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2011/10/23

小沢一郎を本音で語ろう

今日は小沢一郎氏について本音の部分を書こう。
私のことを反小沢の急先鋒と思っている方も多いと思うが、正確に言うと私はそうではない。
私のスタンスは反金権政治なのであって、小沢氏に関しては非小沢である。

何度も書いたのでご存知の方も多いと思うが、私は1990年代は小沢氏の熱い支持者だった。
それが変化し始めたのは、自自連立に傾き、天敵とも言うべき野中広務氏と組んだ時からだった。
野中氏は人間的には魅力のある人物だが、政治的立場はまったくの売国左翼である。
その親北朝鮮ぶりは、もう常軌を逸している。
拉致問題への取り組みが遅れたのも、金丸信氏の「金の延べ棒」問題も野中氏が絡んでいる。
こういう野中氏と組み、そして自公連立であっさり捨てられた。
私は、ここに小沢氏の政治家としての限界を見た。

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ネット上では「小沢支持」がけっこう多い。
私に言わせれば、それはもう信仰の域に達しているように見える。
が、彼らは小沢氏を誤解している、と言うか、小沢氏を自らに都合の良いように曲解している。
いわゆる「豪腕」がそうだ。
しかし、それは“伝説”であって、彼が豪腕を振るったという事実を実際に挙げることはむつかしい。
唯一挙げることができるとすれば、それは細川連立政権の樹立だろう。
しかし、これも国民の間に蔓延していた政治不信、政治改革への渇望がそうさせたのであって、小沢氏はその舞台廻しを務めたに過ぎない。

小沢氏に反米、あるいは対米自立の夢を託している人もけっこういるようだが、これも小沢氏の実像とはかなり違う。
小沢氏は反米ではない。
親米かどうかは不明だが、少なくとも日米同盟は肯定的に評価している。
かつての彼は「普通の国」を提起し、集団的自衛権の行使も容認した。
その立場が今、あいまいなのは、民主党内の護憲派に対する配慮以外の何ものでもない。

小沢氏はリアリストであり、マキャベリスト的な面も強い。
だから、その時々で主張を変える(ように見える)。
が、根っこの部分はそれほど変わっていないと思う。
彼は「普通の国」と同時に「自立」を説いた。
もたれ合いの社会から自己責任の社会へ―そこでは個人は組織(企業)に、組織(企業)は国家に、国家は外国に依存するのではなく、自己責任で行動することが求められている。
そして、それは管理行政、管理教育からの解放も意味している。
つまり小沢氏は、規制緩和を推進し自由競争を促進する立場がその本質なのだ。

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Ozawa_tpp

小沢氏の「自立した国家」論が、彼を反米、あるいは対米自立論者と誤解させる主たる原因である。
が、これこそ小沢氏に対する最大の曲解である。
小沢氏は「対等の日米同盟」を求めているのであって、脱米国ではない。
そして、その前提にあるのは自衛のための武力行使と集団的自衛権の容認である。
そういう意味では、彼が、日米関係を「主従」ではなく「盟友」の関係に変えたいと思っているのは間違いないだろう。
ただ、これは、日米安保同盟における日本の役割の大幅な増大と表裏であることを認識しなければならない。
つまり、9条擁護派とは相容れない真逆の立場なのである。
なお、彼が一見、国連中心主義に変質したかに見えたのは、党内社会党系を取り込むための方便に過ぎない。

小沢氏が日米同盟を基軸に据えているのは普天間基地問題に対する姿勢を見ても解る。
鳩山政権下でこの問題が迷走した時、彼は幹事長だったにもかかわらずほとんど沈黙した。
なぜなら、彼は普天間基地の県内移設に賛成だったからだ。
が、党内左翼や連立与党だった社民党を意識して彼は沈黙を選んだ。
「内外の政策の決定は首相だ。結論を出す過程も、結論も一切聞いていないので、論評する立場にはない」
これが普天間問題に対する小沢氏のすべてである。

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かつて小沢氏は、「日米中正三角形」論を唱えた。
が、これも本音ではなく、自らを取り巻く情勢と立場を考慮した意図的発言である。
2008年9月、小沢氏は、「中国共産党政権は必ず崩壊する」と滋賀県大津市内の講演で語っている。
これは、共産党独裁と市場経済は両立しないという考えから来ている。
管理行政を否定し、自由競争の促進が根本にある小沢氏からすれば当然の発言だろう。
にもかかわらず、彼は日米と日中の関係が同等であるかのような発言を繰り返した。
しかしこれは、米国への牽制ではなく、自民党政権に対する対抗である。
小沢氏も、本音では中国脅威論者なのだ。

つまり小沢氏という政治家は、安保や外交も信念ではなく、その場の状況に合わせて語るのだ。
この姿勢は、政権交代が第一、権力掌握が何よりも優先するという彼の政治哲学から導き出される。
言うならば、小沢氏の政治的軌跡のすべてがそうだ、と言っても過言ではない。
靖国参拝も同様である。
彼は1986年、中曽根内閣の自治大臣だった時、次のように国会で答弁している。

「靖国神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、その追悼ということでだれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。したがって、私もいわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、そして時間が許せば靖国神社の参拝は今までもしておりましたし、するつもりであります」

「基本的に、お国のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております」

参照:第104回国会 地方行政委員会 第5号

今の小沢氏からは想像もできないが、彼の本質はこれである。

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最後にTPP(環太平洋経済連携協定)について書こう。
TPP反対の急先鋒・山田正彦元農相は21日、「反対署名が民主党の194人を含む212人にのぼった」と発表した。
そして、「民主党内の3分の2がTPPに慎重だと思う」と胸を張った。
が、実際は違う。
署名の中には、菅政権時代のものも多く含まれている。
つまり「反TPP」ではなく「反菅」の理由で署名した者も多いのだ。
事実、「TPPを慎重に考える会」が21日、国会内で開いた総決起集会の参加者は、民主党議員を中心に約120人に過ぎなかった。

このように、民主党内で反TPPが盛り上がらないのは小沢氏の姿勢にある。
元来、小沢氏は強硬な自由貿易論者である。
これは一貫している。
やはり根底に、「自己責任と自立」があるのだ。
小沢氏の今の立場は、「TPPは原則は賛成」だが「時期尚早」というものだ。
ここにも小沢らしさが出ている。
本音は「賛成」だが、発言が自分に不利にならないように「時期尚早」を付け加える。
「自由貿易には賛成だが、弱い産業部門は保護すべき」
本音はともかく、これが現実の小沢氏である。

永田町で聞く話では、小沢グループは「反TPP」では組織的に動いていないそうだ。
小沢氏が自由貿易論者である上、グループ内には反対と賛成が入り乱れているからだ。
小沢氏の盟友である輿石東民主党幹事長は20日、国会内で全国農業協同組合中央会の万歳章会長と面会し、TPPについて「議論を通じてピンチをチャンスに変えるべきだ」と強調した。
既に小沢氏の盟友は、「TPPはチャンス」に傾いていると言うことだ。

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以上、小沢氏に対する私の思い、認識を徒然に書いた。
私は、良い悪いは別にして、小沢氏はカメレオンのような政治家に見える。
皆さんが、このエントリを読んで小沢氏をどう評価されるかは自由である。
ただ、「政治は数、数は力、力は金」だけは絶対に許してはならない。

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政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

小沢一郎氏の政治的スタンスはただ彼の行動に現れ、言葉には全く現れないと思いますね。
例えば小沢一郎氏にとっての普天間問題は彼の政治団体が辺野古周辺の土地を購入した、というのが全てであり、つまりは彼にとっての政治とは己が一身の立身出世と私利私欲を同時に満たすための手段に過ぎず、小沢一郎氏はその条件を満たしたいだけの機会主義者に過ぎないと思います。
小沢一郎氏の政治思想というのは分析するだけ無益な政治家としての外面を装うためだけの、虚しい世間体の木霊に過ぎず、言葉と行動は完全に分離してます。
高尚な政治的発言と実際の政治行動の矛盾を全く気にしない。
「高速道路完全無料化」と「完全無料化財源を使っての新規道路建設」といった矛盾などは全く意に介さず、そういう恥ずべき態度も、ともすれば「自分はそんな事を全く言っていない。」のような一言で責任を回避できると考えているような政治家というよりは悪徳ブローカー染みた矮小な人物です。
小沢一郎氏について右とか左とかいった分類は全くもって不毛であると思います。
このエントリーの御指摘通りの単なる(日本型)金権政治家の一人であって、その域からは一歩も出ない政治家だと思います。

投稿: ブルー | 2011/10/23 15:59

自民党であれ新進党であれ自由党であれ民主党であれ何であれ小沢一郎氏が自分自身以外のために、何かの党派や組織のために動いた事など、ただの一度も無かったのではないか、とも思いますね。
彼の欲得方向と党派方針が、たまたま合致すれば「剛腕」と呼ばれ、修復不能なほど乖離すれば「壊し屋」と呼ばれた。ただそれだけだと思います。
小沢一郎氏は「カメレオン」になりきれるほど器用な人間じゃない。
小沢一郎氏はおそろしく終始一貫していたのだ、と思います。
己が栄華欲得の追求という一点で。
現に「政権交代」において小沢一郎氏が果たした役割なぞ足を引っ張った事以外には何もないと思います。
参院選選挙公約との甚だしい矛盾であり(参院選前、小沢一郎氏は野党連合での政権打倒を公約としていた。)ただ党内に混乱を巻き起こしただけの「大連立」騒ぎ。
衆院選直前の建設業界からの不正献金疑惑発覚。
ハッキリ言って選挙妨害以外の何物でもない。
政権交代後も自分の事第一で、自党政権を批判してばかりで内閣スタッフに対しあからさまな非協力を貫き、自分の派閥を党内党ともいうべき規模に巨額の党費を使って育て上げ、その勢力を使って何と自党政権の倒閣に動くという始末。
アンチ民主党なら小沢一郎氏を応援した方がいい、と思うくらいです。
もちろん自民党支持者であれアンチ民主党の立場であれ政権交代礼賛の立場であれこんな人物を政治的に支持する事ほど馬鹿げた事はない。
彼の「政治」は他者を利するものではまるでないからです。

投稿: ブルー | 2011/10/23 16:40

小沢はマキャベリストだということですが、
「ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、
 その人物がどのような人々と付き合っているかを見ることである」
というマキャベリの言葉が、
小沢を評する上でまさに適用できると思います。

「豪腕」「対米自立の夢」・・・何だか、信じられません。
その辺があの「小沢真理教」と呼びたくなる人達の本当の動機なのでしょうか?
普通に見てるとあのオッサンは、肝心な時にいつもどこかに逃げる
小物にしか見えませんが。
選挙絶対主義を「真の民主主義」と称する欺瞞。
子分を簡単に捨て駒にする驕慢。
あの男を支持するのは、おかしいの一言です。

投稿: 鳩槃荼 | 2011/10/23 17:13

このエントリーで「反金権政治」という言葉を見た時、日本で「政治」という言葉を使う時には色々と区別が必要ではないか、と直感しました。
「金権政治」というのはそりゃ政治には違いないんだけど、例えば「民主政治」とか「政党政治」とか表現する時の「政治」とは政治のニュアンスが違うと思うんですね。
イデオロギーとか手法とかまあ、様々な分類がありますが、これが流通言語上では、例えば政治報道においてはですね、混同されがちなんじゃないかと。
混同しておいてですね、というか混同を当てにしてと言いますか、「政治は綺麗事ではいかない。」というレトリックを流通させようという勢力も現れるんですね。
「綺麗事」というからには程度問題を議論に乗せる訳ですが、程度問題とはすなわち許容範囲の話で許容範囲となれば所与の条件が先に来なければならないのですが、ニュアンス抜きの「政治」という言葉はこの所与の条件を曖昧にしてる事だと思います。
曖昧にしたままレトリックだけを一人歩きさせようとする。
個人の仲間集めも政治なら、二国間の外交交渉も政治である、と。
確かにそうなんだが上の二つの間にはそのメカニズムや手法や力学において明らかな違いがある訳です。
僅かな共通点が無いではないが、バンドメンバーを集めるように外交交渉をするという事ではない。
金権政治における「綺麗事」と民主政治における「綺麗事」はカテゴリーもニュアンスも違うんで、それを一緒くたにしたところに「小沢一郎待望論」なんかがあると思います。

投稿: ブルー | 2011/10/23 18:00

>私に言わせれば、それはもう信仰の域に達しているように見える。

一部の小沢信者の場合、もう信仰どころかすでに狂信の域に達しているようで。なにせこんなことまでする始末なので……。


182 :木道 ◆VEkb2cSbK2 :2011/09/24(土) 15:59:34.21 ID:/gDoTYnY
 こんにちはどぜう研。
 本当に大した事じゃないですが、先月末くらいに、「オザーワ・アクバル」と称する礼拝方法を書き込んだあとで、
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1314180164/291
 面白半分で、熱心な小沢信者の方に正式なイスラム礼拝のやり方で教えたんですが・・・
 今日の午前中、用事があって、その人の家に行ったら、思いっきり、そのままやってました。
 さすがに危ない予感がしたので、
 「あのー、それ、本当はイスラム教のアラーの神への礼拝方法で・・・」
 と、言ったら、
 「アラー? そんな邪神しるか! 小沢様が唯一の神である!」
 と、イッた目付きで断言されました。
 
 大した事ではないのですが、微妙に面白かったので、書いてみます。

198 :木道 ◆VEkb2cSbK2 :2011/09/24(土) 16:09:07.13 ID:/gDoTYnY
>>186-187
 一応、言ったんですよ。
 普通にイスラムの方に失礼だからとか、アルカイダみたいな人も居てねーと。そしたら、
 「その様に小沢様以外を神と崇める様な邪教徒は、我らが正義の制裁を加えるべきである」
 アルカイダの方々よりこの人の方が危なそうだったので、そっとしとく事にしました。

212 :木道 ◆VEkb2cSbK2 :2011/09/24(土) 16:17:50.35 ID:/gDoTYnY
>>199 >>205
 テレビじゃ絶対に映してくれないですけど、時々、強烈な人が居ますからね。
 なんで、テレビは映さないんだろう、偏向報道なのか?って思った事もあるんですが・・・

 放送コードにひっかるんだろうね、多分w

投稿: 774 | 2011/10/23 19:38

自分も小沢氏の構想に、部分的に賛同できる所はあったんだが(地方への補助金カット等)、上杉隆、岩上安身、自由報道協会とか郷原弁護士、江川紹子、労組、隠れ過激派など、取り巻きや信者たちがアレすぎて、小沢氏本人も特に突き放してはいないし、やっぱりどうしても支持する所まではいかない。

投稿: MOCHA | 2011/10/23 21:05

小沢一郎は政治家ではなくて単なる政治ブローカーです。
 

「どんな楯をも貫く矛」と
「どんな矛をも防ぐ楯」
両方を売る・・・政治屋(商人)です。
 
 

ただ・・・
米国では 一応
共和党 小さな政府
民主党 大きな政府
と言われていますが 結構クロスする大統領や政治家も居ます。
たとえば 共和党大統領ブッシュjrは熱烈な保守主義者からは嫌われていました。
 

ゆえに小沢一郎も
あんまり 右の政策や左の政策をマゼコゼにするからと言って目くじら立てることも無いのかも知れません。
 

皆さん
「嘘つきのパラドックス」
http://www.geocities.jp/guzuryu/USOTSUKI/ch1.html
というのをご存知ですか?
嘘つきはいつも嘘をついているものですが
「わたしは嘘つきである」
と言った時は”本当のことを言っている”のですからね。
(ものごとを厳密に規定しようとすると矛盾に突き当たるということ・・・)

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/23 23:46

●阿修羅 ~ 小沢一郎を本音で語ろう (依存症の独り言)(11.10.23)
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/161.html

 ご存知であれば良いのですが、小沢信者の巣窟である阿修羅で無断転載?されていますよ。
信者達は発狂しているようでw読売の記者に突っかかったチンピラ達と似てますな。
保守派のブログが転載される事がたまにあるのですが、「依存症の独り言 阿修羅」で検索すると、今回に限った話ではないです。
転載者は専ら「赤かぶ」なる者で、小沢信者から憎まれ役の道化を演じている者です。

投稿: カイワレ | 2011/10/24 06:25

人それぞれの思いがあり、見方が有ることを決して否定するものではありません。
しかし、共産党の独裁国家、未だに侵略を続け人権を踏みにじり、軍事力を増強し続ける覇権国家『中国』に、毎年数百人もの人間を引き連れてご機嫌伺い(叩頭)としか思えない訪問を繰り返して行なっている。豪腕なる政治家であれば東日本大震災、津波で壊滅的な被害を被った地元のためにその力を発揮すべきと思いますが、7ヶ月も経過した現在に至るまで何らそのような話を聞きません。(敵であるマスコミが無視して報道していないのでしょうか)。その上に明らかに政治資金規制法に反する犯罪を犯しながら、自ら民主主義を否定する醜い姿を見せつけられては、いくらなんでも大政治家とは思えません。カネにしても疑惑が多すぎます。

投稿: 道産子爺 | 2011/10/24 07:00

日教組とはこういうものだ!!!
http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/62858096.html

【関連情報】
【拡散】 日教組の戦略的反日偏向教育による洗脳の脅威
http://www.youtube.com/watch?v=NBZ7MQ7jHaM&nofeather=True
(動画)
教育は国家100年の計、ロシアや支那の共産主義
革命を目的に活動している日本政治団体、旧社会党、
社民党、共産党などと日本人社会の破壊者公明党の
今までの行いを見て自分自身の頭で冷静に判断して
下さい。
 現在の日本をこの様な反日売国団体である民主党政権
が推進している破壊活動により国民の自由や人権を
抑圧する共産主義、社会主義に向かって突進しています。
 この国日本を日本民族が守るために愛国系日本民族は立ち上がって下さい。
詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

投稿: 愛信 | 2011/10/24 12:01

欧米のキリスト教は「個人救済」(神を信じる者だけが救われる)の宗教ですが
日本の宗教は「集団救済」(日本人なら誰でも救われる)の神道です。
 

それが
封建社会では主君と家来の私的な忠誠を基本とする武家社会となり
氏神様を中心とする(農村共同体)村社会となり
現在では
系列で結びつく企業城下町となり
霞が関(官僚の)利権村社会
となっているのです。
 

つまり
西欧ではキリスト教や聖書を媒介としてローカルルール(村の掟)とともに村社会が崩壊して近代国家の道義に変換したのですが・・・
日本では絶対神も聖書も無かったので・・・
赤穂浪士と浅野内匠頭の主従関係に代表される「ローカルルールの社会」が現在まで残って国家規模にまで大きくなってしまっているのです。
 

これが
霞が関官僚が公務員(国家の公僕)であるのに自己権益にいつまでも執着し国家全体の利益を考えない理由であり
小沢一郎に代表される利権政治屋が自分の選挙区にのみサーヴィスを行い政治資金を懐にため込む理由なのです。
 

つまり日本の場合
ローカルルールの源泉は神道にあるのですから・・・
これを近代国家の道義(国民全体に奉仕する規範)に変えて行くのはなかなか難しいのです。

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/24 13:03

戦後間もなく政界を揺るがした、いわゆる造船疑獄事件。犬養健法務大臣の指揮権発動により からくも逮捕を免れたのが自民党幹事長 佐藤栄作氏でした。大物ですな。

贈賄側で逮捕された某造船会長は ちとばかり先輩のお祖父様、関西財界の大物でした。個人的な利益のためにやった訳ではないと、一回の収監くらい屁とも思ってなかったよう。

すべて無かったことにされた夜、検察庁の建物からは、期せずして「昭和維新」の歌声が上がったとか。

権門上に奢れども 国を憂うる誠なし

財閥富を誇れども 社ショクを思う心無し

同じ疑獄事件でもなあ…。取り調べる方も、取り調べられる方も、今よりはるかに格調がありました。法務大臣も、堂々たる?指揮権発動で、歴史の法廷に立ち、何とか地検・何とか支部の1地方検事の背中に隠れるがごとき、セコいマネはしませんでした。

小沢氏の言動は、本来は地方議員レベルの振る舞いでしょう。仕事取ってきて、何ぼのモン。バスを連ねて、国会議員の先生に会いに行く。握手・記念撮影・お食事会。ただ、今は行く先が北京になっただけで。

戦後六十数年、日本という一地方で 陳情政治ばかりやってれば こんな風になるという見本。そう言えば小沢派の集会で感極まって「導いて下さい!」と小沢氏を拝んでた女性議員がいたな。

フルボディの国家を体感した人は、もうほとんどいなくなってしまいました。

小沢氏が去った後に、ちびっ子ギャングとは?幼稚化の波は 止まる所を知りません。

投稿: レッドバロン | 2011/10/25 02:49

非常に分かり易い分析で、そうだと思う。

が、そんな紛らわしい男はいらないし、
かき回されるだけだと思うのだ。

少しでも不要な政治家には舞台を降りて貰いたいが、この男もその一人だ。

投稿: Pin | 2011/10/25 09:38

>レッドバロン殿
 
それは戦前には「天皇への忠誠」が近代国家日本の道義となっていた(戦後の残滓をも含む)
からですよ。
しかし
戦後 天皇の権威が後退すれば 旧の木阿弥・・・
 

もともと天皇は
神輿のようなものであり担ぎ手の方が主役です。
源頼朝なども後白河法皇を
「天下一の大天狗」
などと称していましたから、武家は朝廷にそれほど敬意を払ってはおりません。
 


日本の天皇は巫女や神官が起源ですから
武力で王国を統一した西欧などの王室とは成り立ちが違います。
それでも
英国民は国王を国家を束ねる象徴としては有用性を認めますが
政治権力としてはぜんぜん頼りにしません。
これが
日本(の保守勢力)とは違うところでしょうね。
(日本が民主主義の成熟度としては英国に200年~300年は遅れているということ・・・)

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/25 12:27

>柳生大佐殿

後白河法皇や頼朝の時代から既に八百年、その間、皇室と武家の関係は不変なのでありましょうか。北畠親房の「神皇正当紀」は?宋学や国学の影響は?明らかに正統信仰への殉教としか見えない北畠・楠木一族の死に様は?

将軍綱吉以降は(本当の尊皇かどうかは別にしても)京都の宮廷に敬意を払うのは武家の心得であり、一般に教養がある人間のマナーとなっていました。

大佐殿がご興味の忠臣蔵の発端となった浅野内匠頭・刃傷事件。勅使が見えている殿中の廊下を血で汚した、それが切腹を申し付けられる大きな理由の一つとなっていますね。

日本における公的な概念の発達は いずこの国とも似ていません。歴史や風土が違う訳ですから、当然の事で、西洋的というより、翻訳した抽象概念で自国の歴史を裁断しても、余り意味がないと思います。それこそ唯物史観が散々ぱらやってきたことで。歴史の一点からプロセスを無視して、八百年は幾ら何でも飛びすぎです。

英国の王様は 名誉革命の後、シャッポがないとどうも落ち着きが悪いというので、ドイツのハノーファー王家から借り受けてきたものです。議会から請われて即位しており、武力で成り上がった訳ではありませんね。、

欧州の王家は 日本の天皇家と全然成り立ちが違いますし、第一、王様より歴史も伝統もあって、家柄も良い?名門貴族が幾らでもいますから。参考にするのは結構ですが、どうやったらこれを対比できるのか、方法論そのものが、私には疑問です。

英国の議会主義は近世起源にして、近代デモクラシーよりはるかに古く、民主主義に対しては 対立的とは言わないまでも、懐疑的、少なくとも抑制的です。

英国人は 百人のコミニティでも直接投票は行わず、必ず十人位の代議員を選ぶと言われまています。時間と知識のある者に委ねる、代議制への揺るぎない信頼があるようです。
自分の生活で、(庭作りetc)やることが一杯あるということもありましょうが。

日本も英国も、別にデモクラシーするために 国があるわけではありませんので。一つのイデオロギーに過ぎず、有用ならば活用すれば宜しいのではありませんか。使い過ぎには、くれぐれも注意しつつ。

投稿: レッドバロン | 2011/10/25 17:07

>レッドバロン殿
日本の天皇の起源は縄文時代に遡ると思われますが
弥生時代あたりからは大陸の影響が入ってきていると思います。
大化の改新後の公地公民制は確かに中国式国家を目指したものですが・・・それも結局はグズグズとなってしまったのは 日本の古層が縄文文化に由来するということを示しています。
つまり日本史では
皇室と武家との関係は揺れ動いていますから
儒教的な武将が居ても不思議はない
ということですね。
 

西欧文化というのは「最初の普遍的文化」ですから
私はその分析法や民主主義などの論理を高く評価しております。
たとえば
映画「フーテンの寅さん」の車寅次郎と甥の満男が仲が良いこと・・・交叉の親族関係(異性の兄妹の子供同士)
は世界共通です。西洋であろうと 東洋であろうと 先進国であろうと 未開社会であろうと・・・仲が良い。
 
これを発見したのは
構造主義の泰斗で人類学者のレヴィ=ストロースです。
彼は
「世界のあらゆる文明には共通の構造があり
そこには優劣など無い。
ゆえに西欧文明が優れていると思うのは偏見に過ぎない」
と言っています。
 
このように
「あらゆるものごとを客観的に見られるようになった」
のは西欧文明が最初なのですから・・・
そこは尊重してしかるべきです。
 

お言葉ですが・・・
  人類が産んだ最も偉大な発明は「市場」である
  資本主義と民主主義はキリスト教が生んだ双子である
と言われておりますから
私はバロン殿よりずっと西欧デモクラシーを高く広範囲に評価しておりますよ。
 

英国の議会主義が完成したのは
19世紀後半のディズレーリあたりからと思いますが・・・
トーリー党(保守党):支持層は農民
ホイッグ党(自由党)・都市の商工業者が支持
・・・と輸入規制派と自由貿易派にハッキリ分かれていましたから切磋琢磨が行われました。
 

しかし現在の日本では
自民党の長期政権が続いたので
本来が保守政党の自民党がリベラルな政策まで取り入れてしまい 自民・民主どちらも同じような政党になってしまいました・・・これが日本の悲劇・・・

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/26 01:13

英国にも国民投票の制度はあります。
36年ぶりですが今年行われました。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110507/erp11050712450004-n1.htm

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/26 02:06

>柳生大佐殿

理性的なコメント、痛み入ります。

>公地公民制

確かに、大陸から輸入された制度で、日本では根づきませんでしたが、本家本元でも、法制史上はともかく、実体上は相当に怪しいです。

しかしながら、呪術的世界から抜け出して、天皇が公的な概念となったことは大きいと思います。以後一千数百年、建武の中興も明治維新も、日本の改新はこのスタート・ラインへに立ち返る「復古」を目指す運動となりました。

小沢一郎氏のような地方豪族が土地転がして私兵(小沢ガールズ&秘書軍団)を養う。都市部の知識人・市民から見ると、いかにもイメージが悪いのは、実にここに淵源を発していますね。

例えば、日本の武家は直接土地を所有しておりません。当家も江戸時代は千坪単位の屋敷を使用しておりましたが、(今でも入場料?払えば入れます)あれは公邸のようなもの。役職を離れれば無用の長物。土地所有に対する渇望とか、執着は全くありませんね。そんな事柄に興味が無いと言った方が正確かもしれません。

>西欧文明の普遍性

非常に大きなテーマですが、市場や学術・医療・軍事面についてはYES、 政治制度その他についてはイスラムその外の問題もあり、留保すべきでしょうか。

>キリスト教

資本主義については、キリスト教というより、むしろプロティスタンシズムとの関連に置き換えるべきかもしれませんね。マックス・ウェーバーが精緻な考察をしております。

また、資本主義との関連では民主主義というより、自由主義と呼ぶべきかと思います。最も厳格なプロティスタントは幼児洗礼を否定し、成人が完全なる自由意志の元に神に到達すべきものとしています。

正しい答えは判っていても、それを強制してはならない。自由がなければ正解も存在しなくなる。自分では何の努力もせず、神を信じすぎてもいけないのですな。日本人には解りづらい思想ですが、いわゆる小沢信者には小一時間ほど聞かせてやりたい思想です。

西欧の民主主義はここまで来るのに、血の海で溺れ死ぬ程の体験をしてきました。各種安全装置も備えるに至りましたが、副作用もなくその成果だけ、頂けるものなのかどうか?

アメリカ民主主義のようにべらぼうなコストがかかるシステムは他の国ではやれません。おまけに少なくとも四年に一年は大統領が選挙にかかりっきりで、国中が発狂状態。実質・世界の統治者がハンドルを握っていなという空恐ろしさ。

とりあえず圧倒的な経済力を持ち、覇権国家、基軸通貨国家だから出来ることで、あの仕組みは他の国のお役に立たないと思います。

出たい人より出したい人、その答えが英国では 議院内閣制、フランスでは大統領制官僚政治か?
各国色々工夫してやってます。

例えば、小沢一郎ではなくて、ここはさぞやご迷惑でも、坂殿に議席を持って頂くとする。そのためにはどういう屁理屈が?必要か。答えを出しておいて、逆算する。統治行為とは、それでしかないように思います。

教科書通りに議論積み上げても、結局、日本では理路整然と間違う!?教育をされただけですから。
残された時間は もはや余りに少ないと申し上げるべきでしょう。

投稿: レッドバロン | 2011/10/26 15:38

> レッドバロン殿、柳生大佐殿

社会、国家、政府における統治の規範につきましての御考察、異論はございませんが、いわゆる世界宗教、土着習俗、古代文明遺産が裏に表に絡み合って形成された経緯にも触れるのが宜しいかと考えます。

以前にですが、英国、欧州及び北欧の方(ビジネスマンですが)とチョッとした議論をしても、拠り所としていた厚い知見の集積に驚いたものでした。特に、宗教と云うものが個人においてどの様な位置を占めるのか、一般的な日本人には理解を超えるものでした。信仰と現実の折り合いを付ける葛藤が常に存在するとは、想像もつきませんでしたし。

すみません、特に何かの論を提示したものではないのですが。

投稿: ムフフ | 2011/10/26 17:36

>ムフフ殿

ご指摘の件、全部やると文明史の講釈になってしまいますので、何点か絞ってお話しします。

「義務について」抜粋

父母への愛の大切さは当然、我が子や親族、友人たちへの愛も、人間に取って大切な愛であることは間違いない。しかし、これらの全ての愛ですらも、実は祖国への愛の中に組み込まれているものなのだ。祖国が必要とするならば、そして、そのために貴方に起って欲しいと求めるならば、祖国に一命を捧げることに迷う市民はいないであろう。

元老院議員カティリーナに対する弾劾演説と並んで、ヨーロッパの高校生なら必ず訳させられるという、共和制ローマ時代最高の弁舌家キケロの一文です。

カエサルと共に、ヨーロッパ文明そのものと言って良いでしょう。

キリスト教以前にギリシャ・ローマの古典文化が成立しています。学者・研究者の論文ではなく、ローマきっての辣腕弁護士であったキケロの華々しい弁論術や、ガリア・ゲルマニアの地を転戦し、自ら見聞した情況を簡潔明瞭に綴った軍人政治家カエサルの肉声に直接触れることは…
若い人達にとって…大なる体験でしょう。彼らの言辞は古代文明の遺産ではなくて、今でも生きています。いや、ひょっとしたら死んでいるのはこちらで、彼らだけが生きているのかも。

ここから、D小沢やL鳩山は生まれるべくもないでしょう。彼らの演説?は、ラテン語には全然ないタイプですから。

>英国教会の代表的な賛美歌 I vow to thee…

日本では「木星」として、平原綾香が超無内容というか、ムード曲風に歌ってますが、本来はこんな内容です。

キリスト者にとっては 2つの祖国がある。

一番目は 英王国に、比類なき完全なる愛を捧げることを誓う。究極の犠牲も厭わないことを。

二番目は その国には軍隊も王もいない。忠実こそわが砦、受難を誇りとする。

こちらは現世ではもうない「神の国」なのですね。

第一次大戦で英国が膨大な犠牲を払った後に、この歌は作られました。ホルスト作曲。お聴きになると、少しだけ英国教徒の気分が解るような気がします。YouTubeにも収録があるようです。

イブリン・ウォー 「ブライヅヘッド再び」
西洋文明が神の存在証明にあるとするならば、この小説など代表例。吉田健一氏の名訳があります。 内容は別に堅苦しくなく、第一次大戦前のオックスフォードの学窓生活から始まる叙情的な作品です。英国の何たるかが、美しく、かつユーモラスに描かれています。
作者のウォーは英国におけるカソリックという特異な立場の人で、ここで文明を論じるよりも、ムフフさんにこの購読をお薦めしておきます。

英国もみんな国教徒になった訳ではないのですね。考えてみれば、当たり前のことが、日本ではなかなか判らないのです。

今、問題のギリシャには自称スパルタ人というのが、いるらしいですよ。

投稿: レッドバロン | 2011/10/27 00:29

今夜(26日)8時ごろ
イオンの女性マネージャーから電話があったので
「アウトレットは三菱地所と三井不動産がやってるから、テナント料収入をあてにする賃貸業なのは仕方が無いが、
イオンは小売業なのだから 海外展開よりも国内の販売促進にもっと力をいれるべきだ」
と言ってやったら・・・
「イオンも三重県桑名市の岡田屋という不動産業からです・・・」
と言われて「あらららら・・・・」でした(苦笑)。
 
「上司に伝えておきます」
とは言っていましたが
日本の大企業は責任分割の合議制ですから
誰が責任もって決断するやら分からないので・・・何時になるやら・・・
政治家の「前向きに検討します」と同じですよ。


西欧社会に民主主義が成り立ったのは
キリスト教の神が厳しいからですよ。
そこから
契約の絶対性と定価販売が生まれましたから・・・

イスラム教世界では
「何事もアラーの思し召し・・・」
ですから 神さまが契約不履行まで許してしまう。
 
つまり
日本の神道も多神教ですから
契約もあやふやで 道義もなかなか生まれてこないのです。
 
実は
仏教には先祖供養など無いのです。
だってそれは仏教が最も嫌う煩悩であり執着であるからです。
それがいつの間にか我々日本人が日々仏壇に向かって線香を手向けて先祖のために頭を下げているのは・・・
本当は神道の儀式になってしまっているからです。
(それほど日本人の行動様式を変えるのは難しいと言うこと)
 

余談ですが・・・
最近 例の 「エホバの証人」会館と論争になりまして・・・
これもどうやら「聖書の日本的解釈」によるものらしいのです。面倒だなぁ・・・
 

あ・・・
>「成人が完全なる自由意志の元に神に到達すべきものとしている」のは
米国民主党系リベラルの「自由神学」です。
共和党系はfundamentalismキリスト教原理主義です。
つまり
「聖書に書かれていることはすべて真実である」(進化論の否定)
「人が救われるのは神の義によってのみ・・・」
(人間には原罪があるのでいくら努力しても、神を信じないと天国に行けない)
ということですな。
う~ん・・・?
これが争点なんですよ。
(頭が痛いですよ・・・)

投稿: 柳生大佐 | 2011/10/27 01:14

政治家(あるいは武将)は真面目で正直なだけでは駄目で、ときに権謀術数は必要だけれども、権謀術数のみでも駄目で、人の心をつなぎとめる誠実さが必要、ということですね。これは受け売りの文章でして、海音寺潮五郎著「日本名城伝」の岐阜城・斉藤道三の項に書いてあることです。
 自民党時代、金丸信から首相就任の要請があって、それを断ったとき、私も小沢を凄いやつだと思いました。自民党を離脱して野党連合を組み、細川連立政権を作ったときも凄いやつだと思った。しかし、その後はまるで成ってなかった。彼はいったい、何をしたいのかな?という疑問ばかり。自自公政権を作ったとき、私は小沢と言う人物を全く信用しなくなった。この点は坂さんと同じです。
 小沢は西郷隆盛を尊敬していると度々表明していますが、西郷さんの生涯について一冊でも本を読んだことがあるのかな?という疑問は深まるばかりです。時々、権謀術数が破れて地位を失い、「一兵卒としてがんばる」と反省を口にしますので、その言葉に期待をしたこともありますが、仏の顔も三度まで、こないだの菅内閣不信任案の際の挙動不審で、彼は自らの政治生命に終止符を打った、と考えざるをえませんでした。
 彼も、もう古い人、日本の政治に不要な「過去の人」なのでしょう。とっとと引退して後進に道を譲り、慈善事業をするなり、書き物をして過ごすなりしたほうが良さそうです。

投稿: 平野国臣 | 2011/10/27 12:12

> レッドバロン殿、柳生大佐殿

社会、国家、政府における統治の規範につきましての御考察、異論はございませんが、いわゆる世界宗教、土着習俗、古代文明遺産が裏に表に絡み合って形成された経緯にも触れるのが宜しいかと考えます。

以前にですが、英国、欧州及び北欧の方(ビジネスマンですが)とチョッとした議論をしても、拠り所としていた厚い知見の集積に驚いたものでした。特に、宗教と云うものが個人においてどの様な位置を占めるのか、一般的な日本人には理解を超えるものでした。信仰と現実の折り合いを付ける葛藤が常に存在するとは、想像もつきませんでしたし。

すみません、特に何かの論を提示したものではないのですが。

20111027
> レッドバロン殿、柳生大佐殿

博識のお二方にそれぞれ、西洋文明やイスラム教や仏教(日本教)の係りにおける注目点?について述べていただき、御礼申し上げる次第です。
小生はそれ程の知識は無いので、できるだけエッセンスに還元して考察するようにしておりました。それは、

西洋において造り出された? 一神教の西洋文明への影響と土着の習俗の折り合いが、日本とは随分と違うものであるとの認識です。

大多数の西洋人はキリスト教他の一神教の信者であり、更に神を信仰していないと言う方々も、神の存在は肯定する、或いは敢えて否定する等の 「絶対的な存在」 を前提とした相対的な位置付けや関係として物事を捉える。

それに対して日本人は、全てを(八百万の神々から仏様や天皇陛下までも)を相対的に捉えると。

→ 神道であれば イザナギノミコト の辺りが造物主ですが絶対神とはならず、仏教であれば仏陀が開祖でありますが絶対者とはなっていません。 
  尤も、仏教も人が造ったものですから、絶対的な存在から自由とはならず、ダルマ をその位置付けとして、解脱を目指すとなっております。(古代インドの宗教群に共通するものですが)

そのような中で、日本も西洋も土着の習俗と 融合させながら or 折り合いをつけながら、今日に至っていると考えます。

日本では、柳生大佐殿が論じられていらっしゃる通り、融合させ、しかも日本古来の様式や考え方に変質させてしまっていると。

→ 先祖の供養もそうですし、読教や極楽浄土や怨霊降伏なんかもそうです。日本人は経文というと直ぐ唱えるものと思ってしまいますし、極楽浄土を死後に行く世界と思ってますし、僧侶に拠る怨霊降伏は空海(密教の開祖)を筆頭として当たり前の事でお寺に行って護符をもらうと。

西洋では、聖母マリアを始め数多くの守護聖人を生み出し、復活祭等の数々のお祭りを教義に沿ったものとして、信仰との折り合いをつけて行ったと。

→ かなりの部分の風習は、ガリア人とかゲルマン人の土着の習俗に由来するとの事。そのような基礎的な知識?素養が無い日本人が、歌劇トリスタンとイゾルデ(チョッと古いか)やナルニア国物語・指輪物語は理解しきれないと思います。(あらすじの理解を越えての領域)

しかしながら、その土台となったギリシャ文明や古代ローマ文明の遺産とは、なかなか折り合いがつけられず、ラテン語にて残っている中世ローマ帝国の遺産までがその範囲ではないでしょうか。

:注
  近年、死海文書他の研究が進み、キリスト教の成り立ちが解明されてきてはいますが、人間が作った宗教と云う見方が西洋人によって肯定されることは無いと考えます。 あくまでも、預言(神の言葉を預かった)が元になったもので人間が及ぶものでは無いとの立場は変わらないでしょう。

> レッドバロン殿、

本のご紹介、ありがとうございます。機会を見つけて読もうと思います。

:追記
  中国人も日本人と同様に全てを相対的に捉えますが、自己のみが唯一無二の絶対者と思い込むのがその特徴ではないでしょうか?...(笑)

投稿: ムフフ | 2011/10/27 17:21

>ムフフ殿

仏教は 中国経由で 日本に入って来ていますので、日本仏教の原型は中国仏教かと。位牌に戒名を書いたり、先祖供養するのは儒教・道教流。仏教が中国で生きる唯一の道であったか?お経にしても、あれはサンスクリット語の漢語読みです。

神道というのは、これまたユニークな存在で、誰か亡くなった家の人は鳥居を潜れないという…死に対してまったく無力な、変った宗教?です。個人の救済は想定してないので、共同体のお祭り向き。仏教だとみんな宗旨が違うので、一緒に地域の行事やれません。

旧約・新約聖書共に 現在キリスト教で使われているテキストはギリシャ語訳が基になってます。ご存知かもしれませんが、ローマ時代の共通語はギリシャ語でした。(イエスの時代には既にユダヤ人はヘブライ語が読めない状態でした。)ユダヤ人は商業民族ですから、本国以外のアレキサンドリアやアンティオキアなど国際貿易都市に多数進出しておりました。今の英語のように、広く読まれる為にはギリシャ語で書くのが一番だったのです。

したがって、キリスト教には 最初から ギリシャ語の語彙や哲学性が侵入しております。有名な冒頭の、私は始まりであり、終わりである(αでありωである)は、よくギリシャ哲学そのものと言われてます。勿論、基調となっているヘブライズムのオリジナリティを否定するつもりはありません。

中世の聖職者達が いかに異教的要素から一般信徒を遠ざけようとしても、自分たちはギリシャ語聖書やラテン語典礼文を読み、プラトン哲学で神学を構築していた訳ですから、不思議な光景ですよね。

恐ろしいもので、元々が多神教的で豊穣なる文化を生んだギリシャ語・ラテン語はモノを対比させ、相対化する傾向があります。少なくとも、自分を絶対視するような愚かな作業には向かないバックボーンを有してます。

静かな 中世の修道院の奥深くで 写本に励んだ僧侶の精神の中にも近世は胚胎していたと見るべきではないでしょうか。
ギリシャ・ローマ文明とキリスト教と、各民族の文化や習俗が、時代により、地域により、ジャンルにより 少しずつ配合のバランスを変えていったのがヨーロッパではないでかと考えてます。ナチスでさえ、純粋アーリア人文明なんて、真剣に考えていたとは思えません。

オーストリアや南ドイツの田舎道に佇む聖母マリア像には 確かに、日本のお地蔵さんの姿を思わるものがあります。供えらられた野の花に、心打たれます。

ムフフさんの習俗論に、一点だけ加えるとすれば、あれは地元の素朴な母の姿を象ったものではない。聖母マリア像は、ギリシャ・ローマの彫像の美意識をどこかに湛えています。だから、ゲルマンの野蛮人(失礼!)や東夷から来た異教徒の胸をも深く打つのだと思います。教科書には書いてありませんが、人を帰依させるのは宗教だけではない、文明もまた然り。

したがって、ローマは 今でも二重の意味で、世界の都であり続けています。

我等が東洋文化圏なら、さしずめ洛陽か・はたまた長安の都か…。こちらはもなあ(歎息すること三度)零落ぶり甚だしく、いい加減、何とかせねばです。

投稿: レッドバロン | 2011/10/28 00:41

> レッドバロン殿

仏教とキリスト教についての別角度から見た御考察、ありがとうございます。勉強させていただきました。

で、スレのテーマの「小沢氏を語る」からは、かなり離れた所に来てしまったように思いますが、小沢氏を生み且つ行き詰まっている日本というものを理解するひとつと考え、話をチョッと進めてみようと思います。

さて、男爵殿のご指摘の通り、日本の仏教は中国を経由して入って来ており、中国仏教が原型であるのは確かですね。当初に伝えられた天台宗は大乗仏教の典型ですが、真言宗の方は密教が主であり、道教の影響を受けているのではないかと思います。
注 : 天台宗にも密教は有ります。

それで、インドから中国に伝わった時点で、上座仏教は主流ではなく大衆仏教(大乗仏教)が主流だったと言われております。それは、宗教としての勢力拡大(教団、宗派の強化)と政治の利用に都合が良く、更に新興宗教(ヒンドゥー教:発祥の元は同じ古代インド思想)に対抗する為にその形を変化させていったと思われます。

この様な経緯の中で、土着の習俗に染まって行った最終型が日本の仏教かと。法華経系列の霊友会・創価学会・立正佼成会や真言宗系列?の真如苑や阿含宗なんかは如何でしょうか? 教団の現行指導者は強力としても、絶対的存在は置かず全て相対化してしまうと。

同様にインドも結局は土着の習俗を色濃く反映したヒンドゥー教が主流となり、一神教のシーク教や厳格な戒律のジャイナ教は少数派となっているようです。

この様な、土着の習俗が強くて一神教がマジョリティーとならない国や地域では、「力=Power」に拠る表からの支配に対しては、特段の理由がなくても人々の間に自然と反感が形成されてしまうものではないでしょうか。

つまり、同一の絶対的存在を長く許容できない...諸行無常の理を信奉する日本人が何時までも小沢氏を絶対権力者と位置づけて行く訳はなく、ミンス党内でももう一度ぐらい小沢氏を利用したらポイするのではないかと見ます。

更に付け加えて言えば、小沢氏当人がそれを予感しながら耐え切れずに、裁判の冒頭で述べた様な訳の解らないものへの対決姿勢をとってしまったと。...下手に出た方が裁判官の心証と世論とに対して有利と分かっていながら。

投稿: ムフフ | 2011/11/01 16:48

> レッドバロン殿

キリスト教がローマ帝国で国教としての地位を形成し始めた辺りから、教団としての組織が固められ、ギリシア語からラテン語への置き換えが進められた模様です。まぁ、三位一体説の議論もギリシア語の翻訳が争点のひとつとなっていましたし。

この三位一体説も、キリスト教が一神教として有り続けるためには必要とされ、正統な教義となるのに至ったと間が生ます。
...父なる神、イエス、聖霊が別々の存在としてイエスも絶対的存在としたら多神教になってしまいますし、イエスを単なる預言者としたらユダヤ教との差別化に苦しみますし。

この唯一の絶対的存在を前提とした一神教がマジョリティーであるのが西洋社会の特徴を生んでいるものと考えます。この絶対的存在の為、土着の習俗は融合せずに何らかの形で折り合いをつけるものと。偶像崇拝は許されないとされながら、母性への崇拝は聖母マリアへの信仰として折り合う(イコンが崇敬の対象として許容されたのと同類?)とか土着の神が守護聖人として形を変えて崇敬の対象となるとか。
...ミラノやフィレンツェのドーモの屋上に登れば、数多くの守護聖人の像が立てられているのを見る事が出来ます。

この様な絶対的存在を認める一神教がマジョリティーの国や地域では、「力=Power」に拠る表からの支配が絶対的存在に対するレジマシティーが明確に関係付けられる限り、続いて行くものではないかと。
その為、飽くなき闘争が続くのが社会として当たり前という感覚に至るのかなと思うのですが。

投稿: ムフフ | 2011/11/01 17:31

密教を学ぶのは空海が渡海した頃がラストチャンスでした。その後インドでは勿論、支那でも密教は消滅しますので、なかなか原型を想像するのは難しいです。

密教はご存知の通り、お釈迦さんの没後に生まれた別系統の仏教です。大日如来を宇宙の中心とする一神教的な面と、金剛界・胎蔵界の二元論・或いは多元論的な宇宙を想定していて、非常に高度な思推力を感じさせますね。

私自身は道教の方が 現世利益として密教の使える部分をうまく飲み込んだ感じがしています。空海は今でいう比較宗教のような知的作業が得意な人で、長安の文学サロンでは、華麗なる四六駢儷体を駆使して詩文が書けた人ですからね。土臭い道教は歯牙にもかけなかったと思います。

確かに、大陸に残っている道教と、現今の密教は共通性があるように見えますが、前述のような事情があるのではないでしょうか。

真言宗は有名な孔雀明王の業をはじめ、日本では珍しく南インド的な色彩を残しています。勿論、宗派としては 最初は天皇・公家向け、後には民衆への祈祷サービス業と化したのは、他宗と何ら変わりがありません

五木寛之先生ではないけれど、一木一草といえども成仏出来る、と言ってしまうと、あらぬ誤解を招きます。日本の仏教界はその辺、放置のしっぱなしですね。異端者の追放も火炙りもない代わりに、ムフフ殿の言うところの、無限の習俗化が始まります。カトリックの公会議のようにテキスト(教典)を確定する絶対的権威もなく、さらには相対主義とか多次元論を超えて、まったくのテキトー化する要因になっています。

武家と禅宗、国家主義と日蓮宗、この辺だけが多少なりとも社会に対して緊張感を持った結びつきだったかも?

ことに昭和に入ると、井上日召らの血盟団事件、神兵隊事件、五・一五事件、さらには二・二・六事件のイデオローグ北一輝、満州事変の立役者・石原完爾など、テロや直接行動に踏み切った者の多くが、日蓮宗徒なのはけっして偶然ではありませんね。日蓮宗には一神教的な面があるのと、国家的な危難を想定する、一種の終末論が行動の梃子になるせいでしょうか。

それで 小沢一郎ですが、民主主義の危機と訴えております。その通りでしょうね。日本における民主主義は、彼にとっては談合政治なのです。それに、大半の日本人にとっても実はそうなのでは。

日本における仏教を仏教ではないと否定できないように。(個人的にはオリジナルの仏教はほとんど無神論に近いと思いますが。)それを生成・発展と見るか、習俗化・土俗化、或いは腐敗・堕落と見なすか、そこは一口に言えないところが難しいです。

ただ、日本においては 民主主義という言葉だけが、別格になっているのが気になります。資本主義、社会主義、国家主義、軍国主義,封建主義…etc。と、何ら変わることがありません。それぞれに真っ当なモノもあれば、そうでないのもある。どれもバランスが崩れれば倒壊しますし、何主義であろうと、それを滅ぼすのは、内部矛盾です。

そう言えば、小沢一郎という人から個人的信念とか覚悟を聞いた覚えがありませんね。あっちのオーダー、こっちの陳情を足して二で割ったり、三で割ったりしているだけで。

高温多湿な日本で民主主義やれば、田中角栄になり、竹下になり、金丸になり、小沢になる。勿論、彼らを毛嫌いするDNAも日本にはあって、執拗に彼らを狙い撃ちしてますが、こちらは試験で選ばれた人達ですね。民主主義とは余り関係がありません。

そもそも 普通選挙始めてから、日本にどういう良いことがあったのでしょうか? 信仰告白はともかく、未だかつて具体的な話を聞いたことありません。今の教育やマスコミのレベルで、民主主義やってたら、うまくいったらお慰み…。

小沢氏が好きだという映画「山猫」では、山猫が去ったら、その後にはハイエナが来たと、バート・ランカスター演じる老公爵が語る印象的なシーンがあります。

投稿: レッドバロン | 2011/11/02 17:55

> レッドバロン殿

博識の 赤男爵殿 には及びませんが、私も同様に思うところが多いです。

ただ、宗教のバックボーンとなっている哲学を適切に理解するのは難しく、しかも日本人としての様々な刷り込みが入っている状態では、本当のところは何? と思ってしまうことが多いです。

例えば、ダルマ(法)とタオ(道)の違いは? 精神世界の認知を主体としたのが「タオ」と捉えて良いのか? それは、日本人が「道」を修養の方法として様々な物事に展開してまっているという源氏の影響を受けた為、そう思ってしまうのか? とか、自問自答に陥ってしまうことがあります。

それに較べると現実世界の問題は明確です。男爵殿の

> 今の教育やマスコミのレベルで、民主主義やってたら、うまくいったらお慰み…。

は、全くその通りと思います。今のままでは、マスゴミの煽動に乗せられ、いつか来た道を再び辿ってしまうのではと思うばかりです。

小沢氏の政治資金の出所やその使用先や記帳を云々するよりも、小沢氏の政治姿勢、政治資金を使って何をしようとしたのか、またそれらは日本をどの方向に向けてしまうのか? を適切に捉えて批判するべきと考えます。

→ 政治資金を集めて、多数の国会議員を擁して、権力を掌握して、一体何をしようとするのか?
  寡聞にして、軍事プレゼンスの伸長著しい中国を前にした国防論、GDPを超過する財政赤字への対処方針、崩壊しかかっている医療・年金制度の立て直し方針、官僚制度見直し論等々、聞いた事が有りません。

目的を表明せず軍事力を蓄える中国が信用されないのと同じ構図です。

更に、宇宙人首相、空き缶首相と続いては、金権とか蓄財と騒ぐより、そのような諸問題に対処する意志や考えを持たない政治屋を選んだ国民自身が最初に恥じなければならないのでしょう。

投稿: ムフフ | 2011/11/04 15:00

>ムフフ殿

キリスト教社会について
>飽くなき闘争が続くのが社会として当たり前の感覚

そもそも聖書には 人類が自らの手で平和を創り出せるなどとは、一言も書いてありません。

ご存知の通り、ヨハネの黙示録には 王は王に対して、国民は国民に対して立ち上がる、いわゆるハルマゲドンの記載があります。諸国民の大いなる嘆きの中を救世主が再臨する。逆にその時が来るまでは、けっしてこの世は終わらないとありますね。

何十億年後の気の遠くなるような未来に、一切衆生を救うべく降臨するという弥勒菩薩とは決定的に感覚が違ってます。キリスト教においては時間もまた神が創り給うたものゆえ。

思弁能力としてはインドが最高、ギリシャが二番目、原始キリスト教なんてまったくローカルなもので、ローマの知識人はカルト扱いしてました。三位一体説なんて冗談としか思えないし、マリア信仰に至ってはムスリムでなくとも、唯一絶対の神に母がいるのか?と突っ込みを入れたくなるようなもの。

ローカリズムも極まったと思われるプロテスタンシズムの「予定説」ですが、しかし、その効果は恐るべきものがありました。修道院の規範を一般信徒にまで拡張したカルヴァニズムと共に、マックス・ウェーバーの論ずる通り、これなしには近代資本主義は成立を見なかったでありましょう。

ムフフさんは power と仰せになったけど、これは武力や暴力に限りませんね。思想的な徹底性…穏当な見解ではなく、容赦のない判断だけが人を叩き直す、と申し上げるべきでしょうか。

神の全知全能からして、信仰さえもはや問題ではなく、救われる者は最初から決まっていて、この世で既に明確な刻印を持って生きているはずだ。空恐ろしい思想ですが、納得するものがありますよね。確か、聖書にも「彼らは既に罰せられてしまっている」と書いてある。

坂さんのブログにしばしば登場するサヨクや小沢信者の問題も、人は自分に相応しいものにしか出会わない、と考えると、この問題の深淵が解るというもの。

明治政府は 神仏混合した状態の一般倫理で 近代社会の成立を見るのは難しいのが、直感的に解っていたでしょうね。諸行無常では新興国家のバックボーンたり得ません。その分、「万世一系」で「無私」なる天皇に大変な役割を担って頂きました。明治国家はキリストなきプロテスタンシズム国家と言われる所以です。

投稿: レッドバロン | 2011/11/04 15:19

今晩は、

きょう、有楽町駅前であったTPP反対演説会に、川内氏、三宅雪子氏、小林興起氏、田中康夫氏、原口氏などがズラッと揃ったのを見て、小沢さんを連想してしまいました。(浮かんだだけです、ただフッと)

音が、よく聞き取れなかった部分が多かったのでアレなんですが、皆さんの発言は、アメリカがどんなに危険な国かを強く言っていたように感じました。
アメリカの食品は危ないとか。

おいおい、じゃチャイナや韓国はどうなのよ、なんでアメリカだけなのよ・・・と突っ込んでました私。
こういう、現内閣への熱意のこもった反対意見、野田さんにぶつけるべきではと思いました。

動画に付いたコメントにこういうのがありました。
●30年間中韓に貢いでおいて米国にはノーてか。
●民主党にとっては、中国に日本を売りたいのが本音だ よね。

消費者なんとかの方は「日米同盟を破棄して日韓同盟を締結しよう、連携するなら親アジア」とか叫んでましたが、私は日韓よりかアメリカのほうが良いです。

投稿: だめこ | 2011/11/05 23:55

> レッドバロン殿

小生の拙い考察に対するレスポンス、ありがとうございます。

私は日本人一般程度の無宗教者ですが、男爵殿もコメントから察するに無宗教無神論者ではないかとお見受けします。

三位一体説や聖母信仰に突っ込みを入れたくなるとのお気持ち、私も充分に解るつもりでおりますが、強い信仰を持つ方々と議論? した経験から、私には理解不能な精神世界が有り、それが現代を形成するのに大きな役割を果たしてきた(主に西洋にて)との実感を持つに至っております。

私や男爵殿が信仰を議論しておりますのは、「神を信仰する方々」に対して、また「神の説く理」に対してであり、その妥当性や整合性を云々している訳でです。 しかしながら、信仰と云うものは「神」そのものの存在でありお力を疑う事無く全てを受入れる事であると、教わりました。 

例えば、神の説く理が正しいと思えるので信仰する...それは誤った信仰であり神に対する不敬な態度であると。人は、神の存在と神の御技を判断する立場には無く、能力も無いと知るべきと。つまり、理の世界ではないものを信じ斬る事が信仰となる訳です。

予定説も誤って理解されており、最後の審判で神が救うべき人が決まっているのではなく、神を信じて救われた人が善行をおこない、神はその救われるべき人がお判りなのだと。

この様な、強固な一神教への信仰と、物事を相対化して捉えてヒューマニズムが同居し、合理を追求するという、西洋人の心の世界は、私には理解不可能と思った次第です。

まぁ、戒律中心で御都合主義を受入れるイスラム教の方が親しみやすいですが。

同様に、日本人の信仰世界も難解ですので、真の相互理解は無いと銘すべきと思います。

投稿: ムフフ | 2011/11/08 17:32

>神を信じて救われた人が善行をおこない、神はその救われるべき人がお判りなのだ・・・
 

違う!違う!
 

人にはみな原罪というものがあり、いかなる善行を行おうとも、それだけでは救われない。
 

さらに
新約聖書 ローマ人への手紙2
3ー10
正しい者(義人)はいない。一人も居ない。
3-20
なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされないからです。
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
 

ローマ人への手紙2
3-21
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
 

3-24
ただ、イエス・キリストによる贖(あがな)いの業(わざ)を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
 

3-28
なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
・・・と書かれているからだ。
しかし
「エホバの証人(王国会館)」は別の解釈をしているようですが・・・
 
 

まぁ・・・日本仏教でいえば・・・
悪人正機説(親鸞)
仏教において大事なのは行ではなくて信である
 

・・・と同じようなものでしょう。

投稿: 柳生大佐 | 2011/11/08 22:15

> 柳生大佐殿

レスポンス、ありがとうございます。 それで、

> 違う!違う!

とお書きになったのは、何か誤解をしていらっしゃるのではないでしょうか? 大佐殿がお書きになった「原罪」や「律法の遵守のみでは救われない」は、私もその通りに教わっております。...但し、善行についての見方がチョッと記述しきれていないようにお見受けします。

私がその部分を記述した目的は、予定説に因る誤解に対して述べたかったからです。これについては、二十数年以上昔になりますが、スポーツを通してある神父様(牧師様ではないです、念の為)と知り合い、キリスト教について疑問を尋ねところ、色々と教わった知見から記しております。

...神父様は欧州出身ですが私より日本語が上手で、それを褒めると「貴方よりも長い期間、日本語を話して読んでいますから」と軽く切り返されました。まぁ、三十数年も滞在していればそうなるのは当然で、おかげで、日本語で突っ込んだ話が出来たのですが。

それで、私が記しましたのは予定説に対する疑義の、

全知全能の神は全てを見通しているとしたら、審判の日に救われる者は予め決まって(判って)おり、いくら良い行いを積んでも
無駄ではないのか?

に対する答えを聞いたのを簡略に書いたものです。(一字一句覚えていた訳ではないのですが)
記憶している要旨は、人は神への信仰に因り(救われて)善行を行うもので、救われる為に積む善行と云うものは無い とか 全知全能の神が見通すのは、その人が救われるかどうかではなく、その人が真の信仰を持っている(救われるべき)かどうかです でした。
...たぶん、カトリックでの一般的な答え? エホバの証人とかギリシア正教になったら全く違うのかもしれませんが。

まぁ、その時から今に至るまで、西洋人の心象世界、

理の外にある神を絶対的に信じながら、且つ理を求め信じ、人間性(原始的感情を含む)も持つという 

は理解不能と思っている次第です。

投稿: ムフフ | 2011/11/09 14:03

>柳生大佐殿
>ムフフ殿

原罪論も予定説も 聖書から直ちに出てるものではないので…神学上の定義ですし、議論を始めたら大変。ただ資本主義を生み出したヨーロッパ文明を理解する上でのプロトタイプとして提示しました。

>無宗教・無神論者

あっ、そう見えますか。キリスト教をはじめ歴史的な存在としての宗教には敬愛の念を抱いていますし、周囲にはクリスチャン(それも三代、四代目とか)のご家庭も多いです。

三位一体やマリア信仰に突っ込みを入れたのは 一神教としてはかなり怪しい部分を持ったキリスト教が一神教であることを懸命に守ろうとしている。多神教の民としては余り問題でない事に多大なエネルギーを費やしているのに可笑し味を感じたからで、ムフフさんのような真面目な人にはいけなかったかな。

私の家は 先祖代々の菩提寺は臨済宗、引っ越してからは近くに臨済のお寺がないので、家族の墓地の関係上、真言宗。諏訪神社の氏子でもありますな。自己定義は興味ありませんが、多分、平均的な日本教徒?でしょう。

知人には個人としてはカトリックだけど、某寺の檀家総代という人もいますよ。日本では珍しい事ではなく、個人の信仰と永く続いた家の惣領としての勤めは別。

また私の旧約聖書の知識の卸し元の先生は 当然 聖書の成立過程を学術的(科学的)に研究していましたが、同時にクリスチャンでもありました。先生のお父上もクリスチャンで海軍の将官、なおかつ理学博士の学位を持つ科学者でもある。

この3月亡くなりましたが、古代人が信じたように神を信じると仰せでしたね。

一元主義というのか、ソ連が人間衛星を初めて飛ばした時に(宇宙に神はいなかった!)と高らかに宣言していました。見えたら神ではなかろうが!?原理主義は両極ともに似ていて、幼稚です。

個人の信仰や祈りは、そもそも何人も足を踏み入れるべき問題ではありませんが、少なくとも外形的に宗教を理解しておく努力は無駄とは思いません。米国大統領の属する宗派も知らないで外交やってる、恐るべき国もありまする。

ムフフさんだって、相手の宗教を確認して弔電の一本位打つのではありませんか?それだって、立派な宗教的言辞ですよ。

小沢氏の一神教批判は感心できませんし、野田「ドジョウ」内閣もなあ。ドジョウはユダヤ教やイスラム教の禁忌食物の一つです。キリスト教ではそれは無いけど…余り良いイメージはありませんね。

どうせ世界中の誰も注目してないという、うら寂しき秋の夕暮れ。

投稿: レッドバロン | 2011/11/09 17:05

>ムフフ殿
 

そうですな・・・
 

カルヴァンの予定説も16世紀のキリスト教新解釈ですから
”すべてに絶対”とは断言できないでしょう。
 

ただ私は
たとえば 死刑囚の死刑執行の前に神父なり牧師なりが教誨師として懺悔を聴くでしょう。
 

まぁ・・・
私は当事者ではないので詳しくは分かりませんが
「法律は許さないが 神は(今)お許しになった」
と述べると思うのです。
 

そこにこそ
神と宗教の存在意義というものがあると私は思うのです。
(許せないことを許すのが神であり仏である)
 
 

まぁ・・・仏教にも
阿含宗(小乗)・・・修行が大事
浄土真宗(大乗)・・・信仰が大事
の対立がありますから・・・・

投稿: 柳生大佐 | 2011/11/11 10:48

> レッドバロン殿

すみません、私が思う日本人一般の信仰程度を元に、男爵殿を無宗教・無神論者ですか?と尋ねてしまいましたようで。
やはり、西洋の方々の忠告通り、「他者の信仰にコメントしてはいけない」の見本となってしまいました。

...逆に言えば、日本人の通例は信仰にそれ程拘っていない? と言えるのでしょうか。例えば、日蓮宗の信徒が心の底でキリスト教徒を仏敵とは思っていないようなものと。(西洋でのキリスト教徒は異なる一神教の神をいただく信徒は心の底では敵とみなす傾向が強いと思います。)

で、私は日本人の一般的な祭祀行動に従っていますので、何らかの信徒と言えなくはないのですが、突き詰めて考えると信仰ではなく習俗に従っているだけと言えます。

父方は神道ですし母方は曹洞宗ですので、お盆や葬祭なんかは二通りの祭祀儀礼に従っております。また、家内の友人は洗礼を受けた人が多く、カトリック式を横目で見ております。

つまり、習俗の所以たる「周りの儀礼に合わせよ」の実践と言えます。ですから、西洋人一般の基準から言えば信仰は無いと言えましょう。但し、彼らには無宗教者と思われると色々と厄介な事が起きてきますので、仏教徒と言っております。で、彼らは仏教徒は神を信じる者ではなく「教え」を信じるものとして敵視までには至らないと。まぁ、イスラム教徒は同じ神をいただくと言っておりますがキリスト教徒からはその様な認識はされず、異なった神をいただく者として心の底では信じられないと言う方々が多かったように思います。

まぁ、田んぼの中のドジョウはそんな事は関係なくスイスイと泳ぎ回れるものと思っているのでしょうが。

投稿: ムフフ | 2011/11/11 17:12

> 柳生大佐殿

私はカソリックの方(神父 : Father ×××)としか話した事が無いのですが、プロテスタントの方(牧師 : Brather ○○○)でしたら、予定説をどの様に解説するのか興味深いです。特に、プロテスタントの考え方は、人と神の関わり方が限定的なものとして捉えているように感じますので。

それで、

> 許せないことを許すのが神であり仏である

う ~ ん、至言ですね。 「人を許す為に神は存在する」、確かに そう言い得るものと思います。

投稿: ムフフ | 2011/11/14 17:02

>ムフフ殿

確かに 日本では他宗を批判する方が例外的ですね。ウチの近くの真言宗の坊さんも「元はみんな一つですから」と言ってます。

お釈迦様の仏教と密教は系統が違うだろうが、と突っ込みを入れたくなりますが、多にして一、一にして多という感覚はけっして悪いことではありません。世界中の宗教がその辺で共存できれば何よりです。言うだけ無駄でしょうが。

一神教でも古い方から順番に、ユダヤ教からカトリック、プロテスタントでも老舗の方は何とかなりそうですが、ファンダメンタリストを抱えるアメリカ発のプロテスタントとイスラム教の一部にはそんな冗談さえ許されない雰囲気があります。

無宗教は無神論ではないですし、欧米やイスラム社会に対して、逆によほどの確たる信念の持ち主でない限り自称?無神論者はやめた方がいいように思います。

ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が銃殺されたのはクリスマスの日でした。そんなおめでたい日に殺さなくとも、と思いますが、これが日本教徒の感覚ですね。その後の臨時政府側の説明に驚きましたね。アンチ・クリストの徒を処刑したと。

岩盤のごとく思われた社会主義体制に裂け目が生じた途端に ヨーロッパの歴史の底を流れる何か本質的なものが出てくる、戦慄が走る一瞬でした。

ちなみに、ボリシェビキに殺害されたニコライ二世は 今やロシア正教の聖人に列せられ。あちらは歴史の振り子が大きく揺れます。

信仰か習俗かは脇に置いておいて、「個人」という感覚が生じたのは、キリスト教の構造ゆえなのかもしれませんね。一つの魂が全知全能の神と向かい合う、密室で、それも外形基準ではなくひたすら内面においてのみ、こういう発想は他の一神教にも無いものですね。

隠れムスリムは存在しませんし、隠れユダヤ教徒はいたようですが、コミュニティー無しでの存続は難しいように思われます。

法律用語でいうところの「内面の自由」実は意味が解っている人がほとんどいないのでは?何を勘違いしてか、国旗国歌訴訟で日教組が訴えてますけどね。

日本はテキトーで良いところ一杯ありますが、一方で宗教者や教師の精神の弛緩もいちじるしい。いや、そもそも彼らに精神が生じているかどうかも疑問です。

ところで小沢一郎は何宗なのか、ネットでは解りませんでした。国会便覧には載ってるでしょうけど。

投稿: レッドバロン | 2011/11/15 17:06

> レッドバロン殿

此処の場でのやり取り、かなり長くなってしまいましたが社会そのものと小沢氏の政治姿勢を考える良い機会ではないのかと思い、今暫く続けようかなと。

それで、私の知る範囲では小沢氏は浄土宗の檀家だったと思うのですが。キリスト教他の一神教に対する否定的な発言は良く知られる通りですが、その対比として浄土宗の教えに密接に関係した「一切衆生悉皆成仏」を小沢氏が唱えるのは、氏の基本的な宗教観を示すものではないか...と考察する次第です。

さて、「個人」と云う感覚の発生について、私も赤男爵殿の御指摘の通りキリスト教の特殊性に起因するものとの見方に賛同します。

先ず、土着の習俗の域を脱しないような宗教では、個と集団の分離が進まないでしょう。次に、同じ一神教であるイスラム教にては、個々にアッラーと向き合うのですが戒律(ムハンマドの教え)を如何に守るかが優先されてしまい、内省が進まない傾向が強いと思います。...アッラーは何でも解っていて何でも許す為?

→ 前に勤務した会社で東南アジアから研修生を受入れた際に私も色々と指導し、その中で敬虔なムスリムである彼からイスラム教について色々と教わり、質疑を交わした経験があります。

仏国で問題とされるヒジャブやラマダーンについても、本当はそれぞれ個人がアッラーと対話してどの様にするのか、決めれば良いとの事でした。但し、戒律の要旨や核心を変えてはならないと。

まぁ、自分に都合の良い解釈も出てきますが、時と場所を選びながら必要と思われる程度に髪を隠せば良いとかラマダーンができなかった日数を次回に繰り延べるとかです。その彼も、豚肉にはセンシティブで、触れないようにするどころかチャイナタウンを通るのも忌避していました。

また、中東での戦争についても、アッラーへの信仰から直接的に起こっているものではなく、色々な宗派に分かれた後の主教指導者や学識者の考えによって起きている側面が強いとの見解でした。ですから、シャーリア(イスラム法)もその所々によって違いが有り、コーランに拠る絶対的な教えかハデスに因る過去事例の焼き直し適用か見極め、考える必要があるとの事でした。(特にハデスはイスラムの教えというよりはアラブの慣習に因るものとか、眉唾みたいなものも有るので要注意との事でした)

それで、彼と対話しても何もヒントを得られなかったのが、13世紀頃はイスラム圏が最先端の科学技術をや文化を持って栄えていたのに、何故、民主主義の道のような政治社会の発展に向わなかったか? 何故、その当時に進んでいた医学や天文学
のように自然の探求から物理化学のような学問への発展に至らなかったのか? と云う疑問に対してでした。

投稿: ムフフ | 2011/11/17 15:53

>ムフフ殿

小沢氏は浄土宗でしたか。そう言えば、そんな感じもしますね。一切衆生が悉く成仏するのは、可能性の問題としては誠に結構なのですが、プロセスを飛び越えて巨大な四捨五入を平気でしてしまう。そういう所が、小沢氏らしいとも言えます。

>イスラム教

後発の強みで 構造的には完璧に出来ています。キリスト教のように三位一体説で分裂の苦しみを味わいませでしたし、ユダヤ教と共に最もすっきりした一神教でしょう。しかも、古代民族宗教であるユダヤ教と違って、個人の救済も完璧に出来てます。

旧約聖書では神がアブラハムに向かって、お前の子孫をこの満天の星のように増やしてやろう、と約束します。いかにも古代の遊牧民的な美しい場面です。しかし、死後の世界の事については、旧約聖書は何も触れていないし、新約に至っても天国の事はごく抽象的にしか描かれていません。
そこにいくと イスラム教は至れり尽くせりでしょう。

一般的には宗教が社会の隅々まで支配しているように見えますが、ユダヤ教からすれば一神教の形骸化、サービス化、俗化が極まった形に思えるのでは無いでしょうか。

ユダヤ・キリスト教は新たなメシアの降臨による契約更新の可能性を秘めている社会ですが、イスラム教はマホメットを最大にして最後の預言者とすることで、そのような改変?を予め封印しています。

キリスト教は先輩のユダヤ教、後発のイスラム教に比べ、構造的に不安定な一神教なのですね。様々な疑念が芽生え、解釈が分かれ、躓きやすい宗教とも言えます。それだけにアクロバットのように精緻で、数学のように完璧な神学を求められたと言えるのでは無いでしょうか。

ヨーロッパの古い大学が中世の修道院を起源とするのも、故の無いことではありません。

聖と俗の二重構造、この間の非常に厳しい緊張関係も他の一神教には無いものですね。全知全能の神の存在が国家の主権概念に転化し、私的な所有権絶対の概念もここから生じています。

聖書のドイツ語訳を果たしたルターは、まさかそれが強力無比なナショナリズム、聖なるドイツ国家を創り出す事になるとは夢にも思わなかったでしょう。
(そういえば、コーランは翻訳禁止。ナショナリズムには繋がりません。)

ジュネーブで神聖政治を敷いたカルヴァンは修道院的な禁欲の押し付けと勤労の奨励が、その正当な果実を神の恩寵と見る=資本の蓄積を正当化する、初めての論拠を与えた訳ですからね。歴史は思いも寄らぬ事の連続です。

イスラムは寡婦に畑のどの部分を与えるか、福祉政策まで完璧に決まっていて、ユダヤ・キリスト教のような精神論では無いのですね。

完璧な制度設計をして、与うる限りのサービス体制を取り、時代の変遷による混乱を封じよううとしたのが イスラム教という感じがします。これが、かえって身動きがつかなくなる原因か。

人間に対しては 多分この神様が一番優しいのでしょうけれどね。神ならぬ人間が未来をプログラミングしようとすると、碌なことはありません。

投稿: レッドバロン | 2011/11/18 18:32

> レッドバロン殿

此の頃、どのスレにも御意見等が寄せられず、チョッと寂しい状況ですので、この宗教関係の考察を続ける事と致します。

確かに後発のイスラム教はシャーリア(イスラム法)で社会の維持から日常の生活まで細々とした規範を定めてしまったように見えますので、かえって時代の変遷について行けず、社会についての新たな進歩も生み出さず、停滞を招いてしまったような観は有りますね。

但し、この様な側面はユダヤ教やキリスト教に無い訳ではなく、良く見かける例としてはハシディズム(正統派)のユダヤ教徒やアーミッシュのプロテスタントがそうでしょう。
また、極端な例としてはどちらにも原理主義派が存在し、近代化を否定し他派を攻撃したりするのが特徴です。

もちろんイスラム教にも、かの有名な原理主義が有り、欧米化(近代化)を否定したり、一部が過激な行動を取ったりしています。
イスラム教における政教分離の歴史は長いのですが、発祥地のアラビア他の中東においては、逆戻りしている観があります。 ヨーロッパに近いトルコや遠く離れたマレーシアやインドネシアではまずまずの政教分離が出来ているのに。(カリフは居ませんけど、形だけのスルターンは居ると)

まぁ、キリスト教も政教一致から政教分離まで一千五百年位は掛かっているのですが。この間、しっかりとした宗教組織が持てた事が西欧の近代化の土台になったのではないかと思います。もちろん、この間は文化的にはイスラム圏の方が発展していましたし、科学技術の発展を妨げた面は有るにしても、政教分離の元、つまり政治を離れても自立できる宗教組織が確立できたのではないかと考える次第です。

ひるがえって、ユダヤ教やイスラム教では聖職者は存在せず、導師や専門家によるユルイ宗教組織にて宗派を維持してきたため、様々な分派が生じると共に政治も宗教活動のひとつとする様な分派が力を得てしまったと考えます。
もちろん、ローマンカソリックも一大政治勢力では有りますが、各国の政治に信徒を通して直接介入するような事はしませんが、イスラム教と同様の緩やかな宗教組織体であるプロテスタントの分派では原理主義者他、政治に介入して行く分派が少なからず見られます。

また、日本では比叡山の焼き討ちから一向一揆の殲滅、禅宗の仏教集団の組織化が政教分離(日本教を除く)を確定させたように考えます。

まぁ、世の中の出来事の全てに宗教的解釈を行い、信仰に反するかどうかを決めて行くなんて気狂い沙汰としか思えませんね。昔の変化が緩やかで情報量の少なかった時代ならともかく、現代の速さと量の多さでは。
いくらコーランを補う様々なハデスやイズマ他を寄せ集めても、多様な解釈が生まれるだけで、ひとつには収斂しないでしょうし。

ここら辺が政教分離なくして市場経済の発展無しと云うことで科学技術の発達が遅れたのでしょうか?

投稿: ムフフ | 2011/11/23 13:13

ムフフ殿

お久しぶりです。

>政教分離なくして市場経済の発展なし

そのように考えて良いのかどうか、キリスト教(社会)はたいていが逆説的構造を持っているように思えてなりません。

むしろカルゥァニズムを頂点として 極めて厳しい一元的な価値観が政治・経済社会に進入した結果、神が人間を支配するように人間は自己の所有物に対して絶対的な権利を有する(最終処分権を持つ)。聖俗の二重規範の否定、二重契約の否定はとりもなおさず二重価格を否定することにもなりったような。

西洋社会の現状からは、その成立のプロセスや動機が想像もつかないような不思議さがあります。

所有権の絶対なくば 市場経済・資本主義は勿論のこと、言論・表現の自由も学問・研究の自由もその物質的基礎を欠くことになります。

殿様の下されものは 自分のものではあるけど、そうでもないような。保有はしているけど売却も破損も許さず…という、わが封建の世を見ても その先に資本主義社会の成立はあり得ないことが良く判ります。まして武士と町人のダブル・スタンダードでは国民国家には永遠に到達しようがありません。 債務不履行で町人が侍を訴えることは出来ても、強制執行することは事実上できない訳ですから。

西洋社会がもう一つ難しいのは、我々が教科書で習ってるような「政教分離」が典型的に行われているのはむしろ例外的。フランス位なものでしょう。ドイツは戸籍を届ける時に宗教欄があって、宗派により教会税を収めることになってます。公教育にも宗教の時間があり…勿論キリスト教オンリーで、イスラムや仏教の講義なんてありません。

ご承知の通り、ドイツではナチスと共産党は禁止、スイスも共産党員は公務員になれないんじゃなかったかな。どこでもお国柄には一定の幅があり、それは守りますね。

あらゆる宗教やイデオロギーに対して完全にニュートラルな国家なんて、あり得ないです。日本の教育やマスコミは そういう「不都合な真実」は伝ようとしません。小沢一郎のように単なる無知なのか、それとも確信犯なのか。

鏡にモダンな?自分の姿を映して、悦に入ってる田舎紳士ような気がして私はなりませんが。

投稿: レッドバロン | 2011/12/02 18:46

> レッドバロン殿

お久し振りです。 政教分離に関するコメント、ありがとうございます。

御指摘の内容、私も思想のレベルまで掘り下げますと、政教分離と云う考えが成り立つものか? 疑問に思います。

ただ、前のコメントで書き及びました「政教分離」はもっと単純な段階の、政治主体や政策実施と宗教組織や布教活動が分離されなければ...と云うものです。

宗教は人の思想と行動を支配するものなので、政治主体と同一のものとなるのは、古くはエジプトの太陽神ラーとファラオから日本での天照大御神と天皇まで多く見られます。その中で特に一神教は、信仰対象が厳格に固定されるので、分離までには色々と困難な伴うと考えられます。

皇帝と教皇に分離してから政治主体が明確に宗教から独立していったキリスト教社会、スルターンとカリフに分離しながら、政治主体が両者の間を行ったり来たりのイスラム教社会との差に注目しております。

もちろん、宗教それ自体が政治と無縁である訳がなく、政治主体の正統性を示す元としての宗教への依存は殆どの国で見られると言ってよいでしょう。米国でも大統領就任時の宣誓は聖書にて行われますし、日本では総理大臣の就任には天皇の任命ですし。まぁ、中国とロシアは宗教色が排除されていますが。

それで、その様な観点から「小沢教」に関しての政教分離を考えますと、現世での利益(党・政府のポスト)から、来世の御りやく(選挙での当選)を当てにする方々が殆どを占め、小沢氏の思想・信条に共鳴してそれを広げようと(布教)とする方は僅少のように思われる現状に行き当たります。

此処に小沢王国の強さと寿命を見て取れるのではないか? と考える次第です。

投稿: ムフフ | 2011/12/05 16:37

>ムフフ殿

>教皇権と皇帝権の並立
仰せの通りでしょうね。ヨーロッパにおける聖俗の二元化はとても重要な、さらに決定的な要素です。

キリスト教といっても、東方の正教会や南のコプト教やエチオピア正教からは、そのような近代社会の目は探しても見つかりません。これはやはりローマ・カトリックという限定バージョンですね。

ただ教皇庁の足元のイタリアでは現実的な利害と絡み過ぎ、教皇派と皇帝派が余りりにも激しく対立し、近代化と統一が著しく遅れたのは皮肉なことです。

この辺、経済学のモデルと同じで、典型的なパターンというのは実は極めて少なく、ほとんど奇跡的な現象です。地球生物の誕生と同じで、僅かな条件が欠けるだけで、結果はまったく違ったものになってきます。

人間社会の場合には さらにそこに人種・民族・言語・風土などが密接に絡んできますから、ここから宗教的部分だけ抽出するのはなかなか難しい作業ではあります。

キリスト教の元になってるユダヤ教には、意外にも、神を信じすぎるのは良くないという教えがあります。

洪水で溺れかかっている信心深いユダヤ人に、通りかかった人たちが何度も救助の手を差し伸べるのですが、いや、自分は神様が助けてくれると言ってことごとく拒否。結果、溺れ死んでしまい、天国に行ってから神様に文句を言ったら、 いや、私はお前を助けようとして何度も手を差し伸べたと、神様に逆に叱らる小咄があります。

絶対他力?というのか、神仏に頼りすぎるのは、正しい信仰の在り方ではないようです。

その辺り、一神教は神に対する以外は 理性的な宗教です。明日の運勢が、星座や血液型がどうしたとか、神のみぞ知ることを人間が占い、論ずることは、言語道断という考え方をしますね。


どこぞの掲示板の管理人が、自分の好みや意見を言うのに、自分は天秤座だからと言うのに、わが目を疑いました。古代バビロニアの僧職ではあるまいし。いかなる文明体系に属しているのか?日本では飲み屋話でも、中世カトリック教会なら、破門になりましょう。


小沢教は、教祖か、或いは信者から殉教者が出ないと、宗教集団としては弱体ですね。現世利益だけではオウム以下です。
明治十年 西南戦争真っ盛りの頃ですが、東京の庶民は東の空に ひときわ大きな星が輝くのを見たそうです。星の中には、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えたとか。西郷は生きながらにして星となったのですね。当時の貧しい庶民たちの、新政の旗を掲げて決起した西郷を想う切ない気持ちが伝わってきます。

これは、小沢教とは品も格も違い過ぎて、西郷さんにも東京市民にも失礼しました。

投稿: レッドバロン | 2011/12/10 20:36

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