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2011/01/18

歴史の学び方

歴史を学ぶということは、今の自分を知る作業であると私は思う。
学ぶ過程で、
そんなことがあったのか、と驚くことがある。
ふーん、そうだったのか、と納得することがある。
そして、えっ、そういうことをやっていたのか、と過去の隠された事実に気が重くなることもある。

大人になって知った事実のうち、ふーん、そうだったのか、と納得した一つが、戦国時代の戦(いくさ)は経済的側面が強かったと言うこと。
武田にしろ上杉にしろ、別に天下を取ろうと思って戦をしていたわけではない。
これはその他の戦国大名も同じ。
彼らの戦の動機は、領民を飢えさせないということだった。

当時、質量ともに急速に発展した経済は、それまでの荘園公領制を崩壊させ、新興の実力者を数多く誕生させた。
これが戦国大名である。
が、この時代は、凶作・水害・疫病などが絶えない時代でもあった。
そこで新興大名たちは、食糧獲得のために隣国へ戦争を仕掛けたのである。

ここで私が驚愕したのは、戦の後の「乱取り」である。
「乱取り」とは、戦に勝利した側による掠奪・強姦・人狩りのことだ。
戦に負けた戦国大名の領地では、食糧は根こそぎ強奪され、武将は皆殺し、身分の高い女性は略奪婚の対象。
そして悲惨だったのは、それ以外の婦女子や農民で、女は強姦された上、性奴隷として、男は捕獲された後、肉体奴隷として人身売買市場で売りさばかれた。

しかも、戦国時代の後期になると、捕獲された性奴隷や肉体奴隷たちは、鉄砲や弾薬と引き換えに南蛮人に引き渡された。
はるか遠い欧州の地で、悲惨な姿をさらす日本人奴隷の姿が、天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の記録に残されている。
さすがに日本人を外国人に奴隷として売ることは豊臣秀吉には耐えがたかったらしく、彼は天下を取るとこれを禁止した。
が、「乱取り」自体は、江戸時代初期(慶長19年~慶長20年)の「大阪の役」まで止むことはなかった。

何百年も前のこととはいえ、この事実を知った時は、さすがに当時の農民たちが哀れに思えたものだ。
「大阪の役」の時、ある町人が「見しかよの物かたり」という記録を残している。

男、女のへだてなく
老ひたるも、みどりごも
目の当たりにて刺し殺し
あるいは親を失ひ子を捕られ
夫婦の中も離ればなれに
なりゆくことの哀れさ
その数を知らず

当時の大阪町人の心の痛み、哀しみがよく解る。
しかし、だ。
勝者による敗者に対する掠奪・強姦・人狩りを酷(むご)いと非難しても仕方がない。
勝者の側にも「乱取り」を行わなければならない必然性があるのだ。

当時の新興大名は基盤が脆弱で、領民を飢えさせれば一揆が起こり、たちまち領主としての地位をなくしてしまう。
秀吉の「刀狩」を見れば分かるが、当時の農民は刀や槍を所有していたから、一揆が起こると平定するのは極めて困難だった。
しかも、世は下克上の時代である。
だから凶作・水害・疫病が起こると、大名は食糧獲得のために隣国へ戦争を仕掛けたのである。

また、当時は完全な兵農分離が行われておらず、兵士の多く(8~9割)は農民だった。
しかも、戦時の食料や武器は農民たちの自己負担になる場合が多かった。
このような条件で農民たちを兵士として戦場に動員するには、彼らに対するそれなりの見返りが必要だった。
その見返りが「乱取り」だったのである。
農民(雑兵)たちは食糧を強奪し、女を犯し、戦利品や捕獲した男女を市場で売り飛ばすことができた。

大名は新たな領地を手に入れ、それを家臣に分配することで下克上を抑えることができた。
そして農民たちは、食糧や金品を手に入れることで飢えから逃れることができた。
まさに、戦国の世の戦と「乱取り」は、大名とその領民にとって「背に腹はかえられない」生き残りの手段だったのである。

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以上に書いたことは、20年近く前、伊達政宗について調べていた時に知った。
さすがに、敗れた側の領民が捕縛され、南蛮人に売られていたという事実を知った時はショックだった。
が、当時の時代背景を調べてみると「さもありなん」と思うようになった。
人間としての心をなくしてはいけない、その尊厳を踏みにじってはならない、それは大切なことだ。
が、今の自分を基準にして歴史に憤っても仕方がない、というより、それは滑稽なことだ。
当時は、それが当たり前のことだったのだ。

私は、歴史を学ぶということは、そういうことだと思う。
過去の歴史は、今から考えれば、想像を絶するような酷(むご)い出来事に満ち満ちている。
が、それがその時代の現実だったのだ、そのことを錯覚してはならない。
そう認識しなければ、歴史を見誤ることになる。

典型が“従軍”慰安婦だろう。
当時は、社会全体が今とは比較にならないほど貧しく、農村の娘が売られることなど珍しいことではなかった。
昭和恐慌のころ、山形県のある地方では、9万人の人口があったが、そこで2000人もの娘が女衒に連れられて村々から消えたという。
本土にしてこのような状況だったのである。
さらに貧しい朝鮮半島がどのような状況であったか容易に察しがつく。
もちろん、朝鮮半島も、各所に遊郭があり、多数の女郎(当時の公娼の俗称)がいた。
本土と違い、女郎のほとんどは朝鮮人で、女衒も朝鮮人である。

このような時代に、慰安婦にするために朝鮮人女性を強制連行する必然性があるのか?
否である。
むしろ、朝鮮の貧しい農村では、女郎(慰安婦)になれれば恵まれた方だったのだ。

もちろん、女性を売買することなど許されない。
女性だけではない、子供もそうだ。
が、しかし、現代でも世界の至るところで女性や子供の売買が行われている。
このことに憤るのと、バイアスをかけて歴史を見ることはまったく違う。

歴史を学ぶということは、今の自分を知る作業である。
そのためには「素直な目」が欠かせない。
私はそう思う。

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個人」カテゴリの記事

コメント

現代の尺度で歴史を判断するのは、良くない事だと思います。
今日も勉強させて頂きました。 ありがとうございます。

投稿: サブマリーナ | 2011/01/18 22:43

日本を愛する全ての人が見るべき動画
中国軍に対抗する唯一の方法
http://www.youtube.com/watch?v=RUvEsb3VwpE&nofeather=True
(動画)
詳細は
【荒んでいく世界】他人事でない台湾海域に中国漁船
が侵入~果敢に戦う台湾、一方日本政府は船長不起
訴をカッチとね
http://nippon-end.jugem.jp/?eid=1225
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/01/18 23:24

 戦に負けると奴隷として南蛮人に売り渡されていたのですか。それは知りませんでした。高校生の頃、恐慌で娘を泣く泣く手放したと言う話を聞いて、貧しさは悪だと思うようになりました。豊かになればそんな理不尽なことはなくなると思っていました。しかし、豊かになってみれば、自ら進んでお金のために体を売る女性が後を絶ちません。違った意味で娘の親は泣いています。皮肉ですよね。歴史は教訓としてみるようにしていますが、人間の心理まで学ばないと本当の教訓は得られないのかも知れません。

投稿: コギト | 2011/01/19 01:35

時代環境ですね。
現代の人の感覚では想像も出来ない事が歴史には有る。小さな事ですが、都市に住んでいた私が疎開で田舎暮らし、ガスもない、水道もない、自分で水を汲み浄化して飲む、風呂に満たす、はだしで通学をする、都会の子には想像できない事が20世紀の65年前でも有ったのです。

田舎で爆撃を食らい、都会に帰る(変な話しです)学校に行くのに靴を履く、足が暑くて困ったものです。都会で一年もすれば裸足で走ると親指の皮を傷める。
65年前の現実を今の人に話しても判らない「ヘー」で終わってしまうのです。

慰安婦も当時を知る人には「常識」遊郭が有り、戦中の上得意が朝鮮人徴用者です。日本人は徴兵で子供か老人ばかりですから、当然そうなる。之は同級生に遊郭の経営者の息子がいましたから、面白おかしく朝鮮人との交流を話して居ましたから事実です。

いつの時代にも綺麗ごとだけでははありませんが、近代化以降は、武士のモラル・人間のとしてのモラルが形は違うでしょうが形成されつつ有ったのを、明治が体系化し戦前まで人間として、男として、女としての区別が有りました。戦後崩れ、現状はこのモラルも崩壊し、その中でうごめいている。

小沢氏は好きな政治家でも有りませんから、どうでもよいと思いますが、民主党にすれば「再興」の同士、政権奪取の、大きな力に違いありません。小沢氏の責任で大人の対応させるのが「道義」それを党が、支持率の為だけに「追放」や「議員辞職」まで口にする現民主党執行部、人間としての義理を欠くのでは、嘆かわしい事です。之も歴史。

投稿: 猪 | 2011/01/19 11:03

《厚顔、無責任コンビ》ーーー「朝日新聞をみんなで叩き潰す掲示板」
平成14年10月6日

和田俊が死にましたか。 今年の春友人が、「正月カンボジアに行った時,女性のガイドが 「私の両親は学校の先生でしたので、ポルポトに殺されました」と語った、と言っていたことを思い出しました。

世界史上でも稀な、酷い大虐殺者ポルポトをヨイショしたような人間が,その後も順調に社内出世コースを歩いたようですが,私は彼がポルポトを褒め称えたことについて,その後何らかの釈明や,自己の言論の責任について,語ったというのを寡聞にして知りません。(どなたか知っておられるて゜しょうか)
稲垣武氏がいっているように、「あそこは内部同志の顔色,評価しか考えない組織」なので、外からの正当な批判に対しては、「右翼の嫌がらせ」で
頬かむりしてしまったのでしょうか。

今年初め、ほぼ同じ年齢の元論説委員の北畠清泰も死にました。
二人とも大学教授でしたが、「朝日新聞論説委員」という肩書きで、こんなのを迎える大学が
あると思うと嫌になります。

今,北畠が,平成四年一月二十三日の夕刊コラム
「窓・論説委員室から」 「従軍慰安婦」の見出しのもとに書いた文を読むと,本当に酷い代物だ、とあらためて痛感します。
ご承知のように、吉田清治の本をもとに述べたものです。

「吉田清治さんは昭和十七年,朝鮮人を徴発するために設けられた「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になった。以後三年間,強制連行した朝鮮人の数は男女六千人にのぼるという。−−−吉田さんと部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五十人、あるいは百人の警官と一緒になって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。一つの村から三人、十人と連行して警察の留置場に入れておき、予定の百人、二百人になれば下関に運ぶ。

女性達は陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線に送られていった。−−−国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年、二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時に戦場に放置した。−−−」 この後吉田清治を腹のすわった人と褒め称える文が続きます。

当時朝鮮は日本であり、昔、白人が南米やアフリカでなら、このようなことをやったかも知れませんが、日本が日本国内でこんなことをやるわけがありません。またやる必要も全く無い、社会の状態でした。

私が北畠に対して、どうしてもわからなかったことは、戦後に生まれて育ち、飢餓と貧困の時代の日本を殆ど知らず、戦前は全くの暗黒時代であり、全国民で構成された日本軍も、悪魔のような軍隊、と徹底した左翼教育により洗脳された人間が、異常な考え方をするのならまだしも、どのような家庭環境で育ち、教育を受けたか知りませんが、年齢からいって、昭和二十年代には中学生、高校生になていた人間なら、あの時代の貧しかった日本の社会、ひどい就職難、職業として認められていた、娼家、娼婦の存在、その時代の世相、戦前戦後を現実に生きていた日本人(どの時代にもいる、ひどい人間もいる反面)=貧しくとも今よりはモラルの観念のしっかりした、大勢の大人が生きていた時代を、多少なりとも経験した人間が、裏も取らず、検証しようともせず、あのようなとんでもない、イカサマ本と、その著者に対して、何の疑いも差し挟まず、持ち上げるということでした。

このことは私の理解に苦しむところでしたが、先日、ふと発想を変えてみて、「北畠は吉田清治と同類、同質の人間かもしれない」、と考えるに及んで、やっと納得するようになりました。

参考図書
宮尾登美子   「夜汽車」  「岩伍覚書」  


投稿: 町工場の親方 | 2011/01/19 12:37

歴史認識の話はためになるなぁ〜。国際社会はいろんな発達段階の国々の人が集まるから日本から観たら「戦国時代」感覚の人とか「明治時代」感覚の人もいるはずやねぇ〜。衝突を未然に防ぐんは長い歴史を誇る日本人の高貴な義務やと思うんよ。

投稿: 八神はやて | 2011/01/19 12:49

>捕獲された性奴隷や肉体奴隷たちは、鉄砲や弾薬と引き換えに南蛮人に引き渡された。
はるか遠い欧州の地で、悲惨な姿をさらす日本人奴隷の姿が、天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の記録に残されている。

南蛮人に領地の若い男女を売り飛ばしたというのは、九州のキリシタン大名ではなかったでしょうか?秀吉は九州上陸後キリシタン大名たちが自社を焼き、キリスト教に改宗しない僧侶や神主を殺す光景を見て、ポルトガルとキリスト教宣教師の侵略の野望を見抜いたといいます。後のフェリーペ号遭難事件でスペイン人航海士の証言でそれが立証されます。禁教令の発端はキリシタン大名だったのです。

投稿: トラネコ | 2011/01/19 13:26

いつも勉強になり本当に感謝しています。無知な私で大変恐縮ですが、一つずっと分からないことを質問させてください。この生きるか死ぬかの時代であったにもかかわらず、どうして天皇陛下及び皇室は殺されることがなかったのでしょう。是非ともご教示いただけたら幸甚です。

投稿: なす | 2011/01/19 15:58

歴史はその時代と同じ状況や環境の視点に立って見る。実際にはなかなか難しく、ともすると現在の視点で見てしまいがちですね。
ここ数年色々と近現代史の本を読んでみて実感しています。

投稿: シルバーな親父 | 2011/01/19 16:01

「人体の不思議展」を提訴へ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011914480236-n1.htm
当初は学術的な要素が強かったが、次第に商業性が
強くなり、生命倫理的に非常に問題だ」と指摘している。

【関連情報】
【動画ニュース掲示板】人体展と中国の人体闇市場
(ABCニュース20/20) (Part 1/2)
【動画ニュース掲示板】国籍法で腎臓移植する。
臓器売買が商売繁盛!

国籍法の改悪から臓器移植法改悪で麻薬密売に
替わる臓器密売へ移動する闇資金中国の人体闇市場
を阻止しよう
詳細は
【臓器移植法改正案関係の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj11.cgi
【臓器移植法改正案タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/01/19 16:04

なすさん
はじめまして

>この生きるか死ぬかの時代であったにもかかわらず、どうして天皇陛下及び皇室は殺されることがなかったのでしょう。是非ともご教示いただけたら幸甚です。


天皇が権力であった、つまり政治的実権を有していたのは平安時代後期まで。
鎌倉幕府崩壊後、後醍醐天皇による天皇親政(建武の新政)がありはしましたが、これはほんのわずかな期間。
戦国時代は権力もなく経済的にも窮乏していました。
が、時の有力大名や、その後の織田信長、豊臣秀吉は天皇を、そしてその周辺の公家たちを保護しました。
これは、
①天皇が変わらぬ権威であり続けたこと
②天皇や公家が文化の核であったこと
が大きいと思います。

つまり、成り上がりで無教養の武家が為政者としての威光を得るためには天皇の権威、つまり天皇による承認が必要だったのです。
征夷大将軍や官位は、全て天皇から任命され、与えられるものであり、そういう意味では天皇は実権がなくても君主(権威)であり続けたのです。

豊臣秀吉は、天皇から太政大臣の官位を与えられることで豊臣政権を確立し、徳川家康は征夷大将軍に任命されることで徳川幕府を開くことができました。

譬えは悪いかもしれませんが、権力と権威の関係は、中世ヨーロッパにおける国王とローマ教皇の関係に類似しているような気がします。
もちろん、あくまでも「譬え」ですが。

これが回答になっているかどうか分かりませんが、私が書けるのは以上です。

投稿: 坂 眞 | 2011/01/19 17:12

坂様、大変お忙しい中、お教えいただき誠に有難う御座います。私は、学校の教育で日本人は残虐であったんだと教えられてきた世代の者です。本当に日本人は酷い民族なのかと年を重ねるごとに疑問が大きくなり、インターネットの普及が、私のように疑問に感じている人々に本当の歴史の事実を知らせてくれるようになって、心からよかったと思っている一人です。日本人って本当に素晴しいですね。平安時代以降には既に天皇陛下が権力ではなく権威として日本の人々に確立されていたという、この時代に既に文明文化の発達がここまで進んでいたことに私はただただ驚くと同時に感動します。これからは少しでもこれからの若い日本人のために出来ることをしていきたいと思います。文章が下手ですいません。これからも楽しみに坂様のブログ拝見させていただきます。お体に気をつけて頑張ってください。 なす

投稿: なす | 2011/01/19 22:31

歴史を学ぶことが何故必要なのか、常々考えさせられます。人類、文明・文化が発達をしてきても、何ら歴史に学んではいないのでは、同じ過ちの繰り返しているとしか思えてなりません。特に「権力」に関しては、全く進歩しているとはおもえません。国内、国外のみならず身近なところでも綺麗ごとは言って同じ愚行の繰り返しが行われているとしか思えないことが多々あるように思われます。

投稿: 道産子爺 | 2011/01/22 06:52

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