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2012/09/12

靖国神社に参拝しました 4

人間の人生は偶然の繰り返し。
シベリアに抑留されていた父親が、2年間の艱難辛苦に耐えて舞鶴に降り立たなければ今の私はいなかった。
昭和22年9月、ソ連軍に連行された時の姿そのままに玄関先に立ちすくんでいた父を見て、祖父母は声をなくしたそうです。
そのころ母は、姉を伴って隣り町の実家にいた。

私には今も不思議に思うことがあります。
北支で戦ってた父。
北京の日本人租界にいた母。
当時二人は新婚でした。
で、昭和19年に本土で祝言をあげ、母は大陸に渡り、昭和20年7月、終戦直前に姉が北京で生まれています。
あの戦況が日々厳しさを増す中、最前線にいた父と北京の租界にいた母はどこでどうやって逢瀬を重ねていたのでしょう。
そんな余裕が二人にあったことが理解不能です。

母は生まれたばかりの姉を背負い、男装をして北京からの逃避行に成功します。
父は武装解除された後、行く先も告げられずにソ連軍に連行される。
その時点では姉の誕生を知りません。
そして2年後、北九州の生まれ故郷で二人は奇跡の再会を果たします。

母が、北京から大連を目指す過程で命を落としていれば姉は今ごろ残留孤児。
が、奇跡的に本土に逃げ帰り、2年後には父と再会して23年9月には長男誕生、25年7月には次男誕生、そして27年2月に末子=私が生まれます。
その後の父は、高校教師を経て地元の町役場に転身し、晩年は農協県連の幹部として現役を終えます。
どこかで歯車の一つが狂っていれば、我が一族の戦後はなかった、そう思うと何とも言えない感慨に襲われるのです。

そして、この世に生を受けた私は左翼運動に身を投じ、紆余曲折を経て今がある。
父や母がもう少し教育熱心で、私に勉強を強いていれば、また違った私が誕生したかもしれません。
が、二人とも放任主義で、勉強しろ!などと言われたことが一度もない。
中学生の時は多少優秀でしたが、それも少し褒められただけ。
高三の時、学校に呼び出された父は、「息子を信じている。間違ったことをするはずがない」と私を擁護したそうです。
で、相手は教師時代の後輩だったとのこと。

ほんとうに不思議です。
いろんな偶然が折り重なって私の存在と人生がある。
靖国に参拝した私は父を思い、先の戦争で様々な苦難の中で命を落とし、また無事生還し、戦後の激動を生き抜いた先達たちに深い感謝の祈りを捧げたのでした。

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コメント

それもまた、大いなるものに生かされている、という事では無いでしょうか。

投稿: よれこ | 2012/09/12 02:13

私の父も、満州から、シベリアへ。
同じです。
シベリア抑留中、赤十字が入り、日本の親に、無事生きている
という葉書きを出せたそうで、親は、息子の生死の確認だけは、できたようです。

私も、靖国にお参りする時は、同じ気持ちで、祈っています。

投稿: | 2012/09/13 01:39

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