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2012/03/08

思い出のグリーン・グラス 青春の残滓

人にはそれぞれ「忘れられない歌」というのがあります。
私はロックンロールが大好きで、そこからブルースに至りました。
ローリングストーンズに溺れ、B.B.キングに感動しました。
今でも変わりません。
エリック・クラプトンのレイラは、今も私にとっては大切なアルバムです。

日本人のアーチストも好きです。
ユーミンとか桑田とか。
中でも柳ジョージはサイコーですね。
あのギターの音色。
「雨に泣いてる」ではなくて「ギターが泣いてる」
でした私にとっては。

でも、今日、紹介したいのは「思い出のグリーン・グラス」
何と言えばよいのか、この歌には言葉に代えがたい私の思い出がオーバーラップします。
青春の残滓と言うのか、拭い去れない過去と言えばよいのか。
恋人との別離、学生運動の挫折、引きこもり…
この時だけは、ロックンロールというわけにはいきませんでした。

------------------------------------------------------------------

思い出のグリーン・グラス

汽車から降りたら小さな駅で
迎えてくれるママとパパ
手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私を迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

昔と同じの我が家の姿
庭にそびえる樫の木よ
子供のころに登った枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

悲しい夢みて泣いてた私
ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら夢が覚めたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれも迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

(日本語詞:山上路夫、唄:森山良子)

------------------------------------------------------------------

山上路夫さんが訳詩して森山良子さんが歌った日本語バージョンは、都会で挫折し傷ついた若い女性の望郷の念ですが、実はこれ、反戦フォークソングだったんですね。
原詩は、死刑囚が刑の執行を前にして故郷(ふるさと)での思い出を語る歌。
当時は反戦や反死刑の歌が全盛でした。
この歌も、「反戦フォークソングの女王」と呼ばれたジョーン・バエズ(Joan Chandos Baez)が歌ってからヒットしました。

以下は、1960年代に流行った反戦フォークソング。
「ドナドナ(DONA DONA)」は、ユダヤ人がナチスドイツの迫害を受け、収容所に送られていく歌。
「500マイルも離れて(500 Miles)」は、元々はジョージア州に伝わる放浪者たちが歌っていたものだそうですが、これも私たちの時代は反戦歌と受け止められていました。
ウクライナ民謡の歌詞を元にした「花はどこへ行った?(Where Have All The Flowers Gone?)」も同様です。

では、「思い出のグリーン・グラス」の原詩を紹介します。

The Green Green Grass Of Home

The old home town looks the same
As I step down from the train,
And there to greet me are my Mama and Papa,
And down the road I look and there runs Mary,
Hair of gold and lips like cherries.
It's good to touch the green, green grass of home.

        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to meet me,
        Arms reaching, smiling sweetly.
        It's good to touch the green, green grass of home.

The old house is still standing
Though the paint is cracked and dry,
And there's that old oak tree that I used to play on.
Down the lane I walk with my sweet Mary,
Hair of gold and lips like cherries,
It's good to touch the green, green grass of home.

        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to meet me,
        Arms reaching, smiling sweetly.
        It's good to touch the green, green grass of home.

Then I awake and look around me
At the grey walls that surround me,
And I realize that I was only dreaming,
For there's a guard and there's a sad old padre
Arm in arm we'll walk at daybreak.
Again I'll touch the green, green grass of home.

        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to see me,
        In the shade of that old oak tree,
        As they lay me 'neath the green, green grass of home.

作詞・作曲:Curly Putman  唄:Joan Chandos Baez

-------------------------------------------------------------------

正確に訳すと以下のとおりです。

思い出のグリーン・グラス

ふるさとの街並みは昔と同じ
汽車を降りるとママとパパが迎えに来てくれている
通りを走ってくるメアリーが見える
金髪でさくらんぼのような唇の
ふるさとの緑に触れるのはほんとうに心地いい

そうさ、みんなが迎えに来てくれるんだ
両手を差し伸べて優しく微笑みながら
ふるさとの緑に触れるのはほんとうに心地いい

古い家はまだちゃんと建っている
壁は干からびて、ひび割れてはいるけれど
僕が遊んだあの古い樫の木もある
愛しいメアリーと一緒に小道を歩くんだ
金髪でさくらんぼのような唇の
ふるさとの緑に触れるのはほんとうに心地いい

そうさ、みんなが迎えに来てくれるんだ
両手を差し伸べて優しく微笑みながら
ふるさとの緑に触れるのはほんとうに心地いい

で、僕は目覚めて周りを見ている
僕は灰色の壁に囲まれている
そして気づくんだ、僕は夢を見ていただけだと
看守と悲しそうな顔をした年老いた牧師がいる
夜明けには腕を掴まれ歩くんだ
また僕はふるさとの緑に触れることになるんだ

そうさ、みんなが僕に会いに来るんだ
あの古い樫の木陰のところに
みんなは僕をふるさとの緑の下に横たえるんだ

-------------------------------------------------------------------

森山良子さんの日本語版も良かったけれど、ジョーン・バエズの歌は歌詞の意味を知ってますます好きになりました。
胸に響くわけです、当時の私には。
恋人は、森山良子さんの日本語版が好きでした。
私とは感性が違いすぎましたね。
反戦より、ささやかでもいいから「二人だけの幸せ」がほしいと。
当時の私には、彼女の気持ちを受け入れるだけの余裕がありませんでした。

幸せ?
ふん!
そんな小市民的な幸福に何の価値があるのだ!
これじゃあ彼女が去っていくのも無理ありません。
ほんとうに傷つけたと思います、今では。

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【追記」
昨日のアルガルベ杯決勝(ポルトガル)
見ましたか?
最後の最後、ロスタイムの一発で負けましたが、2―0から盛り返し、後半は「なでしこ」らしいパスサッカーで運動量の落ちたドイツを圧倒しました。
オコイノダムバビ一人にやられた感じ。

なでしこジャパン、強いです。
強い誇りをもらった気がします。

日本 3―4 ドイツ (2012年3月7日)

Nadeshiko             試合後、スタンドに挨拶するなでしこジャパン=ポルトガル・ファロ

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個人」カテゴリの記事

コメント

思い出のグリ-ングラス私も好きでした。誰にでも思い出の歌があるのですね。

投稿: たかさん | 2012/03/08 17:07

長崎県議の浅田ますみさんが、百人斬り授業の質問をしたようです。


https://twitter.com/asadamasumi/statuses/177682190082117632

委員長はなかなか質問ができないのですが、昨日の教育委員会でどうしても1つありまして…100斬りを授業で扱った先生について…そしたら議事進行は出るわ、やじは出るわ…しかしこんな由々しき問題を放置するわけにはいきませんから。戦うべきはしっかりと!(浅田ますみ on twitter)

教育の闇へ切り込んでいただきたいです。

在特会長崎支部が電話突撃
http://amotoyamatotake.blog.fc2.com/blog-entry-209.html

文書訓告のようですが、そこで終わりにはしません。

投稿: amotoyamatotake | 2012/03/08 19:55

「思い出のグリーングラス」
3番の歌詞は衝撃的ですね。
綺麗なメロディーに、あんなに苦い歌詞が乗ると非常にドラマチックな感じがします。
トム・ジョーンズの歌声で聞くと、確かにコイツはノビやタタキで懲役食らったんじゃないな、という説得力もあるし。
欧米人はこういう意表を突くような表現構築がウマいですね。
アンブローズ・ビアスの「アウル・クリークの出来事」という短編にも通じる場面展開の世界です。
苦い現実を歌った欧米の歌には名曲が多いですね。
「ボーンインザUSA」という曲なんかも、メロディーの押しの強さとは裏腹に、歌詞はベトナム従軍世代のアメリカ80年代の不況による挫折の歌ですしね。
日本の千人針にも似たアメリカの風習に、戦場復員兵を迎える木に結びつけられた無数の黄色いリボンというのがあって、イラク占領統治にまつわるニュースなんかでも取り上げられましたが、その元になった曲「幸せの黄色いリボン」も歌詞は囚人の話でした。
ただしこっちは満期釈放で出所した囚人。
「幸せの黄色いハンカチ」は、この歌が原作という事のようです。

投稿: ブルー | 2012/03/08 19:59

子供の頃の秘密基地、川遊び、ふる里の思い出。青春の1ページでした。
あの頃とふる里の景観は変わってしまったけど、諸行無常の世の中だけど、寂しさを感じます。

投稿: | 2012/03/08 21:18

この様な話も良いですね。
私は、トム・ジョーンズの思い出のグリーン・グラスを良く聞きます。

投稿: 芹澤秀雄 | 2012/03/08 21:31

あらららら・・・・
You tube は「赤毛のアン」Anne of Green Gables(緑の切妻屋根のアン)
じゃないですか!
 

男の子向きの「トムソーヤ」「ハックルベリーフィン」や「宝島」のDVDはいくらでもあるのですが・・・
「赤毛のアン」のDVDはなかなか無いんですよ。
Blu-rayで2万7000円ならありますが・・・
 

団塊の世代の青春ソングはやはり
フォークソングですね。
日本で一番有名だったのは
「バラが咲いた」でしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=8I7D-KqKp8c
森山良子はそのあとじゃなかったでしょうか?
 

もっと前の世代なら
「鐘の鳴る丘」(とんがり帽子)でしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=O_G_WxDIn2k&feature=related
でもこれは終戦直後の流行歌ですから古すぎますかねぇ・・・

投稿: 柳生大佐 | 2012/03/08 21:34

 琴線に触れました。今まで歌詞を精読しませんでしたが、3番をトムジョーンズの歌で聞くと何故だか心が静まった理由が腑に落ちました。できれば、トムジョーンズの歌も掲載していただけたらなおさら嬉しかったです。

投稿: アル中やもめ | 2012/03/08 22:16

「望郷の念」が実は「反戦歌だった」というのが この記事のサワリなようですが・・・
 
お邪魔かと思いますが 同じような歌曲をもう一つ

「里の秋」
という有名な童謡があります。
その歌詞は

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

>ああ 母さんとただ二人(一番の歌詞)
では“お父さん”はどうしたのでしょう?
 
そう・・・
その秘密は3番にあるのです!

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります
http://www.youtube.com/watch?v=wU7ZrQFzdos&feature=related

そう
お父さんは”戦争に行っていて”家に居なかったのですね。
この歌は
終戦直後に流行した童謡ですが・・・
戦地に行っていて戦争が終わったので帰還船で妻と息子のところに帰って来るお父さんの航海の無事を祈るものだったのです。
そう・・・
ちょうど「岸壁の母」と同時代の歌だったのです。
http://www.youtube.com/watch?v=-ZVl3-4MLCA&feature=related

投稿: 柳生大佐 | 2012/03/09 00:00

坂さんより四つ年下の小生にとって
青春を彩る思い出の洋楽は
カーペンターズの「Close to you」(遥かなる影)ですね。
ハル・デービッドの詞と
バート・バカラックの美しいメロディー。
そしてカレンのアルトっぽいヴォーカルに
心の底まで癒やされました。

でも長い間、歌詞の意味はあまり意識していませんでした。調べてみたら完全な女子目線のラブソングで、
後で「こんな軟弱な歌だったのか」と驚いた記憶があります。

ちなみに日本語訳は以下の通り。

あなたが近くに来るたびに
鳥たちが急に姿を現すのはなぜ?
ちょうど私のように
彼らは思い焦がれている
あなたのそばに近づくことを

あなたが通りかかるたびに
山ほどの星が空から舞い降りてくるのはなぜ?
ちょうど私のように
彼らは思い焦がれている
あなたにぴたりと寄り添うことを

あなたが生まれたちょうどその日に
天使たちが会合を開いて
夢のような出来事が現実のものとなるように決めたんだわ
あなたの金色の髪に月のかけらがまぶしてあって
あなたの青い目に星の光が宿っているのはきっとそのせいね

それじゃ町の女の子たちがこぞって
あなたを追いかけ回すのも無理もない
ちょうど私のように
彼女たちもみんな
あなたのそばにいたくて仕方がないのね

この曲を耳にする度、甘酸っぱい思いが胸にこみ上げてきます。

投稿: やす | 2012/03/09 00:03

うちにあったのはトム・ジョーンズのでした。

思い出すのは子供の頃のことばかり。
楽しかったあの時分にぼくは又帰れるんだ。
父母にもやっと会える。あの娘にも会える。
牧師さん、いつも遊んだ庭の樫の木の下に俺を埋めてほしい。そうすれば皆んなが僕に会いに来てくれるから。

当時家族の誰かがこんな風に訳していました。
年老いた死刑囚がやっと楽になれる気がしましたし、
トムジョーンズが明るいので、あまり内容に引き摺られませんでした。


投稿: だめこ | 2012/03/09 12:26

坂先生よりひとまわりほど下ですが、「グリーン・グリーン」という歌が好きでした。
子供の頃NHK「みんなのうた」で流していたんだと思います。

 ある日 パパと二人で 話し合ったさ
 この世に生きる喜び そして 悲しみのことを

この歌でも、パパはついに帰ってきません。
元歌はヴェトナム戦争の反戦歌だったと言われています。
当時の「みんなのうた」は、外国の名曲に日本語の歌詞をつけ、一流の歌手が歌っていたりすることが多く、いくつも想い出に残っています。

投稿: 面毒斎 | 2012/03/09 12:46

しかし何度見てもホントに強烈な歌詞です。
「みんなが私に逢いに来る。」というなんでもないセンテンス。
多くの場合、幸せを示唆するモノローグが、看守、牧師、とか緑の下(それまでずっと「緑に触れる」と繰り返してきたのがコレに変わるのも強烈)という単語に挟まれると、一転して不吉な暗喩になるという、なんというか切れ味の鋭い短編小説のような余韻があります。
サキやロアルド・ダールの短編とか「ヒッチコック劇場」の掌編みたいな味がある。
欧米の連中は本当にこういうのがウマくて感心します。
メロディーに積み込める言葉の量が英語は多い、というのもあるでしょうが、冷笑的でクールなセンスもアジアとちょっと違うところがあるように思えます。

投稿: ブルー | 2012/03/10 09:27

「逆説の楠正成」
 

南北朝の動乱を告げる1335年・・・「大平記の時代」
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/nanboku/kusunoki.htm
 
京都から追われた足利尊氏が九州から再度天下を狙って大軍を率い上洛せんとする!
迎え撃つ後醍醐天皇は楠正成に
「新田義貞と合流して朝敵:尊氏を討て!」
と命じますが・・・
正成は
「天命味方せず 衆寡敵せず・・・尊氏と和睦していただきたい・・・」
と申し出ます。
しかし後醍醐天皇はこれを拒否!
やむをえず正成は
「では朝廷は比叡山に退き 尊氏軍を京都に引き込んで
ゲリラ戦にてこれを殲滅すべし!」
と上奏しますが・・・これも退けられます。
http://www.youtube.com/watch?v=FLNvO7ujU_I&feature=related 
 

死を決意した正成は数百の子飼いの郎党のみで出陣し
尊氏軍3万5000と湊川(神戸市)で戦います。
そして6時間もの奮戦の後 新田軍とは分断され敗北し弟正季と刺し違えて自害するのです。
 

ここで有名な
「七たび生まれ変わりて朝敵を滅ぼさん!」
と言う言葉が生まれるのですが・・・
これは弟正季が言ったらしく
正成自身は
百日紅(さるすべり)の花のように生命力いっぱいに生きて
故郷の河内・和泉の畑を耕し・柿の木を育てて天寿を全うしたい
というのが本当の望みだったようです。
http://www.youtube.com/watch?v=QDZWNcFun2s&feature=related
 

楠正成は日本史第一の忠臣 と言われていますが・・・
 

真の「忠臣」と言うことに関しては 以下の言及があります。
 
斉(せい・・・古代中国にあった国の名前)の名臣、晏嬰(あんえい)は主君の景公より「忠臣とはいかなるものなのか」と問われた時

『真の忠臣とは国難にあたっても国に殉ぜず、主君が逃亡するときもお供はしません』

と答えたといいます。
いぶかる景公に晏嬰は続けてこう言いました。

「主君が忠臣の意見をよく取り上げてくれれば国難はありえず、従って国外に逃げるような事態はおこらないからです」と。
 

つまり南北朝の動乱に当てはめれば
後醍醐天皇がよく人心を掌握して・時代を逆転させようなどと考えなければ
誰も楠正成を必要とはせず
彼が忠臣となることもなかった
ということです。
 

以上
「逆説の楠正成」「逆説の忠臣」でした。

投稿: 柳生大佐 | 2012/03/10 16:08

すいません。
 
木が抜けていましたね。
  
楠ではなくて「楠木正成」でした。

投稿: 柳生大佐 | 2012/03/10 19:41

森山良子さんは日本のジョーン・バエズと呼ばれてましたね。あの頃は、オリジナルの方が高級な感じがしていたものですが、バエズの歌はそのメッセージ性の高さ故に 今となっては いささか負担。「情報量」が多い分、当時の思い出したくもない情景まで、呼び戻してしまう気がします。

と言うわけで、昔は物足りないと思った、より
「純音楽的」な森山さんの歌唱の方が、今では心楽しく聴くことが出来ます。

青春を引き摺りながらも、私達はどこかで青春を片付けなければならない。坂様たちの運動がポシャっていくものですからね。私達は反対側から、別の意味で、大いに期待しておったのですが。

こりゃ駄目だ、我らも、しょうもない商人国家・企業社会の一員として 自らを片付けてゆくしかない。と、云うことで、私の親友の一人は 米国東部の大学院に留学することになりました。

「銀パリ」で、送別会をやった時のこと。男性歌手が「思い出のルシアン・カフェ」というシャンソンを歌ってくれました。
これが泣かせる、染み入るような曲でして。

今なお 目を瞑れば 君がいる

てな、歌詞でしてね。亡命ロシア人が経営する、パリの学生街にあるカフェの情景を歌っていますが、懐かしくも、こっぱずかしいガロの「学生街の喫茶店」と内容的には酷似しています。一点、決定的に違うのは、ロシア民謡の「ともしび」が挿入されているところ。

夜霧の彼方に
別れを告げ
雄々しき益荒男 出でてゆく

窓辺にまたたく灯火に
尽きせぬ 乙女の
愛の影

語りに近い歌の中で、ここだけは男性歌手がほとんどオペラテイックに声を高く張り上げます。たまたまですけれど、本当に良かった。ごく個人的な感傷の中にも「祖国」は深く宿っている。この歌は、私達を魂の深いところで、送り出してくれました。

マイナーな話ですが、今はなき「銀パリ」と、あの時の歌い手に、感謝を。

投稿: レッドバロン | 2012/03/11 07:17

欧州は「亡命者」「故郷喪失者」というのがリアルな場所ですね。
リアルというのは、そういう事にロマンチックな意味がまるでない、というのを思い知らされる場所というか。
コスモポリタンという呼び名にロマンチックな意味がまるでない場所、というか。
そしてだからこそオープンカフェの似合う場所。
20世紀初頭のウィーンとかパリはまさにそういった都市であったように思います。

投稿: ブルー | 2012/03/11 11:49

確かに 欧州には 亡命者、故郷喪失者と、その子孫が山のようにいますね。

これも たまたまですが、私には白系ロシア二世の同級生がいます。ロシア革命で祖父の代に満州に逃れ、父親の代にそこも危なくなって 日本に逃れて来たのですね。父親がロシア人で、母親は日本人です。

浅間山の見える高原の町で 本当にルシアン・カフェをやってます。気候が冷涼で、外国人の姿が珍しくない土地なので、親父さんは、あそこに落ち着いたのだろうと思います。

1950年代に ドン・コサック合唱団が来日した折のこと。主催者の労音が地方の労組と組んで「日ソ友好の夕べ」とやらを企画したのですな。
アホか!? 当然、ボツになりましたけれど。

彼らは海外公演中に革命が起こったため、祖国に帰れなくなった亡命者の合唱団でありました。白系の「白」は白軍の「白」。反ソ=反革命のロシア人は 世界中に 百万人もおりました。

これも スターリンの平和攻勢時代に亡命者への帰国事業が推進され、多くが殺されています。一体何のために、という問いも虚しい、あの世界では、全てが無意味なのですから。

こういう酷薄の歴史があって、亡命ロシア人の演奏や舞踏は、一層我らの郷愁を呼び覚まし、胸を打つのかと、思う次第です。

「山が動いた」日本で社会党・共産党が大躍進した時に、オックスフォードに交換遊学中の我らの恩師が 向こうの先生にこっぴどく叱られたそうです。「批判票の受け皿」理論も 全然、聞いてもらえずで。

急先鋒の先生は、英国人といっても、聞けば自由ポーランド政府の生き残り。大戦後も遂に祖国に帰れず仕舞いで、英国に帰化した一人でした。

お怒りはごもっともで。社共への投票行為は 政治的ジョークでは 済まされないです。いや、さすがに今度という今度は、日本人も懲りたと信じたいですが。

投稿: レッドバロン | 2012/03/11 23:52

> 坂様、

『思い出のグリーン・グラス』の御紹介、ありがとうございます。

今回、初めてこの歌がプロテスト・ソングのひとつと解り、また他に御紹介いただいた歌、「500milesも離れて」とか「ドナ・ドナ
」や「花は何処へ行った」が反戦歌と今、知った次第です。

今、改めて、英語の歌詞に隠された意味も解らず単に外国の歌として歌っていた、幼かった頃を思い出した次第です。 反戦歌としてはせいぜい「戦争を知らない子供たち」を歌ったくらいで、反戦(ベトナム戦争)や学生運動と無縁の田舎に居りました。

その方面の歌よりは、丁度、売れ出す前の 拓郎 の「マークⅡ」や「夏休み」を合宿の際の休み時間に歌っていました。
...その頃、学校での合宿での歌にギターで伴奏していた同級生が、今はアルフィーや松田聖子へ作詞や編曲なんかやってますが。

それで、「学生街の喫茶店」なんかが流行った後に学生となりましたので学生運動には触れることもなく、オイルショックの影響が残る就職難時代に社会人となりました。...そうそう、「いちご白書をもう一度」が流行ってサークル・ゲームが学生運動を扱った映画の挿入歌と知った次第です。

プロテストソングの本当の意味を知らない世代の(単なる、はやり歌?)の始まりは、私の世代なのでしょうか。

もちろん、その頃に読んだ「さらばモスクワ愚連隊」や「デラシネの旗」なんかは、遠い世界で実感が無く、その後に読んだ「海峡物語」の演歌の竜の方が身近に感じたのですが。

投稿: ムフフ | 2012/03/12 14:10

レッドバロン様

「帰国事業」により、応じた帰国者が酷い目に遭う、などという事を北朝鮮だけじゃなく、後見人のソ連もやってたんですね。
かの「坂の上の雲」ではコサックの騎兵軍団といえばアジア最強の騎兵部隊であり、日本陸軍秋山騎兵隊の強敵(というか、正攻法では絶対に勝てない相手)でありましたが、ロシア革命後は、

 1918年から1920年にかけてコサック階級は排除され、コサック諸軍は廃軍となった。内戦後、裕福なコサックの一部は欧米諸国へ逃亡したが、残されたコサックは共産党による弾圧の対象となった。総数約300万人のうち、約300,000人から500,000人のコサックが、非コサック化(Decossackization)の期間中に移住させられた。

全大ドン・コサック団(All Great Don Cossack Host)<(注26)>の懲罰諸機関は、1918年5月から1919年1月の間に25,000人の人々に死刑を宣告した。

ウクライナ人の村人達は、(後にNKVDになる)ゲーペーウー(OGPU)<(注3)>によって特に選ばれて生かされたままにされ、納屋や映画館で彼等のコサック人たる隣人達をかき集め、燃やすためにリクルートされた。

といった徹底的なジェノサイドとエスニッククレンジングに遭い、第二次世界大戦後も、

コサックは冷戦時代,弾圧の対象だった。 コミュニティは解体され,コサック指導者は抹殺され,
歴史資料は焼却された。 ロシア革命に協力したコサックもいたにかかわらずである。

その結果、

冷戦後,コサックはようやく復活したが,抹殺期間が
長かったため,伝統は完全に途絶えており,欧米に残る
資料を頼りに,幾多の試行錯誤が続いているという。

という有り様になってしまったようです。
かのドンコサック合唱団も本拠地はアメリカのようですね。
社会主義や共産主義に酷い目に遭った人達の恐怖感(それには帝政ロシアの属領に対する圧政の記憶も預かって力があったと思えます。)、特に地続きの欧州居住の人々の恐怖感というのは島国の住人にはなかなか本当には理解出来ないところであるような気がします。
オックスフォードの先生と日本の先生の認識のスレ違いというのは根本的で相互理解が非常に難しいものに思えます。

投稿: ブルー | 2012/03/19 16:49

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