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2009/01/08

加藤紘一、山崎拓、亀井静香、そして菅直人

加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎の3人を称してYKKと呼んだ。これは、当時の竹下派支配に対するアンチの象徴だった。そして小泉が退陣して登場したのが加藤、山崎に古賀誠を加えた新YKK。が、この「新」は何が新しいのかまったく分からず、単なる野合だった。
政界は権力闘争の巣窟、魑魅魍魎の世界。野合だった新YKKは早々と雲散霧消し、今度は加藤、山崎、に亀井静香、そして菅直人を加えたYKKKが政界再編の核になりそうな雲行きなんだという。新YKKが野合なら、このYKKKは何と呼べばよいのか???

加藤も山拓も亀井も菅も、全員が賞味期限の切れた政治家だ。でも、本人たちは自覚がなくて、相変わらずギラついている。が、政界も国民も、この4人には誰も期待していない。
それが本人たちには解らない。自分の醜悪な姿がね。老醜をさらして恥ずかしくないのか?と普通の人は思うのだが、政治家という生き物は「枯れる」ということを知らない。
もう吐き気がする。

ところで、今日は、当ブログで取り上げたYKKK4氏にかかわるエントリを再掲載する。
お読みいただければ、彼らの本質の一端がご理解いただけると思う。


亀井静香の闇 2005/08/10

過去、「巨悪」と呼ばれた政治家が何人かいる。数々の疑惑にまみれながらも逮捕されず、権力者としての地位を維持した者たちだ。田中角栄氏は無防備すぎて逮捕されたから、「巨悪」でありながら、そのイメージからは遠い(人間的には好きである)。
今の政治家で「巨悪」というイメージに近いのは誰か?それは亀井静香氏である。

kamei2亀井静香
1960年:東京大学経済学部卒業
1962年:警察庁入庁
警察庁入庁後は、一貫して公安畑を歩む。連合赤軍あさま山荘
事件の統括責任者
1979年:衆議院議員に初当選


亀井氏の力の源泉は何か?それは、第一に公安情報に精通していたことである。他の政治家の数々のスキャンダルを握っていた。今は、どうなのか分からないが・・・
次が「カネ」である。亀井氏は、ずいぶんと危ない橋を渡っている。もっとも有名なのが
5年前に発覚した「石橋産業事件」である。

「石橋産業事件」とは、平成8年に、闇の怪人・許永中が中堅燃料商社・石橋産業から180億円を騙し取ったというものである。この事件に絡んで逮捕された政治家は中尾栄一元建設相だけだった。しかし当時、永田町では以下のような会話が挨拶代わりに
交わされていた。
「逮捕者は、もういないようだな。どうやらヤツは逃げ切ったらしいな」「中尾栄一でおしまいか。まあ、いまの特捜じゃあ、これが精一杯だろう」
ここで、“逃げ切った”とされるのが、自民党の実力者・亀井静香政調会長(当時)なのである。なぜ、ここで亀井氏の名前が取りざたされたのか?それは亀井氏が、許永中を自らの「盟友」と公言してはばからなかったからである。
当然、中尾栄一元建設相以外に、亀井氏にも裏資金が提供されたのではないか?
それも、もっと多額の金額が?という“疑惑”が噴出したのである。
この件については、民主党の前原誠司氏が国会で追及している。

許永中、ご存知の方も多いと思うが、簡単に人物像を紹介しておこう。
彼は名前からも分かるように在日朝鮮人である。若いときは朝鮮総連の活動家で、
頭も切れ弁も立ったそうである。彼は、その後、山口組の企業舎弟になる。
許永中が有名になったのは、何といってもイトマン事件である。彼は、老舗商社・イトマンをしゃぶり尽くし、企業消滅に追い込んだ(彼はイトマン事件でも逮捕された。一審判決は懲役7年6ヶ月・罰金5億円)。
許永中は、誕生日に高級ワインを千本も贈るほど金正日と親密で、他方において韓国の政界要人にも太いパイプがあった。
亀井氏はこのような闇の大物と「盟友関係」にあったのだ。

亀井氏は、大仕手集団のリーダーとして有名だったコスモポリタンの池田保次代表とも親密だったと言われている。池田氏は、元山口組系暴力団の組長で地上げ屋に転身した後、仕手筋として成功を収めた。
しかし、その後、仕手戦に大失敗して100億円もの借金を抱え、スポンサーの暴力団に追われて失踪。いまだ生死不明の人物である。
亀井氏と、このコスモポリタンとの“疑惑”は1989年10月6日付の読売新聞が報道している。しかし亀井氏は、この疑惑を否定。“疑惑”はうやむやになったままである。

以上を読まれてどう思われるであろうか?亀井氏が何とも胡散臭い人物であることが
分かる。
このような裏世界の大物たちとの親密ぶりを疑われること自体、今の時代の政治リーダーとしての資質に欠ける。こういう政治家が総理総裁を目指すこと事態が不見識である。
このような人物に日本の政治を託すことは絶対に許されない。

亀井派は真っ二つに分裂し、脱退者も相次いでいる。会長代行の伊吹文明元労相を
担いで「伊吹グループ」を結成する動きもある。
まさに自業自得である。

参考資料1:兜町事件簿(7巻)
参考資料2:石橋産業事件
参考資料3:イトマン事件
参考資料4:第8回 亀井静香の虚像と実像
参考資料5:「Kファイル」が、 連立与党を崩壊させる!?
参考資料6:質問本文情報


加藤紘一の嫉妬と妄執 2006/07/27

【はじめに】

皆さんは、権力闘争の根底にあるものは何だとお思いだろうか?

政治だから「主義・主張」があるのは当たり前である。もちろん「欲」もある。が、「嫉妬」もかなり大きな比重を占めるのである。その「嫉妬」は、時として「怨念」に転化することさえある。

この「嫉妬」が「怨念」にまで転化し、権力闘争の軸になったことは何度もある。有名な「角福戦争」などは、その典型だろう。
そして、「嫉妬」と「怨念」が、「主義・主張」の違いを超越した政権を生み出したことも
ある。いわゆる「自・社・さ」連立政権である。
小沢一郎に対する「嫉妬」と「怨念」が、何と自民党と社会党に「連立」を選択させたのである。

「憲法改正」を綱領に掲げ、「日米安保条約の護持」を党是とする政党と、「護憲と非武装中立」を党是とし、「日米安保条約の破棄」を主張する政党が連立しする。しかも、「護憲・安保破棄」の少数派から総理大臣を選ぶ。
日本の憲政史上でも稀有な出来事だが、権力闘争においては、こういうこともありうるのだ。

もちろん、自民党の場合は政権復帰願望も大きな動機であった。権力を奪回するためには、「主義・主張」になんかかまってはいられない。
が、社会党の場合は、小沢と、彼に追従した山花貞夫などの社会党右派に対する怨念が動機であったと言ってもよい。
それは、自民党との連立を主導したのが、反自民の急先鋒だったはずの社会党左派
だったことが証明している。

(注-1)「角福戦争」
ポスト佐藤(栄作)の座を争った田中角栄と福田赳夫による、政治権力をめぐる激しい
闘いを「戦争」に例えて呼んだもの。1970年ごろから田中が倒れる1985年まで続いた。
1979年の、いわゆる「四十日抗争」が、その頂点だった。

(注-2)「自・社・さ」連立政権
自民党、社会党、新党さきがけの三党による連立政権(1994年 ~1998年)。
この政権は、理念がまったく解らない。まさに、欲と嫉妬と怨念が生み出した政権だったとしか思えない。村山 富市(首相)と河野洋平(外相) と武村正義(大蔵相)の
三党首がテレビに出て、「私たちはリベラルです」と連立の意義を強調していたが、そのうさん臭さは噴飯ものだった。

結果は、野党に転落していた自民党の復権を社会党が助けた。それだけである。

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なぜ、権力闘争の根底に「主義・主張」の違いや「欲」だけではなく、「嫉妬」や「怨念」があると「前書」で書いたのか。
それは、最近の加藤紘一の言動を見聞きしていると、そのことを痛感するからである。
したがって、そのことを書くことで、「政治の醜悪さ」と「政治家の憐れ」を皆さんに解ってもらいたい、そう思ったのである。

最初に、加藤のヒストリーを書いておこう。

加藤紘一。
昭和14年(1939年)生、67歳。山形県鶴岡市出身。東京大学法学部卒。大学時代は「60年安保闘争」に参加。卒業後は外務省のキャリア官僚(チャイナスクール組)に
なる。
父は衆議院議員の加藤精三だが、1965年に急逝した父の後継になることを、このときは断り、7年後の1972年に初出馬し当選。大平派(宏池会)に加入。

政治の表舞台に登場するのは、1978年の大平内閣で官房副長官を務めた時からである。1984年には45歳の若さで中曽根内閣の防衛庁長官に就任。
1987年のポスト中曽根をめぐる権力闘争では、宮澤派(宏池会)の事務総長として陣頭指揮をとる。が、派閥領袖の宮澤喜一は竹下登(経世会)に敗北。
このころから加藤は、「宏池会のプリンス」と呼ばれるようになる。

1991年に宮澤内閣の内閣官房長官に就任。
1992年に、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、官房長官として「当時の政府の
関与」があったことが認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。
朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表
この談話が、翌1993年の河野洋平官房長官による「当時の軍が関与した強制連行」を認める「全面的謝罪」の伏線になるのである。
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

1994年の村山「自・社・さ」連立政権下では自民党政調会長に就任。
この政権を樹立する時、河野(当時自民党総裁)や野中広務、亀井静香らとともに、
重要な役割を果たす。その結果、野中は自治大臣・国家公安委員長として、亀井は
運輸大臣として初入閣。
つまり、全員がうまい汁を吸ったわけだ。ちなみに、その時の自民党幹事長は森喜朗(前首相)。

この年の8月、自民党政調会長として中国人民抗日戦争記念館を訪れた加藤は、「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えればよいか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」と述べている。
この「日本では、どう50年を迎えればよいか(の)議論」が、1995年8月15日の「村山談話」として結実するのである。 

1995年の自民党総裁選では、現職の総裁であり、同じ宮澤派に属する河野ではなく、竹下派(経世会)の橋本龍太郎を総裁に擁立する。これは、河野が、派閥内の最大のライバルだったからである。
このことが99年の宏池会分裂(河野派の独立)の遠因になる。
橋本内閣の下では、3期連続して幹事長を務める。このとき、幹事長代理の野中氏と
コンビを組んで自民党の実権を握り、野中をして「魂の触れ合う 仲」と言わしめるようになった。

1998年に宮澤派を禅譲され、宏池会第6代会長(加藤派)に就任。派閥の後継争いに敗れた河野は、翌99年1月に麻生太郎(現外相)らとともに宏池会を離脱する。(宏池会の第一次分裂)

この年、自民党総裁選に盟友の小泉純一郎(現首相)が出馬する。
このころの加藤は、山崎拓(前副総裁)とともに小泉とは盟友関係にあった。いわゆる「YKK」であり、経世会(竹下派=竹下-金丸信-小沢)による自民党支配を打破することを目的に90年代初頭に結成された。
にもかかわらず、加藤は山崎とともに、盟友の小泉ではなく経世会の小渕恵三を全面的に支持、主流派を選択する。
結果は小泉84票。225票を獲得した小渕に惨敗した。

なお、このころの経世会は、既に金丸は議員辞職(1992年)し、小沢は離党(1993年)。実質的には、衆院は野中、参院は青木幹雄(現参院自民党議員会長)が仕切っていた。

このころから、「YKK」と呼ばれた山崎、加藤と、小泉の盟友関係に亀裂が生じ始める。

ところが1999年の自民党総裁選では、加藤は態度を一変させ、前回支持した小渕に
対抗して山崎とともに出馬する。結果は加藤、山崎の敗北。小渕が再選される。
このときから、加藤には逆風が吹き始める。

この総裁選に際し、小泉は積極的な動きを見せなかった。もちろん加藤支持も山崎支持も表明しない。そして次のように言った。
「YKKは友情と打算の多重構造だ。権力闘争を勝ち抜くには友情だけではダメだが、
打算だけでもむなしい」(1999年6月)。これに対して山崎は、「権力闘争が打算で何が悪い」と言い返した。
まさに権力闘争が、いかに非情なものであるかを物語るエピソードである。

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ここまでに書いた加藤の政治歴を見れば、このころ彼が、最有力の自民党総裁候補であったことがお分かりいただけたと思う。
45歳で国務大臣(防衛庁長官)に就任。その後は内閣官房長官、自民党政調会長、同幹事長(3期)を歴任した。しかも党内第二派閥(宏池会)の領袖である。加えて、政策に強く、外交にも通じている。
このころの加藤を評して、側近だった古賀誠(元幹事長)は次のように語っている。
「自民党の数多い有能な人材の中でピカ一。 宝と思っている」と・・・

この加藤が、なぜ失敗したのか?
世間も、永田町(自民党)も、加藤を自民党総裁の最有力候補とみなしていた。加藤
自身も、自分が最有力候補だと思い込んでいた。実は、そこに一番の問題があった。
よく言えば「プライド」、率直に書けば「うぬぼれと自信過剰」。
加藤は「自分は近い将来絶対に総理になれる。それなら、自分の美学を通して総理になろう」、そう考えたのである。

橋本総裁時代、幹事長-幹事長代理として加藤とコンビを組み、「魂の触れ合う仲」と公言した野中や加藤の側近であった古賀らは、加藤が総理総裁になるための「線路」を敷いていた。
1998年の参院選敗北を受けて、任期途中で引責辞任した橋本の跡を継いだ小渕は、まだ1年余りしか総理・総裁を務めていない。ここは、あと一期(2年)だけ小渕にやらせるべきだ。そうしなければ、最大派閥である小渕派(経世会)が納得しない。
小渕が正規の総裁任期をまっとうしたのち、その跡を加藤に継がせる。そして経世会と宏池会で自民党を牛耳る。
これが野中や古賀が考えていた「線路」であった。

そこで野中と古賀は、「多少、あなたの美学からすれば外れるかもしれないが、この
線路に乗れ」と勧めた。
ところが、加藤は、「いや、プロセスが大事だ」と拒否したのである。
野中たちは、「しかし、美学を通しても(総理に)なれなかったらどうするのか。総理に
なるプロセスは、多少見栄えが悪くても、総理になれば美学を通すことができる。まず、総理になることが大事なのだ」と説得した。が、当然、総理になれると思い込んでいた加藤は、そのプロセスを重要視して説得を拒んだ。
そして小渕に挑んだ加藤は惨敗、結果的に総理の座を棒に振ることになる。

加藤は、当時、米ニューヨーク・タイムズから「冷めた ピザ」と評され、国内でも「鈍牛」、「ボキャ貧」、「真空総理」などと揶揄されていた小渕に我慢がならなかったのであろう。
しかも国内では、バブル崩壊後の金融危機が表面化し、我が国は「国難」に直面して
いた。こういう状況を「真空総理」には任せておけない、加藤はそう思ったに違いない。
だが、当時、自民党の最大の実力者で、「魂の触れ合う仲」だった野中は、加藤に真正面から敵対した。

加藤はこのとき、「金丸さんが小沢さんを寵愛したように、野中さんも古賀さんを寵愛している」と述べて、自民党総裁選における自分の敗北が、まるで側近の古賀の裏切りであったかのような発言をしている。
が、加藤派の議員は、「加藤さんが113票も獲得できたのは、古賀さんのおかげだ」と、加藤の邪推を否定した。

加藤と山崎は、この総裁選の後、完全に干される。
が、事態はすぐに急変する。小渕が2000年4月2日に、脳梗塞で倒れたのだ。そこで
急遽、後継の総理を選択する作業に自民党幹部は取り掛からざるをえない事態に追い込まれた。
まず名前が挙がったのが、自民党総裁経験者で唯一総理大臣に就任していない
河野。宮澤や後藤田正晴などの重鎮が推薦した。が、最終的に選ばれたのは森だった。

内閣官房長官として小渕を支えていた青木は、「(小渕が意識不明の状態なのに)何かあれば万事よろしく頼むとの指示をいただいた」として首相臨時代理に就任。
赤坂プリンスホテルの一室に森幹事長、村上正邦参院自民党議員会長、野中幹事長代理、亀井政調会長(肩書はいずれも当時)を召集して、談合で森を後継総裁にする
ことに決めたのだ(いわゆる五人組による談合)。
加藤派の池田行彦総務会長(当時)にはお声がかからず、加藤もこの動きをまったく
知らなかった。つまり、この時点で、加藤は完全に「番外地」とみなされていたのである。

ところが、この森首相が、誕生の経緯もあってか、国民から不評を買う。首相番記者
からも「サメの脳ミソとノミ の心臓」と揶揄されるほどだった。メディアは、「森喜朗」の
音読みにかけて「蜃気楼内閣」とまで呼んだ。
ここでまた、加藤の「うぬぼれと自信過剰」が頭をもたげてくる。
そして加藤は、山崎を連れ立って、野党が提出した森内閣に対する不信任決議案に
賛成しようとするのだ。加藤派と山崎派が野党に同調すれば不信任決議案が可決される。つまり、内閣総辞職か解散しかない。

これが、いわゆる「加藤の乱」である。
が、野中幹事長(当時)の切り崩しや小泉(当時森派会長・現首相)の頑強な抵抗に
あって、この反乱は鎮圧される。
特に加藤派は、側近と言われていた古賀を始め、宮澤喜一、池田行彦、丹羽雄哉、
堀内光雄などの幹部を中心に半数以上が加藤から離反。(宏池会の第二次分裂)
これを機に、加藤は急速に党内影響力を失くす。

2002年には、加藤の金庫番と言われた佐藤三郎元秘書が、2億8,000万円の所得隠しと約1億円を脱税した疑いで逮捕され、加藤自身も政治資金の私的流用などが暴かれて3月に宏池会会長を辞任し、自民党を離党した。
が、国民の批判は収まらず、4月には衆院議員辞職に追い込まれる。

ところが加藤は、翌2003年11月の衆院総選挙に無所属で出馬、11期目の当選を果たす。そして、その後、自民党に復党。旧加藤派を引き継いだ小里派(現谷垣派)にも
復帰。
しかし、2005年9月には、谷垣禎一(現財務大臣)が派閥の後継に決まると小里派を
離脱する。

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ここまで読んで、皆さんは加藤のことを、どう思われたであろうか?

エリート、プライドが高い、うぬぼれ屋、政局音痴、ケンカの仕方を知らない、中道左派的思想、親中派、などは確実に読み取れる。
が、私はプライドやうぬぼれの裏に、小泉首相に対する嫉妬と怨念を感じるのである。
加藤が総裁選で小泉を支持しなかったのは1998年だけではない。95年に小泉が初出馬した時も、対立候補である経世会(竹下派)の橋本擁立の核になっている。

なぜか?
加藤の中では、YKKにおいて「総理総裁になる資格があるのは自分だけ」と思っていたからである。小泉は、それこそ論外。
山崎はそれを承知していて、まず加藤を総理総裁にする、そして自分は党幹事長として加藤を支える、と公言していた。
(当然、総理の座を加藤から禅譲してもらう、という前提付きだが)

ところが、「プライド」と「うぬぼれ」が裏目に出たうえ、元々が政局音痴でケンカべたと
きているからどうしようもない。
田中角栄元首相は「自分の努力で幹事長まではなれる。だが、総理総裁は努力だけではなれない。巡り合わせだよ」と初当選の挨拶に伺った額賀福志郎(現防衛長官)に語ったという。
が、加藤の場合は「巡り合わせ」ではなく、自業自得だと思う。

そんな加藤にとって、よりによって「格」がず~っと下のはずの小泉が総理大臣になった。しかも、自分のアドバイスには耳を傾けない。それどころかアドバイスと逆のことを
やる。
にもかかわらず国民的人気が高い。
もう、小泉は許せない。後継総理は絶対に「反小泉」でなければならない。そう加藤は思っているのではないか。

加藤は、6月20日のテレビ番組で、自らの総裁選への出馬の意思を聞かれ、こんな
“本音”をのぞかせている。
「私自身は過去5年間いろいろあり、傷も癒えていないので、今回は、そういうことは
しません」
この「今回は、そういうことはしません」という発言を聞いて、加藤の元側近だった谷垣派議員は「『次回がある』と思っているのかなあ……あの人もギラギラ感が抜けないね」と苦笑した、という。

加藤が「非安倍」にこだわるのは、安倍晋三官房長官のアジア外交に対する姿勢を
懸念するからだけではない。政界の急速な世代交代に待ったをかけ、もう一度、自らの活躍の場を確保したいという思惑もあるのだ。
もう1回だけ総理になる(もしくは総理に影響力を及ぼすことのできる)チャンスをくれ!本気でそう思っているのである。

加藤は今、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という心境にまで陥っている。
福田康夫不出馬が確定した今、加藤に政策が近い「ポスト小泉」候補は、かつての
派閥の弟分、谷垣禎一財務相である。
が、加藤は谷垣について、「閣内にいて、小泉さんの庇護の下にいるイメージがある。靖国問題やアジア外交でも谷垣さんは(安倍や麻生と)ちょっと違うがはっきりしない」と評価する姿勢をまったく見せない。(06/07/24 讀賣新聞)
加藤は、谷垣が小泉内閣にいる=小泉に協力していることが、まず気に食わない。そして谷垣派は、本来は自分の派閥だ。谷垣は自分よりも格下だという思いをぬぐい切れないのである。

私は、加藤を「政界のはぐれ鴉」だと思っている。そして彼を見ていると、権力に対する妄執は、ここまで人間を醜悪な存在にさせるのか、と思うと同時に、「政治家の憐れ」を感じずにはいられない。

かつて、政界の策士と呼ばれ、今年5月に死去した松野頼三は、小泉首相の「政治の師」でもあった。
その小泉首相は、松野が亡くなった際に「政局の動き、権力闘争、自らやってきた人だから。派閥間の争い、派閥内の争い、人間の嫉妬。そういう点を実に詳しく教えてくれた」と語っている。

加藤にも松野のような「政治の師」がいれば、少しは彼の政治家人生も変わったものになったのであろうか???

(文中・敬称略)

(注)
「経世会」は、現在は「平成研究会」に改称されています。が、今でも「経世会」の方が
メディア、永田町とも通りがよい。

参照1:異才作家 『大下英治』 が書き下ろす迫真の政治ドラマ
参照2:第147回国会 決算行政監視委員会 第3号
参照3:佐藤三郎・加藤紘一議員元秘書の逮捕について
参照4:「ポスト小泉」への道(11)未練断ち切れぬ「YK」


妄執の虜・山崎拓 2007/01/08

山崎拓(やまさきひらく)という政治家、もう「血迷った」というしかない。
2000年の「加藤の乱」で政治の主流から転落して以来、その言動が徐々におかしくなってきた。そして、安倍晋三総理・総裁誕生で「一丁あがり」の立場になってからは、盲目的に自己存在をアピールする――恥も外聞もかなぐり捨てた「なりふりかまわぬ」状態なのである。

以下の記事を読んでもらいたい。
もう政治家としての信念や節操とは無縁の、妄執にとらわれているとしか言いようがない醜態をさらしているのだ。


自民党の山崎拓前副総裁(党安全保障調査会長)が9日から北朝鮮を訪問し、平壌で宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使らと会談する方向で調整していることが7日、
分かった。複数の政府、与党関係者が明らかにした。議員外交の展開で、北朝鮮の核実験や拉致問題で行き詰まった日朝関係の打開を図るのが狙いとみられる。

ただ政府筋は「首相官邸とは関係ない。この時期に行って、成果があるとは思えない」と指摘、野党などから「二元外交」との批判が出る可能性もある。

山崎氏は8日に北京で1泊し、9日に平壌入りする予定で、滞在は5日間程度になるという。昨年12月初めには小泉純一郎前首相と会談し「3度目の訪朝をすべきだ」と促しており、小泉氏訪朝の地ならしをしたい意向もありそうだ。

山崎氏、9日に平壌入り 日朝関係の打開狙い (共同通信)

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私は、この政治家を1969年の初出馬(落選)のころから知っている。祖父が玄洋社の
幹部だった関係もあって、若いころは自主憲法制定を信条とする、いわゆるタカ派として知られていた。
中央政界入りを果たせたのは中曽根康弘氏に見出されたおかげだが、その後は渡辺美智雄氏(元副総理)の側近として頭角を現す。

タカ派で、一時は青嵐会にも属していたため強面(こわもて)のイメージもあったが、実際は信義に厚く親分肌のところもある人間味あふれる政治家である。
ただ、率直に言ってあまり賢くない。致命的欠陥は政局に疎く、常に自らを「反」もしくは「非」主流派に追いやっている。
「防衛族の実力者」とも言われるが、現在は昔日の面影はない。

この政治家、渡辺氏全盛のころは次代の総理・総裁候補と目されていたこともあった。ただ、経世会(竹下・金丸派)に対抗するためにYKKの一員として加藤紘一氏と組んだころからおかしくなった。
加藤氏は学生時代の左翼体験を完全に払拭できず、いまだに戦後政治の負の側面を強く引きずっている政治家である。
この加藤氏の影響もあってか、今の山拓氏は媚中・親韓、反靖国参拝派と言わざるをえない言動が目立つ。

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山拓氏の最初の誤算は、親分・渡辺氏の早すぎる死だった。結果、準備不足のまま
渡辺派を引き継ぐ破目になったため、ベテラン議員の大半が離反。わずか20数名で
山崎派を立ち上げざるをえなくなった。

次が「加藤の乱」。
宏池会の、あるいは自民党のプリンスとも呼ばれていた加藤氏を助太刀する形で経世会(野中一派)に戦争を仕掛けたが、加藤氏はあえなく討死。
山拓氏も大きな痛手を被った。
もともと政局音痴で喧嘩が苦手な加藤氏と組んで戦争をすることそのものが無謀だった。

そして決定的だったのが女性スキャンダル。
議員宿舎に女性を連れ込んでいるところをフォーカスされ、しかもこの女性が統一教会関係者であったことが発覚。
また博多・中州の元ホステスだった愛人には下半身の事情まで暴露された。
で、次の選挙であえなく落選。

ここで山拓氏の総理・総裁の目は100%なくなったわけだが、本人にその自覚は薄い。
YKKの中で本命とされた加藤氏がコケ、番外地と思われていた小泉純一郎氏が総理・総裁になった時点で完全に潮目が変わったわけだが、この流れを山拓氏は完璧に読み違えている。
だから靖国神社参拝に反対したり、媚中姿勢を誇示したりして流れを懸命に引き寄せようとしているのだが、本流はますます遠ざかり、すっかり「取り残された人」になってしまった。

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今回の北朝鮮訪問騒動も、この勘違い人間・山拓氏の妄執が引き起こしたものだが、北朝鮮の策謀に乗せられるばかりで国益を損なうだけだ。もちろん本人にとってもマイナスでしかない。
ところが、権力中枢に復帰したい(できれば総理・総裁になりたい)一心の山拓氏は
そのことに気づかない。
ここまでくると、もうピエロと言ってもよいのだが、その言動が国益に悪影響を及ぼすという点で、笑って見すごすわけにはいかないのだ。

大幹部だった武部勤氏(前幹事長)は小泉氏に奪われ、子飼いで将来を嘱望していた甘利明氏も安倍氏に走ってしまった。
本来は「憲法改正論者」なのだから安倍首相に協力すれば、それなりの存在感を示せるのだが、枯れることを知らない――そういう意味では政治家らしい人だからこれも仕方がない。

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山拓氏には、加藤氏とともに、自らの立場を自覚し潔くわが身を処することを切に希望する。


「反日」の代表・菅直人を糾弾する 2007/03/08

わが国が東アジアの特定の国から「言いがかり」に近い非難を浴びるのは、国内にそれらの国と意を通じているとしか思えないメディアや政治家たちが存在することも要因の一つである。

メディアの代表格は朝日新聞、そして政治家は、今なら菅直人民主党代表代行だろう。

菅は幹事長時代の2002年5月5日、妻を含めた一行6名で南京大虐殺遭難同胞記念館を訪れ、“遭難者”たちに花輪を捧げ、生存者代表に会ってお詫びとお悔やみを伝えた。
そして菅は「今度南京大虐殺の歴史をもっと知るために南京大虐殺遭難者同胞記念館をわざわざ訪れたのであり、南京での見聞をより多くの日本国民に伝え、歴史を正しく認識しそれを鑑にして、絶対に歴史の悲劇を二度と繰り返さない」と述べた。

つまり菅は、犠牲者の数はもちろん、“事件”の存在そのものにすら疑義が呈されている“南京大虐殺”に何ら疑いを持つことなく、中共の主張を受け入れ謝罪しているのだ。
こんな菅が、今問題になっている米国議会(下院)における慰安婦をめぐる「対日非難決議案」に対してどのような態度を取っているのか?

以下は、菅の公式サイトにおける発言である。


安倍総理が中川幹事長の「忠誠心」発言に反発し、官邸の空気が変わってきた。安倍総理が、いろいろな配慮をすることを止め、好きなことをやるという姿勢に変わった。その第一段がお友達の江藤氏復党。第二段が予算の強引な衆院通過。河野談話に関する発言もその流れ。これからますますタカ派色を出して、強引な国会運営をやってくる可能性が強い。

従軍慰安婦問題に関する河野談話に関しては、議会で多数を握ったアメリカの民主党は人権問題に敏感で、安倍総理の言い訳発言にアメリカ世論が反発する危険性がある。また総理就任直後の訪問で改善された中国、韓国との関係も再びひびが入る可能性がある。

官邸の空気 2007-03-05 (Mon) 菅直人の今日の一言

批判の対象である衛藤晟一・前衆院議員を「江藤」と書くなんて、この男の「いい加減さ」をよく表している。ただ、こんなことは本質的なことではないので見逃してやろう。
が、「安倍総理の言い訳発言」という言葉は看過できない。

安倍首相の「狭義の意味での強制性を裏付ける証言はなかった。官憲が人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった。いわば『慰安婦狩り』のような強制連行的なものがあったということを証明する証言はない」(2007/03/05 讀賣新聞)という発言のどこが「言い訳」なのか!!!
ここに、事実をゆがめてまで自身の主張を正当化することを得意とするこの男の本質が如実に示されている。

要は、菅の言葉には、言外に「日本軍による強制連行はあった」という認識が含まれているのだ。

「アメリカ世論が反発する」「中国、韓国との関係も再びひびが入る」――こういう主張をすることによって国民の不安感を煽り、時の政権を貶(おとし)める、これはもう使い古された手法である。

「アメリカ世論が反発する」のが問題ではない。その反発する根拠が正しいのか否かが問題なのである。「中国、韓国との関係」もそうだ。関係悪化が、何によってもたらされようとしているのかを国民の前に明らかにするのが政治家としての責務である。
米国世論の反発が誤解に基づくものであれば、それを解消する。中韓との関係悪化が、彼らの政治的意図、プロパガンダに起因するものであれば、これには断固反撃する。
これが本来の日本の政治家のあるべき姿である。

にもかかわらず菅は、中韓のプロパガンダに迎合して自国政府を攻撃しようとする。これは責任ある野党第一党を代表する政治家が取るべき態度ではない。
「中韓との関係に“無用”な摩擦を起こしたくない」という姿勢が、今回の米国議会における「対日非難決議案」を引き起こしたのである。
菅の発言には、その肝腎な部分の認識が欠けている。相変わらずの「“無用”な摩擦を起こしたくない」という姿勢だ。が、これは厳密に言えば「摩擦を起こしたくない」ではなく「中韓の言い分には従うべきだ」と言っているに等しい。

このような政治家が、幹事長ばかりか代表を二度も務め、今は代表代行として党の顔になっている。こんな党が野党第一党であるというところに、わが国の不幸がある。

菅に代表される政治勢力にとっては、もう「歴史において何が真実か」が問題ではないのである。彼らにおいては「いかに日本の過去の歴史を否定するか」が重要なのだ。
「戦前の日本は悪」「戦前の日本を否定する自分たちは善」―これが彼らの立脚点であり、自らの立場を有利にするためには外国勢力にも迎合する。

これが民主党の本質なのである。
だから部落解放同盟を“関係団体”として党の公式サイトに掲載し、幹部政治家が朝鮮総連(北朝鮮)から政治献金を受けるといったような不祥事が後を絶たない。

菅だけではない。
民主党は、元副代表の岡崎トミ子参院議員を中心として「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」なる法案を執拗にわが国国会に提出し続けている。これは、わが国政府に対して“従軍慰安婦”への謝罪と補償を要求する法案である。
この岡崎が今回、韓国のメディアに登場して何と言ったか。
「日本は、この法案をきちんと通して、一人一人の名誉の回復をしてゆきたい」
これである。

岡崎の仲間である民主党参院議員の那谷屋正義も「自国の問題であるのに、自身で解決できずに米国に頼っている。謝罪というのは人と人が真剣に心から過ちを認め、相手とわかりあうことで成立する。現在、そうなっていないことに憤りを感じる」(朝鮮新報)と述べている。
「米国に頼っている」???ここまでくると、もう「理解できない」というか「狂っている」と言うしかない。

敵は中国や韓国、あるいは在米の「反日」ネットワークと、それに踊らされる米国議員
ばかりではない。もっとも危険なのは、菅直人を始めとする国内の売国議員たちであり、それが“リベラル”を名乗って民主党の中枢に居座っていることである。

われわれは、米議会の一部に見られる不当極まりない動きに断固反対するとともに、国内に巣食う「反日」売国議員たちを糾弾しなければならない。

参照:日本民主党の菅直人幹事長が南京大虐殺遭難同胞記念館を見学
    (中華人民共和国駐福岡総領事館)

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コメント

加藤、山拓の2人と河野太郎、引退する河野洋平が後継指名した牧島かれん、ハマコーのせがれは次期選挙で落選を願う自民候補者だ。似非保守の亀と左巻きの菅は言わずもがなである。できれば、似非保守がもはや明らかな古賀、石破、麻生らも叩き落とされるとうれしいのだが…。次回総選挙を機に真正保守、似非保守、左巻きの3つの勢力に再編されると、国民にとって分かりやすくなると思う。

投稿: やす | 2009/01/08 14:41

マスコミが触らないところを「坂さん」が全部さらけ出してくれました。

許永中の子分?の別荘と言うのでしょうか?水道の蛇口まで「金」で作られているなんて言う山頂の別荘も見た事が有りますが山中の洞窟にはエレべータが有り、近ずけないとも聞きました。
当時は凄い勢いだったのでしょう。今も館は有りますが誰も近寄れない様です。

今の政界は保守が何か?革新が何かを問う前に日本が好きなのか?嫌いなのか?を問われる様な議員ばかりで中身の貧弱な事には驚きます。

田母神氏に対する政治家の反応を見ていると90%は使いものに成らない様な気がします。あの防衛大臣の姿では命を預けたい自衛官も少ないのではないでしょうか?

私なら御免蒙ります。会社員も勤まらなかった男が偉そうな事も言えませんが、上司が部下を支えてくれると言う態度を見るだけで、やる気が起こすものです。間違いないと今でも思って居ます。

偶々今日はテレビを付けましたら「菅直人」が首相に質問して居ました。「さもしい」意味を問うているのです。バカらしいので直ぐ切りましたがHNKも良く放送して呉れるものと感心。

結局「国民」がマスコミに煽られてこの様な人間を国会に送って仕舞う。国民の意識が自分たちで取得した実感がないので「選挙権」を放棄してしまう。安易に「党」で判断してしまう事も政治を駄目にしているのでしょう。

今日挙げられた政治家は日本には「不要」・「害」が有るだけでしょう。国民が政治を現状ではなく自分達の子孫に対する責任を負っている意識を取り戻す事が必要と感じています。

投稿: 猪 | 2009/01/08 16:24

大変参考になりました。ありがとうございます。

投稿: kojitan | 2009/01/08 23:14

野合の次ですか・・・出し殻お茶ッ葉のブレンドみたいですなぁ。生ゴミ未練組とかw

投稿: ト | 2009/01/09 06:43

日本は朝鮮、中国に乗っ取られるのでしょうか?
乗っ取られた場合、日本人はどうなるのでしょうか?
人はなぜ人を憎み、陥れるのか?
負の連鎖を断ち切れないのか?
人類は近いうちに滅びるでしょうね。
他を受け入れない限り

投稿: q | 2009/12/13 22:27

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