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2010/03/19

怨讐 1.陥穽 (5)

怨讐 1.陥穽 (5)

                        *

 田島四郎は、靖国通りを新宿三丁目に向かって歩いていた。冷気が躰に凍みた。大寒はとっくに過ぎたのに、寒さはむしろ厳しさを増していた。
 靖国通りは、押し寄せる波のような人であふれていた。田島は波に逆行していた。人の波は歌舞伎町に向かっている。田島は歌舞伎町の外に向かっていた。
 新宿は東京の吹き溜まりである。その新宿らしさを最も強く感じさせるのが、靖国通りと、その北側に拡がる歌舞伎町という街である。
 この街には雑多な人々が蠢いている。人の数と同じだけの雑多な欲望が渦巻いている。この街では、まともな履歴書がむしろ邪魔になる。人生に落ちこぼれた者にとって、この街ほど過ごしやすいところはない。
「兄ちゃん、気をつけな」
 田島は肩がぶつかった若い男に、振り向きざまに言った。若い男は睨み返してきた。しかし、田島の顔を見ると、沈黙した去っていった。田島の表情には、既に裏社会の翳が滲み出ていた。

 田島は、新宿三丁目にある金瓶梅というソープランドに向かっていた。仕事以外では、たまにしか遊べない高級な店だった。入浴料だけで二万円である。それ以外に、女に三万円を支払わなければならない。
 田島の生業はフーゾクライターである。歌舞伎町を中心に新宿界隈のフーゾク店を取材し、週刊誌や夕刊紙に記事を提供する。それ以外に、アダルトビデオの新作や流出ものの紹介記事も手がけていた。この日は原稿料が懐に入っていた。
 懐が暖かくなると酒とフーゾクで憂さを晴らす、これが田島の定番である。ギャンブルは、唯一の熱くなれる対象だったが、ストレスが増幅されることの方が多かった。その点、フーゾクは、事情に通じているだけにハズレの確率が低かった。
 田島は、もともとは『週刊芸能』という、エロとヤクザがらみの記事を得意とする週刊誌のフーゾク担当だった。ギャンブルにのめり込んで出版社を辞めざる得ない羽目に陥ったが、そのころに培った人脈を活用してメシを食っていた。
 田島は、特定の出版社と契約しているわけではない。いわゆるフリーランサーである。フリーランサーと言えば聴こえはよいが、収入は不安定で、その日暮らしの職業だった。田島の原稿料は一ページ二万円で、これに取材費が加算された。
 金瓶梅に着いた。見た目は高級店にふさわしい豪華な店構えだったが、どことなく安っぽくて淫猥な雰囲気が漂っていた。
「いらっしゃいませ」
 黒服が丁寧に頭を下げた。
「これはこれは、田島さんではありませんか」
 店長が愛想笑いを浮かべながら近づいてきた。下卑た顔付きの男だった。
「今日は取材じゃないのですか?」
「違う。取材でソープに来ても、遊んだ気分になれないんだ」
 店長は取材でないことは端から分かっていた。取材であれば、必ず事前に連絡が入る。店の方も、取材用の女を用意したりして準備をする。
「いい娘は入っていないのか?」
 田島は常套句を口にした。
「最近入った娘で、飛びっきりの上玉がいますよ」
 店長も馴染みの言葉で切り返した。
「いつも同じことを言うな、あんたは。まっ、いいや。とにかく俺は痩せたのは嫌いだからな」
「いえ、もう田島さんの好みにピッタリですよ」
 このやり取りも毎度のことだった。
 店長は、言葉に例えようのない笑みを浮かべた。
 田島は、待合室に案内された。待合室は、平日にしては混み合っていた。大半が中年のサラリーマン風の男たちだった。若い男やチンピラと思しき者もいる。男たちは、けっして眼線を合わせなかった。
 田島は、店長の下卑た顔に浮かんだ愛想笑いを思い浮かべた。田島さんの好みにピッタリですよ―という言葉には、いつも裏切られてきた。しかし、何故か今夜は気持が昂ぶっていた。
 女が姿を現した。女は麗華という名前だった。麗華を見て田島は息を呑んだ。息を呑んだあとで胸が熱くなった。麗華は、田島が若いころに憧れていた女と瓜二つだった。
「いらっしゃいませ」
 麗華の言葉は、丁寧だがおざなりだった。
 田島に、青春と呼べる時代があったのかどうか、本人自身も定かではない。そのころは、とにかく思い出したくない時代であることは間違いない。しかし、その女のことだけは未だに忘れられなかった。
 田島が憧れていた女は、そのころは輝いて見えた。麗華は少しやつれているようだ。自分の意思を殺しているように見えた。麗華は憧れの女によく似ていたが、表情が暗くて沈んでいた。
 個室に入ると、麗華は、腰の辺りまでスリットの入ったチャイナドレスを脱いだ。機械的な動作だった。身に着けているのは、小さな三角形の布切れだけだった。露わになった乳房は、形がよくてボリュームがあった。色が抜けるように白い。
 麗華は、最後の布切れも取った。腰から臀にかけての曲線が豊かで優美である。田島は麗華の裸を眼前にしながら、遠くを見詰めているような眼つきになった。感傷的な気分と卑猥な欲望が交錯して、言いようのない複雑な感情がこみ上げてきた。

つづく

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