いつも「絶対的に正しい」共産主義者らしい死に様だ!
以下に、戦後の日本共産党の指導者たちの歴史を書く。
印象的なのは、不破哲三の師であり、志位和夫の「政治の父」とも言える宮本顕治以外の哀れな末路だ。
いつも「絶対的に正しい」共産主義者らしい死に様だ!
どこが「平和を愛する党」だ(爆×∞)
徳田球一
1945年 府中刑務所を出獄、初代書記長に就任
1950年 中国に密航(亡命)
1950年 亡命先から「地下放送」を通じて武装闘争を指示
1953年 北京で病死
1955年 病死が公表される
野坂参三
1946年 中国から帰国
1950年 中国に亡命
1955年 帰国
1958年 共産党議長に就任
1992年 ソ連のスパイだったとして共産党名誉議長を解任される
1992年 100歳で除名処分、生活支援を打ち切られる
1993年 101歳で没
伊藤律
1945年 仮出獄
1946年 党書記局員、その後に政治局員、徳田球一の側近
1950年 地下に潜行
1951年 中国に密航
1955年 スパイ容疑で党を除名され中国で拘禁生活を強いられる
1980年 29年ぶりに帰国、スパイ容疑は野坂参三による濡れ衣
1989年 病死
志田重男
1945年 出獄
1946年 党中央委員・書記局員、その後に政治局員
1950年 地下に潜行、非合法活動の責任者=軍事委員長に就任
1955年 地上に姿を現す
1956年 党の資金を浪費した容疑で追及され失踪
1957年 除名
1971年 金井貞吉という偽名のまま胃癌で死去
宮本顕治
1944年 不法監禁、傷害致死、死体遺棄などにより無期懲役
1945年 GHQの指令により出獄
1955年 中央指導部員に就任
1958年 党書記長に選出される。
1970年 党中央委員会幹部会委員長(最高指導者)に就任
1982年 中央委員会議長
1997年 名誉議長
2000年 名誉役員
2007年 老衰のため死去。享年98!
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コメント
共産主義、マルクス主義者の歴史とは内紛の歴史。
結局権力闘争に敗れた者が何らかの罪状を掛けられ葬り去られる。何て惨めで醜い事か
それだけ共産主義は独裁的で権力が集中し易い悪政、否旧来の専制型政治の劣化版て事だと云う事だろう。
専制政治に嘘を染み込ませた制度がマルクス主義、其処から派生した思想もまた嘘塗れ。
だからアカは平気で嘘を吐く
投稿: I Rising燦々 | 2016/03/21 10:30