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2013/04/23

早くいなくなれ!D.Ozw一派と民主党!

民主党が無様な姿をさらしているね。
参院選を前にして脱党者が跡を絶たない。
まるで沈没船から逃げ出すネズミ。
まあ、もともとが寄せ集めの選挙互助会だから当然と言えば当然か。

それにしても、こんなヤツらが3年間以上もこの国を牛耳っていたのかと思うと、無性に腹が立つ。
が、今さら怒ってもしょんないので、一刻も早いこの党の消滅を切に願う。
で、実際、崩壊に向けて一直線だから嬉しい限りだ。

無気力、無意欲、無目標。
野党転落後の民主党は、もう目も当てられない。
与党時代の教訓もなく、抵抗野党の気力さえない。
もちろん前向きのものは何一つない。
憲法改正に賛成なのか反対なのか、ようやく策定した綱領でも、憲法については「国民とともに未来志向の憲法を構想していく」としただけ。
アベノミクス、TPP、対中国、安倍内閣を批判はするが迫力ゼロ。

海江田万里代表、細野豪志幹事長、ともに影が薄いね。
いるかいないか分からない、発信力弱いし、メディアも取り上げないし。
もう夏の参院選は絶望でしょう、間違いなく。

そして今、参院補選が行われている山口では、あの菅直人が約300人を率いて脱原発デモ。
で、菅の応援を受けた元民主党衆院議員で元法相の平岡秀夫は次のように訴えた。
「次の参院選後に安倍政権はなし崩し的に原発を動かそうとしている。憲法改正で軍事大国への道を歩き出すかもしれない。この動きを止めなければ」
「安倍首相の言う『日本を取り戻す』は戦前の日本だ。国防軍にして軍事大国の道を歩もうとしている」
もう開いた口がふさがらない。
社民党もビックリだ。

Hiraoka2

民主党は実質的に死に体。
夏の参院選で確実にご臨終。
早くいなくなれ!
D.Ozw一派と民主党!
日本のため、国民のため!!!

なお、平岡秀夫は無所属だ、民主党ではない。
よ~く気を付けよう。

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【追記】
私は、天皇を「権威」とは思っておりません。
私の言う「権威」は人為的なものであり、強制と、その裏返しとしての盲従を伴います。
たとえばローマ教皇、これは「権威」です。
ただ、今の教皇はまだ許容範囲です。
が、スターリンや毛沢東、金日成となると、もう最悪です。
悪夢でしかない。

天皇というのは、日本の歴史と伝統と文化の統合された象徴であって、そういう意味では現憲法の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という規定は正しいと思います。
もちろん、「象徴」であって「元首」ではない、と言うのは正しくありません。
天皇というのは日本そのものであり、元首も象徴の一要素です。

東日本大震災の被災者を見舞われた時の今上天皇陛下のお姿を拝見しましたか。
慈愛、いつくしみ、それだけではないのだけれど、うまく表現できません。
ただ、被災者がお会いしただけで、お言葉をいただいただけで元気になり、希望を見出す、それが天皇陛下です。
やはり天皇は「祈る存在」なのです。
国家と国民の安寧と繁栄を祈っておられる。
権威ではありません。

「八百万の神」、私は「自然」と捉えております。
つまり私たちの日常に存在するのです。
私は常に自然に感謝しておりますし、畏怖の念を抱いております。
が、これは信仰ではないし、宗教上の「神」とは明らかに異なります。
「神」とは、全知にして全能であり、絶対無謬の存在です。
私は、そんなもん信じません。
親鸞は尊敬していますけどね。

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政治(国内)」カテゴリの記事

コメント

民主党とマスコミが、参院選で何を選挙争点だと言うつもりか興味があります。
「特定マスコミ」は、改憲を争点にしたいでしょう。
「自民と維新が勝ったら、戦争のできる国になっちゃうんだよ」・・・という線で。
ところが肝心の民主党が態度を決められないでいる。
けっきょく「アベノミクスは危険だ」という線で攻めるしかないとすれば、
脱力感きわまるものになるでしょう。

天皇制に対する認識は難しいですね。
私個人は、天皇とは依代であるという理解の仕方をしています。

投稿: 鳩槃荼 | 2013/04/23 23:49

政策なき選挙互助会の表現が民主党の姿をズバリ言い当てています。
 
 市町村議員候補者ならば顔見知りがいてあんな奴がと感じたりしますが普通には国会議員は直接には知らないがゆえに市町村議員よりも見識が高いと錯覚します。
また保守系議員は金権と決め付けたりしますが、確かにその傾向はありますが革新系と銘うてば清潔と錯覚します。

建前としての革新系団体であってもそこで成り上がるのは我利我利の出世主義者です。
民主党の姿を見るにつけ特に民主党代表・総理大臣を見るならば、本来清廉潔白であったまた真面目な人間もいた?革新系の内部闘争の勝者となることが保守団体で立身出世するより容易であったのだと理解できます。

原発を動かすなと感情論だけで騒ぐ、原発の危険性と今後の改善と対策にも聞く耳持たず騒いだらカネになると考える。
原発が危険であるなら近隣諸国の原発も含めて反対なら筋が通る、軍備反対と叫んでも日本の軍備だけが反対で特亜の軍備を賛美するおかしなものです。

投稿: tatu99 | 2013/04/24 12:13

ブログ主様は権威と権力を混同して理解しております。
また、GODを神と訳してしまった先人の誤訳の被害者でもあるようです。

誹謗ではありません。批判でもない。
率直な感想であり率直な意見です。

投稿: ちはやぶる | 2013/04/24 16:44

天皇陛下が震災で、被災した人々を見舞われた時、天皇が膝まずいて話しかけておられる一方で、対応していた男の人があぐらをかいて返事をしている映像を見たことがあります。強烈な違和感を覚えました。
子供のとき、親から畏敬の念をたたきこまれた年代にあっては、天皇に対してあぐらをかいて返事するなんてもってのほか、といった感じです・・。どうなんでしょう?

投稿: しずっぺ | 2013/04/24 17:37

「天皇は象徴である」、と唱えるのには賛成できません。
日本国民にとって、天皇陛下はそんな軽々しいものであってはなりません。

天皇は、もちろん人間であり、宗教的に位置づけられる神ではありませんが、日本国民にとっては、「神聖にして侵すべからず」の存在です。

憲法改正において、憲法文面に天皇という語句を入れ込んではなりません。
なぜなら、憲法により天皇の存在が定められるものではないからです。日本では、天皇は、憲法が生まれるはるか以前から、日本国の中心そのものでした。憲法の効力は日本国民の総意で決まるものではなく、天皇陛下による発布により決まります。

ですから憲法に”天皇は~象徴である”などの語句を入れてはなりません。

投稿: 江の川 | 2013/04/24 18:34

>ちはやぶるさん

これはこれで良いんじゃないかなぁ~、と思います。
もちろん儀礼が重要である場合も当然あります。
園遊会だとか、宮中晩さん会、その他宮内庁の行事・・・・

しかしおっしゃる時のような場合、相手は九死をかいくぐってきた人ですよ。御両親、兄弟、子供さん、など失われておられるかもしれません。津波で流されてゆくたくさんの人、津波が退いた後のたくさんの死体を観ておられるかもしれません。家も流されてしまわれたのかもしれません。神だって、仏だって信じられない状況でしょう。その方にとって畏れ多いなんて気持ちが持てる状況ではないと思います。

天皇陛下が直々に膝まずいて話されてもおかしくありません。

投稿: | 2013/04/24 19:12

坂様お久しぶりです。

いや、私は靖国神社に詣でている坂様がなぜ自らを「無神論者」としているのか、疑問に思っていて、今回その謎?が氷解しました。坂様は「神」=絶対的で無謬な存在と定義しておられるのですな。

これは誤訳というより、キリスト教の流布の仕方に問題があって、元々神仏の加護という言い方があるように日本語・漢語表記では「カミ」は自然の表象、或いは人間の意識の中に存在するものでありまして、キリスト教的な天主の概念とは異なるものであります。 しかし、キリスト教はヤーウェやエホバではなくて、何故か自らの主を「神」と表記した。

同じような問題はラテン語でいうデウス(deus)
にもあり、これは多神教的な世界での男神の一人の表現であったのですね。異教世界から見ればキリスト教による神概念の剽窃であります。

但しラテン語世界では苦情を言う異教徒が滅びてしまって、キリスト教の神をDeusと呼んでも誰も苦情を言わなくなった。

日本の場合は キリスト教徒ないし一神教の信者は全人口の1%以下なのですから、「神」という言葉をそう易々と譲り渡さなくとも。個人的にはそのように思いますのですが。

「無神論者」というとキリスト教の裏返しの戦闘的無神論者=マルクス主義者を思い起こさせ、せいぜい「無宗教」位の表現の方が無難では、と愚考する次第です。

投稿: レッドバロン | 2013/04/24 22:29

象徴が軽いか重いかはともかく‥しずっぺさんの書き込みを拝見して、
先帝は決して跪いたりはしなかったろうななどと考えました。
どちらが良い悪いという話ではありません。
先帝と今上帝の考え方の違いが覗けて興味深いなと。

投稿: | 2013/04/25 02:49

天皇陛下が、震災の罹災者を見舞われたときに膝まず枯れて、話かけられた時に胡坐をかいていた男性がいた。
この男性の態度が云々とありましたが、この場面のみを見れば確かに、男性のとった態度はたとえ相手が誰であれ礼儀に反していたととられ非難されて仕方がないでしょう。
しかし男性に正座が出来なかった事情があったかもしれません(たとえば膝に障害を持つなど)私たちが、往々にして陥りやすい事ですが見た場面のみで判断してしまう事は気をつけたいものです。
天皇陛下ご自身はそんなさ些細なことにはお気をもお止にならないと思います。
異常な気の回しすぎは、かえって危険と考えます。

ご皇室の存在は、権力、権威を超越した日本にしかない、また日本人しかわからない、日本古来の世界に誇るべきものです。

西洋的な思考で理解することは到底かなわないと思います。

日本の国が始まって以来、培われた誇り高き伝統であり、文化ではないかと考えます。

投稿: 道産子爺 | 2013/04/25 07:40

坂さま、愚問にお答えいただき恐縮です。
貴方が物事を合理的にとらえようと努力なさっていることは
重々理解いたしました。
うなずける点もあれば、首を傾げたくなる部分もあり
当方と坂さまは別人格なのだから、
それはそれでいいのではないかと思います。

当方は、やはり皇室は「権威」であると思います。
別の言い方をすれば、日本文明の核です。
文明とは人為的なものであり、広義の強制を伴います。
日本人だから日本の伝統を受け継ぐのは当たり前という
意味です。
一方で、日本の誇りとして自ら進んでその「強制」を
受け入れたいという願望もあると思います。
坂さまは「強制」を否定的に捉えているから
「権威」とするのを認めたくないのではありませんか?
生きることも強制ですよ。そして生きたいという願望もある。
生存本能の方がもともと強いから、強制されていることを意識しないだけです。
自然界や宇宙の法則も強制です。
人間社会の中のさまざまなルールや仕組みは
強制なしには成り立ちません。

八百万の神が「自然」であるという捉え方は全く同感です。
人智を超えた存在、宇宙の法則も然りです。
ただ、それを「神」と呼ぶのが日本古来の伝統です。
その「神」を御祀りし、臣民の安寧を絶えず願ってくださるのが
天皇陛下や皇族の方々です。
西洋社会の「神」とは異質ですが
自然や宇宙の法則は日本人にとってやはり「神」なのです。
人の生死も明らかに「神」の差配によるものです。
当方も信仰心の薄い仏教徒で特定の宗教には全く関心がないのですが、
「神」は畏れます。
自分の思いの中に「神」は明確に存在しています。
なので軽々しく無神論者などとは申しません。

投稿: やす | 2013/04/25 15:51

言葉足らずだったようなので、少し補足させて下さい。
私が言いたかったのは、“三つ子の魂百まで”じゃないですけど、ちいさい頃、嫌というほどに強く叩き込まれたものは、還暦を過ぎた年齢になってさえも、いまだに深いところで残って消えない、・・・ということです。その行為が良いか悪いかではなく、見て、咄嗟にそう感じてしまうこと・・です。自分自身が自分の子供らには、いっさい皇室について語ったことがないので、おそらく、彼らは、そういう光景を見ても、なんの違和感も持たない、感じないであろうな、と思います・・。いくつになっても、いつまでもそう感じてしまうのが何とも・・、といった感じなのです。私の子供の頃は、まだまだ天皇崇拝の感じは、周りに色濃く残っていましたし、私の場合は、特に母親から叩きこまれました.“不敬罪”なんて時代錯誤な言葉も、しょっちゅう使ってましたから・・。

投稿: しずっぺ | 2013/04/25 16:47

>私は、天皇を「権威」とは思っておりません
>天皇というのは、日本の歴史と伝統と文化の統合された象徴であって・・・
 
わっはっはははは・・・
私の完璧な勝利ですな!
愉快!愉快!
 

仏教のお経「般若心経」の「色即是空」「空即是色」は
「あらゆる物質的存在は空である」「空であることが物質的存在の特徴である」ということなのですから・・・
仏も如来も空であり 釈迦も空であり 涅槃も悟りも空です。
(釈迦も仏も存在するなら色即是空そのものも成り立たなくなる)

有名な「ミリンダ王の問い」でも
「比丘衆は私をナーガセーナと呼んでいます。しかしながら大王よ、これは名前に過ぎず、そこに人格的主体は存在しないのです」
「『ナーガセーナ』とは頭髪、爪、歯、皮膚、肉、筋などの各部位に依存し、様態、感受、知覚、表象、認識に依存して、名のみのものとして成立する一方で『人格的主体は存在せぬ』という次第であります」
・・・と書かれています。
http://hishikai.exblog.jp/8109223/
 

ここには
神も仏も如来も霊も存在しておりませんし・存在する必要もありません。
”関係性によって””縁によって”存在するだけなのです。
これが仏教の世界観です。
 

遠山の金さんは検事(行政官僚)であると同時に裁判官(司法官僚)でもあるのですから、江戸時代に三権分立も民主主義もありませんでした。
水戸の御老公も以下同文・・・
これは立法も行政も司法も一体の現代中国の政治体制そのものでもありますから、遠山の金さんのやり方を好きな者が中国政府の苛斂誅求などを批判する資格など無いということですね。
 

だいたい日本の保守とか右翼とか愛国者を自称する者は
天智天皇や後醍醐天皇が実行した「天皇親政」を高く評価しておりますが・・・
そもそもこれは儒教の一派である(中華皇帝絶対政治の)朱子学から輸入したものであり、中華思想そのものです。
律令制も班田収受や公地公民制もそこから来ています。
現に中国では今に至るも土地の私有は許されず、すべての土地は政府のものです。
だから「一君万民」というのも北朝鮮のジョンウン体制と同じなんですよ。

さらに・・・
三島由紀夫で有名になった「陽明学」も儒教の一派であり
「結果を重視しない動機の純粋性」が特徴なのですが
これは法治を否定している点では「法律を無視しても原発を止めろ!」と叫んでいる現代の左翼と同じ思考法です。

まぁ・・・
ここのコメント欄でも愛国右翼とかネトウヨを自称しながら
「国家社会主義」とか「資本主義を信用しない」ようなことを平気で言うのが居るんですから
日本の右翼と左翼は結局目指す社会は同じなんでしょうねぇ・・・(中国を嫌いながら知らぬ間に中国人になってしまう愚者は掬いようがない・・・)
 

宗教でも可笑しなことを言われる方が居られるので説明しますが・・・
そもそも最初の村落共同体は互いにコミュニケーションを取る限界から”55人以下”であったと思われます。
そしてそれ以上の村の連合体を統合するために「宗教」が使われるようになったのです。それが多神教です。
しかしローマ帝国などの超国家を統合するために一神教が生まれ・教会という桎梏から逃れるためにカルヴィニズム
(新教・プロテスタント)が生まれましたが、三十年戦争などの宗教戦争が起きて・・・西欧世界では国家を宗教で統合することを止めて「法の支配」がそれに変わりました。
 

ですから
「天皇は権威だ」なんだと言ってる人たちは
いまだに江戸時代の村社会に住んでいる時代遅れの古い精神構造の方々なんですよ。
だいたい日本で論壇の権威と言えば「(マルクス主義)講座派」(二段階革命論を唱えた)を言うんですから
その講座派やそれが盲目的に信じていたソ連社会主義が既に崩壊してしまった現在”権威”などという「前世紀の遺物」にいまだにしがみつく精神構造が理解できませんね。
絶対に間違いのない科学的原理と思われていた「不確定性原理」も「群淘汰は無い」「アメリカは出生率が高い」ことも最近に至ってアッサリひっくり返されてしまったことをちゃんと知っている私にとってはね・・・

投稿: 柳生大佐 | 2013/04/26 01:14

小沢もついに顔を出す所がカジノぐらいになりました。

しかし、何かを頼りに復活を目論むしぶとさには近頃の草食系の若者にない図太さがありますね。

加藤紘一もやっと引退。
何の仕事を今までしてきたことやら。

今後も政治家ではなく今までの路線を追求したいらしいですが、いち国民からは勘弁願います。
娘が立候補とやら、自民党が公認するんでしょうね。
残念。

投稿: Pin | 2013/04/26 04:47

たとえば、御社(おやしろ)にしろ、お祭りの御神輿にしろ、
そこにある意味合いを了解している人でなければ、それが崇高だとは感じません。
その場のルールのようなものと言っても良いでしょうか。

それと同様に、「わかって」いる人にとってしか天皇陛下は崇高な存在ではない。
私としては、その律を了解しているということが、
すなわち「日本人」だと思います。
「法的には日本国籍を持っている者が日本人だろ?」というのが、
「厨二くさい」人たちの好きな解釈でしょうが、
個人的にはそれは不十分な考え方だと思っています。

投稿: 鳩槃荼 | 2013/04/26 18:41

鳩槃茶さんのコメントで気がついたことですが。

「インターナショナル」♪立て飢えたる者よ…
という左翼にとっては聖歌ともいうべき革命歌があります。元々はパリ・コミューンの時に作られた歌で、オリジナルはフランス語です。ロシア語や英語など各国語に翻訳されておりますが、日本語の曲では一カ所だけ、他とは顕著に違うところがありまして。

それは「神も皇帝もいらない」という文節が消えているのですね。戦前の国体下で、これは流石にまずいという気持ちと、次いで天皇を自然に敬愛する民衆の心を害さないように革命左派が配慮したものと思われます。戦前の左翼はそういうところはまともでありました、慶応義塾の小泉信三邸にオルグに来た日本共産党員らは、小泉塾長の前で皇室に話題が及よぶ時には必ず敬語を使っていたそうです。

逆に申し上げると、日本人としてまともに付き合えるのはそこまでですね。内面の自由はあるにしても、日本において、天皇や皇室、或いは古くから続く神社・仏閣であろうと、積極的にそれらを毀損するような意見を述べる人間は社会のメンバーとしては認められません。何故なら、それらは日本の古代、中世、近世、日本の歴史そのものなのですから。知的新参者には礼節が必要です。

知人にはご夫婦揃ってカトリックですけれど、しかし、曹洞宗の檀家総代を勤めている人物がおります。個人の信仰と家長としての勤めは別ということでありまして。日本人ならば良く理解できる立場だろうと思います。

「いずれの御時(おんとき)にか…」源氏物語の出だし。時に御が被るのは、それは即ち天皇の御世だからです。私達は天皇の治世によって時代を区切ってきました。例えば、高倉天皇の御世に…と玉三郎が静かに語り出すだけで、平家の圧力に苦慮する青年天皇のお姿が御簾の彼方に見えてきます。

日本人の知性と感性が磨き上げてきた、これらの物語群がなくなることは、あり得ないことだと思っておりますが、さてはて。

仮に日本人が全員死に絶えても、ラフカディオ・ハーンやドナルド・キーン氏のような人物がいる限りは大丈夫かと。実際、彼らの方が精神的には、はるかに日本人だと思うこもあります。

投稿: レッドバロン | 2013/04/26 21:09

なぜ民主党は息を吐くように嘘をつくのか
http://www.youtube.com/watch?v=et072-kpfzM
そもそも民主党は、
“発言に責任を取る”という発想を持つ人が居ない。
(少ないではなく居ない)
彼らがやることは決まって
“発言の責任を転嫁するあるいは知らんぷりをする”ことしかやっていないではないか。
そりゃ駄目になっていくしかないよね。

投稿: Anonymous | 2013/04/29 14:58

山口県の補欠選挙、見事に平岡氏落選、当然と言える結果でしょう。
が、気になるのは、投票率の低さです。40%に満たないとは・・・・・

投稿: 道産子爺 | 2013/04/29 22:20

天皇陛下のお話、ブログとブログコメントを拝見して、大変勉強になりました。
私は30代で、天皇陛下を天コロと呼ぶ不敬な教師がいる中で、教育を受けて来ました。
両親も積極的に天皇陛下を話題にした事はありませんし、私自身も平常時に天皇陛下について思いを馳せることはありません。
かといって、天皇陛下に対して、畏敬の念を持っていないかというと、決してそうではありません。
小学生の時に、昭和天皇が崩御された際のニュースを克明に記憶しておりますし、大喪の礼をニュースで見ながら、日本を包む形容しがたい空気を、子供ながらにひしひしと肌で感じたように思います。
東日本大震災のおり、天皇陛下のお言葉に安堵し、絶望の中で自身の勇気を奮い立たせる光をはっきりと感じました。
道産子爺様の、
>ご皇室の存在は、権力、権威を超越した日本にしかない、また日本人しかわからない、日本古来の世界に誇るべきものです。
という意見に、一票投じたいと思います。
余談ですが、我が家の長男の名前が、悠仁親王殿下の一文字「悠」を使用しています。長男の方が先に生まれておりますので、同じ漢字を使用しているのは、全くの偶然です。
このことは、我が家の密かなプチ自慢です。(笑)
小学生の長男も、その事を誇りに感じている様です。
天皇家への想いは、日本人なら、ごく自然に脈々と受け継がれていくものなのかもしれません。

投稿: 蝶々 | 2013/05/01 17:58

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