靖国神社に参拝しました 3
学生運動について書いておきます。
学生運動は日本共産党が指導していました。
あと、日本社会党が指導する社青同。
これが60年安保で共産党と決別するんです。
で、できたのが共産同。
党(パルタイ)ではなく同盟(ブント)です。
共産党とはことごとく対立し、教授も共産党系とブント系に分かれました。
これに黒田寛一(クロカン)率いる革命的共産主義者同盟(革共同)が参入し、社会党系の社青同と第4インターも勢力を広げる。
1960年代をリードしたのはブントです。
革共同は街頭運動主義の中核派とカルト観念主義の革マル派に分裂し、近親憎悪を強める。
社青同解放派はしょせん社会党だから穏健なんです。
その点ブントは過激で元気で、学生にいちばん人気がありました。
革共同両派(革マルと中核)はイデオロギーや規則、規律にうるさいけど、ブントは雀荘から火炎瓶もって駆けつけるヤツもいたし一人一党、戦術の党でしたね。
だから過激で人気があった。
社青同は後に過激になり、凄惨な仲間殺しをやったけど、根っこはどこまで行っても社会党。
中核派が強かったのは法政。
革マル派と社青同は早稲田。
ブントは東大、医科歯科大、中大、明大、早稲田、東女、京大、同志社、大阪市大、ピン大、岡山大、北大、新潟大などが拠点校でした。
中大、明治、医科歯科大+御茶女は駿河台の「鉄の三角地帯」と呼ばれ、日本のカルチェラタンでしたね。
「がんばらない」を提唱してTVにもよく出る鎌田實、優秀な医師ですが医科歯科大のブントの出です。
なぜか医学部にブントが多い。
東大もそうですが、ブントはイデオロギーや規則に甘いから居やすいんです。
だから医学連もブントになったというわけです。
ところで高偏差値の東大生や京大生がなぜ共産主義にかぶれ、北朝鮮に行ったのか?
答えは簡単ですね。
彼らは解答がある思考に強いんです。
だからマルクスが説いた歴史の発展法則が素直に受け入れられた。
信じているから、火炎瓶と日本刀と猟銃で武装して首相官邸を占拠すれば革命が起きると思ったんです、マジで。
いや、思い込んだのです、側から見ればまるでマンガですが。
つづく
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コメント
「高偏差値の東大生や京大生がなぜ共産主義にかぶれる」のかは・・・
共産主義・社会主義がカースト社会だからですよ。
つまり
生まれたときに既に身分が定まっている。
”競走”が無いから努力する者に追い抜かれる心配がない。
社会主義が中国や北朝鮮などの儒教国家にだけ残ったのがその証拠です。
権力さえ握れば金も女も下位カースト連中の「忠誠競争」によって幾らでも手に入るんですから・・・
楽なものですよ。社会主義社会は・・・
日本共産党も戦前から現在に至るも中央委員は全員東大出です。
下位カーストはルンペンプロレタリアートなのにね・・・
見事なまでの身分固定のカースト社会じゃありませんか。
投稿: 柳生大佐 | 2012/09/11 23:53
僕が、林健太郎の『歴史の流れ』を読んだのは10代で微積分を学んでいた時期でしたが、「歴史にも、ニュートン力学のような"法則"が成り立つのか…」と、感銘を受けた記憶があります。
ホントに昔、昔の記憶ですが(w
林健太郎『歴史の流れ』(新潮文庫)
http://yosefude.seesaa.net/article/13592774.html
投稿: 猫好き | 2012/09/12 05:17