つれづれなるままの自分史 2
依存症の最近の読者は、新しい方が多いようです。
もちろん、度重なる中断にもかかわらず、ずっと依存症を応援してくれている方たちもいます。
が、コメンターの顔ぶれを見ても新しい方のほうがが多い。
そういう方たちにとって、私がなぜ左翼から今の立場に転換したのかを不思議に思う方もいるでしょう。
今日は、そのあたりについて書いてみたいと思います
私は、かつて「つれづれなるままの自分史」を書きました。
2007年5月19日のことです。
このエントリを再掲してもよいのですが、今は改めて書いてみたい、という気持になっています。
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私の原点は、今でも在日、左翼、被差別部落―だと思っています。
私が生まれ育った田舎は、石炭の積出港で後背地に炭鉱があり、古くからの工業地帯に隣接していました。
しかも、海峡を挟んで朝鮮半島がある。
だから在日朝鮮人がたくさん住んでいました。
小中学生のころは、1学年の5%は在日2世でしたね。
近所にも5軒ほど在日の家があり、当然の事ながら幼なじみもいます。
あまり朝鮮人差別のないところでね。
けっこう子どもたちは仲がよかったです。
都会ではなかったから、戦後の混乱期の朝鮮人による横暴に遭遇しなかったからでしょう。
が、長じて後に知るのですが、大人たちの間には明確な差別意識がありました。
驚いたのは、学校の教師たちにも差別意識を隠さない者がいたということです。
私は、これに激しい怒りを覚えました。
私が左翼になった理由の一つがこれです。
ただ、それよりも、進学校に進んで、受験勉強一本やりの学校教育に対する反発のほうが動機としては大きいと思います。
いい大学に進学していい会社に入る、特別な才能がない限りこれがいちばん幸せなんだよ―
素行不良の私に担任教師は言い放ちました。
そのくせ、自分たちは法に違反したストライキを繰り返している―
この偽善に私は絶望しました。
で、そこから反教師―反学校―反体制と私の意識は変遷していくのです。
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1967年の10.8佐藤訪米阻止闘争で、京大生の山崎博昭さんが死亡しました。
60年安保闘争で東大生の樺美智子さんが死んだことは知っていましたが、それは私にとって歴史にしか過ぎませんでした。
が、山崎さんの死はリアルタイムで、私は大きな衝撃を受けました。
当時、高校1年生だった私は、「どうして学生たちはゲバ棒を振るうんだろう?」「なぜ命を落とすような激しい闘いをするんだろう?」と猛烈に好奇心をかき立てられました。
受験勉強の勝者―京大生―ゲバルト―死、これらが脈絡的につながらず、「なぜ」を
どうしても解明したくなったのです。
そして、めぐり合ったのがレーニンの「国家と革命」です。
第一章 階級社会と国家
一 階級対立の非和解性の産物としての国家
二 武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
三 被抑圧階級を搾取する道具としての国家
四 国家の「死滅」と暴力革命
以上が「国家と革命」の冒頭の項目ですが、これを読んだだけで私は目から鱗が落ちました。
これまで悩んできたことがいっぺんにクリアーになったのです。
今の世は階級社会である―
者は被抑圧階級であり、国家は搾取と抑圧のための道具である―
プロレタリア革命こそが人間解放への道である―
その革命の本質は暴力革命である―
真の自由は共産主義によって実現される―
「これだ、これ!」
もう左翼にならなければ生きている価値がない。
ここから「革命的左翼」としての私の軌跡が始まるのです。
1967年 10.8佐藤訪米阻止闘争 機動隊の阻止線を突破する学生
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中学生のころ、年長の従兄弟から「女工哀史」(細井和喜蔵)を読むように薦められました。
この本を読んだ時はショックでしたね。
そのころから、資本主義に対する懐疑が私の心の中で育まれていくのです。
もちろん当時の時代背景など知るはずもなく、ただただ女工たちが憐れでした。
そして高校に入った私は、「生きる意味」を考えるようになりました。
「何のために生きているのだろう?」と思い悩む日々が続きました。
椎名麟三の本や華厳滝で自殺した藤村操に関する本をむさぼり読んだのもこのころです。
で、思い悩んだ結果、もう受験勉強がバカバカしくなりました。
教師たちがアホらしく見えてきました。
こんな大人になってはいけない、偽善と打算で人生を生きるなんてサイテーだ!
と、私は思うようになったのです。
そのとき、レーニンの「国家と革命」にめぐり合った。
私にとっては必然でしたね、左翼になることが……
私は、学生たちがゲバ棒を振るう理由がよく解りました。
よし!俺もゲバ棒を持とう!新左翼運動に参加しよう!
そう決意した私が知り合ったのが、ブント(共産同)の活動家でした。
1969年、まだ17歳、高3のころです。
そこから1972年5月13日の「神田武装遊撃戦」まで、3年間にわたる私の極左人生が始まったわけです。
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もっとも、私の左翼活動家としての魂は、同年3月に発覚した連合赤軍による山岳ベース事件(集団リンチ殺人)で完全に萎えていました。
駿河台で火焔瓶を投げたのは、ある種のケジメでした。
これで検挙されてオシマイにしよう、そう思って「神田武装遊撃戦」に参加したのです。
が、運良くというか、運悪くというか、この闘争に参加した活動家の半数近くが検挙されたのに、私は生き延びてしまいました。
で、結局、組織を抜けて田舎に帰り、1年に及ぶ「引きこもり生活」が始まるのです。
依存症になったのはこのころですかね、恋人にもふられましたし。
過激派の運動から脱落した私は、自身を総括できないまま1973年に部落解放運動に加わりました。
と言っても、差別糾弾闘争や狭山差別裁判に抗議する集会に参加したわけではありません。
そのころ行われていた識字学級や補充学級の講師になったのです。
当時の被差別部落には文字を読み書きできない大人がたくさんいました。
高校進学率も5割くらい。
一般の高校進学率が9割を超えていた時代にもかかわらずです。
なんと言っても私が驚いたのは、50軒以上ある家庭の中で新聞を購読している家が1軒しかなかったという現実。
そこで私は2年近く、中学生に受験勉強を、大人たちに文字の読み書きを教える活動をしたのです。
で、その2年間で、私はさらに左翼運動に疑問を抱くようになりました。
部落解放同盟(解同)幹部による公私混同と物理的恩恵にこだわる多くの部落大衆の姿を目の当たりにしたからです。
要は、運動の理念なんて関係ない。
より多くのモノとカネが手に入ればよい。
すべてとは言いませんが、それが部落解放運動の否定的側面だったことは間違いありません。
実際は、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」という水平社宣言とは無縁の世界だったのです。
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当時、大学を退学していた私は、もう左翼運動に嫌気して復学を願い出ました、1975年のことです。
同級生のほとんどは既に卒業しており、さびしい学生生活でしたね。
で、結局、7年がかりで大学を卒業しました。
もちろん就職先なんてありません。
まず、大学の就職課(だったと思う?)が斡旋してくれません。
しかも、悪いことにオイルショックの影響がまだ残っていました。
そんな中、まだ公務員の年齢制限には該当しないことが分かりました。
そこで、仕方なく公務員試験を受けて、ある政令指定都市の上級職員になったのです。
が、ここでも労組の活動に励むことになり、5年後に退職する破目に陥りました。
結局、私が左翼から解放されたのは事業を起こして倒産したことによります。
その後の数々の修羅場。
これが私の人間を見る目を変えました。
社会の捉え方を変えました。
人間は理論では説明できない、人間社会は科学では解明できない。
人間の原点は欲望ではないのか?
その欲望と理性との葛藤が「生きる」ということではないのか?
欲望に囚われた人間は人間であることを忘れる。
理性に縛られた人間は人間存在を理解できない。
人間というのは複雑で、奥深くて、きれいなところとドロドロとしたところが併存している。
理屈では割り切れない。
そんな人間が寄り集まって作る社会はもっと複雑だ。
という当たり前のことに気付いた時は、すでに30代も半ばを過ぎていました。
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その後、めぐり合った人たちの好意もあって私は人生を立て直すことができました。
人間、どん底に落ちても一生懸命に頑張るという気持をなくさなければ何とかなるものです。
誠実に生きていれば、よき先輩、よき仲間にめぐり合えます。
義務を果たさず、権利のみを主張する人は救われません。
自らを自覚できず、妬(ねた)みと嫉(そね)みで我が身を焦がす愚かな人は成長しません。
努力するという意思、感謝するという気持、これがなければ人間は進歩できないのです。
努力と感謝、これがあれば、能力のある人が努力して成果を手に入れても妬んだりしない、たとえ敗者になっても弱者に落ちることはない、必ず復活できます。
私はそのことを、どん底の生活の中から学びました。
そして家族を得た私は、その大切さを初めて知りました。
家族が大事と思う気持ちは、社会が大事、国家が大事という気持ちに発展していきます。
私の、そして家族の今の生活は、日本を作ってきた先人たちのおかげである、そう思うようになったのです。
そこにおいては、尊敬する父親の存在も大きく影響していました。
実は、私は左翼だったころと本質は変わっていないと思います。
今でも、強者に弱く弱者に強い人間が大嫌いです。
権力を持った者の理不尽は許せません。
予期せぬ出来事の結果、弱者に甘んじざるをえない状況に陥った人には救いの手を差し伸べるべきだと思いますし、予断と偏見による差別は受け入れられません。
が、被害者を気取って筋の通らない要求をする者、妬みと嫉みから努力し成功した人を攻撃する輩は許すことができません。
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やはり、人間は歴史を学ぶことが大切です。
それもプロパガンダではなく、実証的な、裏付けのしっかりとした歴史です。
そうすれば、中韓の捏造史観に毒されることもありませんし、カルト左翼に罹患することもありません。
逆に言えば、日本の歴史はすべて素晴らしかった、というカルト右翼の無謬史観に洗脳されることもありません。
私は、歴史を学び直したことで、日本と日本人に誇りを持つようになれました。
明治維新とその後、短期間で欧米列強に伍するまでになったのは、まさに“奇跡”でしょう。
ヘタをすれば列強の植民地になってもおかしくなかった。
それだけ先人たちは賢明で偉大だったということです。
戦後の高度成長も、よく“奇跡”と欧米から言われますが、明治の“奇跡”がなければ戦後もありえませんでした。
真の歴史を学んだ結果、今の私は「より日本人らしい日本人」になれました。
「日の丸」が掲揚されれば心が高揚するし、「君が代」が流れれば厳かな気持になれます。
日本人であることに誇りを感じ、こんなに安全で平和で豊かな国の礎を築いてくれた先人たちに感謝したい気持でいっぱいです。
価値観は時代とともに変わっていくものですが、(象徴)天皇だけは未来永劫にわたって変わることはないと確信しています。
それは日本と日本人の歴史であり文化であるからです。
日本人は永遠に天皇のもとにある、私は日本がある限りそう思います。
いつまでも謙虚な日本人でありたい
そして、権利と義務は表裏であることを、いま一度確認したい
と、心の底から思うこのごろです。
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コメント
東本願寺が日本人の戦没者慰霊祭に、朝鮮人の反日教授に講演させて、
戦争批判させました。
http://www.higashihonganji.or.jp/info/photo/detail.php?id=169
抗議の有志を募っています。メアドだけでこちらから
意見が出せます。
投稿: | 2011/04/20 12:58
毎日お疲れ様です。
読んでいて非常に感動しました。
投稿: 広島市民 | 2011/04/20 13:30
日・韓図書協定(177国会条5)の成立に反対しよう
本日衆議院外務委員会に日・韓図書協定(177国会条5)が提出されました。
開会日 : 2011年4月20日 (水)
会議名 : 外務委員会
収録時間 : 3時間 20分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=40919&media_type=wb
この協定は日韓併合が無効である事を国会で承認させよ
うとするものであり、その手段として「朝鮮王朝儀軌」など
の図書を韓国へ引き渡す日韓図書協定を承認させようと
したものです。
日本国を侮辱して御皇室を犯罪者に仕立て上げて日本国
に謝罪と賠償をさせる企みである。 このように売国政党
民主党の騙しの手口は正に朝鮮人の特質そのものである
騙される方が悪いと言う理屈である。
衆議院に於いてこの協定を批准しない様に要請書を送り
ましょう。
日・韓図書協定(177国会条5)の詳細はこちらをご覧下さ
い。
図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定
の締結について承認を求めるの件
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DAB332.htm
【朝鮮儀軌引き渡し国会承認】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/cscsgk.cgi
【国政に対する要請書】
http://www.aixin.jp/ysk.cgi
反日売国民主党韓政権が大震災の混乱に乗じて次々
と売国法案を提出しています。
統一地方選挙後半も疎かに出来ませんが、この国日本を
守る為にも、今国会の動向を確りと監視して行きましょう。
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
投稿: 愛信 | 2011/04/20 13:45
いつも拝見させて頂いております。
依存症さんの自分史、よく分かりました。
強い情熱と正義感が感じられます。私もそう思うのですが、それらは右も左も関係ないと思います(観念的でイデオロギーを振りまわすだけの輩は左に多いような気がしますが)。
自分の若い頃も似たり寄ったりで反体制的な感情が渦巻いていました。時代も違うし環境も違ったので過激な運動へとは至らなかったのですが。勤め出して結婚して子供が出来ると生活に追われ、それどころではなくなり、気がついてみると社会の成り立ちの善の面が見えてきて、日本と日本人、歴史、文化、社会の良さをしみじみと感じられるようになる。嘘で固められた近代史を教わったはずなのに。
「若い時に左翼にかぶれないヤツは情熱が足りない。
いい大人になって左翼にかぶれてるヤツは知恵が足りない。」でしたっけ?チャーチルの言葉。
まさにそのとおりだと思います。
かしこ
投稿: | 2011/04/20 15:50
これだけのことを冷静に書かれていることに敬服します。内容について、私ごときが軽々に申しあげることはできません。
ただ、これからも文の力に期待するものです。
それにしても、内容も読まずにコピペを繰り返すのは閉口します。
記事を書かれた方への敬意がないようで残念です。
投稿: Ethos | 2011/04/20 16:02
RE:本日衆議院外務委員会に日・韓図書協定(177国会条5)が提出されました。
小平忠正(外務委員長) 9時 00分 01分
ttp://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40919&media_type=wb&lang=j&spkid=20718&time=00:07:01.9
松本剛明(外務大臣) 12時 16分 01分
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40919&media_type=wb&lang=j&spkid=20912&time=03:22:55.5
投稿: | 2011/04/20 16:03
いずれにしても、堂々と語れる自分史があるのはうらやましいですよ。
「天皇」と言う呼称は天皇制反対派のそれです。
敬意をこめて陛下をつけるようにしてはいかがでしょう。
投稿: mame | 2011/04/20 16:10
今日は。
>人間、どん底に落ちても一生懸命に頑張るという気持をなくさなければ何とかなるものです。
誠実に生きていれば、よき先輩、よき仲間にめぐり合えます。
義務を果たさず、権利のみを主張する人は救われません。
同じ経験があるのでよくわかります。
坂さん、いつもありがとうございます。
投稿: けん | 2011/04/20 16:50
こんにちは。いつも楽しく勉強させていただいてます。
いつまでも謙虚な日本人でありたい。
この一文に非常に感動いたしました。ありがとうございます。
投稿: スリムハーポ | 2011/04/20 18:26
かの赤尾敏も共産党に入党してから、愛国になったとか、ナベ常も共産党入党後、資本主義に転向とか、うちの両親は転向しませんでしたが(笑い)。そこかわりとでも言うのでしょうが、小生はバリバリの右翼、否 愛国主義者になりました。
子供、孫のためにも(残念ながら、子孫はそれを判ってない様子が歯がゆいです)余生を日本のために生きていきたい!!
投稿: 東京在住 | 2011/04/20 18:30
はじめまして。いつも拝読し、勉強させていただいております。
日本が大好きになった原点が、ご家族を大事に思う気持ちからだった件は、とても共感できます。私には家族はいませんが、私にとってのそれは地元のJリーグチームを応援するサポーター仲間です。スタジアムで出会った仲間達をかけがえのない人達と思い始めたら、出会わせてくれたチームや生まれ育った地元の街への感謝、そして祖国日本への感謝につながりました。まだまだ足りない私ですが、日本を護るべく、できることから行動をして行きます。
今後ともお元気で、更新をお続けください。
投稿: ham | 2011/04/20 18:46
坂さまのブログは数年にわたって拝見させていただいております。私的には今回のエントリは上位に値する内容だと思います。私は現在50ですが、子供時代は毎週『皇室アルバム』を視聴しておりました。その甲斐あってか自分は日本人として「守らなきゃならないものは何なのか?」を本能的に感じていました。子供ながらに(笑)
今後も無理なさらずにマイペースで語ってください。エントリを楽しみにしております。
投稿: かかし | 2011/04/20 19:38
自分も同感です。いわれのない差別をするのは嫌いです。外国人であろうが、部落民といわれる人だろうが。自分は北東北の住民で部落差別というのがないので分かりません。田舎者なので、都会の人には馬鹿にされる立場かもしれませんが。
弱者保護、差別撤廃に関しては左翼運動が昔はある程度効果を発揮してきたのは認めます。しかし現在の弱者保護とか差別撤廃運動というのは、普通の人を逆に足を引っ張って、弱者にしてしまうような行き過ぎの面があるので賛同出来ない部分がかなりあります。
運動家は弱者を見つけて助けてあげてるような気分になって自己満足しているのでしょうが、普通の人々の犠牲の上に成り立っているのが度々、見られます。
困っている人がいれば、他人に何かをしろというのではなく、自分の出来る範囲で手助けするのが、ホントの弱者保護だと思うのですが。
坂さんも、いろいろと妨害があると思いますが、健康に気をつけて、正論を発していって下さい。
投稿: | 2011/04/20 20:22
私はブログ主様のような「優等生」には、なれない。なれたら幸福になるだろう。
天皇という呼称及び、天皇制という呼称。
陛下を付けろ!不敬者とか、天皇制は左翼(反天皇)用語だから、という人もいるが、
私は、公の場でなければ、天皇で不敬にならないし、
天皇制はコミンテルンテーゼから来ていようが、今はそう意識してして使っている人などいないから、全く問題
ないと思う。
寧ろ、「皇室典範」を改正して、旧宮家を復活させるべきだと思いますね。
天皇家は日本の伝統を保守するのが「保守」というなら
女系天皇は認めてはいけない。そうしないために「皇室
典範」を改正する必要がある。
私は、建前上「天皇は万世一系だ」と保守の人と話をする時は、発言していますが、内心は「継体天皇で断絶しており、それ以前は不明」と思っています。今後とも
歴史学的には、その時代は(も)仮説に終わり「事実そのもの」は不明でしょう。
私は、継体天皇の事例を「逆手」にとって、「皇室典範」を改正すべしと思いますね。
投稿: 三毛猫 | 2011/04/20 20:28
坂さま。小生3度目のロンドン勤務になってしまいました。
で、いまロンドンからです。この年になってもうないと思っていた海外勤務。日本が一番なんですが、なんとも皮肉です。
海外からでも熱心に支持させていただきます。
投稿: 転びバテレン | 2011/04/20 21:01
ときどき拝読させていただいてます。感動しました。私も山あり谷あり(谷あり谷あり?)の人生ですが、いつか今回の依存症さんのように冷静に淡々と振り返れる日がくればいいなと思いました。
投稿: 江戸の黒猫 | 2011/04/20 23:08
貴重な自分史を掲載してくださりありがとうございます。自分は40過ぎですが、ブログ主様と同世代であれば間違いなく左翼になっていたと思いました。
自分の場合は、司馬遼太郎氏「竜馬がゆく」「坂の上の雲」。内村鑑三氏「後世への最大遺物」。渡部昇一氏「知的生活の方法」に感銘を受けていたので、マルクス、レーニンには違和感がありました。
多感な青年期の頃に影響を受けた書物とその時代の空気によって人生が大きく左右するのだと改めて思いました。
投稿: コギト | 2011/04/21 00:47
管理人様
ノムヒョン大統領の第2弾として、管さんと鳩山さん編もそろそろいかがでしょうか。
投稿: | 2011/04/21 01:13
御苦労さまです。自分を振り返るのは辛いことです。特にこんな風にオープンにされるのは…。お体を大切にしてください。
>カルト右翼の無謬史観に洗脳されることもありません。
このご意見に異論は全くありませんが、私は今は口にはしません。右派は風前の灯火です。
良いシナ人や朝鮮人なら何人までいいのか、1億人でもいいのか?という排外主義の人の主張は御尤もであり、日本は日本人のものです。祖国が嫌で逃げてきたのなら日本に感謝し大人しくしていてほしいです。朝鮮人は裏切るということを絶対忘れてはいけません。
また日本は真の独立を目指すべきと思います。
投稿: t | 2011/04/21 01:40
韓国内の日本由来貴重「放置」、日韓図書協定 自民党反発
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110420/plc11042010060010-n2.htm
【関連情報】
この協定を要求している韓国側の認識は次の通り
【「略奪図書の引き渡しは日本が誤ちを認めるという意味」】
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=134715&servcode=A00166
- 参 - 外交防衛委員会 - 13号 平成19年05月24日
【返還の必要がない理由】
http://www.aixin.jp/axbbs/image/csoc.gif
【朝鮮儀軌引き渡し国会承認】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/cscsgk.cgi
この協定の正体は反日売国韓政権が100年前の日韓併
合に言いがかりを付けて、日本に謝罪させて韓国へ賠償
金を渡す事が目的である。
同時に御皇室の権威を貶める為に宮内庁に保管されてい
る朝鮮関連図書類を盗品とて返却させる事を企んだ協定
であるので、日本国民の総力を挙げてこの協定を拒否す
るべきである。今日経済が破綻している韓国に3月に30
兆円のスワップ資金を繰り延べを行い、その上にこの協定
で架空賠償金を支払う事を目的とした日本国民に対する
詐欺行為である。
詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
投稿: 愛信 | 2011/04/21 02:24
坂様
毎日と言っていい位に、拝読させて頂いております。
「つれづれなるままの自分史2」を拝読しました。坂様の「心」は一貫して変わってはおりませんね。
坂様を育まれたご両親に敬意を表します。
これからも、いろいろご教示下さい。
投稿: 道産子爺 | 2011/04/21 06:24
拉致被害者を取り戻す運動に協力していました。その時それに参加してくる人達と話をしたことがあります。ほぼ全員坂さん的な人でした。日本人にはそういう人が多いのではないでしょうか。(運動をやるやらないは別として。)
私は言われ無き差別をする人も、弱い人に横柄な態度をとる人も許せます。しかし左翼は許せません。信長がやった様に全員殺してもかまわないと思います。なぜなら彼等はスターリンの手下になって、日本を滅ぼそうといろいろやっている奴等だからです。
でも日本人って異常にサヨクが多いですよね。潔癖症なのかな?
ch桜の前田というキャスターなんて、原発事故が起きたら全く左翼と同じ理由を言って、反対を言い出した。河野太郎もそう。
もう少し論理的に考えよーよ。
投稿: 八目山人 | 2011/04/21 06:36
菅マヌケ震災でも中国優遇…支援の裏で“スパイ”活動も
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110419/plt1104191149000-n1.htm
韓内閣政府関係者のあからさまな反日売国行動を反日
売国テレビ局・マスコミが日本国民に隠蔽して報道しな
い、その事を1億2000万の人々に伝えよう。
【愛信情報市場逆アクセス・ランキング】
http://aixin.jp/garnk.cgi
【前航空幕僚長の国防問題】
投稿: 愛信 | 2011/04/21 10:28
本日の坂様の文章を拝見し、感銘を受けました。私は、「変脳した、道徳の軸の無い左翼」、を変えることは不可能ではないか、と考えている人間ですので、このような例外もありうるのか、の思いです。
八目山人様
>拉致被害者を取り戻す運動に協力していました。その時それに参加してくる人達と話をしたことがあります。ほぼ全員坂さん的な人でした。日本人にはそういう人が多いのではないでしょうか。(運動をやるやらないは別として。)
横田早紀江さんが語ってくれた言葉。
平成十五年、七月二十二日夜 アルカディア市谷において、西村真悟代議士の著書 「闘いはまだ続いている」 の出版記念会が行われました。当日パーテイ開始の時、すぐ近くに西岡力教授が立っておられましたので、二ヵ月半前の五月八日、五千人の収容能力の会場に二万人が集まった、東京国際フォーラムにおける、国民集会の意義につき西岡教授と話し合いたいと考え、それに関して話しました。そこへ中川昭一代議士が来られ、西岡教授と親しそうに話を始められましたので、その場を離れ移動したところ、当日来られていた、横田早紀江さんが壁際に立っておられました。横田早紀江さんとも五月八日の大集会について話をし、五月八日に私は入場できなかったこと、それでも非常に嬉しかったこと等を話しました。横田早紀江さんとの会話の中で、横田さんが私に話して下さった、次の言葉は私には終世忘れられぬものでした。
「娘の救出運動をしてきて、日本国民は本当に良い人たちだ、ということを、この年になって知ることが出来たのは幸せでした。」
平成18年(だったと思います)、6月26日の日曜日の午後から、議員会館の横の座り込みに参加しました。日差しは強く、塀側の日陰は、布地の簡易椅子に腰掛けた人で既に一杯でしたので、反対側の道路側に持参の新聞紙を敷き座り込みました。
向い側に座った人たちの、救う会・福岡、救う会・宮城、救う会・鳥取、救う会滋賀・等、のゼッケンを見ていたら涙が出てきました。
座り込みに参加された人たちは老若男女多彩でした。私の前の椅子にチャンネル桜TVの水島社長が座っておられ、チャンネル桜のスタッフにいろいろと指示を与えておられました。チャンネル桜様からは差し入れの、蜜柑の棒アイスを頂きました。暑さの最中、本当に美味しくいただきました。厳しい財政事情にもかかわらず、チャンネル桜様にはいろいろとご配慮いただき。頭の下がる思いです。
私の斜め前の椅子に、三十台後半程の男性が二人のお子さんを連れて参加されていました。小学校3,4年生位のお嬢さんはおとなしく座っていましたが、4,5歳位の男の子は、お父さんの膝の上でかなりの時間ぐっすりと眠っていました。少し離れたところには松葉杖を持った方が座っていました。参加者は700名ということでした。
青木直人・著、---「拉致処分」、ビジネス社、・・・あとがきより。
いまや政府は頼むに足らず、溶解する日本の正義の国家意志と誇りを、ぎりぎりのところで支えているのは、この瞬間も街頭に立ち、声を嗄らしながら、家族を帰せ、同胞を帰せ、と訴え続けている、家族会や全国の救援関係者だけなのである。
投稿: 町工場の親方 | 2011/04/21 11:45
同じ年代ですね。拝読をしながら、当時を思い起こしました。
投稿: bingo | 2011/04/21 13:12
自国の文化に愛情と敬意があるのなら、
日本文明の体現者であるお方に「陛下」という
尊称を付けるのはごく自然のことです。
個人がどのようにとらえようが、それは勝手でしょうが、ただ「天皇」と表記する者からは
愛情と敬意は感じられません。
不敬とか下卑た話ではなく、もっと根本的な姿勢の問題です。
天皇陛下は人間ですが、一般的な人間ではないのです。
戸籍も私有財産もなければ、裁判も起こせない。
日本人であればわが国の象徴であり、
日本文明を背負っている方々を
一瞬でもないがしろにしてはならないのではないでしょうか。
投稿: | 2011/04/26 23:44
少々誤解があるようなので書いておきます。
「天皇」と「天皇陛下」は違います。
混同されている方が若干名いるようですが、再認識していただきたい。
「天皇」というのは、統治機構における地位を指すのであり、現憲法下では、日本国と日本国民統合の「象徴」と位置づけられています。
「天皇陛下」というのは、実存する具体的な存在を指すのであり、今の時代は今上天皇陛下のことです。
現憲法は、
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
となっており、
帝国憲法は、
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
となっています。
つまり戦前も戦後も、その地位を指す時は「天皇」です。
したがって、その地位を表すときに「天皇」と呼ぶのは正しい表現なのです。
投稿: 坂 眞 | 2011/04/27 10:20
私はまだ26歳の若造ではありますが、
一言だけ言いたい。
有難う御座いました。 疑問が解けた気がします。
投稿: 通りすがり | 2011/06/20 21:51
はじめまして!
たまたま拝見しまして、感動しました。
今の不安な日本の現状の中、ほっとした思いがいたしました。
最近なんでも国から補償してもらおうとする人たちが
多く、また 政治家も人気ばかりを気にしているようで
日本のこれからが心配です。
投稿: nobotan | 2011/06/25 21:28
当時の反体制に燃えたサヨク達が実効支配できる立場になり、倒す側から倒される側になりましたね。
立場が逆転した途端の転向は、正直感心できません。
最前線で果てると決めた以上は、成田空港を始めとした闘争の最前線に身を置き、国家権力と闘い、戦死すべきだったのではないのですか?
投稿: | 2011/11/02 21:09
大変感動しました。
また、自分のことのように嬉しく思いました。
私は52年生まれです。左翼活動はしませんでしたが、何故か日本を否定的に捉えていました。
今は、違います。
変わっていく過程に共感しました。
権利と義務、感謝と謙虚さ・・同感です。
ありがとうございました。
投稿: 阿蘇市民 | 2012/01/25 21:18