平成27年8月14日 安倍内閣総理大臣記者会見 全文
平成27年8月14日
安倍内閣総理大臣記者会見
8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。
政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。
同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。
ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。
100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして70年前。日本は、敗戦しました。
戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3,000人近い日本人の子供たちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださったすべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。
冒頭、私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受けとめたいと申し上げました。同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは、果たして聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。
私は、これからも謙虚に、歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。
私からは以上であります。
ここまで言及してくれれば、極寒のシベリアで辛酸をなめた今は亡き親父も、きっと喜んでくれる、と思う。
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コメント
論文等の主張は最後のsummary (a brief statement or account of the main points of something)に置きます,それを念頭において談話を解読しましょう
投稿: 街のバカ猫 | 2015/08/15 07:24
私は、ただ安倍さんが総理を退いた後どうなるかが心配です。下品な右すぎる連中や、ただただ日本国を貶めるだけに汲々とする左のバカどもをも含めて国政を担う労がどれほどのことか、安倍総理の支持をあくまでもしていきたいと思います。
投稿: 転びバテレン | 2015/08/15 09:48
戦争よりも悲惨な「全体主義」(今井道夫の全体主義論)
●全体主義思想は、共同体との繋がりを失って砂粒のようにバラバラの「個人」となった知識人が作り出し、やはり孤独で根無し草の知識人と「知識人化した大衆」に受け入れられた。
(従って「個と全体」が対立するという全体主義理解は間違い)
●全体主義は最初から「世界革命」「世界支配」を目指すものであり、民族主義は政権獲得・維持のために利用したに過ぎない。
(従って、全体主義をナショナリズムと結びつける全体主義理解は間違い)
●全体主義思想が最初に席巻したのは「大学」であり、イデオロギーを実現するための「党」に集ったのは「先進国の教養あるエリート」だった。
(従って、全体主義を「陳腐・凡庸」「大衆の俗情」ととらえる藤井聡の全体主義理解は間違い)
●全体主義が「根源悪」である所以は、
「われこそは歴史の鍵を握るもの、世界の謎を解くもの、自然と人間の発展過程を支配する見えざる法則を明らかにするもの」と、
その「知性的・科学的・理性的・理論」を信じた知識人が、「歴史の真の原動力」に寄与するとか、「歴史の発展」とか「進化」とかに貢献するためとして、
「生きる資格のない劣等な人種および個人」や「死滅する階級」を皆殺しにして絶滅することは、「正しい」ことだと認識して、
人間の大量殺戮を「冷静」に、後ろめたさなど微塵もなく自信に満ち溢れて行ったことである。
(『共産主義黒書』でクルトワは、共産主義による世界中の犠牲者の数を八千五百万人から一億人と推定している。これは二つの世界大戦による死者の数を50%も上回る)
これから解ることは「知識人は、賢くない」
●全体主義体制下の人民にとって戦争は「悲惨」ではなかった。
「こうしたすべての流血地獄も、強制収容所の恐ろしさに比べればまるで天国だった
戦闘は、たとえ死を免れないものであったとしても、それでも救いだったのだ」(パステルナーク)
●憲法九条擁護/戦争放棄 =「日本人ホロコースト思想」であり、これを支持する知識人・マスコミは、「現存する本物の全体主義」である「中共」の犬である。
ハンナ・アーレント:全体主義との戦争は「戦争の必要を認める唯一の基準」
詳しくは以下で
高校生でも解る全体主義
http://goo.gl/Cb0Q9C
今井道夫:もえとら
http://goo.gl/5NMECn
投稿: vine | 2015/08/15 16:59
小生は残念ながら、というより予定通り?安倍談話を評価しませんね。
先ず第一に、『子孫に謝罪の宿命~』の部分は殆ど唯一、この談話で評価出来る部分です。これだけだったら文句は有りませんでした。また、河野村山両国賊談話の密室談合に比し、情報の公開性でははるかに優れている点も評価出来ます。
後の部分は、結局現代日本人が陥りやすい、
一、『現在の価値観で過去を断罪する』
ニ、『日本以外の外国・敵対勢力の圧力の存在の抜け落ち=我が国が突出して国際社会で先走った行動を取ったかの印象を与える』、
の二点が多く見られ、談話としては不要若しくはマイナスになってしまっています。例えば満洲事変の経緯を述べた部分は上記の二、に該当しており主に支那人勢力の暴虐の事実が述べられていないし、女性の人権云々は典型的に一、の内容です。
また、国際社会に受け入れられることを重視してか、戦勝国にご迷惑をお掛けしました、的な文章も散見され、不愉快です。これでは悠久の大義の為に亡くなった軍人さんや民間人の犠牲者も浮かばれないでしょう。
故に小生は安倍談話を出さない方が良かったし、正しい歴史観の披瀝にもなっていないと思います。
投稿: 素浪人 | 2015/08/15 22:10
100点満点の談話じゃないですか。これはアメリカと中韓以外のアジア諸国に向けた談話です。アメリカが真っ先に高く評価しました。これを見て、アジア諸国は日米同盟の下に集結することは、ほぼ間違いないと思います。
ただ、とても悔しい気もします。実に悔しいです。
でも、昭和天皇のお言葉にある「太平を開く」とは、こういうことかと解りました。安倍談話に不満のある方は、終戦の詔書を再読されることをお勧めします。
今後、日米同盟は世界情勢の基軸になると思います。
すでに世界は、ポスト中国に向かって動いているのかと思わせる談話であったと思います。
投稿: 縄文人 | 2015/08/16 05:33
70年談話について、いろいろな見方があるでしょう。
安倍総理自身思い残すことがあったかもしれません。
私は、それでも平成27年の首相として立派な言葉を残されたと感謝します。
亡き父は巡洋艦乗りとしてソロモン海戦を戦いました。それは私の誇りです。
同時代の人々は堂々と出兵し勤めを果たし、多くは帰ってきませんでした。
日本の将兵は個々に立派な人間だったし、誇るべき先輩であったと思います。
我々は、この点に関しては、侮辱を聞き流すことは許されないのです。
今は、対中国で米英豪と強固に結びつくことを優先する時期なのは確かです。
そうであれば、今回はまだ通過点と考えてみたいのです。
次の80年に望むべきは、中共の消滅です。
田中角栄訪中後の中国大国化の時代はアダ花と記憶されているかもしれないのです。
民主党や朝日新聞の論調が批判的である、ということは、内容が良かった。ということなのでしょう。
投稿: ポッと出 | 2015/08/16 19:03
時期的にはソ連崩壊の直後、(本来は)保守である自民党が、政権奪還のために旧-社会党左派の村山富市を総理に担いだ結果…
その後遺症として、日本政府の公式見解の中に旧-社会党の「イデオロギー」(日本の「植民地支配」と「侵略」=村山談話)がビルト=インされてしまって、(20年後の現在)その後始末に自民党の保守派が苦心惨憺している、ということだと理解しております(w
----- ↓ -----
村山談話とは、1995年(平成7年)8月15日、当時の村山富市首相が戦後50年の節目に発表した談話。
正式名称は、村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
日本の過去の戦争・植民地支配など、いわゆる歴史認識問題について、日本政府の公式的立場とされている。
1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、
日本が 「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」 と述べ、
「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明した。
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/245.html
投稿: neo | 2015/08/17 17:56
自虐史観に囚われることなく真の歴史を冷静に鳥瞰して、どこの国・どこの立場から見ても都合良く映る文面で良く考えられた70年談話だと思います。今回の談話で一番大切なのは「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。」ことだと思います。日本国最古の憲法である十七条憲法には一曰く真っ先に「以和爲貴(わをもってとうとしとなす)」とあります。古来より日本人は和の民族です。これからも世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していくことでしょう。
投稿: じん(初コメです) | 2015/08/20 10:17