自由は義務と表裏一体であることを自覚せよ!
左翼偏向教師はいらない。
私はネット上で「ネット右翼」と呼ばれています。
東亜日報や朝鮮日報には「極右」認定されました。
が、本人にはそんな自覚、微塵もありません。
まあ、一時は破竹の勢いでしたから、自民党の国会議員からエールが届く反面、民主党「リベラルの会」に所属する議員からは反論される、そして共産党のある地方委員会の公式ブログで批判されたこともありました。
それだけ私の登場は、当時においてはショッキングだったのかもしれません。
彼らにとって。
なぜなら、それまでの保守系ブログと言えば、メディアの記事を引用し、その時々の事象に批判的コメントを加えてお終い。
私の目から見ても、まったく勉強にならないのです。
左翼に無知だし、永田町の実態も知らない、経済や財政にはまったくの音痴で論じることさえしない。
ただただ中共や韓国・朝鮮、あるいは反日日本人を批判するだけで、その知的レベルは彼らが「マスゴミ」と軽蔑する既成メディアにまったく敵わないわけです。
そんな中、元左翼が「ネット右翼」に変身して登場した(爆)
私は、中共や韓国・朝鮮、あるいは反日日本人を、その根底にあるイデオロギーや歴史認識、あるいは経済構造などの分析に基づいて批判しました。
現象を見るだけではなく、それを生み出す根源的な部分にまで踏み込んだのです。
それが彼らの自尊心を傷つけたのか、猛烈なバッシングを受けました。
当時、印象に残ってるのは、共産党のブログが「1年間で400万アクセスを超えるお化けブログ」と書いていたこと。
それから「ごまめの歯ぎしり」さんから感情むき出しのコメントをいただいたこと。
Hatenaでは、私がエントリをアップするたびにブックマークされ、レイシストとかネトウヨとかの言葉が書き込まれる。
コメント欄には荒らしが殺到する。
私がコメントやTBを承認制にしたのは、それが原因です。
右と見られるブログで、承認制を導入したのは、このブログが最初だったと記憶しています。
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私自身は自らを右翼とは思っていないし保守という自覚もありません。
他人はどう思うか分かりませんが自由主義者だと思っています。
何より自由が大事。
特定の思想や価値観の押し付けには本能的に反発します。
仕事は利益追求が第一ですから全力を尽くしますが、本質的には金儲けが嫌い、というか、カネで人間を評価することに強い違和感を覚えます。
贅沢をしたいとは思わないし、ブランド物や高級車にはまったく関心がありません。
普通に暮らし、野球やサッカーで好きなチームを応援し、たまに食事で贅沢ができればそれで満足です、あとはおいしい酒ですね。
野球はトラ、サッカーはレッズ、天ぷらは「天一」でトンカツは「梅林」、串揚げは「磯村」、そして中華は「銀座アスター」です。
食事で挙げた店はすべて銀座ですが、私がもっとも好きな街ですから当然です。
あと寿司は「蛇の目鮨」(新富)、しゃぶしゃぶは「木曽路」(外食)、お好み焼きは地元の「好きやねん」、博多ラーメンは「ぼたん」(高田馬場)、焼肉は「ちからや」(池袋)がお薦めです。
「吉野家」の牛鮭定食も捨てたものではないし、「小諸そば」は費用対効果としてはサイコー、リンガーハットのチャンポンは長崎よりうまいと実感します。
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ところで、私は自由主義者と書きましたが、私の言う自由とは自分勝手ということではありません、当然ですが。
私にとって自由は義務と表裏一体、国民としての義務を果たしてこそ自分の肉体的、精神的自由があると考えています。
義務を果たさず、自由ばかりを唱えるのは反体制主義者であり私とは相いれません。
まじめに働き応分の税金を納める、それに基づく自由です。
ろくに働かず、憲法は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障していると主張するなど本末転倒、まさにパラサイト(parasite)の考え方です。
こういう日本人が増えると、この国は滅びます。
自由は、精神的、経済的自立と不可分のものです。
精神的、経済的に自立できていないのに自由を叫ぶ、それは甘えにすぎません。
何度も書きましたが、他者に依存して、あるいは他者に責任を転嫁して自由などありえません。
人生は、どこまで行っても自己責任、その見返りが自由です。
だから、自分の自由を侵す者に対しては自己責任の範囲で反撃したら良い。
平等について言えば、私は尊重すべき価値観だと思っています。
例えば男性と女性。
戦前は、制度(法律)的にも慣習的にも明らかに男女間に差別がありました。
戦後はそれが大幅に改善され、結果として高度成長を可能にする一因になりました。
私は、まだまだ女性の働く環境は改善されるべきだと思っています。
が、ここで注意してほしいのは、ジェンダーフリーと男女平等は違うということです。
男は男であり、女は女である、そこには明確な違いがあります。
にもかかわらず性差を否定する人たちがいる。
「男らしさ」「女らしさ」というのは、生物学的に間違いなく存在するのです。
それを「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業が発生する。だから、男女を分ける制度を失くしてしまおう」というのは、階級闘争の概念を男女間に持ち込むものと批判せざるを得ません。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というシモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉は、一面的には真理を突いていますが、総体としてみればあまりに偏りすぎていると思います。
平等であることは素晴らしい。
が、男女間には明らかな違いがあります。
また人間の能力は、その人によって大きく異なります。
つまり区別や格差は、人間が人間である限り避けられないのです。
この性差や能力差を無視して、すべての人間存在を平等にしようとすれば、そこにおいては人間らしい個性やみずみずしい感性は抹殺されてしまいます。
これこそ私が本能的に反発する特定の思想や価値観の押し付けであり、人間的自由の抑圧に他なりません。
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話は少し飛びますが、君が代の斉唱を義務付けるのは自由の抑圧ではありません。
既に書きましたが、自由は義務と表裏一体なのです。
教師は学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っています。
教師には人間としての根源的な自由権があります。
が、それは義務を果たしたうえで尊重されるべきであって、義務を放棄して自由を叫んでも、それは自分勝手というものです。
特に教育公務員には高い倫理性と遵法精神が求められます。
それを放棄して日の丸・君が代を拒否しても社会の理解は得られません。
実際、教育現場では、そういう教師が浮いているという声を聴きます。
自分は国家にparasitizeして生きているのに国家を否定する、こんな人間が軽蔑されるのは当たり前。
この問題は、自由や人権とは何の関係もありません。
むしろ特定のイデオロギーに束縛されている、精神的に自由と最も遠いところにいる、それが日の丸・君が代を否定する教師たちではありませんか?
私は、自由主義者として、特定のイデオロギーに基づく価値観の押し付けを教室で行う教師たちこそ糾弾されるべき対象だと思っています。
日の丸・君が代を強制と感じるのなら教師をさっさと辞めたら良いではないですか。
職業選択の自由は保障されているのですから。
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国民の大多数も社会の大勢も特定のイデオロギーに囚われた教師など必要としておりません。
個人が自立することの大切さ、社会人としての常識と良識、国民としての義務を果たすことの重要性を教えてくれる教師、その上での人間としての自由と権利を尊重してくれる教師を皆は求めているのです。
偏向教師はいらない。
偏向教育を許してはならない。
真の自由、人間の本質を教えてくれる教師を望みたいと思います。
自由は義務と表裏一体であると教えてくれる教師。
これが大切だと強く思います。
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コメント
責任と自由はなんだか
3コードでジャムセッションをするみたいで・・
でもチョーキング一発
ビブラート一発で
それぞれ個性があるんですよね
この曲演奏するから
コピーしてきてっていわれてもねぇww
じゃあCD聞いてろよwってことで
多くの人と
共有できる自由が最高です
Let's jammin'ですよ
投稿: coyote BoRRacho | 2012/03/31 15:10
私は自分を保守系と分類していますが、保守とは文字通り保ち守ること。それに徹していては必ず閉塞しますので、時と共に人の価値観も変わってゆくし社会も変化するのに合わせて改革をしてゆかなければなりません。改革のない保守は単に老いぼれてゆくだけです。
その意味で私は革新系でもあるでしょうが、ただ、物事を変えるのは当然現状よりも状態が良くなることを確信しての話です。しかし、今の左翼さん達はとにかくぶっ壊してしまえと言うだけで、壊したあとどうするのかの提案がありません。
また提案があってもそれが本当にその通りになるのかの実証がされない限り、古い物を手放すわけにはいかないのです。したがって、最初は試験的に変えてみるが、現状は維持をする。そして試験運用の結果現状よりも明らかに優れていることが確認出来たところで大幅に変えてゆけばよいでしょう。
更に、新方式が優れていると分かっても旧方式に基づいた社会の仕組みを変えるにはそれ相応のコストもかかり、利害の移動があり当然ながら軋轢が生じます。それをどのように解決するかも、変えてゆくためには必要不可欠な要素です。
今の自称革新系実は単なる無責任な左巻きはその展望が全くありません。だから責任を伴わないと言われる所以でしょう。原発をすぐに停めろと言う例の新党が示す代替案は、代替案になっていません。核武装をするなと言う連中には安全保障に対する代替案がありません。彼らを左巻きとの認識はないでしょうが、代替案のない無責任性という意味では五十歩百歩です。
ちょっと耳が痛いのは、ブログで既成メディアの記事を引用し、少し評論をくわえるケースが多いとのこと。私も既成メディアの記事を多用しますし、場合によっては個人ブログや掲示板なども引用します。ただし、裏はとりますが。
私がブログを書く場合ソースはどうしても既成メディアにならざるを得ません。自分で取材は出来ませんから。したがって、既成メディアに嘘が有ればお手上げですが、その裏をとる努力も欠かせませんし、また鵜呑みにしているわけではなくそれに対する自分の主張をすることがブログの主目的です。批判をくわえても必ず自分ならこうするという代替案を出します。さもないと、独りよがりの単なる無責任言いたい放題の右巻きブログになりますので。
したがって、ご承知の上でおっしゃるのでしょうが、「なぜなら、それまでの保守系ブログと言えば、メディアの記事を引用し、その時々の事象に批判的コメントを加えてお終い。私の目から見ても、まったく勉強にならないのです」との表現は少し言葉足らずではないかと思います。メディアの記事を引用しないならあとは自分の頭の中だけの言葉の羅列に過ぎなくなります。
投稿: たかおじさん | 2012/03/31 16:25
坂さま
こんにちは。
坂さまのブログはいつも心に響きます。
本当の人生が書かれているからでしょうか?
いろいろなスポーツが見られる時期ですね。
フィギュアスケート・卓球・野球・サッカー・ゴルフ
サッカーは地元なので川崎フロンターレを応援しています。
時々等々力競技場に観戦に行きます。
友人がスタッフにいるので、J2の徳島ボルティスも応援しています。
来年こそJ1に上がれるといいのですが。
投稿: はやぶさ | 2012/03/31 16:49
根津公子の顔って筑紫哲也に似ていますね。
公務員として充分な所得を得て日本を貶める。
職業に貴賤はないけど人間には貴賤があるのです。
投稿: たかさん | 2012/03/31 17:08
自由には義務が伴う。そのとおりですが、それをどれほどの人がが理解できていいるのか疑問です。
特に憲法9条を守れとか言っている人たちなどその典型でしょう。
古代ギリシャは民主政の発祥の地ですが、どうして出来たのかを、ほとんどの人は分かっていないのではないのでしょうか。
現代の人は、ギリシャの時代には奴隷がいた階級社会だから不完全な民主政だったと思う人がいるでしょう。
それは民主政というものが戦争と不可分であるということが分かっていないからです。
戦争は国の存亡をきめるのだから当然ですが、当時は戦争に参加できるひとだけが政治に参加できたのです。
当時は兵器は自前だったので、平民でもお金があり兵器を自前でき戦争参加すれば政治に参加出来たのです。
ギリシャが貿易が盛んになり豊かな平民がふえ、兵器をそろえ戦争に参加できる人がふえ、それにともない民主政治が発達していったのです。
民主政が完成したペルシャ戦争後と言われています。
それは、その戦争で海戦があったのですが、当時の軍艦は手こぎであり、その漕ぎ手は兵器の必要性がないから一挙に戦争に参加出来る人がふえたためだとされています。
選挙権が男性だけだったのも戦争に行くのは男子だったからで、民主政というのは、なにも男女同権とか人間は平等とかいう、うるわしい概念からではありません。
スイスで女性の選挙権が与えられたのが1971年と遅かったのも兵役と関係があったからでしょう。
国家の役に立たないような人に選挙権があるのは民主政の原点から外れているのです。
選挙権を取るのに試験でもしたらいいのではないのでしょうか。
交戦権のない平和憲法とやらは民主政の原点の理念に反するのです。
投稿: しろうるり | 2012/03/31 17:38
許されるところもひょっとしたらあるかもしれません。
(実際には一般企業こそ情け無用のところの方が多いでしょうが)
しかし「公務員」というのは別格です。
警察官にしろ、自衛官にしろ、最も避けるべきは「公私混同」です。
個人的にはどんな思想を持っても良い。
しかしそれを職業に反映してはならない。これが鉄の掟です。
ディティールは忘れましたが、普段自衛隊を批判している左翼団体が
海上自衛隊に助けてもらった時に、ある自衛官が、
「ああいう人たちを守るのも私たちの仕事だ」
と言っていたことがありましたね。
これが公務員です。
気に入らない奴等だから助けない、なんてことは許されない。
気に入らないことであっても業務であれば実行しなければならない。
これは、役所の仕事でも、教師でも、公務員であれば同様です。
どうしても心情と相容れないなら辞職すれば良い。
その自由は保証されている。 つまり基本的人権は守られている。
業務を遂行もしない。しかし辞職もしない。
こんなのは論外です。なぜ辞職しないかと言えば、
それは公務員の手厚い社会保障を手放したくないからでしょう。
まさに、唾棄すべき社会の寄生虫と言われるべき輩です。
投稿: 鳩槃荼 | 2012/03/31 18:21
不思議と左翼や在日は被害者や弱者を装うのですね。しかし実際は強引に物事を押し進め相手の話も聞かず脅しを持ってしてでも引かせようとする。日教組然り創価学会しかり。強引な強肩兄・公明に対して穏やかに見せる弟・共産もまた実際は教育界に・生活保護獲得においてやはり強引に認めさせようとします。教育基本条例において日教組と戦ってこられた先生方も尋常でない脅しをされ学校にまで乗り込んできて校長と共に詫びて屈日教育をするようにされたそうですが、実際に生徒達に彼らの話が正しいかそれとも自分達日本人を育てる話が正しいか聞いてみると生徒達も目覚めて今の日本の何が問題なのかを知り変わり始めたのだそうです。日の丸・君が代を認めれば日本人が目覚めて1つになり始めてしまう。その恐怖から抵抗も強くなっているのでしょうが現在ではネットがあり年長者は以前よりものの真偽を知っておりましたし、子供たちはネットから情報を得てこれまた今までとは違い考えと日本人としての矜持と自覚を持ち始めました。多くの子供達がネットから変り始めた今、ネット界で日本の現状と左翼教育・教師の異常さをわかりやすく説明して下さる依存症の先生や博士さんの様な方々がブログを続けて下さることは本当にありがたい。お止めになられた方々も又復活して下さると良いのですが。
投稿: 大阪は晴れだしています | 2012/03/31 19:12
私は必ずしも自由と義務とは表裏一体とは思っていません。
表裏一体となるのは、自由といって権利を主張する時だ、と思います。
権利にはもれなく義務もついてくる。(自分の権利を主張するためには他人の権利を尊重しなければならない--当然の義務です)
自由には責任がともないます。世の中には野垂れ死にしたり、自殺してりする自由だってあるのですから--。
(自分の)自由を主張する権利があるなら、(他人の)自由をまもる義務もついてくるでしょう。
この当たり前がわからないのがサヨクでしょう。
反対するのは自由ですが、責任をとる覚悟や対案の無いのがサヨクといわれる人間なんでしょう(サヨクといわれるヒトでまともな対案や根拠を示せる人間がどれだけいるのでしょうか?
少なくとも私は根拠や対案を示せるサヨクに会った事はありませんが--)
自由と責任。
権利と義務。
そして宗教や道徳の教育。
これらを教えられる教師がどれだけいることやら--。
少なくとも、日教組にはいそうもないですね。(笑)
投稿: みやとん | 2012/03/31 20:06
日の丸・君が代に敬意を払う=戦争への道=悪いことと
いう反日左翼分子の主張が、納得出来ませんね。
反対に、日の丸・君が代に敬意を払うことが、愛国心の涵養になるという保守側の主張も客観的裏づけがないと思われます。
反日左翼分子の主張は、日の丸・君が代に敬意を払うことは「愛国心を涵養するゆえよくない」と、何疑いなく
主張しますが、(それゆえ反日であることを公言していることになるのですが)、それじゃ、「愛国心の涵養」の「効果」に関して、反日左翼と自称保守は同じってことになってしまいますね。
投稿: 三毛猫 | 2012/03/31 20:56
坂様こんばんは。
左翼って、中国共産党の工作にすっかり嵌ってしまっていますね。
先の大戦について真実を言うだけで「右翼だ!」「ネット右翼だ!」と騒ぎたてますが、そもそも支那事変、大東亜戦争に突入した当時の政権は社会主義者ばかりですよ。
まず、近衛文麿自身はマルクス主義者であり、そのブレーンはすべて社会主義者ばかりですよ。大政翼賛会や企画院は右翼の集まりではなく、左翼の集まりだったんですから。
極めつけは、コミンテルンの工作員だった尾崎秀実です。彼がスターリンの意思を汲んで日本軍を南進させるように近衛文麿に進言したのですから。
左翼や中国共産党、朝鮮人は何かとヒトラーを批判しますが、ヒトラーも左翼同様の社会主義者だったのです。
日本の右翼(黒龍会)は「人種差別反対」の立場だったわけですが、日本の敗戦でGHQに解体されました。
左翼って、自分達の罪を右翼にせいにして「平和、人権」と叫んでいるのですから本当にずるい連中ですね。
それにしても左翼や朝鮮人って、中国共産党の工作活動にすっかり利用されていますね。
http://nippon-senmon.tripod.com/tairiku/chuugoku/tainichi_kousaku_b.html
在日朝鮮人が「街宣右翼」となって軍歌を鳴り響かせているのも、中国共産党の工作の一環なのでしょうか。
それにしても、日本が侵略国家だ、強制連行したなどと騒ぎながら日本に密入国して居座る中国人や韓国、朝鮮人が後を絶たないのはどうしたものでしょうか。
また、反日左翼はそんなに謝罪をしたければ中国や朝鮮、韓国に移住してボランティア生活をすればいいのに。
反日左翼や中国人、朝鮮・韓国人は寄生虫みたいですね。
投稿: ちゃお | 2012/03/31 21:12
ここで「ジェンダーフリー」の話が出ていますが、この「ジェンダーフリー」は、学力低下を招いて修正された「ゆとり教育」と同根の発想なのですね。どちらも、人間にきちんとした規範や考え方を教えることを否定し、「個性」「自分らしさ」「可能性」などといったあやふやなものばかりを持ち上げ、「人間は抑圧するからおかしくなる。自由にさせればだれもが良い個性を伸ばして立派な人間になるはず」という甘ったるい考えに立脚している点では共通しています。ゆとり教育の誤りが明らかになった今、ジェンダーフリーも見直されてしかるべきでしょう。
そもそも、日本のフェミニストたちは、「今の日本は男女平等の後進国だ」と言いながらも、その根拠としてはだれもが判で押したように「男性に比べて女性の賃金が低い」(そりゃたしかに、同じ仕事をして女性の方が賃金が安いのなら問題ですが、「カネをたくさん稼ぐやつがエラいという拝金主義的な発想にとらわれているわけですね)「国連のどっかの機関が発表している男女平等指数が先進国の中でダントツに低い」(この手のランキングでは、フィリピンなどの発展途上国が日本よりもかなり上位に来ます。しかしフィリピンで政治家や企業の役員になれるような女性は金持ちの上流階級の出身で、それ以外の庶民の女性の生活はいかがなものでしょうか)といった程度しかあげられないのですね。むしろ今の日本では、なでしこジャパンでもAKB48でもアニメでも、元気なのはむしろ女性ばかりではないですか。
>むしろ特定のイデオロギーに束縛されている、精神的に自由と最も遠いところにいる、それが日の丸・君が代を否定する教師たちではありませんか?
まさにその通りですね。ブサヨク思想とカルトの類似性については、ここで私も何度も書いてきましたが、おそらく「日本人なんて民主主義や人権に対する意識の低い愚か者ばかりだから、進んだ意識に目覚めた我々が日本人を啓蒙してやるんだ」というのが左翼の基本認識でしょう。彼らが日の丸や君が代をこうまで否定するのも、このような愚か者のシンボルなんかに敬意を払いたくないからでしょうね。
投稿: 南溟 | 2012/03/31 21:18
国歌斉唱に反対する教師は、校歌斉唱を拒否する生徒に対してどう扱うのだろうか?また授業の始まりでの「起立」「礼」「着席」の号令を無視して生徒が立たなかったら教師はどうするのだろうか?
私が学生ならやってみたい。
投稿: ヒロ | 2012/03/31 21:48
ジェンダーフリーを唱え、男女の区別をなくし男女を分ける制度を無くしてしまおうという人達は「女性も男性と同じようにツルハシとスコップを持って道路工事をするべきだ」となぜ言わないんでしょうかねえ。
福島瑞穂も口だけじゃなく率先垂範して肉体労働をすれば少し痩せると思いますよ。社民党の支持率も少しはアップするかも。
投稿: 琴姫七変化 | 2012/03/31 21:51
自由とはいうのはどういう概念なのでしょうか。全くの束縛のない行動など気違いでしかできないでしょう。選択の自由といいますが、自己を含む有限の環境のなかでそのとき最良と思うことを選択するだけです。その時の判断を他の力で選べなかった時に自由がないというのではないでしょうか。
具体的なものは条件や束縛のほうであって、自由とはそのときに意にそまない束縛のないある状態にしか過ぎないのではないでしょうか。
いわゆる洗脳状態でもその人は自由に選んだというでしょう。
自由人とはたんに奴隷ではないということです。平和とは戦争のない状態です。
具体性のあるのは奴隷であり戦争なのです。自由にしろ平和にしろ、善とか幸福というのも具体的な光り当たるものではなく、奴隷、戦争、悪、不幸という具体性のあるものの影みたいなものです。
影を光と勘違いするから、自由を追っているつもりが奴隷状態におちいり、平和を追っているつもりが戦争になるのです。
われわれ出来ることは不自由にならないこと、戦争にならないようにすること、悪行を行わないようにすることしかないのです。
本当の自由を望むのは奴隷だけです。平和という具体性のないものを振りかざしていては平和を得られません。
投稿: しろうるり | 2012/04/01 00:20
国会議員のブログもだいぶ参考になりますね。
保守系議員の尽力により成立した法案の経緯を、産経でさえ載せていない場合があります。
産経を責めるという意味合いではありません。阿比留瑠比記者は立派な人物だと思いますが、彼でさえメディアの能力不足を嘆く節があります。
やはりメディアにも限界はあるという事でしょうか。
投稿: | 2012/04/01 00:27
売国教師の教え子たちの、ぜひ読ませたくなる文章です。
非常に理が通っている。これを、売国教師が読んだらどんな反論をするのか見たくなりました。
投稿: | 2012/04/01 07:57
ブログのなかには、新聞記事などを長々と引用し、簡単なコメント(らしきもの)で終わっているものが目につきます。
また、口汚く罵るばかりのものもあります。
ともに、「憂国の情」はあるのでしょうが、勉強と品性の不足があります。
「憂国の情」があれば、なおのこと、人を分かりやすい言葉で説得し、共感を得る努力が必要です、これは、決して阿ることではありません。
よく理解できていない人間の文章ほど「難解」です。
ことさらに難しい言葉を使ってはいるのですが、その言葉をコントロールできずに「自爆」状態のものにいたっては、「悲喜劇」でしかありません。
言葉は、その人の品性と知性の表出だと、つくづく感じます。
このブログの魅力は、思いを巡らし、よく調べながら書かれているところです。
そして、阿ることも怯むこともしない姿勢。
ここに多くの共感が集まるのだと思います。
さて、
根津公子氏が「教育界のジャンルダルク」ですか。
案外、本人は、そんな気持ちかもしれません。
しかし、本物と決定的に違うところは、
決して火刑にならないことです。
高額の退職金、年金と安全が保障され、自らを「善なる人」と信じて疑わない「平和な闘い」なのですから。
多くの職業・職種において、そうなのですが、一部の人間の評価が全体の評価とする愚は避けなくてはなりません。多くの公務員、教員は熱心に働き、頑張っておられます。
ただ、時として、教員の場合、子どもと接する時間が多く、その空間に長く身を置くため、社会性の発達が不十分な「世間知らず」が現れることも事実です。
社会性の発達の不十分さは、「自己愛」の強い人間を生むことが多くあります。
相対化して自分を見ることができなくなるからです。
「安全な環境」と「自己愛」に浸りながらの「教育界のジャンルダルク」というところでしょうか。
投稿: Ethos | 2012/04/01 10:19
ネット右翼と左翼の違いに視点・生活的立場の相違はありますが、ネットウヨクは発言することはあっても心情を述べるだけです。
片や左翼全体のいかがわしさが本来は毛嫌いするはずの金銭的欲望で信者を集めと感じることです。
左翼は体制?政治に対してカネよこせ、少なくとも信者からは献金が集まる故に組織が続いていることです。
国歌斉唱に反対しながら地位にしがみつく、不当に高い(労働能力に対して)給与に矛盾すら感じずに騒ぎ立てるおかしなものです。
ネットウヨクと左翼のどちらが金銭的欲望に害されているのでしょう。
投稿: tatu99 | 2012/04/01 11:34
桜井よしこ氏講演会誇りある日本人として
http://youtu.be/sQQEK9oPRwk
(動画)
今、歴史に学び、如何に行動してゆくか。
とき :4月19日(木)開演午後7時
ところ:市民文化会館大ホール(静岡県三島市)
入場無料
当日参加も可能ですが、事前申し込みで席が確保できます。
申し込み・問い合わせ
FAX 055-971-5001
TEL 055-971-1687
電子メール info@mishimajc.jp
詳細は
マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
投稿: 愛信 | 2012/04/01 14:01
「ネット右翼」「ネトウヨ」という言葉をネットではよく見かけますが、どんな事を言う人がそうなのか分かりませんでしたけれど、管理人様にもそう冠されるのなら普通の在るべき日本人ですね。
堕落のテキに総攻撃される程注目を浴びて、名誉あるスターじゃありませんか!と受け取りたいです。
自由も義務も平和も、多分この世の殆ど何でも、果てしなく求めて佳いものでは無いと思っております。ある一定程度の所で自律規制を自己の内に無意識に設けて居ないと、互いの居心地の良さを毀してしまうと思います。果てしなく求めて佳いものは、自己研鑽ぐらいかと。怠け者の私が言える言葉ではないのですが、そう思います。
ベトナム戦争末期に外国の報道員が一般のベトナム人と思われる人に「何が欲しい?」と取材したら「自由」と答えたのを日本の報道関係者が聴き、「平和ではないのですねえ」と(ちょっと馬鹿にした雰囲気で)コメントしていたのを強烈な印象で記憶しています。世代を超える戦場化した土地で求められるものが平和ではなく自由という世界の厳しさの端っこを見る思いでした。
左翼は自由や平和や差別のない世界を謳いますが、中共やソ連圏の何処にそんな高価なものがあったと思えるのでしょうね。ぜ~んぶ逆で、そのような事を口にするだけで命を掛けなければならないのが現実じゃありませんか。そして今民主党が提出をちらつかせる幾多の抑圧・売国法案には、少なくとも日本人の自由は考慮されていないと思います。彼らが夢見る左翼政権と、そうではない人々の「自由」の中身が全く違うものなのでしょうか。
全く関係のない私の粗忽さですが、ちょっと昔に店頭に並んでいた「やさしいヨサク」とばかり見間違えして覚えてしまった本の題名が何ヶ月かして気がついたら「やさしいサヨク」でした。手に取っても居ませんけれど。
「天一」私も好きな味です。
投稿: よれこ | 2012/04/01 14:03
「起立」「礼」「着席」の号令。
昨年震災訓練で孫を迎えに行ったところ、
立って下さい
座ってください
と子供たちにお願いをしていて、魂消ました
番号の号令も無くなっていて、先生が一人二人と数えていました。
礼は校長が勝手に頭を下げているだけ。
先生も子供たちも知らん顔していました。
モンスターペアレントに正義ありと痛感しましたね。
投稿: merlin | 2012/04/01 14:20
坂様はどっから見ても「依存症の自由主義者」です。
それが保守、まして韓国から右翼のご指定とはねえ。この国が立脚する思想的な地盤のズレが、よく判るエピソードです。
それにしても、教育界のジャンヌ・ダルクとは!?
オルレアンの少女が余りにもお気の毒…と思いきや、(爆)の一文字が入っておりました。坂様のブログが知性と信頼性を感じさせる所以です。
坂様がトラ・ファンで、銀座がお好きで、天一に、磯村に、梅林、銀座アスターねえ…。この辺は、もう、ほとんど保守の気分。(笑)
保守主義は伝統に価値を置き、その価値(…老舗なら、味やサービスや雰囲気)を守るために、現実にはプラグマティックに対応し、改革を厭わないという種類のものでありましょう。銀座の老舗群は、日本ではなかなかに成り立ち難い保守主義の風貌を仄かに伝えているように思われます。
気がついたら ここが食べ物ブログになっていた、というのは流石に多くの読者の方にまずいでしょうが、生きる喜びのない人の文章は読む気がしません。
頼まれもしないのに革命だの憂国を請け負って、年中しかめ面しく小言を言いながら、実は個人的なコンプレックスと不愉快を周囲に撒き散らす。ネットに限らす、残念ながら日本で政治に関心を示す人は、昔からそれ式が多いです。ゆえに、政治に拘わる人間と関わりや縁を持つとロクなことがない。普通の生活人が、そのように考えるのも、やむを得ざる仕儀で。ご不快なことも多いでしょうが、私小説ならぬ私政治・経済論しかない現況では、坂様のブログがパブリックな言語空間として存在し続けることを願っております。
そうでした。昔、フェミニズムに凝ってる女性(当時・大学院生)を歌舞伎座に連れて行ったことがあります。ジャンヌ系ではなくて、ナルシカ系の人でしたが、ちゃんと着物を召しておりましたぞ。 ジェンダーまでは行き着いてません。あんなんでも、今は教授になってるからな。勿論、ルックスではなくて、学問内容のことで。
歌舞伎やオペラやバレエの舞台を観るのに、男子と同じ服装で行くぐらい、情けないことはありません。江戸の昔より、観客もまた劇場の重要な構成要素でありますから。こういうのは誰が決めたのでもない、伝統の力です。
ジェンダーに対する最も有効な制圧方法の一つだと考えております。女子が男装して良いのは宝塚の舞台だけでありまして。
誰か、根津さんを、誘って上げて下さい。
投稿: レッドバロン | 2012/04/01 16:32
坂さんはまことに常識的なコメントをされる方ですが、それが右に見えるという事はそう発言している本人が知らず知らずか左にかなり偏っている証明です。
現状はポイントポイントである、政治家、官僚、教育機関、学者、作家など社会に発信力のある所に左翼の残党がいます。
その勢力を消滅させる戦いが暫くは続くでしょうが、それらに対立する勢力は力を付けて対峙しましょう。
投稿: Pin | 2012/04/01 17:59
悪魔は笑顔でやってくる。
一見、人のよさそうな笑顔は曲者です。
カルト宗教の勧誘、サラ金の受け付け、
ルーピー(民主党)関係者、反日サヨク教師…。
こいつらは一番信用してはならない連中です。
とりわけ、反日サヨク教師は
つくった笑顔なので、よく観察すると
目が泳いでいます。
ホンネは相手をどうたぶらかしてやろうか、と
きれいごとのマシンガン攻撃を準備しています。
歯の浮くような話をまことしやかに
騙る才能には長けていますが、
事実関係の突っ込んだ質問で応戦すれば
ヒステリーの捨て台詞を吐いて
すぐ逃げ出します。
撃退するのはさほど難しくありません。
ただ、その学校にお子さんがいる場合は要注意です。
陰湿な仕返しを受ける恐れがあります。
しかも反日サヨク教師が徒党を組んで報復に出る場合があります。くれぐれも気をつけましょう。
投稿: やす | 2012/04/03 01:35
偏向教師を糾弾するエントリーかと思って読んだら食欲が刺激されるエントリーでした。
リンガーハットは入った事がありませんがいつか行ってみます。
感情剥き出しのコメントを寄せた「ごまめの歯ぎしり」さんって…。
自民党が保守政党でも何でもない事を端的に示す事例ですな。
なぜなら彼ら親子があの政党の重鎮である事は思想に対する寛容度合いの問題じゃなくてリーグの問題だからです。
彼らが自民党に在籍しているのは、オールスター戦の投票においてセ・リーグの選手一覧にパ・リーグの選手が乗っているようなモンです。自民党の立党の趣旨から言ったら。
そこらへんを曖昧に済ませているところ、如何に日本の政党がポリティカル・パーティーでは全くない「議員生活互助会」であるか、を示していると思います。
外国に占領統治された国において「この言語は禁止」とか「この歌は禁止」とか統治国に強制されている地域があります。
中共が東トルキスタンでやってる事なんかがそういうのの好例ですが、民族同化政策の一端なんですね。
偏向教師がやってる事はそれと全く同じなんですな。
彼らは国歌に抵抗してるんじゃない。
日本の国歌を禁止したいのです。
なんだかんだと理由を付けて100年以上の伝統を持つ国歌を歌えなくしたいのです。
その国のアイデンティティを構成する伝統を破壊する事こそ侵略の第一歩です。
教師と生徒の関係を構成する教室でならそれが容易に出来る。
投稿: ブルー | 2012/04/04 03:13