怨讐 1.陥穽 (1)
1.陥穽 (1)
そのマンションは三階建で閑静な住宅街にあった。辺りは既に夜の静寂に支配されていた。時折、人や車が行き交うだけで、表通りの喧騒とは無縁だった。街路灯の薄明かりの中に家並みがぼんやりと浮かんで見えた。
白壁の洒落た造りのマンションだった。どの部屋も、雨戸の上の欄窓から燈火がこぼれている。二〇五号室だけが暗闇だった。
街路灯の下を女が歩いていた。女のマンションは、最寄り駅から五分ほどのところにある。女は滅入っていた。マンションが近づくにつれて足取りが重くなった。
色の白い整った顔立ちの女だった。グレーのタートルのセーターに光沢のあるライトブラウンのパンツを穿いている。薄手のセーターとタイトなパンツからは、躰のラインがリアルに見て取れた。
ブーツの踵が規則的な音を刻んでいる。が、音の間隔は段々と長くなり、やがて小さくなった。
女の顔が蒼白く見えるのは、街路灯のせいばかりではない。女は男の影に怯えていた。男は夜になるとやって来る。獣を思わせる眼で見据えられると、躰が竦み息が詰まりそうになる。震えが躰の芯から湧いてくる。
時計を見た。針は午後九時半を差していた。女は、つい先程まで最寄り駅を出たところにある喫茶店で時間を潰していた。午後九時を過ぎれば、男の行為は法律で禁止されているはずだった。会社の近くで立ち読みした本にそう書いてあった。
―どうしてこんなことになったのかしら― 女は自分自身が情けなくなった。悪夢の始まりは、郵便受けに投げ込まれていた「無担保・保証人不要・即決融資OK」というチラシだった。チラシには貸金業登録番号もきちんと書かれていた。
後悔しているうちにマンションの前に着いた。
周囲を見廻して人影がないのを確認すると、オートロックの鍵穴にキーを差し込んだ。
―よかった。本に書いてあったことは本当だったのね― 女は安堵の胸をなでおろした。が、それは束の間だった。郵便受けに封書が入っていた。あの男からの督促状だった。
つづく
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コメント
何が始まったのだろう あまり好きなジャンルではないけど、とりあえず続きを期待
投稿: ころ | 2010/03/14 07:26
こちらのblogを私のblogのぐるっぽというサークル?で紹介させて頂きたいのです。何とぞお願いいたします。
投稿: 親猫 | 2010/03/14 17:36
陥穽と書いてあったので、偽装建築か何かの記事かと思い読んだのですが、小説だったのにびっくり!しかもハードボイルドじゃないですか。管理人さんの好きなジャンルだったのですね。男と女、いわれなきバイオレンス。女のこれからに注目です。
投稿: ミスターボールド | 2010/03/14 18:11
親猫 さん
はじめまして。
ご紹介?
そうしていただければ光栄です。
できれば、親猫さんのアドレスも教えてほしかったです。
今後ともよろしく。
投稿: 坂 眞 | 2010/03/14 22:02