徒然に左翼思想について語る
前回のエントリで
学生運動家が当時、どのような生活をし、どんな青春時代を送っていたのか、そのリアルが描かれた本などご存知でしたらぜひ一度、取り上げて頂けると幸いです。
という読者の問いかけに対し
私が知る限りありません。
と回答しました。
これは、もちろん、不誠実でもなんでもなく、事実がそうだからです。
実際、ネットで調べても、60年安保に比べると全共闘運動(及び70年安保)に関する本は少ないですね。
理由は、前者にはまだ希望がありましたが、後者には絶望しかなかったからだと思います。
樺美智子さんの死は伝説になりましたが、連合赤軍のリンチ殺人は悪夢でしかなく、革共同両派の内ゲバは左翼思想の冷酷無慙な本質を余すところなく暴露しました。
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国会を取り囲んだ約13万人(警視庁発表)のデモ隊(1960年6月18日)
上記は60年安保の象徴的画像です。
左翼に対する支持が大衆的広がりを有している実態が如実に示されています。
それに比べ、下の画像はどうか?
1971年6月17日の沖縄返還協定調印阻止闘争です。
まさに武力闘争。
斯く言う私も、この中にいました。
東京渋谷・宮下公園付近で機動隊と激突するブントの学生たち(1971年6月17日)
実は、この時、明治公園で機動隊に対し鉄パイプ爆弾が初めて投擲されました。
この爆弾で37名の機動隊員が重軽傷を負いました。
この鉄パイプ爆弾事件が、翌年の連合赤軍による集団リンチ殺人と浅間山荘での銃撃戦へとつながっていくのです。
要は、この時点で暴力の質が変わった、つまり殺人も厭わない、という風潮に極左過激派が支配されていくのです。
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私が不思議なのは、当時の極左暴力運動を反省していない輩が今もたくさんいる、という現実です。
連中は、社民党や民主党の一部に巣食っており、メディアでは朝日新聞や中日新聞(=東京新聞)、北海道新聞などに蔓延っています。
彼らは、異口同音に「暴力を否定」しますが、彼らの根底にある思想そのものが本質的に暴力的で排他的なのであり、その言辞は美辞麗句にすぎません。
リベラルとか進歩的知識人を自認する連中は、自らの危険性を隠ぺいしています。
口では反戦や平和を唱えておりますが、それは体制を転覆するための方便にすぎません。
そのことはドイツ革命やロシア革命の現実を見れば如実に解ります。
彼らが、結果的に強権支配に走るのは、その思想的本質にあります。
レーニンの組織論は、ごく少数の選ばれた前衛=職業革命家と、大多数の暗愚な大衆によって成り立っています。
ここにおいて、革命家のあるべき姿を体現した前衛は絶対的存在であり、、他方の暗愚な大衆は洗脳の対象でしかありません。
この構図は、強弱の差はあっても、社民主義者やリベラルにも共通するもので、彼らの言う「市民」は、常にプロパガンダによって扇動される存在でしかないのです。
左翼というのは、誕生した時から冷酷で無慈悲なのです。
フランス大革命のロベスピエール、ロシア革命のスターリン、中国革命の毛沢東、カンボジア革命のポルポト...
彼らは皆、人類の理想を掲げて大虐殺と恐怖政治を実行しました。
あのイラクのサダム・フセインは、共産党をまねてバース党を再編し、同じように恐怖政治を実行したのだから笑えます。
リベラルの敵=サダム・フセインは、実は共産主義者のエピゴーネン(Epigonen)だったのです。
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私たちが若いころは情報が限られていました。
スターリンの暴虐も文化大革命の残酷も、正確には伝えられていませんでした。
他方で日本社会には依然として貧困が存在し、差別も今と比較すれば格段に激しかった。
ベトナム戦争は超大国による極小国イジメでしたし、フランスやドイツ、米国などの反体制学生運動に対する連帯意識もありました。
4畳半、風呂なし、共同便所の安アパートに住み、車はもちろんテレビもなく、やることと言えば麻雀か喫茶店でだべるか小難しい本を読んで屁理屈をこねるくらいしかない。
こういう当時の学生を取り巻く生活環境も大いに影響したと思いますね。
とにかく無知でした。
マルクス主義だって宇野弘蔵氏や廣松渉氏などの学者を介して理解しただけで、極めて表象的だったと思います。
私は40代になって、初めて文化大革命の実際を知りました。
スターリンの暴虐ぶりは以前から知っていたものの、そのころ知り得た事実は、私の想像をはるかに超えていました。
そしてポルポトによる残酷です。
私は、連合赤軍の集団リンチ殺人も革共同両派(中核・革マル)及び革労協による殺人合戦(内ゲバ殺人)も、その時初めて納得がいきました。
左翼の本質は選民思想と暴力であると...
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私は最近、第一次大戦と大東亜戦争について再学習しています。
学べば学ぶほど、なぜこれほどまでに我が日本が貶められなければならないのか納得がいきません。
しかも、そのお先棒を「知識人」と呼ばれる連中が担いでいる。
その代表格が朝日新聞です。
彼らは、おそらく目覚めることはないでしょう。
若かりし日に洗脳されたオツムは、自己防衛本能も働いて、ますます偏向していっている。
安倍首相及び安倍内閣に対する報道姿勢を見ていると痛感します。
日本の害虫、朝日新聞を一刻も早く駆除しなければならない、と思うこのごろです。
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コメント
全共闘に関する情報が少ないのは、それが今の反日マスコミの
精神的ルーツだからという面が大きいように感じています。
それに対する知識を広めたくないんだろうなと。
あさま山荘のようなハデなことは流石に報じざるを得ませんが、逆に、
彼らはあれを、非常に特殊なカルト宗教的事件と言う風に演出し、
自分達と完全に切り離してしまった。
「あれ」こそが「学生運動」あるいは「左翼」であり、
そういったものはもう滅んでしまった。
ワタシタチは平和的・常識的な普通人でございます・・・というわけです。
坂さんは、左翼は絶滅寸前だとよく仰る。
たしかに「左翼」というラベルは消滅寸前かもしれませんが、
「彼ら」そのものは今も元気いっぱいのように見えます。
秘密保護法、原発、集団的自衛権、従軍慰安婦、新国立競技場、
そしていま騒いでいる「都議会セクハラヤジ」の話も、
実はぜんぶ、同じ種類のものであると思います。
つまり、そこではいつも「彼ら」が騒ぎの中心です。
「彼ら」は、原発のことも、セクシャル・ハラスメントのことも、本当は
どうでもいい。
それを「ネタ」に使って同じ行為をしてるにすぎないと思います。
重要なのは、そのことを多くの人に知ってもらいたいということですが、
どうにも、
「原発の報道は原発のハナシ、集団的自衛権報道は集団的自衛権のハナシ」
という風に、ブツ切れに認識する人が多いのは悩ましいです。
投稿: 鳩槃荼 | 2014/06/29 14:46
<左翼の本質は選民思想と暴力>は正しいと思います。敢えて「嫉妬心」も加えるのが私の実体験でした。
第一次世界大戦から丁度百年のこの六月。
人種差別撤廃提起やシベリヤ孤児の救出にはじまり、日本国がしてきた事は国際的に恥じるものはほぼ無い、と思って居ります。
自虐史観は占領下の教育の所為、としてももう70年。
覚醒出来ないままに自国を貶めて、何が楽しいのか、全く理解出来ませんが、これは理解出来ないで良いのだ、と最近考えております。
只言えるのは、彼らは不勉強で惰弱なのだと断定致します。
授けられた教育に自らの疑問や真実の探求心を持たない結果ですから。
投稿: よれこ | 2014/06/29 15:13
左翼思想には嫌悪感しか感じませんね。伝統を破壊して人工的な社会を構築することが行き着く所だからであり、机上の空論で社会や組織や人間を規定し、断罪し、自らの主張と異なるものは徹底的に破壊する。やはり典型的なのは支那の文革ではないでしょうか。
人間は、たかだか一世代で崇高で永続的な国家観とか社会観とか人間観とかを完成させられる訳は有りませんが、左翼の連中は、それが己らに出来ると妄想してしまったのでしょう。
故に小生は伝統を基盤とし、それを破壊する思想には一切共感出来ません。或る意味、伝統の墨守という言葉で評されても良いと思っています。その姿勢の中で改めるべきは改め、祖先の残した精神的物理的恩恵を最大限残す、これが我が国の愛国者達に求められる根本的姿勢だと思うのです。
垢日・東大・特亜の犬HKらカスゴミ・自称痴識人ら…何でしょう、この戦後汚物共は。汚らわしい。早くクタバッて欲しい。地獄に突き落としてやりたい。
投稿: 素浪人 | 2014/06/29 15:30
>学生運動家が当時、どのような生活をし、どんな青春時代を送っていたのか、そのリアルが描かれた本
私は一時、連合赤軍事件の研究に没頭していたことがあるので、私の知る限りの範囲内では、次に掲げるおすすめ本があります。
1)あさま山荘籠城 無期懲役囚 吉野雅那ノート 大泉康雄 祥伝社文庫
2)あさま山荘1972 上・下・続 坂口弘 彩流社
1)は吉野雅那の友人、大泉康雄氏が吉野雅那の生きざまをみつめた本、2)は坂口弘が拘置所内で書いた自著です。二人とも冒頭の写真で、あさま山荘から窓の外に顔を出していますね。
なぜ、この2冊がおすすめかというと、そこに「青春」があるからです。その青春の姿をどう捉えるかは、読み手である我々に委ねられているけれども、こちらの感度にある程度の成熟性がないと充分にみつめることができないかも知れない。
もちろん、私は坂口や吉野、その他の連合赤軍の連中の生きざまに共鳴なぞしません。私の方は、ああ、あんな時代があってよかったと思えるような、もっと花も実もある青春を送りましたよ。でも「青春」とは何か、というものをつきつめていくと、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描くような、栄光や明るさに満ち満ちたものばかりだろうか、という疑問にゆきあたる。坂口や吉野が生きた青春も、確実に、ひとつの青春には違いないのです。
投稿: 平野國臣 | 2014/06/29 16:03
日頃保守的な私でも、いきなり街頭でマイクを突きつけられたら、例えば「集団的自衛権についてどう思いますか?」と 私はもちろん積極推進派ですが、「あまり拙速にすぎず、十分議論をつくすべき」と答えてしまうかもしれません。他人の眼にさらされる場合は特に、私は平和を愛し弱者に寄り添う善良な人間だと思われたいし・・・。やっぱり左翼の人のほうが、気楽で居心地がいいですね。街頭インタビューなんて信用してはいけません。
投稿: DIN | 2014/06/29 17:34
すみません、台湾民政府の情報に触れ、最近やっとサンフランシスコ条約にはカラクリがあって本来の日本の領土(台湾等)は未だ占領下にあることを知った者です。 沖縄返還協定調印に反対した人々がいたことさえ知りませんでした。
調印反対の理由はなんだったんでしょうか?
ちなみに、台湾民政府は沖縄も台湾同様統治者である天皇に返還すべきものである以上、天皇に国政機能がない現状では返還不可能。
よって、現状は、本土住民の代表である現日本政府が(例え3条に基づく権利を放棄しても23条に基づく占領検者である)アメリカから委託を受けて沖縄を統治してる状態、だとしています。
全共闘、と言う言葉はよく見ますが、それが実際にどういうものだったかは理解してません。
投稿: 台湾は日本の固有領土 | 2014/06/29 19:31
>大東亜戦争
私自身も自虐史観から覚醒したのは、この1~2年のことです。覚醒のきっかけは、一昨年秋に中国で起きた反日暴動で、中国を見直す気になり、片っ端から中国関係の本を読むうちに黄文雄さんと石平さんの対談集に出会ったことです。いわゆる「三光作戦」の「光」の文字について、中国語には「カラッポにする」という意味があるけれども、日本語には明かりの意味しかない、という二人の対話を目にし、「あ、だまされた」と感じたことです。
こういう予備知識がないと、児島襄の「日中戦争」を読んで「全面清光」の見出しに行き当たっても、それがどういう意味か分からないで読み過ごしてしまう。
日本人はこの70年間、東京裁判史観から抜け出られないでいた。罪人の子孫という十字架を背負わされていたと言っても過言ではないと思います。
しかし、歴史の実相は、日本はスターリンの謀略により、支那大陸で展開される代理戦争に巻き込まれ、更に、フランクリン・ルーズベルトの謀略に引っかかって、やりたくもない太平洋戦争に巻き込まれた。そして、太平洋戦争を決意した以上、大英帝国の東洋の拠点シンガポールも陥落させなければならなくなり、更にビルマ作戦も余儀なくされた、というのが本当のところだった。
私としては、私の両親は無学なのでやむを得ないとしても、どうして老境に至る今日まで、先輩や教師がそのことを教えてくれなかったのか、はなはだ疑問に思うところです。
別の見方をすれば、今日ただ今より、支那事変から大東亜戦争にいたる一連の戦争には大義のあるものだった、ただし、スターリンとルーズベルトの二人の謀略に引っかかって滅亡の寸前まで行く不覚を取ったと詳らかに語ることができるようになった、ということでもあります。ようやく、日本人は自分たちの歴史を誇りを持って語り、美しい日本の物語を子孫に伝えてゆくことができるようになったと思います。
例えば最近、英文ニュースサイトを覗くことが多くなり、そのコメント欄で日本が真珠湾攻撃で戦争を始めたと主張する輩がいたので、次の反論を加えました。この詳細は、また後日に。
Many Americans believe Japan’s Pearl Harbor Attack is the start of the war. But they do not investigate what were the events leading up to the Pearl Harbor.
Today we know Franklin Roosevelt gave military aid to Chiang Kai-suk’s KMT (Kuo-ming-tang) forces including airplanes and US pilots called “Flying Tigers” (against all international laws back then.)
Those Flying Tigers appeared over the sky of Shanghai in August 1937. The Chinese airplanes (China had no airplane industry back then. Flying Tigers were marked with KMT’s “Blue Sky White Sun” emblem). One of the pilots tried to bombard Japan’s warship “Izumo” stationed on the Yangze River (in order to protect Shanghai Foreign Concessions). Backfired, the pilot mistakenly bombarded two hotels nearby, killing hundreds of Chinese people.
If you look into the history in details, this 1937 Second Shanghai Incident is the start of Japan-US War.
Stalin wanted KMT forces keep attacking Japan’s forces in Manchuria, because it was urgently necessary for the Soviet Russia to deal with Hitler’s imminent invasion “Operation Barbarossa” first. Stalin wanted to avoid two-front war. If Germany and Japan attack Soviet Russia simultaneously, Soviet Russia will be perished. Then Stalin and Roosevelt devised a stratagem to irritate Japan to attack the US. The name of the plan is “Operation Orange.”
We did not know such history until recently. These events came to light after the collapse of Soviet Union.
Before we turn the page of history, we have to know precisely what had happened back then because history is you! History is your nation itself. We shall not accept hoax. We do not accept fabricated history.
Now we know why the US people still wanted to believe Nanking Massacre hoax and keep saying “you-stared-the-war” mambo jumbo all the time. These stories are the justification of B29 air-raids on non-combatants and nuclear attacks on Hiroshima and Nagasaki.
投稿: 平野國臣 | 2014/06/29 22:29
前回のエントリに続いて、力作ですね。併せて読むと、60年代と70年代の左翼の違い、その間に「左翼」の質が変化してしまい、今の左翼はまさに「変態」でしかないことが改めてわかります。
私が今注目しているブログに、↓があります。
http://whitesand0715.blog.fc2.com/
ブログ主なりに、文字の大きさ変えたり、色つけたりご苦労されていますが、読むべき内容があまりにも少な過ぎるように感じます。
集団的自衛権をめざす日本を「安倍一派が目論んでいる近未来の日本とは、世界中で「いじめ」を繰り返すジャイアンたるアメリカの使いっ走りをするスネ夫」とわざわざフォントをでかくして着色し、他にも同様でセンセーショナルな記述が多いですが、読んでいて気持ちのよいものではありませんね。
安倍総理を非敬称で呼び捨てにし、すぐ太字や大きな字、色字を多用しているところを見ると、まさに感情ばかりが先行していると感じます。淡々と事実を追い、冷静で理性的に筆を進める坂様と比べると、雲泥の差だと思いますし坂様の足許にも及ばないと思います。
http://whitesand0715.blog.fc2.com/blog-entry-202.html
同ブログの↑エントリで、「ああいう保守を自称する連中ほど、自分が安全地帯にいると思われる時だけ勇ましいことを言って、肝心の時には逃げようとする」とおっしゃっていますが、それは変態左翼にこそ言えることだと思います。
変態左翼のブログでは、反論コメントは受け付けないか、受け付けても管理者や取り巻き連中と「ネトウヨ」呼ばわりするかしまいにはアク禁する。反論コメント者から突っ込まれたり問いかけられても答えないし答えようともしないことが多い。
そもそも、彼らは本気で世の中を憂い、変えようと思って実際に行動したことあるのでしょうか?外国人参政権や人権救済法案に反対する連中・「テキサス親父」に比べれば、その10分の1にも満たないと思います。当時の左翼(評価しているわけではありませんが)に比べてもチキンに感じます。
(↓は件のブログ主が参戦したコメ欄です。)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4350.html#comment-top
朝日の「声」欄にも時折、小中学生にしては「立派」過ぎるほどの投稿が載りますが、これは絶対に親が書かせているか、検閲していると思います。彼らはまさに「変態左翼」の卵、いやヒヨコだと思います。
「声」ユーザは集団的自衛権で「我が子がいつ殺されるか、あるいは殺す側に回るか」不安がって投稿して大衆に不安を煽っていますし、東京新聞に至っては安倍総理の集団的自衛権への前進を「戦場への道」ですからね。
集団的自衛権で彼らが一貫しているのは「集団的自衛権は“いつか来た道”であり戦争への第一歩、我が子も駆り出される」であり安倍総理に対しては「無法者」「ならず者」「独裁者」でしょう。
東京新聞など、新聞というよりはカルト極左集団の機関紙かと思えることがあります。
まさに彼らは「暴力的で排他的」で「プロパガンダによって扇動」していると思います。
投稿: 成田あいる | 2014/06/29 23:15
つづきです。
私はなぜ自分に東京裁判史観(自虐史観)が染み付いてしまったのか、自分なりに分析してみました。すると、中央公論社の日本の歴史シリーズ24「ファシズムへの道」と25「太平洋戦争」に行き着きました。
このシリーズは、今は中公バックスとして文庫本化されていますが、私が高校生だった1970年代の前半は単行本の状態で、発刊されてまもない「新鮮な本」という印象でした。歴史に興味のあった私は、受験勉強の傍らでもこれらの本を読んでいたのですが、まだ真っ白いキャンバスのような私に、この2冊が持つ東京裁判史観が最初に刷りこまれ、それ以来40年以上も消しきれないできた、ということがわかりました。
今になって分かったことは、24「ファシズムへの道」の著者大内力氏は歴史学者ではなくマルクス主義経済学が専門の学者だということです。25「太平洋戦争」の著者林茂氏は東大の歴史学者ということですが、この本には「通州事件」も「第二次上海事変」も書かれていない。更には「南京大虐殺」は存在したという前提の説明がされています。つまり、歴史の記述として完全な欠陥本です。
この本に「第二次上海事変」の説明が完全に欠落しているので、私のなかで上海事変が曖昧模糊とした存在だったことも、ようやく合点が行きました。
教科書だけならだまされないが、一般の書店で手に取る本がマル経や東京裁判史観で書かれていたらどうでしょうか。いったん刷りこまれた内容はサブリミナル効果のように脳内に残り、だまされないでいるのは難しいことです。
ちなみに、最近、私は日中戦争の実像を知ろうとして何冊かの本を購入しましたが、ろくなのがありません。例えば、「日中戦争がよくわかる本」(太平洋戦争史研究会、PHP文庫)も、侵略戦争史観で書かれていて、上述の2冊と大差ありません。結局、日中戦争にはわからないことが多いが、わからないことをうち捨てたまま、侵略戦争史観がやたら再生産されているというのが実態で、その点、「日中戦争は侵略ではなかった」(黄文雄著、WAC 文庫)の右に出る本はないと思います。
1970年代の前半は、きっと、日本にも文化大革命が及んでいた時代なのだと思います。安保闘争や学園紛争といったゲバ学生の運動も、紅衛兵が日本ナイズされて姿を変えたものだった。このゲバ学生たちも、やがては教師やマスコミ人となっていったことでしょう。そう考えれば、今のマスコミがカスゴミと言われるぐらい左翼文化人に占拠されている実態も理解できると思います。
投稿: 平野國臣 | 2014/06/29 23:40
>その中にいた。
そのあなたが何故転向されたのか?
あなたはその活動で誰かを傷つけなかったのでしょうか?
そこらへんのお話もお聞きしたいと思います。
エントリがございましたら、ご紹介くださいまし。
投稿: 唯井 遡 | 2014/06/30 12:43
サヨク思想は選民主義と暴力、というのは私も正しいと思います。
しかし、暴力というのとは少し違うのではないでしょうか。(結果としては暴力ですが)
その背景は宗教、一神教的な神と人間の構造があると思います。
神が人間つくった。故に神は人間に対してなにをやってもよい。神の創造の中では人間が一番えらい、故に人間は動物(有色人種も含む)にナニをやっても許される。
この構造の上にたって植民地主義や進化論、そして共産主義等が生まれてきたのだと思います。
そして共産主義は宗教と同じように布教(世界革命)を重視します。
宗教はアヘンだ、と言いますが、それは共産主義も宗教だからに他ならないからでしょう。
当時はハイエクなどは知りませんでしたが、(共産主義社会は)動物農場の様になるというのは理解できました。
一部の特権階級とそれに喰われるほとんどの民(奴隷)、というわけです。
不思議なのは先輩方が共産主義社会は奴隷を作りだすものだ、といっても理解しなかった事です。
それどころか「共産主義こそ奴隷からの解放だ」等と言っていた事なのです。
先輩方(私は学園闘争とか安保世代の下の世代です)はバカなのか?
こんな高校生でもわかる様な事が理解できないのだろうか、思いました。
まあ、大人達は「共産主義にかぶれないのもバカだが、二十過ぎてもかぶれているのはもっとバカ」なんて言っていましたけどね。
第一次大戦は何故あそこまで拡大してしまったのか、は私も疑問です。
ナポレオンの戦争やビスマルクの戦争ならまだ理解出来ます。
確かに総力戦の時代でしたから、といわれればそうですけど・・・。
技術の進歩に人間が追い付いていけなかったという事でしょうか。
ちなみに第一次大戦と第二次大戦は(ヨーロッパでは)一つながりと考えいます)
大東亜戦争は人種・宗教(共産主義を含む)戦争の面が強いと考えています。
神(ゴッド)によって祝福された者(人種や国家等)が他を支配するのは当然(というより義務)だ、と考える勢力が日本の再起を阻んでいるのでしょう。
だからこそ日本が正義であっては困るのでしょう。
だからこそ日本を貶める必要があるのだ、と考えています。
当然の事だと思うのですが、(坂さまは)そうは思わないのでしょうか?
投稿: みやとん | 2014/06/30 13:52
今、大東亜戦争を見直し、日本人の観点から文字に起し声を出し、更には外国語にしていく、その上でひとつ有利な条件があります。
それは、戦争を戦った世代が、死に絶えていることです。
私は20年近く前にアメリカを旅行したのですが、その時にB29の元搭乗員だったという老人数人と知り合いました。帰国して爺さんたちとemailを交換していたのですが、本土空襲や原爆の話になると、どうしても厳しい話し合いになる。
爺さんたちにとっては、アメリカは絶対に正しいことをした、そうでなくては、自分は悪魔の手先のようなことをしたという暗黒のサイドに落ちてしまうのです。だから、65万人の一般市民を虐殺した本土空襲も、21万人(その後の被爆による死を入れれば40万人)の虐殺をした広島・長崎も、戦争遂行上必要なことだった、あるいは、戦争とは悲惨な殺し合いなのでしょうがないのだ、という主張しかできない。それを日本人である私に納得させようとしても、私には絶対に受け入れられることではないから、この犠牲があって、朝鮮戦争やベトナム戦争では核兵器が使用されなかったのだ。我が先祖の死も、その意味では無駄ではなかったという主張を展開しました。
つまり、戦中世代は、直接の体験者であるだけに、一歩下がって距離をとって眺めることができないのです。
それと、もうひとつ、我々はフランクリン・D・ルーズベルトの戦争責任を指摘することができない。彼らの書いたものや本土空襲に関する本を読んでいると、ルーズベルト大統領への信頼や親しみが異常なほどに強いことがわかります。そうすると、そこが聖域のようになってしまって批判ができない。あえてやれば感情論になってしまうから、私もそこだけは避けていました。
今日、フランクリン・D・ルーズベルトが様々な悪だくみをし、日本を太平洋戦争に引きずりこんで行ったことは明らかです。てっとり早いところでは、「なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか」(加瀬英明、祥伝社文庫)を読むといい。
しかし、そうして理解したことを、世界に向かって主張すること、アメリカ人とも冷静に話し合い、相手にも納得できる合理的主張をすることは、歴史の分析とはまた異なる能力や配慮、道筋が必要であって、相手もまた東京裁判史観から一歩も抜け出ていないことを、我々は考慮しなくてはいけない。
私が電子メールのやり取りをしていた爺さんたちは、当時、既に70代でしたから、もう死に絶えているか、生存していても100歳前後でしょう。彼らの存命中に彼らの行為を否定することは余計な感情論を引き起こす可能性があったけれども、その障害は取り除かれたと判断していいと思います。ようやく、我々はあの戦争を腹蔵なく語れる時に至ったのです。だから、戦後70年は長い道のりでしたが、無駄な時ではなかったと私は考えたい。
逆に言えば、今、あの戦争、満州事変・支那事変から大東亜戦争にいたる過程とその後を、我々の父祖が行った武徳を正しく理解しておくことをやらなければ、我々の子孫が、我々と同じ十字架を背負うことになってしまう。
これは、ブログ主さんや私の世代の責任だと考えています。
投稿: 平野國臣 | 2014/06/30 14:38
「リベラル左翼文化人の心理学的社会学的考察」
左翼(リベラル)はおおむね頭が良い。ゆえに社会に出ても地位も高く所得も高い。
しかし
左翼思想というものは「弱者を擁護し 富者を厭う」ものですから「オレはエリートだから貴いのが当然であり 貧乏人はクズである」とは大声では言えない。
・・・つまり社会的地位が高くても高給を得ようとも・・・自分を堂々と肯定出来ないんですな。
ところがカリフォルニア大学のバークレー校での実験によれば・・・
いかにリベラルな人間でも怠け者によりも 勤勉な者に多くの報酬を与えるものだということが分かっています。
怠け者が勤勉な者と同等の報酬を受け取るとすると社会が成り立たなくなるし道徳も崩壊することが常識ある人なら誰にでも理解できるからです。
つまり
リベラル(左翼的)な人間は
頭では「すべての人間はあらゆる意味で平等」ということを信条としながら
「実際的現実的な場合においては自身の高額な所得を手放したがらない」
ということです。
「貧乏人は可哀想だ」と言いながら
寄付などしないケチな人間なのです。左翼は・・・自分は頭が良いから高給を取って当然・・・という自惚れがありますからね・・・
この「言ってることとやることが違う」「精神と肉体の乖離」は当然ながら彼らの精神を歪ませます。
↑この論理はアメリカ共和党系の保守理論としてすでに確立されていますが・・・
さらに哲学にまで遡れば有名なニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」があります。
いわゆる「君主道徳と奴隷道徳」ですね。
「人生とはこんなものか・・・ではもう一度」という絶対的な肯定思想こそが「永劫回帰」です。
フランスでは彼らのことを「ゴーシュ・キャヴィア」(金持ち左翼)と呼び アメリカでは「優雅な左翼」と呼んでいます。
この自分を肯定できない病的なリベラル左翼文化人が日本にも多数居て
日本で良家に生まれ優雅な生活を送りながら過激な反日思想に走る理由がこれです。
たとえば新党を作るのに母親から50億円も援助してもらいながらリベラル好きな思想傾向を持つ罪悪感から社会主義を奉じたりする某党の元党首などその典型です。
まぁ・・・もともと左翼は精神病なんですから
やることがムチャクチャですよ。
日本の国旗や国歌が軍国主義を思わせるから気に入らないと言いながら
「フランス国歌が大好き!」なんて言う。フランス国歌はもともと「マルセイユ連隊の歌」と言ってれっきとした軍歌なんですがねぇ・・・
アメリカ国歌も「ロケット弾が飛び交い 爆裂弾が空を赤く染める」なんて物騒な歌詞ばかりですよ。
日本の「君が代」の方がよっぽど平和的なんですが・・・
日本の平和主義者たちはどうゆうわけか「(外国の)軍歌が大好き!」なんですから・・・なんとも分かりかねますなぁ・・・まぁ左翼はもともと精神異常者なんだから我慢すべきなんでしょうかねぇ・・・
投稿: 柳生大佐 | 2014/06/30 21:44
始めまして。
管理人様が書いてられる事でこれはいったい・・?と思う文章があったのでそれについて書かせてもらいます。
>私は40代になって、初めて文化大革命の実際を知りました。
これはとても興味深いことだと思います。60年代に高校大学生だった人で、学歴高くエリートの方がそう言うのを何度か聞いたことがあります。
私は60年代は小学校高学年~中学生でして、その頃、中共(周囲の大人は皆こう呼んでいました)の文革と言って恐ろしい事が起こっている、と耳にしていました。
同時に中共は核実験をやりまくっているから「雨に濡れたらはげる」とも(笑)
私は田舎のたいして頭の良くない、国家や世界情勢なんかよりオシャレする事の方が大事、チャラチャラした事が好きな普通の子で、適当に女子大でも行けばいいというような家庭でもありました。
けれどサヨク関係については親も学校教師も言葉は少ないですが、「避けるべきもの」として語っていました。
共産主義(社会主義)イコール暴力であり恐ろしいものとのイメージが私の中学生頃には出来上がっていました。大学進学したら民青には近寄るなと言われました。
60年代多分文革のリアルタイムの頃だと思いますが、教師が「蒋介石は歴史文物をよく持ち出していたものだ」と言っていました。今ちょうど台湾故宮歴史博物館展が来ているので思い出しました。
72年日中国交正常化を渋い顔して嫌がる教師もあり、親も見るからに嫌っていました。中華民国こそが中国であるべきだと。(実際は蒋介石もえげつない事やってますが)
こんなだったのでアマノジャクの私は逆に大学頃からサヨク的なものに興味持ったりしましたが。
とにかく文革=暴力であり歴史を破壊する、とのイメージが当時から存在していたのは確かなようです。
田舎で、大人達は大学卒も多くない土地で、です。
逆にそうだからこそ保守的だったのでしょうけれど。
大学紛争をやっていた人達の中はそれに反抗したケースもあったのでしょうか。
実態として左翼にあらずんば知識人にあらず、というのか当時一流大学生や知識層と一般田舎人とは隔絶した世界になっていたのかも知れないと思ったりします。
面白いことだと思います。
投稿: 紺屋の鼠 | 2014/07/01 10:20
紺屋の鼠様:
私が知る限り、日本人が文化大革命の実相について正確に知るようになったきっかけは、1991年に発売されたユン・チアンのワイルドスワン3巻物だと思います。当時、私は36歳で、ブログ主さんとは5歳違うみたいだから。ちょうど、話しが符合します。
ワイルドスワンは世界的にベストセラーになった本で、地獄を旅してきた人が、地獄の光景を語るような内容の本なので、その衝撃は計り知れないぐらい大きかったと思います。
それまでは、中国で何かゴソゴソやっている程度の知識しか、相当に中国の事情通と言われるような人も含めて持ち合わせていなかったというのが実情ではないでしょうか。だから、80年代までは、それぞれが、それぞれに持っている断片的な情報をもとに、勝手めいめいな想像や理想で、ものをいうことができた。
私は1980年に上智大学を卒業しているのですが、あのお堅い上智でさえ、当時は宇野学派というのがありまして、マルクス主義経済学を教え、毛沢東と文化大革命を称えていましたよ。私は、「へへん、そんなふざけた話があるもんか」と宇野学派をバカにしていて、別の教授たちの受講コースに切り替えていったのですが、あれは不思議な体験でした。
劉少奇や彭徳懐が悲惨な末路を辿ったことは、当時、既に知られていましたから、きちんと状況を見極められる人は、もっと早い時期に中国で恐ろしいことが起きていると知っていたでしょうね。でも、そういう人は非常に限定的で、多くは本能的な嫌悪感で中共を嫌っていたと思います。
例えば、私の両親は街中で小さなクリーニング店を営む無学そのものの人間なのですが、人民公社というものがどういうものか見抜いていて、共産主義を非常に嫌っていました。
小商人というのは、痩せても枯れても一国一城の主だという意識が非常に強いのです。集団化されることが、どういうことを意味するのか、本能やカンのレベルで分かる。私はというと、両親よりももっと反共主義丸出しでした。たぶん、手塚治虫がジョージ・オーウェルの「動物農場」をマンガにしていて、それを小学生の時に読んでいたからだと思います。学校で誰かが何かを言った、それで影響を受けたことはなかったです。いったい何が起きているのか、皆目、分からなかったのですから。
だから、左翼思想とかマルクス主義に影響を受けるのは、むしろ頭でっかちのインテリ層なのでしょう。サラリーマンや教師ですよ。宇野学派の影響を強く受けて、「帝国主義者」だの「反動主義」だの「日本は途上国を搾取している」などと口走った連中の家庭は、たいていが経済的に恵まれたサラリーマンであることが多く、私のような苦学生にはいませんでした。小理屈をこねる人々には、マルクス主義がキラキラ光る時代があった、ということでしょう。
誰の目にも明らかな形ではっきりと文化大革命の実相を伝え知ることができるようになったのは、79年に鄧小平の訪日があって、改革解放政策が打ち出され、大陸と西側の人の往来が盛んになってからだと思います。70年代は、誰もがおいそれと中国に渡航できる状態ではなくて、80年までに中国に行けた人といえば、日中青年の船とかに参加できた特殊な立場の人だけです。そして、鄧小平訪日から10年目ぐらいにユン・チアンのワイルドスワンが発表され、世の中が (゜ロ゜)ギョエ!! !?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!? となった。
ネットが本格的に普及したのは95年のWindows95発売からで、ブロードバンドの普及とか安定的なPCの普及とかを勘案すれば、本格的な情報化社会の到来は2000年からのことでしょう。つまり、95年以前と以後では、情報の普及と入手の容易さに圧倒的な違いがあります。
ブログ主さんが文化大革命の実像を知るようになったのがかなり遅れた背景に、こういう社会情勢の変化が作用している、と考えることもできるのではないでしょうか。実際、紅衛兵なんてジャリばかりで、毛沢東思想なんていっても、文盲が大半の国で無知な大衆や子供を騙せるインチキ話しでしかないですから。
投稿: 平野國臣 | 2014/07/01 17:39
だいたい、社会主義や共産主義は
高度に発達した経済体制であるのに
日本の左翼連中は政治面ばかりを押すのが
問題だと思います
マルクス主義は客観的唯物論であるはずなのに
連中は主観的な観念の世界に存在している
どうにもね
投稿: | 2014/07/01 19:57
横入りのまま再度失礼します。
>平野さま
ご返答ありがとうございます。
やはり田舎で農業漁業や自営が主の地域とは違ってたのでしょうね。
それから60年代はまだ戦中世代が中心でした。考えてみたら近所のおじさんは戦争体験を語ったりしなかったですが、中支派遣軍で元大尉でした。学校教師も噂では戦時中の少年工科学校?みたいな所に在籍していたとかの人もいました。シナや南洋を渡り歩いた商人だった人もいました。
そういう人たちは実際の体験や体験者からの話で共産党というものの実態を知っていたのではないかと思えてきました。
ポツリと話す内容が広がることは田舎では大いに考えられます。
都会では人の話が拡がるとかあまり無いですしね。
オーウェルが手塚漫画になってたんですね。知らなかったです。今の子供にも読んで欲しいですね。
投稿: 紺屋の鼠 | 2014/07/01 21:36
社会主義、共産主義が間違っていると思うところは?
ひとりひとりが自由に生きていくためには「私有財産」を認めなければならないということと、
自由を与えられれば、「そこに成功」と「失敗」があるということです。
結果の平等は「刑務所のなかの平等」だと思います。
投稿: 龍岡 豊 | 2014/07/06 23:52