連帯を求めて孤立を恐れず
昨日は久しぶりにブログを更新できませんでした。
やはり月曜日というのは何かと忙しくてね。
なかなか時間が取れません。
しかも私は、エントリを書くとき、まずソースが信頼できるか否かを複数の情報に当たって確認します。
次に、使用した言葉が適切かどうかを辞書で調べます。
そして最後は、文字や表現に誤りがないかを校正します。
だから一つのエントリを書くのにすごく時間がかかるのです。
正直に言って、しんどいです。
人に読まれても恥ずかしくないエントリを書くために、テーマ、文章、単語、表現力のすべてに気を遣うからです。
だから1日に2本もエントリをアップできる人が信じられません。
今日は何を書くか?
これを考えるのがもっともしんどいです。
書きたいというテーマが見つからないと、ブロガーはエントリをアップできません。
で、今、痛切に思っていることは、やはり全共闘運動の総括です。
------------------------------------------------------------------
私は全共闘運動を全否定できません。
もちろん共産主義運動やプロレタリア革命はアナクロニズムであり、人間を憎悪する思想だと思っています。
が、全共闘運動を共産主義で割り切ることはできないのです。
全共闘運動の根底にあったもの、それは個の確立と自立だったと思います。
既成の権威に対する盲目的な服従の拒否、不合理に対する無批判な隷属の否定、これらが全共闘運動の主要な側面であったことは間違いありません。
突き詰めれば、共産主義は全共闘運動のごく一部に過ぎず、その本質は左右の偽善やドグマ(dogma)に対する反発でした。
そういう意味では、この運動は反共運動でもあったと思います、逆説的に捉えれば。
で、私は未だにその意識を抱いています。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
これは、1969年1月、東大の安田講堂に立てこもった全共闘の学生が、壁に書き残したものです。
この精神は、思想の左右を問わず心に響く何かがある、と今でも思っています。
ある人はこれを玉砕主義と言い、別の人は革命的敗北主義と言います。
が、私は違うと思います。
これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。
これは、私が当時好きだった高橋和巳の言葉ですが、右顧左眄せず、己の信条・信念を貫く、この心構えこそ世の中を変革する原動力になるのではないでしょうか。
私は、明治維新を前に倒れていった多くの志士たちに同じものを感じます。
革命が成功して、後に残ったのはずるいヤツらばかり、ほんとうに優れていた者ほど早く死んでいく。
私はそう思います。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
青臭くてもいい。
こういう自己犠牲と使命感に満ち溢れた政治家が現れてほしい。
ジジイの独り言でした。
なお、「連帯を求めて孤立を恐れず」とは、谷川雁の言葉だそうです。
革命家から資本の側に転向した谷川は、以後、何も語りませんでした。
これもサムライ、そう思います。
【追記】
全共闘運動が挫折した最大の原因は「ナショナリズムの欠如」だったと思っています。
インターナショナルという幻想に酔っていた。
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コメント
初めてのコメントです。
坂様いつも拝読させていただいております。
>私は、明治維新を前に倒れていった多くの志士たちに同じものを感じます。
革命が成功して、後に残ったのはずるいヤツらばかり、ほんとうに優れていた者ほど早く死んでいく。
一度も口にしたことはございませんが、私もず~っとそんなもんだろう、と思っていました。
共感します。男の子は見返りを求めてはいけませんね・・・。
書きたい時だけ書いてください。
前のように1等賞にでもなったら、お仕事に障ります(笑)。
投稿: ひげオヤジ | 2011/08/02 16:40
全共闘運動が挫折したのは、自分のアタマで考える人間がいなかった(少なかった)から、ではないでしょうか?
私は少し下の世代ですが、中・高校生の眼でみても主張に矛盾があり過ぎましたもの。
運動をしていた方には悪いのですが、正直、何をバカな事をやっているんだ。というのが感想でした。
学生運動というお祭り騒ぎを楽しんでいる、としか見えなかったのですが、自分のアタマで考えてそれでも正しいと思って、行動していたのでしょうか?
先輩諸氏に是非とも訊ねてみたかった点です。
投稿: みやとん | 2011/08/02 16:47
初めてのコメントです。
坂様いつも拝読させていただいております。
>私は、明治維新を前に倒れていった多くの志士たちに同じものを感じます。
革命が成功して、後に残ったのはずるいヤツらばかり、ほんとうに優れていた者ほど早く死んでいく。
一度も口にしたことはございませんが、私もず~っとそんなもんだろうと思っていました。
共感します。男の子は見返りを求めてはいけませんね・・・。
書きたい時だけ書いてください。
前のように1等賞にでもなったら、お仕事に障ります(笑)。
投稿: | 2011/08/02 16:51
>ソースが信頼できるか 使用した言葉が適切か
>文字や表現に誤りがないか
>人に読まれても恥ずかしくないエントリを書く
頭が下がります。
このブログは、コメントに本文と同じスペースを与えています。
コメントする側も適当に書かないようにしないといけないと自省します。
そのような勉強と準備のもとに初めて発言の資格があるとするならば、
私個人は全共闘運動に対して語る言葉を持ちません。
ただひとつ言えることは、人心を強く動かす事柄の中には、
正しい事や美点がひとつもないことはありえない、ということです。
もちろん、素晴らしい理念が全共闘運動の中にはあったことでしょう。
その部分だけ抽出して善用すれば、社会・個人に多大な利益をもたらす
素晴らしい理念が、おそらく、ナチスの中にもあり、
中国共産党の中にもあるのだと思うのです。
乱暴な言い方かもしれませんが、私はそういうことだと思います。
投稿: 鳩槃荼 | 2011/08/02 17:26
何時もブログを拝見し、勉強させて頂いて居ります。
勉強が嫌いで大学へ進学せず、潜水艦に乗りたく海上自衛隊へ
志願した頃、大学紛争が激化していいました。
新宿争乱事件や企業爆破テロで、大学生は何をやって居るんだ
と思ってました。
あげくの果てに、仲間同士の殺し合いでした。
その残党が、マスコミや政治家だと思うと、この先日本が滅亡
するのではと思ってしまいます。
最後まで戦いますけど!
これから熱さの本番と成りますが、御自愛の程、
投稿: サブマリーナ | 2011/08/02 17:47
時には一日2本のエントリーを書くこともある私ですが、日頃から記事を集め比較検討し、裏が取れたと確信の持てる内容のみを引用するようにしております。
また、内容が事実かどうかは、判断する側にバイアスがかかっていれば当然万全を期することは出来ないと割り切っておりますので、あくまで私の立場で判断した内容を書いています。絶対的な真実が明確なケースはありませんので。
言葉の使用が間違っているかどうかもにたようなものです。私たちが正しいと信じている日本語が、世代が違えば真反対の意味で使われているなど珍しくもありませんので。
最後に文字ですが、これは私も頭の痛いところです。気をつけてはいるのですが、なにしろ記事はタイミングが重要と心得ておりますので、必要とあれば一日2本でも3本でも書きます。とうぜん、その資料や材料はかなり前から調えていますので、タイミングを逸するよりは増しだと考えています。
まあ、坂様とはその面でもかなり違うのでしょうし、ご意見に対しても同意できる面は多々ある物も全面的に同意というわけではないのは当然です。これも個人による記事なのですから当然でしょうね。
したがって、何を以て正しいと判断されているのか是非ご教示願いたいものです。また、辞書を引いて確認された擁護が正しいと確信できる根拠もです。信じられないでしょうが、これから今日中に自分のブログの記事を書いて、2本アップします。
むろん、私なりに正しいと思っている内容ですよ。
投稿: たかおじさん | 2011/08/02 20:11
全共闘運動は反体制・反権力闘争であったと思います。自分を取り巻く既成価値への拒否とでもいいましょうか。
ところが、そこをつけめに北や支那やソ連が利用していたという
側面もありますから、一概に主体的にのみとらえるのもいかがかと
思います。
鉋音も若いころの腐れ縁でカンパもしたろうし、弱みも握られているのではないでしょうか。
まるでかつてクリスチャンが帝国主義の尖兵であったという客観性と、信仰に殉じるという美質とは別問題であるかのように。
投稿: けんぶつ | 2011/08/02 20:54
坂さま
こんばんは
毎日これだけの文を書くのは大変だと思います
読者としては勝手に楽しみにしているだけですので
ご無理のない程度にお願いします
最近になるまでうっかり過ごしてきました
前から日本は何か変だと思っていたのですが
ネットのお陰でからくりを知ることができました
韓国にこれほど押し込まれているとは、敵ながらあっぱれです
私は残りの人生を戦っていきたいと思います
どうしてもこのままではいけないと感じています
投稿: さくら | 2011/08/02 21:04
>坂眞さま
残念ながら歴史的には違いますね。
全共闘運動はフランスのカルチェラタンの学生紛争を真似たものでサルトルの影響を強く受けています。
つまり
「(歴史は必然であるから)歴史にアンガージュマン(参加)するしかない」
というマルクス唯物史観です。
しかし70年代にレヴィ=ストロースが構造主義を用いて
「歴史など錯覚である。ヨーロッパ人の偏見である」
(先進国にも未開社会にも同じ構造があった)
と喝破しサルトルに勝利しました。
つまり
共産主義は90年代に崩壊したのではなく
70年代に既に思想的に敗北していたのです。
坂眞さまも構造主義の本を1度読まれたほうが良いですよ。サルトルとレヴィ=ストロースとの経緯は最初の方に出てきますから・・・
投稿: 柳生大佐 | 2011/08/02 22:57
難しいですね。
権力等に熱く抵抗したことがないし、自分自身の限界を勝手に決めて大人しく過ごしてきたので、学生運動をやってきた方の気持ちなど分かるはずもないです。
正しいか間違っているかは別にして、軽はずみな感想や意見は到底言えません。
しかし、その当時のような熱い想いを持って、これからの日本を良くしていきたいとは思います。
投稿: たろう | 2011/08/03 00:12
確かに内容の半分かそれ以上が引用であったり、内容も希薄な、
それこそつぶやき、、また文字通りの独り言であれば楽なんでしょうね。
いつもながらお仕事をされてからのもう一仕事を(それも一文にもならないような)され続け、しかも抜群の説得力に感心することしきりです。
ランキングをみれば内容の質と順位が必ずしも合致しているとはけして言い切れませんね。
これからも宜しくお願い致します。
投稿: 転びバテレン | 2011/08/03 01:16
子ども手当、廃止へ…児童手当の復活固まる
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110802-OYT1T00821.htm
嘘の政権公約で騙し取った民主党政権、4Kバラマキの
財源不足は公約作成の時に既に判っていた。
民主党藤井議員のゴメンナサイと誤れば良いの一言で
有権者を騙した政権公約にしたのは有名な話で民主党
全員が知っていた事実。 嘘つきに政治をさせては成らない。
【年金問題の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj1.cgi
【年金問題タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
投稿: 愛信 | 2011/08/03 01:33
依存症の独り言さん、
Glorious Japan Foreverさんが制作された
「竹島のYoutubeビデオ」
韓国テレビで放映されたあと、多くの批判が殺到して、削除されました。下のリンクは、Shimane Takeshimaさんがコピーしてアップしておいてくれた分です:
(日本語版:)
http://www.youtube.com/watch?v=tV_DdH-xmVY
(英語版:)
http://www.youtube.com/watch?v=E0QoCtTw7FM
ほかにも、コピーしてアップしてくれている人がいます。Glorious Japan Foreverさんは、以前にも、韓国の文化侵略のビデオにクレームがついて、アカウントを削除されました。韓国の横暴はもう許せません。
投稿: ちひろ | 2011/08/03 04:18
はじめまして。昨日から拝見させていただいております。
党員の父に洗脳され、全共闘世代の先生に高校・大学でオルグされました。
マルクスの間違いのなかで決定的なのは、
下部構造が思想や意識といった「上部構造」までも規定する。としたときに、
当然マルクス自身の思想や意識も同様であることを忘れていることだと思います。
哲学として詰めが甘いにもかかわらず、
マルクス共産主義こそ絶対に正しいとする言動は、
宗教カルトと同じであると思っています。
人を信者か非信者かで評価して、
非信者で役に立ちそうな人は徹底マーク。
非信者で自分たちに都合の悪い人やなびかない人は、
粛清する方向にもってゆきます。
自殺者年間3万人超もこのへんの事情があると思っています。
投稿: すいか | 2011/08/03 09:51
>「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
>これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。
菅直人の主観では同様に考えているのでしょう・・・。
投稿: | 2011/08/03 17:03
孤立を求めて連帯を恐れず、と言いかえる人も居たりする。ちょっといじって、自立を求めて他人を恐れず、とすると、引きこもりニート脱出の標語みたいな。独立を求めて集団的自衛権を恐れず、とすると、私の今の願い。
投稿: ちはやぶる | 2011/08/03 18:11
45年前、機動隊が明日、突入との情報が入る。連日、屋上の警備をしながら、学生とは、人生とは、生きるとは何かを考え、機動隊との衝突で死ぬかもしれないという恐怖と、正しいことをしているという誇りで、それまでの大学に入ることが人生の目標であったことが、なんてちっぽけなことであったかを始めて知った。秋田から上京し、親の仕送りで2畳の下宿から通うAと、都内の自宅から通っている私の間には、大きな心の隔たりがあった。捕まれば退学、就職も無い。講堂で最後の選択が始まった。自由意思に任せる。
心では、逮捕されても良いとの気持ちがあるのに、親の泣く顔を見たくない、親戚に迷惑を掛けられない、就職して安心させなければとの気持ちが勝ち、私を砦から出させた。
Aは、今ここで砦を出れば俺は一生を後悔して生きるだろう。自分の気持ちに正直に生きたい。悪いことを正すのが自分の生き方だと、砦に残る決心をした。
あの数か月ほど、人間として限界まで考え抜いた時間はなかった。
神田御茶ノ水で歩道の敷石を剥がし、細かく砕いて前方の機動隊に投げる、まったく届かない、前方から催涙弾が弧を描いて飛んでくる。皮膚を通して催涙ガスのチクチクとした痛みを知り、捕まって機動隊の楯で殴られる恐怖を経験した者たちが、怒りと正義を高揚させていく。あの日、安田砦に残っていたら、45年後の自分はどう変わっていただろうか。
砦を出てから、未だに人間として自分を貫いたAに尊敬をいだいている自分がいる。
残念だが、あの日以来、彼の消息は不明である。
「力を尽くさずして挫けることを拒否する」還暦をとうに過ぎているのに、心は未だに燃えている。やはり、あのとき最後まで戦えばよかった。
投稿: | 2014/03/04 14:16
2017年,70歳まで少しとなつた。今、1969年1月を思い出すと、自分は恵まれた時代に生きていたと、間違い無く自信を持って応えられる。
神田三崎町、御茶ノ水、第八機動隊の隊員には申し訳ないが、国家権力機動隊を眼前にして、敷石を砕き、催涙ガスを浴びながら投石をしていた自分は、正義とはこれだと疑わずに生きていた。あれから50年以上が過ぎたが、燃えたぎる正義の情熱は、未だ赤く心の中で燃えている。あの一時期が私の人生を変えたことはまちがいなく、それを正しいと未だに信じている。私は幸せ者だと今もいえる。
投稿: ちはやぶる | 2017/09/20 20:44