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2009/01/01

つれづれなるままの自分史

明けましておめでとうございます。
さて、最近はエントリが滞りがちです。理由は、とにかく余裕がない。が、その一方で、新しい読者の方も増えています。そこで、過去のエントリで人気の高かったエントリを、この先何回かにわたってアップしたいと思います。
一度、読まれた方も多いかとは思いますが、改めて「坂眞」のブログの神髄を堪能していただければ幸いです。

第1回目は、「私が何者か」を解りやすく解説したエントリです。
以下は、2007年5月19日にアップした「つれづれなるままの自分史」。

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つれづれなるままの自分史

若いころの私は、自らを「革命的左翼」と位置付けていた。
もちろん今は違う。
では、今の私の立場はどこにあるのか?

私は自分を「右翼」とは思っていない。
「右翼」という定義はわが国では定かではないが、私は排外的なイメージを持っている。
排外主義とは「外国人」を攻撃し、排斥する主張だ。

私は王貞治監督を心から尊敬しているし、(元)在日韓国人の友人もいる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思っている。
在日韓国・朝鮮人の存在は「おかしい」と思っているが、だからといって「出て行け」とは思わない。
子々孫々にわたって日本に住み続けるのならば、日本国籍を取得するべきであるというのが私の考えだ。

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日本の教育を受け、日本人と同じ暮らしをし、日本人のコミュニティに存在しながら、
いまだに韓国・朝鮮籍であり続けることが私には理解できない。
もちろん、朝鮮総連の同調者で、日本を敵視する在日は別だ。彼らは非難されて当然であり、さっさと祖国に帰るべきなのである。
が、日本が好きだと言い、今の韓国・朝鮮や韓国・朝鮮人に「違和感を感じる」としながら、韓国・朝鮮籍を維持し続けるのは不自然きわまりない。

在日3世で、第1回声優アワード主演女優賞を受賞した朴璐美(ぱく ろみ)さんなんかはその典型だと思う。
彼女は讀賣新聞の取材に、「韓国留学を経て『祖国と母国は違う』と痛感した」と答えている。つまり「母国は日本」という思いが強烈に湧いてきたわけだ。
彼女は表彰式に着物姿で登場した。讀賣新聞は「若手女優がアイドルを思わせる衣装で並ぶ中、フジ色の振り袖姿は目を引く」と書いていた。
それでも「朴璐美」を名乗り、韓国籍に固執する。
このあたりは、われわれ日本人には理解できないところかもしれないが、普通に考えれば日本に帰化するのが当然だと思う。
ちなみに、私の友人は日本女性と結婚したのを機に帰化した。

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話を元に戻そう。

私は日本の歴史に誇りを持っており、日本人であることに感謝している。
この国を愛しているし、この国の人たちが好きだ。
だから私は民族主義者に分類されるのかもしれない。
まあ、特に自分の立場を分類する必要はないのかもしれないが、もともとが「左翼」を自認していただけに、今の自分はどこに位置しているのだろう?と思うわけだ。

私は、いわゆる「伝統的保守」ではない。ご存知の方も多いと思うが、私は構造改革の支持者であり、「新自由主義」に共鳴する部分が多い。
要は、「国家による過剰な福祉や公共サービスの縮小、大幅な規制緩和と市場原理の重視」という立場である。この考えが、日本人や日本社会の特質、あるいは伝統的な文化・価値観とうまく融合されればよいと思っている。
つまり「日本的な市場主義」「人間の顔をした市場主義」とでも呼べばよいのだろうか。
とにかく「結果の平等」だけは“悪”だと思っている。能力のある者が正当に評価される―これがなければ社会は衰退し、結果的に「貧者の平等」に堕してしまう。
もちろん、真の社会的弱者に暖かい手を差し伸べるのは当然だと思う。また、最近の非正規雇用者に対する差別的待遇には怒りを感じている。これは、競争の前提である「機会の平等」に反しているからだ。

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私が「左翼」になった原点は「朝鮮人差別」にあったと思っている。
生まれ育った地域には在日が多く住み、被差別部落がたくさんあった。が、部落差別は子供の間ではなかったし、親たちも差別を公然化することはなかった。だから、「橋のない川」を映画で観たときもピンとこなかった。
が、朝鮮人差別は大人たちの間でも、子供たちの間でも露骨だった。教師の中にも差別意識を隠さない者がいたほどだ。
私は、在日の子供と仲がよかったせいもあって、この差別には激しい怒りを覚えた。理由は「理不尽」の一言である。
もちろん当時は子供だから、在日の存在の背後にある歴史的・社会的問題などに思いが及ぶことはなかった。とにかく「差別は許せない」―これだけだった。

中学生になると、年長の従兄弟から『女工哀史』(細井和喜蔵)を読むように薦められた。この本を読んだ時はショックだった。「資本家は悪だ」「者は悲惨だ」、単純にそう思った。
もちろん当時の時代背景などわかるはずもない。ただただ女工たちが憐れだった。
このころ、もう一つ大きな疑問が私の中で育ちつつあった。
それは文部省を批判してストライキを繰り返す教師たちが、子供たちに対しては「受験勉強」を強要することだった。口では「平等」を唱えながら、実際には「受験勉強」という競争を煽る。この教師たちの偽善的な行動は、私に大人社会への不信感を強烈に植え付けた。
高校が、いわゆる「進学校」だっただけになおさらだった。

高校に入った私は、「生きる意味」を考えるようになった。「何のために生きているのだろう?」と思い悩んだ。椎名麟三の本や華厳滝で自殺した藤村操に関する本をむさぼり読んだ。
もう受験勉強がバカバカしくなった。教師たちがアホらしく見えてきた。
そんなとき起こったのが1967年の『10・8羽田闘争』だった。このとき、京大生の山崎博昭さんが死亡した。
当時、高校1年生だった私は「どうして学生たちはゲバ棒を振るうんだろう?」「なぜ命を落とすような激しい闘いをするんだろう?」と猛烈に好奇心をかき立てられた。
受験勉強の勝者―京大生―ゲバルト―死、これらが脈絡的につながらず、「なぜ」を
どうしても解明したくなった。
そして、めぐり合ったのがレーニンの『国家と革命』である。

第一章 階級社会と国家
  一 階級対立の非和解性の産物としての国家
  二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
  三 被抑圧階級を搾取する道具としての国家
  四 国家の「死滅」と暴力革命

以上が『国家と革命』の冒頭の項目だが、これを読んだだけで私は「目から鱗が落ちた」。
これまで悩んできたことがいっぺんにクリアーになった。
「これだ、これ」
もう左翼にならなければ生きている価値がない。

ここから「革命的左翼」としての私の軌跡が始まる。

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私が共産主義に見切りをつけたのは、1972年に発覚した「連合赤軍による大量リンチ殺人」がキッカケだったことは過去のエントリーで書いた。
が、それ以前から疑問が芽生えつつあった。
それは、私の友人がリンチで瀕死の重傷を負ったからである。そのリンチを実行した側にも、かつての友人がいた。
ほんのわずかの相違だけで、めざすところは同じなのに相手を肉体的に抹殺しようとする。しかも、かつては仲間だったのに。
「何かが間違っているんじゃないか?」と思い始めていたところに「連合赤軍による大量リンチ殺人」が起きた。
もう私は「この思想は完全に間違っている」と思うようになった。

それでも簡単に変われないのが人間。
学生運動に見切りをつけた私は部落解放運動に関わるようになる。
偏狭なイデオロギーに囚われることなく、真に抑圧されている人たち、真に差別されている人たちのために活動したい―そう思ったのだ。
私は2年間、被差別部落の中学生に高校進学のための勉強を教えた。部落に通いながら。
が、ここでもウンザリするような出来事に遭遇する。
それは、解放同盟幹部による公私混同と物理的恩恵にこだわる多くの部落大衆の姿だった。
要は、運動の理念なんて関係ない。より多くのモノとカネが手に入ればよい。すべてとは言わないが、それが部落解放運動の一面だったことは間違いない。

それでも私は左翼を卒業できなかった。
いったん大学を退学していた私は、もう運動に絶望して復学を願い出た。で、結果的に大学卒業まで7年間を要した。もちろん就職なんてない。
仕方なく公務員試験を受けて、ある政令指定都市の職員になった。
が、ここでも労組の活動に励むことになる。

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結局、私が左翼から解放されたのは事業を起こして倒産したことによる。その後の数々の修羅場。これが私の人間を見る目を変えた。社会の捉え方を変えた。
人間は理論では説明できない。人間社会は理論では解明できない。
人間の原点は欲望ではないか。その欲望と理性との葛藤が「生きる」ということではないか。
欲望に囚われた人間は人間であることを忘れる。理性に縛られた人間は人間存在を理解できない。
人間というのは複雑で、奥深くて、きれいなところとドロドロとしたところが併存している。理屈では割り切れない。
そんな人間が寄り集まって作る社会はもっと複雑だ。
そんな当たり前のことに気付いた時は、すでに30代も半ばを過ぎていた。

その後、めぐり合った人たちの好意もあって私は人生を立て直すことができた。
人間、どん底に落ちても一生懸命に頑張るという気持をなくさなければ何とかなるものだ。誠実に生きていれば、よき先輩、よき仲間にめぐり合える。
義務を果たさず、権利のみを主張する人は救われない。自らを自覚できず、妬(ねた)みと嫉(そね)みで我が身を焦がす愚かな人は成長しない。
努力するという意思。感謝するという気持。これがなければ人間は進歩しない。
これがあれば、能力のある人が努力して成果を手に入れても妬んだりしない。たとえ敗者になっても弱者に落ちることはない。必ず復活できる。
私はそのことを、どん底の生活の中から学んだ。

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実は、私は左翼だったころと本質は変わっていないと思う。今でも、強者に弱く弱者に強い人間が大嫌いだ。権力を持った者の理不尽は許せない。
予期せぬ出来事の結果、弱者に甘んじざるをえない状況に陥った人には救いの手を差し伸べるべきだと思う。予断と偏見による差別は受け入れられない。

が、被害者を気取って筋の通らない要求をする者、妬みと嫉みから努力し成功した人を攻撃する者を許さない
―こういう気持が強くなったのは、明らかに過去の私とは違う。

私が中共を許せないのは、弱者を食い物にして反省するところがなく、傲慢で強権的で冷血だからだ。韓国を批判するのは、被害者を気取って筋の通らない要求をし、妬みと嫉みによって相手を攻撃するからだ。
「9条擁護」などという「幸せな人間」を批判するのは、理念だけでは人も国家も生きていけないと痛感したからだ。「自分の身は自分で守る」という気概があってこそ、よき仲間が現れ、ともに戦ってくれる。
中国人であるから、あるいは韓国・朝鮮人であるからというだけで敵視し、差別するのは“悪”だと思うのは、予断と偏見に縛られてはならないと痛感するからだ。

北朝鮮と朝鮮総連、それに同調する在日朝鮮人は“犯罪者”だと思っているので、批判とか許せないとかいうレベルの問題ではない、念のため。

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呪縛から解き放たれたことによって事実を認識できたことも、私の立脚点を大きく変えた。
「勝手に日本にやってきて、悪いことばかりをする」と言う叔母の言葉に、「彼らは強制連行されてきたんだ!悪いのは日本人だ!」と食ってかかった私は、もう「遠い過去の私」だ。
“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も、昔の私なら簡単に信じたことだろう。それからすれば、ここ10年間に学んだことは多い。もともと「歴史」が大好きだったから、より熱心に学ぶことができたんだと思う。

そう言えば、私が左翼の現役だったころ、“従軍”慰安婦も南京“虐殺”も何の問題にもならなかった。当時の左翼が知らなかったのか???
でも、強制連行や三光作戦(殺し尽す、焼き尽す、奪い尽す)はすでに批判の対象になっていたから、「慰安婦」や「南京」はプロパガンダになるほどの価値がなかったということだろう。

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歴史を学び直したことで、私は日本と日本人に誇りを持つようになった。明治維新とその後、短期間で欧米列強に伍するまでになったのは、まさに“奇跡”だろう。ヘタをすれば列強の植民地になってもおかしくなかった。
それだけ先人たちは賢明で偉大だったということだ。
戦後の高度成長も、よく“奇跡”と欧米から言われるが、明治の“奇跡”がなければ戦後もなかった。
そして明治維新が可能になったのは「天皇の存在」である。

今の私は結局、「より日本人らしい日本人」になれたということだ。
「日の丸」が掲揚されれば心が高揚するし、「君が代」が流れれば厳かな気持になる。
日本人であることに誇りを感じているし、こんなに安全で平和で豊かな国の礎を築いてくれた先人たちに感謝している。
価値観は時間とともに変わっていくものだが、象徴天皇制だけは未来永劫にわたって変わることはないと確信している。日本人は永遠に天皇のもとにある。それが歴史であり、文化なのだ。

わが国は、これからも「自由と民主主義」という価値観に立脚し続けるだろう。が、それは日本の歴史を継続した「自由と民主主義」だ。
けっして欧米のような「ミーイズム」「自己中心」の国家になってはならないし、なることはないと思う。

いつまでも謙虚な日本人でありたい。
そして、権利と義務は表裏であることを、いま一度確認したい。

参照:第1回「声優アワード」の主演女優賞を受けた 朴ロ美さん (讀賣新聞)

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コメント

新春早々、エントリーありがとうございます。

>たとえ敗者になっても弱者に落ちることはない。

これこそ、今必要とされている「気概」ではないかと
感じました。

本年も、ご自愛なされてエントリーしてください。

投稿: 損政好 | 2009/01/01 07:33

明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。
今年が皆様に取って、良い年でありますように。

今年こそ、日本がまともな国へ向けて第一歩を踏み出しますように。
今年こそ、拉致被害者たちがみんな帰って来ますように。

ところで皆様、お宅に国旗を掲げられましたか?
うちは道行く人から見えるよう、マンションのベランダに掲げましたよ。
でもマンションで国旗を掲げているのはうち一軒だけ…寂しい。

投稿: Venom | 2009/01/01 10:36

明けましておめでとうございます。
いつも楽しく読ませていただいております。感謝。
今年も宜しく。

投稿: sirouto | 2009/01/01 11:16

明けましておめでとうございます。また、トラックバックが打てません。なのでURLを記載します。
今年は大変な年になることは必至ですが、本年もよろしくお願いいたします。
ではでは。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/111974778.html

投稿: 西村幸祐 | 2009/01/01 18:20

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

坂さんのこの記事、以前も読んだのですが、72年のリンチ事件が左翼訣別のきっかけとなっている所など、私の過去と重なる部分があり、とても共感を持ちました。

理不尽を許せない気持ち、それは左翼でも右翼でも変わらない、いや関係ないものなんですよね。これからもバッチリ正義感?と熱い思い剥き出しで頑張っていっていただきたいと思います。

経済的なことや生活面の大変さは皆同じだと思います。お互い頑張って参りましょう。

投稿: おれんじ | 2009/01/01 20:16

明けましておめでとう御座います。

坂様のブログ、とても勉強になります。
有難う御座います。
これからも応援しております。

新自由主義ですが、
これは性善説に立ってこそ、正常な発展を期待できるものではないでしょうか。
日本に取り入れられた後は、
敬うべきを敬わず、
ただ拝金主義が横行したように思えます。
そして、”義務を果たさず、権利のみを主張する人”
が報われる社会に
なってしまったのではないでしょうか。

戦後の、権利ばかりを主張する世代と、
その子供達の世代が主導権を握る社会では、
現行の新自由主義で、
人間に顔をした市場主義を期待するのは、
見果てぬ夢だと思います。

小泉元総理も、
そのところを判っていなかった、
と思っております。

投稿: 中医 | 2009/01/02 13:01

「つれづれなる自分史」は、よかったでっす。「左翼は正義感のつよい『馬鹿』」と合わせて、経験したものでなくては見えない事柄もあって、非常に感激しました。

> 私が共産主義に見切りをつけたのは、1972年に発覚した「連合赤軍による大量リンチ殺人」がキッカケだったことは・・・

やはりこの事件は大きかったようで。昨年末の飯島愛さんの死亡で、(関係については都市伝説の類だと思うが)コンクリート殺人事件の話題があり、どうしても比較してしまいました。
 思想面では全く関係の無い、この二件ですが、残酷性について思わざるを得ない。まあ、人間というものは誰しも残酷性を有しているものだし、自己正当化も無意識にやってしまうもの。
赤軍の方は、やはり共産国の粛清に共通の部分はある、自己正当化も・・・。しかし一方、コンクリート事件の方は思想は当然関係無く、自己正当化すらも無いような気がして途方に暮れてしまう。主犯級の人たちも殆ど出所で、噂によれば反省の色が少ないとか。自分はどうしても、この悔悟の気持の方に注目する。
 歴史的には、例えば日本で所謂A級戦犯とされた方々の多くは、少なくとも日本国民に対する責任は痛感されていた御様子。
一方、ヒトラーは勿論、レーニン・スターリンや毛沢東は自国民の大量殺戮について、殆ど反省していないんではないか?と思ってしまう。(偏見かも知れません)
また、一方蒋介石もかなりの自国民を犠牲にし、台湾での当時も圧制的で最近もよく批判の声を聞くが、この人物には所謂人間らしさを感じる。また、先の赤軍リンチの加害者たちにも悔悟の様子が察せられた。
 
なぜこういう話をするかというと、共産国の残酷について、人権意識の問題もあるだろうが、それだけじゃあないと思うので。
例えば、アシュカ・カニシカ王の話とか、古代からの脈々と受け継がれてきた伝統・価値観がある。
 
社会主義には、こういった過去の伝統・文化を根底から覆そうとしているが如くだ。特にレーニンに顕著だ。社会主義者はなにかにつけ前衛、前衛といい、古いものを顧みないどころか破壊してしまう勢いだ。しかもそのやり方がいかにも乱暴ではないか?

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/04 00:13

今晩は、前投稿は随分主題からずれた感じで失礼しました。

ところで、> ほんのわずかの相違だけで、めざすところは同じなのに相手を肉体的に抹殺しようとする。しかも、かつては仲間だったのに。「何かが間違っているんじゃないか?」と思い始めていたところに(引用)

の部分なんですが、本当にそうだと思います。
いささか乱暴ですが、左翼の人は左脳的といった点はないのでしょうか?だから理論的な被害者には凄く同情しても、現実に目の前にある悲劇に鈍感だったり・・・
「僕は八ロ路軍の少年兵だった」という体験談には、八路軍の兵士はとてもいい人ばかりだったが、こと資本家側の人間の処刑となるとまるで人が変った。その資本家側といわれる人には、本当に善良そうな人もいたのに残酷に・・・とかいう表現があったと思いますが、これなんかはどちらかというと洗脳・カルト的です。
 
また、> 第一章 階級社会と国家
  一 階級対立の非和解性の産物としての国家
  二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
  三 被抑圧階級を搾取する道具としての国家
  四 国家の「死滅」と暴力革命

のことですが、どうしても「残酷」という印象が真っ先にきます。「階級対立」にしても、とくに日本などそれ程対立していたでしょうか?先に述べたように支配者階級・資本家側にしても、善良な人はいくらでもいます。西欧でも同様に、本気で慈善活動をした人々もかなりいるはずですが、理論でも現実にもすべて一律に酷く弾圧されたじゃあないか?無理やりに「憎しみへと」残酷へと煽っているところも大いにあるんじゃあないか?
 特に資本主義国家を壊滅(上の表現ではありませんが)などは、現実的に戦争による壊滅であり、国同士消耗戦を戦わせることであり、・・・端的に、「人質をとった相手をその人質モロともに殺戮すること」であり、その国家的規模のものではありませんか?却って規模が大きいから、また、戦争という名に隠れてその残酷さの本質が誤魔化されているに過ぎないのでは?
 そして勿論かれらは、そういった戦争を逆宣伝するわけです。
(勿論ナチスは非難されて当然ですが)

このような残酷な面はマルクスには無かったかというと、本質は同じではないでしょうか?いや、むしろ元凶になっているんじゃあないかと・・・ちょっと調べて、思っています。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/04 20:32

連投で失礼します。
「左翼は正義感のつよい『ばか』」というエントリーに
> でもって、「平等」を声高に叫ぶ連中は、けっこう高学歴で、けっこう裕福なんですね。
> つまり「恵まれた世界」に住んでいて一般ピープルを見下しているのです。だから高慢な人間が多い。

裕福でなくても、例えば信仰者とか霊を信じる人とかを頭からバカにし見下す人は多いんじゃあないでしょうか?

宗教は高慢を非常に戒めますが、「宗教は人間が作った」だけの理解では、その戒め自体もバカにされます。が、それは戒めというよりももっと本質的なもののはずです。
 
問題は、左翼の何かといえば「前衛」というところにあるかと。一般に新しいものでないと認めない傾向が非常に強い。
「哲学は科学に止揚された」とかと平然と言ってのけるのも傲慢の最たるものではないですかね。
 ソクラテスはソフィストを批判し、「人は自然について宇宙について知識を得、それで宇宙を知ったつもりになる、しかし、人間についてはあまり知らない。人間を知ることこそ宇宙を知ることに繋がる」というようなことを、確か言ったと思うのだが、
そして、「無知の地」を説いた。高慢を戒め謙虚さを説いた。

その批判された部分が、今の「社会科学」に対してもあてはまるのではなかろうか? 一般の人、あるいは昔の人よりも、自らの方が優れている(なぜなら、一杯知識があるから!)と軽薄に思い込み、「無知の地」の叡智を振り返ってみることすらしないのではなかろうか?過去の叡智も・・・すべて「卒業した」ものとして、自らの歴史認識の根本も振り却ってみることもせず、反論するものを、古い・幼稚だ・右翼だ・軍国主義だと決め付けるのではなかろうか?

マルクスは偉大な哲学者とされているようだが、
共産主義者の哲学は、少なくとも人間哲学については、むしろ「過去築き上げてきた人類の叡智」から、ひたすら目を逸らそうとしている感じにしか見えない。
    そう、「残酷」の源泉がここにもある!と。

投稿: 朝日ウォッチャー | 2009/01/04 21:14

すみません。
60年代後半の学生運動について、板さまに取材のお願いをしたく連絡しました。ご返事をいただけると幸いです。よろしくお願いします。

投稿: 小林哲夫 | 2010/11/01 23:28

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