チャイナスクール組)に
なる。
父は衆議院議員の加藤精三だが、1965年に急逝した父の後継になることを、このときは断り、7年後の1972年に初出馬し当選。大平派(宏池会)に加入。

政治の表舞台に登場するのは、1978年の大平内閣で官房副長官を務めた時からである。1984年には45歳の若さで中曽根内閣の防衛庁長官に就任。
1987年のポスト中曽根をめぐる権力闘争では、宮澤派(宏池会)の事務総長として陣頭指揮をとる。が、派閥領袖の宮澤喜一は竹下登(経世会)に敗北。
このころから加藤は、「宏池会のプリンス」と呼ばれるようになる。

1991年に宮澤内閣の内閣官房長官に就任。
1992年に、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、官房長官として「当時の政府の
関与」があったことが認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。
朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表
この談話が、翌1993年の河野洋平官房長官による「当時の軍が関与した強制連行」を認める「全面的謝罪」の伏線になるのである。
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

1994年の村山「自・社・さ」連立政権下では自民党政調会長に就任。
この政権を樹立する時、河野(当時自民党総裁)や野中広務、亀井静香らとともに、
重要な役割を果たす。その結果、野中は自治大臣・国家公安委員長として、亀井は
運輸大臣として初入閣。
つまり、全員がうまい汁を吸ったわけだ。ちなみに、その時の自民党幹事長は森喜朗(前首相)。

この年の8月、自民党政調会長として中国人民抗日戦争記念館を訪れた加藤は、「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えればよいか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」と述べている。
この「日本では、どう50年を迎えればよいか(の)議論」が、1995年8月15日の「村山談話」として結実するのである。 

1995年の自民党総裁選では、現職の総裁であり、同じ宮澤派に属する河野ではなく、竹下派(経世会)の橋本龍太郎を総裁に擁立する。これは、河野が、派閥内の最大のライバルだったからである。
このことが99年の宏池会分裂(河野派の独立)の遠因になる。
橋本内閣の下では、3期連続して幹事長を務める。このとき、幹事長代理の野中氏と
コンビを組んで自民党の実権を握り、野中をして「魂の触れ合う 仲」と言わしめるようになった。

1998年に宮澤派を禅譲され、宏池会第6代会長(加藤派)に就任。派閥の後継争いに敗れた河野は、翌99年1月に麻生太郎(現外相)らとともに宏池会を離脱する。(宏池会の第一次分裂)

この年、自民党総裁選に盟友の小泉純一郎(現首相)が出馬する。
このころの加藤は、山崎拓(前副総裁)とともに小泉とは盟友関係にあった。いわゆる「YKK」であり、経世会(竹下派=竹下-金丸信-小沢)による自民党支配を打破することを目的に90年代初頭に結成された。
にもかかわらず、加藤は山崎とともに、盟友の小泉ではなく経世会の小渕恵三を全面的に支持、主流派を選択する。
結果は小泉84票。225票を獲得した小渕に惨敗した。

なお、このころの経世会は、既に金丸は議員辞職(1992年)し、小沢は離党(1993年)。実質的には、衆院は野中、参院は青木幹雄(現参院自民党議員会長)が仕切っていた。

このころから、「YKK」と呼ばれた山崎、加藤と、小泉の盟友関係に亀裂が生じ始める。

ところが1999年の自民党総裁選では、加藤は態度を一変させ、前回支持した小渕に
対抗して山崎とともに出馬する。結果は加藤、山崎の敗北。小渕が再選される。
このときから、加藤には逆風が吹き始める。

この総裁選に際し、小泉は積極的な動きを見せなかった。もちろん加藤支持も山崎支持も表明しない。そして次のように言った。
「YKKは友情と打算の多重構造だ。権力闘争を勝ち抜くには友情だけではダメだが、
打算だけでもむなしい」(1999年6月)。これに対して山崎は、「権力闘争が打算で何が悪い」と言い返した。
まさに権力闘争が、いかに非情なものであるかを物語るエピソードである。

-------------------------------------------------------------------

ここまでに書いた加藤の政治歴を見れば、このころ彼が、最有力の自民党総裁候補であったことがお分かりいただけたと思う。
45歳で国務大臣(防衛庁長官)に就任。その後は内閣官房長官、自民党政調会長、同幹事長(3期)を歴任した。しかも党内第二派閥(宏池会)の領袖である。加えて、政策に強く、外交にも通じている。
このころの加藤を評して、側近だった古賀誠(元幹事長)は次のように語っている。
「自民党の数多い有能な人材の中でピカ一。 宝と思っている」と・・・

この加藤が、なぜ失敗したのか?
世間も、永田町(自民党)も、加藤を自民党総裁の最有力候補とみなしていた。加藤
自身も、自分が最有力候補だと思い込んでいた。実は、そこに一番の問題があった。
よく言えば「プライド」、率直に書けば「うぬぼれと自信過剰」。
加藤は「自分は近い将来絶対に総理になれる。それなら、自分の美学を通して総理になろう」、そう考えたのである。

橋本総裁時代、幹事長-幹事長代理として加藤とコンビを組み、「魂の触れ合う仲」と公言した野中や加藤の側近であった古賀らは、加藤が総理総裁になるための「線路」を敷いていた。
1998年の参院選敗北を受けて、任期途中で引責辞任した橋本の跡を継いだ小渕は、まだ1年余りしか総理・総裁を務めていない。ここは、あと一期(2年)だけ小渕にやらせるべきだ。そうしなければ、最大派閥である小渕派(経世会)が納得しない。
小渕が正規の総裁任期をまっとうしたのち、その跡を加藤に継がせる。そして経世会と宏池会で自民党を牛耳る。
これが野中や古賀が考えていた「線路」であった。

そこで野中と古賀は、「多少、あなたの美学からすれば外れるかもしれないが、この
線路に乗れ」と勧めた。
ところが、加藤は、「いや、プロセスが大事だ」と拒否したのである。
野中たちは、「しかし、美学を通しても(総理に)なれなかったらどうするのか。総理に
なるプロセスは、多少見栄えが悪くても、総理になれば美学を通すことができる。まず、総理になることが大事なのだ」と説得した。が、当然、総理になれると思い込んでいた加藤は、そのプロセスを重要視して説得を拒んだ。
そして小渕に挑んだ加藤は惨敗、結果的に総理の座を棒に振ることになる。

加藤は、当時、米ニューヨーク・タイムズから「冷めた ピザ」と評され、国内でも「鈍牛」、「ボキャ貧」、「真空総理」などと揶揄されていた小渕に我慢がならなかったのであろう。
しかも国内では、バブル崩壊後の金融危機が表面化し、我が国は「国難」に直面して
いた。こういう状況を「真空総理」には任せておけない、加藤はそう思ったに違いない。
だが、当時、自民党の最大の実力者で、「魂の触れ合う仲」だった野中は、加藤に真正面から敵対した。

加藤はこのとき、「金丸さんが小沢さんを寵愛したように、野中さんも古賀さんを寵愛している」と述べて、自民党総裁選における自分の敗北が、まるで側近の古賀の裏切りであったかのような発言をしている。
が、加藤派の議員は、「加藤さんが113票も獲得できたのは、古賀さんのおかげだ」と、加藤の邪推を否定した。

加藤と山崎は、この総裁選の後、完全に干される。
が、事態はすぐに急変する。小渕が2000年4月2日に、脳梗塞で倒れたのだ。そこで
急遽、後継の総理を選択する作業に自民党幹部は取り掛からざるをえない事態に追い込まれた。
まず名前が挙がったのが、自民党総裁経験者で唯一総理大臣に就任していない
河野。宮澤や後藤田正晴などの重鎮が推薦した。が、最終的に選ばれたのは森だった。

内閣官房長官として小渕を支えていた青木は、「(小渕が意識不明の状態なのに)何かあれば万事よろしく頼むとの指示をいただいた」として首相臨時代理に就任。
赤坂プリンスホテルの一室に森幹事長、村上正邦参院自民党議員会長、野中幹事長代理、亀井政調会長(肩書はいずれも当時)を召集して、談合で森を後継総裁にする
ことに決めたのだ(いわゆる五人組による談合)。
加藤派の池田行彦総務会長(当時)にはお声がかからず、加藤もこの動きをまったく
知らなかった。つまり、この時点で、加藤は完全に「番外地」とみなされていたのである。

ところが、この森首相が、誕生の経緯もあってか、国民から不評を買う。首相番記者
からも「サメの脳ミソとノミ の心臓」と揶揄されるほどだった。メディアは、「森喜朗」の
音読みにかけて「蜃気楼内閣」とまで呼んだ。
ここでまた、加藤の「うぬぼれと自信過剰」が頭をもたげてくる。
そして加藤は、山崎を連れ立って、野党が提出した森内閣に対する不信任決議案に
賛成しようとするのだ。加藤派と山崎派が野党に同調すれば不信任決議案が可決される。つまり、内閣総辞職か解散しかない。

これが、いわゆる「加藤の乱」である。
が、野中幹事長(当時)の切り崩しや小泉(当時森派会長・現首相)の頑強な抵抗に
あって、この反乱は鎮圧される。
特に加藤派は、側近と言われていた古賀を始め、宮澤喜一、池田行彦、丹羽雄哉、
堀内光雄などの幹部を中心に半数以上が加藤から離反。(宏池会の第二次分裂)
これを機に、加藤は急速に党内影響力を失くす。

2002年には、加藤の金庫番と言われた佐藤三郎元秘書が、2億8,000万円の所得隠しと約1億円を脱税した疑いで逮捕され、加藤自身も政治資金の私的流用などが暴かれて3月に宏池会会長を辞任し、自民党を離党した。
が、国民の批判は収まらず、4月には衆院議員辞職に追い込まれる。

ところが加藤は、翌2003年11月の衆院総選挙に無所属で出馬、11期目の当選を果たす。そして、その後、自民党に復党。旧加藤派を引き継いだ小里派(現谷垣派)にも
復帰。
しかし、2005年9月には、谷垣禎一(現財務大臣)が派閥の後継に決まると小里派を
離脱する。

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ここまで読んで、皆さんは加藤のことを、どう思われたであろうか?

エリート、プライドが高い、うぬぼれ屋、政局音痴、ケンカの仕方を知らない、中道左派的思想、親中派、などは確実に読み取れる。
が、私はプライドやうぬぼれの裏に、小泉首相に対する嫉妬と怨念を感じるのである。
加藤が総裁選で小泉を支持しなかったのは1998年だけではない。95年に小泉が初出馬した時も、対立候補である経世会(竹下派)の橋本擁立の核になっている。

なぜか?
加藤の中では、YKKにおいて「総理総裁になる資格があるのは自分だけ」と思っていたからである。小泉は、それこそ論外。
山崎はそれを承知していて、まず加藤を総理総裁にする、そして自分は党幹事長として加藤を支える、と公言していた。
(当然、総理の座を加藤から禅譲してもらう、という前提付きだが)

ところが、「プライド」と「うぬぼれ」が裏目に出たうえ、元々が政局音痴でケンカべたと
きているからどうしようもない。
田中角栄元首相は「自分の努力で幹事長まではなれる。だが、総理総裁は努力だけではなれない。巡り合わせだよ」と初当選の挨拶に伺った額賀福志郎(現防衛長官)に語ったという。
が、加藤の場合は「巡り合わせ」ではなく、自業自得だと思う。

そんな加藤にとって、よりによって「格」がず~っと下のはずの小泉が総理大臣になった。しかも、自分のアドバイスには耳を傾けない。それどころかアドバイスと逆のことを
やる。
にもかかわらず国民的人気が高い。
もう、小泉は許せない。後継総理は絶対に「反小泉」でなければならない。そう加藤は思っているのではないか。

加藤は、6月20日のテレビ番組で、自らの総裁選への出馬の意思を聞かれ、こんな
“本音”をのぞかせている。
「私自身は過去5年間いろいろあり、傷も癒えていないので、今回は、そういうことは
しません」
この「今回は、そういうことはしません」という発言を聞いて、加藤の元側近だった谷垣派議員は「『次回がある』と思っているのかなあ……あの人もギラギラ感が抜けないね」と苦笑した、という。

加藤が「非安倍」にこだわるのは、安倍晋三官房長官のアジア外交に対する姿勢を
懸念するからだけではない。政界の急速な世代交代に待ったをかけ、もう一度、自らの活躍の場を確保したいという思惑もあるのだ。
もう1回だけ総理になる(もしくは総理に影響力を及ぼすことのできる)チャンスをくれ!本気でそう思っているのである。

加藤は今、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という心境にまで陥っている。
福田康夫不出馬が確定した今、加藤に政策が近い「ポスト小泉」候補は、かつての
派閥の弟分、谷垣禎一財務相である。
が、加藤は谷垣について、「閣内にいて、小泉さんの庇護の下にいるイメージがある。靖国問題やアジア外交でも谷垣さんは(安倍や麻生と)ちょっと違うがはっきりしない」と評価する姿勢をまったく見せない。(06/07/24 讀賣新聞)
加藤は、谷垣が小泉内閣にいる=小泉に協力していることが、まず気に食わない。そして谷垣派は、本来は自分の派閥だ。谷垣は自分よりも格下だという思いをぬぐい切れないのである。

私は、加藤を「政界のはぐれ鴉」だと思っている。そして彼を見ていると、権力に対する妄執は、ここまで人間を醜悪な存在にさせるのか、と思うと同時に、「政治家の憐れ」を感じずにはいられない。

かつて、政界の策士と呼ばれ、今年5月に死去した松野頼三は、小泉首相の「政治の師」でもあった。
その小泉首相は、松野が亡くなった際に「政局の動き、権力闘争、自らやってきた人だから。派閥間の争い、派閥内の争い、人間の嫉妬。そういう点を実に詳しく教えてくれた」と語っている。

加藤にも松野のような「政治の師」がいれば、少しは彼の政治家人生も変わったものになったのであろうか???

(文中・敬称略)

(注)
「経世会」は、現在は「平成研究会」に改称されています。が、今でも「経世会」の方が
メディア、永田町とも通りがよい。

参照1:異才作家 『大下英治』 が書き下ろす迫真の政治ドラマ
参照2:第147回国会 決算行政監視委員会 第3号
参照3:佐藤三郎・加藤紘一議員元秘書の逮捕について
参照4:「ポスト小泉」への道(11)未練断ち切れぬ「YK」


妄執の虜・山崎拓 2007/01/08

山崎拓(やまさきひらく)という政治家、もう「血迷った」というしかない。
2000年の「加藤の乱」で政治の主流から転落して以来、その言動が徐々におかしくなってきた。そして、安倍晋三総理・総裁誕生で「一丁あがり」の立場になってからは、盲目的に自己存在をアピールする――恥も外聞もかなぐり捨てた「なりふりかまわぬ」状態なのである。

以下の記事を読んでもらいたい。
もう政治家としての信念や節操とは無縁の、妄執にとらわれているとしか言いようがない醜態をさらしているのだ。


自民党の山崎拓前副総裁(党安全保障調査会長)が9日から北朝鮮を訪問し、平壌で宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使らと会談する方向で調整していることが7日、
分かった。複数の政府、与党関係者が明らかにした。議員外交の展開で、北朝鮮の核実験や拉致問題で行き詰まった日朝関係の打開を図るのが狙いとみられる。

ただ政府筋は「首相官邸とは関係ない。この時期に行って、成果があるとは思えない」と指摘、野党などから「二元外交」との批判が出る可能性もある。

山崎氏は8日に北京で1泊し、9日に平壌入りする予定で、滞在は5日間程度になるという。昨年12月初めには小泉純一郎前首相と会談し「3度目の訪朝をすべきだ」と促しており、小泉氏訪朝の地ならしをしたい意向もありそうだ。

山崎氏、9日に平壌入り 日朝関係の打開狙い (共同通信)

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私は、この政治家を1969年の初出馬(落選)のころから知っている。祖父が玄洋社の
幹部だった関係もあって、若いころは自主憲法制定を信条とする、いわゆるタカ派として知られていた。
中央政界入りを果たせたのは中曽根康弘氏に見出されたおかげだが、その後は渡辺美智雄氏(元副総理)の側近として頭角を現す。

タカ派で、一時は青嵐会にも属していたため強面(こわもて)のイメージもあったが、実際は信義に厚く親分肌のところもある人間味あふれる政治家である。
ただ、率直に言ってあまり賢くない。致命的欠陥は政局に疎く、常に自らを「反」もしくは「非」主流派に追いやっている。
「防衛族の実力者」とも言われるが、現在は昔日の面影はない。

この政治家、渡辺氏全盛のころは次代の総理・総裁候補と目されていたこともあった。ただ、経世会(竹下・金丸派)に対抗するためにYKKの一員として加藤紘一氏と組んだころからおかしくなった。
加藤氏は学生時代の左翼体験を完全に払拭できず、いまだに戦後政治の負の側面を強く引きずっている政治家である。
この加藤氏の影響もあってか、今の山拓氏は媚中・親韓、反靖国参拝派と言わざるをえない言動が目立つ。

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山拓氏の最初の誤算は、親分・渡辺氏の早すぎる死だった。結果、準備不足のまま
渡辺派を引き継ぐ破目になったため、ベテラン議員の大半が離反。わずか20数名で
山崎派を立ち上げざるをえなくなった。

次が「加藤の乱」。
宏池会の、あるいは自民党のプリンスとも呼ばれていた加藤氏を助太刀する形で経世会(野中一派)に戦争を仕掛けたが、加藤氏はあえなく討死。
山拓氏も大きな痛手を被った。
もともと政局音痴で喧嘩が苦手な加藤氏と組んで戦争をすることそのものが無謀だった。

そして決定的だったのが女性スキャンダル。
議員宿舎に女性を連れ込んでいるところをフォーカスされ、しかもこの女性が統一教会関係者であったことが発覚。
また博多・中州の元ホステスだった愛人には下半身の事情まで暴露された。
で、次の選挙であえなく落選。

ここで山拓氏の総理・総裁の目は100%なくなったわけだが、本人にその自覚は薄い。
YKKの中で本命とされた加藤氏がコケ、番外地と思われていた小泉純一郎氏が総理・総裁になった時点で完全に潮目が変わったわけだが、この流れを山拓氏は完璧に読み違えている。
だから靖国神社参拝に反対したり、媚中姿勢を誇示したりして流れを懸命に引き寄せようとしているのだが、本流はますます遠ざかり、すっかり「取り残された人」になってしまった。

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今回の北朝鮮訪問騒動も、この勘違い人間・山拓氏の妄執が引き起こしたものだが、北朝鮮の策謀に乗せられるばかりで国益を損なうだけだ。もちろん本人にとってもマイナスでしかない。
ところが、権力中枢に復帰したい(できれば総理・総裁になりたい)一心の山拓氏は
そのことに気づかない。
ここまでくると、もうピエロと言ってもよいのだが、その言動が国益に悪影響を及ぼすという点で、笑って見すごすわけにはいかないのだ。

大幹部だった武部勤氏(前幹事長)は小泉氏に奪われ、子飼いで将来を嘱望していた甘利明氏も安倍氏に走ってしまった。
本来は「憲法改正論者」なのだから安倍首相に協力すれば、それなりの存在感を示せるのだが、枯れることを知らない――そういう意味では政治家らしい人だからこれも仕方がない。

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山拓氏には、加藤氏とともに、自らの立場を自覚し潔くわが身を処することを切に希望する。


「反日」の代表・菅直人を糾弾する 2007/03/08

わが国が東アジアの特定の国から「言いがかり」に近い非難を浴びるのは、国内にそれらの国と意を通じているとしか思えないメディアや政治家たちが存在することも要因の一つである。

メディアの代表格は朝日新聞、そして政治家は、今なら菅直人民主党代表代行だろう。

菅は幹事長時代の2002年5月5日、妻を含めた一行6名で南京大虐殺遭難同胞記念館を訪れ、“遭難者”たちに花輪を捧げ、生存者代表に会ってお詫びとお悔やみを伝えた。
そして菅は「今度南京大虐殺の歴史をもっと知るために南京大虐殺遭難者同胞記念館をわざわざ訪れたのであり、南京での見聞をより多くの日本国民に伝え、歴史を正しく認識しそれを鑑にして、絶対に歴史の悲劇を二度と繰り返さない」と述べた。

つまり菅は、犠牲者の数はもちろん、“事件”の存在そのものにすら疑義が呈されている“南京大虐殺”に何ら疑いを持つことなく、中共の主張を受け入れ謝罪しているのだ。
こんな菅が、今問題になっている米国議会(下院)における慰安婦をめぐる「対日非難決議案」に対してどのような態度を取っているのか?

以下は、菅の公式サイトにおける発言である。


安倍総理が中川幹事長の「忠誠心」発言に反発し、官邸の空気が変わってきた。安倍総理が、いろいろな配慮をすることを止め、好きなことをやるという姿勢に変わった。その第一段がお友達の江藤氏復党。第二段が予算の強引な衆院通過。河野談話に関する発言もその流れ。これからますますタカ派色を出して、強引な国会運営をやってくる可能性が強い。

従軍慰安婦問題に関する河野談話に関しては、議会で多数を握ったアメリカの民主党は人権問題に敏感で、安倍総理の言い訳発言にアメリカ世論が反発する危険性がある。また総理就任直後の訪問で改善された中国、韓国との関係も再びひびが入る可能性がある。

官邸の空気 2007-03-05 (Mon) 菅直人の今日の一言

批判の対象である衛藤晟一・前衆院議員を「江藤」と書くなんて、この男の「いい加減さ」をよく表している。ただ、こんなことは本質的なことではないので見逃してやろう。
が、「安倍総理の言い訳発言」という言葉は看過できない。

安倍首相の「狭義の意味での強制性を裏付ける証言はなかった。官憲が人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった。いわば『慰安婦狩り』のような強制連行的なものがあったということを証明する証言はない」(2007/03/05 讀賣新聞)という発言のどこが「言い訳」なのか!!!
ここに、事実をゆがめてまで自身の主張を正当化することを得意とするこの男の本質が如実に示されている。

要は、菅の言葉には、言外に「日本軍による強制連行はあった」という認識が含まれているのだ。

「アメリカ世論が反発する」「中国、韓国との関係も再びひびが入る」――こういう主張をすることによって国民の不安感を煽り、時の政権を貶(おとし)める、これはもう使い古された手法である。

「アメリカ世論が反発する」のが問題ではない。その反発する根拠が正しいのか否かが問題なのである。「中国、韓国との関係」もそうだ。関係悪化が、何によってもたらされようとしているのかを国民の前に明らかにするのが政治家としての責務である。
米国世論の反発が誤解に基づくものであれば、それを解消する。中韓との関係悪化が、彼らの政治的意図、プロパガンダに起因するものであれば、これには断固反撃する。
これが本来の日本の政治家のあるべき姿である。

にもかかわらず菅は、中韓のプロパガンダに迎合して自国政府を攻撃しようとする。これは責任ある野党第一党を代表する政治家が取るべき態度ではない。
「中韓との関係に“無用”な摩擦を起こしたくない」という姿勢が、今回の米国議会における「対日非難決議案」を引き起こしたのである。
菅の発言には、その肝腎な部分の認識が欠けている。相変わらずの「“無用”な摩擦を起こしたくない」という姿勢だ。が、これは厳密に言えば「摩擦を起こしたくない」ではなく「中韓の言い分には従うべきだ」と言っているに等しい。

このような政治家が、幹事長ばかりか代表を二度も務め、今は代表代行として党の顔になっている。こんな党が野党第一党であるというところに、わが国の不幸がある。

菅に代表される政治勢力にとっては、もう「歴史において何が真実か」が問題ではないのである。彼らにおいては「いかに日本の過去の歴史を否定するか」が重要なのだ。
「戦前の日本は悪」「戦前の日本を否定する自分たちは善」―これが彼らの立脚点であり、自らの立場を有利にするためには外国勢力にも迎合する。

これが民主党の本質なのである。
だから部落解放同盟を“関係団体”として党の公式サイトに掲載し、幹部政治家が朝鮮総連(北朝鮮)から政治献金を受けるといったような不祥事が後を絶たない。

菅だけではない。
民主党は、元副代表の岡崎トミ子参院議員を中心として「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」なる法案を執拗にわが国国会に提出し続けている。これは、わが国政府に対して“従軍慰安婦”への謝罪と補償を要求する法案である。
この岡崎が今回、韓国のメディアに登場して何と言ったか。
「日本は、この法案をきちんと通して、一人一人の名誉の回復をしてゆきたい」
これである。

岡崎の仲間である民主党参院議員の那谷屋正義も「自国の問題であるのに、自身で解決できずに米国に頼っている。謝罪というのは人と人が真剣に心から過ちを認め、相手とわかりあうことで成立する。現在、そうなっていないことに憤りを感じる」(朝鮮新報)と述べている。
「米国に頼っている」???ここまでくると、もう「理解できない」というか「狂っている」と言うしかない。

敵は中国や韓国、あるいは在米の「反日」ネットワークと、それに踊らされる米国議員
ばかりではない。もっとも危険なのは、菅直人を始めとする国内の売国議員たちであり、それが“リベラル”を名乗って民主党の中枢に居座っていることである。

われわれは、米議会の一部に見られる不当極まりない動きに断固反対するとともに、国内に巣食う「反日」売国議員たちを糾弾しなければならない。

参照:日本民主党の菅直人幹事長が南京大虐殺遭難同胞記念館を見学
    (中華人民共和国駐福岡総領事館)

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2009/01/07

ドン・金丸信の後継者

過去の人気エントリの再掲を続けていますが、読み返してみると、我ながら「面白い!」と感じ入ってしまうことがあります。
まず、掘り下げの度合が今とは違う。やはり時間をかけていた、ということですね。が、今の私にはそれがままなりません。それに、書きたいことは書き尽くしたという、「燃え尽き症候群」みたいなところもありますし。
でも、自分で書いたエントリを改めて読んで「面白い!」と感じるのも、我ながら「どうか」と思います。

今日は、今の政治を語る上で避けては通れない「田中派」―「竹下派」支配について言及したエントリです。小沢一郎も小泉純一郎も、この戦後保守政治を牛耳り続けてきた「超」派閥を語らずして説明、と言うか理解できません。

政治家・小沢一郎を理解するうえでの一助になるエントリかと思います。

ドン・金丸信の後継者 2006/04/05


政界のドンと言われた金丸信元自民党副総裁がこの世を去って、丸10年。2日、かつての門下生たちが集まりました。

鉄の結束と恐れられた旧竹下派を率いた金丸元副総裁。しかし、5億円ヤミ献金事件をきっかけに、派閥は分裂。近年は、権力の中枢からすっかり遠ざかり、去年の郵政選挙での公認外しなど小泉総理大臣の徹底した仕打ちにあって、門下生たちも別々の道を歩むことを余儀なくされました。

自民党野中元幹事長:「竹下・金丸先生の、血の出るような思いで作った平成研(旧竹下派)が、本当に見るも哀れな姿になるのが耐えられない」

竹下派200人構想をぶち上げ、政界再編をにらんでいた金丸元副総裁。皮肉にも、派閥の弱体化だけを印象づけた、しのぶ会となりました。

今や別の道 「政界のドン」しのび門下生が集結
(2006/04/03/08:20 ANN News)


金丸信、この男を語らずして、今の政治を理解することはできない。

それにしても、2日の「しのぶ会」は、テレビで見る限り、かなり寂しいものだった。「竹下派七奉行」と称された政治家は誰一人として姿が見えない。
小渕恵三、奥田敬和、梶山静六の三名は故人。橋本龍太郎(引退)は、訪中から帰国直後で、霊前に報告と行きたいところだが、自民党執行部から、「もう橋本さんは、党に座る場所どころか居場所もない」とこき下ろされる体たらく。小沢一郎(民主)、羽田孜(同)、渡辺恒三(同)の三名は、民主党の権力闘争で、それどころではない。
姿を見せた大物(?)は、綿貫民輔(国民新)と野中広務(引退)の両名くらい。
改めて、時代の流れとその変化を痛感する。


戦後の保守政権は、1972年(昭和47年)に退陣した佐藤栄作政権までは、米国の
庇護の下、米国の後に付いていくだけでよかった。
ところが、佐藤の後を襲って首相に就任した田中角栄は違った。当時の米国のメディアは、「日本に、米国と対等にモノが言える首相が初めて誕生した」と報じた。
が、この米メディアの見方は正確ではない。
1972年1月に、ニクソン米大統領(当時)が、日本の頭越しに中国を訪問した。ニクソンは周恩来、毛沢東の両首脳と会談、米中平和五原則を発表する。
このニクソン訪中の後、自信を付けた中共政権は「日本の佐藤政権、相手にせず!」と、我が国に対して強烈なパンチを繰り出した。この衝撃が、米国の意向に逆らって
まで、田中内閣を日中国交回復=日中友好路線に走らせたのである。

ここから、日米同盟に依拠しながら、中国とも政治的・経済的結びつきを深めるという
外交路線を、我が国の保守政権は取るようになった。
この路線は、実は米国の国益にも合致していた。なぜなら米国は、(旧)ソ連を最大の脅威とみなしており、当時の中共政権も、強烈な「反ソ連」だったからである。中共政権は、「反ソ連」という一点のみで、日米安全保障条約(日米安保)さえ肯定的に評価した。
ここに、東アジアにおける反ソ連共同戦線が成立したのである。
中共政権が日米安保を積極的に評価したときの、社会党(現・社民党)首脳の困惑しきった表情が忘れられない。

田中内閣が登場して変わったのは外交ばかりではない。日本の政治・経済構造も大きく変わった。
田中は、「越山会」という後援会を組織した。そして、「越山会員の建設業者による公共事業受注と、その見返りとしての選挙の際の票とカネ」という相互依存関係を地域社会に張り巡らせた。田中は、こうして地域社会を支配した。
この田中のやり方は、地域社会のインフラ整備と住民の生活向上に大きく貢献した。が、反面、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という手法が自民党内に蔓延し、自民党全体を「金権体質」に変質させた。
また、日本経済を、公共事業に過度に依存させるという、いびつな産業構造に導いた。後々のバブルや借金漬けの財政も、この時期にその土壌が作られたと言ってよい。

この田中の支配は、1985年の「創政会」=竹下グループの田中派からの離脱まで
続く。実に13年近くにわたって、「田中支配」が自民党及び日本を席巻したのである。

この田中支配は上述したように、「創政会」=竹下グループの分派で終焉を迎える。
そして、田中の支配下にあった中曽根康弘内閣は自立し、独自色を強める。中曽根は、国鉄民営化や民間活力活用政策で成果を上げ、竹下登に政権を禅譲する。
ただ、田中派の分裂を機に自立した中曽根政権だが、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という田中的体質は相変わらずで、「土地本位制」とも揶揄された経済体質は、そのまま引き継がれた。
この土壌の上に、円高対策により発生した過剰流動性が、バブルという「あだ花」を
咲かせることになる。


では、金丸信とはどういう人物だったのか?
金丸は、大正3年(1914年)9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村(現南アルプス市)で造り酒屋を営む父・金丸康三と母・とくの長男として生まれた。
旧制身延中学校(現山梨県立身延高等学校)、東京農業大学農学部卒業。
大政翼賛会の青年組織である翼賛青年団に加わって山梨県の団長・名取忠彦の知遇を得、戦後、彼の下で脈々会に加わった。
東京農大時代は、柔道の猛者(もさ)として鳴らしたという。

田中角栄もだが、金丸も毀誉褒貶の激しい政治家である。国士として尊敬する者も
いれば、単なる金権政治家として軽蔑する者もいる。
私は、融通無碍な寝業師だったと思っている。情にもろく義理に厚い。無定見で妥協を得意とする。私は、金丸の主義主張を聞いたことがない。
金丸は自分のことをよく解っていた。だから、党内最大派閥を率いていながら、ポスト
竹下に推されたとき、これを固辞、自ら宮沢喜一を後継に推した。

こんな金丸が、なぜ絶大な影響力を誇ることができたのか?
それは、まずカネである。角栄式の「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」。これを
徹底した。あるとき、記者会見で、自身の政治資金について質問されたとき、「ワシの名前はカネにマルと書くんだよ」と、冗談とも本音ともつかない言い回しで、資金が潤沢であることを示唆していた。
次に人脈。社会党の田辺誠委員長(当時)とは盟友関係にあった。また、革マル派
副議長(だった?)の松崎明JR東労組会長とも懇意。ニュースステーションが好きで、久米宏のファンだったとも聞いている。
裏社会とも繋がりがあって、広域暴力団稲川会の石井進会長(当時)とは兄弟分だったと言われる。ちなみに、金丸の一の子分を自認していた浜田幸一は元稲川会。
数の力も大きい。豊富なカネと人脈を誇る金丸の下には、陣笠議員が続々と参集。
「経世会」(竹下派)の構成議員は100名を越えた。

金丸は、1985年、勉強会と称して「創政会」を結成する。これは、共通の孫を持つ竹下登を派閥の後継領袖とするためのクーデターであった。これを知った田中角栄は激怒。猛烈な切り崩し工作を行なう。
このとき田中と面会した金丸は、「今までは、おやじさんのために命がけで闘ってきた。これからは、おやじさんと命がけで闘う」と、宣戦布告とも取れる文句を口にしたという。
この死闘は、結局、田中が脳梗塞で倒れたことで、金丸-竹下の勝利に終わる。1987年7月、「創政会」は「経世会」(竹下派)として正式に独立した。
1987年11月、竹下が第74代内閣総理大臣に就任、金丸は「経世会」会長に就任し、
党内最大派閥を率いて自民党のドンと呼ばれるようになる。

金丸の政治的夢は、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を
作るということだった。社会党の田辺との関係は、そういう意味合いも含んでいた。
が、金丸は思わぬところで挫折する。平成3年(1992年)東京佐川急便から5億円の
ヤミ献金を受け取っていたことがが発覚。党副総裁辞任に追い込まれる。それでも世論の反発は収まらず、10月には衆議院議員を辞職、「経世会」会長も辞任した。

田中もそうだったが、政治家は権力を失うと、途端にその闇の部分を追求される破目に陥る。
東京国税局は、東京佐川急便事件を捜査していた東京地検とは別に、金丸が妻(元・赤坂のクラブホステス)が死亡した際に受け取った遺産に着目、内偵を進めていた。
そして、日本債券信用銀行(日債銀・当時)の割引金融債(ワリシン)の一部が申告されていない事実を突き止め、東京地検に告発した(「自民党の打ち出の小槌」と呼ばれていた日債銀内では、金丸のことを“蟷螂(カマキリ)紳士”と符号で呼び、銀行ぐるみで不正に協力していた)。
平成4年(1993年)3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を脱税の容疑で逮捕。自宅を家宅捜索したところ、「金の延棒」等の数十億円の不正蓄財が発覚する。
金丸は、来るべき政界再編に備えた軍資金であると述べた。


金丸信、この男を語らずして、なぜ今の政治を理解することができないのか?

それは、金丸の失脚後、小沢が自民党を離党して新生党を立ち上げ、細川連立政権を樹立したのは、金丸の政治的夢であった、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を作るということに通じるからである。
金丸と小沢のニ大政党論に共通しているのは、結集すべき理念が何なのか明確ではないということだ。だから、新進党に平気で公明党を参加させた。
また、小沢と袂を分かって自民党に残った橋本や野中も、金丸の別の部分、つまり、「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」「無定見で妥協を得意とする」ところを見事に
引き継いでいる。
そして、この「金丸」的な政治と真っ向から闘い、勝利を収めたのが小泉純一郎だった。
要は、「失われた10年」を取り戻す闘いは、「金丸政治」との闘いでもあったと言っても
よい。


最後に、金丸が、その政治家としての評価を地に貶めた事件について書いておこう。
これは、ある意味、東京佐川急便からの「5億円ヤミ献金事件」や「巨額の脱税及び
不正蓄財」よりも罪が大きい。

1990年、金丸は、盟友である社会党の田辺らと訪朝団を編成。団長として北朝鮮を
訪問する。このとき自民党の代表として、国交正常化や日本統治時代の補償とともに、「南北朝鮮分断後の45年間についての補償」という約束を自民党、社会党、朝鮮党の3党で交した。
これは、南北分断後の「日本の北朝鮮敵視政策(笑)」を我が国が反省し、それによって北朝鮮が被った損害を補償するというものである。
既に、北朝鮮による日本人拉致疑惑は、我が国政府も認めるところだった(1988年3月26日、参議院予算委員会、梶山静六国家公安委員長答弁)にもかかわらず、こんな
正気の沙汰とは思えない約束をする。
この約束は帰国後、当然のことながら猛烈な批判を浴びる。そして自民党の承認を得られず反故(ほご)にされた。
このころから、金丸の自民党内における神通力が衰え始めた。


なお、この訪朝団には、野中も同行している。野中は1999年にも訪朝し、金日成を生前の姿のまま安置した錦繍山記念宮殿を訪問、以下のように記帳している。
「ご生前中に三度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の
不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の
上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りします」

つまり、金丸の「金権」「売国」的体質は野中がしっかりと引継ぎ、無定見な「政界再編の夢」は小沢が引き継いだ。そして、小泉は、そのような「金丸的な体質」に果敢に闘いを挑んだ。
すべてではないが、大雑把に言えば、そんなところではないか。


金丸がもっとも可愛がったのが小沢だった。その金丸が議員を辞職するに際し、小沢は「ぜひ、次の派閥の長は小沢にと、記者会見で指名してくれ」と詰め寄ったとされる。が、金丸から「辞めていく人間が、後のことなど指名することはできない」と拒絶された。だから小沢は派閥を割り、党を割ったという説もある(ただ、これは野中の話だから割引く必要がある)。
(文中・敬称略)

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【追記】 2009/01/07
脱税容疑で金丸の自宅を家宅捜索した時に出てきた「金の延棒」には、刻印(品質保証)がなかったと言われている。刻印のない「金の延棒」を作っている国は北朝鮮しかないそうだ。
この「金の延棒」=北朝鮮説は、自民党の平沢勝栄衆院議員(元警察官僚)も証言している(2002年11月24日 サンデープロジェクト)。
この話が事実なら、国士・金丸信は北朝鮮のエージェントだったということだ。だから、経世会全盛時代は「拉致問題」が闇に葬られていた、そう思うと納得がいく。

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2009/01/06

中・韓―その「反日」の本質

皆さんの中には、中国と韓国が「なぜ反日に走るのか」をよく理解できない方もおられると思う。それも当たり前で、日中、あるいは日韓のような2国関係は世界でも珍しいからである。
口では「友好」を唱えながら、気に食わないことがあると相手の内政問題にまで干渉し、ヒステリックに非難、というより中傷を加える、こういう隣国(友好国)に囲まれているという状況は、普通はありえない。
しかも、そのヒステリックな隣国の中傷に共鳴し、自国を誹謗する勢力が国内に堂々と存在するというのも、まさに東アジア的、そして日本的特殊性のなせるところだろう。

ところで、同じ「反日」でも中国と韓国のそれは本質的に違う。官民挙げて絶叫する、あるいはプロパガンダの塊であるという点では同じだが、両国の歴史的、または政治的、あるいは地政学的違いがその「反日」のあり方に大きく影響を与えている。

以下の記事は、引き続き過去の人気エントリの再掲だが、お読みいただければ、そのあたりがかなりクリアーになると思う。

中・韓―その「反日」の本質 (2007/05/13)

小泉内閣のころ、よく「日本はアジアで孤立している」と言われた。
が、これは親中派や左翼、あるいは朝日新聞に代表される左派メディアのプロパガンダでしかなかった。
実際のところアジアで、いや世界中で日本の首相の靖国神社参拝を非難していた国は中国と韓国、それに北朝鮮くらいしかない。
このためネット上では、この3国を明確に区分するために「特定アジア」とか「特ア3国」とか呼ぶようになった。
では、なぜこの3国は日本の首相の靖国神社参拝を非難するのか?なぜ「反日」なのか?
今日はこのあたりに言及したい。
ただ、北朝鮮はカルト国家なので今回は対象にしない。

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実は中国と韓国の「反日」は本質的に違うのである。

中国は1972年の「国交正常化」以来、80年代後半までは間違いなく「親日」だった。毛沢東は日米安保条約ですら容認していた。もちろん日本の首相の靖国神社参拝を非難することもなかった、“A級戦犯”が合祀された後も。
80年代の中国で、もっとも人気のあった女優は日本の山口百恵であり、男優は高倉健。百恵が主演した「赤い疑惑」は中国で空前のヒットを記録した。
つまり、中共指導部も中国社会の空気もけっして「反日」ではなかったのである。

もちろんこれには事情があった。
一つは、ソ連が中国にとって大きな脅威になっていたということ。それから当時の中国は世界で孤立していたということ。
そのころの中国にとって「友好国」と呼べるのは、アルバニアとルーマニアくらいしかなかった。

ところが80年代後半から状況は一変する。
1989年に起きた天安門事件は中国共産党(中共)の威信を一気に低下させた。なぜなら人民の軍隊(人民解放軍)が人民を虐殺したからである。しかも、改革開放に伴なう市場経済の導入により、共産主義イデオロギーは社会的規範としての役割を喪失した。
中共の威信低下と共産主義イデオロギーの崩壊―つまり、80年代後半から共産党一党独裁の正統性に疑問符がつき始めたのである。
一方、対外的環境を見ると、1991年には中国にとって最大の脅威だったソ連が崩壊した。これにより、反ソ戦略の一環としての「親日」が不要になった。
ここにおいて中共指導部は「反日」に大きく舵を切ることになるのである。

「中国共産党は抗日戦争において中心的役割を担い、これに勝利した」
中共独裁を正当化するにはこれを強調するしかなくなった。
そして「抗日戦争」における共産党の役割をたたえるプロパガンダは、同時に中国を侵略した日本軍がいかに残虐だったかを強調するプロパガンダにつながっていった。

つまり中国の「反日」は、中共体制が抱える内部矛盾の外部転化なのである。
共産党支配の正統性を合理化し、その求心力を維持するために抗日戦争の勝利と「反日」を強調する。90年代に入って強化された愛国・民族主義教育は「反日」教育でもあったのだ。

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以上を読めば、中国の「反日」が政治的な動機によるものであることがおわかりいただけたと思う。

では、韓国はどうか?

韓国の「反日」は、言うなれば歴史的怨念、民族的怨念の発露である。
その起源を私は、1637年の「丙子胡乱」にあると見る。

14世紀末に建国された李氏朝鮮は明(中国)の朝貢国であった。その朝鮮にとって
満州(中国東北部)にある女真族は北狄(ほくてき=野蛮人)であり、軽蔑の対象でしかなかった。
ところが17世紀に入ると、満州で女真族が建てた後金が勃興し国号を清と変更すると、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めてきた。
華夷思想に染まっていた時の朝鮮王・仁祖は当然のことながら清の要求を拒絶する。すると、怒った清の皇帝・太宗は10万の兵力を率いて朝鮮に侵攻した。で、清の圧倒的な兵力の前に朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、わずか45日で降伏。
これが「丙子胡乱」である。

このとき江華島に逃げた仁祖は清軍に捕らえられ、三田渡で降伏の儀式が行われた。この儀式は屈辱的なもので、仁祖は太宗に対し三跪九叩頭の礼(三度ひざまずき、
九度頭を地にこすりつける)をもって清皇帝を公認する誓いをさせられた。
そして三田渡の地には、後にこれを記念した大清皇帝功徳碑(三田渡碑)が建てられることになる。

韓国では、この碑を「恥辱碑」と呼ぶ。
それは、この碑に以下のような内容の文が刻まれているからだ。

愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。
清国皇帝は、愚かな朝鮮王を窘め、この大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
(要約)

この屈辱の儀式のあと朝鮮は、「三田渡条約」と呼ばれる、これまた屈辱的な条約を清に呑まされる。

大淸皇帝功德碑の原文(漢文)はこちら
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B7%B8%E7%9A%87%E5%B8%9D%E5%8A%9F%E5%BE%B7%E7%A2%91

日本語訳はこちら大清皇帝功徳碑の要約

Jijyokuhi3













この写真のレリーフは韓国政府が作ったもので、「大清皇帝功徳碑」のそばにある。
清の太宗の陣地があった三田渡の受降壇で、仁祖が太宗に対して三跪九叩頭の礼を行い、清皇帝を公認する誓いをさせられるという場面を描いたものである。

「受難の歴史が渦巻くこの場所で、我々はこのような汚濁の歴史が再び繰り返されないよう、民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」

レリーフの文末には、このように書かれている。これは、1982年当時の全斗煥・軍事政権のころに書かれたものだ。
「受難の歴史」「汚濁の歴史」、この言葉に韓国・朝鮮の歴史的、民族的無念が示されている。誇り高き韓国・朝鮮人にとっては受け入れがたい歴史だが、これが事実であることがさらに彼らの自尊心を傷つける。

参照:よみがえる?「対中/屈辱の碑」 (毎日新聞)

この清によってもたらされた「受難」「汚濁」から韓国を解き放ったのは「自主、自強の
意志」ではなかった。屈辱的な「三田渡条約」を破棄し、晴れて独立の身になれたのは清が日本に敗北したからである。
つまり、日本のおかげで「受難の歴史」「汚濁の歴史」を断ち切ることができた。
が、これまた韓国・朝鮮にとっては屈辱だった。北狄(野蛮人)から受けた恥辱を東夷(とうい=未開人)の力を借りて晴らすことになったからである。

で、結局、韓国・朝鮮はこの後も「自主、自強の意志」を固めることはできず、日本の統治下に組み込まれることになる。そして、この日本による統治から解放されたのが米国のおかげ。
ここでも「自主、自強の意志」とは無縁のまま独立を果たすことになる。で、独立後は
今度、南北に分かれて同じ民族同士で無残な戦争を引き起こしてしまう。片方はソ連、もう一方は米国の後押しを受けて。

つまり、韓国・朝鮮は中世から近世~近代にかけて一度も「自主、自強の意志」を貫いたことがない。この屈辱が「民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」という言葉になって表れるのだ。
狂気じみた「反日」も、盧武鉉という低脳な政治家を「反米」主義者というだけで大統領に選んだのもこのためだ。

このあたりは、拙著『韓国が世界に誇る ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録』をお読みいただければ、よくわかると思う。

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中国の「反日」は政治的に作られたものだ。一方、韓国のそれは歴史的、民族的な理由による。

したがって、中国の「反日」は中共の都合次第でどうにでもなる。
今、中国では自らが蒔いた「反日」の種が大きくなりすぎて、逆に中共体制を脅かすまでになっている。だから中共は「親日」宣伝に努めている。

「赤い疑惑」を再放送したり、米倉涼子主演の「女系家族」や「黒革の手帖」を放映したりしているのもそのためだ。
もちろん、中国進出にブレーキがかかりつつある日本から、より一層の資本と技術を引き出すことも狙いの一つである。

一方の韓国は、盧武鉉政権がハンナラ党(保守)政権に代わっても、その「反日」は本質的には変わらない。おそらく経済的に、文化的に「日本に追いつき追い越す」までは、「反日」は今のままだろう。
そして韓国が日本に追いつくことは、この先100年間はありえない。

結論として言えることは、狡猾な中国も愚かな韓国もわが日本国の友好国にはなりえないということだ。
むしろ、「近隣国とは利害が対立するのは当たり前だ」という心構えで、「敬して遠ざける」という態度を貫くべきである。

【注】
“A級戦犯”が靖国神社に合祀されたのは1978年、中国がわが国首相の靖国神社参拝を非難し始めたのが1985年。
が、この時も、胡耀邦政権は自制的で、むしろ日本の野党(社会党)が煽り立てている感じだった。

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2009/01/05

人体実験だった広島・長崎の原爆

今日は、過去の人気エントリの再掲、第5回目。
ここで、最大且つ唯一の同盟国である(と私が思っている)米国に対する私の基本的認識の一端を明らかにしておきましょう。
以下は、もう2年半近く前の2006年8月13日にアップしたエントリです。やはり、毎年8月になると、米国やソ連(ロシア)に対する怒りと、戦後の我が国の不甲斐なさに対する落胆がこみ上げてきて、私はその感情を押し止めることができません。

ほんとうに米国(連合国)の戦いは「正義」で、我が国のそれは断罪されるべきものでしかなかったのか?
あの戦争を直視した時、それほど単純に物事を割り切れるのか?
私は、米国との間に「真の同盟関係」を築きあげるうえでも、何が正義だったのかを相対的に考察するべきであると思っています。

以下のエントリが、皆様の考察の一助になれば幸いです。

人体実験だった広島・長崎の原爆

「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。
実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと
鳴らした。


これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。
つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。

実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。
【余録】氏も次のように書いている。
「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。(原爆の開発にかかわった)科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した」
やはり、大統領、そして国家に「過ち」はあってはならない、その思いが「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉と、「指パッチン」という態度につながったのだろう。

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私は昨年の8月6日、次のように書いた。(抜粋)


私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている。しかし、毎年8月がくると
怒りがこみ上げてくる。
これは、もう理性を超越した、日本人としての血がなせる業だと思う。やはり、今日は、原爆と米軍の話を書かずにはいられない。

私は、広島の平和記念公園を二度訪れたことがある。もちろん、原爆死没者慰霊碑に首(こうべ)を垂れ、祈りを捧げた。そのときは、「過ちは繰り返しませぬから」という碑文の文言には、何の抵抗もなかった。しかし、今日、その碑文を読み直して強い違和感を覚えた。
原爆投下という過ちを犯したのは米国である。なのに「過ちは繰り返しませぬから」とは・・・・・・おそらく、この慰霊碑が建立された頃は、日本の誤った戦争が原爆の悲劇をもたらしたという認識が、我が国民に強かったということであろう。当時の私も、何の
抵抗も感じなかったのだから・・・

広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上
最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である。したがって、原爆被害に遭われた方々に対して、「過ちは繰り返しませぬから」などと言うのはもう止めにしたい。
「原爆の悲惨さは永遠に忘れません。皆様の筆舌に尽くしがたい苦痛と無念を心の
奥底に深く刻み込みます」と誓いたい。

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しかし、誤解してほしくないのは、当時の米国が戦争犯罪を犯したと断罪し、反米感情を煽ることが私の目的ではない。なぜ広島や長崎に原爆が投下され、20万人以上もの命が一瞬にして奪われることになったのかの真実を知ってもらいたいのである。
したがって、私の立場は、先月の中旬に広島で開かれた「国際民衆法廷」とは明らかに違う。

「国際民衆法廷」は先月16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする
判決要旨を発表した。また、米国政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める
「勧告」も盛り込んだ。

が、この法廷の「設立趣意書」を読むと、この「法廷」が、特定の思想的立場に立った
ものであることが解る。
「設立趣意書」では「私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのでは
なく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります」「原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の
一端があると私たちは考えます」と書かれている。

これは、「私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っている」「広島に原爆が投下されたことに対して、我が国及び我が国民に非は一切ない」という私の立場とは、対極にいる人たちの考え方だ。

ただ、この「国際民衆法廷」で明らかにされた「原爆投下に至る事実関係」には、米国
政府が公開した「保存記録」に基づく記述が多く、参考にはなる。

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米国の主張は、「原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が
出たであろう」というものだ。原爆は、逆に多くの人命を救ったのだ、だから原爆の投下は正しかったんだ・・・
これが、米国の論理である。が、これは真っ赤なウソである。
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって、核実験だけでは得られない、その効果を検証することであった。つまり、広島の原爆も長崎の原爆も「人体実験」だった
わけである。

1945年7月26日、米・英・中の3国は、我が国に対して降伏を勧告する、13条から成るポツダム宣言を発した。
宣言の骨子は以下のとおりである。

日本軍の無条件降伏 、及び日本国政府によるその保障(13条)
カイロ宣言 の履行(8条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(8条)
戦争犯罪人 の処罰(10条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(6条)
特に13条の最後は、「右以外の日本国の選択は迅速且(かつ)完全なる壊滅あるのみとす」という「殲滅宣言」とも受け取れる言葉で結ばれている。

ポツダム宣言の詳細は→ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)

実は、このポツダム宣言と、それが成立する過程に、米国の日本に対する原爆投下の真実が隠されているのだ。

ポツダム宣言は、天皇制維持についてまったく言及していなかった。そのために、我が国政府の内部では、この宣言をめぐって激論が交わされた。が、出された結論は「宣言の黙殺」と「断固戦争完遂に邁進する」というものだった。
ところが、宣言の起草段階では、天皇制の維持が含まれていたのである(12条)。にもかかわらずトルーマンが12条を書き換えさせたため、明確な天皇制の保証は姿を消した。残ったのは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」「政府が樹立せらるる」という文句である。
我が国政府が後日、ポツダム宣言受諾を決定したとき、付けた条件が「天皇制の維持(国体の護持)」であったことを考えれば、12条を書き換えていなければ、我が国政府の最初の結論が違ったものになった可能性は高い。
もちろん、12条に「天皇制の維持」が含まれていたとしても、我が国が早い段階で宣言を受諾したか否かは分らない。が、トルーマンが、日本政府の宣言受諾を遅らせようと企図したことだけは間違いないのである。

以下に、原爆投下までの経緯を時系列的に整理してみる。

1942年8月13日、レスリー・グローブズ陸軍少将を最高指揮官に、オッペンハイマー
博士を原爆の設計・製造の総責任者として「マンハッタン計画」がスタートする。
1944年9月19日、、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との間で交わされた
ハイド・パーク協定によって、原爆の投下対象をドイツから日本へ変更することが決定される。
1945年4月に、ルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、初めから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が
爆撃目標とされる。
1945年4月の時点で、トルーマンは原爆の完成予定を知っていた。
1945年6月01日、ジェームズ・バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは原爆投下を決断した。
1945年7月16日、米国はニューメキシコ州で初の原爆実験に成功する。
1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外・ポツダムで米・英・ソ3国首脳による会談(ポツダム会談)が始まる。ポツダム会談の期中に、トルーマンに原子爆弾の製造完了が
伝えられた。
1945年7月24日、トルーマンは、8月10日までに日本に対して原爆投下を繰り返し行うよう指示。
1945年7月25日、トルーマンは日本への原爆投下命令を出す。
1945年7月26日、ポツダム宣言が発せられる。
1945年8月06日、広島に原爆が投下される。
1945年8月08日、ソ連が深夜に日ソ中立条約の一方的な破棄を宣言。9日午前零時にソ連軍が対日参戦。
1945年8月09日、長崎に原爆が投下される。
1945年8月09日、我が国政府は、御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。
1945年8月15日、 天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる玉音放送(ラジオ)が行われる。

以上を振り返って見ると、我が国のポツダム宣言受諾が、米国による原爆の投下や
ソ連の参戦に促されたことは間違いない。が、米国による原爆投下は、我が国のポツダム宣言への対応とは関係なしに実行されたことが解る。つまり、原爆を投下するまで
我が国を降伏させない、そしてソ連が参戦する前に原爆を投下する。これがトルーマン政権の基本的姿勢であった。

「ポツダム宣言」は、別名「米、英、華三国宣言」とも呼ばれる。これは、会談に加わっていたソビエト連邦(ソ連)が、我が国に対して(条約上)中立の立場をとっていたため、
宣言に加わらなかったからである。
また英国代表は、直前の総選挙の結果、ウィンストン・チャーチルからクレメント・アトリーに変わっており、アトリーは選挙後の後始末のために不在だった。中華民国代表の蒋介石もポツダムにはいなかった。
つまり、米、英、華(中)、3カ国代表のサインは、トルーマン一人によって書き上げられたのであった。

-------------------------------------------------------------------

米国は、日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったというが、これも真っ赤な嘘である。

原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件であったのだ。

これに適うのが京都、小倉(北九州市)、新潟、広島、長崎で、中でも盆地状の京都市街は申し分なかった。そこで、原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に
定められ、京都に対する通常爆撃の禁止命令が出された。おかげで、古都の街並は
原爆投下用に保存されたのである。
ところが、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンが京都案に強硬に反対したため、最終段階で京都は第一候補からはずされたが、「日本の文化財に敬意を表したから京都を爆撃しなかった」というのは嘘なのである。
広島も爆撃されなかったし、小倉、新潟、長崎も、他の大都市に比べればほとんど無傷だった。ちなみに、長崎は第二候補だった。が、広島とともに第一候補にされた小倉
上空が曇りであったために、長崎が標的になったのである。

-------------------------------------------------------------------

以上からすれば、広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の主語は米国のはずである。いや、米国でなければならない。
にもかかわらず、「国際民衆法廷」の主催者のような「原爆投下という大惨事を招いた
当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます」という輩が、未だに我が国には存在する。

私は米国を、日本のかけがえのない同盟国だと思っているから、いまさら米国を責める気持ちはない。「国際民衆法廷」のように、当時の米国指導者を糾弾するなんて、特定の政治的意図が込められているとしか思えない。
が、こと原爆投下に関して言えば、我が国及び我が国民に非は一切ない。史上最大級の戦争犯罪を犯したのは米国である、と思っている。

関連エントリー:残忍な人たち

参照1:ハリー・S・トルーマン (Wikipedia)
参照2:ポツダム宣言 (Wikipedia)
参照3:原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
参照4:原爆投下、米元大統領らに「有罪」
参照5:「原爆神話」からの解放-「正義の戦争」とは何か-
参照6:原子爆弾
参照7:東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷

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2009/01/04

「反日」主義者の脳内を解剖する

今日も過去の人気エントリの再掲です。

ところで、このブログに共鳴する人は、日本国民でありながら日本国に敵愾心を燃やす人たちの心理状態がよく解らないのではないかと思います。
自分が生まれ、自分を育ててくれた国を悪しざまに言う。あるいは、今日の繁栄の礎である過去の歴史を否定し、幾多の困難を乗り越えてきた先人たちを愚弄する。
彼らは、一般的には左翼、あるいはリベラルと呼ばれます。が、これが世界的に見ると特殊なんですね。もう珍種と言ってもよい。
欧米では左翼もリベラルも国家に対する忠誠を誓います。国家を否定するのは革命勢力、つまり極左だけです。ところが我が国は違う。それで自分は「正しい」と思っているのだからどうしようもありません。
要は、日本人としてのアイデンティティーを喪失したコスモポリタン、根無し草が彼ら日本の左翼でありリベラルなのです。

今日は、日本国民でありながら日本国に敵愾心を燃やす人たちを、いくつかに類型化して批判した過去の人気エントリを再掲します。
第4弾、「反日」主義者の脳内を解剖する(2008/01/30)。これを読めば、理解不能と思われる日本の「左翼」、つまり反日主義者をいくらかでもご理解いただけるのではないかと思います。

「反日」主義者の脳内を解剖する

皆さんは、日本人でありながら日本の近代史を否定し、日本という国を特定の外国勢力と歩調を合わせながら攻撃する「反日」主義者を理解できないでしょう。
そこで、元「反日」主義者の私が、彼らの脳内を皆さんに解説して差し上げたいと思います。

「反日」主義者は大きく分けて三つのタイプがあります。一つは共産主義イデオロギーが源にあるタイプ。次が被差別部落出身者や在日系の人たち。そして、創価学会に代表されるカルト系の組織に属している人たち。

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共産主義はインターナショナルですから、この思想を信じる人は、そもそも国家を超越しているんですね。共産主義は、究極的には国家が死滅するとしています。そこでは階級だけではなく、人種や民族や歴史の違いに関係なく絶対的な平等社会が実現するんです。
「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」、こんな夢みたいな(ありえない)社会が共産主義社会です。だから、共産主義者にとって資本主義体制は打倒すべき対象でしかありません。資本主義の国家は“悪”です。愛国心も、民族としての誇りも、能力が正当に評価される社会もすべて否定されます。

で、共産主義者は、この資本主義体制、資本主義国家を打倒するためにはあらゆるものを利用します。もともと国家を超越しているわけですから、外国勢力と組むのも当たり前。
レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ!自国帝国主義の敗北を!」」というのが典型でしょう。祖国が戦争している、祖国が窮状にある、それを利用して革命を起こそう、これがレーニン主義です。
だから共産主義者が、反国家=反天皇=反日となるのは当たり前。彼らが「国を愛している」と言うとすれば、それは自己矛盾、欺瞞です。

共産主義者は、日本共産党や、彼らが「トロツキスト」として攻撃する中核派や革マル派だけではありません。社民党や新社会党も同じです。
そもそも、社民党や新社会党の前身だった日本社会党は、非日本共産党の共産主義者(戦前の労農派)が中核でした。新社会党は、今でも社会主義革命を目指しているし、北朝鮮を賛美しています。社民党も社会民主主義を標榜していますが、西欧の社民党とはまったく違います。
西欧の社会民主主義とは、一国を基礎とし、資本主義の枠内でその「ひずみ」を修正する主義です。つまり、自由な競争を前提としながら、その中で富の再分配や基本的人権を重視する。もちろん、国家の安全保障については保守と同じ立場に立ちます。
それからすれば、大企業を敵視し、愛国心を否定し、自衛隊を「悪」とみなし、国家の安全保障を放棄する日本の社民党は、「共産主義者まがい」と言えます。

新社会党はもちろん、社民党も本音は「反天皇」です。現体制を否定するのが彼らの思想の根源ですから、外国勢力と組むのも、しごく当たり前のことなのです。

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被差別部落出身者や在日系の人たち、この人たちにとっては差別に対する「怒り」が日本という国に対する「恨み」になっています。
部落解放同盟(解同)は、昭和天皇を「裕仁」と呼び捨てにし、昭和天皇を「戦犯」として糾弾しています。
彼らは、部落差別を国家の体制によるもの、つまり天皇制が「差別の根源」とみなしているわけです。これは在日系の「朝鮮人差別」に対する認識も同じ。
だから、彼らにとっては、反差別の闘争が反国家=反天皇=反日となるのです。
ただ、実態は単なる利権の獲得闘争ですが。

しかも、この解同、朝鮮総連や北朝鮮と近いから危険ですね。また、教育現場に介入し、同和教育なるものを強制している。いわゆる「人権擁護」教育ですよ。
で、この解同に同調する教師がけっこういるんですね。広島県では県教組も県高教組も解同と一体、なんと新社会党を支持しているのですから驚きです。

同和教育、同和対策が、かえって差別を助長している、それに気付かないふりをしているんですね解同は!
もう「差別」がないと生きて行けない組織に堕しています解同は!
要は、差別を食い物にしている。
つまり、彼らの反国家=反天皇=反日は、差別を食い物にする運動と表裏の関係にあるということです。
で、この解同を「関係団体」として公式ページに掲示している民主党。この政党の中に「隠れ社民」がいることの象徴でしょう。

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ところで、被差別部落出身の「反日」主義者といえば、野中広務自民党元幹事長を思い浮かべる方がおられるかもしれません。
が、この方、単純な「反日」ではありません。

戦後、すぐに共産党員になり、その後に転向して、今度は反日本共産党の急先鋒になりました。が、1999年、北朝鮮を訪問した時、錦繍山記念宮殿において「ご生前中に3度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りいたします」と記帳しています。
つまり、この人物も「非日本共産党の共産主義者」だったわけです。
ところが、この野中氏、「日の丸」「君が代」の法制化に尽力しています。また、解同に対しては距離を置いている、というより批判的です。

つまり、この方は、「非日本共産党の共産主義者」という内面と、自民党の権力者という表の顔、本来なら相容れないはずのものを併せ持っているのですね。
これこそ、戦後の日本の思想的混乱と政治的ねじれ、そして部落民という彼の出自が錯綜した結果だと思います。

私は「政治家」としての野中氏は許せませんが、人間としては好きなところもあります。

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最後に、反日カルトの代表である創価学会について書いてみたいと思います。
そもそも、原理原則に立てば、宗教と天皇制が両立するのがおかしいんですね。神道や民俗信仰、あるいは自然信仰は別ですが、キリスト教やイスラム教などの一神教徒が、天皇が「象徴」とはいえ、社会の頂点におられ、尊崇の対象になっていることを容認できるわけがありません。
が、両宗教とも成熟していますから、原理主義者でない限り天皇制との共存を志向すると思います(仏教は言うまでもありません)。

現に、台湾の李登輝前総統は敬虔なクリスチャンでありながら靖国神社に参拝しますし、大平正芳元首相も同様でした。
私は親鸞に傾倒していますが、本質的には無神論者です。それでも天皇は尊崇しています。
つまり、我が国の天皇制は宗教を超越した存在なわけです。
で、創価学会はというと、これが国籍不明。日蓮正宗を破門になってからは、何が信仰の核になっているのか解りません。解るのは、池田大作先生が学会員にとって「天皇」に近い存在であること。

創価学会は「反日」ではない、「反天皇ではない」と反論するかもしれません。
では、学会員に訊いてみてください。「天皇と池田先生のどちらが日本にとって重要なのか?」と。
彼らは返答に窮するはずです。

創価学会は、生まれながらにして「反天皇」であり「反国家」です。戦前に不敬罪で学会幹部が大量に逮捕・拘留されたことがトラウマになっています。
特に、国籍不明の池田先生が会長に就任してからその傾向が強い。

池田先生が、学会のホームページに何と書いたか!

―韓国の「情(じょう)」は厚く、深い。5千年の間、苦難の歴史を耐えて乗りこえ、しかも情(なさ)け深(ぶか)さをなくさなかった人達(ひとたち)である。
憎(にく)しみを人に向けるよりも、悲しみを雪のように胸の奥に積もらせながら、明日(あす)を信じて微笑(ほほえ)んできた人々である。
愛の国、美の国、文の国。
その平和の人々が、「何十世代の後(あと)までも忘(わす)れぬ」と、怒(いか)りを骨に刻(きざ)んだ相手が、日本の残虐(ざんぎゃく)な国家主義者であった。
行く先々での略奪(りゃくだつ)。暴行(ぼうこう)。殺戮(さつりく)。「禽獣(きんじゅう)にも劣(おと)る」、文化なき「悪鬼(あっき)」と呼ばれた。―

―「池田大作名誉会長 地球は美しい」―より抜粋

池田先生によれば、韓国は「愛の国、美の国、文の国」。で、日本(の国家主義者)は「禽獣(きんじゅう)にも劣(おと)る」、文化なき「悪鬼(あっき)」
先生の出自が知れます。

創価学会(公明党)が自民党と連立を組み、「教育基本法改正」や「国民投票法」に賛成したのは、国の将来を考えてのことではありません。ただただ、脛(すね)に大きな傷を持つ池田先生を守りたいため、それだけです。

彼らは「地球市民」という言葉が大好きですよね。よく言えばインターナショナルですが、現実を見れば「無国籍」そのものですよ。まあ、一般的に宗教には国籍はありませんが、彼らの場合は世界制覇の夢を未だ捨てていないから不気味なのです。
創価学会の、というか池田先生の教えが世界中に広まり、その下(もと)で世界中の人々が一つの市民になる、これが彼らの言う「地球市民」です。

今、創価学会は創価学会インタナショナル(SGI)が上部組織になっています。現在、156団体が加盟。191の国・地域に信者がいます。その会長が池田先生。日本の創価学会はその一支部に過ぎないんですね。
コミンテルンがあって、日本共産党がそのコミンテルンの日本支部だったことにそっくりですよね。

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以上、「反日」の三つのタイプについて書きましたが、これらの人たちは、政界、官界、法曹界、教育界、界、宗教界、メディアなど、あらゆるところに浸透しています。
まさに、あらゆるところから日本を攻撃し、その体制の崩壊を目指しているわけです。

我々は、彼らの存在を注視し、その策謀に対抗していかなければなりません。

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2009/01/03

黒字倒産しそうな中国

年が明けてから、過去の人気エントリの再掲を続けています。今日は、2006年9月11日にアップした「黒字倒産しそうな中国」です。

中国では今、世界的な金融危機を受けて倒産が続出しているようです。特に、「世界の工場」と称された中国の象徴でもある広東省東莞市は、讀賣新聞によれば――民工という主役を失った街は空洞化しつつある。従業員7000人以上を抱えていた玩具工場の「門前町」だった東莞市樟木頭地区は、ゴーストタウン化していた――というのが現状のようです。

靴や玩具、電子機器などの工場が集中し、民工が人口約1000万人の8割を占める東莞市では、外資系も含めた企業の倒産、撤退が今も相次いでいる(讀賣新聞)そうです。
「低賃金と外資」に依存した中国式成長モデルが破綻しつつある中で、突然に世界的規模の金融危機が東莞市を襲った。この現実の前に、中国企業も当局もなす術がない、というところでしょう。

東莞市では、民工たちの抗議行動が頻発しているようです。そして、これは東莞市に限らない。中国当局は必死の対応で民工たちをなだめているようですが、危機がますます深刻化すれば、このような小手先の対応ではどうにもならない、そう思います。
何しろ中国全土で、民工の数は、1億3000万人にのぼると言われています。そのうち、すでに780万人が失業して帰郷。民工は、我が国で言えば期間従業員や派遣者のようなものですから、今後は失業者が急増していくのは間違いありません。

胡政権は来年、「(雇用確保の最低ラインとされる)8%経済成長を死守する構え」(中国筋)だが、外交筋からは「経済対策によるGDP(国内総生産)押し上げ効果を加えても6%台になる可能性がある」との悲観的な見方も出始めている(讀賣新聞)とのことです。

今の中共体制を支えているのは「無限の経済成長」と中華民族主義(特に反日主義)と言われています。その一方の、「無限の経済成長」が今、脆くも崩れ去ろうとしている。
1億3000万人にのぼる民工が失業したらどうなるのか?彼らの出身地である農村には、その受け皿はまったくありません。彼らには帰郷して農村でくすぶるのか、都市部でホームレス化して流浪するのか、という選択肢しかないのです。

まさに、中共率いる中国は激動(激震)の時代に突入した、そう認識すべきです。

では、「黒字倒産しそうな中国」を再度掲載します。

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相変わらず「中国経済バラ色」論をふりまく人たちがいる。
これも無理はない。公式に発表される数字は、どれも目を剥くようなものばかりである。

8日付の中国紙「中国経済時報」によると、中国・国家外貨管理局幹部は、中国の外貨準備高が9月中に1兆ドルを超えるとの見通しを示した(ちなみに、日本の8月末の外貨準備高は8,787億ドル)。
また、同局幹部は、2006年の貿易黒字が1,200億ドル超となる見通しも併せて示している(前年の貿易黒字は、1,019億ドル)。

つまり、外貨準備高、貿易黒字とも依然として高い伸びを示しており、いずれもダントツの世界一であるということだ。

経済成長も高い水準を持続している。
アジア開発銀行(ADB)が6日に北京で発表した改訂版「2006年アジア発展展望」では、投資と輸出の急増によって、今年の中国の経済成長は10.4%に達すると指摘されている。

これらの数字を見れば、中国・国家統計局の邱暁華局長が北京大学の学生たちを前にして「2010年までに中国のGDPは、おそらくドイツに追いつくだろう」「15年後の2021年には、おおむね日本に追いつく」などと豪語するのもうなづける。

が、邱局長は聴衆である学生たちに対して、「中国経済は急速に発展する条件を備えている。皆さんは、経済の前途を信じなければならない」と強調する一方で、「経済発展のマイナス要因になるものは資源と環境だ」とし、「中国は多くの重要な資源がない国だ。資源問題はこれまで以上に中国経済にとって大きな制約になる」とも述べている。

つまり中共幹部も、「中国経済バラ色」論をふりまきながら、本音の部分では資源的制約と環境的制約が中国経済の足枷になっていることを認めているわけだ。

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中国の環境がいかにひどい状況にあるかは、中国食品薬品監督管理局の内部資料がその一端を明らかにしている。

内部資料は、中国全土の河川の6割が水銀など危険な重金属や農薬で汚染され、こうした水質悪化が疾病の8割、さらには病死の3割に関係していたと指摘。
汚染危険地域は、中国経済を牽引する①北京、天津などの環渤海湾地域、②上海、
南京などの長江デルタ地域、③広州、深圳などの珠江デルタ地域-の三大工業地帯に集中し、汚染面積は2,000平方キロメートルに及んでいることを明らかにしている。
これは、ほぼ東京都の面積(2,187km²)に匹敵する。

大気汚染や砂漠化も深刻である。
中国・国家環境保護総局によると、中国では都市住民のおよそ3分の1が汚染度2級以上の都市で、1億1,600万人が汚染度3級の都市で生活しているとされる。汚染度2級は「人の健康に悪影響を及ぼす程度」、3級は「非常に危険な程度」。
世界銀行では「中国では年間約40万人が、肺炎や心臓病など大気汚染が原因とされる疾病にかかり死亡している」との報告を行っている。

国土の砂漠化も深刻で、中国全土のおよそ28%が既に砂漠化しており、それは北京
近郊にまで押し寄せている。大都市近郊まで砂漠化が進んでいるということは、飲料水の確保さえ難しいということだ。

昨年9月には、中国共産党政治局員も兼任する張徳江・広東省党委員会書記が、次のように嘆いている。
「広東省は中国の経済改革の先駆的存在であり、急激な経済成長などの奇跡を達成
したと思われているが、実際の広東省の運営は綱渡りの状態だ」
「急激な経済開発に伴い、耕作可能な土地が減少し、水質や大気の汚染が極度に
悪化。飲食物の安全を確保できない状態だ」
まさに危機感を露わにした発言である。
ちなみに、広東省の中核は、上海と並んで「中国経済の双頭の龍」と言われる珠江
デルタ地域そのものである。

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環境問題と並んで資源問題も深刻である。

中国は、既に米国に次いで世界第2位の石油消費国である。国内総生産(GDP)は
米国の約15%、日本の約38%に過ぎないのに、この状況なのである。しかも、エネルギー消費の約6割を石炭が占めているにもかかわらず、膨大な量の石油を必要として
いる。
なぜか?
その理由を、今月初頭に中国を訪れた御手洗冨士夫・日本経団連会長らの日中経済協会訪中代表団が明らかにしている。代表団の一員である今井敬・特別顧問(新日鉄名誉会長)は、独自に調べた資料に基づき、中国の国内総生産(GDP)ベースの一次
エネルギー消費は日本の約8倍に達していることを明らかにした。そして、これは中国の発展の制約要因となると警告を発した。
つまり、中国の経済成長は、資源の大量浪費と背中合わせなのである。だから、「資源パラノイア(偏執狂)」と揶揄されても、石油を始めとする世界中の資源を買い漁らざるをえない。

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深刻な環境問題と資源問題、この二つが中国経済が成長を続ける上での桎梏になり
つつあることは、中共当局も解っている。だから、今年からスタートした「第11次5か年
計画」では、①エネルギーの消費効率を改善する、②リサイクル経済を発展させる、
③環境問題を解決する、の3点を、農民・農村問題や格差問題の解消とともに重点目標として掲げている。
が、現実は一向に改善されない。
中央政府が何と言おうと、中共トップがどういう方針を出そうと、既に現場は「カネが
第一」、「儲かりさえすればよい」という思想に骨の髄まで侵されているからだ。
環境保護や省エネなど、金儲けにとっては障害物でしかない。第一、国有企業の大半は赤字で、そんな余裕はどこにもない。それが中国の現実なのだ。
だから、張徳江・広東省党委員会書記のような「嘆き節」が聞こえてくる。

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実は、世界一の外貨準備高、世界一の貿易黒字も、一皮むけば中国経済のいびつな姿の象徴でしかない。

外貨準備高の急増は、輸出がしにくくなる「元高ドル安」の進行を防ぐため、外国為替市場(上海)で中国当局が「元売りドル買い」の為替介入を繰り返した結果である。
その結果、市場に大量の人民元が放出される。このあふれる人民元が過剰流動性を
生み出し、バブルに繋がっているのだ。

貿易黒字も、この中国当局による為替操作の恩恵という側面が強い。が、経済の実勢を反映しない為替相場は、世界中からバッシングを受けている。
この状況を変えるには、輸出牽引型から内需主導型に経済構造を転換しなければならない。中国人民銀行(中央銀行)の総裁も「貿易黒字縮小のため内需拡大を急ぐ必要がある」と指摘している。が、そんなにうまく行くはずがない。
内需を拡大するには、まず一般国民の所得を向上させ、中間層の比率を高めなければならない。ところが、中国の魅力は、何といっても「安い人件費」なのだ。

中国経済は、一言で言えば「外資依存型経済」である。中国の貿易総額はGDP(国内総生産)の約70%を占め、そのうち外資系企業が輸出の約60%を担っている。
そして、この外資系輸出企業にとって、中国の生産コストの安さが最大の魅力なのである。しかも、そのような外資系企業は集約型の産業が多い。
もし、内需を拡大させるために大幅な賃上げを行うような事態になれば、外資系輸出企業は一気に中国を逃げ出す。その結果、輸出は減り、貿易黒字も縮小するかもしれないが、それ以上に失業者が発生し、内需も拡大しない。

中国の公式統計では、金融機関が抱える不良債権額は今年3月末時点で1兆3,100億元(約1,640億ドル)、不良債権比率は8%(中国銀行業監督管理委員会)。
ところが、英Financial Timesによると、世界4大会計事務所のひとつ、アーンスト・アンド・(E&Y)は、5月に発表した「世界の不良債権(NPL)に関するリポート」の中で「中国の不良債権は控えめに見積もっても9,000億ドル以上で外貨準備を上回る規模」との見込みを示した。
実に公式統計の5.5倍。不良債権比率は40%を超えることになる。

このような状況下では、輸出企業に打撃を与えるような人民元の大幅な切り上げも、
内需拡大のための大幅な賃上げもできない。
輸出と経済成長が現体制の命綱である限り、経済成長に即効的な効果が見込めない環境保護や省エネに巨額の投資を行うことはできない。なにより、「カネが第一」、「儲かりさえすればよい」という思想に骨の髄まで侵されている現場が、そんなことをする
わけがない。
軍備の拡張や有人月面探査計画に費やしている巨額の費用を環境保護や省エネに
回せばよいのだが、安全保障や国威発揚を考えれば、それもできない。

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つまり今の中国は、外貨を貯めこみ、黒字を稼ぎ、環境を破壊し、世界中の資源を浪費し続ける体制を継続するしかない。そこから脱皮しなければ明日がないというのは、
頭では解っているのだが、肝腎の手足が思いどおりに動かない。

もう黒字倒産しか残された道がない、それが今の中国である。

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2009/01/02

共産主義はなぜ破綻したのか?(1)

今日は、過去の人気エントリの第2弾です。
長くて難しいのに、なぜかこのエントリがNo.1なんですよね。私のブログにおいては。
やはり共産主義とその崩壊に、皆さん関心があった、と言うことでしょう。
以下は、2006年7月13日にアップした 「共産主義はなぜ破綻したのか?(1)」です。

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皆さんの中には、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのだろう?
なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような
非人間的社会体制が生み出されたのだろう?と思われている方もおられると思う。
今回は、そのことに言及したい。

このことを明らかにするには、20世紀の世界に最大の影響を及ぼした共産主義思想とは何だったのか、人間とは何なのかまで踏み込まざるをえない。
したがって、限られた時間とスペースの中では書きつくすことは不可能に近い。が、できる限りのエネルギーと、持ちうる限りの知識、経験を費やしてチャレンジしてみようと
思う。

長いエントリーになるし、中には難解な言葉も出てくるので、途中で投げ出したくなる
かもしれないが、世界や人間を知るうえで必ず参考になると思うので、できれば読み
通してほしい。

なお、ここでは、社会主義という言葉は共産主義に通じると理解してもらいたい。なぜなら西欧では、社会主義というと、一般的に社会民主主義(社民主義)のことを指すからだ。
また、よくマルクス主義とも言われるが、それは、ドイツ人のカール・マルクスが共産主義思想の始祖であるためで、共産主義と同義である。

これから述べることは、少々むつかしいかも知れないが、高校のころの世界史を復習するつもりで読んでほしい。

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歴史上、最初に社会主義革命を成功させたロシアのウジミール・レーニンによれば、
マルクス主義の基本的源泉はドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義の三つとされる。(「マルクス主義の三つの源泉」)
ただ、この捉え方は、「ステレオタイプすぎる」という批判も強く、実際のところ、マルクスが洞察した内容はもっと奥行きが深いと思う。
が、だからと言って、レーニンの捉え方が間違っているわけではない。

マルクスが、
①ゲオルク・ヘーゲルやルートヴィヒ・フォイエルバッハなどのドイツ観念論、
②アダム・スミスやデヴィッド・リカード、ロバート・マルサスなどのイギリス古典学派
経済学、
③サン・シモンやシャルル・フーリエ、ロバート・オーエンなどの、いわゆる「空想的社会主義」
を批判的に摂取し、「科学的社会主義」へと発展させたことは事実である。
「科学的社会主義」を具体的に言うと、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」と「資本論」である。

「弁証法的唯物論」や「史的唯物論」などと言うと、文字を見ただけで「嫌になりそう」という声が聞こえてきそうなので、今回はそういうところまでは、できるだけ言及しないようにしたい。

ところで、レーニンの唱えた「マルクス主義の三つの源泉」が、なぜ「ステレオタイプ」と批判されるのか?
それは、マルクス自身及びマルクスが自らの思想をまとめ上げていった当時の時代
背景に対する考察が不足しているからである。
もっとも、マルクスが哲学者であり、経済学者であり、そして革命家であったのに対し、レーニンは純粋な革命家であったから、理解が単純化されたのは必然であったのかもしれない。

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マルクスはユダヤ人である。マルクスが生きた1818年~1883年のころは、まだゲットー(都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)が存在していた時代である。
特に、マルクスの祖国・ドイツでのユダヤ人差別はひどいものがあった。

そのような時代にあって、父はユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗した。
職業は弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人だが、父よりユダヤ性向が強く、日常生活ではイディッシュ語(ユダヤ語)を話していた。マルクス自身も6歳の時、プロテスタントとして洗礼を受けている。
マルクスの思想を理解する上で、彼の出自が被差別民族であったという事実は見逃せない。

また若かりし日には、啓蒙思想にも大きな影響を受けている。
啓蒙思想は、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているとの「肯定的命題」を立て、
世界に何らかの「根本法則」があり、それは「理性」によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては自然科学的方法を重視した。
マルクスは高校生時代に、教師を通じて、フランスの啓蒙思想家・ジャン-ジャック・
ルソーが唱えた社会契約説の影響を受けた。ルソーの考えは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の契約によって成立する。主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というものである。
この啓蒙思想は、フランス大革命にも大きな影響を与えた。

私は、
①この啓蒙思想の、あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界に何らかの「根本法則」が存在するという考え方、
②特に「主権は人民にあり、政治体制は主体の意志に従う」というルソーの主張、
③そしてキリスト教(ユダヤ教)の「唯一神信仰(神=真理は一つ)」と、
④出自が被差別民族(ユダヤ人)であるという潜在意識が、
マルクスの思想の「根っこ」にあると思っている。

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マルクスにとって、というか、マルクスの生きた時代においては、ヨーロッパと北米が
「世界」であった。それ以外は、「未開の地」か「未知の地」であり、マルクスの「世界」には、アラブもインドも中国も存在しない。
ここでいう「アラブもインドも中国も存在しない」というのは、「知識」としてではなく、
「認識」としての意味である。

ヨーロッパ(英国)が清(中国)を最初に侵略した阿片戦争は1840年、ヨーロッパ諸国がアラブ(イスラム)世界の覇権をめぐって戦ったクリミア戦争が1853年。ムガール帝国
(インド)が完全に英国の植民地になったのは1858年。
マルクスが生きた時代を考えれば、アラブやインド及び中国は、マルクス的世界においては「外界の存在」にすぎず、アフリカや南米は「未開の地」であったと言ってもよい。

つまり、「白人」及び「キリスト教(ユダヤ教)文化圏」がマルクスの「世界」なのである。
その「世界」には既に、資本主義が高度に発展した国々が存在し、自由や平等、人権といった民主主義の基本的価値観が社会的土壌としてあった。

アメリカ独立革命やフランス大革命が起きたのは、マルクスが生まれるよりずっと前だった。
アメリカ独立革命(1775~1783年)は、独立宣言で「全ての人間は平等に造られている」と謳い「(自然権としての)生命、自由、幸福を追求する権利」を掲げた。
フランス大革命も、人権宣言で「自由の保障・人民主権・法の下の平等」という近代
民主主義の基本的価値観を謳いあげた。

要するに、
①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである。
そしてマルクス自身は、その世界においては被抑圧民族であるユダヤ人だった。

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ここまで読んだだけで、なぜソ連が破綻したのか、なぜマルクスの思想(共産主義)から中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのかが、ある程度は解った方もいると思う。

もちろん、もっと様々な問題が「なぜ?」を解明するうえで存在する。
その様々な問題に言及する前に、ここで共産主義について簡単に説明しておこう。
以下は、カール・マルクスが定義した共産主義社会についての私なりのまとめである。

①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。

以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である。

ここで、共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展したものと書いた。
マルクスによれば、社会主義社会とは「各人はその能力に応じて働き、に応じて
与えられる」社会である。そして、社会主義社会において、生産力が最大限に発達しきった段階でようやく共産主義社会に到達する。

※(注)
ここにおける「」は、資本主義下における「」とは違う。

なお、社会主義社会の前段として、「者(プロレタリア)独裁社会」が不可避とされる。
なぜなら革命が成功しても、者階級(プロレタリアート)が司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐しない限り、常に資本家階級
(ブルジョアジー)による「反革命」の危険にさらされるからである。マルクスは、これを、1871年のパリ・コミューン(世界初の者階級による民主国家)の失敗から学んだと思われる。

資本家階級(ブルジョアジー)を駆逐し、「者(プロレタリア)による独裁」が実現して初めて社会主義社会への扉が開かれる。
者(プロレタリア)独裁下では、資本家階級(ブルジョアジー)の駆逐と共に、生産手段の社会的共有と富の平等な(に応じた)分配が進められる。
そして、資本家階級(ブルジョアジー)がなくなり、生産手段の社会的共有と富の平等な(に応じた)分配が完全に実現したときから社会主義社会が始まる。

社会主義の初期段階では、まだ国家も貨幣も残存している。が、社会主義がさらに
発展すると、国家は死滅し貨幣も廃棄され、富も「各人はその能力に応じて働き、に応じて与えられる」社会から「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会になる。
これが、共産主義社会だが、なぜ、そんなことが可能になるのか?

私が学んだ範囲では、その「なぜ?」に対する確信的な答えは見出せなかった。
だから私は、次のように勝手に解釈した。

計画経済により供給と需要が均衡するので、資本主義のような好況-不況-恐慌という景気の極端な変動がなくなり、安定的な経済成長が可能になる。投資や資源の配分も効率的かつ効果的に行われるから、さらなる成長を促す。
つまり、効率的かつ効果的な投資と資源の配分が、安定した高い経済成長をもたらす。高い経済成長が新たな投資と資源を生み出し、その効率的かつ効果的な再配分が、
さらなる成長の基盤になる。
そういう「無限の成長サイクル」ができ上がる。

また、生産手段が社会的に共有されているので、働く主体(人間)が搾取されることもなく、抑圧からも解放される。失業の恐れもなくなり、働く主体(人間)の意欲も向上する。
したがって、「無限の成長サイクル」+「意欲の向上」が、相乗効果も伴なって
「生産能力の飛躍的拡大」を可能にする。
だから、やがて「必要に応じて与えられる」ような社会が実現する。

経済(下部構造)が政治や国家(上部構造)を決定するから、そういう理想社会(生産力が極限まで発展し、司法・立法・行政の三権と生産手段のすべてを人民が共有する
社会)になれば、上部構造としての国家は死滅する。
生産手段が社会的に共有され、かつ供給と需要が均衡しており、「各人は必要に応じて与えられる」から、価値交換の媒介としての貨幣(交換価値)も必要なくなる。

以上が私なりの勝手な解釈だった。

※(注)
「生産手段の社会的共有」は、資本主義社会において「私有財産の廃止」と理解されている場合が多い。が、これは、(悪意の込められた)誤解である。
「生産手段の社会的共有」とは、工場や土地などの「生産手段の私的所有廃止」が
その核心であり、個人的生活を営む上での必需品まで否定されるわけではない。

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かつてマルクスの教えを信じていた私は、今は、このような考えを完全に否定するようになった。
それは、極めて単純な理由からである。
「必要に応じて与えられる社会」が可能であるためには、その社会が「無限に近い生産力を持っている」か、全ての人間が「必要限度をわきまえている」かの、いずれかが
必要である。
社会が「無限に近い生産力を持てるようになる」とは、現実の世界を踏まえれば考えられないし、また全ての人間が「必要限度=節度と中庸をわきまえる」ことができるとは
絶対に思わない。
もう、この時点で、マルクスが夢見た理想郷は、私にとっては科学とは無縁の「願望」としか思えないようになったのである。

私の50数年の人生経験から言えば、人間の原点は「欲望」である。その「欲望」をどこまでコントロールできるのかが「理性」である。
が、「理性」は人によって千差万別である。中には「理性とは無縁」と思える人間もたくさんいる。だから、あらゆる人間が「共通の理性」を持っているなんて、とても信じられない。
「下部構造としての経済が人間意識までも決定する」「人間の社会的存在がその社会的意識を規定するのであって、その逆ではない」とマルクスは言う。
この捉え方はある面では正しいと思う。ただ、「現実の人間」を見れば、あまりにも一面的にすぎる。

※(注)
ここで言う「理性」とは、自己の内にある矛盾(葛藤)を止揚して、より高い次元へ至る
「具体的な思考能力」を意味する。

力を商品として資本家に売らなければ生きていけない社会から、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にし、人間に特有の活動的機能であるに自由や生きがいを感じることのできる社会に変わったからといって、人間の本質というか、根源的な部分は変えようがない。
私は、そう思う。

マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。

疎外されたは、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外されたは、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外されたは、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する

これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと
思う。私は次のように理解している。

人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃に従事する人間は疎外されている。
賃によって、人間に特有の活動的機能であるが、「個人の生存を維持する
手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と・・・・・・

が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。

人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。

※(注)
ところで、マルクスは宗教を「アヘン(痛み止め)」として否定している。
ただマルクスの言いたいことは、宗教の全否定というより「(宗教は)痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という意味であるから、宗教の持つネガティブな部分を射ているとも言える。

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ここで、なぜソ連のような社会主義(共産主義)体制が破綻したのか?なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会
体制が生み出されたのか?という本題に入ろう。

私はマルクスの思想が、以下の条件の下で生まれたと前述した。

①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会を及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している
と・・・・・・

マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスで
あると想定していた。

ところが、実際に革命が起きたのはロシアであった。
当時のロシアは、マルクスの思想が生まれた土壌とはあまりにも違いすぎた。
1861年に農奴解放令が出されたものの、農民の生活は一向に向上しなかった(ミールと呼ばれる、司法・行政権力を有した村落共同体の小作農に変わっただけ)。19世紀末に産業革命が起こったものの、ヨーロッパの大国の中では、資本主義はもっとも遅れていた。
政治体制も、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)支配が貫徹されており、自由、平等、人権という価値観からは、ほど遠い社会だった。
つまり、もっとも社会主義革命にふさわしくない国で革命が起きてしまった。これが不幸の序章になるのである。

ロシア革命では、マルクスが考えていた革命を指導する「前衛(共産主義者)」が、
「前衛党(共産党)」になってしまった。
このロシアの共産党はボリシェビキ(多数派という意味だが、実際は少数派だった)を
名乗り、者・農民を覚醒させるためには「前衛党(共産党)」による指導が必須と
考えた。

マルクスがイメージした「者(プロレタリア)独裁」はパリコミューンのイメージがあった。そして、ロシアでも同様に者や兵士を中心にしたソビエト(評議会)が地域ごとに組織され、これが司法・立法・行政の三権及び軍を独占し、永続革命の推進母体になるはずであった。
が、民主主義的価値観とはほど遠い社会だったロシアでは、「前衛党(共産党)」が
司法・立法・行政の三権及び軍のすべてを独占し、ソビエト(評議会)は名のみの存在となり、「者(プロレタリア)独裁」は「共産党独裁」に変質した。

※(注)
「ソ連」とは、「ソビエト(評議会)によって構成された国家の連邦体」という意味である。

ロシア共産党は、ロマノフ朝による絶対専制(ツァーリズム)から厳しい弾圧を受け、
革命後は、常に反革命派(白軍)やそれを支援する欧米列強(日本を含む)に脅かされた。
そこで、この党は、「下部組織は上部組織に従う」という「民主集中制」を組織原則にし、「鉄の規律」を保ち、社会のあらゆる部門に党委員会や党細胞を張り巡らせて社会を
統制していった。
この体制は、本来は「戦時体制」のはずであったが、ロシアの後進性と指導者に都合のよいシステムでもあったため、その後も継続されて行くことになる。

このようにして共産党による強権的支配体制が確立され、しかも共産党は、「下部組織は上部組織に従う」という組織原則によって貫かれたため、社会はもちろん「前衛(共産主義者)」の組織であるはずの共産党内でも自由な言論は完全に封殺された。

そのような中で、前近代的社会から一気に社会主義社会に導くために、強引な農業の集団化や重工業偏重の政策が推進された。
また、強引な政策を貫徹するためには、強力な指導力が必要とされたため、指導者
(ヨシフ・スターリン)は、その政敵(レフ・トロツキーやニコライ・ブハーリン)を追放し、
粛清した。また、党内の反対派もほとんどが強制収容所送りか処刑になった。
スターリンによる独裁は、彼の個性にもよるが、以上のようなロシア的特殊性も大きく
影響している。

共産党の政策により、ウクライナを中心に、農地の収用に反対する農民たちは数十万人単位で殺害された。反革命派(白軍など)だけではなく、元貴族や資本家、富農たちも同様の運命をたどった。中には、反革命派や資本家、富農に仕立て上げられて強制収容所送りや処刑になった者もたくさんいた。
そして残ったのは、マルクスがもっとも忌避した「スターリンの個人崇拝と神格化」及び数千万人とも言われる犠牲者たちである。

※(注)
ヨシフ・スターリンは、ロシア革命の指導者であったウジミール・レーニンの後継者で
ある。

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初期のソ連は、1930年代に資本主義諸国を襲った大恐慌とは無縁であり、かなり高い経済成長を遂げた。
またノルマと呼ばれた計画生産数値の設定は、生産物の質より量が重視されたこの
時代では一定の効果があり、ソ連の鉱工業生産を大いに高めた。
このような、資本主義諸国の没落(大恐慌)とソ連の躍進を見て、ソ連型社会主義(スターリン主義)を礼讃する論調が世界的に数多く見られたのも事実である。

が、急速な工業化推進の原資は、農業から余剰を絞り出す形で行われたので、その分、農業部門が立ち遅れた。1933年には、そのツケが回って大飢饉が起きた。
ところがヴャチェスラフ・モロトフ書記は、ノルマ達成のために農民が次年度用に貯蔵
している種子までも取り上げるように地方幹部を叱責した。その結果、32年から33年にかけて500万人~700万人とも言われる餓死者が発生したのである。

順調に見えた工業部門も、第2次大戦後、量と共に質が重視されるようになると、ノルマを重視する計画経済では質の問題を解決できなくなってくる。
また、重工業の偏重は軽工業の軽視をもたらし、サービス部門にはコスト意識やサービス精神がまったくなかった。そのため一般国民には劣悪な消費財と質の低いサービスしか提供されなかった。
共産党官僚は、ノルマの達成が立身出世や保身を左右するため、虚偽の数値や報告が横行した。そのために、党中央や政府は経済の実態を正確に把握できず、有効な
政策を実行することはおろか、その立案さえできなかった。
そういう体制の劣化・堕落が、1970年代以降になると、日用品や食料さえ事欠く事態を
もたらすのである。

ノルマ重視の経済は、自然環境も大きく破壊した。例えば、かつては世界第4位の面積を誇ったアラル海は、旧・ソ連による無計画な灌漑事業のため、面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になるという完全なる「死の海」になった。
チェルノブイリ原発事故も、旧・ソ連の隠蔽体質のため、公表と対策が遅れ、結果として約16万人が移住を余儀なくされた。死者は9,000人(世界保健機関=WHO)とされるが、40,000人(ロシア科学アカデミー)という説もある。

また、情報統制社会であったため、情報工学は、軍需部門などの一部にしか導入されず、民生部門における「情報革命(IT革命)」はまったく進展しなかった。

このような数多くの問題点も、共産党官僚の強権支配と言論の封殺により批判される
ことがなく、したがって改革も常に後手に回った。

これに対し、資本主義諸国は、第2次大戦後は資本主義が抱える諸矛盾を解決する
ための社会政策や経済政策を次々に打ち出し、「弱肉強食社会」ではなく「福祉社会」を目指す動きを強める。
これは資本主義の「本丸」である米国も例外ではなかった。
また、「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」により、国際的自由貿易体制が
保証されたため市場が大きく拡大した。そして、市場の自由化と拡大に伴ない競争が激化し、量のみならず、質の向上とコストダウンが並行して求められた。
このような条件下で、第2次大戦後の資本主義諸国の経済は大きく発展し、社会も国民も豊かになったのである(もっとも恩恵を受けたのは日本であろう)。
IT革命も、各国の垣根が低くなり、人、モノ、カネの世界的流通が急速に活発化する中で一気に進んだ。

こうして、旧・ソ連と西側先進諸国との格差は、絶望的なまでに大きくなったのである。
確かに冷戦下における「軍拡競争」も旧・ソ連にとっては負担であったけれども、その
体制そのものが劣化・堕落し、完全に時代にそぐわなくなっていたことが旧・ソ連崩壊の最大の原因なのである。

ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1980年代後半からペレストロイカ(改革・再構築の意味)によって、この時代にそぐわなくなった体制を立て直そうとしたが、皮肉にもそれは、ソ連型社会主義体制の崩壊を後押しする結果になってしまった。
それは、ペレストロイカの重要な核であったグラスノスチ(情報公開)が逆作用を呼び
起こしたからである。
グラスノスチにより、1930年代の大飢饉(餓死者500万人~700万人)などの「不の
部分」が明るみに出されるようになった。また、困窮を極めていた民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしぶり、その汚職体質なども暴かれ、
国民の反共産党感情を一気に高めたからである。

明日に続く。
明日は、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する予定です。
期待(笑)して下さい。
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※(注)
この記事は、論争をするために書いたものではありません。したがって、批判はけっこうですが、論議や、論議を促すご質問には対応いたしかねます。

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2009/01/01

つれづれなるままの自分史

明けましておめでとうございます。
さて、最近はエントリが滞りがちです。理由は、とにかく余裕がない。が、その一方で、新しい読者の方も増えています。そこで、過去のエントリで人気の高かったエントリを、この先何回かにわたってアップしたいと思います。
一度、読まれた方も多いかとは思いますが、改めて「坂眞」のブログの神髄を堪能していただければ幸いです。

第1回目は、「私が何者か」を解りやすく解説したエントリです。
以下は、2007年5月19日にアップした「つれづれなるままの自分史」。

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つれづれなるままの自分史

若いころの私は、自らを「革命的左翼」と位置付けていた。
もちろん今は違う。
では、今の私の立場はどこにあるのか?

私は自分を「右翼」とは思っていない。
「右翼」という定義はわが国では定かではないが、私は排外的なイメージを持っている。
排外主義とは「外国人」を攻撃し、排斥する主張だ。

私は王貞治監督を心から尊敬しているし、(元)在日韓国人の友人もいる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思っている。
在日韓国・朝鮮人の存在は「おかしい」と思っているが、だからといって「出て行け」とは思わない。
子々孫々にわたって日本に住み続けるのならば、日本国籍を取得するべきであるというのが私の考えだ。

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日本の教育を受け、日本人と同じ暮らしをし、日本人のコミュニティに存在しながら、
いまだに韓国・朝鮮籍であり続けることが私には理解できない。
もちろん、朝鮮総連の同調者で、日本を敵視する在日は別だ。彼らは非難されて当然であり、さっさと祖国に帰るべきなのである。
が、日本が好きだと言い、今の韓国・朝鮮や韓国・朝鮮人に「違和感を感じる」としながら、韓国・朝鮮籍を維持し続けるのは不自然きわまりない。

在日3世で、第1回声優アワード主演女優賞を受賞した朴璐美(ぱく ろみ)さんなんかはその典型だと思う。
彼女は讀賣新聞の取材に、「韓国留学を経て『祖国と母国は違う』と痛感した」と答えている。つまり「母国は日本」という思いが強烈に湧いてきたわけだ。
彼女は表彰式に着物姿で登場した。讀賣新聞は「若手女優がアイドルを思わせる衣装で並ぶ中、フジ色の振り袖姿は目を引く」と書いていた。
それでも「朴璐美」を名乗り、韓国籍に固執する。
このあたりは、われわれ日本人には理解できないところかもしれないが、普通に考えれば日本に帰化するのが当然だと思う。
ちなみに、私の友人は日本女性と結婚したのを機に帰化した。

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話を元に戻そう。

私は日本の歴史に誇りを持っており、日本人であることに感謝している。
この国を愛しているし、この国の人たちが好きだ。
だから私は民族主義者に分類されるのかもしれない。
まあ、特に自分の立場を分類する必要はないのかもしれないが、もともとが「左翼」を自認していただけに、今の自分はどこに位置しているのだろう?と思うわけだ。

私は、いわゆる「伝統的保守」ではない。ご存知の方も多いと思うが、私は構造改革の支持者であり、「新自由主義」に共鳴する部分が多い。
要は、「国家による過剰な福祉や公共サービスの縮小、大幅な規制緩和と市場原理の重視」という立場である。この考えが、日本人や日本社会の特質、あるいは伝統的な文化・価値観とうまく融合されればよいと思っている。
つまり「日本的な市場主義」「人間の顔をした市場主義」とでも呼べばよいのだろうか。
とにかく「結果の平等」だけは“悪”だと思っている。能力のある者が正当に評価される―これがなければ社会は衰退し、結果的に「貧者の平等」に堕してしまう。
もちろん、真の社会的弱者に暖かい手を差し伸べるのは当然だと思う。また、最近の非正規雇用者に対する差別的待遇には怒りを感じている。これは、競争の前提である「機会の平等」に反しているからだ。

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私が「左翼」になった原点は「朝鮮人差別」にあったと思っている。
生まれ育った地域には在日が多く住み、被差別部落がたくさんあった。が、部落差別は子供の間ではなかったし、親たちも差別を公然化することはなかった。だから、「橋のない川」を映画で観たときもピンとこなかった。
が、朝鮮人差別は大人たちの間でも、子供たちの間でも露骨だった。教師の中にも差別意識を隠さない者がいたほどだ。
私は、在日の子供と仲がよかったせいもあって、この差別には激しい怒りを覚えた。理由は「理不尽」の一言である。
もちろん当時は子供だから、在日の存在の背後にある歴史的・社会的問題などに思いが及ぶことはなかった。とにかく「差別は許せない」―これだけだった。

中学生になると、年長の従兄弟から『女工哀史』(細井和喜蔵)を読むように薦められた。この本を読んだ時はショックだった。「資本家は悪だ」「者は悲惨だ」、単純にそう思った。
もちろん当時の時代背景などわかるはずもない。ただただ女工たちが憐れだった。
このころ、もう一つ大きな疑問が私の中で育ちつつあった。
それは文部省を批判してストライキを繰り返す教師たちが、子供たちに対しては「受験勉強」を強要することだった。口では「平等」を唱えながら、実際には「受験勉強」という競争を煽る。この教師たちの偽善的な行動は、私に大人社会への不信感を強烈に植え付けた。
高校が、いわゆる「進学校」だっただけになおさらだった。

高校に入った私は、「生きる意味」を考えるようになった。「何のために生きているのだろう?」と思い悩んだ。椎名麟三の本や華厳滝で自殺した藤村操に関する本をむさぼり読んだ。
もう受験勉強がバカバカしくなった。教師たちがアホらしく見えてきた。
そんなとき起こったのが1967年の『10・8羽田闘争』だった。このとき、京大生の山崎博昭さんが死亡した。
当時、高校1年生だった私は「どうして学生たちはゲバ棒を振るうんだろう?」「なぜ命を落とすような激しい闘いをするんだろう?」と猛烈に好奇心をかき立てられた。
受験勉強の勝者―京大生―ゲバルト―死、これらが脈絡的につながらず、「なぜ」を
どうしても解明したくなった。
そして、めぐり合ったのがレーニンの『国家と革命』である。

第一章 階級社会と国家
  一 階級対立の非和解性の産物としての国家
  二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
  三 被抑圧階級を搾取する道具としての国家
  四 国家の「死滅」と暴力革命

以上が『国家と革命』の冒頭の項目だが、これを読んだだけで私は「目から鱗が落ちた」。
これまで悩んできたことがいっぺんにクリアーになった。
「これだ、これ」
もう左翼にならなければ生きている価値がない。

ここから「革命的左翼」としての私の軌跡が始まる。

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私が共産主義に見切りをつけたのは、1972年に発覚した「連合赤軍による大量リンチ殺人」がキッカケだったことは過去のエントリーで書いた。
が、それ以前から疑問が芽生えつつあった。
それは、私の友人がリンチで瀕死の重傷を負ったからである。そのリンチを実行した側にも、かつての友人がいた。
ほんのわずかの相違だけで、めざすところは同じなのに相手を肉体的に抹殺しようとする。しかも、かつては仲間だったのに。
「何かが間違っているんじゃないか?」と思い始めていたところに「連合赤軍による大量リンチ殺人」が起きた。
もう私は「この思想は完全に間違っている」と思うようになった。

それでも簡単に変われないのが人間。
学生運動に見切りをつけた私は部落解放運動に関わるようになる。
偏狭なイデオロギーに囚われることなく、真に抑圧されている人たち、真に差別されている人たちのために活動したい―そう思ったのだ。
私は2年間、被差別部落の中学生に高校進学のための勉強を教えた。部落に通いながら。
が、ここでもウンザリするような出来事に遭遇する。
それは、解放同盟幹部による公私混同と物理的恩恵にこだわる多くの部落大衆の姿だった。
要は、運動の理念なんて関係ない。より多くのモノとカネが手に入ればよい。すべてとは言わないが、それが部落解放運動の一面だったことは間違いない。

それでも私は左翼を卒業できなかった。
いったん大学を退学していた私は、もう運動に絶望して復学を願い出た。で、結果的に大学卒業まで7年間を要した。もちろん就職なんてない。
仕方なく公務員試験を受けて、ある政令指定都市の職員になった。
が、ここでも労組の活動に励むことになる。

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結局、私が左翼から解放されたのは事業を起こして倒産したことによる。その後の数々の修羅場。これが私の人間を見る目を変えた。社会の捉え方を変えた。
人間は理論では説明できない。人間社会は理論では解明できない。
人間の原点は欲望ではないか。その欲望と理性との葛藤が「生きる」ということではないか。
欲望に囚われた人間は人間であることを忘れる。理性に縛られた人間は人間存在を理解できない。
人間というのは複雑で、奥深くて、きれいなところとドロドロとしたところが併存している。理屈では割り切れない。
そんな人間が寄り集まって作る社会はもっと複雑だ。
そんな当たり前のことに気付いた時は、すでに30代も半ばを過ぎていた。

その後、めぐり合った人たちの好意もあって私は人生を立て直すことができた。
人間、どん底に落ちても一生懸命に頑張るという気持をなくさなければ何とかなるものだ。誠実に生きていれば、よき先輩、よき仲間にめぐり合える。
義務を果たさず、権利のみを主張する人は救われない。自らを自覚できず、妬(ねた)みと嫉(そね)みで我が身を焦がす愚かな人は成長しない。
努力するという意思。感謝するという気持。これがなければ人間は進歩しない。
これがあれば、能力のある人が努力して成果を手に入れても妬んだりしない。たとえ敗者になっても弱者に落ちることはない。必ず復活できる。
私はそのことを、どん底の生活の中から学んだ。

-------------------------------------------------------------------

実は、私は左翼だったころと本質は変わっていないと思う。今でも、強者に弱く弱者に強い人間が大嫌いだ。権力を持った者の理不尽は許せない。
予期せぬ出来事の結果、弱者に甘んじざるをえない状況に陥った人には救いの手を差し伸べるべきだと思う。予断と偏見による差別は受け入れられない。

が、被害者を気取って筋の通らない要求をする者、妬みと嫉みから努力し成功した人を攻撃する者を許さない
―こういう気持が強くなったのは、明らかに過去の私とは違う。

私が中共を許せないのは、弱者を食い物にして反省するところがなく、傲慢で強権的で冷血だからだ。韓国を批判するのは、被害者を気取って筋の通らない要求をし、妬みと嫉みによって相手を攻撃するからだ。
「9条擁護」などという「幸せな人間」を批判するのは、理念だけでは人も国家も生きていけないと痛感したからだ。「自分の身は自分で守る」という気概があってこそ、よき仲間が現れ、ともに戦ってくれる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思うのは、予断と偏見に縛られてはならないと痛感するからだ。

北朝鮮と朝鮮総連、それに同調する在日朝鮮人は“犯罪者”だと思っているので、批判とか許せないとかいうレベルの問題ではない、念のため。

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呪縛から解き放たれたことによって事実を認識できたことも、私の立脚点を大きく変えた。
「勝手に日本にやってきて、悪いことばかりをする」と言う叔母の言葉に、「彼らは強制連行されてきたんだ!悪いのは日本人だ!」と食ってかかった私は、もう「遠い過去の私」だ。
“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も、昔の私なら簡単に信じたことだろう。それからすれば、ここ10年間に学んだことは多い。もともと「歴史」が大好きだったから、より熱心に学ぶことができたんだと思う。

そう言えば、私が左翼の現役だったころ、“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も何の問題にもならなかった。当時の左翼が知らなかったのか???
でも、強制連行や三光作戦(殺し尽す、焼き尽す、奪い尽す)はすでに批判の対象になっていたから、「慰安婦」や「南京」はプロパガンダになるほどの価値がなかったということだろう。

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歴史を学び直したことで、私は日本と日本人に誇りを持つようになった。明治維新とその後、短期間で欧米列強に伍するまでになったのは、まさに“奇跡”だろう。ヘタをすれば列強の植民地になってもおかしくなかった。
それだけ先人たちは賢明で偉大だったということだ。
戦後の高度成長も、よく“奇跡”と欧米から言われるが、明治の“奇跡”がなければ戦後もなかった。
そして明治維新が可能になったのは「天皇の存在」である。

今の私は結局、「より日本人らしい日本人」になれたということだ。
「日の丸」が掲揚されれば心が高揚するし、「君が代」が流れれば厳かな気持になる。
日本人であることに誇りを感じているし、こんなに安全で平和で豊かな国の礎を築いてくれた先人たちに感謝している。
価値観は時間とともに変わっていくものだが、象徴天皇制だけは未来永劫にわたって変わることはないと確信している。日本人は永遠に天皇のもとにある。それが歴史であり、文化なのだ。

わが国は、これからも「自由と民主主義」という価値観に立脚し続けるだろう。が、それは日本の歴史を継続した「自由と民主主義」だ。
けっして欧米のような「ミーイズム」「自己中心」の国家になってはならないし、なることはないと思う。

いつまでも謙虚な日本人でありたい。
そして、権利と義務は表裏であることを、いま一度確認したい。

参照:第1回「声優アワード」の主演女優賞を受けた 朴ロ美さん (讀賣新聞)

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