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2012/02/24

連合赤軍≒革マル≒オウム≒左右のカルト

昨日のエントリの【追記】で―あの「あさま山荘事件」からちょうど40年目―と書きました。
40年、長いですよね。
それでもメディアは大きく取り上げていました。
それだけ衝撃的な出来事だった、ということです。
私もこの事件だけは忘れられません。
まるで当事者のような意識が働きます。

彼らが同じ共産主義者であったこと、そしてメンバーの中にブントの先輩がいて、主導的役割を果たしたこと。
だから私に、逃れられない当事者意識が働くのです。
不謹慎な物言いになりますが、私は「あさま山荘」の銃撃戦に熱狂しました。
左翼学生の大半がそうだったと思います。
で、第2第3の銃撃戦が起きる、皆そう期待しました。
が、直後に打ちのめされるような事実が発覚します。
まさに奈落の底に突き落とされたような絶望的な気分。
最初は信じられませんでした。
「殺されたのは公安のスパイだろう」と思いました。
が、殺害されたメンバーの中に知ってる先輩活動家がいて、報道されていることが事実であると自覚しました。

12人が「総括」という名のもとに処刑されました。
処刑方法は残虐非道で、まず他のメンバーが全員で顔の判別がつかなくなるほど
“被告人”を殴りつける、内臓が破裂するほど蹴りつける。
食事も与えず、衰弱すると、両手足を縛って極寒の屋外に放置する。
死因の大半が凍死で、胃の中は空っぽでした。
中には、「総括」が期待できないと判断され、「死刑」を宣告された挙句、アイスピックで何度も刺された上に絞殺された者もいました。
また、兄の殺害を、あるいは妊娠8か月の恋人の処刑を強要された者もいました。
処刑の理由も些細なこと。
化粧をしている、異性と親しくした(恋人同士)、規律を守らない、兵士としての自覚に欠ける、リーダーの森恒夫より理論上手、顔が美人、等々信じがたい理由で“革命戦士”たちは処刑されたのです。

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この事件を、あいつらは人間じゃない!と非難するのは簡単ですが、やはり、なぜこうなったのか?を明らかにすることが重要だと私は思います。
私にはその責任がある、と考えるのです。

理由の一つは、リーダーだった森と永田洋子の人間性にあります。
赤軍派の中でバカにされていた森、容貌や女性としての魅力に劣等感を抱いていた永田。
この森と永田のコンプレックスが根底にあるのです。
京大出身で関西ブントの理論家として知られ、赤軍派内では森より格上だった山田孝が処刑されたこと、赤軍派の女性メンバーで女王様的存在だった遠山美枝子が、まず永田に目を付けられたことなどがそれを証明しています。

次は、当時の彼らが置かれた環境ですね。
彼らは公安警察に追われ都市部では活動できなくなっていました。
で、山岳地帯に逃げ込んだのです。
それでも公安の追跡はやまず、山岳ベースと名付けた拠点を転々としました。
榛名ベース―迦葉山ベース―妙義ベースと彼らは移動する(逃走する)わけですが、いずれも自分たちで作った粗末で小さい山小屋であり、外は氷点下の極寒でした。
こういう閉ざされた空間の中で雑魚寝の共同生活を続けていく。
一方で公安の追手が迫っている。
精神的に追い詰められるのも無理はありません。

三番目が毛沢東思想の影響。
毛沢東は熾烈な党内闘争(粛清)を繰り返しながら中国共産革命を成就させました。
連合赤軍の半分は、毛沢東を崇拝する革命左派神奈川県委員会(京浜安保共闘)出身でしたから、メンバーの粛清に違和感があまりなかったと思います。

ただ、以上の理由は付随的なもので主因ではないと私は思っています。
決定的な原因は、「極めて日本的なマルクス主義」です。
日本のマルクス主義(共産主義)は「主体論」が根本にあります。
これは西田哲学を源流としています。
西田哲学の神髄は「絶対矛盾的自己同一」です。
「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」を実感すると人は悟りの境地に至る、これが「絶対矛盾的自己同一」ですが、マルクスの師であるヘーゲルの弁証法も、西田哲学と真逆のようで実は同じなのです。
すなわち社会や歴史も、絶対精神(理性)の自己実現―という点で両者は共通するのです。
だから戦前、西田哲学の徒だった梯明秀や梅本克己などが戦後、マルクス主義者になりながら、そこに「主体論」を持ち込めたわけです。
この「主体論」をさらに純化させたのが革マル派の教組・黒田寛一(通称「黒寛」)です。

Nagatahiroko
最後まで責任を森恒夫に押し付けた永田洋子

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黒寛理論(哲学)では、「プロレタリア的人間としての主体の形成」が求められ、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者によって構成される強固な“前衛党”」が革命闘争を指導するとされています。
つまり、革命理論を学び、思想を固め、ブルジョア的なものを排除し、自己を共産主義者として確立する―これがプロレタリア的人間への過程ですが、これではまるで求道者です。
宗教の信者が、その信仰のレベルを高め、より神(もしくは教組)の教えに近づこうとする、これとそっくりです。
そこにおいては、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げた者」という“選民”が誕生します。
逆に言うと、「プロレタリア的人間への自己変革をなし遂げていない者」がマルクス主義を標榜し、革命家を名乗ることは異端であり、反革命となるわけです。
そこでは異端者は抹殺の対象になります。

私は、連合赤軍による大量リンチ殺人の根底には、「プロレタリア的人間への自己変革」を求める黒寛的な思考があったと思っています。
つまり、犠牲者は「プロレタリア的人間=革命戦士としての主体の形成が不十分」=小ブルジョア(プチブル急進主義)とみなされ、暴力による「総括」が実行されたのです。
革マル派の「革命の主体形成」=“前衛党”建設至上主義が、連合赤軍においては「銃による党の建設」=唯武器主義に化けただけで、その本質は同じだったと思います。

革マル派が中核派や革労協と、血で血を洗う凄絶な内ゲバを繰り広げたのも、黒寛哲学が大きく影響しています。
革マル派から見れば、中核派や革労協は「プロレタリア的人間への自己変革」が不十分なプチブル急進主義者であり、解体するべき存在です。
革マル派の第一目標が権力の打倒ではなく他党派の解体であったところにその特徴がよく表れています。
連合赤軍が殺害したメンバーは12人ですが、革マル派と中核派及び革労協の内ゲバによる死者は判明しているだけで86名を数えます。
重い後遺症を引きずる重傷者は数知れず。

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欧米先進国の極左(過激派)で、日本のような陰惨な殺人が横行した例はありません。
つまり、日本の内ゲバ殺人には、マルクス主義(共産主義)が持つ本質的な問題=独善と排他性以外の原因があるのです。
それは、求道者的思考回路に陥りやすい日本人特有の体質にあると私は思っています。
そういう点では、オウム真理教事件も似たところがあります。
彼らは「ポアする」=「魂を救済する」として脱会者や脱会しそうな信者を殺しました。
連合赤軍の「総括」も、革命戦士としての自覚を促すために実行された「援助」であり、その結果の死は「敗北死」と呼ばれました。
革マル派は、リンチによる自己批判を迫るのが常でしたが、彼らによれば、自己批判は「プロレタリア的人間への自己変革」を開始するための第一歩でした。
道を究めるという日本人の長所が、イデオロギーや宗教の世界に持ち込まれると狂気に化ける、そんな気がしてなりません。

私の救いは、私が所属したブントは四分五裂しましたが、内ゲバで死者を出したことがない、という点です。
赤軍派が分裂したとき、望月上史さんが死亡しましたが、これは事故でした。
ブントは黒寛理論(哲学)の対極にいましたし、「プロレタリア的人間への自己変革」より闘争優先、運動重視でしたから深刻にならなかったのだと思います。
その代り、ブントは雲散霧消しましたが、革マル派は未だに生き残り、社会の至るところに根を張っています。
やはり“宗教”は強いのです。

思想の左右を問わず、あるべき人間像を固定化し、それ以外の人間を排除、抹殺するという硬直した思考回路に陥らないように心したいものです。

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Asamasanso
上の銃を構えている男が坂口弘

連合赤軍事件の主役の一人、坂口弘死刑囚がオウム真理教の事件について朝日新聞に手記を寄せていました。
1996年4月のことです。
私は当時、これを読んで深い感銘を覚えるとともに、自らに目覚めました。

以下は原文です。

この手紙が、あなた<オウム信者のこと>を始めとする潜伏中の皆さんの目に触れることを念じつつ書いています。

かつて、重大な過ちを犯した人間である私は、地下鉄サリン事件など一連の事件に関与したオウム真理教信者の方々に対し、痛ましい思いで深い同情を禁じえません。

あなた方は、サリンをまくためにオウム真理教に入信されたわけではないでしょう。また、地下鉄サリン事件を立案し、計画したわけでもないようです。教団の中にあって、たまたまその地位や立場が悪かったために指名手配され、実行に関与することになったのです。私自身の経験から、組織の中にいて、そのような指示を容易に拒めるものではないことはよくわかります。

僧侶の林さん<泰男容疑者のことか>と左翼の私とは、住む世界が異なりますが、それにもかかわらずお互いによく似た傾向があることに気づかされます。それは、カリスマ性をもつ指導者への帰依です。かつての私は、この傾向が人一倍強い人間で、恋も及ばぬほど熱烈に指導者を愛し、忠誠を誓い、この人のためなら死んでもおしくないとまで思っていました。

この盲目性から私は、組織が始めた武装闘争に加わり、獄中にいた指導者の奪還を企てたのですが、これが武器のエスカレートを招き、その過程に脱落した仲間を口封じのために殺害し、さらに、目的を変じて、山岳ベースでの大勢の同志殺害からあさま山荘でのろう城発砲へと、命がいくつあっても足りぬ罪を重ねてしまいました。

過ちに気づいたのは逮捕されてからでした。国内外の激動した情勢に、どうも自分たちの武装路線は適合していないのではないか、という疑問が芽生え、この疑問をつきつめてゆく過程において、なおも路線を堅持する指導者と衝突しました。そして、激しい論戦を経て、ようやく武装路線から脱却できたのです。

この体験から私は、自らの行為に疑問や迷いが生じた時には、何にもまして実感を大切にしなければならない、と心するようにしました。自分の心に感じたものにこだわり、それがスッキリするまで、しつこいように追求してゆく、ということです。

教団の中で、求道のため、麻原さんの指示を率先して実行した井上嘉浩さんも、今私と似たような体験をされているようです。

彼は、麻原さんの指示を実行していても自分の心は解放されず、かえって暗くなってゆくのはなぜか、という疑問にこだわったそうです。逮捕後、これをつきつめていった結果、一連の事件は麻原さんのエゴの実践に過ぎなかったとの結論に達し、法廷で麻原さんと対決してゆく意志を表明されました。

手段が悪いのは目的が悪いからだ、という言葉があります。実感を大切にされ、ご自分の判断で運命をひらいて下さい。

1996年4月24日 朝日新聞【夕刊】

< >は朝日新聞の補足。

今回は、渾身の力を込めて書きました。
正直、疲れました、ヘトヘトです。

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個人」カテゴリの記事

コメント

もう忘れていいのではないでしょうか?
過ぎ去った過去はもう無いのですから。
なぜそうなったかなんて誰でもわかっているはずです。

最初から破綻する道を歩んでいたのでしょう。また、成功していたら益々取り返しがつかないことになっていたのではないでしょうか。

殺し合いをして自滅したことは良い結果であり、悔いる性格のものでは無いはずです。

投稿: 与作 | 2012/02/25 00:08

拝読しました。
日本の左翼内ゲバが陰惨になるのは求道的性格にあるという分析は正鵠を射ていると思います。

私は死刑存置論者で執行も速やかに行うべきと思っていますが、坂口や井上らは執行せずに、獄中から発信して欲しいと思っています。

ご存じかも知れませんが、志茂田景樹氏が自身の創価学会入信の経験から、オウムも生き残ると予言しています。この問題は忘れてはいけない、そしてまた現在進行形の問題だと思います。

投稿: さん | 2012/02/25 02:41

命がけでやっていたことを、意識しない日は来ないと思います。レベルは違いますが私も原理主義者であったかつての自分を今を持っても後悔したり、半面懐かしんだり、、人間は複雑です。
ところで今、ロンドンに出張中で、モバイルインターネット(?)でアクセスしているのですが、このブログ以外の3,4のベストテンのブログがなんと成人指定証明(18歳以上である証明)なしには見れなくなっているんですよ!?面白いですね。

投稿: 転びバテレン | 2012/02/25 04:26

連合赤軍の件は事件報道がるたびに両親から聞きました。
私が幼児期に住んでいた山村にも彼らが拠点を設けるため、遺体を破棄するために徘徊していたんだよと。 今、迦葉山のある地方都市に住んでいます。
 彼の山には時より行くのですが、そこに赤軍の拠点が在ったなんて…
 驚いています。

投稿: こっぱ職人 | 2012/02/25 07:02

ああ!!やっぱり!!と思いましたね┐(´д`)┌ヤレヤレ
何故反日日本人と指摘される輩共がこれだけ
卑しい考えを持っているのか、傲岸不遜で
恥知らずの最低の屑なのかという原因が

>日本のマルクス主義(共産主義)は「主体論」が根本にあります。

これは北朝鮮の姿勢とほぼ一致します。
更には韓国反日主義ともリンクしていると。
我々の価値観では一種の精神病ですな┐(´д`)┌ヤレヤレ

道理で話にならん筈ですわ(^_^メ)

投稿: abusan | 2012/02/25 07:47

左翼の「自己変革」とオウムの「解脱」がオーバーラップします。
その共通点が、宗教といわれる所以なのでしょうか。

拝読しながら、悪夢が蘇ってきました。
「総括」された活動家のご家族の慟哭が聞こえてきます。
「何で、こんなことで殺されないといけないのか・・・。世の中をよくしようとする人間が、何故、人を殺すのか。」
このような声が聞こえてきます。

そのご家族に、かける言葉もなく、ただ横にいることしかできませんでした。

何年経っても、人によっては、、消えないものがあります。
「時間が解決してくれる」という言葉の虚しさを感じるときは、こんな時です。

いのちを落とし、障害を抱え、人生を暗転させた人は多い。自らの選択の結果と言えば、そのとおりでしょう。

しかし、何故、このような「狂気」が生まれ、若者を覆ったのか。
単純に「社会が悪い」と言えるようなものではありますまい。

時間の経過は、ときとして、事実を美化したり、故意に黙殺したりと、意識的、無意識的に事象に操作を加えがちです。
そのため、事象の記憶は「風化」していきます。
事象は「風化」しても、この「狂気」のメンタリティーは、風化することなく、社会の中を漂い、潜んで、時と、人を見つけて出現してきます。

決して、過去の問題などではなく、今と未来の問題でもあると思います。
ましてやcomplexの問題が背景にあるとすれば、なおのことです。

ドストエフスキーの言うところの「悪霊」は、依然、彷徨っていると思います。

駄文が長くなりました、西田哲学については、またの機会に論究できればと思います。

ブログ主様の、考え続ける姿勢に、いつもinspireされております。


附言ですが、
このような物言いをすれば、現下の政治現象を捉えた「○○ファシズム論」と共振するかのようですが、むしろ、逆です。「○○ファシズム論」と簡単に断ずる論にこそ、その「狂気」と同じ臭いを嗅ぎ取ります。

投稿: Ethos | 2012/02/25 07:57

間もなく、あの出来事から1年を迎えようとしております、あの出来事から様々な支援等を実践してきておりますが、風評を聞くたびに心が引き裂かれる思いはいまだ消えません。いまだに様々な雑音が復興の足かせになっていることは、周知の事実であると思っています。
これからも東北の支援は継続していけますが、これだけはぶれません、自分の最期の地は岩手にあり。

投稿: 岩手 | 2012/02/25 08:53

昨日、とあるニコ動コミュで新撰組についての生動画がありました。驚くことに新撰組は粛清で30~40人、対外的には10人程度の殺生をしたそうです。なんと連合赤軍と類似していることか。

絶対矛盾的自己同一というのは言い過ぎで、日本人の集団主義ではないでしょうか。自分を集団へ溶け込ませることを美徳としていること、それは社畜などと否定的に言われていますが、日本人に通底する民族性だと思います。

自己を組織と一体化することを好む人々が延々と同じことをやっていると思います。そこからはブログ主さんも誰も逃れようもないのではないでしょうか。

それを天皇制と言って否定しようという人もまた同根。小集団へ命がけで忠誠を尽くすことに美徳を見出す日本人。他殺より自己規制を好む感性も同様。

柳田國男は日本人は事大主義とため息をついたそうです。

だけどこのブログは提灯持ちファンのコメントが少ないいいブログです。言い方は変ですけど、自立した言語空間が保たれているという日本では稀有なありようではないでしょうかね。あら、提灯持ったかなw


百人斬り授業を許すな!!


投稿: amotoyamatotake | 2012/02/25 09:29

>今回は、渾身の力を込めて書きました。
正直、疲れました、ヘトヘトです。

本当にお疲れ様でした。
私も、「坂様もういいのではないですか」と思うこともあります。が、最も生命が躍動している青春時代に通過してきた貴重な経験があって今の坂様がおられると思います。
誰しも忘れてもいいような経験、無かったことにしたいような経験がありますが、やはりそれもその人の人生の一部です。

坂様のように共産主義に身を置いた経験がないので詳しくはないですが、共産主義運動がなぜ残虐な殺人に入りこんでいくのか、その大きな原因は出発点において「暴力の肯定」があるからだと思います。

あさま山荘事件だけでなく、中国の文化大革命時の紅衛兵の所業、ポル・ポト派の殺戮、世界中で同じような共産主義の名のもとに虐殺が展開されました。
少しでも意見を異にする者、目障りな者、教養のある者、金持ち、目標達成出来なかった者まで反動分子、反革命分子、裏切り者というレッテルを張り処刑し、恐怖政治が展開されていきました。

もう40年も前のことですが(1972~3年頃)、夕方近くなって中野駅前で、私も左翼と論争になったことがあります。
相手は「マル青同」というヘルメットを被っていました。小さな過激派のグループのように思われました。
(このグループのことは坂様のほうが詳しいと思います。)
私は「あなた方が目指すその社会が来ても私は反対し続けるが、そういう人間はどうするのか」と聞くと「殺す。」と私に対して憎しみを込めた目で大きな声で言うのです。
周りに大勢の人垣が出来ていて皆が聞いている中でも堂々と言うのです。「皆さん、聞きましたか?これが彼等の正体ですよ。」と、そんなことがありました。

マルクス経済学も唯物史観も暴力革命を正当化せんが為の理屈であり、暴力革命は歴史の必然だという理屈です。
しかし当時のことを考えればそれもしかたなかったのだと思います。
労働者は低賃金で長時間奴隷の如く働かされていたことも事実ですし、政治を変えようにも、多くの税金を納めている人しか議員にもなれなかったのですから、この現状を打破するためには暴力による革命しかないという考えに行きつくのも当然のことです。

そして労働価値説にあるように、労働によってのみ価値が生まれる。労働しないものは価値が無い。労働しないものは人間ではない。人間ではないのだから殺しても構わないという価値観に至ってしまいます。

マルクスもエンゲルスも「労働者を幸せにしたい」という思いが動機にあったことなので彼等の全てを否定するわけにはいきません。
人間は等しく「幸せになりたい」と願いながら生きているのですから。
毛沢東語録の中に「戦争を無くすには戦争しかなく、銃を無くすには銃をとるしかないのだ。」というのがありますが、やはり暴力を肯定して、暴力でもって理想社会を作ろうとしたことga結果が悲惨なものになった原因と考えます。

どんなに高邁な理想があっても手段が悪ければ結果も悪くなり目的は達せられないということだと思います。

コメントすることはなかなかありませんが、いつも記事を読ませていただき勉強させて頂いています。
他のブログには短いコメントを入れることはあるのですが、ここのブログはレベルが高いため、コメントをしたくてもしょうもないコメントしか思いつかず途中であきらめることが多いのです。
totyu de henkan ga dekinakunarimasita node konomama toukou simasu.

投稿: kotohime7henge | 2012/02/25 12:03

左翼というよりも社会主義を奇麗事で捉えるなら万人平等・一人はみんなのためにみんなは一人にためにであったはずです。
一方で資本家側は序列主義・貧富の格差大好き・差別大好きであると喧伝されてきました。

多くの若者は教師に騙され社会主義を美化して左翼活動に入ったと思う。
多くの人々のために貧しさからの脱却を目指して左翼党派に入った者が大部分としてもステップアップを目指す者もいたでしょう。
資本主義・会社主義の体制化での自己栄達よりも左翼活動のほうがが出世が早いと勘違いしたか?党派幹部においては会社主義での上下関係にも勝る差別主義者によって占められる人間性の必然だったのでしょうか?

資本化が私利私欲の塊、いやそれ以上に労働者の権利などを美辞麗句にした左翼幹部こそが私利私欲の塊だったのです。

投稿: tatu99 | 2012/02/25 14:48

同じようなことはウヨクにもあるんだと思います。
まだ数年前、ある拉致板が原理主義的になってしまって
「内なる敵を打倒する」なんてやりだしたのでオサラバしました。
内なる敵を言い出したらほとんど全ての味方が敵になってしまいます。
多数を目指すべきなのに、手弁当で集まった人間たちを
内なる敵呼ばわりして孤立化していくのは.アホすぎます。

投稿: | 2012/02/25 18:42

坂さま
こんばんは。

浅間山荘事件のことはよく覚えています。
今でも納得できないのは、永田洋子が天寿を全うしたことです。
病気で早く亡くなりましたが、手厚い看護を受けての最期でしょう。
死刑判決を受けながら、何十年も執行されない。
何故でしょうか?
オウム事件の死刑囚が何年も生かされるのは是非避けてもらいたい。
不条理すぎると思います。

投稿: はやぶさ | 2012/02/25 20:05

ハワイ大学日本研究所長だったパトリシア・スタインホフ女史が「日本赤軍派・その社会学的物語」(河出書房新社)という本のなかで、彼等(赤軍派)がメンバー個人の誰もがそれを意図しなかったにもかかわらす結果的に多くの同志を「粛清」し続けることをやめられなかったのは、彼等が〝外部″を持たない全員一致的な同質集団であり、集団への個々の忠誠心と責任が曖昧に分散し、無限に責任を転嫁しあうことによって互いを関係の中から逃れられなくする力学が働いていたためであった。と分析しています。ちょっと怖い話ですね。

投稿: ありがとう | 2012/02/25 20:32

kotohime7henge様:

>この現状を打破するためには暴力による革命しかないという考えに行きつくのも当然

 この点には、少し異論があります。1960年代後半から70年代前半にかけての当時は、今よりもずっと「一億総中流意識」が浸透していました。実態は別として、「日本は世界一平等な社会」と誰もが思っていた。経済も上げ潮ムードで、日々、それまで考えもしなかったほどの新商品が家庭にどかどかと入ってきていました。カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機等々、今ではあたりまえのような電化製品が急速に普及したのも、この頃です。政治をやる奴なんて、よほどに名誉欲の強い趣味人が家産を傾けて「井戸塀」を覚悟でやるもんだと思っていた。
 例えば、私は小さなクリーニング店のせがれとして生まれたのですが、オヤジは最初はルノーに乗り、次はトヨタのパブリカに乗り、週末には鉄砲を担いで狩猟に出かける趣味を持っていました。有史以来、日本社会が初めて飢えから開放された時代、テレビの中にしかなかった憧れのアメリカ人のような暮らしが目の前にあり、働いて賃金を稼げば、それが実現できる希望にあふれた時代だったのです。
 昭和歌謡曲というジャンルがあるようですが、暗い曲なんてひとつもありません。むしろ、洗練された近代日本文化の花盛りという感さえあります。
 そういう社会が維持されることを望みはすれ、ぶち壊してやろうなんて誰が考えるのだろうか。ある日、共産党員が店先に来て「今の世の中、ひどいですよね」と説教を始めたら、オヤジはプリプリと怒って「アホ抜かせ、けっこうな世の中じゃないか」と追い返していました。そりゃそうですよ、オヤジは子どもの頃、ひもじさのあまり畑の中に倒れこみ、死にかけたことがあるのですから。自民党による55年体制が長くつづいた理由も、高度成長を遂げてなお世界第二位のGNP規模を達成しつつあった日本の経済的成功にあると思います。
 それだけに、あの昭和元禄と呼ばれた時代を目前にした時期に、どうして革命などというトンチンカンな思想に取りつかれた連中が現れて同士討ちを始めたのか、いまだによく分からないのです。

投稿: 平野國臣 | 2012/02/25 21:03

>「内なる敵を打倒する」

前後の文脈が不明なので正確には分かりませんが
「内なる敵」=日本国内で拉致に手を貸した勢力=朝鮮総連とそのシンパ=在日の白丁を含む反日サヨク
ということではありませんか。
だとすれば、「原理主義」でもなんでもない。
「反日サヨク打倒」は保守派の基本中の基本です。

投稿: やす | 2012/02/25 21:24

私もあの時代の空気を知っていますが、浅間山荘事件そのものよりも、その後明らかとなった榛名山リンチ殺人は、よろける様な衝撃を受けました。
 裁判を通じて、残虐の限りを尽くし、苦しめ苛め抜いて惨殺した過程を知るに至りました。
 たまげました。
 さぞ、苦しかっただろうと思います。

 あれ以来、自分を左翼と公言できる人はいなくなったのではないかと思います。
あれ程むごい事をすると、社会主義とか共産主義とかを言葉にすることも憚られ、いつしかリベラルと名を変えましたね。
 名を変えても本質は変わっていない。
リベラルが左翼の別称と分かるようになれば、いずれ名称も変わると思います。

 あの事件を知らず、リベラルと名乗っている人を見かけると、哀れみさえ憶えます。
 
 
 
 
 

投稿: merlin | 2012/02/25 23:09

 連赤の連中は、印旛沼事件で早岐やす子と向島茂徳の2人を殺害する直前に、女性一人について殺そうとしていますよね。私には、この話が、ものすごく不気味に感じられるのです。この女性、連赤の連中がことごとく逮捕されて公判が始まってから、かつての仲間と会い、自分に対する殺害計画があったこと、実行を命じられたメンバーが気乗りしなくて実際の殺害には至らなかったけれども、殺した後に埋める場所まで決まっていたことを告げられる。思わず、ぞぞーっとします。
 超えてはいけない一線の部分で、連合赤軍のメンバーたちが「ルビコン川」を渡るべきか引き返すべきか、なお逡巡している状態が見て取れます。印旛沼事件の後は、正気を保っている連中は一斉に引いてしまい、残った連中の頭が、どんどんぶっ壊れていく。
 この境目の部分から、あの、悪霊どもが暗い洞窟のなかで人間を食らうパーティーをやっているような陰々滅々たる地獄図までの間に何があったのか。真岡市銃砲店襲撃とか北海道への逃走とか山岳ベースへの移動とか、事件の経過だけを追いかければ一応の時系列は出来上がるけれども、全体としては狂気の連鎖というか、仏さまが差し伸べている手の指の間からこぼれ落ちていく人間たちの情景が目に浮かぶようで、とてつもなく気持ち悪い。警察の網に引っかかって逮捕された人たちは幸運だ。刑務所で暮らしている間は、それ以上の悪事に身を染めることはなかったのだから。
 連赤事件のことを考えると、全くの野次馬である私でさえ、時々、精神が打ちひしがれるような思いがします。

投稿: 平野國臣 | 2012/02/26 04:54

>「内なる敵」=日本国内で拉致に手を貸した勢力=朝鮮総連とそのシンパ=在日の白丁を含む反日サヨク
ということではありませんか

文章が拙くて伝わらなかったようで申し訳ありません。
仲間うちの争いです。
ほとんど誰にでも噛みついていました。
反小泉だったのでこちらのブログも非難されていたのではなかったかな?

投稿: | 2012/02/26 05:41

坂口弘の手記や 近在の寺の鐘の音におののいたという永田洋子の取り調べ中の心境に(25日朝日新聞夕刊)ほんの僅かな救いを感じています。

と、書くことさえ躊躇われる程に、陰惨で絶望的な、いささかの教訓さえも導き出せない「日本の悪霊」が引き起こした事件でした。

確かに日本人の集団のあるところ、奥女中の新参者いじめ的なメンタリティが作用するとは言えます。旧軍の内務班における私的制裁などは、その最たるものかもしれません。

とは言っても「野戦」に出ると、和気あいあい?「敵」を前にして味方内で殺し合ってる部隊など、聞いたことがありません。

西田哲学以前に、確かに新撰組の例がありますが、あれも本当の武士の集団ではないので、内ゲバを繰り返すかと思えば、妙に求道的になり、やたらと隊士に切腹を命じまくった。

本来、どちらも武士でも革命戦士でもなく、その分、極めて観念的に「浄化」に努めるところは、似てなくもありませんが、一応新撰組は会津藩のお抱えの身でした。追われていたのではなく、追っていた方で。腕は立つので、連合赤軍のように、仲間をなぶり殺しにはしてませんね。

汐見議長の段で、彼らの若き日のアジビラや昨今の言動を見聞しますと、知性の欠如とか、頭が良い悪い以前に、人としての情緒がすっぽり抜け落ちているのを感じます。
浅間山荘にいたる事件の発端は、彼らが余りにみすぼらしく 異臭を放っていたことからでした。軽井沢駅に降りたつ旅客を見慣れたキヨスクのおばさんの目に余りに異様に見え、通報されたのが始まりでした。

「神州清潔の民」ですから、どんな危険思想よりも、汚れている奴は目立つのですよ。そんなことも判らずに、或いは判らなくなっての革命騒ぎです。

受験勉強の後に読む本がマンガか、マルキシズムしかなかったのか。私は坂様とは多分反対側からこの事件を見ていますけれど、爆弾テロで親を失った後輩もおりました。笑い話ですまないのです。
物質的にはさらに豊かになろうとする日本での、あの絶望的な感性と知性の貧困をどう考えたらよいのか。同じく大学改革をテーマに始まったフランスの5月革命に比しても、何の果実もなく、死傷者を積み上げただけとは、余りに情けないです。

それに実質的には、この時代は田中政治の幕開けでもありました。むしろそちらが本流で、左翼イデオロギーの正義の時代が終わり、多くの人達にとっては 経済大国路線にさらに拍車を掛ける誘因の一つになったと思います。

物騒な左翼よりも こちらの方が 日本を最終的に破壊した面が強いかと。
そういう意味で、二重に悪しきターニング・ポイントだったのかもしれません。

投稿: レッドバロン | 2012/02/26 06:12

平野國臣様

>>この現状を打破するためには暴力による革命しかないという考えに行きつくのも当然

>この点には、少し異論があります

私が言葉足らずでした。
マルクスが共産党宣言を出した頃のことを言ったつもりです。

投稿: 琴姫七変化 | 2012/02/26 09:41

琴姫七変化様:

>マルクスが共産党宣言を出した頃のことを言ったつもりです。

そうですか。

それにしても、このブログにある永田洋子の写真、怖い顔してますなあ。これ、人の顔かよ。笑ったことあるの?って感じ。子どもなら、泣いて逃げるかもしれない。逮捕時の写真と比べてみると、それ以後のように見えるから、もしそうなら悪魔化した後ですね。行いや心がけが人の顔形を変えるというのは本当かもしれない。

投稿: 平野國臣 | 2012/02/26 23:51

「ノストラダムスの大予言」とか「マジェスティック12」などの往年の「木曜スペシャル」チックというか学研の雑誌「ムー」的というか、そういう内容の出版物を愛でるという趣旨の本で、「トンデモ本の世界」というのがありますが、その本でお馴染みの名前に太田竜という人物が居ます。
イミルナティと陰謀によるユダヤ人の世界支配を信じており、その世界は実は更に爬虫類人に支配にされている、と主張しUFOと地球の自転の動力は同じだと自書で説いた人物です。(既に故人)
この人こそ昭和31年に黒田寛一と共に第4インターナショナル日本支部において「日本トロッキスト連盟」(通称トロ連)を発足させたメンバーの一人だったようです。
ま、第4インターとは言っても集まったのが太田、黒田を含むたった三人の会合でして、要は以前は左翼用語では罵詈雑言だった「トロッキスト」という言葉を(以前はそうなじられた左翼は理屈を総動員して自分がそうでない事を弁明しなきゃならなかった。グレた反主流派的な意味合い。)開き直って肯定的に使おうじゃないか、と。
ハンガリー動乱やプラハの春などのよりによってのソ連の帝国主義的な振る舞いで今やスターリン批判が流行りだ、と。
時代は「反帝」「反スタ」(反帝国主義と反スターリン主義の事。当時はなんでも縮めて言うのが玄人っぽかったのか。)だ、と。
だからソ連本国を外部から批判し続けたトロッキーの思想こそ今や必要だと、まあそういった趣旨の会合だったようです。
トロッキーの思想とは言っても非難と批判に寄って立つ左翼の事ですから反主流派という以上の意味は無いんですけどね。
そして例によってそいつが仲違いで分裂する訳です。
左翼組織の分裂、分派というのは数時間に一回ペースじゃないかと思うくらい頻繁で、それら分派のそれぞれの主張の差異も外の人間にはサッパリ判らないほどの違いしかありませんが、名前だけは物々しくマニア心をくすぐります。
「ブント」こと共産主義者同盟も色々な派閥があって、例えばブントML派というのがありますが(MLはマルクス・レーニンの略)社学同(社会主義学生同盟)ML派というのもあって、永田洋子はそこの出身なんですね。

投稿: ブルー | 2012/02/29 01:59

しばしば拝見して勉強をさせていただいています。
一つ、疑問なのはこちらで宮川典子さんを推奨? なさっている点です。輿石東を対抗馬に山梨から出られた時点では、保守層の希望の星でしたが、その後の言動がいろいろ検証されて、疑問視されています。

ブログ主様は、宮川さんが松下政経塾の卒論に、堂々と韓国の教育制度を持ち上げている事実はご存知でしょうか?
また、同じ論文中でこの方は本当に保守なのだろうかと、首を傾げる文章があります。

下記のブログ主さんが宮川典子分析をしていまして、正確だと思います。松下政経塾の卒論内容もこちからかリンクが貼られています。

http://nipponconservat.iza.ne.jp/blog/entry/2605404/


松下政経塾の卒論だけでも目をお通しになり、ご判断を願いたいと思います。その上でなおご支持なら、むろん他人がとやかくいうべきことではありません。
ただこちらのブログは影響力が多大なので・・・
宮川さんの韓国の教育制度を讃える論文だけは読まれて、判断なさっていただきたいと願っています。
でないと、いわゆる似非保守を国会に送り込みかねず、自民党内にも中国・韓国べったりの議員がいて、保守政党であるべき自民党の足を引っ張り続けていることは皆様、御存知の通りです。

長文、失礼いたしました。

投稿: 多鶴 | 2012/03/05 15:13

昨日、池上彰の番組で連合赤軍の一連の事件を振り返っていました。
あさま山荘事件の際、私は小学校高学年で生中継は見てました。
リンチ殺人事件は後に知りました。

池上さんの番組を見て驚くほどオウム事件に似ていることに気付きました。
総括→ポア
企業爆破等、社会破壊行為→一連のサリン事件、銃撃、郵便爆弾 事件
脱退しようとする者には死を。

連合赤軍等、当時の学生運動家は当初「この世の中を良くする。社会の悪を糾弾する。」ことが目的だったのに、いつの間にか自分たちが悪そのものに変貌。

オウムに入信した人達も、心の拠り所、自分をより高みに上げようとしていたはず。
共に、この世に不幸せしかもたらさなかった。

投稿: わい | 2015/03/31 07:03

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