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2014/08/17

本日は過去の左翼がらみのエントリを2本、再掲します

暑い日が続きますね。
老体には応えます。
疲れも取れません(爆)

ただ、このところアップするエントリの数が少ないのは、疲れのせいばかりではありません。
書く意欲が枯渇してきたとでも言うのかなあ...
このブログを始めて9年半近く、書いた記事は2,324本に上りますから無理からぬところがあると思います。
でも、延べの読者数も3,400万人を超えていますので、続けねば、できる限り...
という思いもあります。

が、吐き出すばかりで蓄積するものがないとエントリの質が落ちるんですよ、そのあたりが悩みかなあ...今の。
やはり読み応えのある記事を提供したい、と思いますからね。
特に左翼がらみは、目いっぱい書きたい...
と自覚しているのですが、これももう書き尽くした感じ。

と言うことで、本日は、過去の左翼がらみのエントリで、お気に入りのものを2本再掲します。

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2005/09/16

左翼とは何ぞや?

読者の方から以下のようなリクエストがあった。

「左翼の心理学」をリクエストいたします。
左翼を批判・攻撃・嘲笑するブログは山ほどあります。
しかし、左翼の人達がどうしてあのような思想を持ち行動に突き進むようになってしまったのか、冷静に分析した文章は見たことがありません。
彼等は一体どんな社会を夢見ているのでしょうか。
できたらお願いします。

したがって、今日は「左翼とは何か?」について書いてみる。
ただ、このテーマで記事を書くと、Part-4~5くらいまで書かなければならないと思われるので、エッセンスの部分に止めたい。
不満足な点が残るかもしれないが、ご容赦を。

左翼とは、狭義の意味で言えば共産主義者のことである。
もう少し定義の枠を広げると、社会民主主義者もその範疇に入る。
さらに広義に捉えれば、無党派の進歩的知識人や米国民主党のリベラル左派なども左翼と言えるだろう。

左翼の語源は、フランス大革命にさかのぼる。
フランス大革命における国民公会(1792~95年)で、議長席から見て左翼側の席を者・大衆を基盤とする急進的改革派のジャコバン党が占め、右翼側の席を大商人や資本家階級を基盤とする保守的改革派のジロンド党が占めた。
ジャコバン党の理念は、①人民主権、②立法府議員の直接普通選挙、③法律案に対する人民の異議申立ての権利など、当時としては画期的な内容を持ち、④基本的人権(自由・平等・安全・所有権など)を保証した。

そのころの日本と言えば、徳川幕府の老中・松平定信が「寛政の改革」を行っていた時代である。
同時代のジャコバン党が、いかに進歩的で急進的であったかが解るであろう。
このジャコバン党の理念は、その後のロシア革命にまで影響を及ぼした。
ここから、急進的改革派のことを、ジャコバン党が国民公会において陣取った席にちなんで「左翼」と呼ぶようになったのである。

しかし、ジャコバン党から左翼が引き継いだのは「急進的改革理念」ばかりではない。
ジャコバン党の主導権を握ったロベスピエールは、公安委員会を率いて独裁政治を敷く。
それは、やがて恐怖政治に転化し、数多くの反革命派や政治的反対派を粛清、ギロチンの露とした。
そのロベスピエールも、やがて処刑される。
筆者は、まさに、ロシア革命後のスターリンによる粛清の原型を、このロベスピエールによる「極端な権力の集中と恐怖政治」に見出すのである。

狭義の意味の左翼である共産主義者については、過去のエントリー「共産主義とは?」を参照してほしい。
共産主義とは、者(人民)が主人公の社会を目指す思想である。
搾取も抑圧もない、真に自由で平等な社会。
人間が、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
「一人は万人のために、万人は一人のために」生きる社会。
「人は、能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」。
最終的な段階では、貨幣もなく国家すら存在しない。
このような理想社会を、組織された暴力とプロレタリアート(者階級)による独裁によって実現しようとするのが共産主義である。

では、社会民主主義とは何か?
社会民主主義とは、共産主義に対するアンチである。
暴力革命ではなく議会を通じた社会変革をめざし、プロレタリアートによる独裁を否定する。
私有財産を肯定し、信教の自由を認める。
市場経済下における生産手段の公有化と富の再分配によって社会的平等を実現する。
これが社会民主主義であり、西欧の政権は、この流れが主流になっている。
なお、日本の社民党は社会民主主義政党ではない。
「共産主義政党もどき」である。
詳細は、過去のエントリー「絶滅危惧種・社民党のなぜ」を参照いただきたい。

なぜ、多くの人々が左翼を志向するのか?しかも、インテリにその傾向が強い。
まず、左翼を志す人は正義感が強いということである。
差別や不平等を憎む気持ちが極めて強い。
私の場合も、まず身近にいた「在日」に対する差別が原点だったと思う。
学年が進むと学区が広がり、被差別部落出身者も同級生の中に存在するようになった。
彼らに対する差別も、私の不正義を憎む気持ちを増幅した。
しかし、ここまででは、まだ左翼ではない。

そういう素朴な正義感に、「資本主義の矛盾が差別と不平等をもたらす」という論理が結びついて、初めて左翼が誕生するのである。
私が左翼運動に足を踏み入れたころは、ヴェトナム戦争の最盛期だった。
強力な米軍が、満足な武器も持たない解放戦線ゲリラを近代兵器で殺戮する。
ゲリラ戦に手を焼くと、猛毒の枯葉剤を無差別に散布する。
このような非人道的行為に世界中で反戦運動が盛り上がっていた。
クリントン元大統領やシュレーダー独首相などもヴェトナム反戦世代である。
このような状況下で、米国=侵略者=悪、ヴェトナム=被侵略者=かわいそう、という構図が成り立つ。
米国が侵略者なのは資本主義→帝国主義だからであり、それに追随する日本も同罪である、という論理になる。
ここまで来ると、左翼になるまで、あと一歩である。

ヘルメットを被り、街頭で過激な反戦運動を繰り広げている人たちは、何を考えているのだろうと疑問を持つ。
その背景にマルクスとレーニンの思想が潜んでいるのを知る。
そこで、マルクスとレーニンの著作を読む、あるいはオルグ(語源:organizer) される。
マルクスの著作は、一部を除き極めて難解で、全体を独習するのは難しい。
しかし、レーニンの著作は、革命の実践家が書いただけあって極めて解りやすい。
そこで、国家が暴力装置であり、戦争は帝国主義(資本主義)の矛盾から起こることを知る。
資本主義社会において者は搾取され、弱肉強食の社会では、差別と不平等が常に再生産されることを痛感する。

そこから左翼思想に染まっていくのだが、染まり方は様々である。
共産主義を信じつつ、穏健な路線を望む者は日本共産党に流れ、暴力的手段に訴えてでも共産主義社会をめざす者は新左翼(過激派)を選ぶ。
党派の無謬主義と独善性に嫌気がさした者は、無党派の急進主義に走る。
心情的に左翼に同調しながらも、党派性や街頭行動を忌避する者は、社会民主主義的な傾向の強い無党派になる。
今の民主党の左派を構成するのは、無党派の急進主義者の残党と社会民主主義的な傾向の強い無党派である。

ただ、ときの主流が左翼であるからといって共産主義者になる者もいる。
例えば、読売新聞の前会長である渡辺恒夫(ナベツネ)氏は、共産党東大細胞のキャップだった。
彼の場合は、正義感云々よりも上昇志向のなせる業(わざ)ではないか。
終戦直後の1940年代後半において主流だった共産主義の潮流の中で、上昇しようと思ったのだ。
時代が過ぎ、共産主義が主流から凋落すると、資本主義社会で伸し上がろうとする(伸し上がった)。
1950年代までは、こういう輩もけっこういた。

ここまで書けば、左翼が何をめざしているかが解るであろう。
左翼の最大公約数は、
①差別<反差別、②不平等<平等、③競争<制限、④生産手段の私有<生産手段の公有、⑤富の偏在<富の再分配、⑥低負担・低福祉<高負担・高福祉、⑦民族主義<非民族主義、
である(共産主義のめざす「究極の社会」は別格)。
日本の左翼の場合、これに「非武装・平和」と「非国益」がくっ付くから世界に例を見ないのである。
欧米諸国の左翼は、国益と安全保障に関しては保守と同一歩調を取る。
私が、中国共産党を共産主義ではないと言うのも上記の公約数による。
単なる強権的独裁政党に過ぎない。

なお、西欧における社会民主主義政権は、高負担=高福祉の行き過ぎに対する反省から、統制的な高負担・高福祉体制と、自由な低負担・低福祉体制の間で均衡を図ろうとしている。
生産手段の公有化を進める気配もない。
要は、従来どおり福祉や環境問題も重視しますが、過保護はやめ、自由競争や市場の価値も認めましょうという路線に転換したのだ。

以上が、左翼になる人の一つのパターンであり、左翼のめざす社会である。
もちろん、左翼になるきっかけは様々であり、千差万別であろう。
しかし、「素朴な正義感」→「差別や不平等に対する怒り」→「現代社会=資本主義社会の矛盾に対する怒り」→「反権力・反体制」という流れは、ほぼ共通するのではないか。
その先が共産主義者なのか、社会民主主義者なのか、あるいは無党派の反体制的市民運動家なのかは、その人の環境や性格によると思う。

素朴な正義感が強く、差別や不平等を憎む人たちが、なぜ仲間内で殺し合いをするのか?
不思議に思われる方も多いと思う。
連合赤軍によるリンチ殺人(死者12人)。
革共同中核派と同革マル派及び革労協(社青同解放派)による内ゲバ殺人(死者100人を超える)。
特に、中核派と革マル派は、元々は革命的共産主義者同盟(革共同)の同志であった。
にもかかわらず、血を血で洗う抗争を繰り広げる。

これは、共産主義社会を、人類社会の歴史的発展段階の究極であり、科学で証明された「法則」であるとしたマルクスの後継者たちの罪が大きい。
マルクス主義が絶対であり、共産主義社会に至ることが科学で証明された「法則」であれば、それに反する者(反しているとみなされた者)は、「反動」であり「反革命」であり「反人類」であるということになってしまう。
宗教を思い浮かべれば解りやすい。
「唯一神」信仰は、それ以外の「神」を認めない。
信仰に背く者は「背信者」=「抹殺の対象」になってしまう。
共産主義も同じである。
前衛党の指導に反する者は、「反動」であり「反革命」である・・・だから、アイツは「敵だ!」「敵は抹殺しろ!」という短絡的な思考に支配されてしまうのである。
なまじインテリなだけに、現実よりも観念の世界が優先してしまうから怖い。
その点、社会民主主義は独裁を否定し、複数の価値観を認めるから共産主義ほど排他的にならないのである。

なお、このエントリーは論争をするために書いたものではない。
時間もスペースも限られた中で、説明不足も多々あると思う。
したがって、エントリーの主旨を読んでいただきたい。
間違っても、「共産主義とは何ぞや」「社会民主主義とは何ぞや」というような議論をふっかけるのは避けてもらいたい(笑い)
また、今の私は左翼ではない。

※革共同両派の争いは、一般人の想像を超えている。
死者の数十倍、千人単位で廃人同様になった者や身体に重度の障害を抱える者が発生している。
もちろん、どちらも狂信的集団で間違っている。
ただ、一つだけ言えるのは、革マル派は党派闘争(内ゲバ)を権力闘争と同じくらい重要視しているセクトであるということだ。
お互いに「スパイ集団」とか「権力の走狗」と呼び合っているが、笑っているのは権力であろう※

関連記事1:共産主義とは?
関連記事2:絶滅危惧種・社民党のなぜ

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2011/07/14

久しぶりに左翼を語ろう

左翼というのは「平等」とか「平和」という言葉が好きですね。
なぜか?と言うと、「平等」とか「平和」という言葉には、人間が求めてやまない理想が込められているからです。
「格差か平等か?」、あるいは「差別か平等か?」と問われれば、ほとんどの人が「平等」を選ぶでしょう。
「平和」も同じです。
「戦争か平和か?」と突きつけられれば、多くの人は「平和」を好みます。

だから左翼は、自らの支持層を拡大するために「平等」とか「平和」を叫ぶのです。
相手の心に響きやすいですから。
「格差か平等か?」「戦争か平和か?」、2択で迫るのも左翼の特徴です。
2択思考は決断が早くなりますから。
何より単純で洗脳しやすい。

「市民」という言葉も左翼は好きですね。
本来なら「国民」と言うべきですが、「国民」だと何となく「義務感」が生じる。
その点、「市民」には自由で進歩的なイメージと響きがあります。
だから左翼は「市民」を好んで使うのです。
「ベトナムに平和を!市民連合」だと自発的運動に聞こえますが、「ベトナムに平和を!国民連合」では官製運動と思われてしまう。

それと、最近では「環境」も左翼の好きな言葉になっています。
「環境」+「脱原発」、これが今もっとも旬な左翼好みの言葉です。
「放射能」という言葉には誰もが本能的に恐怖を覚えますから、実に効果的です「環境」+「脱原発」。

「平等」「平和」「市民」「環境」「脱原発」―ほんとうに気をつけましょう!皆さん!!!

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ところで、左翼の本質は反「平等」であり反「平和」です。
彼らが「平等」とか「平和」を叫ぶのは戦術に過ぎません。
そもそも左翼の根源(ルーツ)は啓蒙思想にあるのですが、この「啓蒙」という言葉自体が「蒙(もう)を啓(ひら)く」、つまり道理にくらい者や知識に乏しい者を教え導く、という意味です。
そこには「理性と知性を兼ね備えた知識人」と「それに導かれる暗愚な一般大衆」という差別的な思想と構造が存在するのです。

左翼の考え方は啓蒙思想よりさらに進化(?)していて、革命家としての主体形成を成し遂げた者=前衛によって社会変革(革命)は指導されるのです。
当然のことながら、そこには共産主義者(前衛)と一般大衆という厳然たる格差が存在します。

そもそも左翼というのは、「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」と考えます。
この考え方は、フェミニスト(feminist)の「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」(シモーヌ・ド・ボーヴォワール)という言葉に典型的に見て取れます。
この考え方は間違ってはいませんが一面的に過ぎる。
男と女は同権ですが同質ではありません。
したがって、そこには様々な差異があります。
この差異を「差別」と糾弾するなら、それこそ逆差別です。

左翼は人間を肯定的に捉えすぎです。
左翼によれば、人の本質は普遍的で、理性的であり、協働の能力と共有の意志を有しています。
なぜなら人間とは、常に自己と他者を意識し、他者との関係性の中で生きる存在、つまり類的存在であるからです。
そこでは、文化や民族やジェンダーの相違は問題にされません。
つまり人間はインターナショナルなのです。
または、人間にとっては生きがいであり、生命活動が「生きることそのもの」である他の動物とは違う、と認識しています。
にもかかわらず、資本主義下における人間のは「個人の生存を維持する手段」に貶められている、だから階級闘争に勝利し、者を解放しなければならない、となるわけです。
要は闘争至上主義であり、「平和」主義ではないのです。

Hangenpatu6

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私は、2006年7月13日の共産主義はなぜ破綻したのか?(1)で次のように書きました。

マルクスは、弱冠26歳で書いた「経済学・哲学手稿」の中で、次のように書いている。

疎外された労働は、人間から(1)自然を疎外し、(2)自己自身を、人間に特有の活動的機能を、人間の生命活動を、疎外することによって、それは人間から“類”を疎外する。疎外された労働は、(3)人間の“類的存在”を、すなわち自然をも人間の精神的な“類的能力”をも、人間にとって疎遠な本質として、人間の個人的生存の手段としてしまう。疎外された労働は、人間からそれ自身の身体を、同様に人間の外にある自然を、また人間の精神的本質を、要するに人間の人間的本質を疎外する

これは、それなりに有名な一節である。が、ちょっと難解で、理解できない方も多いと思う。私は次のように理解している。

人間は本来、社会的生き物である。個体としての存在ではなく、自分と同じ存在である他人との関わりの中での自分である。
つまり人間は“類的存在”なのである。
その“類”としての生活から、資本の下で賃労働に従事する人間は疎外されている。
賃労働によって、人間に特有の活動的機能であるが、「個人の生存を維持する手段」に貶められている。
本来の人間は、自分の生命活動(生きること)を意欲や意識の対象にしており、社会的生き物=“類的存在”であろうとする。そこに自由や生きがいを感じるのであり、動物の生命活動が「生きることそのものである」のとは明らかに違う、と……

が、私は思う。人間も動物であると。
まず「生きることそのもの」が「生命活動」の第一義的目的であり、それは本能の領域に存する。自分の「生命活動(生きること)」を意欲や意識の対象にできるのは、その第一義的目的が満たされた後の話である。
そして、世界中のすべての人々が、その第一義的目的を満たされる日は、未来永劫にわたってありえない。

人間は弱い。常に「欲望」に負けそうになる。「理性」だけでは対応できない。
ここにおける人間は、「下部構造としての経済が云々」や「人間の社会的存在が云々」では理解できない。もっと奥深い、「人間存在」そのものが抱える根源的な問題なのではないか。
だから強制的規範としての法律がある。倫理や道徳がある。宗教心も、倫理や道徳を涵養する上で欠かすことができない。
そもそも、「人間存在」を「科学できる」と思うことそのものが、大きな間違いなのである。

また、2007年5月19日のつれづれなるままの自分史では以下のように書きました。

結局、私が左翼から解放されたのは事業を起こして倒産したことによる。その後の数々の修羅場。これが私の人間を見る目を変えた。社会の捉え方を変えた。
人間は理論では説明できない。人間社会は理論では解明できない。
人間の原点は欲望ではないか。その欲望と理性との葛藤が「生きる」ということではないか。
欲望に囚われた人間は人間であることを忘れる。理性に縛られた人間は人間存在を理解できない。
人間というのは複雑で、奥深くて、きれいなところとドロドロとしたところが併存している。理屈では割り切れない。
そんな人間が寄り集まって作る社会はもっと複雑だ。
そんな当たり前のことに気付いた時は、すでに30代も半ばを過ぎていた。

人間は理性的で、その人間性は普遍的、そして働くことを生きがいに感じ、協働と共有を志向する、とは思えないのです、私には。
一部の人たちを除いて。

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左翼&共産主義」カテゴリの記事

コメント

勉強になります。ありがとうございます!

投稿: | 2014/08/17 20:40

リクエストやTPOに合わせて過去の記事を再びアップしていくという形態をしばらくとられてはいかがでしょうか。
個人的には中国崩壊のシナリオ記事をまた読んで再び考察してみたいです。
同テーマで違う人のコメントも読んでみたいですし。

投稿: Hiro | 2014/08/18 13:34

坂様の左翼解説が絵空事でなく現実の感覚として納得できます。
実生活から離れた学問的左翼や左翼であることがインテリであるとする左翼エリート主義を叩く解りやすい記事でより多くの人、中高生に読んで欲しいと思ってしまいます。
アカ卑的左翼が反論を許さない手段として平和と平等を大上段に構えます。
人間社会の中では平和と平等には反論できません、平和と平等を否定することが自分自身を否定されることに繋がるからです。
平等が前提であってこそ話し合いが出来る、相手を否定するならば話し合いも政治もありえません。
しかしインテリ層ほど建前として反戦平和平等などと唱えながら他者を蔑視差別しているのではないか、アカ卑に対する疑念です。
アカ卑と同調者が一般の国民よりも上位にあると主張する方策としてのサンゴ礁KY事件も強制連行デッチアゲも同根です。
日本人は悪い奴らださんざん悪いことをしてきたと宣伝する程にアカ卑の価値が高まるとするのが変態思想の行き着く先です。
反日の看板を掲げるぞ如何だお前たちより偉いのだぞと。
実生活から遠ざかる事がアカ卑と腐敗した労働組合の共通項でもあると感じるところです、現業から離れた人間がものづくりも販売も出来ず時代が変わっても組織にしがみつくだけになっています。
平等と平和に対して正面から論争などできるものではありません、しかし旧ソ連東欧特定アジアすべて逆方向に進みました。
マルクスには近づきたくない近づく能力がないのですがマルクス主義とは生物としての人間を否定する思想ではないかと考えるところです。
肉親の情にしても若い日の恋愛感情も強制される平等とは無縁のものであると。

投稿: tatu99 | 2014/08/18 19:04

サヨクの特徴の一つに観念主義者、イデア論者だという点があると思っています。形而上学的議論は意見の集約ができず、集約するためには内ゲバか、弾圧か、強制力によるしかありません。サヨク政治が独裁になるのも人権法のような社会抑圧的な法律が好きなのもその現れだと思います。
保守じゃない右翼もけっこう観念主義者ですが。

投稿: なな | 2014/08/19 06:01

要するに左翼、右翼だからどうとかでなく
極端に走ると何事も良い結果にならないのではないでしょうか。
思想そのものは自分の内面で「こうあるべきだ」とどこまでも自由に理想を追求は出来ますが
果たしてそれが他人にとっての理想かと言えばそうでもなかったりする訳です。
だから自分の意見を押し通すと良くも悪くも必ずどこかに皺寄せが行く事になる。
理想を言えば誰しも大なり小なりあるでしょう。

私は「左翼」と言えば思い浮かぶのはズバリ
あの「あさま山荘事件」です。
行き着く所まで行ってしまった一つの例ですが
もう洗脳状態の極みとさえ感じます。
掲げた理想とは全く関係ない方向に暴走し、一人よがりの結果になってしまいました。

昭和史に残るほどの大事件ですが、あさま山荘銃撃戦の結末までの彼らの足跡を辿って見るとあまりにも短絡的で幼稚な内容に愕然とさせられます。
あれでは革命レベルの話になりません。
普通に考えれば数丁の銃で十数人レベルの人間が権力を相手に戦ったところでどうなるか・・・・・
結果は子供でさえ解ります。
山で仲間を次々と殺害したのもそうですが、
彼らが悪人と一言で片づけられないにしろ
「結果」を考える能力、思考が欠落していたと思わざるを得ないでしょう。
大衆が認めるような公益性のある活動をしながら建設的な方法での改革を目指していれば
今頃死刑囚で拘置所の住人ではなく、政治家としての
人生となっていたかも知れないのです。

思想そのものと言うより人間は他の意見、考え方も理解し、譲り合う柔軟性があってさまざまな事件・トラブルの抑止力になっているのではないでしょうか。

投稿: | 2014/08/19 08:44

いつも楽しく拝見させていただいております。
慰安婦問題で朝日の釈明記事がでて若干よい方向に向かっているように思われますが、まだまだ前途多難と思っております。
ところで、一連の慰安婦問題では当初から弁護士さんが大きな役割を果たしているように思うのですが、戦後左翼運動において弁護士が果たした役割というのはあるのでしょうか?ご教示いただけましたら幸いです。

投稿: | 2014/08/19 17:09

2本の左翼に関するエントリーを拝読しまして、
「狂気とは理性を失った状態ではない。理性以外のすべてを失った状態なのである。」

というチェスタトンの有名な言葉を思い出していました。ロベスピエールからスターリンを挟んでポル・ポトに至る左翼の政治的狂気を語るのに、これほど相応しい言葉はないと思います。

マルクスの「経済学・哲学草稿」
懐かしいですね。(笑) 私の学生時代に某駒場の文芸雑誌などでは、評論の合間にマルクスの若書きの「草稿」をさり気なく挿入するのが流行っておりました。そういうのが知的なスタイルとされたのですね。今となっては、頭の痛くなるような生硬な翻訳文で。坂様の判りやすい解説文があって、やっと読む気になれました。(笑)


左翼は一神教の変種です。ロベスピエールは実際に理性神を神殿に祭り、スターリンは理性と科学によって導かれる共産党党の機関=党書記長、すなわちおのれ自身を人民の信仰の対象としました。異端派に対する徹底的な迫害、弾圧も中世キリスト教社会で見られた数多の事例そのものでありましょう。


さて、日本のように一神教がさっぱり流行らない国で(キリスト教徒は常に1%以下)何ゆえにマルクス主義とその亜流が蔓延るのか?ずっと私には謎なのですが、日本の変態左翼はアナーキズムに近いのではないか、という仮説を立てて考えてみました。

というのは、社会民主主義よりマルクス主義に近い日本社会党の村山富市氏が総理になった途端に、身悶えるほどに苦しそうで、一刻も早く職を辞したいのが見え見えでしたので。

どうも日本の左翼は国民公会の左側に陣取っていた面々とは質が違う。元をただせば百姓一揆か何か、支配階級、統治機構を憎悪するばかりで、自らが取って代わろうとはしない。ひどく土着的なアナーキズムに位置付けられるのではないかと、最近では睨んでおります。

坂様のエントリーは左翼入門、解説の書として格好なのものです。なるべく多くの若い人達に読んで貰いたいと思いますが、坂様ご自身は毎度、入門書と解説文を書かれていては飽きてしまわれますよね。

しばらくは過去貴重なエントリーと、新しいスタイルを模索するタイプの二本立てで行かれてはいかがでしょうか。

このところの酷暑続き、さずかに我らの世代には堪えます。坂様もひとえにご自愛下さいますよう。
新涼の季節まで、もう少しです。

投稿: レッドバロン | 2014/08/20 22:03

「書く意欲が枯渇してきたとでも言うのかなあ」のお言葉に心配しております。
お疲れでしたら レッドバロンさんのおっしゃるように、「しばらくは過去貴重なエントリーと、新しいスタイルを模索するタイプの二本立て」でいかれたらいかがでしょう?
 この貴重なブログをお守り下さい。

投稿: goal | 2014/08/22 15:33

変態左翼の謎

もちろん、日本型変態左翼のことです。
確かに60年型、70年型、80年以降と違いはあるでしょうが、ほぼ共通しているのが単純にいえば欧米左翼と根本的に違う安全保障に対しての思考、態度でしょう。

今日、東シナ海、尖閣諸島は中国のものとし、公船を毎日接続水域、領海に侵入させ、沖縄させ時に自国の領土と声にし、南シナ海では例のベトナム、フィリピンとの摩擦を起こし軍事費を毎年増加させ軍備近代化、軍備増強をしている明確な脅威である中国という存在があるにもかかわらず、集団的自衛権をなんとか潰そうとやっきになっている連中。

その日本型変態左翼の特徴が自虐史観(東京裁判史観・侵略史観など)といえるでしょうが、つまり一時「日本は悪いことをした国、国民である」と広く流布されていました。
また「アジアの国々から嫌われている」というのもありました。
更に実際団塊の世代の者で「日本人の血は汚れた血だ」などと平気で言う人物も実際いました。

そんな日本を只管卑下する日本の変態左翼の謎が一家をかまえ子を養う気によくなるものだという謎です。
子供を増やし自虐史観をしっかり教育し、日本を貶める闘争を未来永劫続けようという意図でもないのならば、そんなに忌避する大嫌いな日本で家庭を持ち家族を作るという事に違和感がわかなかったのでしょうか。
そんな変態左翼への疑問があります。

投稿: Pin | 2014/08/25 07:48

私の60代の知人で、未だに反日左翼活動を
続けている人がいますが、
ここ最近の流れで、かなりトーンダウンしていますね。
過去の様々な発言、反日言動、
そして多くの人たちを先導してきた手前、
内心では、もう引くに引けないようです。

先見のなさで左翼思想にかぶれてしまったのは
人生最大の汚点でしょう。


投稿: あおさん | 2014/11/03 14:09

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シリアで日本人拘束か 男性「湯川遥菜」 外務省が現地対策本部2014.8.18 00:32 [中東・アフリカ]  【カイロ=大内清】内戦中のシリアで日本人が拘束されたもようだ。在シリア日本大使館の馬越正之・臨時代理大使は17日、シリア国内で日本人が拘束されたとの情報が入り、16日夕、館内に現地対策本部を設置し事実確認を進めていることを明らかにした。 インターネットで流れた映像...... [続きを読む]

受信: 2014/08/19 06:08

» ワシントン・リポート 青山繁晴 [風林火山]
8月20日放送のアンカーは、広島市で大規模な土砂災害の為、1時間前倒しの放送であった。 [続きを読む]

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