赤軍派の元議長=塩見さんからフォローされていました
共産同(ブント)赤軍派の元議長で、獄中生活19年9ヶ月の塩見孝也さんからTwitterでフォローされていたことを知り、すぐフォローをお返ししました。
彼は、私の憧れでしたから嬉しかったです、正直。
そもそも、私がブント戦旗派になったのは、赤軍派に行くのを躊躇したからで、赤軍派は憧れでしたよ、当時は。
まあ、18歳(高校生)で無知蒙昧のなせる業でしたけどね。
と、同時に、それが許容される時代だった、とも言えます。
塩見さんは当時、29歳だったと思います。
今、振り返れば、子供と言うよりガキですよね、お互い。
私は、20代後半で左翼と決別しましたが、塩見さんは独房生活19年9ヶ月ですから想像を絶します。
現在は、民族派左翼だそうで、意外と接点がありそうな気もします(爆)
人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑
Twitterでのフォローは以下から。↓
Facebookでは「友達」募集中です。↓
| 固定リンク
「個人」カテゴリの記事
- いわゆる「自然体」ですね。ランキングなど意識せず。(2019.06.01)
- ココログがリニューアルされたので試しに書いてみた。(2019.05.28)
- 読者の皆様へ Blog更新の一時停止のお知らせ(2019.01.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いやあ、かつての憧れの人からフォローが来るなんて。
私なんぞ永久にないでしょう。(笑)
赤軍派は世界革命戦争などを唱えていたとか。
失礼ながらファンタジーですね。
ウチの親父は零細な自営業やってまして共産党の支持者でしたが、そんな生活環境に育った者から見れば世界革命戦争なんぞという話は地に足のつかないファンタジーにしか見えません。
目の前の大衆の生活の改善が第一だろうし社会主義とはそういうものの地道な積み重ねに他ならないだろうと思うのです。
とはいえ、共産党の体質や政策がそのまま肯定されるものでもないとはティーンエイジャーの時分から感じておりまして、共産党への私のスタンスは良くやっている面は肯定したいが何か根本で問題ありではないかというところです。
もっとも、親の苦労を見てきて自営業は嫌だと思っていましたが、業種は違いますが結局自営業やる羽目になりましたが(笑。
なお民族主義ということで言えば、アジアの他の共産主義党と同じく日本の共産党は民族主義主義愛国主義的な体質を持つものだと思います。
そのことは『民族独立行動隊の歌』の内容からも明らかかと思います。
長々と失礼しました。
ご自愛されて、ますますブログ活動に邁進されることをお祈りいたします。
投稿: 戦艦ヲタク | 2015/06/09 10:14
知り合いに、元機動隊員がいます。羽田の安保闘争の時にはゲバ学生と殴り合いをやって、その後は公安捜査を経て交番勤務、そして池上署で暴走族対策をやっていたと。
その人が退官して、たまたま私と知り合いになった。で、あさま山荘事件から40何年目かの「集い」に彼をさそって見に行った。たしか、永田洋子が死んだ年だから、私も少し感じるところがあって、「集い」に行ったのですね。そこに塩見の爺さんがいて、あいかわらず武装闘争がどうたらと一席ぶっていた。
「おいおい、それはないだろ。もう少し、人の生死を超えたような、年寄りの立場から物はいえないのか」と思い、ばかばかしくて途中退席してしまった。
同行した元機動隊員曰く。「俺は公安時代、塩見の書いた文章の意味が分からず、それは俺が高卒のためだろうと思い劣等感にさいなまれた。今、塩見を見ると、コイツは世の中というものが、まるで分かっていない。あの時の劣等感が吹き飛んだよ。バカはあいつの方だった。」と。
ま、塩見の爺にあっては、せいぜい長生きをして、できるだけ生き恥を晒してください。
投稿: 喪黒福造 | 2015/06/10 18:16