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2013/04/11

安倍政権は「近隣諸国条項」を破棄せよ!

安倍政権が「近隣諸国条項」の見直しに踏み込むようだ。
今日の産経新聞が報じている。
私は、当然すぎるほど当然だと思う。
自国の歴史を史実ではなく、他国に配慮して、つまり他国の言うがままに児童・生徒に教えるなんて狂っている。

しかも、配慮すべき対象は中韓に限られている。
南京事件で30万人の中国市民が犠牲になった、朝鮮半島の婦女子が慰安婦として日本軍に強制連行された、とかとか。
これらは史実に反している。
にもかかわらず、文部省の検定をパスし、教科書に堂々と掲載されている。

自国や自国民を攻撃し、その歴史や文化を貶めるような公教育を行う国など日本以外には存在しないだろう(少なくとも私は知らない)。
この極めて特殊な日本的状況の背景には、反日日本人の存在がある。
そして彼らは、メディアや知識人に強い影響力を有している。

反日日本人は、一般的に左翼とかリベラルと呼ばれる。
そして彼らは、自らを“進歩的”と認識しているようだ。
が、私に言わせれば、彼らは“進歩的”でも何でもない。
単なるバカだ。
が、高学歴者が多いから始末が悪い。

私は、かつて左翼だった。
今ふり返れば、未熟で無知以外の何ものでもなかった。
が、当時の私は、自らを“正義”と信じて疑うことがなかった。
そこでは対象化という最も重要な作業が欠落していた。
まず“正しい結論”があって、それに都合の良い事柄のみを集積する、それが当たり前だった。
なぜなら特定の価値観に支配されていたから、そこから逸脱するものはすべて虚偽であり、プロパガンダにすぎなかった。

思うに、彼らは偽善の塊でもある。
弱者の味方面をしながら、自ら自身は金持ちである。
L.由紀夫は別格だが、福島瑞穂だって億単位の預金を有している。
自分はリッチな生活を満喫しながら「平等」を叫び、自らが糧を得ている現体制を攻撃するのだから理解不能。
偽善者以外の何ものでもない。

Mizuho                                         リッチそのもの 瑞穂たん

中国の習近平は、3月17日の全人代の開幕演説で、「中国夢」という言葉を9回も織り込み、熱っぽく訴えた。
「中国の夢の実現には中国精神を必ず高く掲げよ。それは愛国主義を核とする民族精神であり、改革刷新を核とする時代の精神である。興国の魂、強国の気迫こそがその神髄なのだ」
習近平自身が繰り返したように、「中国夢」 の定義は「中華民族の偉大な復興」であり、「強国夢」と「強軍夢」によって支えられる。
つまり「中国夢」とは、“軍国主義”と極めて近似しているのだ。

こんな中国を“平和友好勢力”と定義していた左翼やリベラルは、この現実をどう説明するのだろう?
小泉首相が靖国神社に参拝したとき、北京に飛んで行き、中共首脳と雁首揃えて「軍国主義の賛美」と非難した左翼首脳は何と言うのだろう?
まあ、バカで、おまけに変態で、且つ異常だからなんとも思わないのだろうが。
なにしろ1970年代までは、“北朝鮮は夢の国”だったのだから日本の変態左翼は救いようがない。

こんな変態と自民党内の売国一派が結託した結果が「近隣諸国条項」なのだから、こんなもん見直すと言うより破棄して当然なのである。

常識と良識を取り戻せ!日本!!!

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政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

近隣諸国条項と憲法前文の精神は基本的に同じ.
直ぐに破棄できる近隣諸国条項は破棄すべきだ.
こんなものの存在や鳩山が総理大臣になったことなどは,
日本にとって歴史的な恥だ.愚かな日本人が多くて困る.

今からおよそ10~20年後に大地震が関東南部から九州東部で起こると予想されているが,
その対策を真剣にしなければならない.
しかるに,防災減災に興味を示さずに,いまだに公共事業を批判する方が多いのは,
日本人の劣化を反映した現象であろう.

投稿: ガセネッタ | 2013/04/11 17:45

お説、逐一ご尤も。

変態左翼ほど日本の国家に甘え守られている輩は居ないでしょう。彼らが敬愛する中共、朝鮮、ロシアならば、いの一番にやり玉に挙げられて居るはず。
リッチに生存できている日本国家に感謝して余りある立場を、理解出来ない頭で国会の議席を汚すべからず!です

投稿: よれこ | 2013/04/11 17:48

近隣諸国条項・Ⅰ

近隣諸国条項制定の経過と、《日本の悪性癌、「朝日」・「日教組」・「自民党、外務省内左翼」》、について、

今から也年半ほど前の、平成17年10月、「チャンネル・桜。掲示板」、に書いたものをご紹介させていただきます。

藤岡信勝著 『教科書採択の真相』 《かくして歴史は歪められる》 PHP新書 より。

【第六話】 「中国共産党の教科書批判キャンペーン」
1982年6月26日、文部省から前日発表された高校教科書の検定結果について、新聞各紙がいっせいに報道した。そのなかで、実教出版の 「世界史」 の教科書で、検定前の 「日本軍が華北に侵略すると・・・」 とあったのが、検定後には 「日本軍が華北に進出すると・・・」 に修正された、という報道が特に注目を浴びた。当時の風潮では、文部省の検定を批判するのが新聞記者の仕事のようになっていた。

同日、中国の新華社電は簡単なコメント抜きの報道を行ったが、翌日には中国共産党の機関紙 『人民日報』 が、「歴史を歪曲し侵略を美化する日本の教科書」 と題する記事を掲載した。6月30日にも、『人民日報』 に短い記事が掲載された。しかし、それから19日間、中国はこの問題について何の報道もしんかった。問題が終わったかに見えた。

ところが、7月20日になって、『人民日報』 に 「この教訓はしっかり覚えておくべきだ」 という短い評論が掲載されたのを皮切りに、突如として、堰を切ったような日本批判が始まった。批判の強さは次第に激しくなり、膨大な量の対日批判の洪水となり、8月10日ころにはピークに達した。
二つの疑問がわく。第一に日本の教科書検定は毎年行われている。この年に限ったことではない。それなのに、なぜ、この年だけこれほど激しい対日教科書批判が起こったのか。
第二に、『人民日報』 がなぜ、「19日間の沈黙」 の後に、対日非難のキャンペーンを猛然と開始したのか。

この問題に関する田中明彦、井尻秀憲らの研究を総合すると、これは要するに中国共産党内の権力闘争と深く関係していたのである。鄧小平は、当時すでに中国共産党の実力者だったが、改革・解放路線を採用し、西側から資本を導入して経済建設を進める方針を推進していた。党内にはまだ、華国鋒など文化大革命時代の気分の残っている頑固派の幹部もおり、鄧は、さらに権力基盤を固めなければならなかつた。9月1日からは、中国共産党の党大会 (12全大会) が設定されていた。そこで、鄧は、歴史教科書問題で日本をスケープゴートにして、党内で点数を稼ぐ材料にすることを思いついたものと思われる。「19日間の沈黙」 は、そのための時間かせぎだったと考えられる。7月20日の 『人民日報』 の対日氏批判キャンペーンの開始も、鄧が直接にゴーサインを出したといわれている。(井尻秀憲 「日中関係」、田中浩編 『現代世界と国民国家の将来』 1990年 御茶ノ水書房、所収)

田中明彦は、中国共産党の教科書批判キャンペーンが、青少年の共産党離れに対処する 「愛国主義教育」 キヤンペーンと連動していたことを指摘している。8月1日、中国共産党は 「全国の軍民、とくに青少年が中国共産党を愛し、社会主義の祖国を愛し、人民の軍隊を愛することを内容とする愛国主義教育」 を繰り広げるよう号令した。それには青少年に中国民族がいかなる苦難の深みから開放されたかをわからせる必要があり、「日本軍の残虐行為」 などを教材として 「精彩に富む形式」 で教えることが目指された。そうした分析に基づき、田中は、おそらく、「日本に対し教科書の内容から 『誤り』 を取り除かせるための説得」 であった以上に、「国内に対する 『独立自主の対外政策』を示す機会であり、青少年への歴史教育と共産党への支持調達のための機会であった」 と結論づけている。(『教科書問題』 をめぐる中国の政策決定)岡部達味編 『中国外交ー政策決定の構造』1983年国際問題研究所、所収)

今、話題の、中国の反日デモ(というより、反日暴動) の基盤をつくったとされている 「愛国主義教育」 が、すでにこの時点で登場していることにご注目願いたい。「共産党への支持調達」 と党内闘争を乗り切るために、日本の教科書問題は格好の材料として利用されたのである。

「近隣諸国条項」 の制定
そんなこととはつゆ知らず、9月に訪中を予定していた鈴木善幸首相は、もし中国から訪中を拒否されれば、秋の自民党の総裁選で再選されることをめざしていた自分の経歴に傷がつくことを心配していた。そこで、宮沢喜一官房長官に支持して、この問題をおさめるように求めた。宮沢は、8月26日、『歴史教科書』 についての官房長官談話」(宮沢談話) を発表し、

「我が国が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進めるうえでこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」 と表明した。
9月14日、文部大臣から 「教科書検定調査審議会」 に対し、「歴史教科書の記述に関する検定の在り方について」 諮問が行われた。社会科担当の第二部は、委員の反対を抑え込んで 「南京事件」 など11項目について、検定意見をつけないことで合意した。

11項目の内容は、中国関係では、「侵略」 と 「南京事件」 韓国関係では、「侵略」 「土地調査事業」 「三・一独立運動」 「神社参拝」 「日本語使用」 「創氏改名」 「強制連行」 の七件、その他で 「東南アジアへの進出」 「沖縄戦」 である。

1982年11月24日、文部省は 「義務教育諸学校教科用図書検定基準」 および 「高等学校教科用図書検定基準」 を改正し、「第三章 各教科固有の条件」 の「2 選択・扱い及び組織・分量」 のなかに
「(5)近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること。」 という一項目を付け加えた。

これが、「近隣諸国条項」 とよばれているものである。
この文言だけを見れば、格別問題とするにあたらないように思えるかもしれない。「国際理解と国際協調の見地」 は大切なことであり、日本としてもこれを踏まえなければならないのは当然と思えるからだ。しかし、「近隣諸国条項」 の実質的な意味は、先の11項目に検定意見をつけないこと、すなわち、中国・韓国から文句をつけられそうなテーマについては、左翼学者が書き放題に放任する (さらにのちには、書かない著者には書かせる) ということなのである。その証拠に、この年検定中の、中学校歴史教科書には、早速、満州事変と日華事変について、「侵略」 の語が一挙に多数の教科書に登場した。「近隣諸国条項」 こそは中国と韓国の一方的な歴史解釈を日本人に強要し、歴史教科書に書かせる装置であり、そしてついには、1996年に、「従軍慰安婦の強制連行」 という、まったくの捏造された嘘を中学校の教科書にまで登場させる元凶となったのである。

「近隣諸国条項」 の制定は、二重の意味で不当なものであつた。第一に、「侵略」 を検定によって 「進出」  に変えられたという報道は、実は誤報だった。だから、この事件は、「侵略・進出誤報事件」 とよばれている。第二は、それは、日本の教育主権を売り渡す行為だった。「当時の鈴木首相と宮沢官房長官は、独立国家の主権とは何かということに極端に無自覚であったからなのか、マスコミや中国・韓国の圧力に抗し切れなかったからなのか、ともかく、日本国家の教育主権を外国に売り渡したのである。

「新編日本史」 への外圧検定事件
「近隣諸国条項」 によって、日本の検定制度はまったく変質してしまったといっても過言ではない。それは、日本の国益と尊厳を守り、日本の教育を共産主義勢力の浸透から防衛する装置であることをやめて、むしろ、国益を損ない、尊厳を失い、自国の歴史を卑しめる装置に変ってしまったのである。それを実証するテストケースが1986年の外圧検定事件である。保守系の団体を糾合した民間組織である 「日本を守る国民会議」 (現在の 「日本会議」 の前身の一つ) は1982年10月、教科書を批判しているだけでは事態は変らないとして、日本国民の教育に相応しい、高校用の日本史教科書を編集する方針を決めた。教科書は、「新編日本史」 として原書房から発行され、1985年度の文部省検定を受けた。

1986年5月24日の 『朝日新聞』 は、社会面の見開き2ページを使った大きな教科書関連記事を掲載した。見出しは 「゛復古調゛の日本史教科書/日本を守る国民会議/高校用作成めざす/原稿本で教育勅語礼賛/建国神話・三種の神器も」 というものであつた。 「日本を守る国民会議」 の『新編日本史』 が恐ろしく右翼的な教科書であるかのような印象を与えるための誹謗記事であった。その記事は、文部省の教科用図書検定調査審議会(検定審) の内部でも疑義が出て紛糾していると伝えていた。しかし、まだ、検定作業中で、国民の誰も知りえない教科書の内容を、一新聞社が勝手に暴露して批判し、検定結果に影響を与えるキャンペーンをはるというのは、かってないことだった。

その記事はただちに韓国・中国の反発を招いた。むしろ、それをあてにして、外圧を誘導するために書かれた記事であるといってもよかった。朝日の記事がでてから三日後の検定審では、それでも 『新編日本史』 の合格を決定した。日本政府は、中韓に対しては、その教科書はまだ検定作業中であると答え、文部省に対しては、再検討を命じた。こうして、正規の手続きで検定に合格した教科書に対し、以後四回にわたって、文部省から違法・不当ともいうべき超法規的な修正要求が繰り返された。

小堀桂一郎  「正論大賞」 受賞記念論文
『自らの歴史を自らの手に取り戻すために』 近隣諸国条項を廃棄し、自律への路を歩め
雑誌 「正論」 平成十三年三月号 より。

はじめに
昭和五十七年は忘れもしない 「教科書検定虚報事件」 の発生した年で、六月末から九月上旬にかけての、あの長く暑かった夏の記憶は今でもありありと脳裏に再現できるほどに鮮やかである。でも本年から数へてみればあれは十九年もの昔の出来事だった。

二十年に近い、この短からぬ年月を、我々日本人はあの忌まわしい虚報事件の後遺症に悩まされ続け、そして昨平成十二年の秋の外務省による教科書検定介入事件の如くに、今でもあの呪ひに祟られて苦しむといふ事態が生じもする。感慨なきをえない。
平成十二年秋の事態を、仮に 「中学校歴史教科書検定不合格裏工作事件」 とでも、長い名をつけて呼んでみるとして、この事件と、昭和五十七年夏の 「検定虚報事件」 との間にどの様な因果関係があるのか、そもそも二十年近い歳月を距てて二つの事件がいったいどの様な繋がりの糸で関係づけて論ぜられるのか、少し若い世代の人々にはその辺の事情が最早つかみにくくなっているといふこともあるのではないか。先行する世代の、且つ当事者の末端にともかくも位置していた者の一人として、そのあたりの事情を、次代への中継的地点に立って語り遺しておく義務の如きものがあるのではないか。さう考へて、偶々寄せられた、何か回想記風のものを、との編集部の求めに応じ、二つの事件を結ぶ脈絡とそれへの考察、及びそこから我々につきつけられてくる時務の要求とについて、思ふところを記しておきたいと思ふ。

・・・・・七月二十九日以降、当時の文部省初等中等局長は、検定により 「侵略」⇒「進出」 書き換への指示は事実として存在しなかった、新聞の記事は誤報であるとの旨を、参議院文教委員会等で数回にわたって言明している。そのことは前引の八月十日の新聞報道 (「文部省見解」) を注意深く読めば読み取れるのである。そして 『それにも拘わらず』 八月二十六日に至って、あの禍々しい 「内閣官房長官談話」 は出され、日本政府の責任に於いて教科書記述を是正させる、との約束が中・韓両国政府に通達された。

その官房長官・宮沢喜一の犯した罪 (内閣法及び国家行政組織法に違反の疑ひ、そして 「外患誘致」 といふ明白な国家反逆の行為) については、本誌 「正論」 平成九年三月号の拙論 「「漢奸」の精神病理」 の中で、筆者が平生自らに加へているたしなみの埒を大幅に越える口調で糾弾しておいたのだが、勿論文章上の非難弾劾ですむことではない。
爾来二十年に及ぶ日本の教育界への外圧といふ禍害は全くこの時のこの人物の売国的行為に淵源するものである。外交に於ける失策 (しかも意図的な) の責任が個人に対して問はれることがない、この倫理的鈍感の精神風土は昭和十六年十二月七日朝のワシントンに於ける日本大使館の大失態以来、依然として日本国のアキレス腱であり続けている。今後の日本国が是非真剣に考へておかねばならぬ検討課題である。

(二) 「近隣諸国条項」 の呪ひ
昭和五十七年の忌まはしい虚報事件から結果として二つの性質の異なる事態が生じた。一つはこの節で取り上げる 「近隣諸国条項」 であり、他の一つは次節で論及する、自前の歴史観の上に立脚した高校用歴史教科書制作の運動である。
五十七年八月の後半に入って、問題の焦点は文部省と外務省との対立といふ形に絞られてきた。文部省は、当然ながら、検定済教科書に更なる記述変更を要求するのは検定制度の根幹を揺るがすものだ、とて強く抵抗する。外務省では桜内外務大臣が先頭に立って、「首脳」 と称される人々が <近隣友好諸国との相互信頼> <早急に姿勢を正すことが必要> 中・韓両国の国民感情を <]軽く見ると大変なことになる> 等の表現で間接的に記述の変更を主張する。文部・外務両省の対立は、互ひにゆずらぬ形で二週間ほど続くのだが、そこへ八月二十六日の官房長官談話が、簡単に言へば外務省の主張に同調し、これに裏付けを与へる形で発表されたわけである。
談話のポイントは四節に分かれた全文の第二節の末尾にあり、当時の新聞紙面から直接引用してみると、 <・・・・我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分耳を傾け、政府の責任において (引用者注、教科書の記述を) 是正する> といふものであるが、これが要するに日本国の教科書記述を支配せんとする外圧への無残な屈服の表明に他ならないことは、現在のどんな若い読者でも直ちに理解されるであらう。
ところでこの談話は次の第三節の冒頭に以下の如き、恥辱の上塗りとも称すべき対敵迎合的な約束を付け加えていた。曰く、<このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前期の趣旨が十分実現するよう配慮する。

これが問題の 「検定基準」 への 「近隣諸国条項」 追加の根拠となった提言である。ここまで読んで下さればおわかりと思ふのだが、この条項の起草・添加は別に中・韓国の要求に発したわけではない。相手は現行の日本の歴史教科書の記述を 「友好」 的なものに改めろ、と申し入れてきたまでである。
だが官房長官は相手の要求の範囲を越えて、将来の日本の教育界での教科書制作にはめられることになる手枷・足枷を、自ら進んで相手に提供し媚び諂ったのである。何故そんなことをしたのか。それは九月に予定されていた鈴木善幸首相の訪中の旅を円滑に進め、官房長官としての面目を立てんためである。つまり私利を図って国家の名誉を売ったのである。
今、筆者の手元には昭和五十七年十一月二十五日付の 「文部広報」 第七四七号といふ資料がある。此を見ると前記の官房長官談話が僅か三箇月のうちに 「近隣諸国条項」 の検定基準への添加として結実した経緯がよくわかる。かいつまんで言へばかうである。

八月二十六日の官房長官談話を受けて、当時の鈴木内閣の小川平二文部大臣は、九月十四日付で 「教科用図書検定調査審議会」 に対して、「歴史教科書記述に関する検定の在り方」 について諮問した。九月七日のサンケイ新聞の報道で、一連の紛糾は要するに誤報に基くものだと判明したにも拘らず、である。検定審議会の方も亦誤報のことは聞かなかったの如き態度でこの諮問についての審議にとりかかり
二箇月後の十一月十六日に文相に答申を提出した。(余計な注釈かもしれないが、この時の検定審議会に 「外務省枠」 で加はっていたのが、後に今上天皇御訪中に際して、「お言葉」 の中で 「謝罪」 の意を表明せよと立論したN元大使である)この答申に基づいて小川文相は十一月二十四日付の 「文部省告示」 で、義務教育及び高等学校用図書検定基準の一部改正を布告し、「教科用図書の内容とその取り扱い」 と題する章節十四項の次に第十五項として以下の一項を加へ、この告示は <公布の日から施行する> とした。曰く、<(15)近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること> と。
八月下旬に頂点に達していた文部省と外務省の嶮しい対立を当時の新聞(サンケイ) 紙面で辿り返してみると結構面白い。文部省側は、<いま省内には、外務省に対する恨みつらみが渦巻いている> と書かれ、<外務省に頼んだのが間違いだった。・・・外務省は単なる取次ぎ機関だ > といふ文部省高官の言葉が記事になっている。実際我々市民の眼には日本外務省は国の外交を司る機関ではなく、中国からの日本攻撃の取次ぎ所にすぎないと見えていた。一方 <しょせん文部省は二流官庁。事の重大さをわきまえていない> といふかなりきはどい外務省幹部の放言もしっかり記事になっている。

小川文相は外務省の検定介入に徹底抗戦の構へで、八月二十五日には、政府までが外務省の方針に同調するならば自分は辞任する、とまで表明していたのだが、翌二十六日の官房長官談話に接して辞表を叩きつけたのかと思ふとさにあらず、前引の如く、いつのまにか変心して十一月下旬には自らが検定制度に大きな傷をつけたその下手人となっているといふ不思議さである。
かうして、九月七日付のサンケイ新聞の画期的なおわび広告によって問題紛糾のそもそもの端著が新聞の誤報にあったことが判明したにも拘らず、何とも不思議な経路を辿って 「近隣諸国条項」 は成立した。その成立を自ら要求したわけでもない近隣の両国は、教科書に関はる紛糾が出来する度毎に、十分この条項を利用してその旨味に悦に入っている。

(三) 「新編日本史」 の編纂
五十七年夏の事件は、教育界の枠をはるかに越えて、政治・外交・社会問題としての広汎な関心を民間に喚起した。現在の 「日本会議」 はその頃は 「日本を守る国民会議」 と 「日本を守る会」 との合併以前で、筆者は前者に属していたが、この年の十月三十日に行はれた同会議の 「教科書問題を考へる懇談会」 に出席し、発言もした。黛敏郎氏がまだお元気で運営委員長を務め、自らも常に先頭に立って積極的に行動してをられた頃のことである。
この日懇談会に出席された方のうち二十人の発言録がいま筆者の手元にあるが、黛氏はじめ既に物故された方も何人か居られ、或る、或る種の感慨なきを得ない。夏の事件の衝撃を受けて様々な意見開陳がなされているが、その中に、かかる状況の打開策として最も建設的なのは我々 (「日本を守る国民会議」 を指すとの共通の了解がある) 自身の手で、自らの納得のゆくような教科書を制作することではないか、との意見が見えている。筆者自身もそれを述べた記憶があるが、改めて発言録を検して見るに、そのことを最も明快に、且つ具体的に力強く主張されたのは、当時皇學館大學の学長の任に在られた田中卓博士である。博士は同時に、日本史を社会科の枠からはづして独立させよとも述べられてをられる。これはやがて実現した。又高等学校に関しては学習指導要領だけを残して自由化(検定なし) せよとのお説もでている。

・・・原書房刊の 「新編日本史」 (現在は図書刊行会刊 「最新日本史」 といふ形をとっている) に関して、筆者はよくその執筆者の一員と思はれているがさうではない。むしろ序文として入れるはずだった 「日本の史学の歴史」 といふ章の原稿が没になった記憶がある。筆者が務めたのは 「監修」だが、これがどういふ役割かといふと、要するに本文の全体を、読みやすい校正刷りになった段階で校閲し、必要とあらば本文の欄外に入朱訂正を施し、疑点や異議を覚えた箇所にコメントを書き込んで執筆者にもどす、といふ作業である。往々に 「監修」 といふと学会のその専門学科の有力者が 「監修者」 として名前を貸すだけといふ例がある様だが、「国民会議」 の教科書と筆者の場合そんなことはしていない。だから見本本完成のの後、文部省教科書調査官の検定意見を拝聴するために、編集主任の朝比奈正幸氏と共に調査官の許に赴き、問題が紛糾してからは執筆者代表の如き顔をして文部省との交渉にも当たったのである。
昭和六十年の九月半ばには、この日本史教科書は一応所謂 「白表紙本」 の形にまで仕上がり、検定審議会に提出するところまで漕ぎつけた。ささやかな内輪の祝宴を催した記憶もある。編纂の総監督ともいふべき役を務められたのは、その十年ほど前に文部省の主任調査官を辞任された、「家永教科書訴訟」での国側証人として有名な村尾次郎氏だった。村尾氏は後に、一介のドイツ語教師だとしか聞いていなかった汝が国史教科書制作にのり出してきて、しかも結構働くとは全く思ひがけない面白い出来事だった、とて笑はれたものだ。

明けて六十一年の一月末に条件付合格の判定が出、その条件を満した内閣本について、三月彼岸の頃に文部省で二度目の検定意見の伝達といふことあり、私は朝比奈氏と共に文部省に出向いて調査官の意見を聴き、白表紙本に細かくメモを書き込んで修正・改善のための覚えとした。念のために記しておくが、調査官A氏の検定意見は、まさにこの教科書をよりよきものにするための適切な助言の趣に終始し、我々も時に反論や異議を呈しながらも概して穏やかに、相互の意見の妥協点を双方から模索する様な形で訂正要請・勧告に応じていたものである。検定意見の聴取、それに基づいての訂正結果の提出、といふ段取りを踏んで、あとは判定結果の通知を待つのみ、といふ状況になっていた時、奇妙なことに、忘れもしない、、合否判定の発表を三日後に控えた六十一年の五月二十四日であるが、朝日新聞が我々の 「新編日本史」 編纂事業のことを報道した。検定結果の公表以前であるから所謂白表紙本は部外秘の秘密扱ひのはずであるが、朝日新聞はそれを入手し、内容を知っているらしかった。
但しこの第一報を見た時、我々は多少迷惑な扱ひとは思ったが、むしろ話題にしてくれて有難い、といふくらいに暢気に構へていたのである。ところが三日後の五月二十七日、検定結果が公表され、我々の教科書の 「内閣本」 が 「合格」 と決定してからその後がいけなかった。六月に入ると朝日新聞による 「新編日本史」 非難の論調は次第に激しくなり、「復古調教科書」 と銘打って様々な攻撃を加へるようになった。(「復古調」 の刻銘は我々の嬉しく首肯するところであったが、朝日新聞の感覚ではこれが誹謗の意味になるらしかった)。その誹謗に応じてサンケイや世界日報が論説と投書欄とで新教科書擁護の論陣を展開してくれ、なかなかに賑やかな状況を呈することにもなった。或る人の調査によると、六月初めから約四十日間、朝日新聞に 「新編日本史」 非難の記事が載らない日はなかったそうである。

しかし、六月の半ばになって、既に検定合格が決定したこの教科書に対し、文部省が本文に六箇所の再修正を要求してきた時には、我々は或る不吉な予感をいだいた。合格後の再修正要求は、五十七年の事件の時には、文部省が、検定制度の根幹を揺るがすものとして、外務省と嶮しく対決する、その争点となった重大問題である。それを今度は文部省が先に立って我々に要求してきている。いづれ背後には外務省が居るのだらうと思はれたが、文部省は外務省と対決するどころか、今度は自らが外圧の取次ぎ機関と化して我々に検定原則違反の記述修正要求をつきつけてくる、といふ形になったわけである。実は五月三十日にも文部省からの再修正要求はあった。ただ我々はそれを訂正洩れになっていた字句の正誤の追加くらいに考へて、それほど重大には受け取らなかった。(中に一箇所、単なる正誤ではない資料の削除要求があった。これは既に 「違法検定」 であった) しかし六月十日の再修正要求は全てが明らかに記述内容に関はることだったから、我々は大いなる疑惑を感じ、緊張した。ことに調査官が、この再修正要求は五月二十七日の合格決定公表以前の段階で出たことにしてもらいたい、といった小細工を弄したことで、逆にこの裏面に何かよからぬ裏工作があるらしいことを推測した。後でわかったことだが、六月七日に中国外務省は北京駐在の日本大使に 「新編日本史」 の合格に抗議する覚書を手交している。こま時彼等がこの教科書の白表紙本を手にしてその内容に眼をふれていたとはさすがに考へられない。朝日新聞の非難の論調に接して、間接的に、これは間違った歴史認識を含む教科書だと判断したとする他に考へられない。

とにかく、当時の総理大臣中曽根康弘首相氏は、この覚書に忽ちしゅう伏した。そして後藤田正晴官房長官を通じて海部俊樹文相に、北京の意向に沿ふ形でこの教科書の記述を修正させよ、と指示した。文相は、それは検定制度の破壊であるとて抵抗するどころか、唯々諾々と首相の意を奉じて、十日の編者側への再修正要求に及んだのだった。この外圧に屈しての違法の再修正要求の件は、六月十八日に中曽根氏が遊説さきの鹿児島での記者会見に於いて、自分が命令したものであることを自ら白状し、翌十九日の各紙の紙面で大きく取り上げられた。サンケイは社説(「主張」)で 「外圧に屈した教科書検定」 と題する厳しい批判を掲げ、「サンケイ抄」 は中曽根首相を名指して、四年前の土下座の醜態の再演、と断じた。

この段階では朝比奈正幸氏と筆者とが専ら執筆者代表といふ形をとり、国民会議事務局の松村俊郎氏が常に随行陪席して文部省との連夜の交渉に当たったのだが、殊に七月三日の交渉は遂に夜を徹して続き、四日の朝、家庭を持って初めて朝帰りなる経験をしたのも忘れ難い記憶である。呆れたことに、この第三次修正要求に対応しての交渉の最中に、それにかぶせる様にして第四次修正要求が持出された。これは検定審議委員の中の一部の左翼的イデオローグから出た 「便乗要求」 といふものだといふことが後で判明し、その浅ましさに実にやり切れない思ひをした。私はこれを断固拒否する態度に出たのだが、この強硬さ故に、最後の一点で新教科書の合格がふいになるのではないかとの心配も生じ、黛氏、村尾次郎氏に大いなる御心労をおかけすることになったのは何とも不本意なことだった。
そして何と言っても文部大臣が判子をつかなければ教科書の検定合格は公認されないのだぞといふ脅迫的言辞が間接に伝へられたことで、筆者のこの人物の卑しさに対する不快感は絶頂に達した。決してその脅迫に屈したわけではないが、妥協に妥協を重ねた形で、七月七日に 「新編日本史」 は最終的に検定合格の認定を得ることができたのだった。・・・

此度の外圧検定事件は、教科書検定制度といふ国の法秩序の一環を、総理大臣、内閣官房長官、外務省が先頭に立って破壊しようとし、この制度をまもるべき責務を負うている文部省に又その責任を果たそうとする意志も勇気も無く、ひとり私共執筆者側の方が検定制度の理念と実施の準則を守ろうとした、さういふ構図になっていたのである。。私共検定を受ける側が検定に抵抗したのではなく、逆に検定の 「あるべき様」 を守ろうとし、且つ守り抜く辞意を明示した。その点で、かの家永訴訟とは正反対の、といふか裏返しの構図である。但し、編纂総監督の村尾次郎氏にしてみれば、家永訴訟の時と比べて、文部省の内側にいるか外側にいるかの位置の違ひがあるだけで、教科書検定制度の理念と倫理とを守るといふ姿勢に於いては見事に首尾一貫していたわけである。その点では全く志を一にしていたはずであるのに、私の対文部省姿勢が強硬に過ぎたために、汝が全てぶち壊しにしかねない、とてこの大先輩には心ならずもひどく御心労をおかけしてしまった。

事件全体を振り返って総括してみると、一言で言へば、かうした 「復古調」 教科書の出現を憎んだ国内の所謂 「反日勢力」 が、外圧を導入してこれを外交問題化し、出版を阻止しようとし、そしてある程度までそれに成功した事件だった、と捉へることができよう。外圧自体の発源地はもちろん北京政府だが、これの介入を認めてしまったのが、総理、官房長官、外務省といふ国政の最高レベルを貫く権力線なのだから始末が悪い。国権行使の最上層部がどうしてかくも簡単に北京の恫喝に屈服してしまったのかといへば、当面の外交上の思惑といふことももちろんあるが、結局は 「近隣諸国条項」 にひそむ呪縛力の故である。七月四日のサンケイ新聞も <今回の教科書問題では、政府首脳と外務省が四年前の教科書騒動のあとの宮沢官房長官談話をタテに、終始、文部省に ゛内圧゛ をかけ、これに屈した文部省が検定審議抜きの ゛違法検定゛ を行っている図式がはっきりしてきた> と書いているし、中曽根総理、後藤田官房長官共に、ーー北京からの申し入れは明らかに内政干渉であるが、四年前の宮沢談話が国際公約の正確を有している故に、外圧の受け入れは已むをえない、との趣旨の談話をしていたことが紙上に報ぜられている。その宮沢談話は 「検定基準」 の中の 「近隣諸国条項」 として成分化されているのだから、所詮教科書問題をめぐる外交折衝に於いて日本の手足を拘束しているのは問題のこの条項である。

このことはこの昭和六十一年の事件の際にもちろん既に痛切に認識されていた。渡部昇一氏は七月七日のサンケイ新聞長官 「正論」 欄で後藤田官房長官談話に対する反論の形をとって、明快に、宮沢談話は 「日中共同声明違反」 である故に無効、北京政府からの抗議はその前提が誤報の上に立っているものである故に撤回させるべきである、との論を展開され、七月九日には社説 (「主張」) が、「『官房長官談話』を見直せ」 との標題で、四年前の政府見解は誤報の土台の上に出されたものであるから、「無効」 を宣すべきだ、と説いた。洵にその通りである。しかしながら、この二つの主張はいづれも、政府によって顧みられることなく、輿論の広汎な支持を得るにも至らなかった。国家の 「あるべき様」 に関しておよそ道理といふものが通用しないといふ点で、昭和六十年前後の日本は昭和二十年秋から昭和二十七年にかけての米軍による占領下の日本と大して変らなかった。占領者が異国の軍隊ならぬ国内の反日勢力である点が違ふといふだけのことだった。

(四) 平成十二年秋の教訓から
・・・「新編日本史」 の編纂 ・制作は別に秘密にしたわけではなく、ただ世間に注目されることもないままに進んでいたただけのことであるが、「つくる会」 の運動は大勢の支持者・賛同者を募って華々しく首途をしたのだから、自然反対陣営の探索の眼も嶮しくそこに注がれていたことだろう。そこで 「つくる会」 の教科書の白表紙本の部外者への流出といった不祥事も、殆ど起こるべくして起こったことと言へる。十二年の七月末に毎日・朝日の両紙が二種の新教科書のうち 「公民」 の方について、部外者が知るはずのない内容の一部を捉へて、反対陣営からの非難を唆す様な記事を載せた時、やはり来るものが来たな、との感想が浮かんだだけだった。
暴露と中傷はやがて歴史教科書の方にも及び、九月には白表紙本が外部に流出したことを窺はせる内容記述への批判が共同通信から全国に配送され、九月中旬には朝日・毎日両紙が同様の非難の記事を掲載した。新聞紙の記事が又しても外圧導入の呼び水となるといふ、図式は十四年前の昭和六十一年の事件の時とおなじである。

外圧はやはり北京に於いて発生した。前回にこの外圧を中継し増幅して文部省経由で執筆者側に伝へてきたのは外務省ー総理ー官房長官の線であったが、今回は少しく不思議なことに、文部省内部に直ちに外冠への呼応の動きが生じた。文部省内部といってもそれは 「教科用図書検定調査審議会委員」 歴史部会委員の一人に外務省出身者が居り、この人物が対敵内応の発動者だったのだから、或る面から見れば外圧導入の中継はやはり外務省が行ったのだと見てもよい。やがて外務省には不正工作への組織ぐるみの関与があったと見做されるに至った所以である。
この人物が既に周知の通り元インド大使で現在日中友好会館副会長 (会長は後藤田正晴元官房長官) の地位にある野田英二郎氏であるるこの人のことは産経新聞の本年一月十二日の第三面に、新聞記事としてはおそらく最大限であらう、その経歴と思想と過去の各種の発言にわたっての紹介があるので、本誌ではとくにふれない。不合格工作事件の十月中旬までの経過を詳述して河野洋平外務大臣、後藤田元官房長官、野中広務自民党幹事長等の売国奴的行動を厳しく糾弾した西尾幹二誌氏の論文 「汝ら、奸賊の徒なるや!」 (「諸君!」十二月号所載) にも野田氏のいかがはしい過去についての十分な情報が提供されている。

以上、近隣諸国条項について長い文章を書きましたが、「近隣諸国条項」、撤廃に反対する、
《朝日=築地カルトチョーニチ》、なるものがいかにタチの悪い憎日新聞であるかよくご理解いただけたと考えます。

投稿: | 2013/04/11 19:42

ある漫画の登場人物の台詞ですが、
「家族を取り戻せ
 国を取り戻せ
 己を取り戻せ」

今の日本には、この言葉が相応しいと考えます。

当たり前の事を当たり前に言える国になること。
そこに、これからの日本の成長のカギが隠されているのではないでしょうか。

投稿: rydel | 2013/04/11 22:31

お元気そうで何よりです。

情勢が逼迫してくると、必ず発言されると思ってました。

お仕事の多忙さもありましょうが、自民党政権復帰での一安心感は、ブログとの距離を拡大したかと感じていました。
しかし、半島からの脅威が増大している今、あなたは、きっと発言される筈だとも思っておりました。


大方の国民は、ミサイルは飛んでこないと思っていることでしょう。
しかし、絶対にそうだとも言いきれません。

戦後、最大の脅威が、日本に迫っております。
その脅威を拡大する国内勢力も依然として存在し、彼らとの厳しい対決は不可避です。

国の舵取りは、いささかも誤ることは許されず、それとともに、残滓を一掃していかなくてはなりません。


お笑いコンビのオセロは、白が黒に見切りをつけました。
日銀では、白が黒に見切りをつけられました。

これからは、国民が白黒をはっきりさせていかなくてはなりません。
そのためにも、あなたのリードは必要なのです。

どうぞ、inspire を。


投稿: Ethos | 2013/04/11 22:33

引き続きで申し訳ないのですが、
先程、知ったことです。


NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」
主人公の父親が運転するタクシーは、ヒュンダイ車のようです。

皆さん、どう思われますか。

投稿: Ethos | 2013/04/11 23:10

坂さん、はじめまして。更新が続いて嬉しいです
最近はその反日日本人を呼ぶ良い呼び名ができましたよ
「特定日本人」というそうです(笑)

投稿: toritoritori | 2013/04/12 00:16

> Ethosさん

私はテレビをすてたので、わかりません(笑)

投稿: 鳩槃荼 | 2013/04/12 03:41

「反日日本人(左翼、リベラル、進歩的)」の言葉の中の 
”日本人”は、実は本物の日本人ではなくて、他国から
侵入した、”なりすまし日本人”が多いのでは?と
思うこの頃です。 ”日本人”という言葉は、彼らの
正体を隠します。

投稿: 凛 | 2013/04/12 04:49

教育改革こそ最重要課題であり急務である。

近隣諸国条項など直ちに廃すべき、百害あって一利なし。

今朝の産経新聞トップに政府の「教育再生実行会議」がまとめた教育委員会制度の抜本改革に関する提言の最終案が判明した。と報じられておりました。

その中で、地方行政への国の関与について、★<<「原則として地方公共団体自らが判断し、責任を負うべきだ」とした上で、責任ある教育行政のため「最終的には国が是正・改善の指示を行えるようにする」とした>>★が印象に強く残りました。

教育行政は国が最終責任を負う、当たり前のことがやっと実現しそうです。

投稿: 道産子爺 | 2013/04/12 07:41

反日変態サヨクは反日を「進歩的」と呼称する。
この手で長年、大衆をだましてきたが
ネットの普及で詐称が困難になってきた。
数少ない「治外法権エリア」が新聞やテレビなどの旧来メディアと法曹界。
かなり弱体化されたが、教育界も除染が完了していない。
なぜ生息が許されているのか。
これらのエリアでは偽善と分かっていても
それが通用してしまう「偽善ワールド」だからではないか。

それと、他人さまのブログコメント欄に
本文より長いコピペを貼り付けるのはマナー違反だよ。
坂さんは優しいから承認してくれるが
名無しの押し付け的な冗長文などほとんど誰も読まない。
引用文のサイトURLだけで十分。
受け売りより自らの明確な意見を
記したほうがメッセージは伝わるはず。

投稿: やす | 2013/04/12 16:30

坂さんこんにちは。
はじめてコメントさせて頂きます。
お元気になられて何よりです。
鋭い分析のブログが楽しみであり、復活は、保守系の私達にとって、大変心強く思います。
無理をなさらない様、マイペースで、頑張って下さい。

投稿: 皇紀2670 | 2013/04/12 18:24

>凛さん

若干、間が空いてしまいましたが、
「反日日本人」は「反日日本人」なのであります。
「そういうことをする奴等はみんなチョンだ!」という論法は危険なのです。
(もちろん凛さんは単に「多いのでは」と書いていることは承知しています)

反日的な行動に走る人の行動理由をすべて「チョンだから」とするのは、
もしも対象の人物が半島由来の血脈でなかった時に、手痛いカウンターを食らいます。
つまり「レイシストだ」「排外主義者だ」と簡単に言われてしまうわけですね。

私は、仮にこの国から半島由来の血脈の人々を全て排斥したとしても、
いわゆる「反日運動」というものは、大して減らないと思っています。
それは「血」ではなく、「思想」に由来しているものだからです。
私がこのブログのファンなのは、坂さんがその解りにくい点を
よく説明されているからなのです。

投稿: 鳩槃荼 | 2013/04/14 22:47

特亜勢力の浸透によって、戦後65年間いかに異常な言論がまかりとおり、真っ当な日本人が左翼勢力に抑圧されてきたか、いまや日本人はこの息苦しさに気付き、反日言動に嫌悪感を募らせています。この状況を理解できない政治家ないし政治集団は早晩消えてゆくしかありません。しかし彼ら売国集団はあくまで日本という国を隠然と支配し、日本人を抑圧し続けることを目的としているので、決して油断できません。差別とか人権とかいった言葉は日本人を抑圧するための手段です。これらを一つ一つ地道につぶしてゆかないといけません。今安倍政権は、その端緒となり得るものと信じています。

投稿: 熊野久須比 | 2013/04/16 00:40

ブログ主様、皆様:

昨年8月の李明博韓国大統領の竹島不法上陸とそれに続く天皇謝罪要求、9月の中国の反日暴動に心を揺さぶられ、中韓に関する本を読み漁っていました。どうも、自分は東洋史について無知である、中国に関する認識も1984年の時点の若い頃の印象で思考停止している、と考えたからです。たくさん読んだのだけど、最近は次の2冊を読みました。

「中国・韓国が死んでも教えない近現代史」(黄文雄著 徳間文庫)
「親日派のための弁明」(金ワンソプ著 扶桑社文庫)

その結果、今では「大日本帝国」に関する見方が根本的に違ってしまい、この100年ぐらいの近現代史の風景が、これまでとは、まるで違って見える。

 黄文雄氏のいう「大日本帝国は闇ではなく光だった」という言葉のとおり、我々の祖先はアジアに多くの良い事を多大な犠牲を払ってやってきたのだけれども、いつの間にか、自分自身の心のなかにも加害者意識のようなものが潜んでいて、そのことが自分の歴史を見る目を曇らせてきたことに気がつきました。

 いわゆる「サブリミナル効果」とでもいうのでしょうか、教科書だけではない、青年期に手にする書物の尽くに、なんらかの「史観」が反映されているために、そのことが意識の深層に刷り込まれてきた。よって50歳を過ぎて新たな発見に驚くというテイタラクを呈しているもののようです。私は、この原因は主にa) コミンテルンの策動と、それに呼応する日本社会党・朝日新聞をはじめとする反日日本人集団による「自虐史観」のプロパガンダ、b) 戦前は真っ暗だったというような「司馬史観」、の2つではないか、と考えています。これに、c) 戦勝国が押し付けてきた「東京裁判史観」を加えてもいいかもしれない。

 誰でも「時代の気分」から超然として、孤高の存在でいることは難しい。私もまた、普通の青年と同じく、司馬遼太郎さんの本に夢中になり、自ら検証できないことは「社会の一般論」を受け入れてきた一人の日本人にすぎないということです。

「司馬史観」からの脱却は、個人の見方だけのことなので容易ですが、「自虐史観」は中韓が政治的意図をもってしかけてきているので、具体的な反論・反証を必要とする。「東京裁判史観」(例えば、日本本土上陸に伴う犠牲を減らすために原爆投下は必要であったというような意見)は、策動の本拠が合理的思考をする人々なので、中韓が仕掛ける「自虐史観」ほどは打破が困難ではない。しかし、豊富な語学力をもって、き然として我が意を主張しなければならない。と感じています。

日本人がこれからも世界の一等国民として生き抜いていくためには、いずれの史観からも脱却して、素晴らしい歴史を持っている素晴らしい国民なのだという意識を共有しなければならない。

つまらない揚げ足取りは放たらかしにして新たな「大日本帝国」の像の構築に取り組みたいと考えていますが、「自虐史観」の策動の根拠地については、個人名まで特定して自省を求める必要があるでしょう。教祖・ラッパ吹きの「改宗」こそ、新たなプロパガンダを許さず、最も効果があるのですから。

投稿: ピラニア軍団 | 2013/04/16 15:19

>ピラニア軍団さん
私は以前 Ranking3位の瀬戸弘幸や弟子の有門大輔らとよくデモなどを行っていましたが、彼らの偏差値が低すぎるのには呆れて現在は袂を分かっています。
それらに比べれば豊富な語学力をお持ちなはずのあなたでさえここで感情論を並べるだけなのには心底ガッカリです。
 

私が言いたいことは たとえば
戦前の立憲政友会は伊藤博文が作った官僚的な政党でしたが、大正デモクラシーに至って板垣退助の自由党と大隈重信の進歩党が合併した憲政党が衆議院の8割を獲得して隈板(わいはん)内閣が成立します。
しかし
猟官運動の激しさや例の(尾崎行雄の)「共和演説事件」で政党内閣は短命に終わります。
そこへ第二次山県有朋内閣が返り咲いて高等文官試験に通った者にしか勅任官に就けない制度に改めてしまいそれが現在まで官僚主導の国家統治が日本では続いているのです。
 

つまり
現在の自民党が戦前の政友会に近く
民主党が憲政党に近いのです。
 

また
日本の政治が古代から黒幕によって動いていたことや
軍部大臣現役武官制に代表されるように
議会は総理大臣を選出する権限は無いが・内閣が提出する法案を否決する「拒否権」だけは持つ・・・という
決められない政治・・・
これは戦前も現在も変わらない「日本政治の癌」なんですよ。
まぁそれで・・・
大阪から橋下何某というリーダシップを売り物にする政治家の出現となるのですが・・・
戦前にも同じような状況でもっともっとスケールの大きな天才が出現してるんですよ。
その名は「北一輝」
そう・・・2・26事件の首謀者ですよ!
 

どうですか?ピラニア軍団さん
中韓とか自虐史観とかの小さなことではなく
戦前の政党史などから日本政治の特質などを読み取るなどの研究をなされたら如何でしょうか?
あなたは私などよりもずっと頭が良くて 語学力・分析能力も充分おありになるはずですから・・・

投稿: 柳生大佐 | 2013/04/17 17:12

柳生大佐さん:

あなたへのレスは、これが最後です。

ぼくは、もう、現代日本の政治に関する話題が面倒くさいのです。

自分が取り組んでいるテーマがある。それに傾注するために、他のことにかかずりあいたくない。特に面倒くさいのは、あなたのように、他人にああせい、こうせいというお節介で無礼な人々に係わることです。どうして、自らできるテーマを見出して、それを追求しようとしないのですか。その過程で、他人にアドバイスを求めるのもよいでしょう。他人を敬う気持ちになり、丁寧な言葉使いでアドバイスを求め、意気に感じる親切な人がいれば、応対してくれるかもしれません。

あなたの書き込みはいつも無礼千万、他人を敬う気持ちなどつゆほどもない、きわめて不愉快なものです。ぼくに失望とのことですが、勝手にがっかりしていればいい。あなたの感情など、ぼくには関係ない。

ぼくには、ぼくの重要テーマがある。ここでも既に幾つか挙げている項目がある。友人に約束していることもある。

いずれも、あなたには関係ないことです。あなたは、ご自分のテーマを追っていってください。

投稿: ピラニア軍団 | 2013/04/18 23:17

面倒くさくてお節介だと感じるならスルー(まあ「無視」ってことね)すればいいのに、こんなことでキレて説教してみたり、「無礼千万」と書きながらその自分の文章もかなり無礼になっている矛盾にも気付かないような沸点の低い人は本当にイヤですね。うっとおしいと感じたならさらりとユーモアで返すとか、ちょっとは大人の対応ができないんでしょうか。なんでネットにはこう自閉的な人が多いんだろ?
まあ柳生さんもこんなところで議論吹っかけている暇があったら商売に精出したらどうなの?がんばってますか?かつて「デモとか政治活動するより、しこたま儲けて信じる政治家に献金して政策を実現してもらう」と言った柳生さんを最高にかっこいいと思いましたが、どうなっていますか?僕も同じことが出来るようがんばっていますが、脳の性能のせいもあるでしょう、商売の専門外のことを詰め込んでいる余裕などあまりありません。お互いのステージも違うでしょうから一概には言えませんが、政治や経済政策の是非を論じたりするよりも、とにかくこの経済の波に乗っていけるよう集中しようではありませんか!

しまった、これがお節介か!
またどっかのアホに柳生さんと同一人物認定されてしまうわ、お節介という共通の特徴を持つ人物として(笑)

投稿: 大阪乙 | 2013/04/19 23:18

>ピラニア軍団さん
4月16日に
「・・・李明博韓国大統領の竹島不法上陸・・・」
と書かれたのはあなたですよ。
何が「現代日本の政治に関する話題が面倒くさい」んですか?
もうボケが出てきたんでしょうか・・・お可哀そうに・・・

もともと私はお節介で短気な性格なんですから・・・私への苦情があるならオフクロにでも言ってください。
だいたい・・・blogのコメントにお節介でないものがあるんですかねぇ・・・
 

ピラニア軍団さんのテーマなんて私は知りませんよ。
ここへのあなたのコメントがあまりにも下らないから親切に新しいテーマを教えて差し上げただけですよ。
あなたのことを心配してあげたのに逆切れするとは日本人の風上にも置けませんなぁ・・・あなたは・・・

無知蒙昧の徒に”丁寧な言葉使い”を使えば彼らの頭が良くなるんですか?
それならそうしますが・・・私も

ではピラニア軍団さん 政治研究者のあなたにお聞きします。
大日本帝国憲法には「天皇の統治権」で一番大事なものが抜けてるんですが、何かお分かりでしょうか・・・
また
「現日本国憲法の中心」とは何条でしょうか?
また
日本国憲法にはちゃんとあるのに、アメリカ憲法に使われて居ない権利とは何でしょうか?
・・・多分
ピラニア軍団さん始め、どなたも上記の質問には一つも答えられないでしょう。(100点満点で0点ですよ・・・ふふふ)
それで・・・政治の何をかいわんや・・・ですなぁ・・・
ピラニア軍団さん え?
あなたが政治の何を知っていると言われるのか・・・そのあなたに何で私がアドバイスなど求める必要があるんでしょうか?え? 
答えられるなら答えてみてください。
1つでいいですよ・・・3つ全部答えられるほど私はあなたの頭脳を評価しておりませんので・・・悪しからず

 
>大阪乙さん 坂さま
お騒がせしまして・・・
NPO法人を作ろうとしたら「オリンピックで金メダルを取らないと寄付しないよ!」とスポーツ大手のミズノに言われ・・・
やっとイトーヨーカドーの元店長と知り合いになったと思ったら「(商品を売るより)まず名前を売れ!」とお笑い芸人みたいなことを言われているんですよ・・・私は・・・
だから
現在の日本での商売なんて生半可なものじゃありませんよ。
相手を説得する論理をまず用意しなければ金儲けのスタートもできません。
まぁようやく用意が整ったので、来月あたりから各大企業の販促マネージャーと交渉に出かけますが・・・

そこで使う2時間ほど前にやっと思い付いた殺し文句とは
「この社会は”他人を信用しないシステム”で成り立っている」
・・・ということです。
なぜなら「だからこそ家族が作られた」からです。
この論理は本当ですよ。
人類学の本にちゃんと出ている真実ですからね。
 

その二
「資本主義とは唯一”sunk cost(埋没費用)”を処理できるシステムである」
(社会主義は完璧な理論なので、損失が出たら社会全体が崩壊するまでそれを止められない)
分かる? 大阪乙さん
三橋貴明なんてパープリンなんですよ。私に比べたらね・・・

投稿: 柳生大佐 | 2013/04/20 01:33

柳生さん、失礼しました。コメントをすべて追っているわけではないので近況とかまったく存じあげなかったのですがいろいろ奮闘されているみたいですね。それも地道な自分なんかとはスケールの違う山っ気あふれる商いのようで(笑)それがまた柳生さんらしくてイイ!まあ企業秘密みたいなもので詳しくは言えないでしょうが、成功した暁には貴サイトで少しくらいネタばらししてください。ちなみに会員登録とかログインとか無しでコメントできるところに引越したらどうですか?あれでは面倒過ぎて書き込む気が起きません。それで坂さんには申し訳ないですが、こちらに柳生さん宛てのコメントを書かせてもらっているわけですが。

> 「資本主義とは唯一”sunk cost(埋没費用)”を処理できるシステムである」
分かる?って言われても(笑)
原発関連の話ですか?よくわかりません。自分も池田信夫の引用するような本とか読むには読んでみるんですがほとんど理解できない口ですからおそらく相手にはなりませんよ。
それにしてもなんで急に三橋貴明が出てくるんですか?一度でも話題にしたことあったかな?

投稿: 大阪乙 | 2013/04/20 12:56

>大阪乙さん
”サンクコスト”につきましては池田信夫氏のblogでもWikiでも検索すればすぐ出てくる有名な経済用語です。
 

別の話題で良いこと教えましょうか?

ジュラ紀(1億4600万年前まで)や白亜紀などの恐竜の時代の哺乳類はネズミ程度に小さかったことはご存知でしょう?
昼間は恐竜が怖いので哺乳類は夜間に行動せざるをえませんでした。しかしそれが頭脳を発達させることにつながるのですよ。
だって昼間は眼で見れば行動できるので頭はそれほど使いません。
しかし夜間行動するには”匂い”を分析する能力と記憶力が要求されます。「今どの肉食獣が道を通ったか?」「10時間前獲物がこの道を通ったか?」を判断することが必要だからです。
ゆえに哺乳類は頭脳を多岐に渡って使うことになり頭が良くなります。
それが結局は、今から6500万年前に起きた隕石の衝突で恐竜が絶滅した後の世界を哺乳類が制覇することになります。
 

そして約400万年前が人類の誕生になるのですが・・・
ある日遺伝子の突然変異が重なって”毛皮を失う”ことになるのです。これは周囲の環境に適合して寒暖の差を調節する道を失ったことを意味しています。
しかししかし人類は・・・
工夫して努力して・・・火を発明し・・・衣服を作りだし・・・住居を建てて・・・ハンデを逆に長所に変えて生き残ったのです。
 

次は・・・サバンナで人類は何を食べるのかの問題・・・
最近の研究によりますと、人類の足は猛獣やその捕食する草食動物に追いつけないので、初期の段階ではハイエナなどのようにライオンなどの残飯漁り(スカベンジャー)をしていたと思われるのです。
しかしそのころから人類の頭脳が大きくなったのですが、もともと頭脳の60%は脂肪でできているのです。しかしどこから人類はその脂肪を得ていたのでしょうか?
人類以外の哺乳類はほとんど体内に脂肪を蓄えていないんですから(野生の豚で15%ほど)これは大変な謎なのです。
実はそれは「骨から」なのです!

豚や馬の骨には20%の脂肪が含まれており、これを人類は砕いてさらに臼歯(奥歯)ですりつぶして脂肪を取りこんだと想像されます。
そこでここからが面白いんですが・・・
さらに同時代に”臼歯と顎が3倍も強い他の人類”が居たそうですが
何と!
「顎が弱い現在の人類」の方が生き残っているのです!
どうしてだか分かりますか?
それは・・・
強い臼歯の人類はそのまま骨を噛み砕けばよかったのですが・・・
臼歯が弱い我々人類の祖先は「予め小石を使って骨を砕いてから骨を奥歯ですり潰した」からです。
つまりそのほうが石を使うことによって”手が発達”することになるからですよ。

当時のサバンナの生活では骨を食べていたのは人類のみでしたから、現代ではこれを「ニッチ」(生態的地位)と呼びます。
 

さらに大阪乙さん
ここから始まった骨を食べる人類の風習は「二足歩行」にもつながるのです!
だって・・・
手頃の石を手に入れた人類はその小石を便利なので家に持って帰るでしょう・・・手は石でふさがってるんですから四足歩行はできません。ではどうやって歩くんでしょう?
・・・ということはここで人類は立ち上がって二足歩行で歩き始めたのです。
 

ここまで書いてお気づきになられたと思いますが・・・
恐竜の時代の人類は弱いネズミだった
他の哺乳類が環境から我が身を守る毛皮を人類は失った
足が遅い人類は肉食獣の残飯漁りをしていたが、骨を食べることを覚えて手を器用に使うことを覚えて、さらに二足歩行も出来るようになった。
 

ね? 大阪乙さん
人類は環境に適合できなかった弱者だったからこそ勝者になれたんですよ!
弱い者こそが勝つんです!
しかもそれを何度も積み重ねてきたのが人類なんですよ。
「ニッチな者こそが世界を制する」(柳生の名言録)
これを私は経済の世界でも証明してみせますよ!
 

なお・・・今回は
「はだかの起源」島泰三(木楽舎)
「人はなぜ立ったのか?アイアイが教えてくれた人類の謎」島泰三(学習研究社)
を参考に致しました。

投稿: 柳生大佐 | 2013/04/20 20:59

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