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2011/05/17

学生運動を小説で語る、と…

もう昨日は疲れました。
ちょっと体調が戻ると、いきなり負荷のかかる仕事を与えられます。
これが中小企業の悲哀ですかね。
が、私は負けませんよ!
今の会社で70歳になるまで働こうと思っています。
ただ、体調がイマイチで、これだけが不安ですけどね。

昨日は疲れて、エントリをアップできませんでしたが、今日は昔に書いた小説の一節を紹介します。
事実が70%、で、あとの30%はフィクションです。
以下を読んで、多少なりとも当時を理解いただければ幸いです。

Senki                  この中に私は間違いなくいました。

------------------------------------------------------------------

 集会場は、色とりどりのヘルメットで埋め尽くされていた。田島は百花繚乱という言葉を思い出した。
 男が、正面に据えられた演台の上でマイクを握り締め、大声で何かを訴えている。ラウドスピーカーによって増幅された男の声は、がなり立てているようで何を言っているのか田島にはよく分からなかった。
 それでも田島の心は高揚していた。高校生のころ、安田講堂攻防戦のテレビ中継に釘付けになった田島は、大学に入ってヘルメットをかぶるのが憧れだった。
 入学して間もない四月の中旬だった。後楽園の近くにある礫川公園で行われた集会は、右翼に襲撃された活動家の死に抗議するためのものだった。田島は左門と一緒に隊列の後ろの方に腰を下ろしていた。
 参加者は二千人程度で、田島は眼を輝かせていたが、左門には集会が何となく盛り上がりに欠けているように思えた。前年の、度重なる激しい暴力的闘争で大量の検挙者を出していたことが明らかに影響していた。
 左門と田島は同じ年に大学に入学した。左門は、高校生のころから既に特定の党派《セクト》に所属していた。田島は、集会もヘルメットも初めての経験だった。田島はヘルメットの色で党派《セクト》が違うことがよく解っておらず、各党派が互いに敵対関係にあることも知らなかった。
 隣の隊列にいた男が田島に話しかけた。明らかに議論をしかけようとしている。田島は素直に応えようとしていた。
「よせ!」
 左門は田島の腕を引っ張ると、
「おまえら東大で何やったんだよ!」
 と、罵声に近い声を相手に浴びせた。
「相手にするな!こいつらはハイエナだ」
 そう田島に言うと、左門は違う色のヘルメットをかぶった活動家の胸を小突《こづ》いた。長い髪に眼鏡をかけた相手は左門の迫力に押され、黙ったまま引き下がった。
 田島はこのとき、ヘルメットの色によって学生たちが異なる組織に属していることを初めて知った。同時に、左門が同じ新入生とはとても思えなかった。それ以来、田島は左門に畏敬の念を抱くようになった。

 左門と田島の出会いは偶然だった。上京したあと、時間を持て余した田島は、入学式の前に大学のキャンパスを訪れ、そこでアジびらを配っている左門と出合ったのだった。
 性格は正反対だったが、とにかく馬が合った。まるでメダルの裏表のようだった。一緒に生ぬるいウィスキーを飲み、徹夜で議論を交わしたこともある。話題は、政治、哲学から芸術、女に至るまで尽きることがなかった。
 二人とも音楽が好きだった。田島はボブ・ディランの話になると夢中になって喋り続けた。ディランのシャイで繊細なところに惹《ひ》かれるのだ、と言った。左門はローリング・ストーンズのワイルドで猥褻《わいせつ》なところが好きだった。興が乗ると、ペイント・イット・ブラックをミック・ジャガーの振りをつけて歌った。
 左門には恋人がいた。香坂眞知子という、その昔、関西にある歌劇団にいた女優に似た美しい娘だった。同じ高校の同級生で、高校生のころから恋仲だった。田島は羨《うらや》ましそうだった。左門の部屋で眞知子が料理を作り、三人で食事を共にしたことが何度もあった。
「『ペイント・イット・ブラック』を歌ってくれよ」
 酒が入ったときの田島の決まり文句だった。
「かんべんしてよ。それよりディランの『風に吹かれて』を聴きたいな」
 左門は、眞知子の前では、けっしてペイント・イット・ブラックを歌わなかった。

                        *

 左門の学生生活はそれなりに充実していた。が、活動家としては満たされない日々が続いた。装備を飛躍的に向上させ、人員も大幅に増強した警察権力を前にして、鉄パイプと火焔瓶しかない学生たちはもうどうしようもなかったからだ。
 集団による暴力的闘争は、七十年の六月に、毛沢東主義を掲げる党派《セクト》が原宿駅周辺で機動隊と衝突したのが最後だった。この党派《セクト》は、このときの無謀な闘争の総括をめぐって組織が雲散霧消した。
 左門が所属していた党派《セクト》も夏休みを前にして、武装闘争を強調するグループと大衆運動の強化を主張するグループに分裂した。左門は武装闘争を選択した。田島は左門に追随したが、明らかに迷っていた。 
 この時から、同じ色のヘルメットをかぶった者同士が罵《ののし》りあい殴りあうようになった。敵対するグループの中には、親しくしていた者もいる。
「もう、同じ色のヘルメット同士で殴りあうのは耐えられないよ」
 これが田島の口癖になった。
 ただ、殴りあうといっても、かつては仲間だったという意識が働き、そこには節度があった。路線が異なる以上、対立し殴りあうのは仕方がない―左門は割り切っていた。が、こんな事ばかりやっていていいのか―と心が重くなるときもあった。
 この年、左門は何度か警察に検挙された。が、容疑内容は党派《セクト》間の争いや大学当局との対立に関わるもので、左門にとっては「闘争」と呼ぶに値しない些細な出来事だった。
 満たされない気持のまま年が明けた。
 学生運動が大衆的支持を失くすとともに、学生たちの多くが戦線を離脱し始めた。そんな中、左門が所属するグループは暴力的闘争を計画していた。
 内ゲバしかやらない。まるで、あのハイエナのような党派《セクト》にそっくりだ―大衆運動の強化を主張して分派していったグループの批判に、末端の活動家が動揺し始めていたからだ。
 左門は、この計画に反対だった。
 計画を秘かに打ち明けられた左門は
「いまさらバリケードを築いて、火焔瓶を投げて、何になるというのですか?」
 と、非難されることを承知で異議を唱えた。
「俺たちが何と言われているか知ってるか?」
 横山雄一が訊いた。メガネの奥の眼が鋭く光っている。
「軍事日和見主義でしょ」
 左門が事もなげに答えると
「そんなことを言われてくやしくないのか?」
 と、横山は険しい表情のまま情に訴えてきた。
「でも、俺は『革命の正規軍を作る』というからこのグループを選んだ。火焔瓶と鉄パイプという武装カンパニアではもう限界だ―横山さんもそう主張していたではないですか!」
 左門が迫ると、横山は少しだけ沈黙したあとでこう答えた。
「正規軍を作ることだけを目的にしてもそれは無理だし意味がない。より多くの者大衆が基盤になければ、あの赤軍派の二の舞になるだけだ」
 そして
「六十年代の火焔瓶闘争と今のそれは質的にまったく違う。状況がはるかに厳しい今こそ、闘うことで者大衆のより多くの支持を獲得することができる」
 と力説した。
「革命家には耐えなければならないときもある。闘いにはオマエが必要なんだ!」
 最後に横山は殺し文句を吐いた。
 左門は、この言葉を聞いて折れた。結局、神田駿河台における解放区闘争に参加することになった。
 七十一年の五月、左門たちは明大通りにバリケードを築き、火焔瓶を投げて解放区を作りあげた。が、またたく間に機動隊に鎮圧された。半数以上が検挙され、組織は壊滅的な打撃を受けた。先頭で闘った左門と田島は、近くにある大学のキャンパスに逃れ、かろうじて逮捕をまぬがれた。
 翌日の新聞には、この種の闘争で六割近くが検挙されるのは珍しい、と書かれていた。まるで警察が事前に網を張っていた、とも読める内容の記事だった。
 左門は、この闘争の総括をめぐって党派《セクト》の上層部と意見が対立した。上層部は、組織防衛のために、今後は大衆運動に力を入れるべきだ、という考えだった。三里塚における空港反対闘争に力を注ぐのだという。「革命の正規軍創出」は単なるスローガンになり下がった。
 が、左門はどうしても納得できなかった。何のために組織を分裂させたのか?昔の仲間と殴り合ってきたのは何だったのか?
 解放区闘争では、軍事部門の責任者だった横山雄一も事後逮捕された。背後で指揮を執っていたという容疑だった。
「革命の正規軍を作るためにも三里塚は重要なんだ。解っていると思うが、軍の創出とソヴイエト型組織の建設は表裏一体のものだ」
 横山に代わって説得に来た別の幹部は、そう言うと左門の顔色を窺い
「三里塚を闘い抜くことで、党と軍と者・農民が三位一体となったソヴィエトが見えてくる」
 と、強い口調で説得を試みた。
「俺にはそうは思えませんけどね」
 左門はそっけなかった。
 左門の実家は農家だった。だから農民をよく知っていた。三里塚の農民は土地に執着しているだけだ。革命なんて頭の片隅にもない―左門は何度か三里塚闘争の支援に行ったが、本心ではそう思っていた。
 左門は、その後も毎日のように説得を受けた。最後は「説得」が「糾弾」に変わった。
 そんなとき、田島が姿をくらました。ある日、突然だった。
 田島は
「すまない。手帳は焼却してくれ」
 とだけ書いた置手紙と黒い表紙の小さな手帳を残しただけだった。眞知子から渡された田島の手帳には、党派《セクト》の内部情報が克明に記されていた。左門は手帳を読んで、田島の几帳面さに感心したが、それ以上は深く考えなかった。
 田島は内ゲバに耐えられなくなったのか?―左門は気になったが、そのときは自分のことで頭が一杯だった。
 左門は説得を振り切り組織を離脱することに決めた。
 時代錯誤の火焔瓶闘争を恒常的武装闘争の第一歩だと煽って、大勢の仲間を塀の向こうに追いやったくせに、今さら何を言っているんだ―左門の正直な気持だった。
 夏休みが終わったころ、左門は完全に党派《セクト》を見切った。

                         *

 左門と香坂眞知子は表参道にたたずんでいた。二人でこの街に来るのは久しぶりだった。
 秋の表参道はお洒落《しゃれ》で、行き交う人たちも洗練されていた。通りを歩く若者たちは皆《み》な裕福そうで、明るくて屈託のない顔をしている。
 この街は眞知子のお気に入りだった。眞知子はヘルメットをかぶって日比谷公園にいるよりも、この街を歩いている方がずっと似合っていた。
 いつもは、二人で参道を散策し、カフェに寄り、代々木公園でとりとめのない話をする。眞知子はそれだけで満足そうだった。しかし左門は、この街に馴染めなかった。自分だけが場違いな存在のような気がした。
 この日、左門はふさいでいた。眞知子は哀しそうな表情だった。
 眞知子が重い雰囲気の中で口を開いた。
「どうするの?」
 と訊かれて、左門は返事ができなかった。
「何が?……」
 左門はとぼけた。
「私たちのことよ」
 いつもは控えめな眞知子の声がきつく響いた。
「……」
 左門は無言だった。
「他の人たちは麻雀や合コンで楽しくやっているわ。今の社会のどこが悪いの?私の父は国鉄の者で生活は楽じゃないわ。でも貧乏なんかじゃない。革命なんてどこの国の話なの?ほんとうに革命が起きるとでも思っているの?」
 眞知子は眼をそらさずに、訴えるようにして話した。左門は、ますます返答に窮した。
「革命が起こるとか起こらないとか、そういう問題じゃない。俺の哲学、俺の世界観の問題なんだ」
 左門は答えをすり替えたが、説得力がなかった。
「どうして二人で幸せになろうと思わないの?私と学生運動のどちらが大事なの?このままだと私たちはダメになるわ」
「どちらが大事かなんて比較できない。恋愛と革命は次元が違う問題だよ。俺は資本主義の歯車になりたくない。もっと人間らしく生きられる世の中を作りたいんだ」
「二人で幸せになることが人間らしい生き方じゃない、って言うの?どうして物事をそんなにむつかしく考えるの?私には理解できないわ」
 返す言葉がない左門は、話の矛先を変えた。
「ヴェトナムでは毎日何千人もの人たちが米軍に殺されている。その最大の兵站が沖縄なんだ。横田基地や横須賀も米軍の後方基地になっている。日本も、いや俺たちもヴェトナム戦争に加担しているんだよ。そんなことを黙って許してもいいのか?」
「私だって戦争には反対だわ。でも、どうしてそのために自分の人生を犠牲にしなければならないの?」
 眞知子の声が大きくなっていた。通りすがりの人たちが、何事か?という表情で振り返って二人を見ている。眞知子は必死だった。
「皆《み》んな髪を切ったわ。上級生はスーツを着て会社訪問をしている。田島さんだって運動から離脱したわ。革命とか人民とか言っているのは肇だけじゃないの」
「俺に、髪を切ってノンポリになれ、と言うのか?」
「そうじゃなくて、このままだと肇が私の手の届かないところに行ってしまいそうな気がするの」
 左門は逡巡していた。香坂眞知子と別れることまでは頭が回っていなかった。このまま我が道を進めば、眞知子と決別せざるをえない。
 どうして社会に疑問を感じないんだ?自分が幸せなら他人は関係ないとでも言うのか?―左門は眞知子が恨めしくなった。
 左門の実家は農家だったが生活は裕福だった。家庭はリベラルな雰囲気で、子供にあまり干渉しなかった。が、眞知子はそうではない。親に対する感謝の気持ちが、左門と眞知子ではまるで違った。
 眞知子は、左門に合わせてヘルメットをかぶっていただけだ。二人の会話は最後まで交わることがなかった。沈んだ表情のまま、二人は原宿駅に向かった。

 眞知子は左門に惚《ほ》れていた。左門は高校生のころから、政治だけではなく、芸術から恋愛までを熱く語っていた。異端の存在だったが、おとなしくて自己主張が苦手な眞知子にとっては、それが誰よりも格好《かっこ》よく見えた。
 左門も眞知子を愛していた。優しくて思いやりがあって、何よりも美しかった。しかし眞知子の価値の基準は小市民的な幸せだった。白い家と緑の芝生、かわいい子供たち。左門とは生きようとする世界が違いすぎた。
 左門は眞知子をあきらめざるをえなかった。高校生の時から紡《つむ》いできた二人の糸は、あっけなく切れた。涙は出なかった。後から聞いた話では、その日、眞知子は一晩中泣いたのだという。

                         *

 左門は党派《セクト》を離脱したあとでアパートを変えた。新しいアパートは、小田急線の狛江駅から多摩川の方向に少し歩いたところにあった。
 左翼の組織はヤクザとは違う。組織を抜けてからといって、それだけでリンチを受けることはない。前のアパートには、古い思想が染みついているようで嫌だった。眞知子との思い出が残っているのも辛かった。
 左門は大学にまったく顔を出さず、左翼の集会やデモにも一切参加しなくなった。以前から親交のあった、特定の党派《セクト》に属さない活動家たちと接触し、議論を重ねていった。彼らは街頭では黒いヘルメットをかぶっていた。
 彼らは前衛党を否定していた。革命を指導する職業革命家の集団を否定して、どうやって革命を起こすんだ?―左門は、以前から彼らの考え方に興味があった。
 左門は黒ヘルの活動家たちと共に地下に潜《もぐ》った。党派《セクト》の利益よりも闘争のあり方を優先する、その考え方が左門と同じだった。その後、左門は、爆弾の製造方法や地下活動のノウハウを修得することに集中した。教本はいくらでもあった。

 年が明け、二月になると、長野県の軽井沢にある「あさま山荘」で機動隊との間に激しい銃撃戦が交わされる事件が起きた。左門たちは興奮した。山荘に立てこもった五人のメンバーは全員逮捕されたが、まだ同志がいるはずだった。
 しかし、左門たちを打ちのめすような事実がその後になって明らかにされた。連中とその仲間は、榛名山のアジトで、「総括」と称して十二名もの同志をリンチで殺害していた。左門たちはさすがに動揺した。殺害された者たちの中に、かつて同じ隊列を組んだ者もいたからだ。
 榛名山での事件を受けて、世田谷区経堂にあるグループのアジトに十三人のメンバーが全員集まっていた。
 コードネームを風間翔と名乗る男が口を開いた。組織にリーダーはいない。が、風間は年齢や経歴、そしてその理論において組織内で一目置かれていた。
「許せない気持は解る。が、あれこそが蛸壺《たこつぼ》化した闘争の成れの果てだ。俺たちは人民の海の中で戦う。あれは、あの女の妬みが生み出した悲劇だ」
 風間は、リンチ殺人の責任を、リーダーの一人だった女性活動家に被《かぶ》せるような発言をした。が、誰も納得しなかった。本質はイデオロギーと組織にあるのではないか―そう思っていたからだ。場は暗い雰囲気に包まれたまま、すぐに散会となった。
 その後、メンバーが集まることはしばらくの間なかった。そこに、衝撃的な出来事が起こった。
 五月になって、イスラエルのリッダ空港で、日本人コマンドによる手榴弾と自動小銃による大規模なテロ事件が勃発したのだった。
 左門の所属するグループのメンバーたちは、手放しでテロ行為を賞賛した。
 が、風間は違った。
「アラブの地であんなことをして何になる?俺たちはこの国でやるんだ!」
 経堂のアジトに結集したメンバーを前にして、風間は宣言した。
 左門は、風間に同意したが、少しだけ違った。
 死んでオリオンの三つの星になろう―と、リッダ空港の日本人コマンドは誓い合ったという報道を聴いていたからだ。榛名山の事件で落ち込んでいた左門は、彼らに心の底から共鳴し、涙を流した。

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以上を読んで、何か感じるところがあれば、幸いです。

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コメント

このお話の主人公さんは客観的に観ると…キューリとかミカンの製造業で…カクテル職人なん?
私は専門家やないから…「コーラ瓶を焼いて美味しくする通」がいた、程度しか知識が無いんよ。

投稿: 八神はやて | 2011/05/17 07:36

第177回国会審議中継
5月17日10:00~
外交防衛委員会審議中継を見ています.支那の土地買収案件を追求

http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?sin=872&mode=LIVE&un=a443d49e4e91442bcb9e08a6d9a80e1a&ch=n&pars=0.5293971537259716

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/05/17 11:29

フランシーヌの場合は♪あまりにもお馬鹿さん♪フランシーヌの場合は♪あまりにも淋しい♪

いざ闘わん♪いざ奮い立て♪いざ♪
ああインターナショナル♪我等がもの♪
春に♪春に追われし♪花も散る♪
酒ひけ酒ひけきすぐれて♪
どうせ♪オイラの行く先は♪その名も♪網走番外地♪

ひとよひとよに♪ひとみごろ♪
ふじさんろくに♪オームなく♪
サインコサイン♪なんになる♪
オイラにゃオイラの夢がある♪

銃を取って叫べ♪誰が大地を汚したのか、と♪
銃を取って叫べ♪誰が俺達を裁けるのか、と♪

投稿: ブルー | 2011/05/17 13:43

坂様、お久し振りです。

被災して、此処に来るような余裕が無かったため、
約2ヶ月ぶりの訪問となりました。

私は学生運動世代の次の世代に属するせいでしょうか、
登場人物の心象風景はさっぱり理解できません。

人民のや労働者と連帯して...なんて言葉を聞くと
「ホントは自分の為で、ヒロイズムに浸って...どうする」
なんて思ってしまいます。本のチョッとした年代の差が
大きな差になっていたのだなぁと実感致します。

投稿: ムフフ | 2011/05/17 14:21

日本語話せるか?
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-2628.html
「YES、ミシミシ」→不正入国バレる=米国

支那は共産主義のため個人が外貨を持つことも許されてい
ない、況してや偽造といえども出国する手続き搭乗券を手に
入れる共産党の協力が必要。 組織そのものに腐敗が蔓延
している。 偽パスポートを掴まされた犯人もドッキリしたこと
だろう。

【その他の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/snt/snt.cgi
【その他のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/05/17 16:14

福島原発の手動停止の疑い、政府官邸も知らず

http://media.yucasee.jp/posts/index/7632

【関連情報】衛藤晟一(自由民主党)
http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=4831&mode=LIBRARY&pars=0.11986580492311699
5月13日 (金) 予算委員会で福島原発第1号炉を爆発させ
た韓直人首相の責任追及する

地震発生で原発は緊急停止していた、そして炉の圧力も低下
している、非常用覆水器を起動したり停止したりしていた。 
地震発生後16時間で核燃料棒が溶解していた事実が地震
発生以前に1号炉の冷却水は抜かれていて少ししか残って
いなかったことになる。 1号炉の圧力を下げるために放射
性物質に汚染されたガスを外部へ放出する措置であるベント
の指示は翌朝の6時59分に政府より出た、丁度このころ
韓総理が1号炉を視察する。 
それから8時間後の15時36分に1号炉が水素爆発を起こ
した。
爆発から5時間後に爆発を防止しする為の措置である注水
作業を開始する。[注意]最近1号炉には穴が開いていて注
入した水は外へ漏れていたことが判明した。
一連の不自然な行動は、民主党内閣と東電の共同犯罪であ
る可能性が濃厚であり、建設後40年以上の老朽化した福島
原発の爆発を企んだ犯罪の証拠と成る。
これらの事実は当時、隠蔽されていて官房長官は妻や子供達
をシンガポールに避難させていながら、問題ない安全だなどの
出鱈目なコメントを発表していた。 
反日売国テレビ局・マスコミは計画停電を取り上げて、日本国
民の関心を逸らしていた。 
原発の一つ二つを爆破させて交通を混乱させて、首都機能を
麻痺させると言う、あのプロ市民革命家の野望が現実化した。 
被災地への物資輸送の交通路も通行禁止となっていた。 
このため救援物資は届かず、燃料やガスリンは極度に欠乏し
て被災地は悲惨な状態で放置された。 
そして多くの日本人の命が失われた。

詳細は
【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
検索条件【証拠】で[投稿/検索]をクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/05/17 20:06

恵まれた我が国に生まれたことにも感謝せず、自国民を何千万単位で殺戮する野蛮な独裁国家の方が自由な良い国だと言って、絶対に、絶対、にゼーーッタイに、発砲しないとわかりきっている機動隊に殺人兵器火炎瓶を投げつけ、鉄パイプで殴りつけ、レストラン「松本楼」に石油まいて放火したウジ虫どもを私は心の底から軽蔑します。同じことを彼らの大好きな国でしたら戦車に踏みつぶされるだけです。私はまだ小学校低学年でしたが、ウジ虫に自宅に爆弾を郵送され、愛する家族を失った当時の警視総監のテレビでの言葉は、子供心に今でもはっきりと覚えています。「君たちは卑怯だ!」

投稿: KWilde | 2011/05/17 21:26

私は第2次ベビーブームの世代なので、学生運動の熱さ等は理解できません。

何故あれほどまでに革命を叫ぶ必要があったのか?ソビエトや北朝鮮が本当に楽園の地に見えたのか?
私は生まれてから生活に困窮することはありませんでした。当時の大学生は、今と違ってある程度生活に余裕のある家庭しか行けなかったはず。現状の生活に不満はなかったはずなのに、何故革命を叫んでいたのか。革命の結果、今の自分の暮らしが180度変わっても良かったのか?本当に自己犠牲の精神で活動していたのか?
後世の人間の立場から見ると、自己陶酔に浸っているだけじゃないのか。と考えざるをえません。
私の父はまさに学生闘争の世代です。ただ、父はそういった活動はしていませんでしたが、社会主義信奉者であったらしいです。さすがに今は手放しで社会主義を賞賛してはいませんが、父に言わせると『本当の社会主義の実践に、人類がまだ進化していないだけだ』と言っていました。
確かにユートピアのような世界が実現できれば素晴らしいですが、人類はそこまで進化できるのでしょうか。

学生運動は戦後日本の成長の負の面として語られることが多いですが、私はこれほどまでの熱い情熱を持った学生達を単なる『バカ』とは考えたくありません。

学生運動に対する私の評価はまだ確定していませんが、あの情熱は評価してもいいと思っています。

投稿: たろう | 2011/05/17 23:48

面白いですね。 いや、面白いと言っては語弊があるかもしれませんが。
私は40代です。
学生闘争や全共闘運動は、意識的に調べようとしないと解らない世代です。
私はマスコミの偏向報道の理由が知りたくて、新左翼運動の一端を知るに至りました。
私の世代にとっては今でも大多数が、
学生運動 = 変な過激派・カルト宗教 = 超能力やUFOなどを信じてる人達と同じ
というような位置づけだと思います。 今から数十年前に、日本中の大学生が
左翼的思想に傾倒していたなどという時代があったとは、まるで実感にならないのです。
当時の学生達の行為を、今になって安っぽいヒロイズム嗜好と断じるのは簡単です。
違うかもしれませんが「お国のために」と死んでいった軍国主義の時代の倫理観を
今の価値観で愚かと言うのは簡単なのと、似たところがあるでしょう。
しょせんそれは後出しジャンケンのようで、今の世の中だって、
後代の人からすれば、きっとバカにされるところが沢山あるのでしょう。

特に今の若い人達に言えることですが、「思想が人を支配する」ということを、
理解すること自体が困難なのですね。 「きっと金を貰っているのが原因だ」とか、
そんなような動機しか、他人の不可解な行動に対して類推ができないわけです。
それでは、政治団体や一部マスコミの行動の原因を永遠に理解できません。
「思想が、人を、こんなにも強く長く動かすんだよ」ということは、
坂さんのような方にとっては当たり前のことかもしれませんが、
今、それをあらためて説明しなおす必要性が生じていると思います。

投稿: 鳩槃荼 | 2011/05/18 02:06

>坂様、
書直し再投稿です。お手数ですが、宜しく。

> 鳩槃荼 殿

初めまして。 確かに実感にならないというのは、そう思います。

私は50代半ばで彼らよりほんのチョッと下の世代ですが、あの熱狂が自分の中に生じるとはとても思えませんでした。
それは、第一次オイルショックなど、日本が世界経済の流れに巻き込まれ、大きい変動を乗り越えて行かなければならなかった時代だったからでしょうか。

但し、「お国のため」と死んでいった方々を持ち出すのはチョッと違う様に思うのですが、如何でしょうか? 
その時代は、個人の身の振り方に選択の余地が極めて小さく、直面する現実を考えますと、ヒロイズムと同列には見る事ができないと思います。 もちろん、御指摘の

> 「思想が人を支配する」ということを、理解すること自体が困難なのですね。

という貴殿のご感想は、私にとって「成るほど!」と目を開かされました貴重なものであります。

...今もって、敗戦直後に「陛下に申し訳が立たない」といって切腹した叔父の心情や責任感は理解できないのが、将にその通りです。

まぁ、宗教に因る or 拠る 人の行動支配は、御指摘の実例として最たるものと思われ、良しにつけ悪しきにつけ、例には事欠かないですね。

投稿: ムフフ | 2011/05/19 08:47

ムフフサマ

>但し、「お国のため」と死んでいった方々を持ち出すのはチョッと違う様に思うのですが、如何でしょうか?

私の意見は「鯨はデカイ魚だ」と言ってる程度の戯言と
お流し下さい。

投稿: 鳩槃荼 | 2011/05/19 14:05

> 鳩槃荼 殿

すみません、なんかチョッと苦言を呈したように思われたのかもしれませんが、説明不足でした。

ネトウの方々の典型的な反応、「お国の為に死んでった方々を冒涜するものだ!」なんていう意味で、チョッと違う様に思うと書いたのではないのです。

その方々が直面した現実がその方々の思ひ(思想ではなく)を形成させ、それに突き進ませてしまったのではないか?
その様な状況でなければもっと多様な考えで色々な方向に進んで行ったのでは?

という意味です。どうか、ご理解の程を。そして、「思想が、人を、こんなにも強く長く動かすんだよ」とのテーゼが成り立たなくなりつつあるとの日本の現状認識も大事にしたいものと。

投稿: | 2011/05/19 15:46

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» 原発政策決定には福島第1事故の原因究明が先決 [普通のおっさんの溜め息]
・経済産業省原子力安全・保安院は16日、九州電力玄海原子力発電所がある佐賀県玄海町で、岸本英雄町長や町議らに、東京電力福島第一原発事故を受けた玄海原発の緊急安全対策について説明した。  保安院側は「福島と同程度の津波に襲われても玄海は安全」と主張したが...... [続きを読む]

受信: 2011/05/17 11:41

» アメリカは市場原理主義の国か? [ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ]
Tweet アメリカと日本は違うんだ!!アメリカは市場原理主義の国であいつらはちょっとイかれているんだ。とムキになって主張する人は多い。 また、今回の東電賠償スキームにあたっては「日本はおかしな資本主義の国なんだ!だから、外... [続きを読む]

受信: 2011/05/17 14:46

» 「自粛」の経済学 [「小さな政府」を語ろう]
震災直後に石原都知事が「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」とお花見自粛を呼びかけた。経済界や政府から轟轟たる批判を浴び、都知事はすっかり「 ... [続きを読む]

受信: 2011/05/17 14:47

» 不安障害とストレスの動悸 ストレスチェックとメンタルケア [不安障害とストレスの動悸 ストレスチェックとメンタルケア]
不安障害ついて解説しています。 [続きを読む]

受信: 2011/05/17 18:03

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