自虐の極み"過ちは繰り返しませぬから"と誓うのは米国
70年前の今日、長崎に原爆が投下された。
広島に人類史上初の原爆投下が実行されてから、わずか3日後だ。
広島と長崎を合わせて、約34万人が死んだ(投下後5年以内)。
この米国の行為は、まぎれもない戦争犯罪である。
ところが、広島の原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」という文言が刻まれている。
この主語不在の碑文に、当時の日本国民の、根深い自虐の念が込められている。
原爆投下は、米国による人体実験だった。
過ちを犯したのは米国である。
にもかかわらず、原爆投下の責任は戦前の日本の戦争指導者にある、という論が根強くある。
自国民(非戦闘員)を何十万人も殺されて、自国が悪いと言う感覚は、人間として相当ずれていると思う。
3月10日の東京大空襲(死者約10万人)を含めれば、わずか3日間で約44万人が、逃げ場もなく、なす術もなく殺害されたことになる。
この残酷極まりない行為の責任は我が国にはない。
実行犯は米国である。
が、私は米国を責めているわけではないし、反米を煽っているわけでもない。
何十万人もの自国民が瞬時に殺害された事実を、自国の指導者のせいにする売国左翼の欺瞞性、犯罪性を糾弾したいのだ!
人気ブログランキングへ
あなたの暖かい応援をお願いいたします。↑
にほんブログ村
お手数ですが、ここも応援いただければ幸いです。↑
【追記】
3月10日、報道ステーションで、「サイパン島が陥落した時点で降伏していれば東京大空襲は避けられた」というプロパガンダを発した朝日新聞の恵村順一郎・論説委員を思い出しました。
約10万人もの市民が無差別に焼殺されたのに責任は日本軍にある?
Twitterでのフォローは以下から。↓
Facebookでは「友達」募集中です。↓
| 固定リンク
「左翼&共産主義」カテゴリの記事
- 反日メディア琉球新報と反日工作員沖縄左翼を粉砕せよ!(2018.12.16)
- 馬鹿な奴らだ!500人? 実数は200人以下!(2018.12.07)
- いつも「絶対的に正しい」共産主義者らしい死に様だ!(2018.11.26)
- JR東日本に巣食う「革マル派」というカルト(2018.11.19)
- 中核派の英雄が公安のスパイだった、という笑い話(2018.11.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
毎年8月になるとカスゴミ共が全国無差別都市爆撃と原爆投下とを無理矢理戦争の悲惨さの象徴として使い続けてますよね。しかも暗に我が国に戦争責任が有ったからこの二つが起きたのだ、と匂わせる手法で。
事実の再確認をすれば、両者共にメリケンによる戦争犯罪であり、世界史的に見た場合の『普遍的な戦争の悲惨さ』とは異なるものです。無差別都市爆撃の方は、まだ我が国の戦争遂行能力を削ぐ為であったとも言い訳出来ますが、原爆の方は現在判明している歴史的事実では明らかにそうではないのです。
即ち、一つは対露牽制の意図を以て我が国が米露分割占領となることを防ごうとしたこと(米は我が国の早期対米降伏を目指した。何故ならヤルタ密談で露助は対日宣戦を8/9と決めていた為)。
もう一つは将来の核軍拡時代を見据え戦争の火事場ドロ的に日本国民を人体実験のモルモットにしたこと(メリケンは用意周到に原爆投下後のデータを収集している)。
よって無差別都市爆撃は唯の国際法違反の民間人虐殺に過ぎないし、原爆投下に至っては戦争とは直接関係無い、『黄色い猿への、戦争終結前のドサクサ紛れの人体実験』に過ぎなかったのです。より厳密に言えば、『意図的に戦時と重ねた国家的犯罪』とでも言えましょうか。
故に、我が国は二度と災禍に遭わない為にも、核兵器若しくはそれに等しい抑止力を有する新兵器(現在日米で開発中の弾道弾迎撃システムなど)の所持は不可欠です。戦後日本国民が『反省』するのは過去の我が国が戦略に劣り情報戦に敗れ敵の侮りを受け大被害を受けたこと、であるべきであって、大東亜戦争が起きたことそのものではないのです(対米戦に勝利していれば殆どの国民もカスゴミ共も戦争の悲惨さなど問題にしなかったでしょう)。
投稿: 素浪人 | 2015/08/09 17:21
自虐という異常性を持つ国。
この加害者を強く責めず、被害者自身が強く自国の為政者、軍を責めるという世界的に見ても首を傾げる様なことをするのは恐らく日本だけではないかと思う。
何か重大な悲劇がその国の国民多数に起こった場合、殆どと言える国ではその加害者を自国に非があろうと全力で非難する。
それがオーソドックスな姿勢だと思います。
ですが、ここにまったく逆に極端に言えば加害者を責めず、被害者が被害者自身を責めるそんな国があります。
そう、『おもてなしの国』です。
どうもそのような特殊な精神を持つことには繋がりがあるように思えて仕方がありません。
他国の犯罪を自国の責任として自らを責め続ける。
それを『自虐』と言い、その歴史観を『自虐史観』と言います。
それを布教しているのが左翼です。
そしてそれを受け入れてしまうのがおもてなしの国の国民です。
広島、長崎
安保法制
投稿: Pin | 2015/08/09 19:16
広島在住で父親が被爆者手帳を持ってます。
私はあの碑の文章を「過ちは二度と繰り返させません」と書いてほしかったです。
投稿: だいふく | 2015/08/09 20:18
リテラ拡散御礼!SEALDsは習近平応援デモ!② 安保闘争 中国共産党の謀略・対日本工作とは
❏中国共産党の60年安保闘争への対日本工作とは?!
「戦前から中国共産党に操られてきた日本の左翼革命勢力」江崎道朗
中国共産党主導の極東コミンフォルムは1954(昭和29)年、北京郊外に日本人の革命家を育成する学校(馬列学院・高倉テル校長)を創設し、1957年までの3年間で約2500人もの革命家を養成したのだ。
彼ら「革命家」たちが日本に帰国した直後に勃発したのが、60年安保闘争であった。しかもその後、70年安保闘争にかけて全国の大学で学園紛争が吹き荒れたが、そのスローガンが「造反有理」、つまり毛沢東が文化大革命で唱えた言葉であり『毛沢東語録』が学生運動家たちのバイブルであった。
これは馬列学院で中国共産党によって養成された「革命家たち」が、安保闘争や学園紛争を主導したからではないのか。
(引用ここまで)
http://ameblo.jp/channelcrara/entry-12059881881.html
投稿: Iライジィングサンさん | 2015/08/09 21:23
日本人がまともな日本語を使うことがで出来ない典型ですね。(憲法と同じく正しい日本語を失った原点)
慰霊の場において、今年も、広島市長は分を超えた発言を、してはいけない場所で行いましたね。またそれを日本の多くのマスメデイアは英雄行為のごとくに取り上げる。
どこかがおかしい?
今日、放送された(なぜか東京では放映されていない)『たかじんのそこまで言って委員会』)で櫻井よしこ氏が危惧しているように日本は存亡の危機に面していることをもっと国民は知るべきです。
アメリカ軍による、各都市への無差別爆撃、原爆投下は、勝者、敗者を問わず明らかに戦争犯罪です。
このことは、アメリカに過ちは過ちと毅然と述べることも必要です(たとえ認めなくとも)。
今や、中国の脅威は全世界の問題です。どこの国も国益を守ることは必然でしょうが、目先の国益を追っていると、中国からとんでもない目に合うのは歴史からみて明らかです。何のために人類は歴史を学んでいるのか。
国・国民の生命財産を守った行くため、戦争の悲劇を繰り返さないため、第一歩として、今国会で安全保障関連法案の成立は欠かせない。 国際社会で、独立国家として自立し、リーダーとして歩みだす第一歩でもあります
投稿: 道産子爺 | 2015/08/09 22:43
久しぶりに投稿します。
8月15日も近くなり、安保法改正の流れもあってマスコミなどが大戦中の日本の行為について騒いでますね。
あの一方的な見方からの報道内容は、まあどうでもいいですがw
ただ、ちょっと気になることがあります。
日本の大部分の人たちは、戦争とは「国際法にしたがって、正々堂々とするもの」と思っているのではないかというものです。
しかし実際に国際間のやり取りを見ていると、「どうやって国際法を自国に都合のよいように運用するか、または変えてしまうか」に時間を割いていると言ってもよいように感じます。
国際法が慣習法で、多勢が行うことによって変わる可能性のあるものであることをよく知っているからと言えるでしょうか。
大戦中の一般人への攻撃も、この考えが係わっている可能性があると言えるかもしれません。
もちろん第二次大戦前から非戦闘員への攻撃を禁止する「条約」は存在し、これ自体は各国の同意なしには変えることは出来ません。
しかし総力戦においては一般国民への攻撃を容認する理論が出てきています。
そして大戦初頭でドイツが無差別爆撃を行ったことにより、この総力戦おいて一般国民への攻撃が容認される方向に動いたと言えるでしょう。
そのままいけば、総力戦においては一般国民への攻撃を容認する慣習が出来あがっていたのかもしれません。
原爆の投下も、この一般国民への攻撃を容認する考えの流れから派生していることは容易に想像できます。
そしてそれが米陸軍戦争大学のA.エチェヴァリアが指摘するようなアメリカの戦争方法 ─欧州のように戦争を交渉プロセスの一部とみなすのではなく、交渉の代替手段と見なす、よって欧州のように戦闘の勝利を政治的な勝利に結びつけるのではなく戦闘の勝利のみを追い求める─ と結び付いてしまったのではないかということです。
実際、原爆投下を執拗に主張したのは軍人たちだということも分かっています(反対する軍人もいましたけどね)。
もちろん被害実験に見合うような候補地が選ばれたことは事実ですので、実験目的で投下した可能性のあることを否定しません(先日テレビ朝日で「原爆70年目の真実」という番組をやってましたが、実験目的という視点から製作されていましたね)。
欧州の戦争方法にしろ、アメリカの戦争方法にしろ、政治目的の達成という視点から戦争を考えていて、そのためにやっていいことといけないことの境界線で行動をおこし、国際社会でどの様に自国の行動を正当化できるかを考えながら戦争を行っていると感じるのです。
勝たなければ国が消滅するかもしれない戦争という行為の特徴でしょうか。
投稿: すぷー | 2015/08/11 00:25