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2012/04/03

祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら

民主党は、もう壊れていますね。
民主党というより政治全体、と言ってもよいのかもしれません。
亀井静香率いる国民新党は崩壊してしまいました。
そして、この20年、常に政治の一翼を担ってきた亀井自身もね。
かと言って、取って代わるべき自民党にも展望はなく、相変わらず創価学会・公明党に気を遣っている。
橋下新党に期待が集まる最大の理由がここにあるのですが、現時点で橋下が国政を動かせるわけでもない。

この時期にこんな混沌で良いのか?
という危惧も強くあります。
が、これも民主主義という最も非効率的な政治体制の代償と思えば、仕方がないという気にもなります。
より良い政治が誕生するための胎動期、混沌を経てこそ新しいものが登場してくると考えれば気分もいくらか楽になります。

-------------------------------------------------------------------

今は、これ以上政治を語りません。
現実を見ているとむなしささえ思えるからです。
こういうときは音楽がいちばん。
今日は、再び私の人生の底にある歌について話しましょう。

人間には生涯忘れられない一時期があると思います。
そして、その一時期は、その人間のその後を規定し続ける。
逃れられない、あるいは忘れてはいけない原点とも言うべき時代でしょうか。

私にとっての原点は、1969年後半から72年後半にかけての3年間です。
17歳から20歳のころ、本人は一人前のつもりでしたが、今思い返せば充分に未熟で、すべてにおいて幼かった。
でも、未熟で幼かったからこそ何の打算もなく、直情的に発言し行動できました。
が、幼い時期はやがて終わりをつげ、大人になることを求められる時が来る。
組織を抜け、大学は退学、恋人は去っていく、そして、私は被差別部落に活動の場を求める。
そんなときに出会った歌は生涯忘れることができません。

当時の私はロックやブルースが好きで、中でもエリック・クラプトンは特別の存在でした。
今でもレイラ(Layla & Other Assorted Love Songs) はよく聴きますし、その中の一曲「IT'S TOO LATE」は未だに私の愛唱歌です。
ただ、それ以上に当時の私が聴き入ったのが吉田拓郎の「元気です。」
私は、フォークシンガーとしては岡林信康を最も評価していて、拓郎は軽蔑していました、歌に社会性がないと。
でも、「元気です。」は私の心を捉えて離しませんでした。
このとき、私の中で拓郎がボブ・ディランに重なりました。

Takurou_2

「元気です。」は、1972年7月21日にリリースされたオリジナル・アルバムです。
そこに収められているすべての曲が今でも好きです。
中でも「祭りのあと」は、自分(私)を歌っているのではないかと思うほどのめり込んで聴きました。

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祭りのあと 昭和47年(1972年)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎 歌:吉田拓郎

祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
祭りのあとの淋しさは
たとえば女でまぎらわし

もう帰ろう もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて

人を恨むも恥かしく 
人をほめるも恥ずかしく
なんのために憎むのか
なんの恨みで憎むのか

もう眠ろう もう眠ってしまおう
臥待月の出るまでは

日々を慰安が吹き荒れて
帰ってゆける場所がない
日々を慰安が吹きぬけて
死んでしまうに早すぎる

もう笑おう もう笑ってしまおう
昨日の夢は冗談だったんだと

祭りのあとの淋しさは
死んだ女にくれてやろう
祭りのあとの淋しさは
死んだ男にくれてやろう

もう恨むまい もう恨むのはよそう
今宵の酒に酔いしれて

もう恨むまい もう恨むのはよそう
今宵の酒に酔いしれて

上のYou Tubeは、数ある拓郎の「祭りのあと」の中でもいちばん評価が高いものです。
「祭り」を全共闘運動と入れ替えると、まさに私なのです。

日々を慰安が吹き荒れて
帰ってゆける場所がない

日々を慰安が吹きぬけて
死んでしまうに早すぎる

もう笑おう もう笑ってしまおう
昨日の夢は冗談だったんだと

もう恨むまい もう恨むのはよそう
今宵の酒に酔いしれて

そして私は依存症になってしまったのでした。

それにしても岡本おさみさんの詩力はすごいですね。
もう感服します。

-------------------------------------------------------------------

もう一つ、「元気です。」に収められている歌で忘れられないものを書いておきます。
実際、私は、この詩を手紙に書いて去って行った恋人に送りました。
もちろん返信はありませんでしたが(爆)

春だったね 昭和47年(1972年)
作詞:田口叔子 作曲:吉田拓郎 歌:吉田拓郎

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計をとめてみたい
あゝ僕の時計はあの時のまま
風に吹きあげられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
あゝ あれは春だったね

僕が思い出になる頃に
君を思い出にできない
そんな僕の手紙がつく

風に揺れるタンポポをそえて
君の涙をふいてあげたい
あゝ僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
ふり返りながら走った
あゝ あれは春だったね

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計をとめてみたい
あゝ僕の時計はあの時のまま
風に吹きあげられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
あゝ あれは春だったんだね

田口叔子さんの詩もいいですね。
岡本おさみさんもそうですが、彼らは先天的に感受性が豊かで、それを言葉に変える表現能力を持っている、しかもそれを短い詩に込めるだけのセンスもある。

私にはそういう能力はありませんので、彼らの歌を聴いて感じ入るだけです。
が、それが普通の人間、普通の人生。
人間、完璧な人生なんてありません。
山あり谷あり、谷ばかりが続く時だってあります。
そんな時は音楽を聴いて折れそうになる心を励ましましょう。
きっと癒されます。

2012年4月3日 坂 眞

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個人」カテゴリの記事

コメント

いつも記事を読ませて貰っております。
エントリーされる内容は参考になることばかりです。

が、今日のこれは宜しく無いと思います。
音楽を紹介される、という行為そのものは良いと思います。Youtube等の画像を貼り付けるのはグレーですが、多分大丈夫でしょう。

ただ、歌詞をそのままブログで紹介することは、著作権法上の侵害行為に当たるため、作詞者の了解をとった上で行うべき行為です。法制上は、このような行為は侵害行為に該当するためです。具体的には、著作権法23条の公衆送信権を侵害すると考えられます。
このブログのように閲覧数の多い所は、JASRACに目をつけられる可能性もあります。

既に正式な手続きがお済みでしたら、問題ありませんが、そうでなければ是非ともご一考いただけますようお願いいたします。

投稿: rikky | 2012/04/03 16:16

私は
坂さまのようには失望しておりません。
 

政治の在り方は選挙制度によって決まるものであり
そもそも中選挙区制では
たとえば自民党が5人もの当選者を出すには各候補者が10%以下の得票率でも当選できるので・・・
特定の利権団体の支援だけで当選が可能ですから
当然ながら族議員を輩出して派閥政治になります。
 

しかしながら
小選挙区制のもとでは 無党派層からの得票がなければ当選できないので政党政治・マニフェスト選挙が行われるようになるのです。
まぁ、時間はかかりませけれど・・・あと一回か?二回?総選挙が行われれば
坂さまが満足できるような選挙結果が期待できると思いますね。
(甘いかな?)
 

議会制民主制度は
代議士と支援団体との思惑の乖離が左翼などから批判されていますが
「独裁的手法」と言いますか・・・「大統領制(の指導力)」(首相公選制)を組み合わせれば何とか明るい展望が開けてくると私は思いますね。
 

だって・・・
派閥政治を解消し・官僚主導政治を官邸主導に改革した小泉内閣も守旧派や左翼から”独裁的”なんて言われて居たでしょう?
そういう意味で「橋下維新(改革)」も同様にこれから政治が進むべき道筋を示しているのです。
昔はこんなことあり得なかったんですから・・・
 

経済の方も同じだと思いますね。
江戸時代の駕籠かきや飛脚の技術などほとんど無くて体力だけの職業でした。
しかし
明治維新の鉄道の技術や運送力は比べ物にならない波及効果を社会に与えました。
これを「スピルオーバー」(おこぼれ)と言いますが
現代は”情報の時代”ですね。

PCなどの技術情報を身に着けた知識は 昔の単純な教育と訓練による社会とは違って
「物が革新する→情報が革新する」という全く新しいイノベーションを生むものと期待されています。

投稿: 柳生大佐 | 2012/04/03 16:23

 歴史は繰り返すと言いますがまさにそのようです。
体制が変わって行く時はこんなものかと思いながら社会を見ています。
 自民党などは公明党を違憲だとか言っていたはずです、社会党と組んだために村山談話なるものを出されてしましました。 民主党も所詮は支持団体に利益にそったことしかできないことがはっきりしました。
 橋下市長をの維新塾は素人の集まりだと今の国会議員も含めて侮っていますが、自民も民主もタレントやスポーツ選手など政権を維持するための数あわせをやっていただけでです。彼を批判する言葉が自分たちに跳ね返っているのをきづかないのでしょう。だいたい集団の10%位優秀なのがいるのです。アリの中でも働いているのはごく少数らしいです。人間なんて偉そうなことをほざいていても基本はアリの社会と同じです。
 3000人位集まったそうですから300人は優秀なのがいるということです。優秀な志のある人間が300人はかなりの戦力です。 最大の党である無党派層をとりこみ他の党の支持者の乗り換えを考えればかなりの数の使える国会議員が誕生するのは間違いありません。
 私はだいぶ前から既成体制それは政治だけではなくいろいろな方面の正体を見ていましたから、その影響が政治にやっと出てきたのかという思いです。
 橋下市長は、戦いの相手が分かっているから実績を上げているのだと思います。
 彼の戦い方をみればわかります。政策など今の日本でやることはそれほどの選択肢はありません、どうしたらできるかです。
 私には今の状況は結構面白いです。私の想像しているのがあたっているのかを確かめていけばいいのですから。
 私は視覚人間なのであまり音楽はこれといって思い出になるようなものはないのですが、詩は時々読んだりします。そのなかでも震災時に有名になった金子みすずの詩が好きでだいぶ前から注目していました。その中でこれぞ世界一とおもったのが「蜂と神さま」です。短いですがすごい世界観です。

 

投稿: しろうるり | 2012/04/03 16:44

祭りのあとの寂しさは花火大会の終わったあとと同じように寂しさが残り、それを代償するものがあればその寂しさを一瞬で忘れもするのではないでしょうか。

嘘や洗脳ばかりの大マスメディアに対し、今はまだ少ないかもしれない疑問を持つ日本人を増やして来たのはインターネットではないでしょうか。
そして、政治であればそのネットでの坂さんをはじめ様々な人たちのコメントが既存のメディアは本当に正しいことを言っているのかと人々が疑う様になったことがそもそも大事な大事な一歩だと思います。

そのような「政治ブログランキング」のコメントには存在理由、存在価値が無いわけはなく、今後も期待をしています。


投稿: Pin | 2012/04/03 16:47

本当にさびしいものがありますね。日本人は昔と変らず真面目な人が多い。地震で被災された方々をみても日本人の素晴らしさが良くわかると思います。ま、コレだけの不景気の中生活保護以下悠々とやってるパチンコ・在日が日本のガンである事は一目瞭然、創価公明が日本を堕落させる役割であるのもこれまたしかり。
しかし一方で子供達・若い人達が変りつつあるのも事実だと思うのです。政治不信で期待した民主は政党としてまるで要を成さず、自民は在日・野中恐怖症以来の公明中毒。大した人数もいない偽装の自称大教団で一皮向けば全在日を足しただけの団体でありますが、第三次産業以下弱点を握れる連中ですから一度使うと今度は使われ支配されるようになる。しかしこれまた日本人、特に若手のパチンコ以下彼らの企業で金を落さない時代から、今度は公共事業や生活保護を使い介護施設・整骨院、これに付随する納入業者を在日で独占して儲けているのですがこれが橋下改革如何では大ダメージを受ける可能性もある。橋下維新がいきなり国政に打って出ても勝てるかどうか、増してや担えるのかどうかという問題は大変大きなものがありますが、遅きに失したとは言え石原さんも新党を準備し自民の中の保守も又動きつつある様子。祭りのあとの淋しさはあるかもしれませんが、一方で夜が終わる前に、という楽しみも若い人たちにはあるでしょう。先生、まだまだ老け込んで寂しがる年齢でも疲れ果てた訳でもありますまい。勇気がありすぎる若い人が立ち上がる時、年長者の助言と知恵は必要なのですよ。

投稿: 大阪は晴れだしています | 2012/04/03 19:11

板さま。
ここ数年、かなり頻繁にブログを楽しませていただいています。
これからも健筆でいていただくと嬉しいです。

私はROM専門なので、コメントするつもりはなかったのですが、
どうでも良いかもしれない細かいことを一言わせて下さい。

このブログのプロフィールですが、
そろそろ更新されてはどうでしょうか。
気になっているのは1行のみです。
ブッシュの名が未だに出ていますが、
良くも悪くも現在はオバマ大統領です。
私のように昔からの読者は良いのですが、
新しい読者があそこを見たら、古い印象を持ってしまうのではないでしょうか。
すでに、ランキングなど関係ないという姿勢でいらっしゃると公言されていますが、
それでも、愛読者としては、少しでも人気があってほしいし、
そういうところも気になってしまうのです。

ああー!いらないことを言って、すみません!
でも、かすかではありますが根強く気になるのです。

投稿: 広島県人26 | 2012/04/03 20:22

「祭りのあと」
「春だったね」
どちらも良い歌ですね。
今の歌にはない「心」があります。
次の歌も良いですよ。曲名は、ずばり「元気です」

元気です
作曲:吉田拓郎
作詞:吉田拓郎

誰もこっちを向いてはくれません
一年目の春 立ち尽くす私
道行く人々は 日々を追いかけ
今日一日でも 確かであれと願う
わずかにのぞいた 雨上りの空を見て
笑顔を作って"どうですか?"と 問いかける
色んな事があり 愛さえ見失う
それでも 誰かと触れあえば
そうだ 元気ですよと 答えよう

風よ運べよ遠い人へこの便り
二年目の夏 涙ともらい水
幸福の色は 陽に灼けた肌の色
唇に浮かんだ 言葉は潮の味
出会いや別れに 慣れてはきたけれど
一人の重さが 誰にも伝わらず
どこかへ旅立てば ふり返りはしない
それでも この町に心をしずめたい
そうだ 元気ですよと 答えたい

夕暮れ時には想いがかけめぐり
三度目の秋 何かが揺れている
時間をとめても 過ぎゆく者たちは
はるかな海原に 漂い夢と散る
かすかに聞こえた 優しさの歌声は
友や家族の 手招き程なつかしく
木の葉にうずもれて 季節に身を任す
それでも 私は私であるために
そうだ 元気ですよと 答えたい

自由でありたい心のままがいい
四年目の冬 寒さを拒むまい
どれだけ歩いたか 考えるよりも
しるべ無き明日に 向かって進みたい
あなたの人生が いくつもの旅を経て
帰る日くれば 笑って迎えたい
私も今また 船出の時です
言葉を選んで 渡すより
そうだ 元気ですよと 答えよう

投稿: おかさん | 2012/04/03 21:21

混沌とは裏返せば自由ということですよ。

百人斬り授業が批判されて晒され、教育委員会へ苦情が殺到するという時代はかつてはありませんでした。かつてはいわば左翼のやり放題だったのです。それが一旦一介の教師が反日教育を行なったことが明るみに出るやいなや教育委員会は業務が停滞するほどの苦情が殺到します。こんな時代はなかったのです。
つまり誰もが情報をネットで得て、電話やメールとはいえ行動主体になれるというすごい時代なのですから。そこから街頭へでるひとも生まれているというすばらしいことです。
あとは、左右翼が一心同体のように動いているところも面白く、戦前の翼賛体制前もこんなのだったのではないかなと感心しています。
そんななか自らの頭で考え自らの感性を大切にするという実存的なこのブログも素晴らしいですしね。

脈絡もなく、百人斬り授業を許す教育委員会をな!!

投稿: amotoyamatotake | 2012/04/03 21:39

江戸時代の駕籠かき、飛脚を殆んど技術に無い単なる体力だけの仕事と捉え、PC等の技術情報の知識を革新的なものと捉えること、このような考え方が今の混沌たる日本の現状を作った一因であると考えます。確かに技術の発達が人間の生活を大きく変えたことは間違いないが、反面、技術に頼ることで、精神の荒廃が進んできていることも間違いのない事実である。
 情報の精度を見極める基礎があってこそPC(ネット)による情報を生かせるのであって、上っ面だけの知識過多は、今の民主党政権下のわが国がその典型と考えます。

投稿: 道産子爺 | 2012/04/04 00:39

 現在の状況はソ連崩壊、バブル破綻の時から始まっているのです。
 大阪維新の会というのを聞いて思い出したのが大前研一の「平成維新の会」です。ネットで調べたらやはり名前の使用許可をとっていましたし、彼の本を橋下市長は読んでいたのです。
 平成維新の会はバブル破綻後すぐの1992年につくられました。先見の明があったのです。彼は東京都知事に出馬しましたが石原に敗れました。その当時期待したのですが敗れて残念な思いをしたことがあります。
 現在は既成体制の行き詰まりがきわまり、その偽善性などの正体がばれてきたので橋下市長の維新の会が注目されてきたのです。
 以前に私こそ本当の反日かもしれないと書いていましたが半分は本音です。
 日本は先端にキャッチアップまではできる実力はあるのですが、それからの創造ができないのです。キャッチアップは団体の力ですが創造は個人でしかできません。
 それは日本の古代からの歴史を見ていけばわかります。
現在の政治体制は日本人の社会の象徴です。マスコミ、文化、スポーツという目に見える分野ではなく、日常の世界にも見られます。
 それをまぬがれているのは世界と常に戦っている団体、人です。大前研一はそれを見抜いていたのでしょう。
 現在の状況は民主主義政治体制のせいではありません。よくも悪くも日本の文化の性格によるものです。
 同じ敗戦国でもドイツは東西に分裂しても再統一をはたしました。憲法など何回も改正しています。第二次大戦時にまさに大虐殺を行いましたそれも戦争と関係なくです。
 ドイツとて問題はあるでしょうが自立を果たしています。無論共通の価値観文化をもつ国が周りにあるのもその一因でしょうが。
 現在の日本の状況は信長タイプの人が望まれているのです。戦前も軍人や文化人のなかに先を見通している人はいましたが、その人たちが上に立てる制度になっていなかったから、アメリカとの戦争に追い込まれ稚拙な戦争指導のおかげで情けない負け方をしてしまったのです。
 そのへんの事情は既に前から指摘している人はかなりの数います。しかしそれらの先見的意見が聞き入れらないでここまで来てしまったのです。
 ただ状況はかわりました。国外では北朝鮮の拉致問題が現実だったこと、尖閣諸島問題、いわゆる従軍慰安婦問題に対する韓国の病的な態度などから国民がいろいろな幻想から目覚めはじめました。
 国内では既成体制の行き詰まりが明らかになってきています。
 それに対してインターネットにより個人の情報が発信できるようになり、既成のマスコミよらずに現在のおかしさを指摘している坂さんのサイトなどによって、一般のひともその原因がどこにあるかを知ることができるようなりました。
 現在はこのようなサイトの意見がどんどん受けいられる状況にありますので近い将来に状況は一変する気がします。
政治にかんして言えば石原、亀井、みんなの党などと橋下市長の大阪維新の会とは成り立ちがちがうので、本質は似て非なるものと思っています。

投稿: しろうるり | 2012/04/04 09:36

ぷぷぷぷぷ・・・脚にシート。
イエローカード出されてます?可愛いなぁ。
癒されますよね。


投稿: だめこ | 2012/04/04 11:51

私(大前研一)はこれまで何度か橋下市長と議論しているが、彼は私の著作をほぼすべて読破し、私が1989年から提唱してきた明治維新以来の統治機構の変更、すなわち霞が関を解体して中央集権から道州制に移行する「平成維新」の構想を実現したいと考えている。実は「大阪維新の会」を立ち上げる際に、彼は「維新の会」という名称を使うことについて、私に直接了承を打診してきた。その当時から平成維新の政策を実によく研究していたので、快諾したのは言うまでもない。

 それゆえ私は、橋下市長を全面的に応援している。

※SAPIO2012年2月22日号

>ネットで調べたらやはり名前の使用許可をとっていましたし、彼の本を橋下市長は読んでいたのです
引用ここまで、
確かに、ネットで調べれば、分かりますね。

投稿: 三毛猫 | 2012/04/04 14:45

フォークソングはやっぱり岡林信康サマです。「ランブリンボーイ」「無用之介」「申し訳ないが気分がいい」等はいつの間にか今でも鼻歌で歌ってしまいます。吉田拓郎さんは「落陽」も好いですよ。と言いながら、今はもっぱら軟弱マイナーな三浦和人さんや永井龍雲さんを買い込んでいますけれど。

日本に信長は絶対イヤです。緻密に情報を集めて現状突破は良いのですが、あの人、なんとも無慈悲過ぎてとても日本人とは思えないです。だからこそ今必要と仰るのでしょうけれど、敵対・抵抗する集団への徹底虐殺や敵将の頭蓋骨で酒宴出来るようなタイプには日本の為政者にはなって欲しくありません。

まだまだ日本は「祭りのあと」ではありませんから、寂しさやもの哀しさや虚無感はしまっておいて戴きたいです。私は疲労感や脱力感を感じたら日下公人さんのご著書を読むことにしています。

投稿: よれこ | 2012/04/04 17:19

坂さま
こんばんは。

こちらほどのブログになると、読者が真剣で怖いです。
続けていかれるのも大変だと思います。
毎日楽しみにしていますが、折れない程度にお願いします。
日本はいい国ですよ。
自由に発言できるし、豊かで平等です。

投稿: はやぶさ | 2012/04/04 18:30

久しぶりにコメントさせていただきます。いつもこのブログを読んでいます。私は約ひとまわり下の年代の人間なので、学生運動をしていた「お兄さん」たちを知ってるのですが、やはり年代のギャップはあります。拓郎は好きでコンサートにも行きました。本日Youtubeを聞き、この詩をあらためて読むと「死んだ女(男)にくれてやろう」というフレーズがあり、浅間山荘の事件を含めて特別の感慨を持つ人たちが居るんだろうなと気づき、あらためてこの詩の重さ(それは受け取る人の都合でしょうが)があることに気づきました。内ゲバで仲間をあやめた人たち、今は何を思っているのでしょう。そんなことを考えました。

投稿: 山また山 | 2012/04/04 21:52

 このサイトで歴史談議はしたくありませんが、ドクロ杯を作ったかもしれませんが、さすがにそれで酒を飲んではいなかったようです。当時は討ち取った首をまえにして酒宴をした武将は他にもいたようでそれほど珍しくなかったようです。
 討ち取った敵の武将の首をとって手柄の証拠としていた時代です。 血だらけの首など見慣れているのにドクロ位ではなんとも思わないどころか面白がったのではないでしょうか。
 ドクロ杯にしたのは妹のお市の方を嫁に出した浅井長政親子と浅井義景ですが。浅井長政とは同盟関係を結んでいたのを裏切られ危うく命をなくすところまで行ったのです。
 信長はそのとき助けたお市の方やその子供には優しかったようです。一度敗れれば命が取られる時代です。われわれの信長のイメージはドラマで作られたものですし、現在の感覚で他の武将も描かれています。次の戦で死ぬかもしれないような人のことなど平和ボケの日本人にわかるはずがありません。
 分かっておられると思いますが彼のような先見性と実行力のある人のことが必要だということです。それに前に書いていましたが信長が戦っていた相手と現在の社会で戦う相手はよく似ているからです。
 私は1998年から自殺者がその前の年の2万人位から一挙に3万に増えてそれから減ることはないのを不思議に思って調べました。女性の死亡者はそれほど変わらず、男性だけが増えているのです。98年に時は一番多い層が50台前後の人だったのですがその年代が下がってきているのです。
 もちろん無職の人が一番多いのですが、無職でも希望があれば人は死なないと思います。増えた原因と関係ありそうな数字のひとつに98年ぐらいから企業の内部留保金が増加してなんと企業全体で461兆円にもなっていることです。ようするに企業はもうかっても労働者にはそれに見合う報酬が払われていないということです。
 非正規労働者も増加しています。企業も世界の変化に合わせて変わらないといけないからそうしているのでしょうが、このままでいいとは誰も思わないでしょう。日本の文化せいもあるでしょうが先の希望がなくなってきているせいではないかともおもいます。
 韓国も自殺率が急激にふえて日本より高くなってしまいました。先進国で自殺率が高いのは韓国についで日本です。
 韓国のタレントが自殺がよく報道されていましたが、韓国も同じような状況なのでしょう。文化的にも似ていますからどこか原因に同じようなものがあるのかもしれません。
 オームのサリン事件が起こったのがちょうど阪神大震災の起こった1995年ですから、その前くらいから変化の兆候があったのでしょう。 反日をのさばらすような社会とその社会の悪化があのような連中を生んだのではないかとも思ったりします。
 私程度の人間でも疑問をもって発行されている本をよめば反日のいかがわしさや韓国の嘘がわかるのに、どうして政府が正しい対処ができないのか腹が立ちます。
 98年から毎年一万人として、対処が正しければ14万人ものひとが死ななくても良かったかもしれません。
 92年に平成維新の会ができました。その当時から危機感を持っていた人はいたのです。その機会を逃したのは日本社会です。同じような景気対策をして、だらだらと借金をかさねてこのような状態にしたのは誰なのでしょうか。
 二世議員がぞろぞろいる政党、中国に行ってチベットで抑圧を指導していた胡錦涛とまるでファンのようにニコニコして握手をしてもらっていた民主党議員。それらの議員をみて気分が悪くなりました。その他の既成政党も同じ穴のムジナです。友愛政治などとほざいていた伝書鳩が首相になったときもう既成政党には見切りを付けました。
 このような社会を変えようとしないことこそ残酷なことではないでしょうか。今の日本社会はごまかしや偽善に犯されているように思います。それが本当の相手だと私はおもっています。だから憂さ晴らしかもしれませんが、下手な文章でもこのサイトに投稿する気になったのです。
 

投稿: しろうるり | 2012/04/05 02:50

坂さま、
私も吉田拓郎のアルバム"元気です”を持っています。
祭りのあとを聞くと四年生の時の学園祭が終わった後の夜の情景を思い出します。
オヤジバンドをやっていて、今でもギターを弾きながら拓郎の曲を歌ったりしています。
学生時代の私はノンポリで学生運動など全く興味がなく、あんな事やっても革命なんかできるわけないじゃんと思っていたし、子供のころから成長するにつれて、どんどん生活が豊かになっていくのを実感して社会に対して何も不満を持っていませんでした。
そして恥ずかしながら55歳になるまで政治にはそれほど関心がありませんでした。ただ、日本は韓国と中国に謝罪をしたのに何であんなにしつこいんだろうと思ってました。そしてネットで調べて行く内にやっと本当の事が分かりました。55歳までは日本は本当に過去に悪いことをしたんだと思い込んでいました。私の周りにも私と同じように真実を知らない人が何人もいました。今では坂さまや他の政治関連のブログを参考にして勉強をして周りの人たちとよく政治の話をします。
私には知識も文章力も無いのでブログを読んでもメールなどしたことは無いのですが吉田拓郎の同じアルバムを持っている事が何となくうれしくてメールしました。内容の無いコメントで申し訳ありません。これからも坂さまのブログで勉強させて頂きます。

投稿: Hangovers | 2012/04/11 19:40

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